8年前に出版され読み続けられている、むのたけじ著「戦争絶滅へ、人間復活へ~93歳・ジャーナリストの発言(https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0807/sin_k423.html)」、鋭い指摘は今も健在です。
むのたけじさんは今年で101歳、先月も少しご紹介しました――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=25156
強く印象に残ったコメントを書き留めます。
* 成田空港建設に反対して三里塚の農民闘争が起こった時の取材から: ものを見るときに、いったいどちらの側に立つのか。大きいものと小さいものが対立していたら、私はまず小さいものの側へ行く。そして、強そうなものと弱そうなものがあったら、弱そうなものから見る。それは、自分の生活環境から身につけたことですね。
* 「すりかえる」権力、「すりぬける」民衆: 「すりかえる」手口というのはさまざまで、たとえば、戦争体制の準備を「有事」なんていう言葉でごまかす。こうしたことは一朝一夕にできたものではない。まるで呪いをかけて人間を金縛り状態にしてしまうような、そんな支配力が民衆のなかに作用している。
* 戦争をやめさせた反戦運動はない: 戦争は悲惨だ、兵士はかわいそうだ、あれは許せない罪悪だ、ということを百万回大声でしゃべったって、戦争をやろうとしている連中には、痛くもかゆくもない。戦争が始まってから反戦平和運動をやったところで、戦争の論理とエネルギーに引きずられてしまう。戦争をなくすには、戦争をする必要をなくして、戦争をやれない仕組みをつくらなければだめ。かつて、そこまで踏み込んだ平和運動は一つもなかった。
* 戦争の準備段階で計画をあばく: どんな戦争にも必ず準備段階がある。とくに現代の戦争では、何万、何十万という大きな兵力を動かすので、少なくとも5,6年というような準備期間がある。ただし、どんな国でも軍事は国家の最高機密として、法律で完全に守られている。したがって、ジャーナリズムが戦争をやめさせるには、この準備段階で法や制度と闘いながら戦争計画をあばき、告発するしかない。
* ジャーナリズムとは何か: 「ジャーナル」とは、日記とか航海日誌とか商人の当座帳とか、毎日起こることを書くということ。それをずっと続けていくのが新聞。それは何のためかというと、理由は簡単で、いいことは増やす、悪いことは二度と起きないようにする、ただそれだけのことなのだ。
* 一人、一つ、一個から始める: ともかく日本人全員が、人類の一人として戦争をやめさせることに結集していくこと。要するに、単なる組織の大きさや、人数や、それがもっている力量の大きさなどに頼る時代ではない。それ以上に大事なのは、個々の人間が自分自身に責任を持ち、何よりも自分に誇りをもつということ。それに裏付けられた組織というのは、これまでにつくられたことがほとんどない。歴史は一人から始まる、自分から始まる、ということをもう一度、みんなで見つめ直さなければいけないのではないか。
* 新しい歴史観をもって生きる: 人間が歴史をつくれなくなれば、歴史のほうで人間をつくるのではないか。歴史がそれを要求する、と言ってもよい。やはり、歴史は地球を滅ぼすわけにはいかないし、その意思を通そうとするではないか。人類が核戦争で地球を滅亡させようとしても、地球が一つの生命体のように、「おれは滅びないぞ。おれを滅ぼそうとするものを滅ぼす」という意思を貫くのではないか、と。そう思うと、これまでの歴史学などでは考えられなかった力が、働いていくような気がする。
* 最後に語り手としての思い: 私は平均より長く生きてきたので、「死」がそれだけ近くなっている。でも、悲しくも怖くもない。だって、地上の万物のどれをもごらん。終えた所から新しく始めているではないか。「死」は生の完結であって、新しい自由の獲得だ。だから私は、にこにこ笑いながら絶息したい。
著書最後の「結び書き」にある「スットン罪」を含めて、以上、鋭い指摘、表現の的確さ、恐るべき101歳ですね!