第9回 アースカフェ in 十勝

Posted by 秋山孝二
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 これまで、私も何回か参加している「アースカフェ:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7」、昨日は雨の中、十勝で開催されました(http://www.leaps.jp/?p=3340)。今回の企画は、児玉ヘルス商事(株)(http://www.boneace.com/)の児玉誠也社長のご尽力で実現しました、詳細はこちらにも(http://www.boneace.com/blog/?p=1818)。

 午前中・昼食は、「外山農場:http://www.toyama-nojo.net/」でした。540m四方の一区画を基本として、「循環型農業」の確立、輪作体系の一環として菜種栽培を開始、菜種油、菜種ハチミツ生産・販売に取り組まれています。

外山(左)、外山(右)

外山隆祥さん(左)、外山聖子さん(右)

  農場見学はもちろん素晴らしかったのですが、それ以上に、担い手・外山さんご家族の「哲学」、「信念」に感動しました。「フェイム新聞:http://www.toyama-nojo.net/about_us/fame-news-paper/index.htm」も歴史を刻んで、HPには、次のように紹介されています。

 ~~この新聞は家族や農場の様子を伝える「家族新聞」で、第1号は1992年に発行されました。タイトルの「フェイム新聞」は公募により東京都の小山七重さんの「おいしい農産物とのかかわりの中で、名声を博して欲しい」という願いを込めてつけられたものです。農業者の思いをそのまま伝えたい、そんな思いから手作りの新聞になっています。
 内容は、家族の紹介、産直農産物を使ったレシピ、農場の出来事、農業に対する思い。などによって構成されています。今年から年1回だった発行が2回に増え、農場の四季をよりタイムリーにお届けしています。「フェイム新聞」は外山農場の産地直送商品に同封している他、農場にて無料で配布しています。~~~~~

一面の菜種畑

一面の菜種畑で養蜂

 菜種畑で養蜂、倉庫内では遠心分離でハチミツを取り出すデモンストレーションも。今まで、私の妻の実家・千葉県館山市周辺で冬に見ていた菜の花とは少々趣を異にしていました。後でお聞きすると、種類がかなり違ったものだとのお話に、植物の奥深さを感じました。

 このハチミツを直接パンにつけて試食、これ以上ない贅沢な食べ方に、参加者一同、「感動」でした。

遠心分離で蜂蜜を採る

遠心分離で蜂蜜を採る

菜種から搾油(手前に)、残りカス(右)

菜種から搾油(手前に)、残りカス(右)

 

 午後は、「(株)エコERC(http://www.ecoerc.com/gaiyou/index.html)」の豊頃のプラント見学です。

 北海道産菜種を原料とする食用ナタネ油を製造するとともに、廃天ぷら油を用いて、バイオディーゼル燃料(BDF)も製造しています。食用油とBDFの両方を製造しているのは全国でもここだけ、2009年秋から本格稼働。日本は、現在0.4%の食用油の自給率、原材料の生産、油の製造、販売、循環型のビジネスモデルに期待が集まります。

(株)エコERCの為廣社長のご案内

(株)エコERCの爲廣正彦社長のご説明

BDF製造パイブラインの説明

BDF製造パイブラインで熱心なご説明

 2011年の3・11以降、脱原子力依存の日本のエネルギー転換に、大きなヒントを与えてくれます。国のエネルギー政策はさて置き、以前からこのような新しい地域自給エネルギー創造に取り組まれている爲廣正彦社長はじめ十勝の皆さまに、敬意を表します。

 HPには、会社の理念が書かれています~~~ 

 ~地球環境と地域のために~ 今、地球環境問題が大きく取り上げられています。地域社会としてもこの問題に前向きに取り組んでいく必要がありますが、それは同時に、地域の新たな活力や個性を発揮できる環境にやさしい地域づくりもつなげていかなければなりません。当社としては、この「地球環境と地域のため」の取り組みへの一歩を踏み出し、それを可能とする「循環型ビジネス(企業)」の確立に挑戦していきたいと思います。この思いを社名に込めました。~~~~

 昨晩の少人数の懇親会でも感じたのですが、十勝に来ていつも思うのは、「食」に関して、皆さんが実に深く関与していて前向きな話題が多いことです。日頃農業に従事されているので、当たり前と言えばその通りですが、「食」への積極的関心と話題が私にとっては大変新鮮です。

小樽港から日本海へ(5:最終)

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 今回のような本格的な船の旅は、私にとっては太平洋を横断して以来40数年ぶりです。以前、その時の様子を掲載しました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2626

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4431

 

 1971年の私の太平洋横断は、1848年に設立された「アメリカン・プレジデント・ライン(APL:http://www.apl.com/japan/documents/history.pdf)」の船舶「プレジデント・クリーブランド:http://www.apl.com/history/timeline/1947.htm」で、アメリカで1948年に建造された16,000tの貨客船。

 今回の日本海沿海ツアー、運行会社「ロイヤル・カリビアン・インターナショナル(RCI:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/info/contents.do?contentsId=8)は、1969年に設立された世界最大規模の客船会社です。本社は米国マイアミにあり、2011年11月現在22隻の客船を保有しているそうです。船舶は「レジェンド・オブ・ザ・シーズ:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/ship/ship_detail.do?classCode=VI&shipCode=LG」、1995年就航の70,000tの客船。

 時代も違い、自分も年齢を重ねたので、40年以上も前とは比較すること自体に無理がありますが、太平洋をハワイ・オアフ島を経由したとはいえ、2週間(実際は台風を避けた航路を取ったので1日遅れて15日間)の太平洋横断と、今回の日本海沿岸国寄港と、その趣きの違いが面白かったですね。

吹き抜けの「セントラム」では多彩なバンド演奏

吹き抜けの「セントラム」では多彩なバンド演奏

勢揃いのレストランスタッフ

勢揃いのレストラン・スタッフ

 1971年の初めての船旅は、「旅」を楽しむといった余裕は乗船時からありませんでした。横浜大桟橋に行くのも、出港して直後に港の灯台が離れていく時も、サンフランシスコ湾のゴールデンゲートブリッジの下をくぐった時も、不安でいっぱいだった自分を思い出します、。終ってみれば、たくさんの人との出会いと多くの体験で、一生忘れられない貴重な15日間ではありました。「My Favarite Drink:‘Jack Daniel’s’(http://www.jackdaniels.com/」も、ここで覚えたものです、19歳で毎晩、バーラウンジで飲んでいたのですから、今じゃ許されないでしょうかね、古き良き時代と言えましょうか。 

 今回は、乗客も乗組員も、中国、韓国、フィリピン、オーストラリア、アメリカ、ノルウェー等、アジア系、欧米系、多様な人々で賑やかでした。とりわけ中国系の方々は声が大きく、集団で動いているからでしょうか、どこに行っても目立つ存在でした。もう少し、周辺の環境に配慮する気持の余裕があるといいなと感じる場面も多かったです。

 「船旅は高い」と思っていらっしゃる方も多いようです、「世界一周・数カ月」みたいな旅は高額でしょうが、短い船の旅は食事代込みで、客船であっても飛行機のエコノミークラスの旅行と同じくらいに手軽です。夕方のドレスコードは、「ブラックタイ・オプショナル(フォーマル)」、「スマート・カジュアル」、「カジュアル」と、日によって明確で、アメリカの船はおおむねリラックスな雰囲気で堅苦しくもなく、クオリティの高いエンターテイメント・プログラムが充実しています。ただ一つだけ難点は、プリペイドのインターネット無線回線料が甚だしく(!)高く、使える場所は「インターネット・ラウンジ」だけで、今回USDで$300(!) かかりました。

 船のスタッフのエンターテイメント性は素晴らしいです。レストラン、バーラウンジ、客室等、笑顔も会話も、実に楽しく、船内では自分自身も随分笑顔が増えました、そう、最高の心地良さは「笑顔」です、ね!

客室ベッドには、日替わりでタオルで作った動物が

客室ベッドには、日替わりでタオルで作った動物が

 中国・北京のインターネット事情は相変わらずでした(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5798)。今回もこのすぐ前の(4)を、実は北京のホテルからアップしようと試みましたが、このプログソフトの「編集」サイトへのアクセスが遮断されていて、いろいろな手立てで試みても出来ませんでした。かなりの「管理・監視下」にあるとしか考えられません、まあ、これ以上言及するのはやめておきましょう。

 ある方が、紺碧の穏やかな海を眺めながら、「平和な時代の海って、いいものね」とつぶやいていました、まさに同感ですね。360度海の圧倒的広さ、深さ、長い歴史を懐に収める寛容さ、毎日、海と向き合って、そんな「懐の深さ」に感動していました。陸にあがってしばらく経ちますが、まだまだ多少の船酔い状態、特に下を向いた時は地面が揺れています。

 今回のクルーズ、「どこに行ってきたの?」と聞かれれば、「日本海!」と言うでしょう、企画・実施は、(株)JTB北海道(http://www.jtb.co.jp/hokkaido/)でした、大木さん、加藤さん、坂東さん、お世話になりました。

 また、機会があれば「クルージング」したいですね、一連の報告、これで「終り」とします!

小樽港から日本海へ(4)

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 最終目的地、天津に到着、港から天津市内まで約50キロ、そこからは陸路で約2時間半、北京です。

 天津港の手前、1時間半くらいの海上ですが、ざっと目に入る船でも100隻以上は浮かんでいたでしょうか。ウラジオストク、釜山とは全く違う船舶の数です。

早朝の入港前、港付近で待機(?)の船舶群

早朝の入港前、港付近で待機(?)の船舶群

  一方、新築ターミナルビルは広大な建物、港の埋め立て地も果てしなく広がっていて、大陸中国の海の玄関口としての存在感を象徴するようです。天津市内まで50キロの道のりで、途中はコンテナ置き場等、スケールがケタ違いです。

天津港の広大な新ターミナルビル、記念式典の案内フラッグほか

天津港の広大な新ターミナルビル、記念式典の案内フラッグほか

 北京市内に入ると今度は極端な交通渋滞、人も自転車も車も、何と言ったら宜しいのか、「ルールもへったくれも無い!」、先へ先への「命がけのつばぜり合い」です。20年程前に、自転車が行きかっていた道路が、2年前よりさらに車が増えたような気がします。

2年前の中国訪問の感想を、以前、この欄に書き留めました:

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5827

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5904

 市内の后海(ホー・ハイ:http://www.w1.sunchildren.net/nihao/houhai/index.html)では、年配の方が、地面に達筆の書。地元の方々、中国人観光客で賑わっていましたし、池のほとりでのお茶も最高でした。夜はまた雰囲気が一変して、違った魅力があるようです。

北京市内、ホ―ファンで

北京市内、ホ―・ハイで

 今回、静かでゆったりの時間を過ごしてきた私にとっては、まるで180度の世界、中国の多彩な「今」を見せつけられた一日でした。翌日早朝は、北京空港から札幌・新千歳空港に向けて約3時間半、「日本海をひとっ飛び」です。

小樽港から日本海へ(3)

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 ウラジオストクを出てからほぼ24時間、途中はまた濃霧で、霧笛の航行が続きましたが、午後からは晴れて、小樽出港以来、濃紺の海を初めて見ました。

霧に包まれての航行が続く

霧に包まれての航行が続く

北朝鮮沖の海を北上する漁船、どこの国籍でしょうか?

北朝鮮沖の海を北上する漁船、どこの国籍?

 

  韓国・釜山港(http://www.youtube.com/watch?v=XzELRZn7XWk)です、早朝、水先案内人が乗り込み港に入りました。

釜山港に入港、1時間前

釜山港に入港、1時間前

  港で下船後、慶州へ。23基の新羅時代の古墳がある「大稜苑:http://www.pusannavi.com/miru/1069/」に到着、「天馬塚」内部の展示を見学。饅頭型の古墳の由来を知りました。そして次には、751年に建立された「仏国寺:http://www.tabijin.com/butkokuji.html」を訪れました、仏教文化の奥行きを垣間見た気がします。

慶州・佛国寺門

慶州・仏国寺門

佛國寺・大雄寺

仏国寺・大雄殿

  詳細の説明はほかのサイトのお任せするとして、全体の敷地の構造、それぞれの建物がかもし出す背景等、奥深い仏教世界を彷彿させる空間となっています。幾多の火災による消失、時代による破壊を経ながらも、繰り返し再現されて、今、目の前に存在する、その説得力が素晴らしいですね。

 夕方には、天津に向けて、船は港を後にしました。「釜山港に帰れ」、チョウ・ヨンピルはもちろんですが、チェウニの歌(http://www.youtube.com/watch?v=wtBlCg_KDTc&feature=related)もまた「いいね!」、です。

小樽港から日本海へ(2)

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 ロシア共和国最大の港、ウラジオストク(Vladivostok)は、1860年に開拓が始まり、貿易、太平洋艦隊の拠点として発展してきて、街の名前はロシア語の「Vladi(東に)+Vostok(攻めよ)」で、まさにロシアのこの都市の位置づけを表して、存在感を増しています(http://4travel.jp/overseas/area/europe/russia/vladivostok/)。どこか、広島県呉市の雰囲気ですね。

霧のウラジオストクに早朝に入港:海軍艦船と建築中のつり橋

霧のウラジオストクに早朝に入港:海軍艦船と建築中のつり橋

 事前のレクチャーでも伝わっていましたが、とにかくロシア入国管理官の無愛想・無表情は際立っています。私が1991年に初めてハバロフスク経由でイルクーツク、ノボシビルスクを訪問した時、3年後にモスクワ経由でサンクトペテルブルグ、ノボシビルスクへ行った時、いずれも全く同じような印象でした。あれから20数年、商品、広告等、大きく変化し豊かにはなっていますが、入国管理・警察官は相変わらずです。

港近くの広場で

港近くの英雄広場で

  旧共産圏の街なかにある像は、どうしてこうも皆同じなのでしょうか。武骨で角の多い彫像、人は斜め上方に視線を向けて、「芸術性」からは遥かに遠い気がします。これが、歴史的な「勝利者」のイメージなのでしょうかね。

潜水艦博物館から乗ってきた船を臨む

潜水艦博物館から乗ってきた船を臨む

 第二次世界大戦で勇敢に戦ったという「潜水艦記念館」から、乗ってきた「レジェンド・オブ・ザ・シーズ」を臨むと、巨大ビルディングです。

 その後、海抜193mの「鷹ノ巣展望台」からウラジオストクの湾を一望にと、意気込んで階段を上がっていきましたが、目の前に広がるのはウラジオストク特有の「濃い霧」、5月は晴天が多いようですが、6月はこの「霧」が名物だとか、最高の「視界なき展望」でした。

 夕方午後6時過ぎに出港し、夜、インターネットラウンジでニュースを検索すると、「野田総理の原発再稼働の記者会見:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012060902000148.html」、「サッカーW杯予選・ヨルダン戦で6対0で勝利http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sports/378787.html」等、こんな時に、のんびりのブログ掲載お許しを。

 この日は、お日柄が良かったのか、幾つかの場所で新郎・新婦の姿を見ました。写真撮影、式、披露宴、これはどの国でも同じ光景です。小樽を発って船でほぼ24時間、大陸・ロシアがこんなにも近いことに何か新鮮な驚きを感じます。モスクワ、サンクトペテルブルクもロシア、ウラジオストクもロシアです。

 港を出ると、またまた濃い霧の中を釜山に向けて、北朝鮮の沖を南下航行です。

小樽港から日本海へ(1)

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 昨年の今頃予定していた、ロイヤル・カリビアン・インターナショナル(http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/index.doの客船「レジェンド・オブ・ザ・シー(Legend of the Seas):http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/ship/ship_detail.do?classCode=VI&shipCode=LG」のツアーが、1年遅れでやっと実現しました。昨年は、東電福島原発事故の放射能汚染情報により、船自体の日本への寄港がキャンセルになりましたので。

総トン数7万t、全長264m、乗客定員1800人

総トン数7万t、全長264m、乗客定員1800人

  夜7時過ぎから始まった「日本出国手続」には、日帰りツアーから戻った乗船客を含めて大勢の方々が長蛇の列、船内ロビーを通り抜けて50m以上はあったでしょうか、とても「豪華客船」の雰囲気ではありませんでしたね。2時間の予定が大幅に遅れて、全て終了して係官が船を下りたのが午後11時をまわっていました。

船内では「日本出国手続き」で長蛇の列

船内では「日本出国手続き」で長蛇の列

  埠頭でお見送りする地元の方々も遅くまで待ち続けていたようで気の毒でした。ノボリ、ハタを振っての「お気持」、お疲れさま!

予定を大幅に遅れて、小樽から出港

予定を大幅に遅れて、小樽から出港

  翌朝は日本海、「天気晴朗」とはいかず、「曇天」です、海上は「波高し」ではなく、「穏やか」です。次第に霧が濃くなってきて、霧笛を鳴らしながらの航行です。「霧の日本海!」、歌の題名にありましたっけ、「日本海は霧の中」でもいいですね。

翌朝の日本海、この後、霧笛を鳴らしながら航行

翌朝の日本海、この後、霧笛を鳴らしながら航行

徳本英雄さん、安らかに

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 民間シンクタンクの草分け、「一般社団法人 北海道総合研究調査会(HIT:http://www.hit-north.or.jp/)」理事長の徳本英雄さんが先月末にお亡くなりになりました、享年64歳。高校の3年先輩で、私が東京から札幌に転職してきた時、政策提言を目的とする異業種交流の「SAS:システムズ・アナリスト・ソサエティ」にお誘いがあり、当時29歳だった私にとって、新鮮な自己研さんの場として、以来お世話になっていました。昨日、札幌市内・京王プラザホテル札幌(http://www.keioplaza-sapporo.co.jp/)で「送る会」が催され、大勢の弔問客が全国から参列されました。

お別れの会・祭壇:京王プラザ札幌

お別れの会・祭壇:京王プラザ札幌

 「徳さん」の愛称で親しまれ、幅広い人脈は、送る言葉の中からもにじみ出ていました。それぞれが噛みしめるように徳さんとの関係性をご自分のお言葉で語りかけ、その一つ一つを聴きながら、私も徳本英雄さんとの思い出に浸ったひと時でした。素晴らしい「送る言葉」に感動するとともに、あらためて「徳さん」の稀有な人格を再確認致しました。

<送る言葉>

* 荒井聰(衆議院議員:http://www.arai21.net/index.htm

* 松田昌士(元JR東日本社長:http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%A3%AB

* 竹島一彦(公正取引委員会 委員長:http://gendai.ismedia.jp/articles/print/8053

* 荒川裕生(北海道 総合政策部長:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/index.htm

 

 皆さんが一様におっしゃっていたことは、果敢に人脈を拡げていく、とにかく不思議な人柄であること、お酒が好きなこと、入退院を繰り返しながらも不死身の体で仕事を続けたこと等です、私も全く同感でした。20数年前に、最初に心臓の手術をして以来、繰り返し「オレの遺言が聞けないのか!」と決めるセリフに、私たちは「また、騙された!まだ生きてる!」と冗談を言っていたものでした。

 「システムズ・アナリスト・ソサエティ(略称SAS)」は、1979年から活動を続け、時代の最先端をいくプロジェクトを通じて築かれた人脈から、1982年、土光敏夫臨調会長の応援団としてつくられた「行革推進全国フォーラム:http://www.mmjp.or.jp/gyoukaku/news/newsindex.html(行革フォーラム)」に繋がっていきました。

 「土光臨調」とは、1981年、鈴木善幸首相の肝いりでつくられた「第二次臨時行政調査会」のことで、トップに戴いた経団連会長の土光敏夫が大きなリーダーシップを果たしたことから、「土光臨調」と呼ばれました。高度成長が行き詰まり、100兆円を超える国債残高など財政赤字が浮き彫りになるなかで、「増税なき財政再建」をスローガンに、16兆円超の赤字を抱える国鉄をはじめ、専売・電電の三公社の整理・民営化などを提案、後の中曽根康弘政権で実現されました。

 この行革フォーラムは、代表世話人に本田宗一郎(ホンダ創立者)、井深大(ソニー創立者)、世話人に磯村英一(元東洋大学学長)、秋山ちえ子(評論家)、黒川光博(虎屋社長・元日本青年会議所会頭)ら錚々たる人物で構成されて、土光さんの秘書の並河信乃さんも常任幹事として事務局を担っていました。現代のこの種の機関と比べて、担う人物の大きさが際立ちます。

 いつだったかは忘れましたが、このフォーラムが札幌の円山公園近く、当時の郵便貯金会館(現在の「円山クラス」)で開かれたことがあり、私も参加しました。休憩時間に、トイレで土光敏夫さんの隣になり、「土光さんと一緒に小便をした男」として、忘れられない想い出となっています。

 HIT専務理事の五十嵐千嘉子さんが今回の会の実行委員長でした。彼女にも、秋山愛生舘の未来戦略策定ではお世話になりました。また、丁度ホテルの玄関ホールで、当時、SASの若手メンバーだった池田純久さんとも久しぶりにお会いしました、今年創業30周年の節目の年に、京王プラザホテル札幌の総支配人として、重責を担っています。

 「徳さん」の葬儀の日、私にとっても20代終りから30数年の想い出のいっぱい詰まった昼下がりとなりました、たくさんの人々との出会いの場に感謝します。五十嵐さんが最後におっしゃっていたように、「生き急いだ」のではなく、「生き抜いた」彼の堂々たる人生でした。

 どうか、安らかにお眠り下さい。

「ライフライン」、’95 トップテン入賞

Posted by 秋山孝二
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 先日、一般財団法人 セブン・イレブン記念財団(http://www.7midori.org/index.html) を訪問した時、応接室のショーケースに表彰盾を見つけました。

 1995年、阪神・淡路大震災(http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html)、直後から「ライフライン」としての食糧供給で大きな貢献をしたセブン・イレブン・ジャパン(http://www.sej.co.jp/)が、その年の「日本新語・流行語大賞:http://singo.jiyu.co.jp/nendo/1995.html」の「トップテン入賞」を果たしました。

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1995 トップテン入賞
「ライフライン」
受賞者:栗田裕夫(セブン-イレブン社長)
阪神・淡路大震災によって、電気、ガス、水道、電話、食糧流通など、生命を支えるシステム「ライフライン(生命線)」がすべてマヒした。復興の過程で、災害時にこの「ライフライン」をどう維持するのかが大問題となった。受賞者のセブン-イレブンは、震災直後、ヘリコプターで弁当を空輸するという離れ技を演じ、被災者に安堵と希望をもたらして、ライフライン維持を果たした功績が評価された。
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新語・流行語大賞「ライフライン」

'95 新語・流行語大賞「ライフライン」

 この時の経験から大いに学び、昨年、3・11東日本大震災でも、直後から困難な情況にもかかわらず、被災地において食糧供給で多大な貢献をしました。セブンイレブンは、2012年2月期におけるチェーン全店の売上高は3兆2490億円(前年比10.2%増)、営業利益は1800億円(同6.4%増)と、いずれも過去最高を更新し、災害時に強い業態として、ふたたび「コンビニ時代の到来」を予感させます(http://diamond.jp/articles/-/16009)。

 聞くところによると、3・11以降、コンビニに足を運ぶ層が変わってきているとか。女性、高齢者層開拓で業績は絶好調、今期、来期とも1,000店以上の大量出店で第二の成長期へと勢いづいています。ひと時の需要というよりも、「大震災」から数々のノウハウを学びとり、次の企業活動に活かしていこうとする風土・仕組み等、民間企業としての飽くなき向上心を見ることが出来ます。

 それに比べて、全国の電力各社の知恵の無さと経営者の無能ぶりは、民間企業の風上にもおけませんね。「顧客不在」で、ただただ延命のためだけに「安定供給」という言葉を弄(もてあそ)ぶ、過去の教訓から「何も」学んではいません。それどころか、開き直りと思えるような「電力不足」を喧伝するばかり、企業の体をなしていません。「安定・安全供給」を使命とする企業は、何も電力ばかりではありません、食品、医薬品ほか、多くの分野でその使命を担っていますし、震災を経て、以降の機能強化に努めています。電力会社はただただ顧客を恫喝するだけ、大飯原発の再稼働が今の状況であるのなら、新たな原発安全神話の始まりとなるだけで、犯罪行為です。

 「原子力公害」と、以前、テレビ出演している方がおっしゃっていました。「幾多の公害を乗り越えてきた国ニッポン」と政治家は言っていますが、原爆症でも、水俣病でも、未だに国は「認定」を矮小化し、賠償問題すら解決できていない事実、これから目を逸らすことは許されません。

吹奏楽演奏会 「万華’響’」

Posted by 秋山孝二
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 北海道札幌南高等学校(http://www.sapporominami.hokkaido-c.ed.jp/)の吹奏楽部、この数年、私も定期演奏会に足を運んでいます(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8800http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3001)。

 今年は第30回の節目の年、特に、第2部は演出も一段とレベルアップして素晴らしいパフォーマンスでした。

吹奏楽部・定期演奏会 キタラで

吹奏楽部・定期演奏会 キタラで

プログラムも多様に

プログラムも多様に

* ボレロ(http://www.youtube.com/watch?v=VpeB749SG9w&feature=related

* リベルタンゴ(http://www.worldfolksong.com/latin/tango/liber.htm

* ラプソディー・イン・ブルー(http://www.youtube.com/watch?v=9rQDNJyC3rE

難しい曲を楽しさいっぱいのアレンジでした!

 

 活動はコンサートホールにとどまらず、大通公園6丁目の野外ステージ、学校内等、多彩な場での大活躍です。

* 昨年のライラックまつりでhttp://www.youtube.com/watch?v=ILnAzZsy31Y

* 昨年のパーカッション三重奏http://www.youtube.com/watch?v=4NIaY1vf8uo

* 一昨年の学校祭でhttp://www.youtube.com/watch?v=m_tgjr9cpXw&feature=relmfu

 女生徒が多かったですね、昔では考えられない多彩なパフォーマンス、時代の違いかなとも、思わず体が揺れていました!昨年は念願の全道大会出場を果たし、今年はさらに上を狙って頑張ってもらいたいです。それにしても、あの素晴らしいキタラ(http://www.kitara-sapporo.or.jp/)大ホールで思いっきり演奏・演技(?)している今の高校生たち、自分の高校時代と比較すると、まぶしく、本当にうらやましい。

二つのフォーラムで

Posted by 秋山孝二
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朝日・HTB北海道フォーラム2012 「3・11からエネルギー問題を考える」が開催されました(http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000831205280001)。

 基調講演は、北海道大学の吉田文和(http://www.econ.hokudai.ac.jp/~yoshida/j_index.htm)教授が 「原発ゼロのシナリオ~原発なしでも電力を供給できるか~」と題して、大変分かりやすいお話でした。先生の新著、「脱原発時代の北海道:http://shop.hokkaido-np.co.jp/book/products/detail.php?product_id=418」には、これからのエネルギーの展望が示されています。それにしても、日本のエネルギーバランスで、最終消費段階では「ロス」が30%にも及ぶ事実は、衝撃でもありました。まさに「省エネ」は、最大の「創エネ」ですね。

 また、いち早く福島原発事故から学んでいるスイス等の外国当局の例を引用して、日本のその後の対応・対策の遅れも指摘されていました。

基調講演・吉田文和先生

基調講演・吉田文和先生

  第二部のパネルディスカッションは、北海道グリーンファンド(http://www.h-greenfund.jp/)・鈴木亨理事長、民間事故調「福島原発事故独立検証委員会:http://scienceportal.jp/news/daily/1203/1203022.html」のメンバーを務めた鈴木一人(http://www.juris.hokudai.ac.jp/~kazutos/)先生・北大大学院教授(国際政治経済学)、吉田文和教授がパネラーで登壇し、竹内敬二・朝日新聞編集委員がコーディネーターで、内容の濃い意見交換でした。

3人のパネラーによる意見交換

3人のパネラーによる意見交換

 鈴木亨さんのお話では、電力会社の経営体質等、これまで風力発電事業で長く電力会社と付き合ってこられた経験に裏付けられたお話が興味深かったです。

 鈴木一人さんは「「安全神話」にまつわる「深層防護:http://yaplog.jp/defend_japan/archive/260」の言及に、説得力がありました。世界標準では、原子力の「深層防護」は、5段階、「第一層:逸脱防止、システム故障防止」、「第二層:事故への拡大防止(スクラム等)」、「第三層:安全停止、閉じ込め機能」、「第四層:シビアアクシデント対策」、「第五層:防災対策」、です。鈴木一人先生のブログはお薦めです(http://kazutosuzuki.blogspot.jp/)。

 ところが、すでにお気づきでしょうが、日本ではメディア等でも、これまでの責任ある人・機関の方々が、繰り返し繰り返し「多重防護」と称して、「第三層」までのリスクしか想定せずに済ませてきていたのです。国際標準に明記されている「第四層」、「第五層」を検討しない(想定しない)で、「原子力は安全」と言い続けてきた責任を問わずして、3・11以降、何を検証し、学んだと言うのでしょうか、これは「犯罪」でしょう。インターネットで、「多重防護」を検索しても、電気事業連合会のこの説明(http://www.fepc.or.jp/present/safety/shikumi/bougo/index.html)が象徴的です。

 

 もう一つ、東京での講演会 石原信雄さん(財団法人 地方自治研究機構:http://www.rilg.or.jp/001.htm)「日本人への遺言」も含蓄がありました。石原さんは、1926年生まれ。地方自治庁(現総務省)に入庁し、84年事務次官、87年(~95年)内閣官房副長官(竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山の7代内閣)を務められた方です(http://www.koho.or.jp/columns/ishihara/index.html)。阪神・淡路大震災で陣頭指揮をされた経験等、「危機管理」、特に「安全保障」のお話は良かったです。「最悪の事態を常日頃から考えておく必要があり、それは国民に多くの負担を強いることゆえに、避けた結果の不幸も議論することが重要」と。

 原発の再稼働については、事故の徹底的究明・検証が必須であり、その後に再稼働かどうかの決定を行うべき。同じ事故は二度と起こさないことが最も重要である、そう明言されていました。

 外交分野はじめ、どんな場合でも、「セカンド・トラックづくり」は必要であり、自由に物を言う場、対話の場が、課題を解決する道であること。そして、「対話」は、自分たちの主張をしっかり言う・伝えることであり、同時に、相手の主張を聴くこと、そうおっしゃっていました。ごく当たり前のことを、今、この時期に壇上から発せなければならない日本の実情、ここでも政治の混迷が浮き彫りになってきます。

 

 短期間に濃密なフォーラムに参加して、日本の「良心」を感じ取り、勇気も湧いてきました。まだまだ日本は立ち直れる、そんな一筋の光明とでも言いましょうか。

中田翔、大きく育って!

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 北海道日本ハムファイターズ(http://www.fighters.co.jp/index2.php)の四番・中田翔は、大きく育って貰いたいですね(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fighters/376021.html)。栗山監督はきっちり育ててくれるでしょう(http://www.nikkei.com/article/DGXZZO41916820Y2A520C1000000/?n_cid=DSTPCS005)。

歩く速さは何の違い?

Posted by 秋山孝二
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 東京と札幌、人の密度は別として、街なかの雰囲気で何か違うと以前から感じていましたが、歩いている人々のスピードではないかと思うのです。

 東京では、汐留から地下通路(http://www.sio-site.or.jp/)でJR新橋駅まで、よく歩くことがあります。朝などは、多くの人たちは逆方向の新橋駅から汐留に向かって、もの凄い勢いで歩いてきます、歩くといよりも走るに近い、時々は突進してくるのではないかと思われる程の押し寄せる「人の波」です。東京駅丸の内から大手町までの地下通路でも同じような人々の流れです、そのスピードに乗って行かないと前にも後ろにもぶつかりそう。

 一方札幌では、昨年(2011)3月13日から、「駅前通地下歩行空間:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7828」がオープンしました。かなりの頻度でここを通りますが、流れているクラシック音楽のゆったりしたテンポのせいか、ここを歩く市民のスピードが、明らかに東京のそれとは比べものにならない程ゆっくりで静か。何と表現していいのか、穏やかなうねりみたいな感じです。信号でそのリズムが途切れないのも気分がいいですね、札幌駅北口とススキノの長い地下空間を、時々進路変更しながら歩く、心地良いひと時です。

 同じように、違いは地下鉄の中でも感じます。東京の都営地下鉄大江戸線(http://www.7mansion.com/subway/e_line.html)、地下6階あたりの深さを細い電車で走っていて、最深部は地下42mだそうです。日本の地下鉄では最深部を走行し、耐震性に富んで、災害時には救助作業の大動脈として利用される「防災」目的も。そのため、非常用の「備蓄倉庫」が、麻布十番と清澄白河の両方の駅に設置されていると、何かで読みました。混雑している車内では、中央を通り抜けるのが難しいくらいの幅の狭さ、天井も低く、まさに「地下鉄」を実感する緊張感ですね。

 それに比べると札幌の市営地下鉄(http://www.city.sapporo.jp/st/)は、何ともおおらか(?)、車両数は少なく、幅は広く、車内扉は透明で見通しがいいです。「混雑」と言っても、満員電車でも、隣の人との距離が東京よりも余裕があります。この人と人との許容できる「距離感」の違いでしょうか、浜松町から羽田空港のモノレール車内でも、乗り込んで来た人が自分の隣に立つ距離の近さに何とも違和感を抱く時も多いです。

 もう30年以上前になります、首都圏のラッシュアワーのただ中いた私も、すっかり「地方」の人になりました。

2012、札幌の5月は過ぎていく

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 日本の春は、やはりサクラと共に訪れて、サクラと共に去っていく?札幌の5月も下旬を迎え、ライラックほか、一斉に咲き始めています。思い返せば、札幌市内のサクラがどうこうというのも、自分にとっては10年くらい前までは考えられなかったです、とにかく仕事で動き回っていて目に入りませんでした。

札幌市中央区の住宅地で(5月10日)

札幌市中央区の住宅地で(5月10日)

大通公園西12丁目(5月19日):終りかけのサクラとライラック(右)

大通公園西12丁目(5月19日):終り頃のサクラとライラック(右)

 大通西13丁目の「札幌市資料館:http://www.s-shiryokan.jp/」は、私の幼い頃は裁判所でしたが、札幌軟石を使った建物としては全国的にも貴重なもので、裁判所の移転に伴い、1973(昭和48)年11月3日に札幌市資料館として開館しました。さらに、以前、この欄でもご紹介した新渡戸稲造が創設した「遠友夜学校」の「記念室:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5980」も、2011(平成23)年10月4日から、この建物に移転して加わりました。

 一方、その隣の「札幌市教育文化会館:http://www.kyobun.org/」では、先日、「NPO法人 北海道市民環境ネットワーク(きたネット):http://www.kitanet.org/index.html」の「2012通常総会」が開催されました。18日付で、「認定NPO」の法人資格を取得することができて、今年設立10周年、寄付しやすい環境が整いました。

 大通公園では、今日から「第54回さっぽろライラック祭:http://www.sweb.co.jp/kanko/lilac/」が始まります!

札幌市教育文化会館(5月19日)

札幌市教育文化会館(5月19日)

 円山公園では、親子連れがのんびりと春の日差しの下、ピクニックです、まさにこの像のメッセージを絵に描いたような光景に感動します。

円山公園北一条側:「ふるさと母子像」周辺

円山公園北一条側:「母子像・ふるさと」周辺

2012「学校林」、春の散策会

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 札幌南高校の「学校林:http://www.sapporominami.hokkaido-c.ed.jp/hp/a/gakorin.html」で行われる「春の散策会」に参加しました、今年は120名を越える参加者で、天気にも恵まれて、気持のよい時間を過ごしました。この学校林は、一般財団法人 札幌南高等学校林(http://www.rikka.net/officer/が所有・管理してきて、今年で100周年の節目を迎えます(http://www.sapporominami.hokkaido-c.ed.jp/hp/a/kankyo.pdf)。

 エゾエノキ(http://moiwashita.blog95.fc2.com/blog-entry-109.html)の植林とそこに繁殖する国蝶・オオムラサキ(http://www.pteron-world.com/topics/world/oomurasaki.html)の観察・研究で有名で、定時制教諭の箱崎先生は、その中心的役割を担っています(http://blogs.yahoo.co.jp/sinrin81024/61351441.html)。

箱崎先生によるエゾエノキ・オオムラサキの説明

箱崎先生によるエゾエノキ・オオムラサキの説明

植林したエゾエノキに生育するオオムラサキの幼虫(こげ茶色)

植林したエゾエノキに生育するオオムラサキの幼虫(こげ茶色)

  山林の中にある記念碑ですが、その土台が数年前の地震で大きくずれたようです、石碑は歴史を刻む?

山林の中にある記念碑、数年前の地震で土台が大きくずれていました

大きくずれた記念碑の土台

 

 毎年、秋の散策会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6209)では、きのこの観察と採集、そして有明小学校校庭で「キノコ汁」での懇親を深め、春の散策会は、季節の山菜の観察と採取、そして美味しい「山菜天ぷら」です。

春は「山菜天ぷら」で

春は「山菜天ぷら」で:南37期の方々、ありがとうございます

 毎年、卒業25年目に受け持つ同窓会「幹事当番期」、今年は南37期の皆さん、実行委員長は野地秀一さんです。この散策会の準備を担って、これから秋の同窓会総会・懇親会ほかのお世話をしてくれます。当日は早くから同期の皆さんが大勢駆けつけて、天ぷら、焼きそば、うどん等を提供して頂き、お疲れさまでした。

今年度の実行委員長・南37期の野地秀一さん

今年度の実行委員長・南37期の野地秀一さん

 今年は、私も、いつになく山菜採りに熱中してしまい、山から下りてきて、首に掛けていたタオルをどこかに置き忘れたことに気がつきました。100周年を迎えて、これまでの先人の森林保全のご尽力に感謝するとともに、これからは、教育林、環境林として、その価値を幅広く共有していきたいものです、楽しみですね。

外岡秀俊さんの志

Posted by 秋山孝二
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 メディア・アンビシャス(http://media-am.org/)5月例会で、外岡秀俊(http://1994-4991.at.webry.info/)さんのお話と意見交換を行いました。永年、朝日新聞社(http://www.asahi.com/shimbun/)の中で豊富な経験を積み、昨年4月以降は、一人のジャーナリストとして、ふるさと札幌に拠点を構えての活動に、一層の飛躍を期待したいですね。最初にお願いの電話をした時に、「北海道新聞から朝日新聞に移った青木美希さんから、この会のことは聞いていました」とおっしゃっていて、企業を越えた「北海道つながり」に感謝でした。

 朝日を退職してゆっくり札幌で活動と思っていた矢先の3・11、以前の阪神淡路大震災、中国の四川大震災等の取材経験を踏まえて、今年になって出版した2冊の本(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12747)も大変読み応えのある内容でした。

 経歴: 1953年札幌市に生まれる。1977年東京大学法学部卒業。同年朝日新聞社入社。社会部、外報部、ヨーロッパ総局長、東京本社編集局長、編集委員などを歴任。著書『北帰行』(河出書房新社、1976)、『アメリカの肖像』(朝日新聞社、1994)、『国連新時代』(ちくま新書、1994)、『地震と社会』上下(みすず書房、1998)、『日米同盟半世紀――安保と密約』(共著、朝日新聞社、2001)、『傍観者からの手紙 FROM LONDON 2003-2005』(みすず書房、2005)、『情報のさばき方――新聞記者の実戦ヒント』(朝日新書、2006)、『アジアへ――傍観者からの手紙2』(みすず書房、2010)。

 

 お話の中から幾つか~~~~~~~~~~~~~~~~

<3・11を経て、メディアの課題>

* 20㎞圏内にメディアのいない状態: 残っている住民が居るにもかかわらず・・・・、取材は外国メディアばかり――>非常時に、業界・組合等での「約束ごとに従う」は、本来のジャーナリズムとしてあるべき姿なのだろうか、紛争地にメディアは飛び込んでいくもの

* SPEEDI(文部科学省管轄:http://www.bousai.ne.jp/vis/torikumi/030101.html)発表の大幅遅れ: アメリカ軍には連絡していた現実

* 低線量、内部被曝への言及がほとんどなし: これまでの「専門家」は、「この時、この場」で何をしていたのか

* 「9・11」と「3・11」: どの国でも、ある種の興奮状態: 批判等には「非国民」のレッテル、それ故の躊躇

* アクセス・ジャーナリズム(ファクラー氏の発言より)――役所・企業等の取材源に批判的記事を書けない

 

<支援の在り方> 

* 四川地震の「対口(たいこう)支援:http://www.drs.dpri.kyoto-u.ac.jp/projects/saigaitaioken/shiryo/0910_03_06S.pdf」を参考にしては:  (例) 関西広域連合、国境を越えた知恵の連鎖

 

<今後の問題点>

* 沖縄、水俣、原爆症: 沖縄の基地と原発は同じ「構図」――>全国紙の4支局体制の下、地方の出来事はどうしても「ローカル扱い」となる、東京での扱いが全て小さい

* 事故原因の解明と責任追及

* 健康被害の長期化

* 災害時のメディア連携――> 会社単位での限界

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ふだん、メディアを語る場合、掲載された記事・放映された番組の批評等が話題になりますが、今回ではそれ以前の、そこに人々が生きている、倒れているにもかかわらず、その事実を伝える使命よりも、「きまり」、「常識」を打ち破ることなく退避した日本のマスメディアへの外岡さんの言及が印象的でした。「メディア空白の世界」の恐ろしさ、今一度、原点を思い出しました、以前、この会で、独裁政治・恐怖政治は、まずメディアの奪取から始まるとも、どなたかの発言がありました。

 外岡さんが、なぜ大震災等を追いかけ続けるのかを聞いたところ、ワシントン勤務時代の戦争報道を、途中で帰国したことがトラウマのようになっていて、その後の阪神淡路大震災では、1年以上現地に入り取材をし続けたとか。被害の実態、被害者のその後等、多角的な寄り添う視座で、持ち前の優れた表現力を駆使して、ジャーナリストの存在感を示していますね。

 「朝日という大企業を辞めて、今回、一人の人間として現地を取材して、その違いは感じませんでしたか?」と、やや意地悪な質問もしました。彼は、「現地で、自分の書いた『アエラ』の記事を持参しながら、個人の名刺を渡して取材をしましたが、被害にあった方々は、誰ひとり差し出した名刺を見ることなく語り始めたのです。そんな体験の中で、取材という活動には、企業とか個人とかはほとんど関係ない、そう思いました」と。勿論、その取材を支えるロジスティクスでは大きな差があるのでしょうが、「取材」そのものについては、まさにジャーナリストとしての「誠実さ」、「寄り添う眼差し」が、メッセージを引き出す力となるのでしょう。

 今回、私なりの大きな目的は、地元北海道新聞(http://www.hokkaido-np.co.jp/)の方々と元朝日新聞の外岡秀俊さんとが、近距離で意見交換する場を実現したい、そんな目論みもあり、これは大成功だったように思います。沖縄問題における琉球新報(http://ryukyushimpo.jp/)、沖縄タイムス(http://www.okinawatimes.co.jp/top/)の存在、3・11とりわけ原発報道でひと際輝く首都圏の東京新聞(http://www.tokyo-np.co.jp/)等、地域に根差して地道な取材を積み重ねて検証していく、それを応援する人々が語り合う、そんな場にしたいという思い、それがメディア・アンビシャスの「大志」です。

 余計なことですが、外岡秀俊さんは私の小・中・高校の3年後輩、小学校の時に学級委員の会議で、何故か3年生で初めて出席した彼の姿を今も覚えているのです、不思議ですね。1976年の著書「北帰行」もすぐに買いましたが途中で挫折、私の片思いではあります、彼には札幌を拠点に世界を舞台に活躍して頂きたいですね、今後のご活躍を祈念しています!

沖縄復帰40周年

Posted by 秋山孝二
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 沖縄復帰40周年の今年、15日に、「沖縄復帰40周年記念式典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120515-00000096-mai-soci」が開催されました。上原康助さんの絞り出すメッセージは、通り一遍の「記念式典」では、ひと際届くものだったようです。

 

 毎日新聞の記事によると、~~~~~引用 はじまり

 宜野湾市で開催された政府と沖縄県共催の記念式典で、元沖縄開発庁長官の上原康助さん(79)は、日米のはざまで翻弄(ほんろう)され続けてきた沖縄の苦難の歴史をとうとうと語った。

 「沖縄戦で、沖縄は本土防衛の捨て石扱いで苦難と犠牲を強いられた。日本は敗戦から立ち直ったが、沖縄は日本から分断され、27年の長期にわたって米軍の占領下で呻吟(しんぎん)させられた」。米軍基地を残したままで実現した40年前の本土復帰は「県民の思いとかけ離れたものでしかなかった」と指摘し、「戦前、戦中、戦後の苦難の歴史を決して忘れてはいけない。その根源は残念ながら今も続いている」と厳しい表情で続けた。

 70年の戦後沖縄初の国政選挙で旧社会党から衆院議員に初当選し、10期務めた反基地運動の闘士。97年2月の衆院予算委員会では「もし沖縄が独立する場合、どういう法的措置が必要か」と、基地縮小に本腰が入らない政府の姿勢に、沖縄独立論をぶつけた。

 この日、式典の同じ壇上に野田佳彦首相、ルース駐日米大使が並んだ。2人の前で「民主主義社会は世論を尊重することが基本。なぜ、両政府は沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのか」と、国会質問さながらの熱を帯びた言葉で迫った。あいさつは約8分40秒に及び、会場から盛んな拍手が送られた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 

 私にとっての「沖縄」は、その言葉は随分長いのですが、本当の意味の理解とか歴史認識は恥ずかしい程浅く、これまで私なりに沖縄に関する記載は3年半で以下の程度です。

* 沖縄密約判決: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3888

* 沖縄密約: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4045

* 検証報道: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4386

* 沖縄「慰霊の日」: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4402

   http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4575

   http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9113

* メディア大賞: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7303

* 海戦からみた「戦争」: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9991

* 「基地」: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12906

* 浦崎信子さん: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1152

 

 上原康助さんのおっしゃる通り、、「戦前、戦中、戦後の苦難の歴史を決して忘れてはいけない。その根源は残念ながら今も続いている」のでしょうね。「忘れない」に止まることなく、私たちの世代としてはさらに一歩踏み込んでの行動が必要なのだと思います。

 「沖縄」の構図は、「原発」を巡る構図と同じです。「3・11、及びそれ以降」を経験している私は、新しい歴史を創る気概をもって自分のフィールドで成果を出したいと決意をあらたにしました。「今、ここ」を外して、どこで生きるのかです、ね。

キッシュさん親子、日本に寄せる心

Posted by 秋山孝二
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 この欄に、何回も登場しているキッシュ・シャンドールさんは、15年以上も駐日ハンガリー大使館(http://www.mfa.gov.hu/kulkepviselet/JP/jp/)に勤務されていた元外交官です。奥さまは学校で日本語の教師をつとめられると同時に、ハンガリーで日本語の国家試験の問題作成にも当たられています。お嬢様のレイカさんは、完璧な日本語を駆使してプロの通訳としてご活躍中、10年前の7月に天皇・皇后両陛下がハンガリー・ブダペストをご訪問された時(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h14e-easterneurope.html#HUNGARY)には、美智子妃殿下の公式通訳をされました。とにかく敬語の使い方ほか、正確で優しい彼女の日本語に接して、あらためて日本語の美しさを感じ取ります。ブダペストでご活躍の息子さんは、コンピューターのエンジニア、やはり日本語に堪能で、とにかくキッシュさん一家の日本に寄せる熱い気持には、こちらが感動します。

レイカさん、シャンドールさん、堅田さん、お疲れ様でした

レイカさん、シャンドールさん、堅田さん、お疲れ様でした

 これまで、いくつか書きました:

* 2年前に札幌で開催されたフォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6371

* 同じ年、東京中野区の哲学堂公園に建立された「哲学の庭」一周年記念フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6768

* 昨年のルーマニア・ハンガリー訪問での式典&フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10355、 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10423

 毎回、キッシュさんは中心になってご準備をされて、お世話になっています。札幌の劇団がハンガリーを訪問した時も、ワグナー・ナンドール関係の訪問でも、笑顔を絶やさず、そのホスピタリティには学ぶことばかりです。

 「外交官」と言えば、私はこれまでたくさんの「外交官」にお会いしてきましたが、正直に言って、どこか「尊大な」方が多く、親しみを感じることが難しかったですね。外国でお仕事をされていると、数々の外交特権があり、仕事を終えられた後も何かその「特権から抜けられない人格」となってしまうのでしょうか。特に、戦後の経済成長を成し遂げた日本国の経済力を背景に仕事をされたきたゆえなのかもしれません。

 ある北欧の国の日本大使館の外交官(ある省から大使館に出向中)は、夕食をご一緒中に突然パスポートか身分証明書を私に見せて、「この番号があると、レストランで代金を踏み倒すこともできるんだ!」と。私は思わず、「はぁ、それで?」と言ってしまいました。

 また、アメリカのある都市に駐在の総領事は、企業訪問を続けていた私に、「最近の民間外交も御熱心ですな~」と、冷やかな笑いで言い放ちました、真剣な企業訪問を薄っぺらな「外交」と一緒にされてはたまりません、第一に「民間外交」という言葉自体、何と侮蔑した表現ではありませんか。一方、ヨーロッパで大使館勤務を経験されてワインにお詳しい方は、「私は大使館勤務で、ヨーロッパのワインを殆ど試してみました」と誇らしげ。「ワイン通」を自称する方で、ご自分のお金で飲んで経験を積んだ方は数少ないですね、特に外交官の場合は、「国民の税金」でしょう、その国民への感謝の気持も全く感じていない、何がワインの味ですか。これまでの「くそ~っ」と思った体験を書き始めたら止まらないので、この辺にしておきましょう。

 そんな中で、キッシュ・シャンドールさんは、トランシルバニアと日本の関係では際立った造詣の深さです。その成り立ち、歴史認識、人への思い等です。知識と人柄が調和した「品格」をお持ちと言えば宜しいのでしょう。

キッシュさん(左)に感謝です

キッシュさん(左)に感謝です:成田ビューホテル前庭の「道祖神」像で

 キッシュ・シャンドールさん、レイカさん、これからも宜しくお願い致します!

映画「誰も知らない基地のこと」

Posted by 秋山孝二
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 映画「誰も知らない基地のこと(Standing Army):http://kichimondai.com/」は、「日本人が知らない米軍基地問題の常識」を突き付けて、東京を皮切りに、全国で上映される予定です。

 イタリア人の若手、エンリコ・パレンティとトーマス・ファツィが監督で、2人から日本人へのメッセージ(http://kichimondai.com/message/)です。果敢な取材を通して、彼らは映画での「沖縄」の存在の大きさに気がつきました。「不平等な力関係に直面しながらも、決して希望を捨てない人々がいます。その姿は、日本人の精神性の高さと心の強さを見せてくれました。彼らの姿に続こうと、日本の、そして世界の人々がこの映画によって勇気づけられることを願っています」と、結ばれています。

Standing Army:駐屯地

Standing Army:駐留軍

 HPにも掲載されていますが(http://kichimondai.com/news/)、その中から座談会の引用です、かなり突っ込んだやり取りが注目です。昨年3月の大震災までも予算獲得の材料に使う、そんなハゲタカのような姿も浮き彫りになってきます。「トモダチ作戦」もその目的をしっかり検証すべきですし、アメリカの冷戦後の戦略転換、当然日本への要求も変わってきていることに、我々が気がつかなければならないのです。北海道日米協会の会員で、理事になっている私ではありますが、「『アメリカ合衆国』と言っても、広うござんす」、ね。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用はじまり

 * 「軍産複合体」という言葉を作ったのがアイゼンハワー、それが1961年で、そこからどんどんとその警告を踏みにじるように肥大化してきている、ということがこの映画の主張ですね。130カ国以上、730か所以上の基地があり、オバマ大統領になってからも軍事予算が300憶ドル多くなってるんです。なぜ、止まらないのかというのが不思議。

* 基地の問題は2つ大きな切り口があります。ひとつはアメリカの戦略上、どれだけ重要かということ、もうひとつは受け入れ国にとってどれだけ基地が安全保障に役立っているかということ。

* 受け入れ国がどれくらいの経済負担をしているか、なんです。日本は米軍基地の費用の半分以上を払っているんです。他の国と比べて日本が圧倒的にお金を出しているから、日本から出ていかないんですよね。

* 全部を合わせたら6000億円くらいになりますね。思いやり予算が米軍基地を支えているのは確かだと思うんです。震災があって日本の財政力が問われてるときに、震災直後、間髪入れずに、毎年1800億円ずつの思いやり予算を5年間を出し続けますという協定が結ばれたんです。何の議論もなしに。

* この映画の中で”兵士が来ると戦争になる”という警句を言ってますよね。戦争があったから基地が増えているんだ、と思っていたのですが、この映画では「基地を増やすために戦争をしてる」、と、そこまで主張をしている。

* かつては軍備を高度化することによって産業が成り立っていたんです。今は、米国の中では補給をする部隊が民間の企業となっていて、戦争をしてもらわないと成り立たない企業が出ている。これが戦争継続する理由になっているんです。

* 議会、ホワイトハウス、ペンタゴンの動きが微妙に違うわけです。まさに、ジョージ・ワシントンの言葉がこの映画にも出てきますが、共和国の一番の脅威は常備軍であると。映画の原題が“Standing Army=常備軍”なんですけど、この常備軍を一番大事にしたいんだと思うんですよ。本来は、農民が闘ってイギリスに勝った国がいつのまにか軍隊だけが肥大して、その利益を享受するようになった。それはアメリカの原理とちょっと違うんじゃない?っていうことだと思うんですよね

* 安全保障の理念は「できるだけ軍事を使わないことを尊重する」、というのが第二次世界大戦に作られました。ところが今、何が起こってきているかというとアメリカの勢力の拡大のためには軍を使っていいというグループがあり、もうひとつ、リベラルと言われる層は基本的には戦争に反対なんですが、世界に民主化を広げるためには、軍隊を使ってもいいということになっている。サダム・フセインを外すことは民主化なんだ、と。人権を普及するために軍隊を使ってもいい、と。このふたつが合体し始めたんです。

* 1951年に最初の安保条約があったけど、その時には吉田茂一人がサインしているんです。むこうは4人もサインしてるのに。なぜそんな異例なことが起きているかというとその当時の外務省は安保条約に反対しているからなんです。占領軍からそのまま安保条約に繋がるというのはいけない。一回切って、国連の委託だとかにワンクッション置くべきだと。

* 映画でも出てきましたけど、冷戦以降アメリカの戦略が変わったんですよ同時に対日戦略も変わるんです。日本に無理な戦略をするんです。そうすると財政的に日・独に抜かれてしまう。だから無理な戦略の中に日本、ドイツを入れるんです。90年代くらいは日本に対しての拘束が増えました。当時のCIA長官のゲイツが“これからは軍事だけでなく経済的な分野で活動しなければいけない”と言っているんです。経済的な分野というのは日本なんです。日本に対してCIA的な工作をして、米軍に追随する人が増えるようになったんです

~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり 全文は是非、こちら(http://kichimondai.com/news/)を

 

多彩な皆さんからの応援メッセージ

多彩な皆さんからの応援メッセージ

 「駐留軍」のことを「standing army」 と言うなんて知ってた?沖縄だけじゃないんだね。
 世界遺産のあるイタリア・ヴィチェンツァにアメリカ軍の基地がつくられようとしているなんて、知ってた? 
 ドイツやイタリア、日本、第二次世界大戦で負けた国に米軍基地が多いなんて知ってた?

 インド洋のディエゴ・ガルシア島の基地ですぐに思い出しました、、ついこの3月に鹿児島県種子島に行った時の「馬毛島」の話です(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12375)。

 先日は東京渋谷で観ましたが、出口で田中優(http://tanakayu.blogspot.jp/)さんとマネージャーの方にばったりお会いしました。実は今回、facebookの田中優さんの呼びかけがきっかけでした。

 この映画は、まず観に行って、それからHPで復習をし、もう一度観ると、その奥行きの深さが格段に理解できると思いますね、乞う、ご期待です!

「Independent」企画、一人芝居

Posted by 秋山孝二
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 最強の一人芝居フェスティバル「INDEPENDENT:SPR」が、札幌西区琴似・コンカリーニョ(http://www.concarino.or.jp/)で開催、とにかく面白かったですね、6名の熱演に感謝です!

開演前の満席のコンカリーニョで

開演前の満席のコンカリーニョで

<Aブロック>
桜待ち」  作・演出・出演:亀井健

α−β motif」  出演:小林なるみ劇団回帰線) 作・演出:渡辺豪

マラソロ」  出演:加藤智之France_pan
          脚本:山崎彬(悪い芝居) 演出:伊藤拓(France_pan

<Bブロック>
次の場所までさようなら」  出演:中嶋久美子ムーンビームマシン
                    脚本:二朗松田(はちきれることのないブラウスの会) 演出:泉寛介(baghdad cafe’

駆込み訴え」  出演:小林エレキyhs
            原作:太宰治 脚色・演出:南参(yhs

ひな菊と財布」  出演:坂本祐以劇団千年王國
             作・演出:橋口幸絵(劇団千年王國

北の春を熱くする、一人芝居の祭典始まる・・・

北の春を熱くする、一人芝居の祭典始まる・・・

 一つ一つ、一人一人がオリジナリティが高く、記憶にも鮮明です。加藤智之「マラソロ」、中嶋久美子「次の場所までさようなら」は大阪の「INDEPENDENT」の参加作品でもあり、迫力抜群、理屈抜きの面白さでした。地元からの4作品も熱演でしたよ。ラストの坂本祐以「ひな菊と財布」では、客席に現れた彼女が近づいてきて、私の前に立ちはだかり財布も取り上げられるかと、ハラハラドキドキ(嬉しいのではなくどうしよう、という冷や汗モノ)、幸い(?)目の前を通り過ぎて斜め前のお客さんの所に行きました。

 冒頭からの緊張感、これがまた「非日常」で新鮮でした。飛行機で大きく揺れて汗びっしょりになるのと同じような快感(?)、少々倒錯していますかね?

 白石加代子(http://www.doudou.co.jp/shiraishikayoko/)「百物語:http://www.doudou.co.jp/shiraishikayoko/sch.html」も素晴らしいですが、今回のこの企画、是非さらにパワーアップしての再演を期待したいです。皆さん、頑張って!!

テーケシュ・ラズロー氏は語る

Posted by 秋山孝二
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 日本を初めて訪問したテーケシュ・ラズロー氏(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12758)は、私の一つ年下で、同時代を生きてきています。

 成田空港到着後、まずは成田ビューホテル(http://www.viewhotels.co.jp/narita/)前庭に建立されているワグナー・ナンドール作のステンレス像「道祖神」の見学、そこから益子に直行して除幕式に出席しました。次の日に東京に移動して外務省を訪問、在日ルーマニア大使、ハンガリー大使等とも面談し、翌日には、広島、京都を相次いで訪れて、先日、東京経由で日本を離れました。お帰りになる前日の晩に、「SAYONARA晩餐」で今回の旅の感想等を聴くことができました。

ハンガリー民謡を歌うテーケシュ・ラズロー氏(右)とキッシュ・シャンドール氏

ハンガリー民謡を歌うテーケシュ・ラズロー氏(右)とキッシュ・シャンドール氏

 初めての日本訪問、最初の見学が成田ビューホテルの「道祖神」だったことには大きな意義がある、とお話を始めました。日本の外務省では高官との面談もあったとか。かなり遠慮しながらもその時のやり取りの概略を伺いましたが、何とも恥ずかしくなるような気がしました。

 テーケシュさんは、ティミショアラの集いの前に、奥さま・お子さまを含めて、当時のチャウセスク政権、直接的には秘密警察に命を狙われ続けた聖職者です。彼の逮捕を予測してルーマニアの西部・ティミショアラに集まった数万の民衆のエネルギーが、1週間後のチャウシェスク政権崩壊の引き金になったのです。

 その彼を前に、先日、「チャウシェスク大統領自身は良い人物で、夫人がひどかったと聞いている」と、日本の外務省高官の政治家は言ったそうです。テーケシュさんは苦笑しながら私たちにお話をされていましたが、何という井戸端会議以下の情報レベルに、歴史観も見識も無く、「恥を知れ!」と残念ながら言わなければなりません。どこに行ってもこのレベルの情報で各国の代表と会っているとすれば、何とも「日本の品格」を疑われても仕方ないですね。

 ティミショアラの集会から20周年、2009年にはこのサイトも創設(http://timisoara1989.ro/en/)、実に興味深い真実の数々です、最初の画面にある動画には、若かりし日のテーケシュさん、父ブッシュ・アメリカ大統領と会談する姿等も見られます、是非アクセスしてみて下さい。遠い昔ではなく、つい20数年前の出来事で、日本はバブルの頂点、まさに歴史の転換点で、ルーマニア国民の声が聞こえてきそうです。

ティミショアラ1989年から20周年を記念したパンフ

ティミショアラ1989年から20周年を記念したパンフ裏表紙 & サイン(左中央)

 広島では、広島平和記念資料館(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/)の副館長が丁寧に説明をされたとか。ルーマニアでもハンガリーでも、8月6日の原爆投下日は、祈りの式典を今でも続けているそうです。ただ、彼は聖地と思っていた広島の平和公園では、ゴールデンウィークの最中でもあり、ジャズ等のかなりの音量のイベントも開催中で、少々意外で、がっかりしたとも。難しいですね、広島といえども365日追悼の日々でもないのでしょうから。

 京都・祇園のお茶屋では、三味線・舞子さんの演奏も堪能されて、「比較的哀しい曲風が多く、トランシルバニアと同じ心情」と喜ばれて、お話の途中途中でハンガリー民謡を数曲大きな声で唄っていました。また、新幹線の時間の正確な運行には感動し、駅に到着した時に、自分の腕時計をその時刻に合わせた程正確だ!との冗談も。

 

 と、ここまで書き続けたのですが、今回、成田空港でお出迎えをして以来、彼の周辺の方々への立ち振る舞いで少々気なることもありました。「上から目線」と言うか、「強者」を感じさせるやや傲慢な言動を見てしまったのですね。以前ナジュバラドでお会いした時より少し違った印象なのですが、と、ある方に私はつぶやいた所、「いや、もともとそうだったのかもしれない」と、苦渋の表情で返答をされました。民衆の絶大な人気を集めて独裁政権打倒の先頭で戦った闘士・聖職者が、その後の立場の昇格により変質したとすれば、私は残念であり、何とも失望する今の彼の姿です。