外岡秀俊さんの志

Posted by 秋山孝二
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 メディア・アンビシャス(http://media-am.org/)5月例会で、外岡秀俊(http://1994-4991.at.webry.info/)さんのお話と意見交換を行いました。永年、朝日新聞社(http://www.asahi.com/shimbun/)の中で豊富な経験を積み、昨年4月以降は、一人のジャーナリストとして、ふるさと札幌に拠点を構えての活動に、一層の飛躍を期待したいですね。最初にお願いの電話をした時に、「北海道新聞から朝日新聞に移った青木美希さんから、この会のことは聞いていました」とおっしゃっていて、企業を越えた「北海道つながり」に感謝でした。

 朝日を退職してゆっくり札幌で活動と思っていた矢先の3・11、以前の阪神淡路大震災、中国の四川大震災等の取材経験を踏まえて、今年になって出版した2冊の本(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12747)も大変読み応えのある内容でした。

 経歴: 1953年札幌市に生まれる。1977年東京大学法学部卒業。同年朝日新聞社入社。社会部、外報部、ヨーロッパ総局長、東京本社編集局長、編集委員などを歴任。著書『北帰行』(河出書房新社、1976)、『アメリカの肖像』(朝日新聞社、1994)、『国連新時代』(ちくま新書、1994)、『地震と社会』上下(みすず書房、1998)、『日米同盟半世紀――安保と密約』(共著、朝日新聞社、2001)、『傍観者からの手紙 FROM LONDON 2003-2005』(みすず書房、2005)、『情報のさばき方――新聞記者の実戦ヒント』(朝日新書、2006)、『アジアへ――傍観者からの手紙2』(みすず書房、2010)。

 

 お話の中から幾つか~~~~~~~~~~~~~~~~

<3・11を経て、メディアの課題>

* 20㎞圏内にメディアのいない状態: 残っている住民が居るにもかかわらず・・・・、取材は外国メディアばかり――>非常時に、業界・組合等での「約束ごとに従う」は、本来のジャーナリズムとしてあるべき姿なのだろうか、紛争地にメディアは飛び込んでいくもの

* SPEEDI(文部科学省管轄:http://www.bousai.ne.jp/vis/torikumi/030101.html)発表の大幅遅れ: アメリカ軍には連絡していた現実

* 低線量、内部被曝への言及がほとんどなし: これまでの「専門家」は、「この時、この場」で何をしていたのか

* 「9・11」と「3・11」: どの国でも、ある種の興奮状態: 批判等には「非国民」のレッテル、それ故の躊躇

* アクセス・ジャーナリズム(ファクラー氏の発言より)――役所・企業等の取材源に批判的記事を書けない

 

<支援の在り方> 

* 四川地震の「対口(たいこう)支援:http://www.drs.dpri.kyoto-u.ac.jp/projects/saigaitaioken/shiryo/0910_03_06S.pdf」を参考にしては:  (例) 関西広域連合、国境を越えた知恵の連鎖

 

<今後の問題点>

* 沖縄、水俣、原爆症: 沖縄の基地と原発は同じ「構図」――>全国紙の4支局体制の下、地方の出来事はどうしても「ローカル扱い」となる、東京での扱いが全て小さい

* 事故原因の解明と責任追及

* 健康被害の長期化

* 災害時のメディア連携――> 会社単位での限界

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ふだん、メディアを語る場合、掲載された記事・放映された番組の批評等が話題になりますが、今回ではそれ以前の、そこに人々が生きている、倒れているにもかかわらず、その事実を伝える使命よりも、「きまり」、「常識」を打ち破ることなく退避した日本のマスメディアへの外岡さんの言及が印象的でした。「メディア空白の世界」の恐ろしさ、今一度、原点を思い出しました、以前、この会で、独裁政治・恐怖政治は、まずメディアの奪取から始まるとも、どなたかの発言がありました。

 外岡さんが、なぜ大震災等を追いかけ続けるのかを聞いたところ、ワシントン勤務時代の戦争報道を、途中で帰国したことがトラウマのようになっていて、その後の阪神淡路大震災では、1年以上現地に入り取材をし続けたとか。被害の実態、被害者のその後等、多角的な寄り添う視座で、持ち前の優れた表現力を駆使して、ジャーナリストの存在感を示していますね。

 「朝日という大企業を辞めて、今回、一人の人間として現地を取材して、その違いは感じませんでしたか?」と、やや意地悪な質問もしました。彼は、「現地で、自分の書いた『アエラ』の記事を持参しながら、個人の名刺を渡して取材をしましたが、被害にあった方々は、誰ひとり差し出した名刺を見ることなく語り始めたのです。そんな体験の中で、取材という活動には、企業とか個人とかはほとんど関係ない、そう思いました」と。勿論、その取材を支えるロジスティクスでは大きな差があるのでしょうが、「取材」そのものについては、まさにジャーナリストとしての「誠実さ」、「寄り添う眼差し」が、メッセージを引き出す力となるのでしょう。

 今回、私なりの大きな目的は、地元北海道新聞(http://www.hokkaido-np.co.jp/)の方々と元朝日新聞の外岡秀俊さんとが、近距離で意見交換する場を実現したい、そんな目論みもあり、これは大成功だったように思います。沖縄問題における琉球新報(http://ryukyushimpo.jp/)、沖縄タイムス(http://www.okinawatimes.co.jp/top/)の存在、3・11とりわけ原発報道でひと際輝く首都圏の東京新聞(http://www.tokyo-np.co.jp/)等、地域に根差して地道な取材を積み重ねて検証していく、それを応援する人々が語り合う、そんな場にしたいという思い、それがメディア・アンビシャスの「大志」です。

 余計なことですが、外岡秀俊さんは私の小・中・高校の3年後輩、小学校の時に学級委員の会議で、何故か3年生で初めて出席した彼の姿を今も覚えているのです、不思議ですね。1976年の著書「北帰行」もすぐに買いましたが途中で挫折、私の片思いではあります、彼には札幌を拠点に世界を舞台に活躍して頂きたいですね、今後のご活躍を祈念しています!

沖縄復帰40周年

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 沖縄復帰40周年の今年、15日に、「沖縄復帰40周年記念式典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120515-00000096-mai-soci」が開催されました。上原康助さんの絞り出すメッセージは、通り一遍の「記念式典」では、ひと際届くものだったようです。

 

 毎日新聞の記事によると、~~~~~引用 はじまり

 宜野湾市で開催された政府と沖縄県共催の記念式典で、元沖縄開発庁長官の上原康助さん(79)は、日米のはざまで翻弄(ほんろう)され続けてきた沖縄の苦難の歴史をとうとうと語った。

 「沖縄戦で、沖縄は本土防衛の捨て石扱いで苦難と犠牲を強いられた。日本は敗戦から立ち直ったが、沖縄は日本から分断され、27年の長期にわたって米軍の占領下で呻吟(しんぎん)させられた」。米軍基地を残したままで実現した40年前の本土復帰は「県民の思いとかけ離れたものでしかなかった」と指摘し、「戦前、戦中、戦後の苦難の歴史を決して忘れてはいけない。その根源は残念ながら今も続いている」と厳しい表情で続けた。

 70年の戦後沖縄初の国政選挙で旧社会党から衆院議員に初当選し、10期務めた反基地運動の闘士。97年2月の衆院予算委員会では「もし沖縄が独立する場合、どういう法的措置が必要か」と、基地縮小に本腰が入らない政府の姿勢に、沖縄独立論をぶつけた。

 この日、式典の同じ壇上に野田佳彦首相、ルース駐日米大使が並んだ。2人の前で「民主主義社会は世論を尊重することが基本。なぜ、両政府は沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのか」と、国会質問さながらの熱を帯びた言葉で迫った。あいさつは約8分40秒に及び、会場から盛んな拍手が送られた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 

 私にとっての「沖縄」は、その言葉は随分長いのですが、本当の意味の理解とか歴史認識は恥ずかしい程浅く、これまで私なりに沖縄に関する記載は3年半で以下の程度です。

* 沖縄密約判決: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3888

* 沖縄密約: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4045

* 検証報道: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4386

* 沖縄「慰霊の日」: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4402

   http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4575

   http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9113

* メディア大賞: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7303

* 海戦からみた「戦争」: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9991

* 「基地」: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12906

* 浦崎信子さん: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1152

 

 上原康助さんのおっしゃる通り、、「戦前、戦中、戦後の苦難の歴史を決して忘れてはいけない。その根源は残念ながら今も続いている」のでしょうね。「忘れない」に止まることなく、私たちの世代としてはさらに一歩踏み込んでの行動が必要なのだと思います。

 「沖縄」の構図は、「原発」を巡る構図と同じです。「3・11、及びそれ以降」を経験している私は、新しい歴史を創る気概をもって自分のフィールドで成果を出したいと決意をあらたにしました。「今、ここ」を外して、どこで生きるのかです、ね。

キッシュさん親子、日本に寄せる心

Posted by 秋山孝二
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 この欄に、何回も登場しているキッシュ・シャンドールさんは、15年以上も駐日ハンガリー大使館(http://www.mfa.gov.hu/kulkepviselet/JP/jp/)に勤務されていた元外交官です。奥さまは学校で日本語の教師をつとめられると同時に、ハンガリーで日本語の国家試験の問題作成にも当たられています。お嬢様のレイカさんは、完璧な日本語を駆使してプロの通訳としてご活躍中、10年前の7月に天皇・皇后両陛下がハンガリー・ブダペストをご訪問された時(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h14e-easterneurope.html#HUNGARY)には、美智子妃殿下の公式通訳をされました。とにかく敬語の使い方ほか、正確で優しい彼女の日本語に接して、あらためて日本語の美しさを感じ取ります。ブダペストでご活躍の息子さんは、コンピューターのエンジニア、やはり日本語に堪能で、とにかくキッシュさん一家の日本に寄せる熱い気持には、こちらが感動します。

レイカさん、シャンドールさん、堅田さん、お疲れ様でした

レイカさん、シャンドールさん、堅田さん、お疲れ様でした

 これまで、いくつか書きました:

* 2年前に札幌で開催されたフォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6371

* 同じ年、東京中野区の哲学堂公園に建立された「哲学の庭」一周年記念フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6768

* 昨年のルーマニア・ハンガリー訪問での式典&フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10355、 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10423

 毎回、キッシュさんは中心になってご準備をされて、お世話になっています。札幌の劇団がハンガリーを訪問した時も、ワグナー・ナンドール関係の訪問でも、笑顔を絶やさず、そのホスピタリティには学ぶことばかりです。

 「外交官」と言えば、私はこれまでたくさんの「外交官」にお会いしてきましたが、正直に言って、どこか「尊大な」方が多く、親しみを感じることが難しかったですね。外国でお仕事をされていると、数々の外交特権があり、仕事を終えられた後も何かその「特権から抜けられない人格」となってしまうのでしょうか。特に、戦後の経済成長を成し遂げた日本国の経済力を背景に仕事をされたきたゆえなのかもしれません。

 ある北欧の国の日本大使館の外交官(ある省から大使館に出向中)は、夕食をご一緒中に突然パスポートか身分証明書を私に見せて、「この番号があると、レストランで代金を踏み倒すこともできるんだ!」と。私は思わず、「はぁ、それで?」と言ってしまいました。

 また、アメリカのある都市に駐在の総領事は、企業訪問を続けていた私に、「最近の民間外交も御熱心ですな~」と、冷やかな笑いで言い放ちました、真剣な企業訪問を薄っぺらな「外交」と一緒にされてはたまりません、第一に「民間外交」という言葉自体、何と侮蔑した表現ではありませんか。一方、ヨーロッパで大使館勤務を経験されてワインにお詳しい方は、「私は大使館勤務で、ヨーロッパのワインを殆ど試してみました」と誇らしげ。「ワイン通」を自称する方で、ご自分のお金で飲んで経験を積んだ方は数少ないですね、特に外交官の場合は、「国民の税金」でしょう、その国民への感謝の気持も全く感じていない、何がワインの味ですか。これまでの「くそ~っ」と思った体験を書き始めたら止まらないので、この辺にしておきましょう。

 そんな中で、キッシュ・シャンドールさんは、トランシルバニアと日本の関係では際立った造詣の深さです。その成り立ち、歴史認識、人への思い等です。知識と人柄が調和した「品格」をお持ちと言えば宜しいのでしょう。

キッシュさん(左)に感謝です

キッシュさん(左)に感謝です:成田ビューホテル前庭の「道祖神」像で

 キッシュ・シャンドールさん、レイカさん、これからも宜しくお願い致します!

映画「誰も知らない基地のこと」

Posted by 秋山孝二
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 映画「誰も知らない基地のこと(Standing Army):http://kichimondai.com/」は、「日本人が知らない米軍基地問題の常識」を突き付けて、東京を皮切りに、全国で上映される予定です。

 イタリア人の若手、エンリコ・パレンティとトーマス・ファツィが監督で、2人から日本人へのメッセージ(http://kichimondai.com/message/)です。果敢な取材を通して、彼らは映画での「沖縄」の存在の大きさに気がつきました。「不平等な力関係に直面しながらも、決して希望を捨てない人々がいます。その姿は、日本人の精神性の高さと心の強さを見せてくれました。彼らの姿に続こうと、日本の、そして世界の人々がこの映画によって勇気づけられることを願っています」と、結ばれています。

Standing Army:駐屯地

Standing Army:駐留軍

 HPにも掲載されていますが(http://kichimondai.com/news/)、その中から座談会の引用です、かなり突っ込んだやり取りが注目です。昨年3月の大震災までも予算獲得の材料に使う、そんなハゲタカのような姿も浮き彫りになってきます。「トモダチ作戦」もその目的をしっかり検証すべきですし、アメリカの冷戦後の戦略転換、当然日本への要求も変わってきていることに、我々が気がつかなければならないのです。北海道日米協会の会員で、理事になっている私ではありますが、「『アメリカ合衆国』と言っても、広うござんす」、ね。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用はじまり

 * 「軍産複合体」という言葉を作ったのがアイゼンハワー、それが1961年で、そこからどんどんとその警告を踏みにじるように肥大化してきている、ということがこの映画の主張ですね。130カ国以上、730か所以上の基地があり、オバマ大統領になってからも軍事予算が300憶ドル多くなってるんです。なぜ、止まらないのかというのが不思議。

* 基地の問題は2つ大きな切り口があります。ひとつはアメリカの戦略上、どれだけ重要かということ、もうひとつは受け入れ国にとってどれだけ基地が安全保障に役立っているかということ。

* 受け入れ国がどれくらいの経済負担をしているか、なんです。日本は米軍基地の費用の半分以上を払っているんです。他の国と比べて日本が圧倒的にお金を出しているから、日本から出ていかないんですよね。

* 全部を合わせたら6000億円くらいになりますね。思いやり予算が米軍基地を支えているのは確かだと思うんです。震災があって日本の財政力が問われてるときに、震災直後、間髪入れずに、毎年1800億円ずつの思いやり予算を5年間を出し続けますという協定が結ばれたんです。何の議論もなしに。

* この映画の中で”兵士が来ると戦争になる”という警句を言ってますよね。戦争があったから基地が増えているんだ、と思っていたのですが、この映画では「基地を増やすために戦争をしてる」、と、そこまで主張をしている。

* かつては軍備を高度化することによって産業が成り立っていたんです。今は、米国の中では補給をする部隊が民間の企業となっていて、戦争をしてもらわないと成り立たない企業が出ている。これが戦争継続する理由になっているんです。

* 議会、ホワイトハウス、ペンタゴンの動きが微妙に違うわけです。まさに、ジョージ・ワシントンの言葉がこの映画にも出てきますが、共和国の一番の脅威は常備軍であると。映画の原題が“Standing Army=常備軍”なんですけど、この常備軍を一番大事にしたいんだと思うんですよ。本来は、農民が闘ってイギリスに勝った国がいつのまにか軍隊だけが肥大して、その利益を享受するようになった。それはアメリカの原理とちょっと違うんじゃない?っていうことだと思うんですよね

* 安全保障の理念は「できるだけ軍事を使わないことを尊重する」、というのが第二次世界大戦に作られました。ところが今、何が起こってきているかというとアメリカの勢力の拡大のためには軍を使っていいというグループがあり、もうひとつ、リベラルと言われる層は基本的には戦争に反対なんですが、世界に民主化を広げるためには、軍隊を使ってもいいということになっている。サダム・フセインを外すことは民主化なんだ、と。人権を普及するために軍隊を使ってもいい、と。このふたつが合体し始めたんです。

* 1951年に最初の安保条約があったけど、その時には吉田茂一人がサインしているんです。むこうは4人もサインしてるのに。なぜそんな異例なことが起きているかというとその当時の外務省は安保条約に反対しているからなんです。占領軍からそのまま安保条約に繋がるというのはいけない。一回切って、国連の委託だとかにワンクッション置くべきだと。

* 映画でも出てきましたけど、冷戦以降アメリカの戦略が変わったんですよ同時に対日戦略も変わるんです。日本に無理な戦略をするんです。そうすると財政的に日・独に抜かれてしまう。だから無理な戦略の中に日本、ドイツを入れるんです。90年代くらいは日本に対しての拘束が増えました。当時のCIA長官のゲイツが“これからは軍事だけでなく経済的な分野で活動しなければいけない”と言っているんです。経済的な分野というのは日本なんです。日本に対してCIA的な工作をして、米軍に追随する人が増えるようになったんです

~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり 全文は是非、こちら(http://kichimondai.com/news/)を

 

多彩な皆さんからの応援メッセージ

多彩な皆さんからの応援メッセージ

 「駐留軍」のことを「standing army」 と言うなんて知ってた?沖縄だけじゃないんだね。
 世界遺産のあるイタリア・ヴィチェンツァにアメリカ軍の基地がつくられようとしているなんて、知ってた? 
 ドイツやイタリア、日本、第二次世界大戦で負けた国に米軍基地が多いなんて知ってた?

 インド洋のディエゴ・ガルシア島の基地ですぐに思い出しました、、ついこの3月に鹿児島県種子島に行った時の「馬毛島」の話です(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12375)。

 先日は東京渋谷で観ましたが、出口で田中優(http://tanakayu.blogspot.jp/)さんとマネージャーの方にばったりお会いしました。実は今回、facebookの田中優さんの呼びかけがきっかけでした。

 この映画は、まず観に行って、それからHPで復習をし、もう一度観ると、その奥行きの深さが格段に理解できると思いますね、乞う、ご期待です!

「Independent」企画、一人芝居

Posted by 秋山孝二
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 最強の一人芝居フェスティバル「INDEPENDENT:SPR」が、札幌西区琴似・コンカリーニョ(http://www.concarino.or.jp/)で開催、とにかく面白かったですね、6名の熱演に感謝です!

開演前の満席のコンカリーニョで

開演前の満席のコンカリーニョで

<Aブロック>
桜待ち」  作・演出・出演:亀井健

α−β motif」  出演:小林なるみ劇団回帰線) 作・演出:渡辺豪

マラソロ」  出演:加藤智之France_pan
          脚本:山崎彬(悪い芝居) 演出:伊藤拓(France_pan

<Bブロック>
次の場所までさようなら」  出演:中嶋久美子ムーンビームマシン
                    脚本:二朗松田(はちきれることのないブラウスの会) 演出:泉寛介(baghdad cafe’

駆込み訴え」  出演:小林エレキyhs
            原作:太宰治 脚色・演出:南参(yhs

ひな菊と財布」  出演:坂本祐以劇団千年王國
             作・演出:橋口幸絵(劇団千年王國

北の春を熱くする、一人芝居の祭典始まる・・・

北の春を熱くする、一人芝居の祭典始まる・・・

 一つ一つ、一人一人がオリジナリティが高く、記憶にも鮮明です。加藤智之「マラソロ」、中嶋久美子「次の場所までさようなら」は大阪の「INDEPENDENT」の参加作品でもあり、迫力抜群、理屈抜きの面白さでした。地元からの4作品も熱演でしたよ。ラストの坂本祐以「ひな菊と財布」では、客席に現れた彼女が近づいてきて、私の前に立ちはだかり財布も取り上げられるかと、ハラハラドキドキ(嬉しいのではなくどうしよう、という冷や汗モノ)、幸い(?)目の前を通り過ぎて斜め前のお客さんの所に行きました。

 冒頭からの緊張感、これがまた「非日常」で新鮮でした。飛行機で大きく揺れて汗びっしょりになるのと同じような快感(?)、少々倒錯していますかね?

 白石加代子(http://www.doudou.co.jp/shiraishikayoko/)「百物語:http://www.doudou.co.jp/shiraishikayoko/sch.html」も素晴らしいですが、今回のこの企画、是非さらにパワーアップしての再演を期待したいです。皆さん、頑張って!!

テーケシュ・ラズロー氏は語る

Posted by 秋山孝二
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 日本を初めて訪問したテーケシュ・ラズロー氏(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12758)は、私の一つ年下で、同時代を生きてきています。

 成田空港到着後、まずは成田ビューホテル(http://www.viewhotels.co.jp/narita/)前庭に建立されているワグナー・ナンドール作のステンレス像「道祖神」の見学、そこから益子に直行して除幕式に出席しました。次の日に東京に移動して外務省を訪問、在日ルーマニア大使、ハンガリー大使等とも面談し、翌日には、広島、京都を相次いで訪れて、先日、東京経由で日本を離れました。お帰りになる前日の晩に、「SAYONARA晩餐」で今回の旅の感想等を聴くことができました。

ハンガリー民謡を歌うテーケシュ・ラズロー氏(右)とキッシュ・シャンドール氏

ハンガリー民謡を歌うテーケシュ・ラズロー氏(右)とキッシュ・シャンドール氏

 初めての日本訪問、最初の見学が成田ビューホテルの「道祖神」だったことには大きな意義がある、とお話を始めました。日本の外務省では高官との面談もあったとか。かなり遠慮しながらもその時のやり取りの概略を伺いましたが、何とも恥ずかしくなるような気がしました。

 テーケシュさんは、ティミショアラの集いの前に、奥さま・お子さまを含めて、当時のチャウセスク政権、直接的には秘密警察に命を狙われ続けた聖職者です。彼の逮捕を予測してルーマニアの西部・ティミショアラに集まった数万の民衆のエネルギーが、1週間後のチャウシェスク政権崩壊の引き金になったのです。

 その彼を前に、先日、「チャウシェスク大統領自身は良い人物で、夫人がひどかったと聞いている」と、日本の外務省高官の政治家は言ったそうです。テーケシュさんは苦笑しながら私たちにお話をされていましたが、何という井戸端会議以下の情報レベルに、歴史観も見識も無く、「恥を知れ!」と残念ながら言わなければなりません。どこに行ってもこのレベルの情報で各国の代表と会っているとすれば、何とも「日本の品格」を疑われても仕方ないですね。

 ティミショアラの集会から20周年、2009年にはこのサイトも創設(http://timisoara1989.ro/en/)、実に興味深い真実の数々です、最初の画面にある動画には、若かりし日のテーケシュさん、父ブッシュ・アメリカ大統領と会談する姿等も見られます、是非アクセスしてみて下さい。遠い昔ではなく、つい20数年前の出来事で、日本はバブルの頂点、まさに歴史の転換点で、ルーマニア国民の声が聞こえてきそうです。

ティミショアラ1989年から20周年を記念したパンフ

ティミショアラ1989年から20周年を記念したパンフ裏表紙 & サイン(左中央)

 広島では、広島平和記念資料館(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/)の副館長が丁寧に説明をされたとか。ルーマニアでもハンガリーでも、8月6日の原爆投下日は、祈りの式典を今でも続けているそうです。ただ、彼は聖地と思っていた広島の平和公園では、ゴールデンウィークの最中でもあり、ジャズ等のかなりの音量のイベントも開催中で、少々意外で、がっかりしたとも。難しいですね、広島といえども365日追悼の日々でもないのでしょうから。

 京都・祇園のお茶屋では、三味線・舞子さんの演奏も堪能されて、「比較的哀しい曲風が多く、トランシルバニアと同じ心情」と喜ばれて、お話の途中途中でハンガリー民謡を数曲大きな声で唄っていました。また、新幹線の時間の正確な運行には感動し、駅に到着した時に、自分の腕時計をその時刻に合わせた程正確だ!との冗談も。

 

 と、ここまで書き続けたのですが、今回、成田空港でお出迎えをして以来、彼の周辺の方々への立ち振る舞いで少々気なることもありました。「上から目線」と言うか、「強者」を感じさせるやや傲慢な言動を見てしまったのですね。以前ナジュバラドでお会いした時より少し違った印象なのですが、と、ある方に私はつぶやいた所、「いや、もともとそうだったのかもしれない」と、苦渋の表情で返答をされました。民衆の絶大な人気を集めて独裁政権打倒の先頭で戦った闘士・聖職者が、その後の立場の昇格により変質したとすれば、私は残念であり、何とも失望する今の彼の姿です。

原発「稼働」ゼロの世界

Posted by 秋山孝二
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 「42年ぶり国内全原発停止 泊3号機の定検開始http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/370156.html」との新聞の見出し、3・11を経て、「全原発停止」状態が実現しましたが、あくまでも「稼働ゼロ」、「停止」であり、「脱原発」に向けてはしっかりしたデータとロジックに基づく必要があり、予断を許さない状況と見るべきでしょう。

 田中優さんは、ご自身のブログ(http://tanakayu.blogspot.jp/2012/05/blog-post_2393.html)で、鋭く「偽装停電」を指摘されています。どんな社会的課題の解決でも同じですが、一見追い風に見える状況というのが最も警戒すべき時とわきまえるべきです、からめ捕られない地に着いた活動を展開しなくては。なぜなら、再稼働を急ぎたい輩の恐れることは、「電力不足」ではなく、「節電等によって原発ゼロ状態で乗り越えてしまう」ことなのでしょうから。

 「電力不足は正しい情報に基づいているのか」、「不足の前提にしている条件に恣意的な誘導はないのか」、「昨年の『計画停電』の過ちをどう乗り越えているのか」、全原発停止状態を喜んでいる暇はありません。政府・電力会社は行動で改善・改革を成し遂げているのかどうか、国民は実績をしっかり見極め、データの適時開示を求め続けて、なし崩し的再稼働を許さない見識が必要です。

 メディアの誘導に対しても監視を続けなければなりません、電力会社の記者会見での毎回の生ぬるいやり取りでは、国民の前に「真実」を知らしめることはできないではありませんか。今こそ、「メディア」の本来の機能に立ち返ってもらいたいものです、独自のコメントの前に、当事者たちに正しい情報の公開を要求をして明らかにする、そんな原点です。

 「原発再稼働」については、3月に私はコメントしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12331)。とにかく、昨年3・11以降、東電福島第一原発は未だ終息せずに事故は継続中、使用済み核燃料の状態は全く変わらず不透明、泊3号機に溜められている使用済み核燃料についての言及も見つけることは出来ない現状です。複数の事故調査報告に真摯に向き合い、その答えを国民に明示すること、民間企業としてのイロハであり、いやしくも企業経営者の立場に居て報酬を得ている人間の基本です。

 先月の富山での経済同友会全国セミナーでは、電力会社の不適切な情報開示に対して、私の想像以上に全国の多くの経営者が憤っていました。そして、原材料の値上がりを理由に電気料金値上げを言いだす電力会社の経営体質に対してもです。日ごろ、コスト削減に真剣に向き合っている経営者の生の声だと感じました。

 今回の「停止状態」を契機に、本格的に自然エネルギーを軸とした「代替エネルギーへのシフト」を、新たな技術革新、エネルギー・イノベーションに着手する、それが国際社会の日本復活への道です。

薩摩と会津への訪問、因縁ですね

Posted by 秋山孝二
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 何も意識していなかったのに、後で振り返ると「そうだったんだ!」と妙に因縁を感じる時があります。 3月・4月と私自身が全く別の目的で訪問した土地、鹿児島と福島、そう言えば幕末から明治に掛けて以来の「薩摩」・「会津」の微妙な関係でした。

薩摩:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E8%96%A9%E6%91%A9

会津:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BC%9A%E6%B4%A5

 会津若松の訪問で、掲載し忘れた1枚の写真です、「フクシマ」を実感しました。

中学校の校庭の一角に大熊町、双葉町の木造仮設住宅

鶴ヶ城よこ、中学校の校庭の一角に、大熊町、双葉町の一時避難所・木造仮設住宅

 

 そんな折、外岡秀俊(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12165)さんの最近の著書、「複合震災」と「震災と原発 国家の過ち」はメッセージ満載です。たまたま「震災と原発 国家の過ち」を読み直していると、「第4章 東北とは何か」に、実に興味深いことが書かれています。少々長い引用になりますがお許し下さい。放言で辞任に追い込まれた松本龍復興担当相のやり取りに絡んでです。

 

~~~~~~~~~~ここから引用

 中央の権力を笠に着て、被災地の首長を見下し、威嚇する。果てはマスコミを恫喝する。こうした人物が、復興基本法でできた重要ポストに就いたこと自体が驚きだった。

 だが数ある放言のなかで、私がもっとも気になったのは、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とかわからんのだ」という発言だった。これには訳がある。

 学生のころ、仙台市に拠点を置く『河北新報』の社長に、話をうかがったことがある。社長は、東北ブロック紙の現状について語る前に、新聞の紙名の由来を説明した。「東北には、『白河以北一山(ひとやま)百文(もん)』という言い伝えがあります。戊辰戦争で負けてのち、薩長は東北を蔑み、福島県の白河の関から北には、何の価値も無いといった。意地でもその逆境を撥ね返してやる、とつけたのが、『河北新報』の名前です」

 この「白河以北一山百文」の出典は定かではない。東北をめぐる近代の言説をつぶさにたどった河西英通氏の『東北』『続・東北』(中公新書)によれば、1878年8月23日の『近時評論』誌の記事が、最初の記述だろうという。

 一般には、戊辰戦争の際に、官軍の将校が発した言葉という説が流布している。しかし河西氏の文献考証から、この言葉は、「一山:いちざん」と号した岩手出身の原敬が、1918年に首相に就任した前後、それまで「賊軍」「朝敵」とされてきた東北の名誉回復の機運が高まって、「官軍スローガン」説がつくられた、と推測している。

 いずれにせよ、東北では、「白河以北」という言葉は、西南日本による、いわれなき蔑視と差別を象徴する言葉なのである。

・・・・・・・・高橋富雄氏は『地方からの日本学 地方(じかた)日本学――方法と実践』(歴史春秋出版)の中で、一章を設け、「東北呪詛(じゅそ)」の響きをもつ「白河以北」の言葉がうまれる3つの要因を分析している。

 第一は、自然の要因である。弥生型生産様式としての稲作農耕は、暖国西南には適合しても、寒冷な東北には不向きだった。縄文時代には日本の中心だった東北も、その後は冷害、凶作、飢饉の常襲地帯になり、その運命は人為を超えていた。

 第二は歴史の要因だ。これは第一の要因が18・19世紀に長期的な天災となって顕在化したことを指す。宝暦、天明、天保と続いた凶作は未曽有の飢饉となって東北を襲い、「東北一円無一物」が常態化した。戊申戦争が惨憺たる敗戦に終わったのも、その経済的基盤に弱点があったからだ。

 しかし、「白河以北」が明治維新による「東北断罪」の言葉になったのは、直接には第三の政治の要因による。会津、仙台、南部をはじめとする「皆敵奥州」は、賊国として一切の政治的な特権を停止、剥奪され、その後も、政治的には「軟禁状態」、経済的には「禁治産者状態」に置かれた。

 高橋氏は、後に原敬がいうように、「戊辰戦争は政見の異同のみ」であった、という。それは原理的には五分と五分のたたかいで、「勝者」が「敗者」を断罪する覇道ではなく、結果に優劣を求めることをしないフェアな武士道によって遇するべきだった、という。

 だが、こうして「白河以北」に結晶化した「遅れた東北」のイメージは、歴史的には、より深い古代の地層から長い時間をかけて析出されたものだった。・・・・・・・・・・・・・・ 

 このように歴史をたどったうえで、高橋氏は、「東北的なもの」とは、「日本文化、あるいは日本史における未知なるものを典型的に代表するもの」だと定義する。

 縄文以来、東北の根に生き続けている元始的なもの、変わらないものは、「近代」のモノサシから見れば「遅れた」存在に映るかもしれない。しかし、文明が行き詰ったときに、新しい文明や文化を創造するエネルギーをもたらすものは、つねに旧来の「歴史」を超える超近代の「元始」であった、「東北的なもの」には、近代が行き詰ったときに、「もうひとつの日本」を構想する重要なカギが隠されているのではないか。

 高橋氏の基調講演は、「東北的なもの」の可能性を問いかけて終わっている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 

 最後のフレーズに力がありますね。外岡氏は、「文学が被災者に希望を与えるのではなく、被災者が希望であることを教えるのが文学であることを知った」とまえがきで語っています、豊富な読書と知識、高い見識に裏付けられた、実に鋭い考察だと思いました。3年前の9月に、私も友人たちと青森・弘前・大間を旅行し、確かな東北の歴史は目に焼き付いています。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2170

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2172

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2203

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2175

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2250

 

 5月の「メディアアンビシャス:http://media-am.org/」例会で、外岡秀俊さんをゲストスピーカーにお招きしています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

日時 5月15日(火)午後7時から(午後6時には開場しています)

場所 愛生舘ビル (札幌市中央区南1西5北西角、市電沿いビル:入
口は二つありますが、南側入り口から入った右手奥、 1階会議室)

講師 元朝日新聞 外岡秀俊さん(昨年3月末で朝日新聞を退社し、
ふるさと札幌に拠点を移して活動中)

テーマ 「大災害とメディア」、「マスコミとフリーの違い」等について
     ~~朝日を退職してゆっくり札幌で活動と思っていた矢先の
3・11、以前の阪神淡路大震災、中国の四川大震災等の取材経験を
踏まえて、今年になって出版した2冊の本も大変読み応えのある内容
でした。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 例会の場で、彼の捉える今回の大震災・津波・原発被害について、さらに突っ込んだメッセージを期待したいですね。

「アザリア」の仲間たち

Posted by 秋山孝二
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 この数日、札幌では急に気温も上がり、昨日5月1日、札幌の「サクラ開花宣言」だそうです。今年は遅いだろうとの予想でしたが、このところの天候で何とかゴールデン・ウィークに間に合わせた?何とも愛おしいサクラです!

 栃木県さくら市ミュージアム(http://www.city.tochigi-sakura.lg.jp/site/sakura-museum/では、3年前にワグナーナンドール展を開催し(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2491)、今年は、「『アザリア』の仲間たちhttp://www.city.tochigi-sakura.lg.jp/site/sakura-museum/exhibition1.html」と題した展示が開催されています。

正面玄関前の大きな表示板

正面玄関前の大きな表示板

  1917(大正6)年7月、盛岡高等農林学校(http://www.iwatabi.net/morioka/morioka/morinourin.html)で1冊の同人誌「アザリア」が生まれました。その中心となった宮沢賢治、保阪嘉内、河本義行、そしてさくら市出身の小菅健吉の文芸活動を通して育まれた友情にスポットをあてた今回の企画展です。何ともレトロな学生服姿の男子4人、金沢の「四高」、札幌農学校の学生と同様のかもし出す雰囲気です。

 小菅健吉の息子さんは栃木県の小菅充・元副知事で、現在、ワグナー・ナンドール財団の理事も務められています。小菅健吉は、宮沢賢治と同級生、卒業後に大正7年から15年までの8年間アメリカに渡り、苦労しながら農学(土壌細菌学)研究に励み、日本の友人に宛てた貴重な「アメリカ通信」の書簡も展示されていました。時代に翻弄されながらも力強く生き、時々の心情、望郷の念、社会の変化が手紙に認められていました。

 それにしても、1920年前後に8年間も苦労しながらアメリカの滞在を選択した彼の情熱に感動するとともに、大正デモクラシーの時代を感じます、「杜稜(盛岡)で学び」というフレーズもいいですね。ただ、その後の日本の戦争への歴史を振り返りながら、第二次世界大戦後の高度成長期を経た今の時代と重ね合わせると、危機感も抱きます。

 

 帰り路、ミュージアムの玄関を出ると、道路がサクラの花びらでいっぱい、素晴らしい4月下旬の北関東でした。

サクラのじゅうたん

サクラのじゅうたん

テーケシュ・ラズロー氏、来日!

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 欧州連合(EU:http://www.deljpn.ec.europa.eu/modules/union/development/)・欧州委員会(http://www.deljpn.ec.europa.eu/modules/union/institution/commission/)の副委員長だったルーマニアのテーケシュ・ラズローさんが、初めて来日しました、私とは2004年以来、久しぶりの再会です。

 1989年のティミショアラの集会(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/9b41d4b8aaefbf91438dd4e8738601de)は、ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊のきっかけとなりました。昨年、私が式典・フォーラムで訪問したナジュバラド(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10353)は、彼の本拠地です。このティミショアラの集会後、初めての外国メディアの取材が1990年の日本のNHKで(http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2005/h060313.html)、20周年の2009年にもドキュメンタリー番組で新たな取材もありました。これを記念したHPも出来ています(http://timisoara1989.ro/en/)。

初来日のテーケシュ・ラズロー氏

初来日のテーケシュ・ラズロー氏

 今回の彼の訪日の主たる目的は、益子にあるワグナー・ナンドール記念財団(http://wagnernandor.com/indexj.htm)での「ハンガリアン・コープス:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10357」の除幕式出席です。昨日は、地元益子町(http://www.town.mashiko.tochigi.jp/)の大塚朋之町長、ハンガリーのワグナー・ナンドール・フーマーナ財団のキッシュ・シャンドール理事長ほか、大勢の方々が参集されました。昭和天皇の誕生日、ナンドールとちよの結婚記念日と、おめでたい日のイベントでした。

益子での除幕式

益子での除幕式

大塚朋之・益子町長

大塚朋之・益子町長

キッシュ・シャンドールさんと通訳・お嬢様のレイカさん

キッシュ・シャンドールさんと通訳・お嬢様のレイカさん

 テーケシュさんはご挨拶の中で、「トランシルバニアにはこれまで政治的転換点が三度ありました。最初は、1848~49年の『オーストリアからの独立運動』、2度目は1956年の『ハンガリー革命(日本では動乱と言っているが)』、そして、1989年の『ティミショアラでの集会』を契機としたルーマニアの社会主義体制の崩壊です」と。この「ハンガリアン・コープス」像は、3つの革命で人類の自由獲得のために戦った人々の象徴であることを強調しました。

 ワグナー・ナンドールの生まれ故郷・ナジュバラドと歴史への関わりでの共通点(1956年ハンガリー動乱と1989年ティミショアラ)で始まる人間関係の織り成す物語は、まるでドキュメンタリー番組のようです。トランシルバニアの歴史から見ると、ルーマニアにおけるハンガリー人への弾圧と差別は、計り知れないものがあったのでしょう、彼の言葉の端はしから聞こえてきました、「ルーマニア人を恨んだことは一度も無かった、ただルーマニアの政権は、ひどいものだった」と。

 また、チャウシェスク政権下での、巧妙なハンガリー人排除政策(http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-date-20091217.html)についても、幾つかの実例で示されました。歴史の転換点のど真ん中にいた彼が、「第二次世界大戦でともに敗戦した日本とハンガリー」、「戦う」、「立ち上がる」と語る時、今の日本ではあり得ない骨太のリーダーの姿を見た気がします。同じ時代を生きてきた私の人生と重ね合わせ、「歴史」を創ってきた堂々たる人間の生きざまを感じました。

測定しました、数か所の放射線量

Posted by 秋山孝二
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 以前から、札幌での放射線量を測ったことはありましたが、先日、北関東を移動中に数か所、新しい線量計でガンマ線だけですが測定してみました。

  「エステーエアカウンターS:http://www.st-c.co.jp/air-counter/」は、ガンマ(γ)線だけの測定で、以下の数値の単位は「μSv/h : マイクロシーベルト・パー・アワー」です。この器具では、「0.05」以下は、みな「0.05」での表示となります。札幌を含めて、今回「0.05」で表示された地点は、恐らくそれよりもさらに低い数値だと推測されますね。

 福島県会津若松市の「鶴ヶ城」にも線量計が設置されています(http://www.aizukanko.com/news/index.cfm#wn97)。因みに、鶴ヶ城公園本丸内の放射線量、5月25日正午は、「0.12 μSv/h」 です。

  単位 <μSv/h : マイクロシーベルト・パー・アワー>

札幌市内           0.05

羽田空港           0.05

アクアライン          0.05

千葉県館山市       0.05

東京駅地下          0.09

郡山駅前・外      0.24

郡山駅・内         0.14

猪苗代              0.08

会津若松市内     0.05

宇都宮駅・外       0.09

茨城空港・外       0.12

飛行機内              0.46

 傾向としては、郡山が高く、内陸に行くに従って低くなる傾向、それもバス・電車ともに、トンネルを抜けると格段に変化する気がします。茨城空港もやや高い、そして一番驚くのは飛行機の通路側座席で測った時の「0.46」という数値です。電車の座席も高いと聞いたことがありますが、飛行機内座席も同じ傾向があるのでしょうか、これについてはもう少し調べてみようと思います。

 今さらの気もしますが、線量の違いは見た目には全く分かりませんね、気温・湿度等とは違って、人間の五感では判別できない「放射線量の怖さ」が分かります。もちろん、線量「0.00」状態を望むわけではありません。おおよその「安全の目安的数値」はあるとは思いますが、瞬間的数値の意味だけでなく、「内部被曝」を含めた体内への長期的影響も懸念される「放射能汚染」、医療・研究機関のように狭い管理された空間ではない「環境」においては、「安全基準」はあり得ない、やはり人間の手には負えないものと理解すべきですね、そんな現場感をあらためて強くしました。何を言いたいのかというと、今回の爆発事故で環境に放出された放射線量と、病院等でのX線被曝を比較して、「大丈夫、安心です!」と喧伝する解説者・メディアがナンセンスだと、声を大にして叫びたいのです。

 それともう一つ、定時定点観測を継続的に公開していくことが重要です。「大丈夫」とか、「安全です」とか言うのではなく、淡々と現実の「数値」を掲載すること、そして、それを個々の人間が判断するレベルの見識を持つことが、3・11以降の日本で暮らす人々に必要なのだと思います。富山でお会いした金岡祐一先生(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12594)が、おっしゃっていました、「正確なデータを継続的に公開すれば、世界の良質な研究者が信頼するその数値を基に、多くの貴重な考察・コメントを寄せてくれる時代でしょう」、「『風評被害』を言うのであれば、『風評加害』も同時に存在するはず」、と。 

 データに基づくしっかりした議論を、これからも身につけたいですね。

会津、鶴ヶ城・飯盛山

Posted by 秋山孝二
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 「鶴ヶ城:http://www.tsurugajo.com/turugajo/shiro-top.html」は、「会津城」、「若松城」、とも呼ばれて有名な会津藩の象徴であり、戊辰戦争で焼き払われた後に、見事に復元されて今日に至っています。4月の春、どこからみても天守閣は美しく、会津の皆さんの心意気を感じます(http://www.aizukanko.com/)。

戊辰戦争の激戦、どこからみても美しい若松城(会津城、鶴ヶ城)

最後の内戦・戊辰戦争の激戦場、どこからみても美しい鶴ヶ城(会津城、若松城)

  一方、白虎隊(http://www.tsurugajo.com/history/byakotai1.htm)の自刃の場で有名な飯盛山(いいもりやま:http://www.iimoriyama.jp/midokoro.html)では、「白虎隊慰霊祭:http://www.aizukanko.com/event/110/」の最中でした。

飯盛山では記念祭祀

飯盛山では記念祭祀

出番を待つ会津高等高校剣舞会の生徒たち

出番を待つ会津高等学校剣舞会の生徒たち

  白虎隊も燃える光景をみたといわれ、飯盛山から見る鶴ヶ城方向です。

飯盛山から見る若松城(中央右奥)、白虎隊も燃える城をここから・・・

飯盛山から見る鶴ヶ城(中央奥)、白虎隊も燃える城をここから・・・

 

 近代日本への脱皮、その歴史は多くの命が失われる過程を経て、一歩一歩変わっていく時間の経過と理解すれば良いのでしょうか。日本人が、自分たちの「国」づくりを自分たちで必死に手に入れようとしていた真摯な姿を感じます。そんな歴史に対する「誠実さ」を、いつ日本人は失ってしまったのか、3・11の大震災、津波、原発事故による放射能汚染、この「機」を逃して復興しなければ、今、まさに社会の価値の方向転換をしなければ、あとは滅亡しかありません。

会津・日新館の教育

Posted by 秋山孝二
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 以前、「愛生舘の『こころ』(3):http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1096」でも書いたのですが、会津藩校・日新館(http://www.nisshinkan.jp/)には、機会があればいつか行ってみようと思っていました、今回、激しい雨と風の中、やっと実現しました。本来はお城の横にあったのですが、戊辰戦争で焼き払われ、今は天文台跡を残しては場所を移しての復元となっています。

最古の訓練用プール

最古の訓練用プールほか

「論語」の教育も

「論語」の教育も

  教育の理念はこちら(http://www.nisshinkan.jp/about)に詳しく書かれています。長期計画として、すべては「人材の育成」に尽きるのですね。江戸時代の各藩は、基本的な軸を外していません、今の時代と比べて・・・。

什の「掟」

什の「掟」

 「ならぬことは ならぬものです」で結ばれる「什の掟」、日新館での教育は今の時代、一層価値があるメッセージですね。白虎隊と並んで紹介される場合が多いですが、私にとってはむしろ、松本良順と野戦病院院長の関係で記憶されています。戊辰戦争で幕府側の医師として、最後まで人々の治療にあたった彼は、戦いの後に捕われましたが、その後新政府にその類まれな近代医学の能力を高く評価され、近代医学の基礎を創り、初代の軍医総監として活躍しました。

経営者たち、変わる認識 (3)

Posted by 秋山孝二
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 先日、私は書きました。

~~~~~(公社)経済同友会の原発、ガレキの受け入れに対してのメッセージには、必ずしも賛同できない自分としては、今回のこの分科会の場は「アウェー」を覚悟して、しっかりした立ち位置から意見を述べようと思っていましたが、事前の意見交換をしていく中で、かなりの共通理解があることを知り、率直に言って驚きでしたね。そして、2時間を越えるフロアーの方々とのやり取りを終えて、その印象は確信に変わりました、「2011・3・11」を経て、経営者の皆さんのエネルギーへの意識は間違いなく「変わってきています」!~~~~~

 これはパネラー控室ばかりではなく、分科会でのフロアーの方々のご意見と雰囲気からの実感です。経団連(http://www.keidanren.or.jp/)と違って、経済同友会(http://www.doyukai.or.jp/about/about.html)の自由闊達な雰囲気の成せる技かとも思います。それはさておき、幾つかの気づきを書き留めて、今回の報告のまとめとします。

 

* 「原発再稼働」について、企業経営者的には「電力不足」を極力回避したいという切実感のあらわれで、放射能汚染については、殊のほか政府・東京電力経営者への不信感が強い

* 東京・埼玉はじめ首都圏の経営者からは、東京電力の値上げ宣言、原発対応等に対しての憤り、不満は想像以上のもの

* エネルギーにまつわる公開情報について、「情報適時開示」、「説明責任」をわきまえる企業経営者は、単位がバラバラで比較が難しい、定点・定時情報開示が不足等を的確に指摘

* 原発事故の調査・検証を含めた日本の対応は、国際社会における日本の「責任」であることを、複数の方々が語っていた

* 新しい技術として、「自然エネルギー」への期待と努力に、多くの経営者は前向き、それと日本なら出来るとの発言も

* 資源エネルギー庁の方からも、大変前向きな今後の課題提起、例えば、「大規模電源」依存システムを変えていかなければならない、供給会社・電力材料等について「需要家が選択できる電力」へ、「集中型」から「分散型」へ、等

 

 私が発言したかったいくつかのことは、ほかのパネラー・フロアーの皆さんから伝えられましたし、自らリスクを取って日々ビジネスをたくましく展開する企業経営者の真摯な姿勢にも感動しました。もちろん、分科会でのコメント・雰囲気をもろ手を挙げて喜ぶわけにもいかないことは承知しています、2日目の各分科会議長報告では、従来型視点からのメッセージもあったからです。それでも、少なくとも経済団体として発表されている以上に、会員の多様な意見が印象的でした。

 市民活動、メディアがよく言う「経済界」、「企業なんて」の認識こそが、一番遅れているような気がしてきます。2011・3・11以降の世界では、「脱原発・自然エネルギーへのシフト」に意識を変えた企業の出現に注目していく必要があります、新しい芽を見逃さないようにです、ね。

 「アウェー」が、「ホーム」になっていく日まで、私も諦めずに頑張ります!!

経営者たち、変わる認識 (2)

Posted by 秋山孝二
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 オープニングの大ホールの指定席で、隣の分科会登壇者、中野剛志・京都大学准教授とご挨拶をしました。「災害に強い国づくりを考える」がこの分科会のテーマですが、この所は「TPP亡国論:http://ochimusya.at.webry.info/201110/article_23.html」等、TPPに対しての反対論者として脚光を浴びており、つい4月上旬には、札幌・旭川でも講演をされました。彼の発言には、私は所々違和感を感じてはいるのですが・・・、確か原発については推進の立場でしたね。

 私の登壇した第二分科会「エネルギーと環境問題を考える」では、議長に(公社)経済同友会幹事・(株)ニチレイ(http://www.nichirei.co.jp/corpo/message.html)会長の浦野光人さん、パネリストには、(社)神戸経済同友会常任幹事・昭和精機(株)(http://www.showa-seiki.co.jp/company_top.html)社長の藤浪芳子さん、資源エネルギー庁(http://www.enecho.meti.go.jp/)長官官房総合政策課戦略企画室長の定光裕樹さん、と私の4名のディスカッションでした。

260名を越える分科会参加者を前に

260名を越える分科会参加者を前に

  私がエネルギーを語るというのも時代の変化だ、と自分に言い聞かせて、昨年末にお話を頂いた時以来、それなりに資料を集めて学んできたつもりでした。(公社)経済同友会の原発、ガレキの受け入れに対してのメッセージには、必ずしも賛同できない自分としては、今回のこの分科会の場は「アウェー」を覚悟して、しっかりした立ち位置から意見を述べようと思っていましたが、事前の意見交換をしていく中で、かなりの共通理解があることを知り、率直に言って驚きでしたね。そして、2時間を越えるフロアーの方々とのやり取りを終えて、その印象は確信に変わりました、「2011・3・11」を経て、経営者の皆さんのエネルギーへの意識は間違いなく「変わってきています」!

 私の論点をまとめて、あらかじめ参加者への配布資料としました。~~~~~~~~~~引用はじめ

25回全国経済同友会セミナー 第2分科会 配布資料      2012.4.19  富山

                             北海道経済同友会 幹事

                             秋山 孝二

<私の視座・立ち位置>  311以降の覚悟

A.北海道:地方から視る日本

――北海道開拓の歴史、転換期における国への貢献

  ――そして今、「北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例~2001.1.1施行~」

B.活動のフィールド

医薬品卸(株)秋山愛生舘・五代目社長、(株)スズケン・副社長ほか、を経て

(公財)秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/) 理事長

NPO北海道市民環境ネットワーク(http://www.kitanet.org/index.html)理事長

 

* 今、ふるさとに再度軸足を据えて考えると、平和であるが故に出来ること、平和でなければ育ちえない命の存在を認識する。「平和な社会」、すなわち「命の健康・地球の健康」な状態である。経済を支える企業経営者にとっては、社会貢献活動として、平和な状態の創造、それが「持続可能な企業」としての、最低限の責務だと思う。

* <若者たちの叫び> 2050年のあなたと日本社会をイメージできますか!

* ニセコ町 片山健也町長の言葉: 環境基準が厳しいことにより地域の価値が上がる時代

* 経済同友会終身幹事・品川正治さん: 経営者は「平和」に対して、もっと積極的に活動してもよいのではないか

 

「北海道エネルギーチェンジ100」プロジェクト

 1)「北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kz/kke/johrei/johrei.htm」の普及・啓発

  ポイント :化石燃料の抑制、「原子力」を過渡的エネルギーと位置づけ、「私たちは、積雪寒冷な北海道における『エネルギー』の価値を認識し、脱原発の視点に立って、限りある資源を可能な限り将来に引き継ぎ、道内で自立的に確保できる新しいエネルギーの利用を拡大する責務を有している」との附則

2)「自然エネルギーアイランド北海道」の実現に向けたロードマップづくり――政策提言の場づくり

3)「生物多様性」、「地球温暖化防止」の視点から、自然エネルギー推進の検証

 

 

「省エネルギー・新エネルギー促進行動計画」骨子案

~~「北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例~2001.1.1施行~」に基づく計画

 

4項目の取り組みの柱

1. エネルギー需要家の意識改革〈省エネの促進〉

2. 多様なプロジェクトの早期実現化〈新エネの導入加速〉

3. エネルギーの「地産地消」など地域特性を生かした 〈地域における導入促進〉

省エネ・新エネの導入促進

4. 民間活力の積極的な活用〈関連産業の振興〉~環境産業振興戦略との一体的な展開

 

 

<私の認識>

省エネ 北海道の電力ピーク時: 冬の夕方  ~ 本州では夏の昼過ぎ

     「電力の不足」ではなく、「知恵、努力の不足」

     北海道の電力需要: 「熱」としての需要が多い

     歴史的推移: 石炭火力が多い中、石油火力が追加、そして原子力

電力会社の経営課題

     「総括原価方式」に基づく経営――>即「値上げ」を言い出す体質?

     地域独占企業の責務――>「情報開示:適時で正確な」、「第三者による評価」

再生エネルギーの宝庫

     課題1  必要条件:環境保全と環境アセスメント

     課題2  送電線拡大と電力会社による再生可能エネルギーの優先接続

 

キーワードは「分散型」、「産業ミックス」、「持続可能」、「安全・安定」

 

<取り急ぐ作業>

地域において、電力ほかエネルギー供給会社、企業、農協、漁連、NGO、市民、行政等で、「エネルギー」を議論し、「エネルギー代替案」策定に向けた「知恵の場」の創設

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 

 

経営者たち、変わる認識 (1)

Posted by 秋山孝二
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 今年の全国経済同友会セミナーは第25回で、富山市で開催されました(http://www.hokkoku.co.jp/subpage/T20120420201.htm)。

2011年福岡で(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8221

2010年高知で(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3911

2009年札幌で(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1272

日本は必ず蘇る

日本は必ず蘇る

  オープニングは、全校生徒100名、地元南砺平(なんとたいら)高校(http://taira-h.el.tym.ed.jp/wp/)「郷土芸能部」の生徒さんたち、「越中五箇山民謡」から素晴らしい民謡と踊りでした、表情に躍動感があって実に見事でした。「継承」というのはこのような姿なのだと感動しましたね。

南砺平高校の生徒たち

南砺平高校の生徒たち

  続いて被災三県から、昨年は、直後の被災状況の緊急報告でしたが、今年は、「復興とさらなる発展を目指して」それぞれの取り組みが紹介されました。想像以上の被害状況にもかかわらず、どの県も大きく一歩を踏み出している力を感じました。

被災三県(岩手、宮城、福島)の経済同友会からの報告

被災県(岩手、宮城、福島)の経済同友会からの報告

 休憩をはさんで、4つの分科会が開催です。私は、第二分科会「エネルギーと環境」に登壇でした。

富山で、金岡祐一先生と再会!

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  富山は、まだ桜が満開です。

富山・城址公園

富山・城址公園

市内・松川河畔の桜並木

市内・松川河畔の桜並木

 今から26年前の秋山財団の設立時、初代の選考委員長として基盤を創って頂いた金岡祐一先生(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B2%A1%E7%A5%90%E4%B8%80)と、久しぶりにお会いすることが出来ました。東大から北大にいらっしゃった頃のお話、秋山財団の選考委員長としてご尽力された時期の苦労話等、相変わらず冴えわたっている知性と感性を受け止めた気がします。ご自分の思考を止めることなく、炊事・洗濯もこなされて、奥さまの介護も続ける金岡先生の「生きていく力」に感動しましたし、深く敬意を表します、お会い出来て良かったです。

パネリストとして、いざ出陣

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 経済同友会の全国セミナーが今年は富山で19日・20日に開催され、登録者は1000人を越えているようです。テーマは、「日本は必ず甦る~復興とさらなる発展を目指して~」です。毎年、私は参加していますが、今年は基調講演後の「第2分科会:エネルギー」に、4人のパネラーの一人として登壇します。昨年秋にその旨を伝えられましたが、この分野には全くの素人、この間、関係する情報を集めてみて、これまで取り組んだどの分野よりも、「基礎データ」、「応用データ」が限られていることに驚きます。

 思い出せば、昨年の大震災直後のフォーラム、一昨年の「龍馬フィーバー」の高知で、3年前は札幌でした、ね。

2011年福岡で(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8221

2010年高知で(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3911

2009年札幌で(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1272

 今年は例年とは一味違った関わりに、私自身ワクワク感も増してきます、果たして3・11を経て、今の日本の経営者は、私のメッセージにどんな反応をするのか、興味津々です!

ダルビッシュ & ナポリ

Posted by 秋山孝二
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 今年のプロ野球は、日本ハム・ファイターズ(http://www.fighters.co.jp/)ばかりではなく、テキサス・レンジャーズ(http://texas.rangers.mlb.com/index.jsp?c_id=tex)の試合も注目で、忙しいですね。

 先日のダルビッシュの初登板は、苦難のスタートでしたが、次第に修正して何とか初白星に結びつけました(http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/04/11/kiji/K20120411003023670.html)。コンビを組んだレンジャーズ正捕手のマイク・ナポリは、試合後の会見に「Yu Darvish is My Homeboy!」と書かれたTシャツを着て現れたのをテレビでみました。

  「ダルビッシュは仲間だ」と各紙は報道していますが、英語をよく理解している方の解説では、「仲間」以上の「ダチ!」的、大いなる親しみを込めた表現のようです、嬉しいですね。ダルビッシュが会見で、「散々ワンバウンドを投げたので、ナポリの体が心配」と気遣ったことに対して、その後に登場したナポリは、「大丈夫だよ。ちょっと張っているけど」と話して笑いを誘ったとの報も。投手は非常に繊細な仕事であり、マウンドの高さ・堅さ、ボールの滑り、そして捕手とのコミュニケーション等、ダルビッシュの本来の姿までは、少し時間がかかるのでしょうが、まずは白星スタートで何よりでした。そして球を受ける捕手・ナポリの人柄にホッとしました。メディアは本人の勝ち負け中心の報道ですが、私はチームの中のダルビッシュに興味があります、チームメイトが彼をどう受け入れているのか、地元のファンはどうなのか、球場の観客は熱いのか冷たいのか、といった感じです。

 日本時間15日には、2回目の登板でした(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120415/t10014455981000.html)。本人は、「だいぶ慣れてきたと思う」と冷静で、投球を受けたキャッチャーのナポリは、「きょうのダルビッシュは、ツーシーム、カットボール、それにカーブがよかった。ダルビッシュは球種が多いので、ブルペンでの投球練習を見て、その日の調子のいい球種を見極めている。今回は前回の登板よりもよかったし、大リーグのボールにもだいぶ慣れてきたと思う。これからさらに対応できるようになると思う」とコメントをしています。

 一方日本の新聞は辛口、というよりただの「叩き」ですね、朝日新聞のW記者は現地からの報としてひどいコメントです。「もがく、あがく」、「うつろな表情」、「実質的なKO」等、これが日本メディアのスタンスと言うのでしょうか、気に入りませんね。テレビでは、ワイルドピッチ後のホームベースでタッチアウトを取ったダルビッシュのファインプレーの瞬間を報道していました、気迫のこもった素晴らしいフィールディングでした。

 昨年まで北海道日本ハムファイターズに所属したダルビッシュ・有、何か自分の息子を見ているような気持ですから不思議です。私は、日本人として大リーグで活躍したパイオニア、野茂英雄(http://www.nomo-radiant.jp/)の時以来の気持の入り様です。彼は、大リーグで2度ノーヒットノーランを達成し、日米通算で201勝を挙げ、当時アメリカで仕事をしていたたくさんの日本人に勇気を与えてくれました。恐らくダルビッシュはそれ以上の成績を残すでしょう、今年は日本ハムの試合とともに目が離せない一年になりそうです。

 今年1月の札幌ドームでの記者会見(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11581)でも感じましたが、若者が真摯に挑戦しようとする姿は実に美しいし、心から応援したいですね、ガンバレ、ダルビッシュ!!

北国の春、やっと

Posted by 秋山孝二
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 190万都市の札幌も、やっと春を感じさせる気温になってきました。首都圏ではサクラが満開とか、こちらでは5月5日が開花宣言のようです。

大通公園8丁目、昼下がり

大通公園西8丁目、昼下がり

中島公園菖蒲池畔から藻岩山、夕方

中島公園菖蒲池畔から音楽ホール・キタラ、藻岩山、夕方

  昨年11月に除幕式(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10890)が行われた、「母子像・ふるさと」です。越冬用のブルーシートも取り除かれて、いよいよ初めての春をここで迎えます。多くの皆さまの憩いの場となることを祈っています、特に小さな子供たちの歓声が聞こえてくると嬉しいですね。

市長公邸跡、「母子像・ふるさと」

市長公邸跡、「母子像・ふるさと」

 

 いよいよ北国・札幌も春を迎えます!!!