昨年9月に(社)北海道倶楽部(http://www.hokkaido-c.or.jp/)から「北方領土問題の視点(http://www.hokkaido-c.or.jp/kaiin/kaiin/kaiho/201310-1kaiho.pdf)」と題してのシンポジウムのご案内があり、衆議院第一議員会館に足を運びました。
北海道とはとりわけ深い関係のある北方領土問題は、サハリン州との関係を含めて、まさに日本の外交力が試されている場と言えます。そして、外交交渉はすなわち国内の政治基盤が大前提ということも明確です。
松田昌士さんは、鉄道を軸とした永年の経験から、ロシアを知らな過ぎる日本の各セクターの指導者たちについて問題を提起しながら、排除の論理を捨て、交流の中から「超党派で」領土問題を考える視座を提起しました。例えば、ウラル西のヨーロッパロシアと、ウラル東のアジアロシア1200部族からなる多様で広大なロシアであること、アジアロシアは日本への期待が強く、私たちと一緒のプロジェクトに前向きである現実、そんな中で、命がけで解決しようとする人が日本国内に極めて少なく、今まさに政治家の出番である、そう主張されていました。そしてこの問題解決こそが、戦後処理の最終局面ではないか、と。
荒井總議員は、私の高校の4年先輩です。官僚、外交官、地方自治体幹部の経験から、外交は結局は個人の信頼関係と多様なレベルでのパイプが重要と指摘されていました。考えてみると、これまでの数多くの戦争も、クラウゼヴィッツの戦争論によるまでもなく、外交の行き詰まりの結果と検証される場合が多く、時の政府だけに任せている限り、「国家の面子」みたいな国民の意思とは異なった視点から展開していく危険性があります。
ビジネスでも全く同様ですが、二国間の交渉事も、結局は信頼できる「誰か」の存在が必要なのだと思いますね。昨今の日本の政治には、そんな「誰か」が見当たらない、排除してしまった、気がします。経済界にも、国の将来を視野に入れた諸外国要人との付き合いをしてきた方々が激減しているのだと思います。今の経団連をはじめ、財界を代表すると言われる方の国際社会の見識の低さには、一経済人として「恥ずかしく」なるばかりです。これが戦後から驚異的復興を実現した日本国を支えてきた経営者たちの行く末か、とですね。
でも、失望ばかりしてはいられません。現在の在札ロシア総領館のワシリー・サープリン総領事は、数回に渡り現在のロシアの「シベリア開発計画」について言及し、同時に北海道とロシアの長い歴史的つながりについても深い洞察をお持ちでした。
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8364
~~~~~~~~~~~~ 私のブログからの引用
サープリンさんのお話は、17世紀からカムチャツカ・サハリンに交易目的でロシア人は来ていた歴史に始まり、「赤蝦夷」と呼ばれた「赤」は、コサックの赤い服からそう呼ばれたこと、その後しばしばカムチャツカ知事の交易状を携えて北海道に寄港している事実等でした。ラクスマン、ゴローニンも函館を訪問しています。1855年下田条約締結により、長崎・下田・函館にロシア領事館が開設され、函館の初代ロシア領事はゴシュケヴィッチでした(http://orthodox-hakodate.jp/history)。函館港は不凍港として重宝がられ、軍艦・商船が来航して、北海道の国際交流は、ロシアとの歴史が最も古いのでしょう、少なくともアメリカとではないようです。
それ以来、北海道はロシアの窓口となり、独自の交易を始めていました。今、ロシアは、2008年の経済危機を乗り越え、日本ともっと深く新しい交流の可能性を期待しているようです。LNG等のエネルギー、IT、科学技術、建設技術、農業(特にサハリンで)分野でですね。平和条約は難しくても、「北方四島を特別区で共同開発」といった具体的提案もありました。
~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり
私たちは、シベリア再開発の大プロジェクトばかりでなく、冷戦構造崩壊後のロシアについて「思考停止」状態のような気がします。「領土問題」は、シベリアを含めた経済分野での協調の視点から、新しい日露関係構築の先駆けとして、北海道こそ取り組むポジショニングにあると思います。その点が、同じ領土問題として語られる「尖閣諸島」、「竹島」との違いではないでしょうか。
こんな思いでいたところ、年明けの北海道新聞(1月3日朝刊)で見開きでの記事が掲載されていました。