熊野古道・中辺路ウォーク(6 おわり)

Posted By 秋山孝二
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 短い旅でも家に戻って振り返ると、あれもこれも書き留めたいし、写真もいっぱい撮ってきているのですが、なかなか全部をここにご紹介できないのが残念です。最近テレビ番組でも、「スピンオフ」という「番外編」もあったりしますが、このシリーズ、最終回はそんな感じです。

 Facebookで田辺市にお住いの水野雅弘さんに報告したら、ご自身が作成された二つの作品がすぐに送られてきました、素晴らしいです。「荘厳」、「神秘」、「幽玄」のキーワード、「水は命の源」、「豊かな森」から「豊かな水」、そして「川」が命を育み、海へと還る、というナレーション、また、田辺市天神崎はナショナルトラスト発祥の地とも紹介されています。さらに南方熊楠(みなかたくまくす)のエコロジー運動の先駆性にも言及していて、「世界に誇るべき日本の宝物」、まさに「私たちの誇り」なのでしょう!

水野雅弘さん(TREE 代表取締役 /Green TV Japan代表 http://www.japangreen.tv/

* http://www.japangreen.tv/ch10culture/12469.html

* http://www.japangreen.tv/ch09community/12945.html

 手元にある写真の中から幾つかをご紹介します。

下り道もなかなか

下り道もなかなか

小川に掛かる橋を真上から

小川に掛かる橋を真上から

伏拝王子から遠方を臨む

伏拝王子から遠方を臨む

ご自分で縫ったもの

語り部・藤原さん、ご自分で縫ったもの

<サイドストーリー 1>

 世界遺産に登録される対象には様々あるようです。熊野古道は、カテゴリーの中では「文化遺産」、しかも「遺跡および文化的景観」として登録されています。「道」が世界遺産として登録されるというケースは、極めて珍しいことで、スペイン、フランスにまたがる「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(http://camino-de-santiago.jp/about-santiago/index.html)」があります。「道」が世界遺産として認められるのは、熊野古道とこの2例だけです。

<サイドストーリー 2>

 八咫烏(ヤタガラス)とサッカー日本代表エンプレム(http://senjp.com/yatagarasu/)、HPからは以下のような経緯です。

 日本における現在のサッカースタイル(ア式フットボール)の起源は東京高等師範学校であり、その生みの親といえるのが中村覚之助氏である。大正10年、大日本蹴球協会(日本サッカー協会の前身)を設立したのも東京高等師範関係者が中心となっている。中村覚之助氏の生家は那智勝浦町浜ノ宮であり、生家より200mの所に熊野三所権現(渚の宮神社)があり、旧家なので神社の氏子をつとめていて、昭和6年に図案化した日本サッカー協会のシンボルマークの三足烏は中国の故事に基づいたものと言われているが、日本においてはまぎれもなく「やたがらす」であり、日本サッカー協会のホームページでは、三足烏(やたがらす)と表現している。

<サイドストーリー 3>

 3日目の夕方、熊野那智大社から串本温泉の途中、バスで太地町を通りました。この町は映画「The Cove(https://www.youtube.com/watch?v=k-g7WWYDJtQ)」で伝統的なイルカ漁が国際的に批判を浴びて話題なりました。もともとクジラ漁が盛んな街ですが、引き続き論議が続いています(http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/)。

 今回の旅行、「道」をモチーフに「つなぐ」がテーマだったと、あらためて思い返します、そしてこれからの「未知」に。

 まだまだ余韻は残りますが、世間ではGWも終盤、そろそろこの辺で終わりにしましょう、バスのガイドさん、語り部の方々、そして道新観光の添乗員さん、皆さま、素晴らしかったです、心から感謝申し上げます。

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