北海道の 「エネルギー・ロードマップ」

Posted by 秋山孝二
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 私は昨年6月から世話人の一人として、「エネルギーチェンジ100プロジェクト:http://www.enechan100.com/」という活動を行っています。現在、私が理事長の「認定NPO法人 北海道市民環境ネットワーク(きたネット):http://www.kitanet.org」の会員も多く参画しています。

 プロジェクトではこれまで、「北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例」を皆さんに知っていただくための活動や、「私のエネルギーチェンジ宣言」を集めてHPに上げる活動をしてきました。

北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kz/kke/johrei/johrei.htm

 

 その3つ目のアクションとして、昨年6月から、北海道を自然エネルギー100%アイランドに変えていく「ロードマップ策定」に取り組んでいました。岩井尚人さんをリーダーに、この議論・作業は市民有志12名(会社員、NPO職員、自治体職員、経営者、大学研究者、大学院生など)が検討を重ね、先日、「北海道の電気 再生可能エネルギー100%へのロードマップ」ができ上がり、発表しました。今年3月の中間報告(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12044)について、かなり辛口のコメントをした私としては、今回の最終報告は大変分かりやすく、今後の議論に十分耐え得る内容の濃いものになっていると思います。

北海道版エネルギー・ロードマップ(http://www.kitanet.org/enechan/enechanroadmap.html)>

 7月7日の七夕に、北海道新聞、朝日新聞で記事になっています。
* 北海道新聞  http://on.fb.me/NFLZjf
* 朝日新聞 http://on.fb.me/NmAU82

 策定するのが目的ではなく、これをテキストに、電力・ガス・石油会社等の供給を担う方々も含めて、多くの皆さんが環境活動の勉強会などで活用したり、団体のMLなどでご紹介していただけると嬉しいですね。市民目線から北海道の短期・中期・長期をどう予測するか、最終ページに算定基礎も記載されていますが、いずれも大変控え目な数字であり、それでも北海道では、自然エネルギー100%どころか200%を造り出して、長期的には「売電」で成長戦略を構築できると確信しています。実現のできるかどうか、今、道民に求められているのは、その「覚悟」だと思います。 

 「北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト」の活動やエネルギーに関する情報は、下記のHPや、Facebookページなどで発信しています。ぜひこちらもご覧ください。

<北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト>
ホームページ http://www.enechan100.com/
Facebookページ https://www.facebook.com/enechan100
Twitter https://twitter.com/#!/enechan100

<ご参考>

■「北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト」とは:

北海道の自然環境とこどもたちの未来を守るために。
北海道の地産地消エネルギー最大限の活用、さらに自然エネルギーアイランドへ
のシフトをめざす団体・個人が、声をあげ、北海道の未来をつくるための提案を
行うとともに、北海道の「北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例」の周知
と、自然エネルギー推進のために活動する市民活動の支援ネットワークをつくる
プロジェクトです。

■北海道の電気 再生可能エネルギー100%へのロードマップ:

自然資源豊かな北海道で、自然エネルギーの最大限の活用のための道のりを描き
ます。 ポイントは市民目線。子どもたち、お父さん、お母さん、おじいちゃ
ん、おばあちゃん、全ての世代が、未来に可能性と希望が感じられるような、自
然エネルギーが主役になる社会へのロードマップです。出来上がったロードマッ
プは広く公開し、「自然エネルギーアイランド北海道」 実現の次のステップの
ために、みなさんと共有していきます。

★ホームページ ★環境情報blog  http://bit.ly/3Qyat
★きたネットTwitter  http://twitter.com/kitanet
★きたネットFacebook  https://www.facebook.com/kitanet.org
★きたネットTV(動画配信サイト) http://kitanettv.blogspot.jp/
★北海道エネルギーチェンジ100 HP http://www.enechan100.com/
「北海道の電気 再生可能エネルギー100%へのロードマップ」をダウンロードしてご覧いただけます。
★ラブアース・クリーンアップin北海道  http://bit.ly/7vdgim
★北海道の環境活動のポータルサイト「環境☆ナビ北海道」 http://enavi-hokkaido.net/

★E☆navi版北海道環境白書 http://enavi-hokkaido.net/wp/
★中間支援会議・北海道パンフレットができました: ダウンロード http://bit.ly/LFPBnU

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 新しい動き、新しい担い手による、新しい時代の到来を感じている昨今です。

大いなるチャレンジ、「輪舞(ロンド)」

Posted by 秋山孝二
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 文化庁と(公社)日本劇団協議会(http://gekidankyo.blog59.fc2.com/blog-entry-38.html)主催、日本の演劇人を育てるプロジェクト・新進演劇人育成公演「輪舞-ロンド-」(原作アルトゥル・シュニッツラー、脚色・演出橋口幸絵=劇団千年王國・札幌座)の公演がありました。「国会議員」、「女優」、「夫」、「娼婦」、「人妻」、「作家」、「女子高生」、「ヤクザ」が織りなす一室でのやり取り、これまでとは違ったシアター「ZOO」の空気でした。

チラシの表紙

チラシの表紙

8通りの輪舞?

8通りの輪舞?

 2者間の関係性が、相手が変わることにより全く違うやり取りとかもし出す雰囲気、役者と観客のこれまでの人生によって、それぞれに受けとめ方も違う、そんな不思議な芝居でした。5年後、10年後、再演があると、自分も今回とは違ったメッセージを受けとめるような気がしています。 この種の性のテーマは、日本人を含めたアジア文化と欧米文化とでは、味の濃淡で、大きな違いがありますね。もっと濃厚な味が私は好きというか、役者の皆さんが少し若過ぎる?還暦過ぎの私にはそんな気がしました。

 このところの札幌の演劇環境は、「札幌劇場祭:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E5%8A%87%E5%A0%B4%E7%A5%AD」、「札幌演劇シーズン:http://s-e-season.com/」等、企画も継続してきており、大きな盛り上がりを見せています。若い役者の皆さんの進化と今後の活躍に期待したいです。

アメリカの「現場力」?

Posted by 秋山孝二
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 数年ぶりにアメリカ東海岸・ボストンを訪問して、「現場力」について幾つか感ずる所がありました。

 何回も書きますが、私がアメリカに最初に行ったのは、1971年9月で、40年以上前になります。それ以来、数え切れないほど、主として企業訪問等で各地に足を運び、ハワイ・オアフ島ホノルルには6ヵ月間家族で暮らしたり、その都度、広大なアメリカの変化を体で感じています。今回、成田・ボストンの直行便が就航したのを敢えて使わずに、行きはワシントンDC経由、帰りはシカゴ経由で長時間のルートだったのも、何か昔との各地の「違い」を体感してみたいといった、こだわりでもありました。

ボストン・ビーコンヒルの仲通り

ボストン・ビーコンヒルの仲通り

 行きのボストン・ローガン空港に到着した後、預け荷物のピックアップでは、40分以上待って探しましたが、見つからず。早速バゲージ・クレームのカウンターで調べてもらったら、乗り換えたワシントンDC・ダレス空港で、1時間での荷物の積め替えが間に合わず、まだ空港に置かれたままとか。係の女性は、「後続の便でこちらに届くので、今夜中には滞在のホテルに届けます」と、笑顔(?)での対応でした。私は、「明日お会いする大切な方への品物があるので、是非とも今日中でなければ困る」とかなり強い調子で言って、午後3時頃にホテルにチェックインしたのです。荷物が届いたのは夜の9時過ぎ、外側が汚れに汚れての到着でした。因みに、空港カウンターで手渡された「Delayed Baggage Report」には、以下のように書かれています。

Dear Vlued Customer,

We regret that your baggage was not available to claim after your recent flight. Everything possible will be done to locate your property and return it to you promptly.

For information regarding your delayed baggage, contact the United Airlines Baggage Resolution Center at its 24 hour, seven day a week number: ・・・・・・・・・

 こんなペーパーがすぐ出て来るからには、日常的にこのような遅れがあるのでしょうね。ボストンでのこの種のトラブルは、私の知る限りこれまで3回、自分自身では、ロスアンゼルス空港で乗り換え便への積み遅れで日本に届かなかったことに続く2回目の出来ごとでした。ロスの場合は、1980年代、荷物の中にあった品物が盗まれていました。その他には、スーツケースの破損が2回、札幌に戻って保険で新しくしましたが、とにかく、荷物の作業に関わる労働力の質が、日本とは比較にならない程レベルが低い、これはこの40年間変わりませんね。この質の向上は、国民全体の教育水準に関係するはずで、それよりバックアップ体制を整えるとか、無人化・自動化の構築の方が安上がりと考えるのでしょうか。これらの仕事の不手際ゆえのコストは、会社的には膨大だと思うのですが。

 帰る時は何事も無くと祈っていましたが、そうはいきませんでした。早朝ボストンを発つ飛行機便だったので、ホテルを午前5時過ぎにチェックアウト、フロントではこちらから言う前に、「タクシーをお呼びします」と笑顔(?)で対応、係のベルボーイがタクシーを玄関口に呼びました。するとそこに後ろから突進してくるもう1台のタクシーが。先に来たタクシーに荷物を入れようとしたところ、運転手同士が、「オレの番だ、並んでいる順番だ」、と何とつかみ合いになりそうな大喧嘩、仕舞いには「警察を呼ぶぞ!」等までヒートアップ、その間ホテルのボーイはどうしたらいいのか分からず私の顔を見るばかり。私は、どちらでもいいんだ、早く空港に行かなければ乗り遅れるよと。中国では並ばずに混乱ですが、アメリカでは並んでいても混乱です!

 結局、後から来たガラの悪い運転手の車で空港に行ったのですが、どこかとんでもない所に連れて行かれるのではないかと、内心は穏やかではありませんでした。ところが、間もな空港へ、支払う段になってみると、このチャージが到着時にホテルまで掛った値段より3割も安いのです。「人は見かけによらない?」、「やり手の運転手?」、「到着時は何だったのか?」、何とも理屈では説明のつかない、早朝の一場面でした。それにしても、ホテルのあのベルボーイは、一体何のために居るのかですよね、あれではホテルの経営者も頭が痛いだろうと、帰りの飛行機の中でも考えていました。

 アメリカの空港で、場所が分からずに近くにいる職員に聞くと、「あの係員に聞くと分るよ」と返事する係員が多くいます。「それだったら、お前は何のためそこに立っているのか!」と一喝したくなる時も多かったです。雇用促進は分かりますが、もう少し現場への教育投資をしなければ、サービスにもならないだろうにと思います。

 ひるがえって日本のこの種の「現場力」は、世界一レベルが高いのではないでしょうか。礼儀正しいし、時間に正確だし、間違いが殆どないし、それ故に日本の責任者・経営者は、これに甘えて強靭な経営力を持ち得ない、そんな気がします。時々は、「too much:やり過ぎ」の感もあります、コストの掛け過ぎ?仮に、日本の現場力とアメリカの経営力(システム)が合体すれば、かなり競争力のある企業になるでしょう。いや、アメリカの経営力もそれ程のものではないと、どなたかにいわれそうですが・・・・。

 アメリカの飛びきり優秀な人材・機能は認めますが、生活者目線からは、それらに届くまでの「現場力」が、如何にもレベルが低い、あらためて「確信?」を得ました。

Kevin を偲んで (3:最終)

Posted by 秋山孝二
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 久しぶりのボストンは、湾岸部分の再開発工事が終了し、以前の高速道路が地下に建設されて、地上部分は緑化で大きな公園になり、景観も素晴らしくなっていました、詳細は州政府のこちら(http://www.massvacation.jp/)で。私も感じるままにいくつか。

 

 * 「伝統とモダンの共存」: 昨年訪問したベルリン(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10458)でも同様でしたが、歴史をしっかり価値づけている街であればある程、哲学が明確、現代との絶妙な調和を実現しています。アメリカ合衆国発祥の地「ニューイングランド」の歴史とプライドを、「見える化」している見識を街中から感じます。

コプレイ・スクウェアで

コプレイ・スクウェアで 

  コプレイ・スクウェアの左・トリニティチャーチ(http://www.trinitychurchboston.org/building-slideshow.html)、今年創業100年を迎えた右・コプレイプラザホテル(http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/105956/105956.html)、真ん中・ジョンハンコックタワー(http://www.ima-earth.com/contents/entry.php?id=20102673135)です。スクウェア―では、週末にはマルシェで賑わっていました。

 シンフォニーホールは、冬のボストン交響楽団、夏はボストンポップスオーケストラの本拠地です。7月4日の独立記念日では、ボストン・ハッチシェルでの演奏に合わせてのチャールズ川の花火は最高です(http://www.celebrateboston.com/july-4th.htm)。

ボストン・シンフォニーホール

ボストン・シンフォニーホール

街の街路灯のバナー

街の街路灯のバナー

 

 * 「語り継がれる物語と語る人たち」: フェンウェイ・パーク(http://www.cheaptravelz.com/venue/mlb/fenway_park.html)は、アメリカで最古の野球場にもかかわらず、「パーク」と呼ばれているだけあって地元の人には身近な場として愛されており、多くの歴史と伝統にこだわって、ストーリーの多さにも驚きます。

フェンウェイ・パーク外

フェンウェイ・パーク外

  ボストン・レッドソックス(http://boston.redsox.mlb.com/index.jsp?c_id=bos&sv=1)と言えば、「伝説の背番号42」、テッド・ウィリアムズ(http://circlechange.com/players/ted-williams)です。フェンウェイ・パークの多くの場所に、彼の「伝説」が語り継がれています。

語り継がれる赤い外野席シート

語り継がれる伝説の「赤い外野席シート」

  Mariaさんのお話によると、KevinとMariaとの最初のデートが、この赤い席だったとか。Kevinは、熱狂的なレッドソックスファンで、亡くなる1カ月前にも、友人にネット裏の放送席に招待されて観戦しました、長男のAidenは、7月2日から、ここで開かれる「レッドソックスのジュニアキャンププログラム」に参加するそうです。因みに先日ここで、「ダルビッシュ・有って知ってる?」、と地元の方々に聞いてみましたが誰も知りませんでした、ここはボストン、日本から来ているのは「ダイスケだろっ?」と。

 

* 「地域に暮らす人々の中に生き続ける」:ボストンのビールと言えば、「サミュエル・アダムズ:http://www.samueladams.com/age-gate.aspx?ReturnUrl=%2findex.aspx」、レストランでもバーでも、まずはこれを一杯飲まなければ落ち着きません。

伝統のビール、「サァム」です

伝統のビール、「サァム」です

  Kevinとはよく飲みに行きました、ゴルフ場でもバーでも、いつも最初は「サミュエル・アダムス」で乾杯でした。

 

 Kevinとの思い出は語り尽くせませんが、今回の訪問、私個人のノスタルジアなどではありません。昨年亡くなった後のMaria、3人の子どもさんたちの様子を今回聞いて、あらためてKevinの札幌で残した功績を「見える化」すること、そしてそれが少しでも残されたご家族の生きる自信になるのなら、これ以上の喜びはありません。

長女のIsla、バレーボール選手

長女Isla、バレーボール

長男Aiden、野球と空手の選手

長男Aiden、野球と空手

2女、Carlin、乗馬とサッカー

2女Carlin、乗馬とサッカー

 Kevinの志は、妻のMariaさん、Isla、Aiden、Carlinの子どもさん達がしっかり受け継いでいくでしょう。別れ際に、私たちは決してKevinのことは忘れないし、感謝の気持も変わらないと言いました。数年以内には、必ずご家族で札幌に来るとおっしゃっていました、どうか幸多かれ、と心からお祈り致します!

Kevin を偲んで (2)

Posted by 秋山孝二
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 Kevinの墓前で、これまでのお礼を伝えて私の気持は少し落ち着くかと思ったのですが、なかなかそうはいかず、想い出はボストン周辺で尽きることなく、なかなか整理できません。

 (株)秋山愛生舘の子会社として1991年に設立した「Autumn Hills International:AHIC」は、ボストン郊外のCambridgeにあるハーバードスクウェアに置き、私が社長、Kevinがジェネラル・マネージャーで活動を開始しました。何回も出張ベースでは行きましたが、基本的には私は非常勤、実質はKevinが現地の責任を負って、最大で4名の部下とともに仕事に励んでいました。近くにハーバード大学(http://www.harvard.edu/)があり、いつも観光客を含めて賑わっていましたが、ビジネスは苦戦の連続でしたね。

1991年、チャールズ・スクウェアの一室でスタート

1991年、チャールズ・スクウェアの一室でスタート

 その後、そこから15分くらいのWalthamに場所を移しました、場所を変えてビジネス展開も拡がってきて、調査・研究から、実際の商品の動きも出て来ました。

広い駐車場のあるオフィス

広い駐車場のあるオフィス:建物2階でした

 1998年に合併により親会社がスズケンに代わって以降、2003年に全ての株式を、当時社長だったKevinが買い取って、「Health Tech」としてHopkintonの自宅地下を本社として再出発しました、いわゆる「SOHO:http://ja.wikipedia.org/wiki/Small_Office/Home_Office」ですね。会社は順調な業績で推移していました。

自宅玄関の表札、この裏側の地下一階がオフィス入口

自宅玄関の表札、この裏側の地下一階がオフィス入口

   

 記憶を頼りに街なかで探していると、忘れられない場を見つけました。会社設立が暗礁に乗り上げて、私が助けを求めて電話をした翌日夕方、Kevinと会った「Hotel Meridien」です、今は、別のホテル名になってはいましたが・・・。

変わらない赤い日除け

変わらない赤い日除け

  この日は、Mariaさん、3人のお子さんと一緒に、2人が結婚して初めて住んだBelmontの家、次に引っ越しした家も訪れて、昔懐かしい街並み、通り、お店等について、Mariaさんが子どもたちに、父親Kevinの足跡として説明していました。街なかは随分再開発等で景観が変わった所も多かったのですが、オフィスのあった地域、郊外の住宅地は昔のままでした。

 子どもたちは、どう受け止めてくれたのか、これからの人生に何か力となって繋がってくれることを願っています。場所が放つメッセージとか説得力というのは不思議ですね、もう20年程前のことがつい昨日のことのように蘇ります。

 あらてめてKevin、本当にお世話になりました、ありがとう!

Kevin を偲んで(1)

Posted by 秋山孝二
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 昨年10月1日に49歳で亡くなったR. Kevin Stewart(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin)の墓前にお参りをしたく、やっと時間をつくってボストン(http://www.cityofboston.gov/)行きが叶いました、久しぶりのマサチューセッツ(http://www.massvacation.jp/)でしょうか。

 アメリカ独立記念日(7月4日:http://www.eigotown.com/culture/special/july_4th/july_4th.shtml)の少し前の混み合うシーズン、金曜日のコプレイ・プレイス、ニューベリー・ストリート周辺も大変な賑わいでした。この時期、ボストンでは、「ボストン・フェス:http://calendar.boston.com/boston_ma/events/fairs+festivals」と銘打って、多彩なイベントが繰り広げられています。

 そんな中、奥さまのMaria、長女のIsla、長男のAiden、双子の妹のCarlinと一緒に、お墓参りに行きました。

左から二女の、長女の、長男の、奥さまのMariaさん

左から二女Carlin、長女Isla、長男Aiden、奥さまのMaria

 Kevinのお墓は、自宅のあるHopkintonの隣町にあり、うっそうとした樹が茂り、水辺の静かな場所でした。釣りの好きだった彼と相談して、この場所に決めたとか。

住宅の隣町にある古くからある墓地

隣町にある自然豊かな静かな地

墓石

墓石:野球ボール、フクロウの石像、ポーカーチップ

  自宅のあるHopkintonは、「ボストンマラソン(http://www.baa.org/)」のスタート地点、この大会は、アテネ近代オリンピックの翌年、1897年4月19日に記念すべき「第一回大会」が行われ、以来、続いている世界で最も古い市民マラソン大会です。現在は、「パトリオット・ディ:愛国者の日」として、4月第三月曜日がマサチューセッツ州の祝日となっていて、これまでに、君原健二、瀬古利彦ら日本選手も数多く優勝し、幾多の名勝負も繰り広げられています、まさに「伝統のマラソン大会」ですね。

住宅のあるHopkinton、ボストンマラソンのスタート地点

住宅のあるHopkinton、ボストンマラソンのスタート地点

木陰にはスターターの銅像も

木陰にはスターターの彫刻も

  一方、街なかのコプレイ・プレイス、ボストンマラソンのゴール地点です。

Finish地点のライン

Finish地点のライン

コプレイ・スクウェア

コプレイ・スクウェア

さらに近くのフェンウェイ・パークはこちらの本拠地

さらに、近くのフェンウェイ・パーク

 Kevinが愛した場所を、Mariaさん、お子さん3人と巡っていくと、彼との想い出が次から次へと湧いてきて、何とも収拾がつきません。

「ことほぐ」、「不知火の燃ゆ」

Posted by 秋山孝二
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 北海道の演劇は、この数年盛り上がりを見せ、熱くなってきています。 意欲的な「intro:http://intro-sapporo.com/」による「ことほぐ:http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=26522」公演が、琴似のコンカリーニョ(http://www.concarino.or.jp/npo/)で開催されました。

360度に観客

360度に観客、開演30分前にはすでに着席する方々

 この公演への意気込みと題してHPに掲載されています~~~~~~~~~~~~~~

 「ことほぐ」は、北海道舞台塾2012シアターラボにて、渡辺源四郎商店・畑澤聖悟氏をドラマドクターに迎え製作された「言祝ぎ」の姉妹作品となります。「言祝ぎ」は、祝いたいのに祝えないひとたちを描いた3人芝居でしたが、ええいもう祝ってしまえ!と、タイトルは動詞に変更し、人数も増やし、少し違う角度から、違う面から「祝うこと」について向かいます。・・・・・また、「ことほぐ」はこれまで取り組んできたintroの演劇方法にさらに磨きをかけ、言葉の持つちからと我ままな身体についての考察を深め実践し、さらなるintroグルーヴで劇場を巻き込むつもりです。毎公演がintroの集大成、という言葉は裏切りません。進展しつづけるintroにご期待ください。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 芝居は、妊婦が3人。“妊娠”という世間的にはおめでたいはずの出来事と、これからの生活への不安を抱えながら日々を過ごす人々を描くコメディ作品。彼らは、「希望と絶望をない交ぜにした、intro流祝福劇」と宣言しています。、ブログ(http://introsapporo.blog.fc2.com/)も面白い、「CoRich舞台芸術まつり!2012:http://stage.corich.jp/festival2012/grand_prix.php」の審査員の方々の劇評、札幌公演の観客のコメントは、特に。観てから一ヵ月が経つのに、反すうしながら楽しめる、まるで牛のようです。イトウワカナの引き続きの進化に期待しながら、盆踊りで8月の北海道の夏を思い出しました、9月の東京公演も頑張って下さい!

 

 一方、「座・れら」の第6回公演 「不知火の燃ゆ:http://hakouma.eux.jp/2012/06/shiranuino_moyu/が、やまびこ座(http://www.syaa.jp/sisetu/gekijou/shisetu_y.html)で開催。多様に変化する舞台正面の水俣湾が印象的でした。

水俣湾の「不知火」の燃ゆ

舞台に現れた「水俣湾の不知火の燃ゆ」

 こちらは、「水俣病」を取り上げたずっしり重いお芝居。チラシから~~~~1956年5月、水俣病「公式」発見、以来50年以上経た今もなお、被害者は救済されず問題は未解決のまま。日本が追い求めた “豊かさ” とともに生まれた病。そこで起きたことは、ここで起こっていることと、何もかわらない。不知火の火影浮かぶ八代海に生きる家族の、昭和31年、夏の終りの物語

作: 鷲津環 演出: 戸塚直人
出演: 竹江維子、澤口謙、前田透、信山E紘希、玉置陽香(劇団しろちゃん)、小山由美子、フクダトモコ、西野輝明

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 「座・れら」は、一昨年の劇場祭(http://www.s-artstage.com/2010/category/tgr/)で「空の記憶」、昨年の劇場祭で「トランス」と、ともに重たいテーマをしっかり演出・上演していて、毎回私にとっては心に強く残る作品です。竹江維子、澤口謙は、もちろんですが、特に、信山E紘希、玉置陽香、前田透が魅力的です、人を引き付けるって、何なのでしょうね。

 今回のテーマは「水俣病」です、しかし実は「2011・3・11」以降の日本そのものでもあります。政府・企業・政治家は、「日本は、水俣病ほかの公害を乗り越えた」と簡単に口にしますが、実は何も解決していない、今、この芝居が上演される価値、それは日常における時代を経ても変わらぬ不条理であり、いのちの連鎖を断ち切る身近な世間の実像のような気がします。直接的な言葉で語るのではなく、瞬間の動作、少しの沈黙等、心の動揺が、不安、恐怖、逃避等のメッセージとして伝わる面白さでした。

 もう一つ、HPに「以来50年以上経た今もなお、被害者は救済されず問題は未解決のまま。」とありましたが、「良子」の妹の「水俣病患者:千恵子(フクダトモコ)」が、役者の顔を見せずとうとう最後まで「千恵子」だったこと、「未解決のまま」を最後の最後まで強烈に印象づける演出、芝居というのはすごいです、ね。

 今回、偶然にも、二つの芝居は季節が8月、新しく宿った命がキーになる舞台でもあり、今の世相を反映し、意識しての作品と私は理解して、一層味わいの深いものになりました。

「4 + α」、環境活動の新しいカタチ

Posted by 秋山孝二
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 北海道の環境活動分野で、新しい「協働」のカタチ、「環境中間支援会議・北海道:http://enavi-hokkaido.net/about/about02.html」が2008年からの議論を経て2年前に誕生し、この度、新しいパンフレットができました(http://enavi-hokkaido.net/topics/index.php?page=article&storyid=14)。

新しいパンフレットの表紙

新しいパンフレットの表紙

北海道での4中間支援団体

北海道での4中間支援団体

 「環境中間支援会議・北海道」とは、道内で活動している

* 環境省北海道環境パートナーシップオフィス:http://www.epohok.jp/

* 公益財団法人 北海道環境財団:http://www.heco-spc.or.jp/

* 札幌市環境プラザ(指定管理者:財団法人札幌市青少年女性活動協会):http://www.kankyo.sl-plaza.jp/

* 認定NPO法人 北海道市民環境ネットワーク(きたねっと):http://www.kitanet.org/

 の4組織が連携して、北海道内におけるさまざまなセクターの環境活動を支援するために、より効率的に役立つ機能を目指し設立された組織です。

 札幌にはさまざまな機能が集中していますが、環境分野の中間支援組織においても例外ではなく、環境省も北海道も札幌に設置しているため、役割が集中する形になっています。これらの組織が、重複している役割などをなくし、できるだけ効率的にし、互いの強みを活かし、 1+1+1+1が4はもちろんのこと、5にも6にもなるように連携をとって、よりユーザーにとって役立つ支援内容を追求して活動しています。

 

 この中で、私は「きたネット」の理事長として書きました:~~~~~

 これまで、現場では、活動・情報の障害として、「たて割り組織」とよく言われてきました。本来は生態系の壮大な空間で、ダイナミックで多彩な「いのち」のはずなのに、市民活動においても、情報共有の不足を痛感していました。全道各地で活動する私たちの会員に役立つ基本的事業を創り出したい、フィールドで検証された科学であって欲しい、それは現場の切なる願いでもあります。「仲良く」を越えた先にある「コラボレーション」ですね。言い換えると、持続可能な「新しい価値の創造」です。~~~~~~~~

 昨年12月には、北海道大学との連携(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11135)もスタートし、まず手始めに、民間で発行する「北海道環境白書プロジェクト:http://enavi-hokkaido.net/wp/index.html」が動きました。昨年の秋山財団・ネットワーク形成事業の一つとして採択された「Rio+20 北海道ネットワークプロジェクト:http://enavi-hokkaido.net/topics/index.php?page=article&storyid=15」の一連の活動で、今後の成果を期待したいです。

 

 秋山財団のHPより~~~~~~~~~~~~~~~~

 財団設立の志は、「北海道」という地域と、「生命科学:いのち」に対する特段の思い入れと言えます。「固有の土壌や地形、水系や気候、動植物をはじめ、多くの自然の特徴を備えた独自性を持つ生命の場」としてのこの北海道。こうした「生命の場」の中に共に住む共同体の一構成員として、切り離されては生き得ない人材の育成を最高の価値としています。 ~~~~~~~~

リニューアル・オープン、「tone」!

Posted by 秋山孝二
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  北大農学部農場を見ながら、遠く手稲の山並みも背景に臨む、「tone:http://www.cafe-tone.com/」。駐車場の拡張と共に、リニューアル・オープンです!

駐車場も広くなり、外壁もリニューアル

駐車場も広くなり、外壁もリニューアル

 店主の宮沢洋子さんは、ピアニストでもあり、ブログ(http://www.cafe-tone.com/blogs.html)も近々オープンです、乞う、ご期待。多くのミュージシャンもここで10年間、ライブを行ってきました(http://www.cafe-tone.com/link.html)。

 クミコさんのライブは、特に印象に残っていて、以前、この欄に書きました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=648

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3366

 今日は、午後から「リニューアル・オープン」のお披露目、牡蠣、鶏肉、豚肉、ホタテ等もふんだんに焼かれて、たくさんの人々で賑わっていました。
 場所は、札幌市北区北23条西10-1-6、月曜日が定休日です、是非、一度足をお運びください!!

「グローバル化」の中の北海道

Posted by 秋山孝二
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 「北海道グローバル化地域活性化戦略セミナー」が、北海道航空・港湾研究会(http://www.kirari.com/hub/index.html(公財)北海道国際交流・協力総合センター(HIECC:旧北方圏センターhttp://www.hiecc.or.jp/との共催で、開催されました。HIECC は、平成22(2010)年4月、同年3月末で解散した社団法人北太平洋地域研究センター(NORPAC)の事業を承継しました。

 今回のセミナーは、そのNORPACの客員研究員として、25年間にわたってご助言・ご指導を頂いていた市川政司さんを講師にお招きし、「グローバル化の中の北海道の地域発展戦略」と題して、ご経験に基づいた実に内容の濃いお話でした。事務局の藤原達也さん、北海学園大学の松江昭夫さんにはお世話になりました。

講師 市川政司(いちかわまさじ) さん  【主な略歴】 明治学院大学英文学科卒業、英ロイター通信記者(東京支局)、日本経済新聞記者、国連広報官・国連ニューヨーク本部経済社会情報部、札幌アメリカンセンター副館長、在日米国大使館上級顧問等、現在、プロジェクトアナリスト(企画構想事業化・開発推進戦略策定)

 

以下、キーワードを書き留めます。とにかく、お話は全て実際に起こったことばかり、それも冷戦時代の複雑な国際社会の中でです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

* 今回の講演の隠れたテーマは、「北海道の眠っている人を起こしてくれないか!」に応えること

* 「グローバル」という言葉: これは政治的言語、1975年の冷戦構造の中では、国境を意識した「インターナショナル」という言葉が一般的で、「グローバル」は、科学技術分野で使われており、環境問題で使われ始めた時期だった、言い換えると国境を意識しない(越えた)課題に対しての限定的な使用

* 北海道は、「国際化」では経験豊富な地域: 例としては、幕末から明治維新の函館五稜郭の戦い、札幌農学校の実践、冷戦構造において札幌で開催された1972年冬季オリンピック、KAL007の稚内沖での撃墜等

* 微妙な国際情勢にもかかわらず、見事に成し遂げてきている

* 「グローバル」な活動は、個人レベルで可能: 例としては、第二次世界大戦後の極東裁判において、函館にあった英米豪の捕虜400名の捕虜収容所の2代目所長は、食糧難の時でも捕虜の為に調達し、法廷には、当時の捕虜が救済運動の書面を提出し、所長は無罪に。アメリカのトモダチ作戦は、昨年の大震災時ばかりでなく、1959年の伊勢湾台風による大被害においても発動されて、養豚が壊滅的打撃を受けた山梨県に、米国・アイオワ州のブタを巨大輸送機を使って大量に届けた。

* 「インターナショナル化」は国境を意識しているので、あらゆる活動に「政府」が関与してきて、地域間直接交流が難しい

* アメリカ・ニューヨーク市は、国連職員へのサービスとして、170言語(170カ国ではない)に対応できる体制を完備している。できる所から、10年、20年やっていく取り組みが大切

* 2008年のG8北海道・洞爺湖サミットは、世界に「北海道」をアピールした。アメリカ・ロシア・北朝鮮・韓国・中国と隣接する国際社会の中で微妙な位置の北海道が、平和で安定している現場を示した、そのことに自信を持っていいのではないか

* 「グローバル」には、リスクも潜んでいる: 例としては、「サイバー戦」、行ったこともない地域からの攻撃。テレビでの不用意な発言があっという間に拡散して、不買運動等に発展する危険性も

* 外国人の介護分野の日本における資格取得にあたって、日本語の試験に合格しなければ国に帰す日本という国は、本当に先進国たる資格があるのだろうか

* グローバルな時代における「先進国としての責任」を意識すべきではないか

* ワシントンには、ホワイトハウスのすぐ近くに、「21世紀はこうなっています」という大きな展示フロアーがある。北海道の優れた歴史を今に刻み(馬車、DMV、先進医療、寒冷地技術、等)、一望できる場所が、玄関口の新千歳空港に存在するのか

* 「グローバル化」は、世界が家族、地球家族に加わること、今、「知能の総合力」が求められている

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここには書けない国家間の極秘に関するお話も幾つかありました、亡命を求めてやってくる人々への対応等の。市川さんのお話からは、「きまり」とか「規則」を越えた先にある、ギリギリの局面で人間と人間との関係に寄り添う眼差しを感じました。最後の「知能の総合力」というのは、まさに「構想力」なのだと思いましたね。複雑な国際社会の歴史の中で、日本人として優れた判断で生きてこられた人間の尊厳を受けとめました、素晴らしいお話でした。

2012.6月の札幌

Posted by 秋山孝二
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 6月の札幌、YOSAKOIソーラン祭(http://www.yosakoi-soran.jp/)、北海道神宮例大祭(http://www.hokkaidojingu.or.jp/festival/index.html)、市内の多くの場が賑わっています。

 そんな中、もう何回もこの欄で紹介している円山公園北西角の「母子像・ふるさと:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%AF%8D%E5%AD%90%E5%83%8F%E3%83%BB%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8」像周辺は、今年初めて札幌の6月を迎えています。

北海道神宮・例大祭の頃、円山公園「母子像ふるさと」周辺

初めて6月を迎える円山公園北西角、「母子像ふるさと」周辺

  先日、横を通っている時に撮ったのが上の写真です。それ程意識した訳ではないのですが、我ながらすごく気に入っているのです、あの場の雰囲気がコンパクトに表現されていると。手前浴衣姿の子ども達は、札幌まつりの帰り路、袋の中には出店で買った物なのでしょうね、その左は犬の散歩の女性、ベンチに腰掛けて一休み、その向こうでは母子像前の幼児2人とお母さん、風船を自転車に括りつけて何やらお話を、そして子をしっかり抱く「母子像・ふるさと」像、一番奥では小山を走るやや太めの男の子、です。

 6月、札幌の夕方の光景、目にした自分も心地よかったです。

 

 「心地よい」と言えば先日の十勝の「アースカフェ」、一日本格的な雨なのに何なのでしょうか、あの日の気持よさは。多分、十勝の大地とそれに集う人々の素晴らしさなのでしょう。敢えて「仲間」と言わせて下さい、恐らく私の片想いだとは思いますが、「アースカフェ」に参加するメンバーの多彩で愉快な連中、2月の別海(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11933)も同じ雰囲気でした。とにかく、それぞれの話が面白く、自分のフィールドをしっかり持っていて、それでいて押しつけがましい所が全くなく、みんなが人の話をよく聴いている、日々命に近い場で活動しているからか、ふり返って写真を見ると歴然なのです、笑顔の多さが。私は殆ど聞いてるだけなのですが、疲労感がないのが不思議です。

第9回 アースカフェ in 十勝

Posted by 秋山孝二
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 これまで、私も何回か参加している「アースカフェ:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7」、昨日は雨の中、十勝で開催されました(http://www.leaps.jp/?p=3340)。今回の企画は、児玉ヘルス商事(株)(http://www.boneace.com/)の児玉誠也社長のご尽力で実現しました、詳細はこちらにも(http://www.boneace.com/blog/?p=1818)。

 午前中・昼食は、「外山農場:http://www.toyama-nojo.net/」でした。540m四方の一区画を基本として、「循環型農業」の確立、輪作体系の一環として菜種栽培を開始、菜種油、菜種ハチミツ生産・販売に取り組まれています。

外山(左)、外山(右)

外山隆祥さん(左)、外山聖子さん(右)

  農場見学はもちろん素晴らしかったのですが、それ以上に、担い手・外山さんご家族の「哲学」、「信念」に感動しました。「フェイム新聞:http://www.toyama-nojo.net/about_us/fame-news-paper/index.htm」も歴史を刻んで、HPには、次のように紹介されています。

 ~~この新聞は家族や農場の様子を伝える「家族新聞」で、第1号は1992年に発行されました。タイトルの「フェイム新聞」は公募により東京都の小山七重さんの「おいしい農産物とのかかわりの中で、名声を博して欲しい」という願いを込めてつけられたものです。農業者の思いをそのまま伝えたい、そんな思いから手作りの新聞になっています。
 内容は、家族の紹介、産直農産物を使ったレシピ、農場の出来事、農業に対する思い。などによって構成されています。今年から年1回だった発行が2回に増え、農場の四季をよりタイムリーにお届けしています。「フェイム新聞」は外山農場の産地直送商品に同封している他、農場にて無料で配布しています。~~~~~

一面の菜種畑

一面の菜種畑で養蜂

 菜種畑で養蜂、倉庫内では遠心分離でハチミツを取り出すデモンストレーションも。今まで、私の妻の実家・千葉県館山市周辺で冬に見ていた菜の花とは少々趣を異にしていました。後でお聞きすると、種類がかなり違ったものだとのお話に、植物の奥深さを感じました。

 このハチミツを直接パンにつけて試食、これ以上ない贅沢な食べ方に、参加者一同、「感動」でした。

遠心分離で蜂蜜を採る

遠心分離で蜂蜜を採る

菜種から搾油(手前に)、残りカス(右)

菜種から搾油(手前に)、残りカス(右)

 

 午後は、「(株)エコERC(http://www.ecoerc.com/gaiyou/index.html)」の豊頃のプラント見学です。

 北海道産菜種を原料とする食用ナタネ油を製造するとともに、廃天ぷら油を用いて、バイオディーゼル燃料(BDF)も製造しています。食用油とBDFの両方を製造しているのは全国でもここだけ、2009年秋から本格稼働。日本は、現在0.4%の食用油の自給率、原材料の生産、油の製造、販売、循環型のビジネスモデルに期待が集まります。

(株)エコERCの為廣社長のご案内

(株)エコERCの爲廣正彦社長のご説明

BDF製造パイブラインの説明

BDF製造パイブラインで熱心なご説明

 2011年の3・11以降、脱原子力依存の日本のエネルギー転換に、大きなヒントを与えてくれます。国のエネルギー政策はさて置き、以前からこのような新しい地域自給エネルギー創造に取り組まれている爲廣正彦社長はじめ十勝の皆さまに、敬意を表します。

 HPには、会社の理念が書かれています~~~ 

 ~地球環境と地域のために~ 今、地球環境問題が大きく取り上げられています。地域社会としてもこの問題に前向きに取り組んでいく必要がありますが、それは同時に、地域の新たな活力や個性を発揮できる環境にやさしい地域づくりもつなげていかなければなりません。当社としては、この「地球環境と地域のため」の取り組みへの一歩を踏み出し、それを可能とする「循環型ビジネス(企業)」の確立に挑戦していきたいと思います。この思いを社名に込めました。~~~~

 昨晩の少人数の懇親会でも感じたのですが、十勝に来ていつも思うのは、「食」に関して、皆さんが実に深く関与していて前向きな話題が多いことです。日頃農業に従事されているので、当たり前と言えばその通りですが、「食」への積極的関心と話題が私にとっては大変新鮮です。

小樽港から日本海へ(5:最終)

Posted by 秋山孝二
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 今回のような本格的な船の旅は、私にとっては太平洋を横断して以来40数年ぶりです。以前、その時の様子を掲載しました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2626

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4431

 

 1971年の私の太平洋横断は、1848年に設立された「アメリカン・プレジデント・ライン(APL:http://www.apl.com/japan/documents/history.pdf)」の船舶「プレジデント・クリーブランド:http://www.apl.com/history/timeline/1947.htm」で、アメリカで1948年に建造された16,000tの貨客船。

 今回の日本海沿海ツアー、運行会社「ロイヤル・カリビアン・インターナショナル(RCI:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/info/contents.do?contentsId=8)は、1969年に設立された世界最大規模の客船会社です。本社は米国マイアミにあり、2011年11月現在22隻の客船を保有しているそうです。船舶は「レジェンド・オブ・ザ・シーズ:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/ship/ship_detail.do?classCode=VI&shipCode=LG」、1995年就航の70,000tの客船。

 時代も違い、自分も年齢を重ねたので、40年以上も前とは比較すること自体に無理がありますが、太平洋をハワイ・オアフ島を経由したとはいえ、2週間(実際は台風を避けた航路を取ったので1日遅れて15日間)の太平洋横断と、今回の日本海沿岸国寄港と、その趣きの違いが面白かったですね。

吹き抜けの「セントラム」では多彩なバンド演奏

吹き抜けの「セントラム」では多彩なバンド演奏

勢揃いのレストランスタッフ

勢揃いのレストラン・スタッフ

 1971年の初めての船旅は、「旅」を楽しむといった余裕は乗船時からありませんでした。横浜大桟橋に行くのも、出港して直後に港の灯台が離れていく時も、サンフランシスコ湾のゴールデンゲートブリッジの下をくぐった時も、不安でいっぱいだった自分を思い出します、。終ってみれば、たくさんの人との出会いと多くの体験で、一生忘れられない貴重な15日間ではありました。「My Favarite Drink:‘Jack Daniel’s’(http://www.jackdaniels.com/」も、ここで覚えたものです、19歳で毎晩、バーラウンジで飲んでいたのですから、今じゃ許されないでしょうかね、古き良き時代と言えましょうか。 

 今回は、乗客も乗組員も、中国、韓国、フィリピン、オーストラリア、アメリカ、ノルウェー等、アジア系、欧米系、多様な人々で賑やかでした。とりわけ中国系の方々は声が大きく、集団で動いているからでしょうか、どこに行っても目立つ存在でした。もう少し、周辺の環境に配慮する気持の余裕があるといいなと感じる場面も多かったです。

 「船旅は高い」と思っていらっしゃる方も多いようです、「世界一周・数カ月」みたいな旅は高額でしょうが、短い船の旅は食事代込みで、客船であっても飛行機のエコノミークラスの旅行と同じくらいに手軽です。夕方のドレスコードは、「ブラックタイ・オプショナル(フォーマル)」、「スマート・カジュアル」、「カジュアル」と、日によって明確で、アメリカの船はおおむねリラックスな雰囲気で堅苦しくもなく、クオリティの高いエンターテイメント・プログラムが充実しています。ただ一つだけ難点は、プリペイドのインターネット無線回線料が甚だしく(!)高く、使える場所は「インターネット・ラウンジ」だけで、今回USDで$300(!) かかりました。

 船のスタッフのエンターテイメント性は素晴らしいです。レストラン、バーラウンジ、客室等、笑顔も会話も、実に楽しく、船内では自分自身も随分笑顔が増えました、そう、最高の心地良さは「笑顔」です、ね!

客室ベッドには、日替わりでタオルで作った動物が

客室ベッドには、日替わりでタオルで作った動物が

 中国・北京のインターネット事情は相変わらずでした(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5798)。今回もこのすぐ前の(4)を、実は北京のホテルからアップしようと試みましたが、このプログソフトの「編集」サイトへのアクセスが遮断されていて、いろいろな手立てで試みても出来ませんでした。かなりの「管理・監視下」にあるとしか考えられません、まあ、これ以上言及するのはやめておきましょう。

 ある方が、紺碧の穏やかな海を眺めながら、「平和な時代の海って、いいものね」とつぶやいていました、まさに同感ですね。360度海の圧倒的広さ、深さ、長い歴史を懐に収める寛容さ、毎日、海と向き合って、そんな「懐の深さ」に感動していました。陸にあがってしばらく経ちますが、まだまだ多少の船酔い状態、特に下を向いた時は地面が揺れています。

 今回のクルーズ、「どこに行ってきたの?」と聞かれれば、「日本海!」と言うでしょう、企画・実施は、(株)JTB北海道(http://www.jtb.co.jp/hokkaido/)でした、大木さん、加藤さん、坂東さん、お世話になりました。

 また、機会があれば「クルージング」したいですね、一連の報告、これで「終り」とします!

小樽港から日本海へ(4)

Posted by 秋山孝二
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 最終目的地、天津に到着、港から天津市内まで約50キロ、そこからは陸路で約2時間半、北京です。

 天津港の手前、1時間半くらいの海上ですが、ざっと目に入る船でも100隻以上は浮かんでいたでしょうか。ウラジオストク、釜山とは全く違う船舶の数です。

早朝の入港前、港付近で待機(?)の船舶群

早朝の入港前、港付近で待機(?)の船舶群

  一方、新築ターミナルビルは広大な建物、港の埋め立て地も果てしなく広がっていて、大陸中国の海の玄関口としての存在感を象徴するようです。天津市内まで50キロの道のりで、途中はコンテナ置き場等、スケールがケタ違いです。

天津港の広大な新ターミナルビル、記念式典の案内フラッグほか

天津港の広大な新ターミナルビル、記念式典の案内フラッグほか

 北京市内に入ると今度は極端な交通渋滞、人も自転車も車も、何と言ったら宜しいのか、「ルールもへったくれも無い!」、先へ先への「命がけのつばぜり合い」です。20年程前に、自転車が行きかっていた道路が、2年前よりさらに車が増えたような気がします。

2年前の中国訪問の感想を、以前、この欄に書き留めました:

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5827

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5904

 市内の后海(ホー・ハイ:http://www.w1.sunchildren.net/nihao/houhai/index.html)では、年配の方が、地面に達筆の書。地元の方々、中国人観光客で賑わっていましたし、池のほとりでのお茶も最高でした。夜はまた雰囲気が一変して、違った魅力があるようです。

北京市内、ホ―ファンで

北京市内、ホ―・ハイで

 今回、静かでゆったりの時間を過ごしてきた私にとっては、まるで180度の世界、中国の多彩な「今」を見せつけられた一日でした。翌日早朝は、北京空港から札幌・新千歳空港に向けて約3時間半、「日本海をひとっ飛び」です。

小樽港から日本海へ(3)

Posted by 秋山孝二
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 ウラジオストクを出てからほぼ24時間、途中はまた濃霧で、霧笛の航行が続きましたが、午後からは晴れて、小樽出港以来、濃紺の海を初めて見ました。

霧に包まれての航行が続く

霧に包まれての航行が続く

北朝鮮沖の海を北上する漁船、どこの国籍でしょうか?

北朝鮮沖の海を北上する漁船、どこの国籍?

 

  韓国・釜山港(http://www.youtube.com/watch?v=XzELRZn7XWk)です、早朝、水先案内人が乗り込み港に入りました。

釜山港に入港、1時間前

釜山港に入港、1時間前

  港で下船後、慶州へ。23基の新羅時代の古墳がある「大稜苑:http://www.pusannavi.com/miru/1069/」に到着、「天馬塚」内部の展示を見学。饅頭型の古墳の由来を知りました。そして次には、751年に建立された「仏国寺:http://www.tabijin.com/butkokuji.html」を訪れました、仏教文化の奥行きを垣間見た気がします。

慶州・佛国寺門

慶州・仏国寺門

佛國寺・大雄寺

仏国寺・大雄殿

  詳細の説明はほかのサイトのお任せするとして、全体の敷地の構造、それぞれの建物がかもし出す背景等、奥深い仏教世界を彷彿させる空間となっています。幾多の火災による消失、時代による破壊を経ながらも、繰り返し再現されて、今、目の前に存在する、その説得力が素晴らしいですね。

 夕方には、天津に向けて、船は港を後にしました。「釜山港に帰れ」、チョウ・ヨンピルはもちろんですが、チェウニの歌(http://www.youtube.com/watch?v=wtBlCg_KDTc&feature=related)もまた「いいね!」、です。

小樽港から日本海へ(2)

Posted by 秋山孝二
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 ロシア共和国最大の港、ウラジオストク(Vladivostok)は、1860年に開拓が始まり、貿易、太平洋艦隊の拠点として発展してきて、街の名前はロシア語の「Vladi(東に)+Vostok(攻めよ)」で、まさにロシアのこの都市の位置づけを表して、存在感を増しています(http://4travel.jp/overseas/area/europe/russia/vladivostok/)。どこか、広島県呉市の雰囲気ですね。

霧のウラジオストクに早朝に入港:海軍艦船と建築中のつり橋

霧のウラジオストクに早朝に入港:海軍艦船と建築中のつり橋

 事前のレクチャーでも伝わっていましたが、とにかくロシア入国管理官の無愛想・無表情は際立っています。私が1991年に初めてハバロフスク経由でイルクーツク、ノボシビルスクを訪問した時、3年後にモスクワ経由でサンクトペテルブルグ、ノボシビルスクへ行った時、いずれも全く同じような印象でした。あれから20数年、商品、広告等、大きく変化し豊かにはなっていますが、入国管理・警察官は相変わらずです。

港近くの広場で

港近くの英雄広場で

  旧共産圏の街なかにある像は、どうしてこうも皆同じなのでしょうか。武骨で角の多い彫像、人は斜め上方に視線を向けて、「芸術性」からは遥かに遠い気がします。これが、歴史的な「勝利者」のイメージなのでしょうかね。

潜水艦博物館から乗ってきた船を臨む

潜水艦博物館から乗ってきた船を臨む

 第二次世界大戦で勇敢に戦ったという「潜水艦記念館」から、乗ってきた「レジェンド・オブ・ザ・シーズ」を臨むと、巨大ビルディングです。

 その後、海抜193mの「鷹ノ巣展望台」からウラジオストクの湾を一望にと、意気込んで階段を上がっていきましたが、目の前に広がるのはウラジオストク特有の「濃い霧」、5月は晴天が多いようですが、6月はこの「霧」が名物だとか、最高の「視界なき展望」でした。

 夕方午後6時過ぎに出港し、夜、インターネットラウンジでニュースを検索すると、「野田総理の原発再稼働の記者会見:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012060902000148.html」、「サッカーW杯予選・ヨルダン戦で6対0で勝利http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sports/378787.html」等、こんな時に、のんびりのブログ掲載お許しを。

 この日は、お日柄が良かったのか、幾つかの場所で新郎・新婦の姿を見ました。写真撮影、式、披露宴、これはどの国でも同じ光景です。小樽を発って船でほぼ24時間、大陸・ロシアがこんなにも近いことに何か新鮮な驚きを感じます。モスクワ、サンクトペテルブルクもロシア、ウラジオストクもロシアです。

 港を出ると、またまた濃い霧の中を釜山に向けて、北朝鮮の沖を南下航行です。

小樽港から日本海へ(1)

Posted by 秋山孝二
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 昨年の今頃予定していた、ロイヤル・カリビアン・インターナショナル(http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/index.doの客船「レジェンド・オブ・ザ・シー(Legend of the Seas):http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/ship/ship_detail.do?classCode=VI&shipCode=LG」のツアーが、1年遅れでやっと実現しました。昨年は、東電福島原発事故の放射能汚染情報により、船自体の日本への寄港がキャンセルになりましたので。

総トン数7万t、全長264m、乗客定員1800人

総トン数7万t、全長264m、乗客定員1800人

  夜7時過ぎから始まった「日本出国手続」には、日帰りツアーから戻った乗船客を含めて大勢の方々が長蛇の列、船内ロビーを通り抜けて50m以上はあったでしょうか、とても「豪華客船」の雰囲気ではありませんでしたね。2時間の予定が大幅に遅れて、全て終了して係官が船を下りたのが午後11時をまわっていました。

船内では「日本出国手続き」で長蛇の列

船内では「日本出国手続き」で長蛇の列

  埠頭でお見送りする地元の方々も遅くまで待ち続けていたようで気の毒でした。ノボリ、ハタを振っての「お気持」、お疲れさま!

予定を大幅に遅れて、小樽から出港

予定を大幅に遅れて、小樽から出港

  翌朝は日本海、「天気晴朗」とはいかず、「曇天」です、海上は「波高し」ではなく、「穏やか」です。次第に霧が濃くなってきて、霧笛を鳴らしながらの航行です。「霧の日本海!」、歌の題名にありましたっけ、「日本海は霧の中」でもいいですね。

翌朝の日本海、この後、霧笛を鳴らしながら航行

翌朝の日本海、この後、霧笛を鳴らしながら航行

徳本英雄さん、安らかに

Posted by 秋山孝二
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 民間シンクタンクの草分け、「一般社団法人 北海道総合研究調査会(HIT:http://www.hit-north.or.jp/)」理事長の徳本英雄さんが先月末にお亡くなりになりました、享年64歳。高校の3年先輩で、私が東京から札幌に転職してきた時、政策提言を目的とする異業種交流の「SAS:システムズ・アナリスト・ソサエティ」にお誘いがあり、当時29歳だった私にとって、新鮮な自己研さんの場として、以来お世話になっていました。昨日、札幌市内・京王プラザホテル札幌(http://www.keioplaza-sapporo.co.jp/)で「送る会」が催され、大勢の弔問客が全国から参列されました。

お別れの会・祭壇:京王プラザ札幌

お別れの会・祭壇:京王プラザ札幌

 「徳さん」の愛称で親しまれ、幅広い人脈は、送る言葉の中からもにじみ出ていました。それぞれが噛みしめるように徳さんとの関係性をご自分のお言葉で語りかけ、その一つ一つを聴きながら、私も徳本英雄さんとの思い出に浸ったひと時でした。素晴らしい「送る言葉」に感動するとともに、あらためて「徳さん」の稀有な人格を再確認致しました。

<送る言葉>

* 荒井聰(衆議院議員:http://www.arai21.net/index.htm

* 松田昌士(元JR東日本社長:http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%A3%AB

* 竹島一彦(公正取引委員会 委員長:http://gendai.ismedia.jp/articles/print/8053

* 荒川裕生(北海道 総合政策部長:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/index.htm

 

 皆さんが一様におっしゃっていたことは、果敢に人脈を拡げていく、とにかく不思議な人柄であること、お酒が好きなこと、入退院を繰り返しながらも不死身の体で仕事を続けたこと等です、私も全く同感でした。20数年前に、最初に心臓の手術をして以来、繰り返し「オレの遺言が聞けないのか!」と決めるセリフに、私たちは「また、騙された!まだ生きてる!」と冗談を言っていたものでした。

 「システムズ・アナリスト・ソサエティ(略称SAS)」は、1979年から活動を続け、時代の最先端をいくプロジェクトを通じて築かれた人脈から、1982年、土光敏夫臨調会長の応援団としてつくられた「行革推進全国フォーラム:http://www.mmjp.or.jp/gyoukaku/news/newsindex.html(行革フォーラム)」に繋がっていきました。

 「土光臨調」とは、1981年、鈴木善幸首相の肝いりでつくられた「第二次臨時行政調査会」のことで、トップに戴いた経団連会長の土光敏夫が大きなリーダーシップを果たしたことから、「土光臨調」と呼ばれました。高度成長が行き詰まり、100兆円を超える国債残高など財政赤字が浮き彫りになるなかで、「増税なき財政再建」をスローガンに、16兆円超の赤字を抱える国鉄をはじめ、専売・電電の三公社の整理・民営化などを提案、後の中曽根康弘政権で実現されました。

 この行革フォーラムは、代表世話人に本田宗一郎(ホンダ創立者)、井深大(ソニー創立者)、世話人に磯村英一(元東洋大学学長)、秋山ちえ子(評論家)、黒川光博(虎屋社長・元日本青年会議所会頭)ら錚々たる人物で構成されて、土光さんの秘書の並河信乃さんも常任幹事として事務局を担っていました。現代のこの種の機関と比べて、担う人物の大きさが際立ちます。

 いつだったかは忘れましたが、このフォーラムが札幌の円山公園近く、当時の郵便貯金会館(現在の「円山クラス」)で開かれたことがあり、私も参加しました。休憩時間に、トイレで土光敏夫さんの隣になり、「土光さんと一緒に小便をした男」として、忘れられない想い出となっています。

 HIT専務理事の五十嵐千嘉子さんが今回の会の実行委員長でした。彼女にも、秋山愛生舘の未来戦略策定ではお世話になりました。また、丁度ホテルの玄関ホールで、当時、SASの若手メンバーだった池田純久さんとも久しぶりにお会いしました、今年創業30周年の節目の年に、京王プラザホテル札幌の総支配人として、重責を担っています。

 「徳さん」の葬儀の日、私にとっても20代終りから30数年の想い出のいっぱい詰まった昼下がりとなりました、たくさんの人々との出会いの場に感謝します。五十嵐さんが最後におっしゃっていたように、「生き急いだ」のではなく、「生き抜いた」彼の堂々たる人生でした。

 どうか、安らかにお眠り下さい。

「ライフライン」、’95 トップテン入賞

Posted by 秋山孝二
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 先日、一般財団法人 セブン・イレブン記念財団(http://www.7midori.org/index.html) を訪問した時、応接室のショーケースに表彰盾を見つけました。

 1995年、阪神・淡路大震災(http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html)、直後から「ライフライン」としての食糧供給で大きな貢献をしたセブン・イレブン・ジャパン(http://www.sej.co.jp/)が、その年の「日本新語・流行語大賞:http://singo.jiyu.co.jp/nendo/1995.html」の「トップテン入賞」を果たしました。

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1995 トップテン入賞
「ライフライン」
受賞者:栗田裕夫(セブン-イレブン社長)
阪神・淡路大震災によって、電気、ガス、水道、電話、食糧流通など、生命を支えるシステム「ライフライン(生命線)」がすべてマヒした。復興の過程で、災害時にこの「ライフライン」をどう維持するのかが大問題となった。受賞者のセブン-イレブンは、震災直後、ヘリコプターで弁当を空輸するという離れ技を演じ、被災者に安堵と希望をもたらして、ライフライン維持を果たした功績が評価された。
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新語・流行語大賞「ライフライン」

'95 新語・流行語大賞「ライフライン」

 この時の経験から大いに学び、昨年、3・11東日本大震災でも、直後から困難な情況にもかかわらず、被災地において食糧供給で多大な貢献をしました。セブンイレブンは、2012年2月期におけるチェーン全店の売上高は3兆2490億円(前年比10.2%増)、営業利益は1800億円(同6.4%増)と、いずれも過去最高を更新し、災害時に強い業態として、ふたたび「コンビニ時代の到来」を予感させます(http://diamond.jp/articles/-/16009)。

 聞くところによると、3・11以降、コンビニに足を運ぶ層が変わってきているとか。女性、高齢者層開拓で業績は絶好調、今期、来期とも1,000店以上の大量出店で第二の成長期へと勢いづいています。ひと時の需要というよりも、「大震災」から数々のノウハウを学びとり、次の企業活動に活かしていこうとする風土・仕組み等、民間企業としての飽くなき向上心を見ることが出来ます。

 それに比べて、全国の電力各社の知恵の無さと経営者の無能ぶりは、民間企業の風上にもおけませんね。「顧客不在」で、ただただ延命のためだけに「安定供給」という言葉を弄(もてあそ)ぶ、過去の教訓から「何も」学んではいません。それどころか、開き直りと思えるような「電力不足」を喧伝するばかり、企業の体をなしていません。「安定・安全供給」を使命とする企業は、何も電力ばかりではありません、食品、医薬品ほか、多くの分野でその使命を担っていますし、震災を経て、以降の機能強化に努めています。電力会社はただただ顧客を恫喝するだけ、大飯原発の再稼働が今の状況であるのなら、新たな原発安全神話の始まりとなるだけで、犯罪行為です。

 「原子力公害」と、以前、テレビ出演している方がおっしゃっていました。「幾多の公害を乗り越えてきた国ニッポン」と政治家は言っていますが、原爆症でも、水俣病でも、未だに国は「認定」を矮小化し、賠償問題すら解決できていない事実、これから目を逸らすことは許されません。

吹奏楽演奏会 「万華’響’」

Posted by 秋山孝二
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 北海道札幌南高等学校(http://www.sapporominami.hokkaido-c.ed.jp/)の吹奏楽部、この数年、私も定期演奏会に足を運んでいます(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8800http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3001)。

 今年は第30回の節目の年、特に、第2部は演出も一段とレベルアップして素晴らしいパフォーマンスでした。

吹奏楽部・定期演奏会 キタラで

吹奏楽部・定期演奏会 キタラで

プログラムも多様に

プログラムも多様に

* ボレロ(http://www.youtube.com/watch?v=VpeB749SG9w&feature=related

* リベルタンゴ(http://www.worldfolksong.com/latin/tango/liber.htm

* ラプソディー・イン・ブルー(http://www.youtube.com/watch?v=9rQDNJyC3rE

難しい曲を楽しさいっぱいのアレンジでした!

 

 活動はコンサートホールにとどまらず、大通公園6丁目の野外ステージ、学校内等、多彩な場での大活躍です。

* 昨年のライラックまつりでhttp://www.youtube.com/watch?v=ILnAzZsy31Y

* 昨年のパーカッション三重奏http://www.youtube.com/watch?v=4NIaY1vf8uo

* 一昨年の学校祭でhttp://www.youtube.com/watch?v=m_tgjr9cpXw&feature=relmfu

 女生徒が多かったですね、昔では考えられない多彩なパフォーマンス、時代の違いかなとも、思わず体が揺れていました!昨年は念願の全道大会出場を果たし、今年はさらに上を狙って頑張ってもらいたいです。それにしても、あの素晴らしいキタラ(http://www.kitara-sapporo.or.jp/)大ホールで思いっきり演奏・演技(?)している今の高校生たち、自分の高校時代と比較すると、まぶしく、本当にうらやましい。