突然の訃報とはこのようなことなのか、今月19日午後のことです。(公財)秋山記念生命科学振興財団の常務理事、宮原正幸が急逝しました。
昨日、お通夜、本日告別式、ともに滞りなく終了しました。ご会葬頂いた皆さま、弔電、ご供物、ご供花を頂いた皆さま、心から感謝申し上げます。
葬儀の私の弔辞~~~~~~~~~~~~~
弔辞
公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団常務理事、故宮原正幸さんのご霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。
「宮原さんが倒れて心肺停止で今搬送中です」、と財団職員の救急車内からの報を受け取ったのは、わずか5日前の午後6時過ぎのことです。その日の午前中には、宮原常務理事、事務局の桜井、城越、私とで、年明け開催予定の財団理事会、評議員会の議案を巡って、最終の確認をしたばかりでした。いつもと変わらぬ姿、わずか数時間後のこの連絡に、私はにわかには信ずることができませんでしたが、すぐに気を取り直して西区の病院に駆けつけました。こうして弔辞を読んでいる自分は、未だに現実とは受け入れがたい正直な気持です。
宮原正幸さん、初めて私が出会ったのは、今からもう30年以上前になるでしょうか。北海道銀行のホープとして、新しい事業づくりに懸命に努力していた時でした。「北の大地に種を蒔く」と、北海道の将来ビジョン、新しいビジネスモデルによる北海道の活性化等、当時、企業経営に携わりはじめたまだ新米の私は、前向きな意見交換を何回もしたような気がします。銀行というのはただお金を預かる、貸し付けるだけでなく、地域の開発・活性化なくして繁栄はないとの信念、地域住民の豊かな暮らしに関しても真摯に向き合うものなのかと、私は、そんな高度経済成長を支え、バブルに向かう当時の間接金融機能の原点に対して、また、組織の中で意志を貫こうとしている一人の人間に対して、素朴な感動を覚えたことを今でも記憶しています。
その後、私との関係で濃淡はありましたが、思い出すと会ったりし、縁あって秋山財団に迎えて以来5年7ヶ月、丁度、財団設立25年の直後から30年の重要な時期を、本当に全力で「民が担う公益財団活動」に邁進して頂きました。
思い出します、毎年9月の贈呈式、理事長挨拶として原稿を書いていた宮原さんの幾つかのこだわりの言葉を。「大平洋戦争末期の沖縄戦からの学び」、「ヒューマニズム」、「民間が担う公共」、「科学者の矜持」、「アンチテーゼ」、「アウトリーチ活動」等々、そして「いのちの尊厳」です。私との意見の相違で何回も議論したことも、今となっては過去の思い出となりました。
贈呈式では、祝賀会の終わりの挨拶で、ふるさと芦別の幼い頃の記憶と愛着、大学時代に暮らした弘前、東北地方に寄せる想い、銀行・生命保険会社での経験と誇り、ある時は激しい憤り、ある時は貴重な教訓として語り、そして必ず毎年、ご両親の想い出に言及していた姿も忘れられません。
宮原さんの最期の仕事となった秋山財団来年度事業計画の策定作業では、自ら力を入れて挿入した二点、「生命科学の概念を明確に提起し、『北海道学』という新しい概念の構築を提唱する中で『地域』を深掘りする」、「生命科学の基礎的研究に取り組む若手研究者を重視した助成を継続する」、私は、年明けの会議で、宮原さんの遺志として理事・評議員・監事の皆さまにお伝え致します。
宮原正幸さん、秋山財団でのご業績が、言い尽くせぬ貴いものとして私どもの心にしっかり残っております。歴史に刻まれたこの財産と宮原正幸さんの生前のご尽力に深く感謝するとともに、これからも永く継承し力強く歩んでいくことをお誓いし、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
どうか安らかにお眠り下さい。
平成29年12月24日
公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団
理事長 秋山 孝二
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