待合時間に思うこと

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 このところ、期せずして幾つかの場で「待っているひと時(待ち時間」があり、その間、様々なことが頭を巡りましたので、多忙な日常ではあまり考えることもないある意味では貴重な体験であり書き留めておきます。昔は、床屋さん、歯医者さん等、待っている場面がずいぶんありましたが、最近は予約制も普及してずいぶん減りはしました。

 まずは、先日も書きましたが、医療機関外来窓口の対応。昨今の厳しい競争の賜物とでも言うのでしょうか、昔に比べると格段に来る患者(顧客)に対してのきめ細かい姿勢を感じます。例えば、私が二か月に一回通っている内科外来窓口では、スタッフの声掛けが事務受付から検査看護師、診療室看護師まで、挨拶だけでなくごく自然な形でコミュニケーションを取っています。医療機関に来ている人々なので、どこかしら具合が悪いという状態を鑑みて、おそらく日ごろからそいう教育研修をしていると思われます。診察後の次回の予約を取る段では、名前を呼んだあと、「あっ、そのままで結構ですよ、今、行きますから」と、毎回100%同じ対応で、膝をついて座っている私たちと同じ目線で対応しています。どのスタッフでも誰でも同じですから、その医療機関の日頃の教育なのでしょう。

 もう一つの医療機関窓口では、高齢者が多いせいか、朝の受付にかなり早くから訪れる方もいらっしゃるようですが、整理券を配り、機械での受け付け時刻を明示しています。待合ロビー・廊下には、それぞれの先生の患者番号が電光掲示板に順番に掲示されて、「あと何人で自分の番か」が一目瞭然、待っていてもその時間に別の算段ができます。また、受付窓口の事務の方も、プラス1名カウンターの奥に立って待合室の状況をいつも視ているスタッフがいるのです。これもその病院の体制・システムとしてかなりよく吟味された仕組みと私は毎回感心しています。

 と、そんなこんなで時代と競争の激化でサービス産業のフロントラインのレベルアップを具に感じていた時、つい先日、私が代表を務める法人格を持った団体の銀行口座について用事があったので、市内中心部の北洋銀行本店営業部と北海道銀行本店営業部を訪れました。普段は、ATMで用件が済むので、久しぶりの窓口でした。以前から、私の周りの方々ともお話をしているのですが、「今、税務署窓口の対応はよくなったけれど、銀行窓口が一番訪れて気分が悪い」との声を聞いており、私自身もこの十数年、ますますその気持ちを強くしています。ただ、もう時間も経っているので、さすがに銀行自身そういった顧客の声を取り入れてサービス対応はレベルアップしているだろうとのほのかな期待を持って先日行ってみたのですが、北洋銀行はかなり改善されていましたが、北海道銀行は全く以前のままのひどい状態でした。

 今回、両行ともに団体の口座に関して3つの用事があったので、窓口の女性にそれぞれご説明をして必要書類等に書き入れて、そこまでの様子はほぼ同じ、ただ、北洋銀行窓口の女性は、上司に伺いを立てる箇所についてはすぐに席を立って、OKですとの返事を得たとか、その場で即決している雰囲気は感じられました。いつも感じることですが、日本のサービス業のフロントラインのレベルの高さは、世界でもかなりのものだと思いますね。今回も、両行とも窓口の女性の対応は説明の言葉も非の打ちどころがなかったと思います。

 問題はその後です。北洋銀行では「30分ほど時間を頂きますのでご容赦下さい」と、北海道銀行では「1時間ほどお時間を頂けますか?」とのことでもちろん了解してその間、ロビーを離れて自分なりの他の用事も済ませました。時間が経ち、北洋銀行窓口に行くと、私が預かっていた番号札を渡すと別の担当の方が、「こちらの通帳ですね、引き継いでいましたのでお渡し致します」と、ほんの1分のやり取りで銀行を出ました。

 次に北海道銀行本店営業部に移動して、ロビーに立っている案内係の方に、「これできていますかね?少し時間が早いのでできるまでここで待っています」と私は係の方の目の前の席に座っていました。スマホで高校野球のライブをチェックしたり、何だかんだで受け付けてから1時間が経ったので、「そろそろ出来上がりましたかね?」と代わった案内係の方にまた伺ったところ、バックオフィスに行って戻ってきて、「まだのようです」とのご返事。その間、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を何十回聞いたことか、コンビニ以上でした、案内係を責めているのではありません、やらせている仕組みと上司にこれでいいのか、と言いたいですね。

 結局、結論は、受付から2時間15分後に、私は「念願の?!」通帳を受け取ることができました。ただ、私に通帳を渡してくれた女性は、まだ入行それほど経っていない職員ではないでしょうか。何もいきさつを知らされずに、もちろんお待たせしたというような気すらなく、ただ「ありがとうございました」と。私は、今回はクレーマーにはなりたくないと我慢していたのですが、バックオフィスにチラチラ見える上司と思われる男性陣に無性に腹が立って、「どこでこんな時間が掛かるのか説明して頂けませんか?」とかなり冷静にお願いしました。しばし奥の方で気乗りしない様子の上司と思われる男性がやってきて、「申し訳ありません」を繰り返し語るのみ。私は、「いや、お詫びを聞きたいのではなく、どうしてこんなに時間が掛かるのかを説明して頂きたいのですが」と再度聞いてみたのですが、明確な答えは何もありませんでした。

 私は2時間以上も待ったあげく昼食も取りそびれ、食後の薬も飲めず、これ以上道銀に寄り添う気持ちも無く、早くその場を離れたかったので退出した次第です。2時間が掛かりすぎるというのではなく、業務の見積もりで当初から2時間程度かかるのであれば、最初にそう言うのが顧客への配慮ではないかと思うのです。そうすればその間の時間の算段が付くし、顧客としても予定が立つというものでしょう。それにしても、あの程度の業務で2時間以上、営業店の看板を降ろして事務所と名称を代えた方がいいと思います、顧客不在です。

 実は、北海道銀行では以前にも本店営業部二階で同じようなことがあったので、これじゃ忍耐強い日本の顧客も離れていくのではないかと、まるで銀行幹部になったような心境で寂しくなった次第です。バックオフィスの非効率、決済の過剰なプロセスによるスピード感の欠如。曲がりなりにもこの間大学で「経営組織論」を10年間教えた私としては、北海道銀行の経営幹部にこの声が届くことを期待します。

 ちなみに、秋山財団は北海道銀行鳥居前支店にお世話になっています。昨日も私は払い出しで窓口に行きましたが、カウンターの女性、お金をお渡し頂いた女性とも、穏やかで笑顔を絶やさず会話もあり、何も文句を言う筋合いはありませんでした。ATMが主流の銀行窓口業務、せめて人が対応する場面では、心のこもった会話とかコミュニケーションが一層大切になっている気がします。バックオフィス上司の方々も、顧客目線を忘れてほしくないですね。

 書いていてだんだん不愉快になってきたのでこの辺でやめます、それにしても日本の銀行、顧客を粗末にしている、またその意識さえ銀行全体にない、憂うべき事態だと私は思います。

 以下、ついでなので、今年2月にFacebookに私がアップした記事も一緒に掲載します。金融機関窓口は、私にとっては鬼門かも。

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 テナントビルの受付業務を熟知されている方、いかが思われますか?

 東京都内、金融機関本拠が入居するビル、ビル玄関前の表看板にもその金融機関の名称が明示。詳しく言えばグループ企業がテナントとして入っているのかもしれません。受付カウンターでどこにでもあるように入館表を書き終えたら、「お名刺を2枚提示を」と冷たい笑顔で受付嬢は言いました。私はとっさに「以前は何も言われなかったけど、どうして2枚なの?」と聞いた所、「ご本人様確認のため」と何のためらいもなくそう返事、要するに1枚だと他人の名刺かもしれないということらしい。これまで国内外、何千回と企業訪問して多くの受付を体験していますが、こんなのは初めてでした。少なくともここまで足を運んできた訪問者に対して失礼な、と。総合受付を通り該当階に行くとそこにまた受付。私は少なくとも顧客、アポイントも事前に取っての訪問です。時代が変わってしまったのか、東京ではこれが常識となっているのか、どこか寂寥感を感じる私なのですが・・・。今の日本の金融機関とすれば、当たり前のビヘイビヤーか。

 言いたいことは、テナントビルなら万が一の不審者来訪のリスクはビル側が取れと。ほとんどの善意の訪問者に求めるものではないと思うのです。

 日本社会、責任をとにかく回避するために懸命に知恵を働かせる、そのくせ、大きな損失は減りもしない、まさに経営者の劣化ですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~Facebookの私の投稿コピー おわり

今、企業経営のトレンドは?

Posted by 秋山孝二
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 昨年も「戦略経営塾」等でお話がありましたが、1990年代以降の日本の企業経営について、時間軸をやや長く取って傾向を分析すると下のチャートのようになります。

日本企業経営の変化

日本企業経営の変化(BS11寺島実郎さんの番組より)

 要するに、日本の伝統的企業経営の理念から大きく変遷して、人件費を抑え(流動化し)、設備投資を控え、配当を増やし、内部留保を大幅に増やして株主価値を上げてきているのです、刹那主義、グローバルマネーに翻弄される危険性を感じます。

 先日も、ある企業に務める方とお話をしていて、90年以降のリストラの嵐が今も続いており、そのしわ寄せの殆どが現場の従業員に向けられている様子を具に知りました。いったい本来の「リ・ストラクチャリング」の意味合いはどこへ行ってしまったのか、長年現場を支えてきた第一線の社員に対して、管理者・経営幹部は一体どんな応分の責任を果たすのか、さらには、やろうとする「リストラ」の目的は何か、コストダウンによって利益を出してそれが何なのか、話を聴いていて憤りすら感ずる昨今の経営者の劣化です。

 年末にも書きましたが、東芝、化血研等の経営トップの記者会見でも、まるで他人事の表情で語る姿は、覚悟を持って経営に当たっている姿ではありませんね。どうして、日本の大企業はこうも筋が悪くなったのでしょうか。

 私は時々出会う金融機関窓口でも同様ですね。昔に比べてかなり顧客対応が下がっていますし、窓口のコミュニケーションも全く内向きで紋切り型が横行しています。散々待たせておいて、急ぐならATMに行けと言い放つ女性の言葉に出会うと、今の金融機関の体質を目の当たりにします。低金利・高額手数料等、顧客不在の収益向上で一体誰が利益を貪るのか、書き始めたら留まるところを知りません。

 「経営組織論」を教える立場から、これまで何回も書き留めてきました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%B5%8C%E5%96%B6%E7%B5%84%E7%B

 私は、単なるノスタルジックな感情でモノを言っているのではありません。今日の日本社会を支えてきた柱となる企業の「人材育成」をないがしろにして何を上位の価値と置くのか、経営者のきっちりとした説明を聞きたいのです。自分が所属する経済団体での経営者の劣化も甚だしい、もっともっと平和に関してコミットしなければならないですし、芸術・文化に対してももっと造詣を深くしなければ、国際社会の中での日本の立ち位置も低下し漂流していくでしょう。

 ニュースを見ていても、直接経営者の話を聴いても、現場で働く能力の高い人々の声を聴いても、今の日本の企業経営者は危機的です。そんな状況の中で、地域に生きる若い経営者に期待したいですね、これからの時代は君たちが担うのです、と。

今年を振り返る 2015 (中)

Posted by 秋山孝二
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 1年おきに札幌学院大学で「経営組織論」一コマ15回講義を行っています。年明け早々に2回講義をして終了しますが、今年は「組織の病理」として、東芝問題、マンション杭打ち手抜き問題、化血研問題等も取り上げました。これまでは、10年ほど前の自動車メーカーのリコール隠しを題材としていましたが、次々と明るみに出る今年の企業の不祥事、というよりも「犯罪」については、学生たちにどう説明したら宜しいのか、私はいつになく悩んでしまいましたね、現場の不注意とか怠慢ではなく、明らかに組織の責任ある立場の意図的仕業だからです。これまで何回も使った言葉、「経営者の劣化」が露呈してきています。

* 東芝不祥事&リコール http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201512/CK2015122002000124.html

 「組織文化」は、「伝統」とか「伝承」とかと言い換えても良いのでしょう、今、日本国内の大企業で、その価値を壊している経営者とその取り巻きの連中、内部ばかりでなく監査役とか監査法人も含めて、多くいるような気がします。何年か前に私も出席した経済紙関連主催のフォーラムが東京で開催され、千人以上の聴衆が居たでしょうか、当時の東芝・西田厚聡社長が1時間の講演を行いましたが、私は正直、大きく失望しました、これが経済紙、メディアで評価されている人物かと。内容が陳腐であるばかりでなく、ただ傲慢な姿でした。同じ会場でお話をされたセブン・イレブンの鈴木敏文社長は戦略的で鋭い指摘等、経営者としての存在感を示していました。私は、人に対する自分の直観には自信を持っているので、この時、東芝は大丈夫かなと感じたことを鮮明に覚えています。今年の一連の不祥事を越えた「犯罪行為」を目の当たりにすると、それらの兆候は随分前からあったのだと妙に納得します。

 しかし、一方では、日本全国には数百年続く企業も多くあり、モノづくりの伝統とイノベーションによりそれぞれの時代に合った価値を提供しています。今月の最終講義では、老舗企業を幾つか紹介し、「変えてはいけないこと」、「変えるべきこと」の判断を的確に行って幾多の困難を乗り越えてきた様子を一緒に学びました、優れた経営者はいつの時代も地道に健闘しているものですね。

 以下は、私の論文から「組織文化」についての引用です。~~~~~~~~~~~~~~~~

 企業が持続的に成長していると、成長をもたらしている企業の外部内部環境を守ろうとする慣性が働き、大きな環境変化へ適応しづらくするリスクはある。あえて自社の成長をもたらしている経営資源や経営戦略とは異なる資源や手法を、自ら獲得していく、経営革新が必要である。そのため組織が一定の成果をあげていたとしても、経営を客観的に分析し、具体的な事象として現われにくい環境変化と経営課題を認識できるようなベンチマークを経営者が持つ必要がある。それに加えて、経営と組織の変革を躊躇せずに実行できるリーダーシップが、経営者に求められる。特に組織文化や成功のパラダイムを変えられる経営者の存在は、長期間にわたる企業成長には必要不可欠である。

 企業の中で舵取りをする経営者が日常の業務に追われていると、企業の外部環境と内部環境の漸次的変化を認識しにくく、環境変化への対応が遅くなってしまう危険性がある。そうした危険性を回避するためには、経営者はぶれない視点を持つことが求められる。ぶれない視点は、組織が受け継いできたDNAとの比較と、他組織との比較の中から生み出されると考える。組織のDNAは変化しない要素であり、現在の経営理念の解釈と形成されている組織文化が組織のDNAから逸脱していないか、判断することができる。そして、ベンチマークとすべき他組織のDNAとそこから生まれる経営理念や組織文化の解釈と比較することは、単一組織の中でDNAを解釈するときの異なった物差しを提供してくれる。

 企業を巡る環境変化を察知する経営能力は、経営者と社員が伝承するDNAを基盤にしたものであり、組織のDNAをしっかり解釈し、経営理念や組織文化として表現できない組織は、また後生へ伝承できない組織は、環境変化に不適応してしまう危険性がある。反面、経営能力はDNAから解釈される経営理念や、経営理念から形成される組織文化を構成要素としているため、漸次的に変化しやすく、大きな変化はしにくい。組織としてのぶれない軸や視点を提供してくれるDNAが、結果として組織の環境変化に対する経営理念や組織文化の適応を防げる逆機能をもたらすこともあり得る。

 結論的に言うと、組織の中のDNAを解釈し、伝承していくためのリーダーシップを発揮するのが経営者である。持続的経営の根幹をなす組織文化が自然に醸成されるのを期待するのではなく、経営者が長期間に渡って耐えうる、優れた組織文化を意図的に育成していくことが必要である。また、秋山愛生舘が医療費抑制に伴う薬価引き下げといった市場環境の変化に直面したとき、株式上場や多角化による組織文化の革新を図ったように、組織の環境変化に対して、組織文化を大胆に革新していくことも時には必要となる。 組織のDNAをその時代の環境に合わせて解釈し、組織文化を革新していくことが、結果として企業を守ることにつながり、そうした時にも経営者のリーダーシップと組織文化の変化を促進できる経営幹部が必要である。優れた組織文化も重要であるが、組織文化自体を変えられる経営者とそれを受け入れる社員も、持続的経営を成し遂げる重要な構成要素となる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 論文コピー おわり

 経営陣の不祥事・不始末の結果、大リストラで現場で働く人々が路頭に迷う不条理は許せません。メディアも「犯罪」としての認識を明確にして、責任の所在を曖昧にしないようにしなければ、今の日本の体たらくに歯止めが掛かりません。とにかく、日本の「ガラパゴス化」は深刻で、国際社会の中での地盤沈下を実感する今年一年でした。そんな中でも未来への展望を切り拓きたいですね。

第29回 IBM 北海道会議

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 「IBM 北海道会議」は、年一回、時のテーマを軸に地元の様々のセクターの方々が集中して議論する場です。この会議に私は、第一回から三回まで続けて参加し、3年前に久しぶりに復活参加(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10557)を果たしました。毎回、一泊二日の濃密な議論は、私にとって大変よい刺激の場となっています。今年の基調講演は、「里山資本主義(http://www.tfm.co.jp/forest/?itemid=79552」で著名な藻谷浩介(http://www.jri.co.jp/page.jsp?id=20680)さんで、分科会でもご一緒させて頂き、今年は一層貴重な会議となりました。

藻谷浩介さんのプロフィール~~~~~~~

地域エコノミスト。日本政策投資銀行参事役を経て現在、日本総合研究所主席研究員。長年、地域経済再生のために全国で提言を続けている。日本の全市町村をくまなく回り、年間300回もの講演活動を行う。著書に『デフレの正体』。NHK広島局制作の「里山資本主義シリーズ」にナビゲーターとして出演し、身近な資源を活用する地域発の新たなライフスタイルを提言した。2013年夏には、NHK広島取材班と共著で『里山資本主義 ―日本経済は「安心の原理」で動く』を出版した。

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◆里山資本主義とは

里山資本主義とはマネー資本主義の反対語としてつくった言葉です。マネー資本主義では、生活に必要なものを全てお金で買ってきます。ですので、お金が大事なので、もっともっと持っているお金を増やしましょうというのがマネー資本主義です。

里山資本主義はその反対で、なんでもかんでもお金ばかりではなく、生活に必要なものは採ってくるとか、物々交換とか、育てるとかして調達してはどうだろうということです。

 NHKのこの番組「里山のちから(http://www.nhk.or.jp/eco-channel/jp/satoyama/interview/motani01.html」を、私は昨年度後期、札幌学院大学(http://www.sgu.ac.jp/)で「経営組織論」の講義の中で取り上げました、学生たちの反応はかなり良かったですね。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18929

 今年のテーマは、「北海道の超高齢社会にどう対応するか」でした。藻谷浩介さんの基調講演は新しい視座へのヒント:

* 基本的な経済の現状認識を「率」ではなく「絶対数」でみることが重要

* 高齢化自体は50年も経れば解決する

* 事実を正面から見ること、角度を変えるではない

* 「北海道」の問題は「全アジア的」問題でもある

* 「北海道」を「東京」との比較で見てはいけない

 二日目は各分科会報告の後に全体討議でした。参加者の皆さんは、日頃様々の場で講演をされている方も多く、「北海道の超高齢社会にどう対応するか」に対して、とにかくたくさんのキーワードが続々と出ていました。

* 健康増進プログラム

* 移住促進

* 活性化には4つの「K」 : 環境、健康、観光、科学技術

* 「中国共産党」と付き合うのではなく、「中国人」とどう向き合うかではないか

・・・・・・ 意見交換は止まることなく続きました。

「経営組織論」、いよいよ終わりに

Posted by 秋山孝二
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 札幌学院大学(http://www.sgu.ac.jp/)で今年度後期に一コマ、「経営組織論」を講義してきましたが、あと一回で15回の最終を迎えます。

 「客員教授」の立場を頂き、これまでも学生を前にお話をして参りました。今年の登録166名の学生たちは、就職戦線の厳しさも相俟ってか、初回から集中力を持続してなかなかの反応でした。これまでの講義についてはこの欄でも記載しています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1155

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2439

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4052

私は、5年前の札幌学院大学の記念論文集に、「組織と経営者の責任:093sgue8a898e5bfb5e8ab96e69687efbc88final」を寄稿しました。その終りの部分に、次のように若い世代への期待を込めて書いたのを思い出しました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~論文からの引用

若い経営者への期待

企業・組織にとって継続的な人材の新規採用は大変重要である。と同時に、社会にとって、若い世代の経営者は宝物に違いない。新しい価値の導入は新しい担い手によって成し遂げられ、経営におけるイノベーションの原動力を、これらの人材に求めるのである。

新しい人材は、人的資源の補充という数の意味以上に、当該集団の「価値の革新・移転」を早期に促す意味が本来的に大きい。しかしながら、日本の伝統的経営だった「終身雇用」はごく限られた人材にだけの適用となり、昨今の見識のない経営者は、グローバル競争の中で本来の価値をかなぐり捨てて、当面の利益追求に終始し、貴重な財産を放棄して、人的資源を単なる人件費の削減の手法に落としめてしまった。

日本のレベルの高い労働者に依拠して創り上げてきたこれまでの実績を、何と心得ているのだろうか。再度原点に戻って、経営者は、イノベーションの最も有効な手段として、時代のセンス、将来を読み取る新鮮な感性を期待して、定期的新規採用を行い、同時に自らのポストの明け渡しを含めて、若い世代の台頭、世代交代を積極的に促すべきである。激動の今、過去の経験・実績が必ずしも役に立たない時代は、冷静に考えるとまさに絶好の機会に違いない。

7  結びにかえて

第二次世界大戦終了後、日本は直後の混乱を乗り越えて、30年を越える高度成長期を謳歌した。その後バブル経済が崩壊し、暫く調整期が続き、ようやく新しい方向性の兆しが見えてきた時、今度は国際金融恐慌の嵐で、今大きな試練に立っている。

確かに100年に一度の事態なのかもしれないが、私は本来の経済構造への回帰の過程と受け止めたい。この数年間、世界経済の異常な伸長を警告していた識者は何人も居たし、身近で尊敬する経営者も繰り返し指摘していた。

経営者の最も重要でかつ究極の役割は人材の育成である。長期的視点に立った教育プログラムは、理念に裏打ちされていなければならず、職域階層毎、世代毎との縦軸横軸で、同時に次世代の経営者の育成プログラムも構築する事が大切である。高度成長期には次々と育ってきた人材が、競争力に富んだ技術を継承してきた。座学としての教育プログラムばかりではなく、日本の労働力としてのレベルの高さに自信を持って、現場に思い切って権限を委譲し、機会を与えて育成していく事(OJT)が今必要なのではないのか。一般的に言って、これまでの日本企業の競争力は、経営者の優秀性というより、この現場の優れた人材に依るところが大きかったはずである。

更に自らへの戒めとして、私はこのような時代に、持ち続けている問題意識がある。それは日本の組織におけるリーダーの「責任の取り方」、「責任の取らせ方」だ。戦争責任、不祥事の責任、みな明確ではなく、当事者は言い逃れに終始し、責任を論じる「装置」が不明確、或いは不在で、そしてそれを裁く司法も明解ではない。ほとぼりがさめると何食わぬ顔でまた表舞台に登場する一方で、本来は責任を負うべき立場にない者が、その身代わりの如く責任を取らされている事例もあるのではないか。誰に責任があり、誰が一体責任を取るべきか、この曖昧さを容認してしまう日本社会を私は危惧する。次世代の育成の為にも、現役世代が理屈の通る見本を示してこそ、明るい未来を描く事ができるのだと思う。

折りしもアメリカでは現在、公的資金注入を受けた大手保険会社が、その後、多額の役員賞与を支払っている事案が議会で問題視されている。このような現実を目の当たりにすると、「アメリカ型」経営・倫理に対する違和感を強く持つ。私は、社会の価値観、企業経営の価値観等を通して、この数十年に粗末にしてきた「日本型経営モデル」の再評価を、企業のCSR、そして新しい起業の中で見出したいし、実労働人口が減少していく中で、若年層の価値増大への道も切り拓きたいと思っている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

大学内の掲示板に、活躍する卒業生・学生が紹介されていました、ソチオリンピックでの活躍を期待したいですね!

カーリングでの活躍を!

カーリング、アイスホッケー、リュージュでの活躍を!

日本発「戦略的CSR」@箕輪睦夫

Posted by 秋山孝二
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 今からもう30年以上前に、アメリカ合衆国ハワイ州にある「JAIMS(http://www.jaims.jp/」で出会った箕輪睦夫さん、ご自身で設立した経営コンサルタント会社20数年を経て、(株)アデランス(http://www.aderans.com/)に入社し、ヨーロッパ、アメリカで改革の前線で奮闘し、現在、「CSRプロジェクト部長」としてグローバルにご活躍です。「CSR:Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任http://kotobank.jp/word/CSR」は、日本ではしばしば「社会貢献」と混同されていますが、本来の「CSR」の意味について学び直す目的で以前から札幌にお招きしたいと思っていました。

 今回、超ご多忙の中、私が講義をしている札幌学院大学「経営組織論」の第13回講義に講師として、その日の夜には、「愛生舘サロン公開講演」として、「日本型戦略的CSR」について示唆に富むお話をして頂きました。アメリカの「コンプライアンス重点型」でも、ヨーロッパの「メセナ・環境型」でもない、まさに営業の高いモチベーションをベースに、事業と一体化した日本発の「戦略型CSR」のお話に、昼の学生たちも、夜の経営者たちも、息をのみ感動のひと時でした。激動の社内・社外マネジメント環境を力強く生き抜いてきた一人の「本物のホンモノ」として、私も尊敬しています。

30年来の友人、箕輪睦夫さんのご講演 in 愛生舘サロン

30年来の友人、箕輪睦夫さんのご講演 in 愛生舘サロン

営業部隊と一体となった「日本型CSR」

営業部隊と一体となった「日本型CSR」

 これまでの「CSR」の概念と大きく違うことは、彼自身、本社に身は置くものの、あくまでも「CSRプロジェクト」部長という立場に拘るごとく、その活動は経営トップの理解の下、常に営業本部長を筆頭とする営業部隊とのコラボレーションにあることです。コアビジネス活動それ自体、すなわち「企業成長」の中に健全で永続的なCSRがある、言い換えると「事業と一体化したCSR」ですね。そして、この活動が、グローバルに展開する企業を「つなぐ」基本概念・理念になる、その着眼が素晴らしいと思うのです。コア事業に付随する活動とか、利益が出ているから社会貢献、ではないのです。そして、この視点が明確であるからこそ、「社会的責任投資:SRI(http://www.sifjapan.org/sri/」という概念にも通じてくるのでしょう。今年7月の目加田説子さんのご講演(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17210)でも、SRIについての言及がありました。

 (株)アデランスのCSRの詳細は、是非、HPのこのページをご覧頂きたいと思います(http://www.aderans.com/csr/)。

この日私は、早朝に帯広から札幌にJRで戻りましたが、途中の景色が折からの新雪で輝いていました。占冠駅近くで思わず車窓からパチリと、充実した毎日の人との出会いに、一層華を添えてくれた感じがして嬉しかったですね。

今年の年末はいつもにも増して忙しいのですが、清々しい人々との出会いで締めくくれそうで嬉しいです。

あまりの美しさなので!帯広・札幌間の車窓から、敢えて逆光で

あまりの美しさなので!帯広・札幌間の車窓から、敢えて逆光で

「SHIEN」学、熱く語る

Posted by 秋山孝二
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 「Cafe Tone(http://www.cafe-tone.com/」の宮澤洋子さんからご案内を頂き、フォーラムに参加しました、「『SHIEN』で世界を変えるセミナー」。講師の舘岡康雄(http://shienken.org/index.html)さんは、日産自動車(株)中央研究所に入社し、変革チームの中枢を担い、その後、現在は静岡大学大学院教授としてご活躍中です。

 先日も講演でお話をされていましたが、21世紀型の課題解決方法として、「人をSHIEN(支援)すること」、「支援マネジメント」を提唱されています。

 20世紀から21世紀に移り、ITの急速な発展、グローバルな情報インフラの進展、モノあまり時代の到来、顧客の嗜好の急速な変化など、経営環境はより複雑化し、スピードのある運営を求め始めてきています。そんな状況の変化の中で、経営のパラダイムも大きく変貌し、不確実性、複雑性に対応したマネジメントに移行せざるを得ません。

 特に「情報」という刻々と動いているものを、自らも動きながら、「動いているままに扱わなくてはならない時代」になってきているとのご指摘は、実感ともフィットする認識でした。このような新しい時代において、私たちが目指す組織やシステムは、「管理・統制」の行動様式ではなく、マネジメントの基軸は、制度重視から「柔軟性・創造性」重視へとシフトしていかなければ解決への道とはなりません。 また同時に、経営スタイルも、経営資源を内部に「囲い込む」従来の経営スタイルから、各関係者が「共に参加し、互いに相互作用しあう」、多元的かつ多様なダイナミズムの中でものごとが解決していくと考えるべきとの説明にも納得します。

 相互支援的なプロセスからなる新しい経営スタイル、マネジメント手法へと移行することが重要で、ここでのキーワードは、「つながり」、「オープンネットワーク」、「参加意識」、「コラボレーション」、「相互補完」、「支援」など、と。従来型の組織を越えて、プロジェクトチームによる「スペースの形成」といったお話は、企業のイノベーションの現場の声として、あらゆる集団・組織にも通用する普遍性を持ちますね。

 さらに講演後に検索してみると、現場での経験をさらに深めての論文も多数執筆されてます。

~~~~~論文「エージェントの利他性と企業活動」の概要説明から引用

 新世紀に入り企業活動は、空間的にはよりグローバル化、時間的にはより短縮化の道を辿っている。グローバル化とは、異なる経路依存性を持ったエージェント間の調整問題に帰結する。一方、ITの発展等を背景に関係性を飛躍的に高めたエージェント同士が、より短期間に成果を生み出そうとすれば、その動きの連鎖も、複雑性を呈してくる。この両者の状況下では、過去のインプットとアウトプットの関係性を既知とした管理行動は破綻せざるを得ない。本研究は、現在の潮流の本質をパラダイムシフト(“リザルト”パラダイムから“プロセス”パラダイムへの変化)として提言すると共に、現在のプロセスパラダイムに有効な行動様式として支援行為を取り上げ、ビジネス局面でその有効性を具体的に提示するものである。更に、“支援”概念の本質についても新たな提言を行う。

~~~~~~~引用 おわり

 来月9月から、札幌学院大学(http://www.sgu.ac.jp/information/index.html)で、客員教授として「経営組織論」を一コマ15回講義をお引き受けしている私にとっても、大変示唆に富むお話で有意義なひと時でした。企業の現場を経験してなおかつ研究分野でそれを深掘りする姿勢に頭が下がります。

連休前の大学キャンパス in Ebetsu

Posted by 秋山孝二
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  今年も札幌学院大学(SGU:http://www.sgu.ac.jp/information/index.html)で「経営組織論」一コマを受け持ち、今月からスタートしました。学部の3年生が主体で、受講の人数も理想的なので、かなり基本的な所からじっくり話をし始めて、若い世代がビジネスへの興味を抱くような、そんな内容になれば大変嬉しいですね。

札幌学院大学・昼休みの中庭

札幌学院大学・午後の中庭

  普段、都会の喧騒の中を行ったり来たりしている自分にとって、ひと時郊外の大学キャンパスに入るとまるで別世界のような光景ですね。流れている時間とバックグラウンドミュージックが全然違う、実に平和なうらやましい空間です。学生時代は、その場をそうとは受け止めてはいないのでしょうが、暫く一人静かに座っていたい雰囲気です。

 私の卒業した千葉大学(http://www.chiba-u.ac.jp/)西千葉キャンパスを、昨年久しぶりにぶらりと散歩する機会がありました。まず驚いたのが40年程経て、キャンパス内の樹木が大変大きく成長して、木陰が素晴らしく形成されていた事です。別の場所に来たような、月日の流れを強く感じました。私たちの時代は、笛の音とシュプレヒコールの毎日、拡声器から聞こえる演説は内容に乏しく、いわゆる「雑音」と化していたような気がします。教室の壁にはビラが貼られ、時々は破られたものがそのままになっていたり・・・・。

 ただ、今の日本の経済・社会状況を鑑みると、私たちの時代の方が学生の未来はそれでも明るかったのかと、妙に感慨にふけってしまいます。ここで学んだ学生達が卒業して、社会とどんな関わりを持って生きていくのか、私自身不安でもあり、楽しみでもあります。

 昼下がりのキャンパスを通り過ぎながら、ふとそんな気持になりました。

本物の大人の真剣さを伝えたい

Posted by 秋山孝二
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 私は3年前から札幌学院大学(SGU)客員教授をしています。「経営戦略論」、「経営組織論」も一時講義をしました。昨日はスポット的に、「現代ビジネス論」の講座の中で、外部の実際の経営者という事で学生の前でしばしお話をしました。

学生たちに伝えたかったのは、今は100年に一回の大激変期、こういった時期ほど過去の経験は意味を持たず、若者にとってエキサイティングな時はないという事。もう一つ、グローバルなビジネス環境は、国境が無くなっていることであり、これからは「都市・地域」の個性による直接的競争・自立・責任が価値を持ってくる時代、それ故にコミュニティビジネス、ソーシャルビジネスが面白いよ、という事でした。

ただ、それらはあくまでもマクロの環境であり、その中でどう経営者として事業を組み立てるか、若い世代に大いに期待したいとも語りました。最後に、真剣に人生を歩んでいる「本物の大人」と数多く出合って貰いたいとも欲張りました。私のささやかな経験では、素晴らしい出会いで同じ時間・空間で呼吸を共有すると、足のうらから感動が伝わって来る時があったものですから。

終了後に男子学生が質問に来ました。きれいな眼で良い顔をしていましたよ。いずれ起業したい、そんな素晴らしい志を聴き、帰り道に私の方が元気を貰いました。多少遅めの昼食は、JR札幌駅近くのいつものカレー南蛮そばでした。