【補足】黒田伸さんのこと

Posted by 秋山孝二
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 ひとつ前のブログに、「 日本野球のルーツ、本当は・・・」と題して、みらい塾塾生の黒田伸さんのプレゼンをご紹介しましたが、実は、黒田さんと私との関係で、大切なことを書き忘れていたので、「補足」で掲載します。

 以前、黒田さんとお会いして、いろいろな話題に花が咲いていた時、偶然、ご自身の中学校時代のお話になりました。「黒田」姓なので、ご先祖は薩摩と伺っていましたが、千葉県船橋市で育ち、千葉大学付属中学校に通っていたとのこと。咄嗟に反応した私は、「いつ頃になります?」とお聞きすると、昭和48年頃とのご返事。当時、私は千葉大学教育学部の学生で、3年・4年で教育実習生として付属中学校で授業を行っていたので、もしやと思って、当時の理科教諭のお名前、関先生、飯岡先生、宮脇先生と言い始めたとき、「習いました!」とおっしゃるではありませんか。

 さらに時期を詳細に擦り合わせると、どうやら私の教育実習授業を受けたクラスの生徒だったようなのです。付属中学校にはたくさんの教育実習生がやってくるので、生徒たちは学生を試すように意地悪な質問を浴びせていたと黒田さんはおっしゃっていましたが、私の記憶ではそれ程の生徒からの「いじめ?!」はなかったです。むしろ、理科の実験とか部活の様子に密着してみて、自力のある生徒たちだなと、感心したことを覚えています。

 実は、私も札幌の北海道学芸大学(後の北海道教育大学)付属中学校で学んだので、同じように教育実習生が年間たくさんやってきて、似たような思い出を持っていました。当時は、藻岩山の麓でしたので、授業中で退屈な時は、窓から見える藻岩山を眺めていたこともありましたね。

 そんな私の思い出はこちらーー>

* 原風景 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9598

* 2016年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=28152

 いずれにせよ、本当に縁というのは奇なり、まさか40数年経て札幌でこのようなお話で盛り上がるとは、夢にも思いませんでした。教え子との再会ばかりでなく、教育実習の時の生徒との再会というのも、なかなかのものです!

* 教え子との再会1 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32009

* 教え子との再会2 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32162

薩摩と会津への訪問、因縁ですね

Posted by 秋山孝二
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 何も意識していなかったのに、後で振り返ると「そうだったんだ!」と妙に因縁を感じる時があります。 3月・4月と私自身が全く別の目的で訪問した土地、鹿児島と福島、そう言えば幕末から明治に掛けて以来の「薩摩」・「会津」の微妙な関係でした。

薩摩:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E8%96%A9%E6%91%A9

会津:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BC%9A%E6%B4%A5

 会津若松の訪問で、掲載し忘れた1枚の写真です、「フクシマ」を実感しました。

中学校の校庭の一角に大熊町、双葉町の木造仮設住宅

鶴ヶ城よこ、中学校の校庭の一角に、大熊町、双葉町の一時避難所・木造仮設住宅

 

 そんな折、外岡秀俊(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12165)さんの最近の著書、「複合震災」と「震災と原発 国家の過ち」はメッセージ満載です。たまたま「震災と原発 国家の過ち」を読み直していると、「第4章 東北とは何か」に、実に興味深いことが書かれています。少々長い引用になりますがお許し下さい。放言で辞任に追い込まれた松本龍復興担当相のやり取りに絡んでです。

 

~~~~~~~~~~ここから引用

 中央の権力を笠に着て、被災地の首長を見下し、威嚇する。果てはマスコミを恫喝する。こうした人物が、復興基本法でできた重要ポストに就いたこと自体が驚きだった。

 だが数ある放言のなかで、私がもっとも気になったのは、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とかわからんのだ」という発言だった。これには訳がある。

 学生のころ、仙台市に拠点を置く『河北新報』の社長に、話をうかがったことがある。社長は、東北ブロック紙の現状について語る前に、新聞の紙名の由来を説明した。「東北には、『白河以北一山(ひとやま)百文(もん)』という言い伝えがあります。戊辰戦争で負けてのち、薩長は東北を蔑み、福島県の白河の関から北には、何の価値も無いといった。意地でもその逆境を撥ね返してやる、とつけたのが、『河北新報』の名前です」

 この「白河以北一山百文」の出典は定かではない。東北をめぐる近代の言説をつぶさにたどった河西英通氏の『東北』『続・東北』(中公新書)によれば、1878年8月23日の『近時評論』誌の記事が、最初の記述だろうという。

 一般には、戊辰戦争の際に、官軍の将校が発した言葉という説が流布している。しかし河西氏の文献考証から、この言葉は、「一山:いちざん」と号した岩手出身の原敬が、1918年に首相に就任した前後、それまで「賊軍」「朝敵」とされてきた東北の名誉回復の機運が高まって、「官軍スローガン」説がつくられた、と推測している。

 いずれにせよ、東北では、「白河以北」という言葉は、西南日本による、いわれなき蔑視と差別を象徴する言葉なのである。

・・・・・・・・高橋富雄氏は『地方からの日本学 地方(じかた)日本学――方法と実践』(歴史春秋出版)の中で、一章を設け、「東北呪詛(じゅそ)」の響きをもつ「白河以北」の言葉がうまれる3つの要因を分析している。

 第一は、自然の要因である。弥生型生産様式としての稲作農耕は、暖国西南には適合しても、寒冷な東北には不向きだった。縄文時代には日本の中心だった東北も、その後は冷害、凶作、飢饉の常襲地帯になり、その運命は人為を超えていた。

 第二は歴史の要因だ。これは第一の要因が18・19世紀に長期的な天災となって顕在化したことを指す。宝暦、天明、天保と続いた凶作は未曽有の飢饉となって東北を襲い、「東北一円無一物」が常態化した。戊申戦争が惨憺たる敗戦に終わったのも、その経済的基盤に弱点があったからだ。

 しかし、「白河以北」が明治維新による「東北断罪」の言葉になったのは、直接には第三の政治の要因による。会津、仙台、南部をはじめとする「皆敵奥州」は、賊国として一切の政治的な特権を停止、剥奪され、その後も、政治的には「軟禁状態」、経済的には「禁治産者状態」に置かれた。

 高橋氏は、後に原敬がいうように、「戊辰戦争は政見の異同のみ」であった、という。それは原理的には五分と五分のたたかいで、「勝者」が「敗者」を断罪する覇道ではなく、結果に優劣を求めることをしないフェアな武士道によって遇するべきだった、という。

 だが、こうして「白河以北」に結晶化した「遅れた東北」のイメージは、歴史的には、より深い古代の地層から長い時間をかけて析出されたものだった。・・・・・・・・・・・・・・ 

 このように歴史をたどったうえで、高橋氏は、「東北的なもの」とは、「日本文化、あるいは日本史における未知なるものを典型的に代表するもの」だと定義する。

 縄文以来、東北の根に生き続けている元始的なもの、変わらないものは、「近代」のモノサシから見れば「遅れた」存在に映るかもしれない。しかし、文明が行き詰ったときに、新しい文明や文化を創造するエネルギーをもたらすものは、つねに旧来の「歴史」を超える超近代の「元始」であった、「東北的なもの」には、近代が行き詰ったときに、「もうひとつの日本」を構想する重要なカギが隠されているのではないか。

 高橋氏の基調講演は、「東北的なもの」の可能性を問いかけて終わっている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 

 最後のフレーズに力がありますね。外岡氏は、「文学が被災者に希望を与えるのではなく、被災者が希望であることを教えるのが文学であることを知った」とまえがきで語っています、豊富な読書と知識、高い見識に裏付けられた、実に鋭い考察だと思いました。3年前の9月に、私も友人たちと青森・弘前・大間を旅行し、確かな東北の歴史は目に焼き付いています。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2170

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2172

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2203

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2175

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2250

 

 5月の「メディアアンビシャス:http://media-am.org/」例会で、外岡秀俊さんをゲストスピーカーにお招きしています。

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日時 5月15日(火)午後7時から(午後6時には開場しています)

場所 愛生舘ビル (札幌市中央区南1西5北西角、市電沿いビル:入
口は二つありますが、南側入り口から入った右手奥、 1階会議室)

講師 元朝日新聞 外岡秀俊さん(昨年3月末で朝日新聞を退社し、
ふるさと札幌に拠点を移して活動中)

テーマ 「大災害とメディア」、「マスコミとフリーの違い」等について
     ~~朝日を退職してゆっくり札幌で活動と思っていた矢先の
3・11、以前の阪神淡路大震災、中国の四川大震災等の取材経験を
踏まえて、今年になって出版した2冊の本も大変読み応えのある内容
でした。 

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 例会の場で、彼の捉える今回の大震災・津波・原発被害について、さらに突っ込んだメッセージを期待したいですね。

薩摩は、今 (4)、鹿児島

Posted by 秋山孝二
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  鹿児島県内は、昨年の新幹線開通で大きな経済効果があり、活気を呈していましたが、それは地元経済ばかりでなく、桜島(http://kagoshima-live.com/sakurajima.html)にも活力を与えて、噴火の回数も大幅に増えているそうです。先日は風向きが逆でしたので、鹿児島市内はすっきり晴れていました。「桜島」、「錦江湾」というと、すぐに歌手の長淵剛を思い出します(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=407)。

桜島、圧倒的存在感!

桜島、圧倒的存在感!

 知覧町(http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_036.htm)は、2007年12月1日に市町村合併で「南九州市」となりました、市名の読み仮名は9文字で、日本最長とのことです。知覧茶の味わい、武家屋敷群の見事さには変わりはありません。 

知覧の庭園

薩摩の小京都:知覧の庭園

 今回は訪問できませんでしたが、「知覧特攻平和会館:http://www.city.minamikyushu.lg.jp/cgi-bin/hpViewContent.cgi?pID=20070920195935」は、忘れてはいけない歴史として、しっかり語り継ぐ責任を感じます、最近は修学旅行生の訪問も多いようです。

薩摩は、今 (3)、種子島

Posted by 秋山孝二
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  世界遺産・屋久島からフェリーで約1時間40分、まるで違った形状の種子島(http://www.tanegashima.co.jp/)にも上陸しました、海岸線と広く美しい砂浜が印象的でした。

千尋の座

千座(ちくら)の岩屋

JAXA種子島宇宙センター

JAXA種子島宇宙センター発射場

  一方、島の北、西之表港では、年度末で転勤する学校の先生ほかと見送りの人たちのお別れにも遭遇しました、まるで映画のロケみたいな場面ではありました。

港では転勤する人々の見送りも

港では転勤する人々の見送りも

 1543年の「鉄砲伝来:http://www.city.nishinoomote.lg.jp/histry/denrai.html」と簡単に記憶していましたが、そこには多くの秘話が隠されていたようです。「若狭物語:http://www.city.nishinoomote.lg.jp/histry/wakasa.html」もその一つですね。

 ところで、バスのガイドさんから気になる話を聞きました。種子島のすぐ隣の「馬毛(まげ)島:http://imagic.qee.jp/sima4/kagosima/magesima.html」、これまで何かといわく因縁の話題が出ては消えていましたが、昨今は米軍滑走路建設(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-06-22/2011062215_03_1.html)を巡っての疑惑です。馬毛島のほとんどを所有する馬毛島開発(立石勲社長)は、同島で貨物専用飛行場を計画し、昨年2月から伐採を進めているとの噂、約4000メートルの滑走路構想も浮上しているようです。沖縄の米軍基地移転問題とも絡んで、今後、注視していかなくてはなりません。

薩摩は、今 (2)、屋久島

Posted by 秋山孝二
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  世界遺産・屋久島(http://www.tabian.com/tiikibetu/kyusyu/kagosima/yakusima/)、天忠石(http://gezanjuku.yamagomori.com/23_07_24_tacyudake.html)と紀元杉(http://ww22.tiki.ne.jp/~u-jeune/souchoujyuku/yakushima/kigen.html)ほかの樹木、千尋の滝(http://www.youtube.com/watch?v=pdXcFjrTQ_I)の圧倒的力、歴史を生き抜いた、まさに「力」を感じます、表現の仕様がありません。

天誅山

太忠岳の天忠石

紀元杉

紀元杉

岩を抱く杉

岩を抱く杉

滝

千尋の滝

薩摩は、今 (1)、空港&霧島

Posted by 秋山孝二
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 「薩摩の今」、歴史を辿る旅でした。空港向かいの西郷公園(http://www41.tok2.com/home/kanihei5/saigoukouen.html)で睨みを効かす「西郷隆盛」。上野公園の銅像とはひと味違う迫力です。

西郷隆盛は睨みをきかす!

西郷隆盛は睨みをきかす!

  霧島神宮(http://www.kirishimajingu.or.jp/index.html)の御神木、奥行きのある神宮と境内でした。

霧島神宮御神木

霧島神宮御神木

  翌日の朝、鹿児島南港からジェット船、黄砂でけむる開聞岳(http://www.mapple.net/spots/G04600047901.htm)も見ることが出来ました。

錦江湾から靄にかすむ開聞岳

錦江湾から靄にかすむ開聞岳

 一路、世界遺産・屋久島を目指しました。