祝、附属札幌中学校70周年!

Posted By 秋山孝二
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 北海道教育大学附属札幌中学校の開校70周年記念式典・祝賀会が開催されました。南2条西15丁目に戦後開校して、南22条に移転し、さらにあいの里に移り、現在に至っています。

* こんな動画も――> http://www.lyricslisten.com/-22-wKYsBBqNank

あいの里・校舎体育館での式典

あいの里・校舎体育館での式典

 式典では全校生徒による合唱ほか、素晴らしい心のこもったプログラムの数々でした。

全校生徒による合唱

全校生徒による合唱

 生徒会長のご挨拶も立派でしたね。

前生徒会長の言葉

前生徒会長の言葉

生徒会長の言葉、素晴らしい内容!

生徒会長の言葉、素晴らしい内容!

 夜は会場を札幌プリンスホテル・パミール館に移して行われました。佐々木貴子校長のご挨拶に始まり、ご来賓の北海道教育大学理事、同窓会会長の祝辞と続きました、皆さんメッセージ満載の聞き応えのあるお話でした。同期ごとに丸テーブルの指定座席、私の隣には何と50年ぶりくらいに再会した東京からの同期生でした、ほかにも2期先輩たちもご一緒に、ひと時同窓生として等身大の会話が楽しかったです。

夜は祝賀会@札幌プリンスホテルパミール

夜は祝賀会、佐々木貴子校長のご挨拶@札幌プリンスホテルパミール

 会の終わりは校歌斉唱(http://www.lyricslisten.com/-_Y6mnS0YUgA)、この校歌は途中から転調するなど本当にモダンで歌詞もよく、「藤房」、「アカシア」、「藻岩嶺」、サッポロの香りいっぱいです。式典の時に、2期生の大先輩がおっしゃっていましたが、この校歌は、最初の南二条時代の校舎の風景を謳ったものだそうです、「藻岩嶺を仰ぐ学び舎」等。

会は校歌斉唱で幕を閉じる

会は校歌斉唱で幕を閉じる

 式典での出席者へのプレゼント、生徒一人一人のメッセージが書き込まれた藍染、真心こもるメッセージを届けて頂きました。

全員へのプレゼント・藍染:生徒一人一人の手書きの言葉も添えて

全員へのプレゼント・藍染:生徒一人一人の手書きの言葉も添えて

 今回の70周年記念誌で、同窓会からのメッセージに私も副会長として寄稿しました。~~~~~~~~~~~~~~~

70年、時代は巡る 同窓会副会長(第18期) 秋山孝二

開校70周年、心からお祝い申し上げます。

 私にとっての「中学校」は、まずは自分自身の附中の学校生活、藻岩山麓で部活動と生徒会活動の充実した日々でした。部活は決して誇るべき戦績は残せませんでしたが、主将として自分たちで練習メニューを工夫・作成し学びが多かったです。体育祭、文化祭では、生徒会長として生徒たちの自主的企画・運営等、仲間との葛藤を乗り越えて、やり切った感は今でも記憶に鮮明です。

 もう一つは、大学を卒業してからの東京都江戸川区立中学校の理科教諭の経験です。僅か5年間でしたが、私の人生の中では実に濃密な時間でした。子供が特に好きだった訳でもない私は、中学校時代から将来は中学校教諭になりたいと考えていた様で、附中卒業文集には「僻地教育――千里の志」と書いてあります。その後、朝永振一郎博士に憧れ、「物性物理学」に挑戦するも、大学卒論作成過程で私は研究職には向いていない事を痛感しました。退職後は札幌で企業経営に携わり、ふと仕事で考え事をしていると、「こんな風に思考した事が以前にもあったな」と気がつく時が度々ありました。不思議なもので、記憶の引出しに確かに仕舞い込んだ教師生活の数々の経験が、鮮やかに甦り、経営の場に大いに役に立ちました。

 教諭時代、私は男子・女子バレーボール部の監督で、学級担任以上に部員と365日の生活は、その中でも一番貴重なものです。当初は出ると負けのチーム、試合場に向かう我々は屠場へ引かれる牛の心境で、負けても笑顔の子供達に、「お前達、悔しくはないのか!」と怒鳴り、試合後バスも使わせずトボトボと歩いた日々でした。学校近くまで来た時、一人の男子が「先生、今度は恥をかかせないように俺達頑張るから」とポツリと言ってくれました。

 猛練習の甲斐があり、やがて厳しい地区予選を勝ち抜いて、都大会へ男女そろって出場できるまで成長し、特に女子は、接戦を粘り準決勝に進出し、あと一歩で全国大会出場と強くなりました。子供達はその後、インターハイで全国優勝したり、日本体育大学応援団長になったり、実業団チームの一員としてテレビのバレーボール中継で見たり、なかなかの活躍のようでした。

 生活指導は、子供達にとってより、私自身の人生勉強になりました。二十代の私は、正義感ゆえに子供達を随分傷つけたような気がしています。「教育とは子供達に自信を与える事である。その為には教師は立ちはだかる壁になり、時には支える踏み台になれ。教師自身の正義感で、子供を悪者扱いしてはいけない」、私の尊敬する学年主任の一番印象に残る言葉でした。家出した子、万引きした子、警察に捕まった番長を理科実験準備室に個別に呼んで話をすると、皆、実にいい子たちでした。自分の学校の下級生が他校生にお金を強奪された時、「俺の力が足りなかった」と号泣した番長。「いや、お前のせいではない」と肩をたたき、ともに涙を流した自分が懐かしいですね。

 沢山の中学生を見てきて、私は確信します、附中生は間違いなく社会、組織のリーダーを期待されている、と。混迷する21世紀、鍛えられた附中生にこれからの日本を担って頂きたい、今、まさにそんな思いです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 私にとっては、藻岩山の風景と小学校・中学校の思い出が濃いですね。以前にもブログにこう書きました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9598

~~~~~~~~~~~~私の母校の小学校校歌「明星輝く藻岩の山の、気高き姿を日ごとに仰ぎ・・・」、中学校校歌「藻岩嶺を仰ぐ学び舎、我ら今、ここに集いて・・・」、高校校歌「明日に望む藻岩嶺に、夕べ河畔の豊平に・・・」、全てに登場する「藻岩山」は、私の心のふるさとです。

 札幌の街は、西側に山並みが連なり、南西に藻岩山、南9条通りから西を望むと円山が、南大通から西を望むと大倉山が、北5条通りから西を望むと三角山が、そして遥か北西には手稲山を仰ぎみることができ、景観的にも明治時代の開拓設計者の素晴らしいセンスに感謝したいですね。

 先日、東京からのお客様を、久しぶりに藻岩山観光道路を走って藻岩山頂にご案内しようと思って近くまで言った所、「現在休止中」との看板が掛っていました。山頂の建物のリニューアルで今年12月まで休業とのことでした(http://moiwa.sapporo-dc.co.jp/)。藻岩山頂からの夜景は素晴らしいですね、函館山と世界に誇れる夜景だと思います、香港、長崎なども行きましたが、比較になりません。

 遠くから眺めてもよし、登ってもよし、夜の夜景もよし、こんな素晴らしい山は私のこれまでの人生にはありませんですよ!~~~~~~~~ 引用 おわり

 今年は先月の小学校開校130周年(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27847)、高校の同窓会総会・懇親会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27903)、そして今月の中学校開校70周年、記念すべき節目の年となりました。人生65年を越えてくると、思い出が遠退くのではなく、新たな出会いで一層膨らむから不思議ですね、皆さんありがとうございます!

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