熊野古道・中辺路ウォーク(5)

Posted By 秋山孝二
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 熊野古道・中辺路ウォーク、最終日は串本・白浜。今回、熊野古道がメインと思っていたのですが、実は串本・白浜も素晴らしかったです。

 日没前の橋杭橋も良かったし、翌日朝、日の出に輝く姿も幻想的でした、太平洋の広がりが気持を押し拡げてくれます。

朝日を浴びた橋杭岩

 ここから少し先には、潮岬です、「【本州最南端】和歌山県串本町の潮岬(北緯33°26′、東経135°46′)」の灯台も遠くに見ることができました。
<参考> http://find-travel.jp/article/9634

 そう言えば、昨年11月にシンガポールに行った時、「ユーラシア大陸の最南端」というポイントも思い出に残っています。

――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24921

 串本町からバスでしばらく走り、白浜町の「千畳敷(http://www.jalan.net/kankou/spt_30401ab2070007555/」、「三段壁洞窟(http://sandanbeki.com/」は、自然の造形の凄さを感じました。

千畳敷

千畳敷

切り立った断崖

切り立った断崖:三段壁展望台より

 三段壁は高さ50m、断崖絶壁が約2kmも続く、勇壮な景観です。展望台の近くには、地下36mの洞窟までエレベーターで降りられ、観光施設「三段壁洞窟」も迫力がありました。

三段

三段壁を降りて

奥まで続く洞窟

三段壁を降りて:奥まで続く洞窟

 暫く沿岸線を行くと「円月島(http://www.jalan.net/kankou/spt_30401ab2050007121/」が現れました。

夫婦岩

円月島

 こんなエピソードもあります、映画「海難1890(http://www.kainan1890.jp/」、第39回日本アカデミー賞にて優秀作品賞を初めとする10部門で優秀賞を受賞しました。1890年9月、オスマン帝国の親善訪日使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で座礁し、乗組員618人が荒れ狂う海へと投げ出されました。500人以上もの犠牲者が出る中、地元住民の懸命な救助活動によって69人の命が救われ、トルコへ帰還。この事件をきっかけに、日本とトルコの間に厚い友情が結ばれることとなりました。そして1985年、イラン・イラク戦争で緊張が高まるテヘランに日本人215人が取り残された時、トルコ政府の手配したトルコ航空機で邦人は全員無事に救出されたのです。

トルコとの友好関係

トルコとの友好関係

 一つ一つの歴史的出来事を「繋げる」力とでも言うのでしょうか、北海道では自然の景観をありのままに見せるのが観光だと思われているのに比べて、今回の一連のスポットでは、神話・伝説等によってストーリーを紡ぎ出して今に語り続ける、そんな魅力を強く感じましたね。「観光」が産業として地域の経済を下支えしているモデルを見た気がします、歴史を見える化して伝承するとも言えましょうか。

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