民間シンクタンクの草分け、「一般社団法人 北海道総合研究調査会(HIT:http://www.hit-north.or.jp/)」理事長の徳本英雄さんが先月末にお亡くなりになりました、享年64歳。高校の3年先輩で、私が東京から札幌に転職してきた時、政策提言を目的とする異業種交流の「SAS:システムズ・アナリスト・ソサエティ」にお誘いがあり、当時29歳だった私にとって、新鮮な自己研さんの場として、以来お世話になっていました。昨日、札幌市内・京王プラザホテル札幌(http://www.keioplaza-sapporo.co.jp/)で「送る会」が催され、大勢の弔問客が全国から参列されました。
「徳さん」の愛称で親しまれ、幅広い人脈は、送る言葉の中からもにじみ出ていました。それぞれが噛みしめるように徳さんとの関係性をご自分のお言葉で語りかけ、その一つ一つを聴きながら、私も徳本英雄さんとの思い出に浸ったひと時でした。素晴らしい「送る言葉」に感動するとともに、あらためて「徳さん」の稀有な人格を再確認致しました。
<送る言葉>
* 荒井聰(衆議院議員:http://www.arai21.net/index.htm)
* 松田昌士(元JR東日本社長:http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%98%8C%E5%A3%AB)
* 竹島一彦(公正取引委員会 委員長:http://gendai.ismedia.jp/articles/print/8053)
* 荒川裕生(北海道 総合政策部長:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/index.htm)
皆さんが一様におっしゃっていたことは、果敢に人脈を拡げていく、とにかく不思議な人柄であること、お酒が好きなこと、入退院を繰り返しながらも不死身の体で仕事を続けたこと等です、私も全く同感でした。20数年前に、最初に心臓の手術をして以来、繰り返し「オレの遺言が聞けないのか!」と決めるセリフに、私たちは「また、騙された!まだ生きてる!」と冗談を言っていたものでした。
「システムズ・アナリスト・ソサエティ(略称SAS)」は、1979年から活動を続け、時代の最先端をいくプロジェクトを通じて築かれた人脈から、1982年、土光敏夫臨調会長の応援団としてつくられた「行革推進全国フォーラム:http://www.mmjp.or.jp/gyoukaku/news/newsindex.html(行革フォーラム)」に繋がっていきました。
「土光臨調」とは、1981年、鈴木善幸首相の肝いりでつくられた「第二次臨時行政調査会」のことで、トップに戴いた経団連会長の土光敏夫が大きなリーダーシップを果たしたことから、「土光臨調」と呼ばれました。高度成長が行き詰まり、100兆円を超える国債残高など財政赤字が浮き彫りになるなかで、「増税なき財政再建」をスローガンに、16兆円超の赤字を抱える国鉄をはじめ、専売・電電の三公社の整理・民営化などを提案、後の中曽根康弘政権で実現されました。
この行革フォーラムは、代表世話人に本田宗一郎(ホンダ創立者)、井深大(ソニー創立者)、世話人に磯村英一(元東洋大学学長)、秋山ちえ子(評論家)、黒川光博(虎屋社長・元日本青年会議所会頭)ら錚々たる人物で構成されて、土光さんの秘書の並河信乃さんも常任幹事として事務局を担っていました。現代のこの種の機関と比べて、担う人物の大きさが際立ちます。
いつだったかは忘れましたが、このフォーラムが札幌の円山公園近く、当時の郵便貯金会館(現在の「円山クラス」)で開かれたことがあり、私も参加しました。休憩時間に、トイレで土光敏夫さんの隣になり、「土光さんと一緒に小便をした男」として、忘れられない想い出となっています。
HIT専務理事の五十嵐千嘉子さんが今回の会の実行委員長でした。彼女にも、秋山愛生舘の未来戦略策定ではお世話になりました。また、丁度ホテルの玄関ホールで、当時、SASの若手メンバーだった池田純久さんとも久しぶりにお会いしました、今年創業30周年の節目の年に、京王プラザホテル札幌の総支配人として、重責を担っています。
「徳さん」の葬儀の日、私にとっても20代終りから30数年の想い出のいっぱい詰まった昼下がりとなりました、たくさんの人々との出会いの場に感謝します。五十嵐さんが最後におっしゃっていたように、「生き急いだ」のではなく、「生き抜いた」彼の堂々たる人生でした。
どうか、安らかにお眠り下さい。