「じゃぱどら ! 地区大会」、2年目の試み

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 昨年初めて試みた「じゃぱどら地区大会:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7214」は、札幌で活躍する演出家が、優れた日本の戯曲と向き合うために企画されましたが、今年も開催されています。

岸田國士と泉鏡花の作品

岸田國士と泉鏡花の作品

 今年、まずは岸田國士作、納谷真大演出、「命を弄ぶ男ふたり」、出演はイレブン・ナイン(http://eleven9.jp/)のナヤーン・納谷真大(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/dbs/adviser1.htm)と、エダーン・江田由紀浩(http://eda-tora.at.webry.info/201202/article_2.html)の二人です。アフタートークも面白かったですね。

未明の線路脇で出会った二人の男のやりとり・・・・

未明の線路脇で出会った二人の男のやりとり・・・・

 納谷さんの富良野塾での先輩、FICTION(http://www.fiction.gr.jp/)主宰の山下澄人(http://www.actiblog.com/sumito/)さんから、ポイントでアドバイスがあったようです。舞台上に貼られたライン、身につけている草、口の中の金具への質問とその答え、本番までの過程を語る納谷さんと江田さんとのトークは、観終えた観客に更に楽しさを上乗せしてくれました、芝居と言うのは、いろんな要素が込められているのですね、お疲れの所、お二人、ありがとう。

 この作品のような、落ち着いたセリフのやり取り、合い間に入る汽笛と蒸気機関車の走り去る音等、飽きさせない2人の演技とともに、生きるか死ぬか揺れ動く命へのこだわり、「弄ぶ」と言う割には余裕も無く流れていく二人の姿が興味深かったです。

 後半の泉鏡花・作、清水友陽・演出、WATER33-39(http://water33-39.com/)「天守物語」も、20日まで公演で楽しみです。この劇団の代表が、「じゃぱどら!!」プロデューサーの清水友陽(http://water33-39.com/top.htm)さんです。

 これまで演劇は観たことが無いと言う方々にも、是非足を運んで頂きたいですね。普段使っていなかった脳の部分に、心地良い刺激を与えてくれることは間違いありませんよ!

震災から1年を経て

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 東日本大震災からちょうど1年を経て、昨日を含むこの1週間は、各メディアは特別番組・紙面であふれていました。昨年来、自分なりにたくさんの報道に触れてきたつもりですが、昨日を経て膨大な初めてみる映像等、あらためて、ごくごく一部しか知っていなかったことを感じましたし、よい意味でも悪い意味でも、メディアの重要性を再認識しました。

 その中から、心に残った番組をいくつか紹介します。

* 10日(?)BS朝日夜の番組、葉千栄・東海大学教授の「NIPPN ぶった斬り:http://asahi-newstar.com/web/27_yo_senei/?cat=18」で、上杉隆(http://uesugitakashi.com/)、岩上安身(http://iwj.co.jp/)ほか、イタリアのピオ・デミリア(ジャーナリスト、イタリア・「スカイTG24」TV極東特派員)、中国の蒋豊(「日本新華僑報」編集長)のベテラン特派員とのやり取りは、インターネットメディアからみる日本のマスメディアの課題、病理、外国人ジャーナリストに映る日本のメディアの異常さ等、切れ味爽やかに、地震・津波・原発事故のこの間の報道を通じての指摘は、実に興味深いものでした。「がれき処理」にまつわる鋭い指摘、日本の制空権から見る構図等は、「磨き上げられた感性」を見た思いです。「政府が情報を隠す・コントロールしようとする体質は、どこの国でも当たり前。国民は真実を知る権利があり、それをどう指摘し、壁をこじ開けて、国民に対して真実・本質を提示できるか、そこにジャーナリストとしての誇りがあるはず」と語るビオ・デミリアの言葉は特に印象的でした。

* 3月11日早朝5時、NHK・ETV「こころの時代~私にとっての3・11:ひとりひとり命から」は、柳田邦男さんの出演でした。「2万人が犠牲になった一つの大震災」ではなく、「一人一人が犠牲になった2万件の大震災」であることにより、ひとまとめに片づけてします姿勢への警鐘を鳴らし、犠牲になった人の「名前」の重要性を、伊勢真一監督の映画「傍:かたわらhttp://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD21111/index.html」を引用して説明しました。「日常を生きている」ことの価値をあらためて認識し、命の本質というのは、「いる」、「続く」であり、死後もなお「精神性」は生き続けることを、淡々とお話されていました。そして、今、将来を展望する時に、哲学・倫理的議論を含めた幅広い関係者の知恵と創意が必要とも。

* 午後のNHK・ETV「シンサイミライ学校:http://www.nhk.or.jp/sonae/mirai/」では、昨年3月19日のこの欄(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7883)でもご紹介した、群馬大学の片田敏孝教授の防災教育の一コマでした。番組は和歌山県田辺市の中学校の授業でしたが、その教材に登場する釜石の小学生の言葉に感動しました。「震災後の迅速な避難を、多くの人は『釜石の奇跡』と言うけれど、僕たちはそれまでに何回も訓練してきたんだ。日頃の『実力』を発揮しただけであり、それは『奇跡』ではなく、『実績』だよ」、と。しかしながら、そんな釜石の子どもたちも、片田先生も、1000人の釜石市民を救えなかった事実に、「途半ば」を自覚し、今後の生き残った人間の防災への責任を果たしていくと、強い決意も述べていました。

* 新刊本では、外岡秀俊著「3・11複合災害」、「震災と原発 国家の過ち」が興味深いです。彼は、私の中学・高校の3年後輩で、昨年3月末に朝日新聞を退社して、ふるさと札幌に戻るはずでした。予定通り退社はしましたが、3・11直後から取材を開始し、まさに「まえがき」にあるように、「たとえば震災から10年後の2012年に中学・高校生になるあなたが、『さて、3・11とは何だったのか』と振り返り、事実を調べようとするときに、まず手にとっていただく本のひとつにすること。それが目標です。」との思いで、この1年間を鳥瞰図的に、或いはきめ細かい取材を通して、一人一人の眼差しに寄り添った文章で記録されています。

 

 私自身、昨年3・11以降最初のブログ(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7807)、そして、昨年3月のブログ(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?m=201103)です。長淵剛の「愛おしき死者たちよ:http://www.youtube.com/watch?v=a5XSf8Sv_QA」とともに、これからもなお続く私の「2011.3.11」です。

松平康隆さん、お別れの会

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 2011年12月31日にご逝去された松平康隆さん(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11401)の「お別れの会」が、東京・青山葬儀所で執り行われました(http://www.jva.or.jp/news/20120309.html)。幼い時の同級生と思われる年配の男性たち、学校・企業のバレーボール仲間等、多様でたくさんの参列者であふれていました。

春雨の中、青山葬儀所で

春雨の中、青山葬儀所で

座右の銘 :負けてたまるか

座右の銘 :負けてたまるか

 2001年10月には、「20世紀世界最優秀男子監督賞」を受賞されました。

20世紀世界最優秀男子監督賞

20世紀世界最優秀男子監督賞

 

 献花を済ませて式場を出ると、全日本男子監督の植田辰哉さんが、記者・カメラに囲まれてインタビューに応じていました。

インタビューに答える全日本男子監督植田
インタビューに答える植田辰哉全日本男子監督

 会場には、大林素子さん、身長208cmで日本人バレーボール選手およびオリンピック出場選手として歴代最長身の大竹秀之さん、往年のセンタープレーヤー・小田勝美さん他、歴代の全日本選手も多く参列されていました。

 松平さんの言葉に、「常識の延長には、常識の結果しかない。非常識の延長にしか、とてつもない結果はあり得ない」、「世界一になりたいなら、金メダルに相応しい人間になれ。バレー馬鹿になるな」等、名言がたくさんあります。誰よりもバレーボール愛し、誰よりも世界一に挑戦したリーダーシップ、間違いなくトップリーダーでした、私の70年代にも一つの区切りです。

支持!「札幌市、がれき受け入れず」

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 北海道新聞3月8日朝刊の記事、私は札幌市民として全面的に支持します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~記事の引用

札幌市、がれき受け入れず 上田市長、国基準に不信感

 札幌市の上田文雄市長は7日の定例記者会見で、東日本大震災の被災地で発生したがれきの受け入れについて「(放射性物質が)国の基準を下回っていても受け入れるつもりはない」との考えをあらためて表明した。国の示す基準に対しては「放射性物質は微量でも有害で極めて長寿命。十分な知識を持ち、風評被害のことも考えた上で判断してほしい」との考えを示した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 

 前日の道新朝刊第一面には、下記の記事が掲載されていましたが、190万都市の市長として、断固この姿勢を貫くべきで、アンケート等の声により方針を変えてはならないと、私は思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~記事の引用

泊停止64% 「電気料上がっても安全重視」 本社世論調査

 北海道新聞は3、4の両日、原子力政策などについて昨年10月に続き2回目の全道世論調査を行った。北海道電力泊原発(後志管内泊村)の停止が長引いた場合の対応について、「電気料金の値上げを受け入れてでも、原発は不安なので止めておく」との回答が64%を占め、「経済の冷え込みにつながるので、値上げをせず再稼働させる」は30%にとどまった。東日本大震災で発生した岩手、宮城両県のがれきに関しては、「放射性物質のレベルが国の基準以下なら受け入れても良い」が84%と圧倒的だった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 まず、メディアが使っている「瓦礫:がれき」という言葉自体、地元に暮らして居た方々への冒とくでしょう。「瓦礫」ではなく、「生きていた証」であり、基本的にはそれらをどう処理するかも、復興計画の中で、それぞれの地域として乗り越えて計画に織り込まれるものだと思います。「復旧」ではなく「復興」を考えるべきとおっしゃっていた方々ならなおのことです。遠距離を運び、「処分される」、「取り除く」類の議論ではないはずです。その由来からして、安全なのであればその地のどこかに埋める等の扱い以外はないでしょう。

 次に、3月11日以降の東京電力福島原子力発電所事故では、国・東京電力・メディア等、推進してきた一切に対する国民の信頼は失墜しましたし、その後の事故処理・情報開示等においても、さらに不信感を募らせてきています。原発再稼働を巡っての事の運びも、「再稼働ありき」の臭いがプンプンで、誰も「安全性」への信頼を回復していません。そんな現在、「国の基準以下」という言葉は、何の安全性担保にもなりません、「信じた地域がバカだった」となるだけでしょう。

 三つ目は、本来、「瓦礫の処分」は、国が地方に受け入れを迫る話では無いですよ。「ガンバレ!東北」の名の下に、「互助」を強いる姿勢は責任回避であり、高度に専門性を謳ってきた「原子力技術」が、結局は「井戸端会議」レベルの安易な感情に泣きつく醜い姿でしかありません。国・東京電力が、ここでも責任を持って処理すべきだと思います。「原発のゴミ」の処理と全く同じ構図が、ここにも顕われています、どこかが「引き受ける」という課題では無いのです。

 私は、地域エゴから「がれき受け入れ反対」を言っているのではありません。本来の責任を不明確にする、或いはそらす意味にしかならない「がれき受け入れ」計画は、筋違いの方針だと指摘したいのです。同時に、うず高く積み上げられた「がれき」映像を繰り返し放映するメディアも、報道として間違っているのではありませんか。

 全国の各地域が引き受けるべきことは、福島からの一時避難・移住希望者及び子どもたちに対しての受け入れなのだと思います。たとえば、震災直後から大活躍する「東日本大震災市民支援ネットワーク札幌・むすびば(http://shien-do.com/musubiba/home/)」、中心となって活動している私と同じ町内に住むみかみめぐるさん、「農的くらしのレッスン:http://homepage.mac.com/onnn/Aoitori/Lesson_Home.html」でお世話になった永田まさゆきさん達の献身的努力で、全国的にも先駆的取り組み実績を挙げられています。ただ、一番大変な局面を、結局は民間ボランティアに頼りっ放しの行政というのも、無責任ですね。福島の人々の基本的人権として、私たち地方の人間ができる「互助」、それをどう仕組みとして構築するか、行政の取り組みもスピードが必要です。

 意見を聴くべき所を押しつけ、喫緊の課題として取り組むべき所を市民ともに語って時間を使うミスマッチ、職業として働く公務員への注文は尽きません。

ありがとう、Kevin !

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 昨年10月1日に、49歳で亡くなった「R.Kevin Stewart:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10343http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10482」を偲ぶ、「ありがとう、Kevin ~R.Kevin Stewart,Forever In Our Hearts」が、直接彼を知る、お世話になった皆さまの発意で開かれました。

舞台には「Red Sox」ユニフォームのケビン

「Red Sox」ユニフォームのケビン

  当日の舞台には、こよなく彼が愛したメジャーリーグ、「ボストンレッドソックス」のユニフォーム姿の遺影が花で囲まれて、いま尚、その存在感を示していました。

 「黙とう」で始まり、冒頭のご挨拶は、北海道環境科学研究センター(http://www.ies.hro.or.jp/)企画総務部長・木元憲彦さんで、Kevinの当時の上司でした。しばしの懇談の後、11名の方々が、それぞれKevinとの思い出と感謝の気持を、心のこもったお言葉でお話されていました。

北海道庁国際課時代の上司

北海道庁国際課時代の上司・木元憲彦さん

  北海道庁の2年間の勤務、初めての国際交流員ということで、どのセクションでも親しみを持たれていた様子がうかがえました。特に、道庁野球部では、彼のチームでの2年間の記録もしっかり残っていて、2年目ではチームは21勝11敗2分け、彼の通算打率は、何と「.514 :5割1分4厘」で、ダントツ一位です。

 一方、最近のビジネスで最後まで顧客としてお仕事をされた、物産バイオテック(株)(http://bussan-bio.co.jp/)営業本部の藤森義人さんは、この数年のKevinの紹介がありました。会場で私は、彼から貴重な写真を頂きました。

直近までの日本のビジネスパートナー

直近までの日本のビジネスパートナー:藤森義人さん

 当日は、間際のご案内でしたが、40名を越える皆さまにご参加を頂き、寄せ書き、参加者全員の記念写真、この会の様子を録画したDVD作成の後、奥様のMariaさんに贈呈することにもご賛同を得ました。事前にこの会の開催をMariaさんにお知らせした所、今年夏にでも、Kevinが愛した札幌・北海道・日本を、3人のお子様を連れて訪問したい旨のメールも受け取り、お集まりの皆さまにお伝えしました。

 思い返せば今年1月でしたか、道庁出身で現在、有限会社エムズ・インテレクト代表取締役の森田浩( http://blogs.yahoo.co.jp/emz_intellect)さんと昼食をご一緒にしながら、「偲ぶ会」をささやかでもやりたいですね、とお話をしたのが発端でした。森田さんのブログはこちら( http://blogs.yahoo.co.jp/emz_intellect/63192809.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/emz_intellect/63084790.html)。今回、名古屋・東京からも大勢の方々にお集まり頂き、さながら同窓会的雰囲気もあり、Kevinを偲ぶ意図もちろんですが、参加された皆さまの久しぶりの再会にも貢献できた気がして、嬉しかったです。私自身、今年中にKevinのお墓参りを是非すべく、アメリカ東海岸を久しぶりに訪問しようと思っています。1993年8月16日のKevinとMariaさんの結婚式で、私は長淵剛の「乾杯:http://www.youtube.com/watch?v=GwujSSKc2cw&feature=related」を唄ったのを思い出し、涙します。

 R.Kevin Stewart, ありがとう、あなたは私の国際ビジネスでの’恩人:ONJIN’です、どうか、安らかにお眠り下さい。

北海道エネルギーチェンジP、中間報告

Posted by 秋山孝二
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 「きたネットカフェ」で、 「エネルギーチェンジプロジェクト(http://www.enechan100.com/blog/)・ロードマップ中間報告」会が、先日開催されました。 当日の様子はこちら「http://www.kitanet.org/index.html」で録画として見ることができます。

中間報告

中間報告プログラム

 <司会・進行> 新保るみ子さん:ひまわりの種の会(http://himawari.her.jp/)代表理事

<中間報告:パネラー>

* 岩井 尚人 さん :一般社団法人 プロジェクトデザインセンター(http://prodec.jp/)専務理事

* ビアンカ・フェルスト さん :環境カウンセラー(http://www.env.go.jp/policy/counsel/list/detail.php?id=2002201004&p=110&od=&)

* 藤井 賢彦 さん :北海道大学大学院地球環境科学研究院准教授(http://www.ees.hokudai.ac.jp/carbon/mfujii/

左:司会の新保さん、右:岩井さん

左:司会の新保さん、右:岩井さん

左:藤井先生、右:ビアンカさん

左:藤井先生、右:ビアンカさん

 

<報告>  RSR2011 Energy voices of youth

 * 草野 竹史 さん:環境NGO ezorock(http://www.ezorock.org/) 代表

草野さん
草野さん

 RSR2011 Energy voices of youth2011年のライジングサン・ロックフェスティバルでは、環境NGO ezorockが会場に、「エネチェンブース」を設置して10代~20代の方を中心としたみなさんと、「私とエネルギー」について語り合い、参加者はそれぞれのエネチェン宣言を書いた紙を手にして写真を撮りました。この若者たちの笑顔と決意の表情をスライドショ―で見たのです。

 

 

 今回の中間報告会、私はこのプロジェクトの呼びかけ人なので辛口になりますが、全体を通して、私としては少々物足りない、甘ったるい内容に不満でした。中間報告にしても、もっともっと深掘りした議論であって欲しかったです。

 

 岩井さんの報告で、まずは、「エネルギー・チェンジ」にも関わらず、「電力」に最初から絞り込み過ぎている気がします。現在「電力」というエネルギーで賄っている状況を他のエネルギーに代替できないのか、その次に初めて「電力」の議論だと思うのですが・・・・。最終報告に期待しましょう。

 

 もう一つ、「原子力発電」に関しての立場が不明確です。環境系を基盤としてこの間活動してきた方々は、少なくとも「原子力発電」という技術の未熟さ、生態系における違和感等から、3・11以降の方向性はもっともっと毅然とした態度を明確にすべきだと思います。勿論、「原発推進 vs 原発反対」ありきの議論は硬直しますが、対立を避けることを気にし過ぎだと感じました。そもそも、原子力発電の可否を、この構図に仕上げていったのも、原子力推進プロパガンダの一環なのですから。このような姿勢では、今後の「提言」、「提案」も困難ではありませんか、ひと言で表現するならば、「覚悟」が足りません。

 

 私は会の冒頭で、かなりのメッセージを込めて挨拶をしたつもりです。「3・11でお亡くなりになった多くの『いのち』、そして、今もなお日々の生活で苦しまれている方々の思いをしっかりと受け止めて、今回、このプロジェクトでは議論を進めて参りました」、と。最終報告に向けて、更なる議論と英知を積み重ねて、世の中に提起していきたいと思います。

 

公立高校定時制 卒業式

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 3月は人生の区切り、昨日は私が評議員をつとめる公立高校の全日制・定時制の卒業式が、それぞれ午前と夜に開催されて、今年も出席しました。卒業式は、正式には「卒業証書授与式」というそうですね。何年か前にも書きましたが、今年も生徒たちを見ていて、胸に迫るものがありました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=653)。

 午前中の全日制卒業式では、各クラスのパフォーマンス、何が飛び出すのかの期待感もあるし、今年も相変わらず保護者の方々の出席も多かったですね。仕事上でお会いしている方にも数人ご挨拶をしました。

 夜の定時制卒業式は、卒業生一人一人に卒業証書を手渡し、在校生の送辞、卒業生の答辞、式歌の「ほたるの光」で終了、自分自身の高校卒業式に出席しなかった私としては、何か大変懐かしく、こみ上げてくるものを感じました。今年は31名の卒業生で、例年よりも多かったです、気のせいか、服装もどこか地味目で、3・11以降の世相を反映しているのかなと、勝手に考えていました。定時制の授業について、前にこの欄でも書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2434)。

定時制高校の卒業式:卒業生31名

定時制高校の卒業式:卒業生31名

  卒業生代表・佐倉ひろみさんの答辞は心を打ち、感動しました、3・11の惨状を目の当たりにして、今、ごく普通の暮らしをしている自分たちの幸せを感じる、そんな内容でした。3年間・4年間の多くの苦難を乗り越えて卒業に漕ぎつけたこの間の生活を淡々と振り返り、先生・保護者・周囲の方々への感謝の言葉は、実に美しく体育館に響きました。

卒業生答辞:佐倉ひろみさん

卒業生答辞:佐倉ひろみさん

  今年は、同窓会オリジナルグッズの販売等、午後には同窓会の委員会の会合もあり、何と朝9時過ぎから夜8時近くまで、校舎に張り付いていました。途中、少しの時間を見つけて、校門を出て、後輩たちと「風月:http://www.fugetsu-sapporo.co.jp/」の第一号店、発祥のお店でクイックランチでした。二神敏郎社長もご挨拶にお越し頂き、しばし懇談も出来て、ちょっとしたサプライズでした。私が高校2年生の時に、このお店がオープンして、それが「風月」のはじまりとなっています。

昼は「風月」発祥の店で、二神社長にもお会い出来ました!

昼は「風月」発祥の店で、二神敏郎社長にもお会い出来ました!

 歴史を振り返る時、「人のつながり」と「場」のかもし出す記憶は、何回も何回も楽しめる、時にはほろ苦い思い出となって心に浮かび、消える、奥深い大切にしたいひと時です。ある意味の「非日常」、感謝の気持でいっぱいの一日でした。

札幌演劇シーズン、2012冬 (3)~最終

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 今年スタートした「札幌演劇シーズン、2012冬:http://s-e-season.com/about-ses/」は、

 劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/の「このくらいのLangit:http://s-e-season.com/season/2012/winter/inadagumi/

* 劇団TPS(http://www.h-paf.ne.jp/)の「亀、もしくは・・・・。:http://s-e-season.com/season/2012/winter/tps/

でした。それぞれ2週間、トータルで1カ月間のロングランで成功裡に終了しました。 

「亀、もしくは・・・・」も満席が続きました

シアターZoo:TPS「亀、もしくは・・・・」も満席が続きました

 完売が相次いできたTPSの「亀、もしくは…。」は、千秋楽日の25日(土)午前11時に追加公演を行ったほどです。通常、追加公演は最終公演の後ですよね、今回は最終公演後に、演劇関係者による「札幌演劇シーズン2012冬」のパーティー(招待制)が予定されているため、最終公演前の午前中の追加公演となりました、終盤に食事の場面もあるこの芝居、わずか3時間程の間に2回も食べきらなければならない役者も大変ですね。先日、2回目の観劇でしたが、何回観てもいいです、特に最後の「みーんなで一緒に、亀になりましょうよ!」というセリフが、ハンガリー・ブダペストでも良かったけれど、札幌でも印象的でした。

 この企画は、「演劇による創造都市札幌実現プロジェクト:http://s-e-season.com/about-project/」の一環で、今年度は「冬」のみでしたが、4月以降の新しい年度では「夏」と「冬」の年2回企画となります。

 劇作家・脚本家・演出家・役者・照明・設備・音響・デザイン・広告宣伝等、100人の演劇人が活躍する街を目指して、これからも幅広い多様な活動が続きます。演劇におけるプロフェッショナルですよ、民間劇団や民間劇場が生き生きと切磋琢磨する「札幌スタイル」です。

 今年、初めての試みに、本州からいらっしゃったお客さまもいたりで、これまで北海道の芝居には足を運んでいなかった方々も多く、演劇鑑賞の幅を拡げる効果はあったかな、と。今後継続することにより、札幌・北海道で演劇関係の方々が集う場が形成されてくると、面白い展開になってきます。いずれそんな札幌の街を見るために、「皆で一緒に、亀になりましょう」か?

 と、ここまで書いた所で、訃報が入りました。TPSチーフディレクターの斎藤歩さんのお父様がお亡くなりになったとのこと。猛烈社員で信念を貫いた営業活動を続け、51歳で脳出血の後、24年間の闘病・リハビリ生活、それを支え続けた妻の紀子さま、そしてつい先日27日未明にご逝去でした。山登りを好み、病床では油絵ほか芸術面でも多趣味で、たくさんの作品を残されていたそうです。

 昨晩のお通夜では、棺の上に、愛用のピッケルが置かれていました。歩さんの公演を見届けるように、打ち上げパーティ直後に息を引き取られました。心よりご冥福をお祈り致します。

全道農業関連部会交流会 in 別海 (3)

Posted by 秋山孝二
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 「全道農業関連部会交流会 in 別海:http://portal.doyu-kai.net/uploads/zendounougyouinbetukai.pdf」、内容の濃い講演・パネルディスカッション・意見交換会の後は、懇親会でした。とにかく盛りだくさん、次々と登場する「おもてなし精神」満載のプログラムに圧倒されっ放しでした。

 まずはオープニングの和太鼓。

オープニングの和太鼓

オープニングの和太鼓

  次は、別海町役場の若手女性職員による、今、大ブレーク中!「別海ミルクガールズ(BMG):http://www.youtube.com/watch?v=vOg600u7C3E&feature=related」、ホームページはこちらです(http://betsukai.thefareast.asia/bmg/)、この日は一部ユニットの登場となりましたが、ユニークな振り付けが素朴でもあり、拍手喝さいでした。「ジャンボ・ホタテバーガーhttp://jumbomilk.com/jumbo-burger.php」に続いて、全国の酪農家を応援する別海町のブランドとなりつつあるとか。

別海町のアイドル:ミルクガールズ(部分ユニット)

別海町のアイドル:ミルクガールズ(部分ユニット)

  続いてはプロもびっくりのエンターテイナーの登場です。

圧巻!別海のエンターテイナー:大隅啓年さん

圧巻!別海のエンターテイナー:大隅啓年さん

 別海町尾岱沼の「酔楽 まる太http://www.odaito.com/oss/shops-info/2011/09/post-5.php」マスター、大隅啓年さん(http://betsukai-kanko.jp/kanko-blog/2011/06/post-23.php)、前夜の夜は尾岱沼のお店のカウンターで料理人の姿、特に締めの「北海シマエビ天丼」は絶品でした。翌日の夜の舞台では、まさに「偉大なエンターテイナー」、唄・踊りを通して、ジャンボホタテ貝、替え歌、下ネタ、全てをベストミックス(?)、素晴らしいステージでした。さらに興味のある方は、こちらの動画でもどうぞ:http://www.youtube.com/watch?v=AeRINATIbPw&feature=player_detailpage

 最後は、別海町・町歌の大合唱でした。

締めは、「町歌」の大合唱

締めは、「町歌」の大合唱

 

 いやいや、とにかくド迫力とほとばしるエネルギー、「おもてなし」の心をはるかに超えた地域のパワーを感じました。若い世代がきっちり地域で暮らしている実感、地元を支える各セクターの担い手としての存在感、地域名産屋台を含めて、別海町にどっぷり浸かった3日間に感謝です!!

全道農業関連部会交流会 in 別海 (2)

Posted by 秋山孝二
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 今回の「全道農業関連部会交流会 in 別海:http://portal.doyu-kai.net/uploads/zendounougyouinbetukai.pdf」に参加するもう一つの目的は、地元のバイオ関係企業、酪農家、乳業工場の見学でした。地元の藤本達也さんに会議の前後の時間帯にびっしり訪問・見学予定を設定して頂き、鈴木善人(http://www.leaps.jp/?page_id=3)さん、笹山喜市(http://www.deos.co.jp/itc/0019022002c.html)さんと6か所の見学が出来ました。濃厚な見学と経営者との意見交換は、貴重な情報の数々でした。

 まずは、中標津町の(株)バイオマスソリューションズ(http://biosol.jp/?page_id=565)です。猛吹雪の中、藤本達也(http://biosol.jp/?page_id=585)社長にご案内をして頂きました。彼とは2年前にアフリカに一緒に旅行して以来(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3570)、勉強させてもらっています、期待したい若き経営者です!

バイオマス・ソリューション(株)

(株)バイオマス・ソリューションズ

 翌日二日目は、朝から中標津町の「雪印メグミルク(株)なかしべつ工場:http://www.meg-snow.com/fun/factory/others.html」です。なかしべつの牛乳でゴーダチーズやさけるチーズを作っています。チーズ製造の歴史と技術の変遷も知ることができました。

雪印メグミルク・なかしべつ工場

雪印メグミルク・なかしべつ工場

 三日目の朝からは、別海町の(有)別海町酪農研修牧場(http://dairy-farm.net/#)、(株)べつかい乳業興社(http://betsukai-milk.com/)の酪農工場の見学、TMR(Total Mixed Ration)の(有)デイリーサポート別海(http://www.aurens.or.jp/TMR/betsukai/)、そして、(有)竹下牧場(http://earth-cafe.jp/?p=1169)です。

別海体験工場

別海体験工場

生乳生産日本一のまち!

生乳生産日本一のまち!

竹下牧場で

竹下牧場で

 酪農家の仕事、チーズ、ヨーグルト、バターの製造等、これまでの歴史とイノベーション、これからの課題等、これまでの断片的な知識から一歩踏み込んで、理解したような気がします。北海道の代表的産業として、担い手育成を含めた「農業・畜産業」の振興を、その構造イノベーションも含めて、「よそ者」からも考えて、これからも意見交換をしていきたいと思います。

 お忙しい中説明をしてご案内頂いた皆さまに、心から感謝申し上げます。

全道農業関連部会交流会 in 別海 (1)

Posted by 秋山孝二
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 一般社団法人 北海道中小企業家同友会(http://www.hokkaido.doyu.jp/)の「全道農業関連部会交流会 in 別海http://portal.doyu-kai.net/uploads/zendounougyouinbetukai.pdf」が、先日道東の別海町で開催されました。私は会員ではないのですが、一昨年アフリカに一緒に行った方からお誘いがあり、参加しました。南しれとこ支部 別海地区会82社のエネルギッシュな30歳代・40歳代の担当、130名の参加で大盛況でした。

実行委員長・伊藤敏彦社長

実行委員長・伊藤敏彦社長

 第一部の基調講演は、北海道大学観光学高等研究センター教授・敷田麻実(http://gcoe.ees.hokudai.ac.jp/mfrs/?p=1213)先生のご登壇で、「『よそ者』視点で地域資源を発見し地域づくりでイノベーションを起こそう!」、今の北海道に必要な人材を的確に言い当てていらっしゃいました。

基調講演:敷田麻実 北大教授

基調講演:敷田麻実 北大教授

 印象に残った幾つかのフレーズ~~~~

* 「よそ者」をどのように使えるか――>地域の力

* 社会運動は既存枠組みの中での努力だが、ソーシャルイノベーションは「枠組みの転換」

* 有限責任の市民参加、無限責任は自治体の役割

* 地域づくりは地域資源の「還元」、「再投資」と考える

 

 第二部はパネルディスカッション、コーディネーターは、(株)リープス(http://www.leaps.jp/)代表取締役・鈴木善人さん、パネラーは、北大教授の敷田麻実さん、浜中農業協同組合(http://www.doyu.jp/topics/posts/article/20100507-093710)代表理事組合長・石橋榮紀さん、(有)十勝しんむら牧場(http://www.milkjam.com/)代表取締役・新村浩隆さん、別海町役場(http://betsukai.jp/)商工観光課主任・松本博史さんでした。

第二部:パネルディスカッション

第二部:パネルディスカッション、左から敷田、石橋、新村、松本の各氏

石橋さん:http://www.doyu.jp/topics/posts/article/20100507-093710

* ハーゲンダッツアイスクリーム(http://www.haagen-dazs.co.jp/ilove/index.html)の原料製造:白い牛乳の品質へのオンリーワンを目指しての取り組み、そして「世界標準」へ

* 組合員は自ら生産する牛乳が最高品質にあると自負している

* 健全な水、空気、土地  +  健康な人 と 牛

* 酪農事業における枠組みの変換は、「法人経営」

新村さん:http://www.milkjam.com/

* 十勝しんむら牧場の理念、「自然への畏敬と農業の素晴らしさ、そして感動を伝えたい」

* 「価格決定権を持つ」、それには自社の商品を持つこと――>乳製品の製造・販売へ、「クリームテラス」はコミュニケーションの場

* 自分の道は自分で決める――>いらないものを捨てた結果、残るものは残る

松本さん:http://betsukai.jp/

* 「ジャンボ・ホタテバーガー:http://jumbomilk.com/jumbo-burger.php」の誕生物語

* とにかく、「徹底してやる」こと

 

 パネラーが、それぞれの土俵でイノベーションを起こし、実践して、結果を出してきている方々なので、大変説得力があり、そして、今も組織内で「よそ者」として“戦っている”姿を感じ、コーディネーターの鈴木社長の進行の妙もあり、内容の濃い1時間でした、まだまだ時間があった方が、より議論も深まった気もします。いずれにせよ、「二重丸」でした!

あすの電力予想

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 関西電力(http://www.kepco.co.jp/)の原発で、一基だけ運転していた福井県・高浜3号機(87万キロワット)が、20日午後11時に、定期検査のために発電を停止しました。関西電力の原発11基が全て止まり、西日本で稼働中の原発はなくなっています。北海道電力(http://www.hepco.co.jp/)の泊原発3号機は、4月下旬に停止する予定です。

 今月、関西に出張した時、地元テレビで「あすの電力予想」が流れていました。

テレビの「あすの電力予想」

テレビの「あすの電力予想」

 

  一方関東では、東京湾のアクアラインから見る雪を戴いた富士山が、青空の中に姿をあらわしていました。

早朝の富士山:東京湾アクアラインから

早朝の富士山:東京湾アクアラインから

 再稼働を巡る経済産業省の原子力安全・保安院(http://www.nisa.meti.go.jp/)の「議論」は、議論にもなっておらず、実にひどい組織と人材です、まさに「人罪」です。3月末の組織の廃止前に、最後の「悪事の企て」と言わなければなりません。引き続き、厳しい眼で私たちは監視していく必要があります、国民のいのちを何と心得ているのか、国民をなめるにも程があります。

札幌演劇シーズン、2012冬 (2)

Posted by 秋山孝二
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 「札幌演劇シーズン、2012冬」は、1月28日から始まり(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11645)、後半日程(25日まで)を迎えています。思えば、昨年8月の札幌での記者会見(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9763)から7カ月、もうすぐ初年度が終了です。

 私は、劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/の「このくらいのLangit:http://s-e-season.com/season/2012/winter/inadagumi/は、2回目の観劇を14日に、劇団TPS(http://www.h-paf.ne.jp/)の「亀、もしくは・・・・:http://s-e-season.com/season/2012/winter/tps/は、19日、今回のキャストで初めて観ました、22日には2回目の予定も。

ロビーでは、これまでの公演の写真も展示

ロビーでは、これまでの公演の写真も展示

 先日は公演後に、「演劇は仕事になるのか?~演劇の経済的側面とその未来」の著者・米屋尚子さんの講演と鼎談がありました。社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協:http://www.geidankyo.or.jp/top.shtml)で仕事をされて、長年にわたり舞台芸術にかかわる調査研究、政策提言などを担当する一方で、「芸団協セミナー」の責任者として数々の制作者向け講座を企画してきた方です。

東京からのゲスト:米屋尚子さん

東京からのゲスト:米屋尚子さん

  この日は盛りだくさん、講演の後は、毎月の「ZOOサロンの会:http://www.h-paf.ne.jp/salon/index.html」、今回は恒例の「橋本久明賞」の発表でした。「橋本久明賞」とは、TPSの発展にご尽力された故・橋本久明前TPSくらぶ会長の功績を称え、2005年に創設された賞で、年間を通じて最もTPSの活動に貢献した劇団員に贈られる賞です。今年は、全演目に出演し、存在感のある演技で好評だったニセコ町出身の高子未来さんが受賞されました。昨年の札幌劇場祭授賞式後のパーティで、私は彼女に直接、独自の目立たない演技が素晴らしかったと言っていたので、今回の受賞は大変嬉しいです、この賞の審査員の評価がです。

第7回橋本久明賞受賞:高子未来さん

第7回橋本久明賞受賞:高子未来さん

  さらに昨日のNHK総合テレビ・道内版「「つながる@きたカフェ」」の番組では、TPSチーフディレクターの斎藤歩さんが出演して、北海道におけるこれまでの演劇創造等について熱く語っていました。一昨日のサロンの会では、隣の席で日本酒を飲みながらワイワイやっていて、これまでの活動、海外公演のお話等は、大変身近に感じられました。彼は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」、今放送中のTBS「運命の人」にも出演している「個性派(?)俳優」で、今回の演劇シーズンでは、「亀、もしくは・・・・」に出演しています。

齊藤歩、NHK総合テレビに出演:北海道での演劇創造について熱く語る

齊藤歩、NHK総合テレビに出演:北海道での演劇創造について熱く語る

 ハンガリー公演でも、韓国公演でも、同行ツアーで斎藤歩さんとは一緒でした。いろいろゆっくりお話をする機会もありましたが、「若い時に海外公演を経験して、外国のお客様の反応、多様な評価を体験して、世界に通用する役者に育って貰いたい」という彼のメッセージは、これまでの草分け的な地道な育成活動に裏付けされた重みのある言葉でした。

 想い出しますね、ハンガリー公演のブダペスト・メルリン劇場で、「亀、もしくは・・・・」の初日、始まってからの3分間の緊張、山野久治さん扮するハドバー先生のセリフにどっと笑いが起きた時のあの感動。そして、その後日本国内での一段とレベルの上がった公演活動は、役者陣の確かな進化を実感しました。

 人を育てる、それには芝居を創る多くの方々、足を運ぶ観客・ファン、そして、場なのでしょうね。札幌・北海道が本当に本物の場となるような活動が、今年始まったと言えるのでしょう、期待したいし、応援もします!

「六華サロン」 in Tokyo

Posted by 秋山孝二
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 東京六華(りっか)同窓会(http://www.tokyorikka.jp/)は、明治30年の札幌尋常中学校の同窓生が東京で設立して以来、その後の変遷を経て今日まで続き、今年で107年を迎える同窓会です、私も登録1600名の会員の一人です。その中で、この数年、地道に、今、各界の最前線で活躍する同窓の講師を招いて毎月例会を開催している「六華サロン:http://www.tokyorikka.jp/rikkasalon/rikkasalon.html」は、大変ユニークな活動で、内容も濃く、素晴らしい集まりです。

 先月は、私は始めて参加致しましたが、昨年3・11大震災で大きな被害のあった宮城県石巻赤十字病院(http://www.ishinomaki.jrc.or.jp/)の腎臓内科副部長・笠井 暁史(南41期)先生をゲストにお招きしての例会でした。淡々とお話される内容は、まさに感動を与える貴重な報告であり、つい先日に続いて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11566)、私にとってまた誇り高き後輩です。

石巻日赤病院・笠井医師の報告

石巻赤十字病院・笠井医師の報告

  たくさん感じたことはあります、同窓会ブログにも写真入りで報告があります(http://www.tokyorikka.jp/rikkasalon/rikkasalon.html)。まずは、医療機関の職員も被災者であること。当たり前なのですが、遠くに居て、メディアでしか見ていない私たちは、ともすると平時の感覚で彼らの仕事ぶりに期待してしまっていたと大いに反省します。着の身着のまま、食事も、寝る場所も、取材で外からくるメディア、ボランティアとは違って、まさに「被災者」であること、その上で仕事で患者さんを変わらず治療しようとするモラルの高さに敬服します。日頃からの教育訓練のなせる技なのでしょう。

 直後からマル一日は、本当に異常なくらい静かな病院内、ある意味で当たり前ですね、病院に行くどころではない訳ですから。次に押し寄せる人の波とパニック状態、継続的治療が必要な人々が命を掛けて殺到する現実は、現場の方からお聞きして初めて知る事がらばかり。土壇場での患者に対して治療する順番づけの場面(トリアージ)、まさに有事の医療に求められる「どの命を救うのか」の厳しい判断等も、です。以前ここに書き留めた「パンデミックドリル:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3257」を思い出しました。笠井先生は、一連の体験をまさに淡々と、ほとんど形容詞はなく説明されましたが、それ故に臨場感があり、専門職としての力量がためされたのだと思います。

 もうすぐ3・11からマル一年です、私たちはこの大きな犠牲から、今後につながるきっちりした教訓を学び、次に活かしていかなくてはなりません。そして、原子力発電所爆発事故では、未だに収束していない現状、事故調査の最終結果すら発表となっていない今、しなければならないこと、やってはいけないこと、これらは明らかですね。

戸髙一成館長とのお話から

Posted by 秋山孝二
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 広島県呉市の「大和ミュージアム:http://www.yamato-museum.com/concept/」、正式名称は「呉市海事歴史科学館」です。

 2年前にも訪問(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4585)しましたが、今回は、館長・戸髙一成(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9991http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11196)さんとお会いして意見交換、いくつかアドバイスを頂くのが主たる目的でした。

大和ミュージアムから造船工場を望む

大和ミュージアムから造船工場を望む

玄関前:実物大の大和主砲砲身

玄関前:戦艦「陸奥」実物大の主砲身とスクリュ―

錨と

錨ほか

 これまで、一連のビハール号事件:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6」で、自分なりに歴史を検証してきたつもりですが、どうしても「戦犯裁判」の記録で、壁にぶち当たっていました。今後、B・C級戦犯裁判の証言記録を、どう追いかけていくか、その辺について貴重なアドバイスをたくさん頂きました。

 戸髙一成さんは、3年前の8月に、NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1907」3回シリーズでも、高く評価されました。この番組の原点になった「海軍反省会」のテープを保管していることでも知られています。「海戦からみた日露戦争」、「海戦からみた日清戦争」、「海戦からみた太平洋戦争」等、著書もたくさんあり、館長ノート(ブログ:http://www.yamato-museum.com/concept/note/index.html)も興味深いです。今回は、初対面でしたが、テレビ・著書で私はあらかじめよく承知していたためか、或いは戸髙さんのお人柄なのか、初めてという気が全くしない、実に自然なやり取りでした。

 以下、お話から幾つか~~~~~~ 

* 戦争の反省: 敗因は、中枢にいた軍人たちが一番よく分かっている。「海軍反省会」等では、率直な意見が多く出されていたが、聞いた話が本になると、率直な発言が修正されるので、録音テープでの保管とした。なぜ戦争が起きたか、なぜ回避できなかったについて、現場の様子を伝えておかなければならないという認識で、この会は、1980(昭和55)年から1991(平成3)年まで131回開かれた。

* なぜか、海軍中枢に居た方々の会合に数多くお誘いを頂き、「反省会」の録音テープの発表に関しては、生前に発表されると本音が言えなくなる危惧もあり、20年を経て公にし、当初の参加者との約束を守った。

* 「反省会」は記憶の確認、責任の追及等、率直な発言が多かったが、自分たちは最善を尽くしたという言い訳的な発言も背景にはあった。

* 民間の商船撃沈、病院船攻撃、海に浮かぶ軍人・民間人の銃撃等は、戦争中にはどの海軍でも日常的に起きていた記録がある。「ビハール号事件」の場合は、救出して捕虜にした事態が、難しさを造り出したのだろう。戦争とは理不尽で、不条理。

* 「特攻」で逝った人を「英雄」と持ち上げるのは、これを命令した人たちの責任を回避するものであり、特攻の陰の部分だ。

* 海軍は国防の組織、国防は国民を守るための組織のはず、それを「特攻」という国民を殺す作戦を立案し実行し、本来の機能を失った。

* 日本の国は、国家と国民との間の「権利」、「義務」のバランスが甚だ悪かった。「徴兵」の義務を課する大前提として、国家はその国民のいのちを限りなく守る責任を負わなければならないはず。それが、戦後の「戦争責任」の議論にも強く影響してくる。

* 組織と責任の取り方については、今の原子力発電所事故のその後の過程でも全く同様に、あいまいな構図を見て取れる。体制的に責任の所在が不明確。軍令部は天皇の参謀として大枠の命令は出すが、現地での戦略は現場の連合艦隊が行う。従って失敗しても責任が不明確になる。軍令部は現場が悪いと思い、現場の連合艦隊は方針そのものが悪かったと思う。だから失敗を次の戦略に活かすことができなかった。

* 戦後の反省会でも、「組織が悪かった」とは思っていても、その任を担っていた「個人の責任」とは最後まで考えていない所に、「責任を取る」、「責任を取らせる」発想が生まれてこないし、これは日本社会の特徴なのではないか、現代でも同様である。

* 日露戦争の日本海軍の完全勝利により、「無敵艦隊」との認識が続き、海軍には「負ける」という言葉がなかった。本来は、戦争遂行能力が無くなった時期に、戦いの終結を検討すべきが、誰もその勇気が無かった。最後まで「帝国海軍の面子」のためにだけ戦い続ける愚、「日本国の将来」と言った理念は見い出せない。

* 軍は、本来は戦争をしないために存在する、抑止力としてあるにもかかわらず戦争を始めた。現実問題として、軍人・司令官の立場で、「戦争開始に反対」、「戦争を終結させる」ことの不可能なことをあらためて感じる。

~~~~~~~~~~~~~~~~以上、お話から

 

 インターネットで、「太平洋戦争」を検索をすると、実にたくさんのサイトが紹介されます。その中には、極端な戦争讃美、お決まりの懐古趣味、反戦一辺倒、個人を罵倒するような乱暴なブログ等、様々です。でも、今を生きる現役の私たちがしなければならないことは、これまでの多くの犠牲を無駄にしない「学び」から、二度と戦争を始めない国を創る議論を続け、実現することなのではないでしょうか、右翼も左翼もありません、人間としての基本として、です。そして、国際社会の中で生きている現在、それは一国では成し遂げることは不可能です、まさに「外交」の出番です。

 たくさんの海軍中枢の方々とお会いして、実際の生の声を聴いてこられた戸髙一成さんは、ほぼ戦後の同時代を生きてきた私の2年歳上です。今回お会いして、「戦争を語り継ぐ」ということ、「戦後生まれの世代の戦争との向き合い方」について、大きなヒントを得ました。先日、終り頃で、「何を知っているということより、史実をもとに自分の頭で考え続けることが大事だと思います」とおっしゃった言葉が、全てなのかもしれませんね。戸髙一成さま、お忙しい中おつき合い頂き、ありがとうございました。

 近いうちに、また検証を始めます、東京で、そして、ロンドンで、ですね!

江田島へ三たび、「旧海軍兵学校」

Posted by 秋山孝二
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 旧海軍兵学校は、現在は「海上自衛隊第一術科学校:http://www.mod.go.jp/msdf/onemss/」になっています。

 長崎での第一次海軍伝習(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3148)を受けて、日本海軍創設の機運が高まり、まず築地にその人材育成の拠点が設立されました。1888(明治21)年、東京築地にあった海軍兵学校が広島県江田島に移転し、この江田島の地において教育が開始されました。当初生徒は、表桟橋に係留された学習船「東京丸」で起居していましたが、1893(明治26)年に赤レンガの生徒館が完成しました。以後、海軍兵学校は逐次拡充整備され、1945(昭和20)年12月1日に閉校されるまで、57年間にわたり、海軍士官養成の場としての歴史と伝統を築き上げました。

 終戦後は、11年間にわたり、米軍及び英連邦軍等が進駐して施設を使用しましたが、1956(昭和31)年1月、海上自衛隊がこれらを引き継ぎ、横須賀から術科学校が移転、1957(昭和32)年5月には「海上自衛隊幹部候補生学校」が独立開校し、翌年4月には、「海上自衛隊第1術科学校」が発足しました。

旧海軍兵学校校舎

旧海軍兵学校・生徒館

教育参考館

教育参考館

 インターネットで検索すると、たくさんの方が動画・写真等で紹介していますので、画像はそちらに譲ります。私はこれまで、父に絡んで何回か兵学校について書きました。今回の訪問で3回目、これまでと違う立場での見学に、新たな気づきもあり、三たび、身の引き締まる思いでした。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1907

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3177

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5921

 

 今回はその後、レンタル自転車を借りて、江田島湾の向こう側の「軍艦利根資料館:http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki9/tone/tone.html」にも足をのばしました、途中には、同じく攻撃を受けた「大淀」犠牲者の碑もありました。先日は、海岸沿いの強い寒風と峠の山坂でかなりきつい行程でしたが、昨年12月の兵学校76期の方々の「大淀」、「利根」のお話を伺い(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11026)、今回訪問できてよかったです。

少し離れた「軍艦利根資料館」

少し離れた「軍艦利根資料館」

 重巡「利根」は、1944(昭和19)年10月のレイテ沖作戦の後に日本へ帰艦、その後呉に回航され、1945(昭和20)年2月に海軍兵学校練習艦となりました。1945(昭和20)年3月19日の米空母艦載機による空襲により小破、その後、この能美へ移動したものの、7月24日および28日の空襲により大破し、着底しました。この攻撃により、128名の乗員と17名の島民が亡くなったそうです。その頃、「利根」通信長だった私の父・野田宏は、兵学校の分隊監事として江田島に居り、広島への原爆投下を、この江田島で体験しました。

 6年前に父が亡くなった後、書棚を整理していましたら、当時使っていた教科書が数冊見つかりました。

左は「英語書簡文」(昭和16年8月)、右は「航海術五の巻:気象学」(昭和8年2月)の教科書

左は「英語書簡文」(昭和16年8月)、右は「航海術巻の五:気象学」(昭和8年2月)の教科書

 

 日本は、人材育成にかける情熱を持ちながら、日清・日露戦争を経て、戦略なき戦争遂行の陰で、国を担う尊い人材を多く失いました。

岡寺、飛鳥寺&橿原神宮

Posted by 秋山孝二
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 今年は辰年、「龍蓋寺:http://www4.kcn.ne.jp/~balance/の名の奈良県飛鳥地方「岡寺」を訪問しました。私は今年61歳で「大厄年」、この最古の厄払いのお寺については、以前から寺島実郎さんも一押しで、いつか機会があればと思っていましたが、今回、やっと足を運ぶことができました。「岡寺」には実際、龍に蓋をしたといわれる「龍蓋池」も本堂の前にひっそりと。雪が降る寒風の中、レンタル自転車で約3時間走り回り、岡寺に向かう急な坂では自転車を押して登り、帰りは逆に急過ぎて乗るのが危険で、また自転車を支えて途中まで降りました。何のために自転車を岡寺入口まで持っていったのか、後から思えば我ながらよく分からなかってのですが、心地良い疲れではありました。

岡寺本堂

岡寺本堂ほか

岡寺、本来は「龍蓋寺」、龍に蓋をした池

岡寺、本来は「龍蓋寺」、龍に蓋をした池

 

 「岡寺」から5分程度でしたか、「飛鳥寺:http://www.asuka-tobira.com/asukakyo/asukadera.htm」、ここは596年に蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺です。「飛鳥寺」の大仏の前でしばし立つと、左右の顔の表情が違うことに気がつき、空間まるごと歴史を刻んでいて、まるで別の時間が悠々と流れていて落ち着きましたね。この飛鳥地方全体については、「飛鳥資料館:http://www.nabunken.go.jp/asuka/」で一目瞭然、大変立派な資料展示でした。

日本最古の大仏

日本最古の大仏

 

 実は、飛鳥地方探索の前日夕方は、ひと気のない「橿原神宮:http://www.naranet.co.jp/kashiharajingu/」を歩きました。「パワースポット」と言われて、インターネット検索すると多様な紹介がされていますが、ひとそれぞれの感じ方が大切でしょうね。

橿原神宮:本殿を望む

橿原神宮:本殿を望む

 畝傍山の南東麓、約50万平方メートルもの広大な土地に建てられた檜皮葺き(ひわだぶき:檜の樹皮の屋根)で素木(しらき)造りの本殿と神楽殿、玉砂利の参道、背景の深い森の緑と穏やかな稜線のコラボは、時の流れを包み込み、壮大な物語を感じさせます。初代天皇であると伝えられる神武(じんむ)天皇が、橿原宮で天下を治めたという「日本書紀」の記述に基づき、1890(明治23)年に建てられました。祭神は神武天皇とその皇后・媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)で、本殿(重要文化財)は京都御所の賢所(かしこどころ)を移築したものです。 

 

 昨年は「秋山財団創設25周年」を記念してルーツをたどる活動で忙しく、今回は日本国のルーツを確認し、貴重な時間を過ごしました。「場のもつ説得力」、ここでもまた「歴史」を感じ取りました。

「JT生命誌研究館」を訪れて

Posted by 秋山孝二
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 大阪・高槻市にある「JT生命誌研究館:http://www.brh.co.jp/」では、「生きること」、「ゲノムとDNAと時間軸」、「何だかへんなところ」、「いのちのつながり」等、展示の一つ一つのフレーズが、実に心地よく響きます、豊富な素晴らしいメッセージです!(以下の写真はこのブログに使用との限定で承認して頂きました)

生命誌

生命誌「生きる」ということ

館内2階から

館内2階から

いのちの連鎖

いのちの連鎖

 ここの館長・中村桂子(http://www.brh.co.jp/youkoso/aisatsu/)先生に、今年秋予定、秋山財団講演会での演者の依頼をして参りました。大変お忙しい中、北海道までお越し頂くのは大変困難なのは承知していたのですが、何とか無理をお願いして実現しそうです、本当に有り難いことです。中村桂子先生は、3年前の札医大・リレー講座(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1690)でも素晴らしいお話でしたし、つい最近のNHK教育テレビ「いのちの時間」等にも出演されています。

 この生命誌研究館では、「いのち」のつながりを「見える化」して展示し、易しい表現ながらも妥協することなく、ゲノムDNA等についてかなり高度な内容まで説明しています。「多様性」、「いのちがつなぐ歴史の創造」、「いのちを育む場としての地球」、本当に一つ一つが心に沁み入ります。

 まさにライフサイエンス研究の究極のアウトリーチ活動ですね、最初に「いのち」を学ぶ子どもたちが、こういった場と出会うとことが、最高の価値だと思います。

日本人は何を考えてきたのか?

Posted by 秋山孝二
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 NHK教育テレビ「日本人は何を考えてきたのか:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/about/index.html」、NHKのHPには:~~~~~~未曾有の震災、原発事故、そして混迷する政治・経済…いま、私たちは文明史の転換に立たされています。日本はどこへゆくのか。時代の座標軸を求めて、思想や哲学を求める声が高まっています。日本が近代文明を目指して開国してから150年。この間、人々は時代と向き合い、何を考えてきたのでしょうか。思想の巨人たちの苦闘の中に、今を読み解く手がかりはないのか。このシリーズは国際的な新しい視点で2年がかりで日本人の近代の思索の営みを描いていきます。~~~~~とあります。

 第4回「非戦と平等を求めて~堺利彦と幸徳秋水:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/0129.html」は、見応えがありました。歴史学者・クリスチーヌ・レヴィ(フランス・ボルドー第三大学教授:http://peces.blog27.fc2.com/blog-entry-455.html)さん、山泉進(明治大学教授:http://www.meiji.ac.jp/hogaku/teacher/yamaizumi.htm)さんのコメント、特にレヴィ教授のお話は実に興味深かったです。国家と国民、自立した存在としての国民、国家権力とその責任の取り方、取らせ方等、3・11以降の今、まさに問い直されるべき日本社会だと思います。

<参考サイト>

* 「堺利彦顕彰会:http://www12.ocn.ne.jp/~sayaka/turuta_hayama_sakai/sakai.html

* 「幸徳秋水を顕彰する会:http://www.shuusui.com/

 2年前に高知県四万十市を訪れた時、四万十中村で幸徳秋水のお墓をお参りしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3916)。冤罪(えんざい)のまさに始まり、日清・日露戦争を経た当時の時代背景をあらためて認識しました、「歴史に学ぶ」とは言え、歴史の検証というのも奥深いですね。記録の壁を穿ち、厚い扉をこじ開けて真実を究明する、そんな飽くなき姿勢が必須です。

 今後、7月「大正編:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/index.html」も楽しみです。~~~~~~~~~~~~

第5回 東と西をつなぐ ~内村鑑三・新渡戸稲造~

第6回 大正デモクラシーと中国・朝鮮 ~吉野作造・石橋湛山~

第7回 貧困に取り組む ~河上肇と経済学者たち~

第8回 常民の日本を探る ~柳田民俗学とその継承者~
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ウルトラジャンボ!隣の若い連中

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 札幌市営地下鉄「大通駅」の南1条西5丁目出口に向かう途中、 「やきそば屋大通店:http://gourmet.walkerplus.com/144461030638/」のディスプレイがあります。ほぼ毎日その通路を歩いていて、これは目に入っていました。お店にはいつも混んでいる時間を外して行っていたので気がつかなかったのですが、先日は丁度昼時、店内はほぼ満席で、私の両隣りにも次々と若いビジネスマンがやってきました。

地下鉄「大通駅」通路のディスプレイ

地下鉄「大通駅」通路のディスプレイ

 自分の注文は「並」でしたが、お店の方は「10円増しで大盛りになりますけれども?」。私は最近とても食べられないので、「いや、並で結構です」と答えました。その後、相次いで着席した若いビジネスマン、右隣は「スーパージャンボ!」、左は「ミラクル!」と言うではありませんか。私は変わった商品があるのだなと思っていたら、何とそれがあのディスプレイにあった焼きそばの「量」だったのです。いつも「並」しか頼まない自分は、この店は大盛りの「並」だと思い込んでいたのですが、やがて両隣に運ばれたそれぞれのお皿を見てびっくり!あのディスプレイにあったそのままの量ががお皿に山盛りになっているではありませんか。若い連中はそこにお気に入りのトッピングソースを何種類かそれぞれ自分なりにかけて食べ始めました。

一番上(皿だけ)が「並」、順に「大盛」、「ジャンボ」・・・

一番上(皿だけ映っている)が「並」、順に「大盛」、「ジャンボ」・・・

更に増えていく・・・・

更に増えていく・・・・

 この店はもう25年以上経っているとか、開店当時は250g、375g、500gの3段階だったメニューも、今では650~3000gも加わり9段階、ちなみに「スーパージャンボ」は2.5玉、「ミラクル」は3玉分だそうですよ。「ミラクル」の上にまだ2段階大盛のメニューがあります。用意する店も店でびっくりですが、それを注文して食べきる若い連中にも驚きでした、尊敬します!

 私にとって、「食べ放題」という言葉を初めて聞いたのは1960年代だったでしょうか。札幌市内南大通3丁目だったかと思いますが、「味のセンター」というビルが開店オープン、寿司・そば・和食・中華・洋食等、いろいろあっての食べ放題メニューが新鮮でした。それと今は大盛況のお好み焼き・焼きそばの「風月:http://www.fugetsu-sapporo.co.jp/」、札幌の南16条の第一号店で、焼きそばを3人前(?)を食べるとタダになるとか何とか、高校時代に教室で話題になっていたのを思い出しました。

 「焼きそば」と大盛りの想い出が、先日、急に蘇りました、フェイスブック(FB)でも食べ物の記事が多くアップされていますね。「生きる」ことは「食べる」ことなのでしょう!