低線量被曝と向き合う

Posted By 秋山孝二
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 北海道大学スラブ研究センター・家田研究室(http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/people/file-ieda.html)主催の「一緒に考えましょう講座:http://src-hokudai-ac.jp/ieda/lectureslist.html」第5回として、チェルノブイリの教訓から、「低線量被曝と向き合う:http://src-hokudai-ac.jp/ieda/chernobyl.html」フォーラムが開催されました。

 海外からお二人のゲスト、ミハイル V マルコ(Mikhail V.Malko 1942年生まれ)博士、エフゲーニヤ ステバーノヴナ(Yevgeniya Stepanova 1939年生まれ)教授、それに京都大学原子炉実験所(http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/)の今中哲二(1950年生まれ)先生です。

ミハエル・マリコ教授と今中哲二助教

ミハエル・マルコ先生と今中哲二先生

 

エフゲーニヤ・ステパーノヴナ先生と通訳
エフゲーニヤ・ステパーノヴナ先生と通訳

 昨年の3・11直後に、福島原発周辺の放射線量測定にいち早く奔走された今中哲二先生は、サイエンスには分からない事も多々あることを認識すること、自分にとっては、フクシマ事故はこれまでの原子力技術の導入経過から、必然として位置付けられ、さらに、日本国民としては、地震とどう付き合って生きていくのか、3・11以降、一層問われていることを警告していました。

 ベラルーシのマルコ先生は、集団線量と一人当たり線量のリスクモデルを説明されて、チェルノブイリ事故後のデータ検証で重要なことは、1986年の「原発事故」と、1989年の「ソ連邦崩壊」の二つのファクターが、その後の環境問題にも大きな影響を及ぼしていることを考慮すべきだと指摘されました。たとえば、ソ連邦崩壊によりGDPは大幅に減り、それゆえに環境は一時的にクリーンになったとか。事故直後は、「急性期」被害が中心であり、その後は、情報が無い、正しい情報が無い等により、社会的緊張感が漂っていて、それは放射能情報だけにとどまらなかったとも。
 ステバーノヴナ先生は、ウクライナ放射線医学研究センターのお立場で、子どもたちへの25年間の放射能の影響について、貴重なデータによるご説明でした。自分たちは多くの失敗をしてきたけれど、継続した健康モニタリングを実施して、多くの教訓を学んでほしい、と。そして、原発事故は、体内被曝の問題ばかりでなく、移住による友人との別離、ライフスタイルの変更、食物の変更等、生きていくあらゆる術(すべ)を変えてしまうことも。
 最後は、「事故は起きてしまった、しかし、人々は生きている!」、そう結ばれました。
 このメンバーは、福島を含めて下記の地域を回ってフォーラムを続けて、22日に帰国されるようです。
  9日(月) 10-12時     蘭越町山村開発センター
 10日(火) 13時30分     川俣町中央公民館3F研修室
       18時30分     福島市MAX福島4F A・O・Z
 11日(水) 13時30分     郡山市橘公民館大会議室
 13日(金) 16時半―19時半   大阪大学吹田キャンパス 銀杏会館3F
                  阪急電鉄・三和銀行ホール ポスター
 14日(土) 13時―17時     京都大学文学研究科第3講義室
 15日(日) 14時-17時     松江市市民活動センター交流ホール
 17日(火) 18時30分~     名古屋市女性会館
 18日 (水)  10時30分~     名古屋市天白文化小劇場
 19日(木)  18時30分ー20時30分 いわき市文化センター大ホール
 21日(土)  14時-18時    東京大学弥生講堂    
 22日帰国

 

One Response to “低線量被曝と向き合う”

  1. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ハンガリーでの大汚染事故 Says:

    [...]  家田修先生が今年4月に主催された講演会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12476)は、私も出席しました。 [...]