千葉県館山市、久しぶりの訪問でした。各家は手入れされた生垣が多く、小路も独特の景観を生み出しています。
いつも行くお寿司屋さんは早々に閉店していたので、駅東側のもう一つのお寿司屋さんで旬の刺身とマグロ丼を!!
JR館山駅のポスJR、誰かと思いましたよ!
* 映画『八犬伝』公式サイト|2024年10月25日劇場公開
* これまでの「館山」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋
千葉県館山市、久しぶりの訪問でした。各家は手入れされた生垣が多く、小路も独特の景観を生み出しています。
いつも行くお寿司屋さんは早々に閉店していたので、駅東側のもう一つのお寿司屋さんで旬の刺身とマグロ丼を!!
JR館山駅のポスJR、誰かと思いましたよ!
* 映画『八犬伝』公式サイト|2024年10月25日劇場公開
* これまでの「館山」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋
出張中に、ふと見る景色は時々大変新鮮な印象になります。
先日の千葉県館山市の駅前のドウダンツツジの植栽、見事に刈られていました、ちょうど札幌の自宅の剪定もしなければとは思っていたので。北海道では6月中旬でしょうか、花が咲き終わって少しした時期を考えています、昨年刈る器具も買ったのでそれほど難しい作業にはならないです。
* 館山関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)
一方東京の恵比寿では、折からのハワイアンイベントが広場で賑やかに開催されていて、その人混みをかき分けてタワー上階レストラン階エレベーターに乗りました。開店前に到着したのでしばし眼下の都内渋谷方面を眺めていました。
* 最近の渋谷の様子ーー> 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 変わりゆく東京 2023! (akiyama-foundation.org)
翌日早朝の浜松町界隈、日曜日の朝は東京もさすがに静寂、私はこんな静かな大都会が好きですね。思い起こせば1995年1月の早朝の新宿、まだ真っ暗だったけど阪神淡路大震災直後に新宿都庁横を歩いて見上げていたのを何故か忘れられないですね。
変わりゆく東京の街、九段会館も新装開店となっていましたし。
* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 新装「九段会館テラス」!! (akiyama-foundation.org)
千葉県館山市は、房総半島の南の端、私のもう一つの小さな家がここにはあります、もう30年近くなりますでしょうか。昨今では東京出張の折に、ホテル代が急騰していることもあり東京駅からの高速バスで約1時間40分、宿泊に使っていて、翌日朝には館山から羽田空港行きで札幌に帰ることも多いです。
* これまでの館山関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)
館山駅前ロータリーには菜の花も満開で、タクシー乗り場前には新たな花球形!!
今回は久しぶりにJR館山駅海側の『南房総・館山 たてやま旬鮨 海の花│公式ホームページ (uminohana.com))』で地魚寿司、菜の花のお浸し、クジラのたれを食べる時間もあったり。
この50年以上、私はたくさんの思い出の詰まったこの地に来ていますが、空き地が増えて駅前の灯りも消えて少し寂しさは感じますが、海の幸あり山の幸ありで、豊かでしたたかな地方都市の姿も見る思いです。駅前の『中パン(館山 中村屋 (nakapan.co.jp))』、那古船形の寿司『茂八(千葉県 南房総 茂八寿司 公式ホームページ (mohachi.com))』、鰻の『新松(六代目・新松 | 江戸の香り老舗の味 (fc2.com))』、今も健在で嬉しいです。
2024年早々、千葉県館山市の家を訪問すべく、出張の合間を縫って東京駅八重洲南口からの高速バスで日帰りしました。朝6時前にも関わらず、すでに観光客ほか東京駅には人々の往来も多く、アフターコロナ禍の首都圏は賑わいを取り戻している感があります。
* これまでの「東京駅」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)
八重洲南口の切符売り場は、午前6時のオープン前からすでに人影もちらほら。
東京駅から館山までの約1時間40分のバス乗車中、東京湾の向こうには富士山もくっきりと見えたり、1月は特に空気も澄み切っていてきれいですね。
今回の出張、前日には外資系金融機関のミニセミナーがあり、その後の懇親会を終えていつものホテルに向かう途中、今年も東京タワーは健在、これからも何回も見るだろう景色でした。
* これまでの「東京タワー」関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)
今年の年始は能登半島地震、飛行機事故等、波乱の幕開けでしたが、どうか1年間平穏な毎日となることを祈りたいですね。
千葉県館山市は私の第二のふるさとです。先日、久しぶりに安房高の近くの小さな自分の家に泊まり、翌日早朝には近くの鏡ケ浦を散策しました。ピリッとした空気が新鮮でマスクを外して深く呼吸すると、肺の隅々まで染み入るのが分かります。
* これまでの館山関係記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%A4%A8%E5%B1%B1
パノラマ写真で撮影するとこんな感じ。
鏡ケ浦には観測船が停泊しています。
YOSHIKIさんのプロデュースによるワイン「Y by YOSHIKI」!、先日、栃木県宇都宮市内で一緒に懇談した方が、イタリアンのお店に持ち込んだ一本です。
YOSHIKI(http://www.yoshiki.net/)の出身高は千葉県館山市の千葉県立安房(あわ)高等学校、私の妻もここの卒業です。今も私の小さな家がこの安房高のすぐそばにあり、東京出張時は泊まって家のメンテナンスを続けています。数年前のNHK紅白歌合戦でも抜群の存在感でしたね。
* これまでのYOSHIKI関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31059
プロデューサーのメッセージが入ったラベルっていうのも見たことがありません、大変な人気で昨今なかなか手に入らないようです。
「カリフォルニアワインの父」と呼ばれる ロバート・モンダヴィの孫 にあたる、ロブ・モンダヴィJr.とのコラボレーションにより誕生した衝撃的スペシャルワイン 「ワイ・バイ・ヨシキ」 ですよ!YOSHIKIのワイン好きは有名で、 「ワインは私にとって音楽と同じ」 と宣言しているほど。
これまでのもう何回もコメントしていますが、東京出張した時は、宿泊は都内ではなく東京駅南口からの高速バス乗り場から千葉県館山市にある私の家に留まる場合もしばしばあります。アクアラインを通り1時間50分程のバスの移動ですが、昨今のコロナ禍で間引き運行も多々あり、都合のいいバスの便がなかったので今回は久しぶりに東京駅から京葉線経由の内房線で、途中木更津で普通電車に乗り換えて館山に行きました、高校生の帰宅時間でもあり大勢の生徒が乗っていました、懐かしい風景でしたね。
砂地で気候が温暖なので家の周りの草木の生育も盛ん、年に数回は草刈りをしなければ廃屋同然の様子になってしまいます。昨年後半も地元の方にお願いして玄関周りと裏・隣地境の雑草を刈って頂きました。
本来はせっかくすぐ近くに海岸があるのでゆっくりしたいのですが、毎回夜に到着して早朝のバスで羽田空港なり東京駅に向かう場合が多いので残念です。今回は帰りはいつもの高速バスで東京駅八重洲日本橋口に着きました。朝のラッシュアワー時だったので渋滞かと思いかなり早い便で館山を出発したのですが、折からのまん延防止措置発令のためか、高速道路は全く渋滞もなく予定よりかなり早く東京駅に到着。有楽町でのアポイントの時刻まで十分間があったので、本当に久しぶりに日本橋口中二階のカフェで、パソコンのメールほか仕事をコーヒーとアメリカンワッフルでゆっくりと過ごしました。
ワッフルと言えば、その形状が、冬の札幌の除雪ブルの通り過ぎて雪面に残った跡にそっくり、毎シーズン早朝・深夜に雪かきをしながら幼い頃に食べたワッフルを思い出しています。
そして先日はリアル・ワッフルを久しぶりに頂きました!!!
束の間の東京で、普段は過ごせない貴重な時間に恵まれ、ひと時日常を忘れる至福の時でした。
東京駅八重洲口に建設中の超高層ビル、4月から更に上に伸びて完成の姿が見えてきました。
* 4月の様子ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=41196
先日、地震があったばかりで余震にも注意喚起がされている中、この上層階で仕事をする方々は毎日ストレスにはならないのでしょうかね、他人事ながら心配してしまいます。
一方、東京駅からの高速バスでいつものように千葉県館山市に行き空を見上げると、日没直後には三日月と宵の明星が澄み切った空の中にくっきりと見えていました。2年前に台風15号・19号で甚大な被害があった千葉県ですが、束の間、こんな空を見上げると心が洗われます。
月の右下に宵の明星(金星)が見えるでしょうか、肉眼ではひと際明るかったのですが・・・・。
全国各地、日一日と秋を迎えています、札幌では今月下旬にも初雪のたよりかも、ですね。
日々の雑事に追われていると空を見上げるのも忘れていますが、時々、早朝・日中・夕方にふと気が付いて外で視線を上に向けると、高く素晴らしい空が自分の上に現れています。このコロナ禍でつい下を向きがちの暮らしの中、ほんの少しの感動を与えてくれて自然に感謝です。地球のどこかで同じように空を見上げている人たちもいるのかなとも思ったり。
空で思い出した数枚の写真、2010年3月にアフリカのマラウィ、ケープタウンに出張した時の空です!!
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E7%B7%A8
千葉県館山市のJR館山駅前に「なかぱん」のニックネームで親しまれている「館山中村屋(http://www.nakapan.com/panya01.html)」があります。
パン各種はもちろん素晴らしいのですが、「バタークリーム」、「ピーナッツクリーム」も絶品、そして二階のパーラーにある「モーニングセット」と「モカソフト」が、私は一番のおススメです。東京に行く高速バスの出発前の時間、電車の待ち時間等、館山に行くと大きな「田舎すし」と「蒲焼き」とともに、私の楽しみの一つです。
私が通った千葉大学の「臨海実習所(https://www.education.chiba-u.jp/f_Top/rinkai)」もここにあり、夏の臨海実習での学び、春夏秋冬、たくさんの思い出が詰まっているマチ、時が過ぎ時代は変わっていますが、変わらぬ味にはそれぞれの楽しみがあります。
* これまでの「館山」関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%A4%A8%E5%B1%B1
千葉県館山市、もう何回も書いていますが、6月末の梅雨の合間、素晴らしい朝の青空に魅了されました。
* これまでの館山関係記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%A4%A8%E5%B1%B1
私の家の2階から富士山方向を臨むと!
早朝に散歩がてら海岸に出てみると、飛行機雲が数本、鏡ケ浦は今日も穏やかに!
そしてお昼には久しぶりの那古船形港近くの『茂八(http://www.mohachi.com/)』のお寿司、変わらぬ田舎寿司の大きいこと、写真では今一そのサイズが分からないのが残念!!
* 『茂八』のこれまでの記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12243
厚い卵焼きでご飯も押しつぶされて?!
コロナ禍で昼のメニューは二品のみ、予約のお客さん優先との張り紙がありましたが、幸い中には誰もいなくすんなり入ることができました。もう50年近く前の学生時代から、こんなコロナ禍でも変わらぬお寿司に頑張っている姿をみるようで感動したひと時でした。
東京も北海道も新型コロナウイルス『緊急事態宣言』の中、東京出張でした。昨年と比べて今年はそれなりに人の移動が戻ってきた感がありましたが、先日はさすがに昨年同様の景色でした。
* 昨年の3月の様子ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=38187
アルコール類の提供は終日自粛との今回の宣言下、ノンアルコールの売り上げが伸びているようです。
同じ頃、札幌では、保育園の園児たちがライラックの咲く大通公園を楽しそうに手をつないで散歩していました。
私は東京出張の折には、時々千葉県館山市にある小さな自分の家に泊まることも多いです。館山行きの高速バスが出発する東京駅八重洲口バスターミナルの道路を挟んで向かいには、この間に巨大な高層ビルが建設中で、時間を経るごとにどんどん上空にそびえたっていく様を眺めています。
一方、先日、私の叔母の住んでいる築地のマンションで何気なく窓の外を眺めていると、高層ビル建築の上に2棟のクレーンを見つけました。それは私が八重洲口で見ていたあのビルだったのです。
このビル以外にもここ東京駅八重洲周辺では『超高層ビル』が次々と計画・建設されているようです。パスターミナルは地下に移転するとも聞いています。人口減少、少子高齢化の日本社会、飽くなき資本主義はなお「もっともっと」の動きが活発、これから東京はどう変貌していくのでしょうか。
* https://bluestyle.livedoor.biz/tag/%E5%85%AB%E9%87%8D%E6%B4%B2?_f=jp
東京での会合の後、房総半島の南・千葉県館山市にある私の小さな家に3か月ぶりに宿泊でした。
* これまでの館山関連の記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%A4%A8%E5%B1%B1
新型コロナウイルス感染拡大に伴って東京出張も減ったので、昨年の台風被害もあり気になりながらも家のメインテナンスも兼ねての館山へ。東京駅八重洲口からの高速バス館山行きも数本は間引き運行で、事前に時刻表を調べてからでないと大幅に時間がかかってしまいます。
幸い都合の良い時間のバスは予定通り走っていて、夜早めには館山駅に到着。久しぶりに回転ずし「やまと(https://tabelog.com/chiba/A1207/A120704/12003194/)」に行けました。感染対策は万全で、お寿司の美味しさは少しも変わらず、すし職人も20年以上続いているのでしょう、髪は少し白くなっていましたが元気でした。
翌日早朝、いつも乗っている館山駅から羽田空港行きのバスは、この路線全てが5月中旬から6月末まで全面運休の張り紙がバス停に。代替えとして、バスかJRで木更津まで行ってそこから羽田空港行き高速バスに乗り換えるか、館山駅から東京駅までバスで行ってそこから浜松町経由モノレールで羽田空港に向かうか、夜中にいろいろ調べてみましたが、結局、JR千葉行きで木更津まで行って、そこから羽田行き高速バスに乗り換えて空港に行くことにしました。
朝のJR電車は、ほぼ幾つかの高校の生徒達の登校で、かなり人の乗り降りがありますね、地方都市の朝の公共交通は、やはり通学の子供たちの足として貴重なのでしょう。
館山駅で乗った時には木更津で降りて高速バスの予定でしたが、車内でスマホで検索すると、空港行きの高速バスが間引き運行で1時間半以上待つことが分かり、さらに調べて君津から羽田空港行きに乗ることにして、木更津の前の君津駅で降りることにしました、久しぶりの君津駅でした。
さらに空港に着くと、今度は札幌行きの飛行機便も大幅に欠航、3分の1くらいの便数になっています。ただ、運航している便は、数か月前に比べて随分混んできていて、かなり人の移動も戻り始めている印象を受けました。
コロナ禍の前までは、もう何回も通っていた館山でしたが、今回は前日早朝に震度5弱の地震が千葉県であり、加えてバス、電車、飛行機の大幅な運休も重なり、あらためて札幌との距離を痛感した次第です。
東京駅から高速バスで約2時間、東京湾アクアラインを通って千葉県館山市に向かいました。途中、バスの窓からは薄暮に富士山のシルエットも素晴らしく。
館山駅バスターミナルに到着後、JR館山駅構内を通り抜ける時、「館山駅100年」ロゴが目に入ってきました。大正8年の開業から数えて、昨年、令和元年5月24日(金)に開業100周年を迎えたJR館山駅。乗客の皆さん、そして地域の皆さんに感謝を込めて、昨年11月9日(土)午前10時から記念イベント「館山駅開業100周年Festa.」が開催されたようですね。
(公財)助成財団センター(http://www.jfc.or.jp/)主催のセミナーが開催され、私は今年、基調講演を行いました。これまでにもこのプログラムでは2回ほど登壇しています。
< これまでの関連記事 >
* 2011年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7478
* 2016年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=25679
* 2018年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32481
今年は、折からの新型コロナウイルス肺炎の流行もあり、参加者の机の上にはマスクのご用意もありました。
昨日届いた『公益法人協会(http://www.kohokyo.or.jp/index.html)メール通信 No.242(2020.02.14)』でも紹介されていました。
◆◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◆
◎助成財団における「アウトリーチ活動」を考える―2019年度 助成財団フォーラムより
(公財)助成財団センター 専務理事 田中 皓
(公財)助成財団センターが毎年実施している「助成財団フォーラム」。2019年度は、去る2月7日(金)に東京・大手町ファーストスクエア カンファレンスにおいて助成財団関係者を中心に約150名が参加して開催されました。2019年度のキーワードは「アウトリーチ活動」。助成財団にとっての「アウトリーチ活動」とは? あまり聞きなれない言葉ですが、英和辞典等での「out-reach」は「手を伸ばすこと、手を貸すこと—-」云々とあります。助成財団にとって具体的には「ただ待つのではなく、自ら積極的に社会に出ていく」、すなわち「現場に出かけてニーズを探索し、そのニーズに見合った適切で効果的な助成を行い、その成果を現場に還元すること」と言えます。
このアウトリーチ活動は、助成財団が行っている公益活動を社会に広く理解してもらい、その成果を広く社会に定着してもらうことに大きな効果があります。活動を十分に理解されていない助成財団にとっては、財団が自ら社会との関係性をプロデュースし構築していくために欠くことのできない活動でもあります。
フォーラムでは、山岡理事長の開会挨拶で、助成財団はアウトリーチ活動を通して助成事業を生き生きと楽しく実践出来ることになるとその重要性を強調されました。内閣府公益認定等委員会の米澤事務局長はご来賓挨拶の中で、日ごろの公益活動に加えて、アウトリーチ活動を通して助成というものを広く社会に理解してもらうことの重要さに言及されました。
第1部の基調講演で、日ごろからアウトリーチ活動に率先して取り組まれている札幌の秋山記念生命科学振興財団の秋山理事長は、アウトリーチ活動の原点として財団を取り巻く関係者の「ネットワーキング」と「コラボレーション」の重要性に触れられ、助成金受給者や多くの関係者、地域社会を巻き込む活動に対する財団の果たす役割は重要であるとして多くの事例を紹介されました。米国の助成財団に勤務され、直接アウトリーチ活動に携わられてきた笹川平和財団の茶野常務理事からは、米国におけるコミュニティ財団のアウトリーチ活動事例等が紹介され、その取組みの重要性を強調されました。
第2部では、7つの助成財団からそれぞれの財団で独自に展開されているアウトリーチ活動についての事例が紹介されました。いずれの事例も財団が自ら外に出向き、多種多様なアウトリーチ活動を通して社会との関係を能動的に構築している事例であり、助成事業をベースに更に広がる助成財団の活動の可能性を感じ取ることが出来ました。現在、制度改革10年が経過した区切りの中で、財務3基準の見直しをはじめとしたより良い制度への改正を求めて提言を行っていますが、一方では新制度におけるいくつかの不祥事を踏まえ、公益法人のガバナンスの更なる強化の声が高まってきています。
内閣府には「公益法人のガバナンスの更なる強化等に関する有識者会議」が設けられ、強化に向けた多岐にわたる検討が進められているようですが、その一つにガバナンス・コードの制定等の動きもあるようです。
公益法人は、社会を広く巻き込んだ積極的なアウトリーチ活動に組織的にしっかり取り組むことが、その法人のガバナンス強化にも大きく寄与することから、特に助成財団は存在意義や信頼性を高めるために、制度や法律以前に何よりも社会との関係性を強化するアウトリーチ活動を意識した助成活動を実現していくことが先決であり、ますます重要になっていくことを改めて考えさせられたフォーラムでした。
*なお、本フォーラムの様子については今後助成財団センターのホームページに動画をアップする予定です。
■■(公法協NEWS)――――――――――――――――――――――――――――――■■
登壇者の事前打ち合わせ、日本の助成財団のそうそうたるメンバーとの意見交換は私にとっても大変貴重な学びの場となりました。
自分の写真が無いのが残念ですが、第三部の質疑応答にはたくさんのご質問が私の下に届きました、嬉しかったですね。その一つ一つにはその場ではお答えできなかったので、後日、個別にメールでお答を届けました。
フォーラム終了後の交流会でも、ここに書ききれない程のたくさんの出会いがありました。本当に素晴らしい一日でした、感謝ですね。
終了後は、東京駅から高速バスでアクアラインを抜けて千葉県館山市へ。今年初めて館山の家に宿泊しましたが、近所はまだまだ昨年の台風15号・19号の爪痕が残っていました。新しい一軒家もポツポツ出現している一方、ブルーシートのままの古いお家、或いは更地になっている場所もあり、まだまだ普及は進んでいない様子ですね。恐らく、お年寄りがこれからどう暮らすのか、迷っているのではないでしょうか。
千葉県館山市(http://www.fukushi-tateyama.or.jp/ibentoosirase.html)には、30年程前に建てたもう一つ私の家があり、札幌から東京出張の折には時々そこに泊まっています。ソーラーシステムでクーラーは備えておらず、お湯はほとんど太陽温熱器により賄い、夏は扇風機、冬はコンパクトな電気暖房機で過ごしていました。
* これまでの館山関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%A4%A8%E5%B1%B1%E5%B8%82
今月8日深夜から9日にかけて台風15号が房総半島を直撃し、風速40メートルを越える強風により甚大な被害がありました。マスメディア等では専ら折からの内閣改造で大騒ぎ、この千葉県の大災害に関してはあまり報道されてはいませんでしたが、私は家が心配になり、東京出張の後、11日昼過ぎに、いつも乗っている東京駅からの高速バスで館山に向かい、その途中、バス停から見る景色でも、その予想を上回る甚大な被害の様子を垣間見ることができました。
「ハイウェイオアシス富楽里(http://furari.awa.or.jp/index.html)」は高速からの入り口が閉鎖となって、手前のインターから一般道に入るなど、いつもとは違う道でした。
さらに次の「とみうら枇杷倶楽部(http://www.biwakurabu.jp/)」では、建物の上部が吹き飛び、駐車場内で軽トラックが横転・衝突していました。
JR館山駅はシャッターが降りていて、「終日全線運休」の表示が。
いつも羽田空港に向かうバス乗り場は、待合室の壁が飛ばされて妙に見通しがよくなっていました。
よく通る市内の角の大木も倒壊。
到着後は、かなりの不安を抱えながら、県立安房(あわ)高校(https://cms2.chiba-c.ed.jp/awakou/)の近くの我が家に向かいました。
今年も8月に、ほんの少しの夏休みを千葉県館山市で過ごしました。
* これまでの館山の記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%A4%A8%E5%B1%B1
この3年間、次男家族5人が東京から8月8日の恒例の館山花火大会見学に来ているのですが、一昨年・昨年ともに台風の影響で順延となり機会を逸していました。お墓参りに行くタクシーの運転手さんの話によると、昨年は二日延びて開催したそうですが、始まって少しして水中花火の一部が折からの強風で砂浜の観客席に飛んできて救急車が出動する事故となり、結局30分で花火大会は打ち切りとなったそうです。放送でその旨を連絡したそうですが、強風で聞こえない観客が多く、かなりクレームが出たとか。沖には日本丸の観光ツアー客もいたり、恒例の全国大学フラメンコ大会との合同イベントにもなっていて、実行委員会も大混乱だったようです。その分、今年は2割増しの打ち上げになったとか、何となくこれまでよりも華やかだったなと思ったので納得しました。
幸い今年は素晴らしい天気に恵まれて、久しぶりに館山らしい花火大会となり、孫3人も喜んでいました。
今年は滞在を花火大会後も一日延ばしたので、翌日の夕方には素晴らしい館山湾鏡ケ浦の夕焼けを目にしました。Facebookにアップしたら、まるでアメリカ西海岸のよう、とのコメントも。
さらに海岸に近寄ると、東京湾を挟んで富士山が幻想的なシルエットとして浮かび出ていました。
クーラーのない館山の小さな家ですが、朝晩は心地よい風も吹き抜けるところ、都会のヒートアイランドとは違った自然との一体感(ワンネス)をいつも感じています。
札幌の戻ると朝晩は何かもう秋の気配、虫の音がそう告げているようでした。今年の私の夏はもう終わりのようです。
先日は、足の骨折で退院まもなく、周囲の反対を押し切って、少々無理をして東京に行きました。家からJR札幌駅、新千歳空港、羽田空港。都内での仕事を終えて高速バスで千葉県館山市のもう一つの我が家に宿泊。翌日早朝、高速バスで羽田空港、新千歳空港、札幌駅、札幌の我が家に無事到着でした。道中、たくさんの方々のお心遣いに痛みを忘れるひと時もあり、ここに書き留めておきたいと思いました。
普段はどうということのない歩く距離、これが実は一番始末に悪い。誰かに頼む訳にもいかず、結局はゆっくり歩いていつもの4倍近くの時間を掛けて移動することになりました。ただ、建物の中は、段差が有ったとしても平らな面が大前提。ところが外はいろいろな状況が入り乱れています。緩い上り下りの坂、狭い歩道は道路側に低くなる傾斜面、溝が切ってあるブロック床、その都度出す足の歩幅を変えないとうまく前に進みません。札幌市内では、いつも通っている地下への階段に、初めて手すりが付いていることに気が付いたり、いつもはわき目もふらずにただ昇り降りしていたことが分かりました。
館山駅から我が家まで、いつもは高速バスを降りて歩いてせいぜい7分程度。今回は歩いては到底無理だったので、まずは駅前のいつもの「なかパン」で有名な中村屋パン(http://www.nakapan.com/)、寿司甚(https://r.gnavi.co.jp/1df1hshp0000/)では、さすがに絶品のあら汁は無理で、いつもの「田舎寿司」を、持ち帰りで頼み、再び駅前に戻ってタクシー乗り場から初めてタクシーに乗せてもらってようやく到着、もちろん基本料金区間内でした。大変親切な運転手さんで感謝でした。夜は別のタクシー会社に連絡して翌日早朝の予約をしました。地図にある番地の数字と私が言ったものが少し違っていることが問い合わせで分かるハプニングも。実は、地図の番地が間違いでした。こちらも優しいオジサン運転手で、予約時刻通りに迎えにきてくれ、駅前の羽田空港経由横浜行きバス乗り場まで送って貰いました、基本料金で。
羽田空港では、事前の出発便情報では、いつものラウンジから一番近いゲートのはずでしたが、直前に搭乗口の変更案内。何と300メートル以上離れたゲートと分かり、近くにいたANAの係りの女性に相談したところ、電動車に連絡してほんの数分後に来てくれて、空港で初めて乗車しました。歩いても行けるかなと思ったのですが、実際乗車して通路をゆっくり走るととてもとても今の私の足の状態では無理でした、大変助かりました。
そんなこんなで飛行機に乗り込んで予約していた前方通路に座っていると、先ほどのグラウンドサービスの女性からCAに連絡が入っていたのか、「アキヤマさま、少し後ろに座席前が少し広く、両隣が空いている席がございますのでお移りになりませんか」の優しいお言葉。そこに移って座ってしばらくすると、先ほどのCAが、「足首が熱を帯びていらっしゃるのであれば、『速攻冷却(https://www.youtube.com/watch?v=giHGr_KCSJs)』の用意もございますが」とのご提案。どんなものか分かりませんでしたが、これがなかなかの優れもの、乾いたおしぼりに包んで足首にあてていると気持ちよく冷やしてくれました。新千歳空港到着口での車いすのアドバイスも頂きましたが、到着予定ゲートが到着ロビーへの下りエスカレーターに一番近い7番だったので、私は必要ありませんと申し上げました。空港のJR駅改札まではゆっくり歩き、混んでいた出発間際のJRの電車を一便遅らせて、座って札幌駅まで行くことができました。普段はこんなことをしたことはありません、前へ前へで、とにかく走って一つでも前の電車に乗ろうと飛び乗る日々ですから。札幌駅構内をゆっくり歩きタクシー乗り場へ、ここもいつもは全く気にならない距離がこの日はとにかく遠い、歩数を数えながら奥歯をかみしめてやっと乗り場へ到着でした。
札幌の自宅に着いてから、少し休憩の後、ANAのHPへ以下のような御礼のメールを送信しました。
———————————
私は先月末に足首上を骨折し入院手術し、退院まもなくで東京に少々無理して参りました。本日は朝から足の腫れがあり、ラウンジを出たところでANAの係りの女性に電動車での移動をお願いして、63番から66番への変更に対応して頂きました。機内ではCAの中島さんを主として足先の少し広い座席への移動、「速攻冷却」の手当ほか、おかげさまで痛みを忘れる心遣いに大変感動し、御礼申し上げます。普段は歩いても何でもない距離、姿勢が、このような時には苦痛の時間であることも学びました。一言御礼を申し上げて感謝の意をお伝えして頂ければ幸いです。これからもよろしく。
———————————
すると、わずか1時間半後に、以下の返信が届きました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この度は、本日57便(羽田-新千歳)をご利用いただきました際、羽田空港係員ならびに客室乗務員に対しまして、お言葉を頂戴し、大変恐縮に存じますとともに、心より御礼申し上げます。
秋山様におかれましては、退院後まもなくのご搭乗であり、足の腫れにより、さぞお辛かったものと存じますが、搭乗口までの空港係員や機内での客室乗務員の対応が、わずかなりともお役にたてましたことをうかがい、わたくしどもと致しましても、大変嬉しく存じます。
お客様から、このようなお言葉を頂戴致しますことは、接客に携わる者にとりまして、何よりの喜びでございますため、早速、各所属部署責任者を通じて、本人たちに申し伝え、今後の励みとさせていただきますとともに、引き続き、ANAらしい丁寧できめ細やかな対応が出来ますよう、努めて参りたく存じます。
この度は、貴重なお時間を割いてご連絡を頂戴致しましたこと、心より御礼申し上げます。
弊社と致しましては、今後とも安全運航はもとより、お客様に安心してご利用いただけますよう、心をこめたサービスのご提供に努めて参る所存でございますので、引き続き、弊社便へのご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
秋山様の次のご搭乗を心よりお待ち申し上げます。
ANA SKY WEB
ご意見・ご要望デスク
担当 M (オリジナルはお名前)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コピーおわり
即、返信が来るということは、ご担当の方が毎日詰めていらっしゃるのでしょうね。また、この文面、全くスキがなく完璧というべきか、一層ファンになってしまうから不思議です。
以上、日々の出張では全く書くような行程では無いのですが、今の私のこんな状態で体験する数多くの方々のご好意、お心遣いに、心から感謝の意を表したいと思いました、皆さん、ありがとうございます、貴重な経験をさせて頂きました!
義父の13回忌法要を無事終えました。
千葉県館山市に老舗のうなぎ店「新松(http://shinmatu5.web.fc2.com/)」が頑張っています。「五代目新松」を掲げて営業を続けて、風情のある離れも魅力的です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~HPより
江戸末期の頃、初代・新五郎(天保二年生)木更津弁天町に置いて鰻・料理屋として開業しました当店は関東大震災をへて当時、保養地・軍都として栄えし現在の地館山にて代々鰻料理店として家業を営んでまいりました 文人、墨客を始め当時は避暑地として名高い館山の地を訪れて居ました皇室関係の方々にもご愛顧を承ったと先代より聞き及びます
~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり