何回か通り過ぎてはいても、「一度はちょっと足を止めてみたいマチ」が、私には幾つかあります。新潟県長岡市はその一つ、山本五十六、河井継之助、「米百俵」の小林虎三郎でも有名ですね。
駅の観光センターには沢山のパンフレットがありました、歩いて回れるコースも幾つか。
* 脈々と受け継がれる越後長岡「米百俵の精神」――長岡藩文武総督・小林虎三郎http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kurashi/bunka/komehyaku/kome100.html
* 「小千谷(おじや)会談」に臨んだ長岡藩軍事総督・河井継之助 http://tsuginosuke.net/
* 山本五十六記念館の達筆な書簡の数々と「覚悟」 等 http://www.nagaokacci.or.jp/kankou/html/p4_yamamoto.htm
その中で、山本五十六記念館では貴重な資料を幾つか見つけました。「山本五十六の『覚悟』」と題した冊子には本人直筆の「述志」2通他、手帳・書簡の写真と紹介記事が盛りだくさんです。「述志」の一つ、昭和14年記述のものは海軍次官時代に、昭和16年12月8日記述のものは、連合艦隊司令長官として開戦日に認めた遺書です。更に海軍兵学校同期で心の友・堀悌吉海軍中将との書簡等も、時代を担って生きたリーダーの品格をうかがい知ることが出来ます。こんな偉大なリーダーの存在がありながら、昭和初期から終戦まで、海軍内では結局は少数派、膨大な犠牲で敗戦を迎えた日本という国の現実を、私は見逃してはいけないとも思います。
郷土の、ある住職は山本五十六のことを、「質実剛健、愛想なしで底の知れないという長岡人の典型みたいな人物。長岡藩が300年かかって最後に創り出した人間であろう」と語っています。各藩での「ひとづくり」、今「地方主権」などと声高に政治の場で騒がれていますが、ほんの百数十年前の日本を取り戻すだけでそのモデルを見出すことができます。