「言葉」って重要ですよね

Posted By 秋山孝二
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 年末・年始、普段なかなか意見交換できないテーマについて議論を深めることができました。折しも、私が理事長を務める複数の非営利活動団体が、あらたに向う5年の長期計画策定の時期を迎えて、丁度、活動を振り返り、これまでの軌跡の上にどういった未来を展望するかの局面となっています。

 この間の議論で共有できたのは、「言葉って大事だね」でした、新たな概念・枠組みを想定していても、従来の言葉を使ってそれを表現すると、どうしても手垢にまみれた従来のイメージに引き戻される、或は従来の枠の中で多くの方々には受けとめられてしまう、そんな意味合いでした。ですから、将来の新しい展開を語る、見える化する場合は、やはり少々の違和感が在っても新しい言葉で表現することが肝要だとの共通理解を得たのです。

 もう少し、今年設立30周年を迎える秋山財団を例に説明をしてみましょう。

 HP(http://www.akiyama-foundation.org/aboutus/aboutus_01)にもありますが、財団設立の志は、「北海道」という地域と、「生命科学:いのち」に対する特段の思い入れと言えます。「固有の土壌や地形、水系や気候、動植物をはじめ、多くの自然の特徴を備えた独自性を持つ生命の場」としてのこの北海道。こうした「生命の場」の中に共に住む共同体の一構成員として、切り離されては生き得ない人材の育成を最高の価値としています。私たちは一貫して、「地域・民間・自立」財団として地道に活動をしています。

 さらに、秋山財団の原点を、設立当初の理事のお一人が語っています。「生命科学の基本目標は、人類、そして地球の『健康』を確保する点にあると言えましょう。『健康』とは、人類が、世界が、平和を保つ状態だと思うのです。それは人間のコモンセンスに属すべきものであり、秋山財団の地味ではあっても着実な助成・育成活動が、北海道から日本へ、そして世界へ向けて、人類のそうしたコモンセンスの確立へと発展し、貢献する事を期待して止みません」。

 私たちは、30年目を迎える今年、この原点に立ち戻り、さらに進化していきたいと決意しています。この間の関係者は以下のそれぞれの言葉にどんな意味を込めていたのか、私なりに向き合ってみました。

 まずは、「生命科学」ですが、これはいわゆる近代の学問領域、すなわち「自然科学」、「人文科学」、「社会科学」の上位概念として位置付けられるもので、あらゆる「生命(いのち)」と向き合う姿勢だと考えています。秋山財団設立時、名付け親の伴義雄先生は、「21世紀は『生命科学』でしょう」と迷いなくおっしゃいました。当時はよく理解できませんでしたが、このところ時代が追いついてきた感じがしています。新しい概念としての「生命科学」、これをどう基軸に私たちの活動を展開していくか、それと従来の枠組みとのせめぎ合い、30年以降の私たちに課せられたテーマです。

 次に、私たちが言う「地域」は、よく使われる「地方」とは一線を画している概念です。「地方」はその意味合いとして「中央」に対しての意味が一般的で、これは今、政府が言う「地方創生」も同じですね、あくまでも中央から見て地理的に離れた場所の意で、中央政府からの眼差しを脱却できません。私たちが30年前に「地域」と敢えて宣言したのは、「北海道」が行政府の一都道府県としてではなく、多様な生命が宿る場、「バイオリージョン(生命地域)」として、ユーラシア大陸のユニークな地域として存在するとの意味合いからです。この島を深く掘り下げて研究、活動することは、即、日本のみならず世界へも発信できる価値を持っていると認識しています。

 最後の「民間・自立」というのは、税金で賄う「官」とは一線を画して、「民」の意志を持った自主財源によって、機動的にダイナミックに社会課題を解決していく、そんな心意気を示してきたつもりです。さらに、自主財源(基本財産)の資金運用においても、ファンド等では私たちの意志に沿う企業を選択し、同時に戦争関連・環境破壊企業は拒否する意思を運用する側にしっかり伝えているつもりです、この辺りが今、巷で言われる「ソーシャル・インパクト・インベストメント」です。「グローバルマネーは悪!」と言い切ってしまっては、今の時代に資金運用する我々としては少々乱暴です。お金にも意志があると思うし、これからもこの分野での研究を続けたいと思っています。

 私は昨年末のこの欄で書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=25282)。その中の一節に、「『助成金』から『投資』への概念進化」と表現したのですが、その後、財団内で議論をすると、どうしても「投資」という言葉から連想する「金銭価値」みたいなイメージが、本来の意味するものとは異なった印象を与えるのでは、との疑問が提起され、私自身、なるほどなと思いました。秋山財団の宮原正幸常務理事は、この意を汲んで「種を蒔く人の育成~次世代へ『託資(タクシー?)』社会変革『拓資(タクシー?)』未来『種』(みらいだね!)いのち『種』(いのちだね!)」と表現しました。

 ここまで、「一線を画す」と繰り返し書きました、この間の議論では、何れもマスメディア等で露出する言葉と私たちが展望する概念との差、距離感をきっちり伝える几帳面な表現に努力したいのです。それはしつこく、時間の掛かるプロセスですが、先々中途半端に取り込まれないためにも、必ず必要な過程だと再確認した次第です、「言葉を吟味する」ことの大切さとも言えます。

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