あるヨーロッパ人のつぶやき

Posted by 秋山孝二
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 先日、あるヨーロッパの経営者とゆっくり食事をしながらお話をする機会がありました。今の国際金融情勢における日本の位置づけ、2011.3.11以降の日本社会の変化等、歯に衣を着せないというか、明快な表現でのお話は、実に興味深く新鮮でした。

 まずは、いきなり「日本人のほとんどは東日本大震災を忘れ掛けているのでしょうか?」と。来日以来、彼は多くの日本の経営者たちに、「福島原発事故ほか、東北の被災は大変でしたね」と問うと、ほぼ全員が「いやいや、もう大丈夫、日本全体としては何も心配はありませんよ」と言っていたと。「忘れている」と聞かれて、一瞬、私は「ウーん」と返す言葉に詰まりましたが、「それは、日本全体が被災した訳ではない、という意味なのだと思いますが」と、私は苦しい弁明。この辺りは日本人の曖昧な表現が「忘れているのか」との印象に映るのでしょうかね。

 曖昧とか誤解を受けると言えば、「風評被害」という言葉も危険な言葉ですね。福島の変わらぬ現状を語る多くの方々の発言が、「そんなこというと『風評被害』で多くの福島県民、日本国民が迷惑するからやめろ」みたいな論調を目にする時があります、口封じに通じる状態です。

 さらに、彼は原発事故の放射能に対する認識にも容赦ありませんでした。他の外国人からも聞いていましたが、ヨーロッパに住むビジネスマンたちは、会社からも家族からも日本への出張の際には、「長い滞在はしないように」と言われているそうです。そして、成田着の飛行機便では、福島県上空を迂回して着陸するルートを選択的に通っているとか。放射能への恐怖は、チェルノブイリを経験しているだけに、関係当局、国の発する情報への信頼は、かなり薄いのでしょう。自分たちで放射線量を測定するか、さもなくばその地域に近づかないことだと。出張中の日本の滞在ホテルでは、靴のそばに懐中電灯とヨウ素タブレットを置いて寝るようにと会社からの指示が出ているそうです。もちろん会社関係者の命を思っての措置なのでしょうが、そうとばかりは言えないようです、何の注意もしていなかったと会社の責任を後から問われることを回避するためだとも考えられます。

 以前に書きました、確かに3・11以降、会食をする機会が多々ありましたが、食事の付け合わせのシイタケ類はほぼ全員が食べずに残していますし、魚類もみずからはあまりオーダーしていない感じがしますね。日本人に比べて、格段に放射能汚染には敏感な気がします。というより、これが今の日本を見る世界の「常識」なのかも知れません。

 ヨーロッパの経営者の面白いのは、アメリカとの距離感ですね。湾岸戦争時でもいつでも、アメリカの大統領の発言には基本的には批判的ですし、金融政策に対してもきっちりした防衛策で迎え打つ姿勢があります。日本のように、まさに「隷属状態」とは真逆の自立した視点から、多くのことを学ぶことができます。

山田恭暉さんを偲ぶ会

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 「公益社団法人 福島原発行動隊(http://svcf.jp/」の代表だった山田恭暉さんを偲ぶ会が東京の憲政会館で開催され200名を越える方々のご参加がありました、それに先立って参議院議員会館では今後のSVCFの活動についての意見交換も行われました。山田さんについては以前にも書いています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9664

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14329

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14955

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20345

祭壇には日本酒

祭壇には日本酒

 この会の基本的スタンスは、以下の文面に明快に示されています。

~~~~~~~~~~~HP からの引用

福島原発行動隊の基本的な立場について

  一般社団法人福島原発行動隊(旧福島原発暴発阻止行動プロジェクト。以下「行動隊」と略記)は、福島第一原発事故の収束作業に当たる若い世代の放射能被曝を軽減するため、比較的被曝の害の少ない退役技術者・技能者を中心とする高齢者が、長年培った経験と能力を活用し、現場におもむいて行動することを目的として発足しました。

  行動隊は自発的参加者によって構成され、その組織原理は自由な諸個人の結合です。したがって各人の思想、信条、あるいは心情はいっさい問いません。その原則は原発の是非についても同じであり、行動隊内には脱原発論者も原発維持論者もおられます。この多様な構成員を結びつける唯一の絆が、原発事故の収束という大目的です。

 
  行動隊の諸個人が、隊外において自己の信条に基づいて活動することはもちろん、隊内において心情を吐露することもまったく自由です。しかし一般社団法人(近い将来に公益社団法人へ移行する)福島原発行動隊としての発意や行動は、定款に定めた目的および事業に沿うものでなければならず、個々の意見はそのままでは公式の見解になりえません。

  この目的および事業を達成するための具体的行動へと一歩でも近づくため、いま行動隊は政府および東電にいくつかの重要な提言をしています。それを貫徹するには従来の原子力管理体制の大変革が必要であり、かなり長い道のりになるものと思われますが、状況に応じてさまざまな課題に対処する行動隊内の組織整備も現段階の急務となっています。

  いまや約二千名に達する行動隊員・賛助会員は人材の宝庫であり、すでに多くの方々が部署に就き、それぞれの知恵と力を発揮しておられます。これをさらに幾層倍にも拡充し、行動隊の社会的認知を不動のものにして、原発事故の収束作業に携わるという本来の目的を一日も早く実現することが、発足以来そろそろ半年を迎える行動隊の仕事です。

  そう、これは「仕事」であり、本来の目的も仕事をすることです。それを支えるモチベーションは個々人の思想・信条・心情であるにせよ、行動隊の目的および事業はプラグマティックに進めるほかはなく、そこではポリティクスもイデオロギーも無用であり、それは個々人の胸に大切な駆動力として収めておくべきものでしょう。

  行動隊の結成を呼びかけた人びとも、それに呼応した人びとも、全員がそれぞれの想い、長い人生が醸成した種々の物語を抱懐しており、それをお互いに尊重しながら、ひとつの目的に結集し、各自の持てる積年の能力を駆使して未曾有の災厄に立ち向かうこと。これが福島原発行動隊、みるべきものはみてきた老人集団の基本的な立場です。

 2011年9月9日 〔文責〕一般社団法人福島原発行動隊理事 平井吉夫

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 駆けつけた皆さんのご挨拶は素晴らしかったです、覚悟を踏まえた自らの活動報告です。

 まずは、村田光平(http://kurionet.web.fc2.com/murata.html)さんです。

元スイス大使・村田光平(みつへい)さんもご挨拶

元スイス大使・村田光平(みつへい)さんもご挨拶

60年安保全学連の初代委員長

60年安保全学連の初代(?)委員長

最初からの応援者・牧山弘恵参議院議員

最初からの応援者・牧山弘恵参議院議員

 

2年前に山田恭暉さんを札幌にお招きして講演会を開催しました。淡々と語る姿に、理論・評論ではない現実的な対処に身を捧げようとする覚悟を感じました。今、思い起こせば、自らの体調も承知の上での活動だったのでしょうね。
「世代の責任、世代の力」と題して、札幌で講演した時の様子
http://www.ustream.tv/channel/%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%83%
心からご冥福をお祈り申し上げます。

飯館村・現場からの報告 2014

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 「飯館村エコロジー研究会:IISORA(http://iitate-sora.net/」主催の東京シンポジウム、今年は國學院大學で開催されました。飯舘村のフィールドからデータに基づいての発信は、継続の価値に裏付けられて益々貴重な取り組みとなってきています。

* 東京シンポジウム 2014 http://iitate-sora.net/tokyosymposium/tokyo2014

 昨年の様子はこちら――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16313

 この研究会の設立経緯はこちら――>http://iitate-sora.net/about

國學院大學でのフォーラム

國學院大學でのフォーラム

「<基調講演>飯舘村の歴史と原発事故」 多田 宏/飯舘村 綿津見神社宮司

基調講演

基調講演 多田宏宮司

「飯舘村初期被曝評価プロジェクトの報告」 今中哲二/京都大学

京都大学 今中哲二さん

京都大学 今中哲二さん

「飯舘村の山菜・食品等の放射能汚染調査」(発表スライド伊藤延由/飯舘村住民 貴重なスライドです!

現場で測定を続ける さん

現場で測定を続ける飯舘村の伊藤延由さん

 今年のシンポジウムの報告は、近くHPで掲載されると思いますのでそちらに譲りますが、この研究会の発起人のお一人、小澤祥司さん(http://earthkids.sakura.ne.jp/homepage/TOP.html)は、今年9月3日の秋山財団贈呈式・特別講演でお話をして頂くことになっています。現場に密着した活動を通してのエネルギーのお話は、大変興味深く期待が大きいです。

~~~~~~~~

小澤祥司(おざわ・しょうじ)1956年静岡県生まれ。東京大学農学部卒業。出版社勤務などを経て、取材・執筆活動のほか、環境学習・環境保全活動の支援・自然エネルギーの普及・持続可能な地域づくりなどのプロジェクトにも携わる。3・11以降、福島県飯舘村の放射能汚染調査、村民の支援活動にも取り組む。
主な著書に『メダカが消える日―自然の再生をめざして 『コミュニティエネルギーの時代へ』(以上岩波書店)、『飯舘村6000人が美しい村を追われた』(七つ森書館)、『減電社会 コミュニティから始めるエネルギー革命』(講談社)、『バイオマスエネルギー・ビジネス』(共著、七つ森書館)他。

秋山財団のアウトリーチ活動

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 秋山財団の「アウトリーチ活動」について、つい先日これまでの活動をHP上に掲載しました。

* http://www.akiyama-foundation.org/news/765.html

 思い出してみると、2011年3月11日直後に、私はこの欄でマスメディアと「専門家」について下記のように書き留めており、それ以来ずっと持ち続けている問題意識です。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7922

 特に以下の部分は、その後の展開の中でも変わらず意識を集中していく必要があると思っています。

===========2011.3.20のブログより

 私たち秋山財団では、昨年から「研究助成」の要項に、「アウトリーチ活動」を義務付ける一文を入れ始めました。秋山財団の研究助成を申請する必須要件としての「アウトリーチ活動」です。それ程大げさなものを考えている訳ではありません。ごく普通の子どもたち、市民が、研究者たちが日常使っている専門用語から何を連想するか、どんな心理状態となるか等を、大学教授も若い研究者も、その初期から学びながら研究活動を行うべきだと思います。

 私は数日前の<大地震、今、感じること(1)>で次のように書きました。~~~~~~~~~~

 丁度、今、早朝テレビのワイドショーで、原発の専門家という方が、「すぐに1986年のチェルノブイリ事故と今回の事故を一緒にする人たちがいるが、全く違います!」と、あたかも心配する市民の無知を叱責するような言い方でしゃべっています。

 でも、そうではありませんね。理屈とか理論ではなくて、直接会って知った人々の顔と現実が最も説得力があるのであり、そこから連想する「不安」を払拭できない専門家の理屈こそ、「ニセモノ」と言うものでしょう。歴史的事実、或いは目の前に起きている現実に直面して、社会にしっかりした「安心」を提供できない「専門的知識」とは、一体どんな意味を持つのでしょうか。今こそ、「専門家」としてのこれまでの活動が問われているのです。

~~~~~~~~~~~

 ヨーロッパの方々にとって、「原発事故」は、チェルノブイリ事故なのですよ、研究者がどんなに「それとは違う」と主張しても、そういった認識にある人々への説得力ある説明が前堤だと理解すべきです。タコつぼ的研究、独善的研究に問題提起を与えてくれるのは、子供たち、市民たちの素朴な疑問なのではありませんか。それは自身の研究への余計な労力ではなく、大いに役に立つ価値あるメッセージだと確信します。

============= ブログからのコピー おわり

 従来の自然科学の「専門家」が、切迫した命の課題にどう立ち向かえるのか、先日の「メディア・アンビシャス映像部門大賞」を受賞した「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸」(NHK)でも、あの時代の科学者と比較して現代の劣化を感じるのは、私だけではないと思います。当時の水産庁長官が外務省局長宛に顧問団の結成と調査船派遣を通告しているのです。見識、矜持、勇気とか、そんな人間としての資質が問われているのだと思います。この番組は、昨年9月に放映されましたが、大好評でリクエストが多く、今週末7日(金)深夜に再々放送が予定されています(http://www.nhk.or.jp/shizuoka/bikini60/blog/index.html

「八重の桜」、余韻覚めやらず

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 昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜(http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/」は、私にとってこれまでで最も印象に残った番組でした。年始に総集編として2日間に渡り放映されて、録画でじっくり見ました、幾つか見逃していた回があったことも知りましたし、年が明けて、余韻覚めやらずですね。

 何といっても私にとって、戊辰戦争が、「愛生舘」の生みの親、松本順と密接な関係があるからです。ドラマの一場面でも繰り広げられた藩校「日新館」での負傷兵たちの看護、あの場で院長として指揮を執っていたのが、長崎でオランダ医学の一環で野戦病院医療を学んだ松本順その人だったからです、恐らく八重さんとともに活動していたものと、ドラマでは名前は出てきませんでしたが、私にはその姿がくっきり見えました。

 松本順と愛生舘との関係は、これまでたくさんこの欄で書いてきました。

< 松本順 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%A0%86

 同時に、一昨年、3・11以降の初めての福島訪問の際に、会津若松市で一泊して、若松城、日新館ほかをゆっくり見学したことも記憶に新しかったからです。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12677

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12692

 その時のブログにもあるように、ドラマを見ながら自分のその時の想いに確信を得ました。

~~~~~~~~~~~~~~ ブログからの引用

・・・・ 「ならぬことは ならぬものです」で結ばれる「什の掟」、日新館での教育は今の時代、一層価値があるメッセージですね。白虎隊と並んで紹介される場合が多いですが、私にとってはむしろ、松本良順と野戦病院院長の関係で記憶されています。戊辰戦争で幕府側の医師として、最後まで人々の治療にあたった彼は、戦いの後に捕われましたが、その後新政府にその類まれな近代医学の能力を高く評価され、近代医学の基礎を創り、初代の軍医総監として活躍しました。

・・・・ 近代日本への脱皮、その歴史は多くの命が失われる過程を経て、一歩一歩変わっていく時間の経過と理解すれば良いのでしょうか。日本人が、自分たちの「国」づくりを自分たちで必死に手に入れようとしていた真摯な姿を感じます。そんな歴史に対する「誠実さ」を、いつ日本人は失ってしまったのか、3・11の大震災、津波、原発事故による放射能汚染、この「機」を逃して復興しなければ、今、まさに社会の価値の方向転換をしなければ、あとは滅亡しかありません。

~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 個々の俳優のインタビュー(http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/special/)でもたくさんの話題ですが、私としては特に、綾瀬はるか(八重)、西島秀俊(覚馬)、高島政宏(槇村)が興味深かったです。

 また、演出の加藤拓さんの言葉も含蓄があります、これまでの大河ドラマとはかなり違った視点であり、3・11以降の社会への問題提起とも受けとめます。このドラマで新政府を樹立した指導者たちが、日清・日露戦争を経て国際社会においてどんな日本国に誘導して行ったのか、その危険な芽がこのドラマからも読み取れるような気がするのです。まさに歴史に学べ、ですね。

~~~~~~~~~~~演出 加藤拓さんの言葉 HPからの引用

<他者の正義vs自分の正義>

今まで幕末物語といえば、新しい日本を目指すことにおける正義が描かれてきました。ところが今回は、その正義がある種の悲劇を生んでいきます。国を変えようとする正義を掲げるのが薩長ならば、奥羽越の人々にもまた、守らなければならない正義があったのです。

変えるための正義と守るための正義…他者の正義と自分の正義とのぶつかり合いによって、日本が分裂しかねない状態にまで追いこまれる。そのぶつかり合いをつぶさに描くのがこのドラマ前半の特徴です。そして、この衝突の最終局面が、最後まで抵抗を続けた会津藩において繰り広げられることになるのです。

それと同時に、僕らが9か月間の撮影で体感してきた未知の歴史が、今まさに既知の歴史に集約されようとしています。 “あの歴史の場面”がいよいよやってきた!この感覚の新鮮さが、つくり手としての僕らの気持ちを高揚させています。

<極限において放たれる八重の輝き>

撮影を前に、ここぞとばかりに綾瀬さんといろいろお話をしました。会津戦争という歴史の局面一瞬一瞬において、八重ならどう振る舞うか…と。

誤解を恐れずに言えば、この悲劇的な場面こそが、八重がいちばん輝きを放った瞬間です。極限の状況で放たれた八重の輝き、それがこの会津戦争を描くうえでの核になりました。女性でありながら銃をとり前線に立つことへの決意、少年兵を死地に赴かせることに反対しながらも、いざ共に戦うべき相手は老人兵や少年兵だったという皮肉。「自分が戦う以上はひとりも死なせない」という巨大な責任感と苦悩に襲われる八重の姿を、綾瀬さんが全力を投じて演じてくれました。

城が文字どおり崩れ落ちる瞬間まで、存分に戦い、存分に生き抜いた会津の人々。彼らがどう戦い、何を失い、何を得たのか…。八重はもちろんのこと、その家族や仲間、容保、家臣団…それぞれの正義をかけた戦いにご注目ください。

~~~~~~~~~~~ 引用 おわり
 

 このドラマに関わったすべての方々のメッセージに比べて、メディア界の貧困さも終わってみての評価から見て取れます、ただただ「視聴率」に拘っているだけの姿です。「視聴率」?、ドラマを観続けた私のような一視聴者には何の関係もないですよ、その作品テーマ、演出、俳優に興味があるのであって、他の人がどれほどライブで観ていたか、そんなことはドラマの評価のごくごく一部に過ぎないではありませんか。今の時代にこういった素晴らしい番組を作成したNHKに感謝するだけです。

 まるで昨今の「経済成長」論議で、株価上昇だけが経済の指標であるかのごとく語るメディアと同じレベルの貧困さです、社会の薄っぺらさとも言えましょうか、学びましょうよ、歴史から。 

 いずれにせよ、新しい国の方向性を創ることは、まさに価値観の「戦い」であり、「呻吟(しんぎん)」であり、ナチの暴虐を越えたヨーロッパ思想界のような過程を抜きには生まれることはないのかもしれないと、年始のまとまった時間にしばし黙想しました。

「バラトン」と聞いて

Posted by 秋山孝二
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 環境系の市民活動をされている皆さんには、すでにお馴染みの「バラトングループ(http://vimeo.com/51860396」は、この間、地球規模の環境問題への数多くの提言があり、時代を先取りしながらグローバルなオピニオンリーダーとしての存在です。私は当初、それがハンガリーのバラトン湖だとは知らずにいましたが、ワグナー・ナンドール財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)の関係でハンガリーをたびたび訪問しているうちに、「あっ、あのバラトン湖畔に集まるグループか」と気がついたのです。

メンバーはこちら(http://www.balatongroup.org/who-we-are/)

<これまでのこの欄への私の記載です>

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7722

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10357

 日本からは枝廣淳子さんが2002年からただ一人参加していて、今年で12回目とのこと。今年は第32回、世界から60人ほどが集っています。JFS(http://www.japanfs.org/ja/)通信によると:

~~~~今年のテーマは「テクノロジー」。休み時間や食事中に、旧知のメンバーからも新しいメンバーからも聞かれるのは、「フクシマの現状と見通し」「日本のエネルギー政策の今後」です。いかに世界の人々の関心がいかに高いかを(国内の方が低い……)を感じます。と同時に、国内でもそうですからしかたないのかもしれませんが、情報が世界に届いていないのだなあと……。今朝、テクノロジーに関する発表が始まるまえの小グループの議論で、「フクシマの事故を考えても、人は複雑で先進的な技術のほうに向かう傾向がある一方で、もっとシンプルでわかりやすく、レジリエンスの高い技術もある」という問題提起から、「だれが技術を評価し、だれが選ぶのか」も大事な議論のポイントだ、という話になりました。

 だれが技術を評価し、だれが選ぶのでしょうか?技術革新が便益とともにリスクを大きくする(原発のように)可能性がある場合など、「もっともっと(技術の進歩を)」に歯止めをかけるべきときがあるとしたら、その歯止めはだれがどのようにかけることができるのでしょうか?

 今朝の発表でも、遺伝子組み換え技術、温暖化に対するジオエンジニアリング(成層圏にエアロゾルを散布して太陽光を反射し、地球への入射を減らすといった、気候システムに対する大規模・意図的な工学的介入)といった技術が例として取り上げられていましたが、その結果を不特定多数の人が被る技術(原発もそうですね)についての評価や選択・決定はだれがどのように行うべきなのでしょうか。

~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 2011年3月の原発事故直後もそうでしたが、私自身とほぼ同じ思いを上手に表現してくれて、「レジリエンス」な思考の枝廣淳子さんの活躍は、環境系課題解決の方向性を示してくれます。最近、東京でのワークショップ等にもあまり参加できないのが残念ですが、北海道の地で引き続き活動は続けていますので、どうか宜しくお願いします、ね。

< 参照 >
* 枝廣淳子の環境メールニュース http://www.es-inc.jp

* 「幸せ経済社会研究所」~幸せと経済と社会との関係を見つめ直す  http://www.ishes.org/

* 「私の森.jp」~森と暮らしと思いをつなぐ  http://watashinomori.jp/

* 「変える」メソッドを経営へ  http://www.change-agent.jp/

* 「システム思考」に関する情報を提供  http://groups.yahoo.co.jp/group/systems_thinking_byCA/

* 日本から世界へ情報発信 ジャパン・フォー・サステナビリティ  http://www.japanfs.org/index_j.html

「2020東京五輪」に思う

Posted by 秋山孝二
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 すっかり秋の風情になった札幌ですが、皆さまは如何お過ごしでしょうか。一年に一度の「贈呈式」を終えて、つかの間ホッとしていたら、昨日、素晴らしい虹を久しぶりに目の当たりにしました、上空を見上げたのは何か月振りでしょうか、嬉しかったです。

財団事務所窓から、大きな虹がくっきり

財団事務所窓から、大きな虹がくっきり

 さて、少し時間が経ちましたが、2020年のオリンピックが東京開催で先日決まりました(http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE98601J20130907)。そんなつもりはなかったのですが、何とも日本人、早朝のライブで決まった瞬間を見ていました。時間が経って、ニュース等で、東京チームの最終プレゼンの様子も分かってきました。最も違和感のあったのは、多くの方と同様に、安倍晋三首相の「状況はコントロールされている」とか、「汚染水は原発港湾内に完全に封じ込められている」とかの場面です。広告代理店の仕事なのでしょうね、政治家の「どうだ!」と言わんばかりの振り付けは、アスリート達の爽やかさに比べて、美しくはないです。奇しくも「内閣広報室」のこの掲載記事、練習風景まで広報するのは悪乗り以外の何物でもありません(http://www.youtube.com/watch?v=SbHwxrnsHKg)。

 ただ、別の見方をすると、汚染水問題をはじめとする東電原発事故収拾に国が責任をもつことが、これで国際的な公約になったとも言えるのか、と。東京で建設工事がいっせいに始まった影響で、原発事故現場、及び被災地で働こうという人が集まらないという事態にならないよう、国が責任を持つことを世界に約束しました。東日本大震災の大地震や津波、そして原発事故を、オリンピック招致に利用したのではないことを、これからの長い活動の積み重ねで明らかにする責務が、安倍晋三首相には生じたのです。

 1964年の東京五輪、私は中学2年生、学校のテレビで見ていた気がします。高度成長期のシンボルの世界的イベント、2020年のそれは、56年後という連続性ではなく、21世紀の「サステイナブル」時代として、新しい都市と地方の関係性の象徴として、そしてグローバル社会の中の新しい日本としてのシンボルになって欲しいですね。

 いろいろこの間検索しながら、5年前に札幌でもお会いした池田香代子(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=88)さんのブログに出会い、ほぼ似たようなご指摘に共感しました。

< 池田香代子さんのブログ >

* http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51958705.html

* http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51958915.html

福島の「今」を行って

Posted by 秋山孝二
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 「2011.3.11」以降、私は被災地のごく一部ですが、時間を見つけては訪問しています。昨年は東京出張の折に、足を延ばして東北新幹線で郡山に、そこから会津若松方面に向かいました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12699)。今年は3月に宮城県仙台市荒浜地区、名取市閖上地区(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16071)、そして先日、郡山に行く用事があり、札幌から飛行機で直接福島空港へ、郡山、福島市、相馬、南相馬、飯館、二本松等、西部を通りながら放射線量測定もしてきました。

 測定した器械は昨年同様です。 「エステーエアカウンターS:http://www.st-c.co.jp/air-counter/」は、「ガンマ(γ)線だけの測定」で、以下の数値の単位は「μSv/h : マイクロシーベルト・パー・アワー」です。この器具では、「0.05」以下は、みな「0.05」での表示となります。今回「0.05」で表示された地点は、恐らくそれよりもさらに低い数値だと推測されますね。

 私たちが細心の注意を払わなければならないのは、「放射線量測定」といっても、何を測って、何を測っていないかを明確にすることであり、諸条件の違いで「放射線量」が意図的に誘導される危険を織り込まなければなりません、科学的に「諸条件を明確にして発表すること」の重要性ですね。大学時代に「物性物理学」専攻だった私、実験を繰り返してデータを収集・分析し、考察を経て卒業論文を書き上げた人間のこだわりでもあります。

 人体への影響を警告するためには、福島県の線量の高い区域では「α線」、「β線」も入れて測定するべきなのでしょう。「γ線」のみだと70μSv/hだけれど、「α線」と「β線」を足すと500μSv/h越えという例も福島ではあったとも聞きます。α核種とβ核種は離れれば安全とは言いますが、体内に取り込んだら離れられない、「内部被曝」として人体への危険性は消えません。より楽観視しやすい指標で発表・判断するのは科学的ではなく、誘導・プロパガンダです。

 「内部被曝」については、皆さんご存知の肥田舜太郎医師が広島原爆による被爆から、この間60年以上語り続けていました(http://www.uplink.co.jp/kakunokizu/)。今年2月発刊の新著「被爆と被曝:放射線に負けずに生きる」では、放射線障害研究の歴史の根深さを知ります、教育・研究分野でのこのテーマで、国際的責任を日本は果たさなければなりません。

 知人のMさんからFBで教えてもらいました、たとえば条件が違うとこんなに数値は変わってきます。――><福島県相馬市 道の駅のアスファルト表面> アスファルト表面に直に置くと数値が急激に上がるのは、「β線」によるもの。空間線量測定に「β線」は含まれていません。

https://www.youtube.com/watch?v=jCG527ruCgc&feature=youtube_gdata_player

福島市信夫山公園・護国神社

福島市信夫山公園・護国神社

二本松城城壁前

二本松城城壁前

南相馬海岸線南部から南を望む

南相馬海岸線から南を望む

 放射線の被曝に「安全値」というのは無いとは思いますが、国の基準でいわれている「1ミリシーベルト/年間」を今回測定した1時間当たりに換算すると下記の数値となります:

1mSv/y÷365÷24×10^3≒0.114μSv/h

今回の各ポイントの測定値(γ:ガンマ線だけ)です。測定器具は昨年のものと全く同じです。~~~~~~~~~~~~~~

福島空港・外           0.09

郡山市内・外           0.14

福島・信夫山公園        0.38

大波   (115号線沿い)   0.46

相馬市内             0.32

南相馬市内           0.43

飯館村(12号線沿い)       0.62 ~ 0.91

川俣町              0.36

二本松城跡            0.24

~~~~~~~~~~~~~ 昨年の測定値

福島県会津若松市の「鶴ヶ城」にも線量計が設置されています(http://www.aizukanko.com/news/index.cfm#wn97)。因みに、鶴ヶ城公園本丸内の放射線量、5月25日正午は、「0.12 μSv/h」 です。

単位 <μSv/h : マイクロシーベルト・パー・アワー>

郡山駅前・外         0.24

郡山駅・内            0.14

猪苗代                 0.08

会津若松市内          0.05

宇都宮駅・外           0.09

茨城空港・外           0.12

~~~~~~~~~~~~~~ 昨年の測定値 おわり

 さらに今、東京電力福島第一発電所事故現場では、汚染水が大量に海に漏れ出しています(http://www.youtube.com/watch?v=uEWO6FfUwJo)。海外メディア、研究者は、この海洋汚染を強く懸念していて、日本が国を挙げて対処しようとしていない現状に大変な危機感をつのらせています(http://rt.com/news/fukushima-apocalypse-fuel-removal-598/)。

 今回、ごくわずかの時間でしたが、「除染」作業をする人々、あちこちにあるブルーシートを被せた土地ほか、放射能汚染の続く現地に滞在して、この状況を医療機関でのエックス線照射、放射線管理区域と同一視する方々のセンスを疑います。環境に広く放出された、匂いも、色も無い、いわゆる五感では感知できない放射線、それが今も継続して漏洩している現状、このまま放置すれば日本国民の分断が続き、人心は一層混乱するでしょう。

 一方で、ただ危機感だけを募っていても、今現在そこに暮らしている方々もいます。その方々とどう寄り添えるのか、外の人間として考える責任もあります。私自身は、「飯館村放射能エコロジー研究会(http://iitate-sora.net/)」に注目していて、今年のフォーラムにも参加しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16313)。

 今の状態は、福島県を中心とした「広大な国土の喪失」です。日本政府の国際社会での責務完遂、今、東電には当事者能力無しの中で、任にある方々の本気の原発事故収束への全力投球、それしか国際社会から信頼を回復し、日本国を救う道はありません。

渡辺謙 in ダボス会議、ほか

Posted by 秋山孝二
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 先日フェイスブック(FB)を開いていたら、映画俳優・渡辺謙さんのダボス会議(2012)のスピーチが目に飛び込んできました、昨年1月のスイスのダボスでのものです。昨今の無原則な「原発再稼働申請」に絡んでの書き込みだったかもしれません。当時日本では、「絆」部分だけの報道だったようですが、全文を読むと再生可能エネルギーへの彼の強い信念と主張が読み取れます。

http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2012/davos/

 最後のフレーズだけ引用します。~~~~~~~~~~~スピーチの引用

私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 渡辺謙さんと言えば、「許されざる者:http://wwws.warnerbros.co.jp/yurusarezaru/index.html」が今年9月に封切上映となります。クリント・イーストウッド監督・主演で第65回米アカデミー作品賞、監督賞ほか4部門を受賞した傑作西部劇「許されざる者」(1992)を、日本映画としてリメイクしました。幕府崩壊後の明治初期、北海道開拓時代の歴史の中で、かつて「人斬り十兵衛」と恐れられていた男(渡辺謙)が、再び戦いに身を投じていく姿を描いています。北海道・阿寒湖周辺でのロケも敢行されて、エキストラで知人も出演していますが、「エキストラを越えた存在感が抜群」との前評判もあり楽しみです。

 一方、昨年秋に札幌を訪問された松村昭雄さん(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14850)のメーリングでは下記のような記事が送信されてきました、ソーシャルメディアのメッセージは、いろいろな動きを教えてくれます。

~~~~~~~~~~メールからの引用

日本の友人の皆様へ、

 過日、アメリカ合衆国原子力規制委員会のグレゴリー・ヤツコー前会長が、原子力発電所は基本的安全性にかけるので、段階的に廃止すべきであるという発言をされました。カナダの著名な原子力科学者ゴードン・エドワーズ博士がこの意見について説明をされた記事の日本語訳

原子炉は段階的に廃止すべき:前アメリカ原子力規制委員会会長の発言

原子力専門家のゴードンエドワーズ博士がヤツコー会長の決断の背景を説明します。

原子炉は段階的に廃止すべき:前アメリカ原子力規制委員会会長の発言

By: ゴードン・エドワード博士

2013年4月9日

20130409-211940.jpg昨年までアメリカ合衆国原子力規制委員会会長職にあったグレゴリー・ヤツコー氏が、全ての潜在的に危険な機械は、その全てを完全に停止できる「緊急停止スイッチ」を備えているべきである、という最も基本的な認識に至りました。原子力発電炉にはそれが無いのです。ですからヤツコー会長は、全ての原子炉は段階的に廃止すべきである、という結論を出しました。

ヒーローが爆発装置や巨大な殺人マシンの動力を間一髪に止めて大惨事が無害なものへと代わる、といったアクションアドベンチャー映画が一体何本あることでしょう。大事故の起るほんの一瞬前に(?) 装置や機械が瞬く間に悪から良に代わる。大惨事から無害へと。なぜなら、誰かが「停止」スイッチのボタンを押すからです。

しかし、原子力発電炉は完全に停止させることはできないのです。どんなに緊急な場合にでもです。とんでもない構造欠陥です! 止めることのできない自動車や消せない火事を想像してみてください。

勿論、全ての原子炉に核の連鎖反応を2秒以内に止める「緊急停止装置」はあります。そして大抵はたいへんよく効きます。スリーマイル島の原子炉は最初のトラブルのサインがあった時に直ちに停止しました。ただその後に溶けただけです。福島第一の3つの稼働中の原子炉は全て津波が到着する前に自動停止しました。ところが結局、全て溶けたのです。

問題は、核連鎖反応を止めることが熱発生を止めはしないのです。使用している規模に準じて数千度の熱が、燃料の溶け出すポイントに向かって上昇し続けながら炉心に加え続けられる、という止められないプロセスなのです。

熱は何故止まらないのでしょう? それは私達が放射能活動を停止する方法を知らないからなのです。

通常の稼動をしている原子炉の炉心で激しく発生する、放射性副産物の途方も無い一覧表があります。たとえ核分裂が止まった後にも、核燃料の核分裂の結果炉心に集まった不安定な原子の放射性崩壊(壊変)により物凄い率で熱が発生し続けます。

この熱を「崩壊熱」といい、原子炉の炉心や原子炉の炉心付近にあるもの全てを溶かすに十分なものなのです。「停止」の直後で、崩壊熱はフルパワー熱のおよそ7パーセントです。

1000メガワットの電力を作るよう設計された原子炉では、通常約3000メガワットの熱が発生しています。もし、この原子炉が突然停止した場合、およそ3000メガワットの7%の熱が、照射を受けた核燃料の廃棄副産物による容赦のない放射性壊変により生じ続けます

それは200メガワット以上の熱になります。そして、それは止められないのです。

エネルギー冷却システムで熱を取り除くことができます。しかしもし原子炉が損なわれた場合に、エネルギー冷却システムは損なわれないと、いったい誰が言えるでしょうか?

停止できない原子炉はあたかもステロイド地獄のようなものです。そして、全ての原子炉がそうなのです。

ゴドン・エドワーズ

———————————–

前原子力規制委員が原子炉は欠陥であると発言

By: マシュー・L・ワルド、201348日付ニューヨークタイムズ紙

ワシントン発:現在アメリカ合衆国で稼働中の104の全ての発電用原子炉に直すことのできない安全性の問題があり新しい技術と交換されるべきである、と前原子力規制委員会の会長が月曜日に発言した。彼は、全てを直ちに停止するということは現実的ではないが、原子炉の(稼動)寿命を長くしようとするよりは段階的に廃止することを支持する、と発言した。

前会長であるグレゴリー・ヤツコー氏の発言は数多くの原発反対派グループの中では珍しいことではない。しかし、その安全確保を担当していた前原子力規制委員会の会長が、業界に対しそうもはっきりと批判することは至極珍しいことである。

ヤツコー博士は発言後のインタビューで、一体なぜ会長在任中にこの指摘をしなかったのか、という質問に、「私は最近まで本当に考えつかなかった」と言った。

2011年に日本での福島原子力事故でさらに明確となった「問題のことをもっと考えていて、業界と当局として、この本当に難しい問題をどう対応するかを模索する原子力安全コミュニティー全体を監視していました」、「バンドエイドにさらにバンドエイドを貼り付けてもこの問題は修復しません」と発言した。

ヤツコー博士は、ワシントンで行われたカーネギー国際原子力政策会議の福島事故に関する会合で、原子力委員会から初期の40年認可を超えてさらに20年の許可を得た多くのアメリカの原子炉は、おそらくそれほど長くは保たないだろうと発言した。彼は、原子炉が合計80年間稼動するということを意味する、2度目の20年延長申請を原子炉オーナーに許可する、という委員会の提案も拒否した。

ヤツコー博士は、原子炉燃料が連鎖反応停止後もおびただしい量の熱を発生し続けるという特徴について挙げ「崩壊熱」が福島のメルトダウンを引き起こしたものであると言及した。彼は、解決策はおそらく熱が燃料の溶融ポイントまで上がらない小さな原子炉である、と言った。

原子力業界はこのヤツコー博士の査定に不合意。業界の貿易協会である原子力エネルギー研究所理事長のマービン・S・ファーテル氏は「アメリカ合衆国の原子力エネルギー施設は安全に稼動している」、「それはグレッグ・ヤツコー氏の原子力規制委員会会長在職期間以前のケースである。これは多数の安全と性能インディケーターにより立証された原子力規制委員会の特別福島対応専門調査団に認知された彼の会長在職期間のケースである。今日のケースなのである。」と発言した。

ヤツコー博士は、委員会の他の4人の委員との数ヶ月間にわたる対立の後、昨年夏に会長職を辞職した。彼はしばしばあらゆる安全問題について、より強力な安全性の向上を主張する少数派に投票し、原子力業界より疑惑に見られていた。ヤツコー博士はネバダ州のハリー・レイド上院多数党院内総務の前補佐であり、提案されたラスベガスから100マイル程にあるユッカマウンテンの核廃棄物処理場の進展を遅らせる手段としてレイド氏の唆しで指名された(と疑惑視されていた)。

この記事は2013年4月9日付ニューヨーク版A16ページに「前規制委員が原子炉は欠陥であると発言」という見出しで出たものです。

(翻訳:木村道子)

~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 翌日、松村昭雄さんの別便でさらにこんなサイトの紹介も:

http://akiomatsumura.com/2013/07/beyond-control-our-loosening-grasp-on-nuclear-security.html

 私は、グレゴリー・ヤツコー博士について今年4月にこの欄でもご紹介しています。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16358

 つい先日の福島第一原発の汚染水によると思われる海水汚染、メディアの原発事故に関する追及は甘いですね。肝心の日本国内の認識がこのレベルでは、参議院選挙でどんな結果になろうとも、国際社会でのボジショニングはどんどん下がっていくでしょう、憂うべきことです。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013071002000248.html

 福島第一原発自体の事故収束、汚染水の現状と今後、使用済核燃料の問題、何一つ解決の目途も立っていない現実から眼をそらして、日本の将来を考えることはできません、日本の政治の貧困とそれに関わる政治家の質の低さ、そして担い手意識の低い主権者としての国民、これが今の日本の「実力」なのでしょうか。

「原発のリスク」を問いなおす

Posted by 秋山孝二
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 二つ前のこの欄に、「飯館村」のフォーラム<基調講演>「原発災害とリスクコミュニケーション」について書きました。これまでの原発リスクに対してのアプローチが、「説得」と「教育」の「リスコミ(リスク・コミュニケーション)」でなされていたこと、それがパターナリズムが横行して「スリコミ!」に転落していった経過等、この間の「原子力ムラ」の体質を見事に説明していました、と。鬼頭秀一(http://kitoh-lab.org/)先生の震災から半年の資料(http://kitoh-lab.org/assets/files/MedicalPhilosophyEthicsPPT.pdf)が興味深いとも。

 2011年3・11以降、メディアからのメッセージで私自身、体にスッと入ってくるもの、いわゆる「腑に落ちる」類と、それに反して何となく「違和感」を持つもの、喉につかえるいずいもの(?)とを感じていましたが、今回、その理由が分かったような気がするのです。違和感と言えば、「フクシマ原発事故では一人も死んでないではないか」と言い放った評論家の言は、その最たるものでした。

 NHK・ETV特集「原発のリスクを問い直す:http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2013/0406.htmlは、アメリカの原子力規制の元トップ、グレゴリー・ヤツコ委員長が福島県浪江町の原発被災者を訪問し、さらに政府事故調、国会事故調関係者と意見交換を追いかけての番組でした。

グレゴリー・ヤツコ前アメリカ原子力規制委員会・委員長(NRC)

アメリカ原子力規制委員会・グレゴリー・ヤツコ前委員長(NRC)

 

<従来の原発リスク>

* これまでの「原発リスク」は、「死亡率」を基本としたもの。今回、「死亡だけが原発被害なのか」という大きな問題提起

* 15万人を越える避難している住民をどう受け止めるか、「今、健康被害が無い」だけで原発の安全性を語ってよいものか?

* ノーマン・ラスムッセン教授: 技術者は自分の想定する範囲でしか事故の可能性は捉えられない

* グレゴリー・ヤツコ委員長: 日本では大勢の人々が住む土地を追われ、人生と未来を奪われたまま

ノーマン・ラスムッセンMIT教授

ノーマン・ラスムッセンMIT教授

グレゴリー・ヤツコさんと浪江町前町長の馬場有さん

グレゴリー・ヤツコさんと浪江町前町長の馬場有さん

 

<ヤツコ氏が感じる被害者の視点>

* 事故後の重要なのは、被災者のことを直視し考えること、被災者の声を聞いてはじめてこの悲しみを理解できる

* 人々が故郷から引き離される事態は決して容認できないこと、電力供給と引き換えにこのような事態があってはならない

* 今までとは違う「原発の安全基準」が必要だと強く考えるようになった

* 大規模避難の危険はないと保証できる場合のみ原発の稼働を許可すべきである、それが最終目標であり正しい道だと、ここを訪れて本当に実感した

 

<国会事故調の報告を読んで:メンバーとの意見交換>

* 「人災」と言い切ったことに注目

* 誰が改革の担い手となるのか、非常に難しく継続的な人材育成が必要 (日米で共通)

* 原発の安全を考える上で大きな問題は、事故を「確率論」で考えてしまう事、「百万分の一の確率」というのは、百万年に一回しか起こらないという意味ではない、「20世紀のリスクの考え方:ラスムッセン理論」

* 規制機関は「起きる確率の低い」事故に目を向け難しい決断を下さなければならない

* 「信頼」を得るというのは地道な努力の積み重ねだが、失うのは一瞬

* 日本の原子力技術者は、スリーマイル事故後、ライバルがいなくなり、イノベーションもなく傲慢になっていった(田中三彦)

これまでの安全基準の記述(一部)

これまでの安全基準の記述(一部)

 

<浪江町住民アンケートより>

* なぜ原発が完全に収束していないのに10キロ圏内に戻そうとするのか、国の方針なのか町の方針なのか、疑問に思う

* 原発がある限り戻りません、完全に東電が更地になったら戻ります。その頃にはこの世にいません

* 一部の平たん部のみの除染では安心して子育てなど無理でしょう。また近くに現状の原発がある限り、安全な地域とは到底理解できません。国、東電、自治体、本当に信頼できません

* 国・県・町の判断で帰って大丈夫と言われても、安心して帰ることはできない。人命や健康被害を最優先し、金や特定の人々の利害やもくろみ等により誤った判断が下されることのないよう良識ある判断をして頂きたい

 

<今回の視察・面談を終えて> 

* 本当の意味での住民との「新しい契約」が必要です、社会に重大な影響を与えるような事故を決して起こさない、大量の放射能物質の放出や、住民の大規模避難を許さない、という契約です

* 原発の安全の新しい考え方で、必ず実行すべきだと思います、「21世紀型の安全基準」

* 原発事業者や政府には責任があるのです、周囲の住民に甚大な被害を与えてはならない「責任」が生まれるのです

* 福島の事故は、住民との契約が欠かせないということを明らかにしました

 

 以前から注目していたグレゴリー・ヤツコ氏の数々のコメントは、責任ある立場にいた方の示唆に富むものでした。フクシマの教訓を今後に活かしていく中心に、日本のポジショニングがあると確信しているのですが・・・・。日本人だけではこれまでのしがらみが強すぎて変革が難しいのであれば、世界の英知を集めて「原発のリスク」を問い直す「場」の創設に邁進すべきだと思いますね、日本の果たすべき役割は大きいです。

飯舘村の今、これからの課題

Posted by 秋山孝二
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 「飯舘村放射能エコロジー研究会http://iitate-sora.net/」が主催する東京シンポジウム「原発災害と生物・人・地域社会~福島の事故でわかってきたこととこれからの課題」が、東京大学弥生キャンパス・農学部講堂で開催され、300名を越える参加者で大盛況でした、当日の様子はこちらから(http://iwj.co.jp/wj/open/archives/71433)。

 第一部は<放射能の生物影響と初期被曝量評価>と題して、現地での地道な活動とこれまでの専門分野の研究を重ねての発表。イネ、シジミチョウ科ヤマトシジミ、野生動物等の被曝被害で、大変内容の濃い、また専門外の人間にも分かりやすいお話でした。これらの研究者の方々は、日々の研究活動において、ごく普通の市民・住民と触れあい、議論をしているのでしょう、究極の「アウトリーチ」ですね。いや、やっぱりこの言葉は不適切ですね、「イン」でも「アウト」でもない、まさにこの飯舘村が研究フィールドそのものなのですから。

 <基調講演>の「原発災害とリスクコミュニケーション」については興味深かったですね。これまでの原発リスクに対してのプロパガンダが、「説得」と「教育」の「リスコミ」でなされていたこと、それがパターナリズムが横行して「スリコミ!」に転落していった経過等、この間の「原子力ムラ」の体質を見事に説明していました、是非、鬼頭秀一(http://kitoh-lab.org/)先生の論文(http://kitoh-lab.org/assets/files/MedicalPhilosophyEthicsPPT.pdf)を検索して読んで下さい。

東京大学本郷キャンパス・安田講堂

東京大学本郷キャンパス・安田講堂

様々な視点からの被曝影響アプローチ

様々な視点からの被曝影響アプローチ

第1部(10:10~12:10)
放射能の生物影響と初期被曝量評価

座長 
小澤祥司/NPOエコロジーアーキスケープ 

「飯舘村全域を対象とする放射能汚染と初期被曝量評価の試み」
今中哲二/京都大学原子炉実験所 
「飯舘村での低レベルガンマ線場を用いたイネの遺伝子発現実験の報告」
ランディープ・ラクワール/筑波大学大学院生命環境科学研究科
「福島原発事故のヤマトシジミへの生物学的影響」
大瀧丈二/琉球大学理学部
「高線量地帯周辺における野生動物の生態・被曝モニタリング」
石田健/東京大学大学院農学生命科学研究科
「福島県に生息する野生ニホンザルにおける放射性セシウムの被ばく状況について」
羽山伸一/日本獣医生命科学大学獣医学部

◆基調講演(13:30~14:00)
「原発災害とリスクコミュニケーション」
鬼頭秀一/東京大学大学院新領域創成科学研究科

◆第2部(14:00~15:30)
村民の思いと現状報告
座長 菅井益郎/國學院大学経済学部

「全村避難から2年 飯舘村民からの報告」
酒井政秋/飯舘村小宮・菅野榮子/飯舘村佐須・杉下初男/飯舘村長泥
 「避難生活実態と復興に関する飯舘村成人悉皆アンケート調査報告」
浦上健司/日本大学・NPOエコロジーアーキスケープ

◆第3部(15:50~16:50)
賠償問題と支援の課題
座長 糸長浩司/日本大学生物資源科学部

「損害賠償問題」
小林克信/ 原発被災者弁護団(東京)弁護士
「「福島―関東対話の会」の活動から」
 渡辺瑛莉/福島―関東対話の会

総合討論(16:50~18:00)
モデレーター 糸長浩司

飯舘村小宮・酒井政秋さん

飯舘村小宮・酒井政秋さん

飯館村佐須・菅野榮子さん

飯館村佐須・菅野榮子さん

飯館村長泥・杉下初男さん

飯館村長泥・杉下初男さん

東京大学弥生キャンパス・農学部弥生講堂前

東京大学弥生キャンパス・農学部弥生講堂前

 今回の最大の収穫は、以前からfacebookで「お友達」だった酒井政秋さんとリアルにお会いできたことです。朝日新聞に大きく掲載されていた彼の除染に対しての真摯なコメントは、今でも忘れられません。地元からの3人のご発表は、困難な中、それぞれの現実と向き合って生きている「力」を感じました。

 一昨年3月末、私はこんなコメントを書いていました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8003)。

 一堂に会した皆さんは、これまでも、今も、そしてこれからも、固有の視座から飯舘村を観続け、寄り添い、共に生きる姿勢を示していました。小雨降る東京でしたが、講堂にあふれる熱気は、冷めることはありませんでした。

「シェーナウの想い」で

Posted by 秋山孝二
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 「NPO法人 北海道グリーンファンド:http://www.h-greenfund.jp/」の2013年度通常総会が開催されました。理事長の鈴木亨さんは、再生可能エネルギー関連ではこれまで大活躍、日本のリーダーです。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10663

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13100

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14807 

 総会終了後に、ドイツ映画「シェーナウの想い:http://www.geocities.jp/naturalenergysociety/」の上映がありました。

【映画の概要】
「シェーナウの想い~自然エネルギー社会を子どもたちへ」
(あらすじ)  ドイツ南西部、黒い森のなかにある小さなまちシェーナ
ウ市。チェルノブイリ原発事故後、シェーナウの親たちが、子どもの未来
を守るため、自然エネルギーの電力会社を自ら作ろうと決意する。
2008年ドイツ製作 翻訳;及川斉志(2012年)

 その後は岡崎朱実さんの進行により出席者が全員それぞれの想いを語りました。

進行役は岡崎朱美さん

多様な意見がいっぱい

 

 最後は皆さんで記念撮影、「シェーナウの想い」でポーズです!

何故か皆さんこのポーズ!

何故か皆さんこのポーズ!

2013.3.11、仙台で (1)

Posted by 秋山孝二
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 今の自分にとって、「3・11と向き合い続けること」は、まずは被災地の現実をしっかり見ることだと思っています。この2年間、昨年の福島県会津若松への出張(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E8%8B%A5%E6%9D%BE)、八戸での「いとこ会:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14515」と、2回東北に足を運びましたが、今年は320名の「全国経済同友会東日本大震災追悼シンポジウム」に参加して、しばし3・11以降の復興と向き合う機会を得ました。

岩手、仙台、福島の各経済同友会代表幹事からの現況報告

岩手、仙台、福島の各経済同友会代表幹事からの現況報告

  現状報告は、いろいろ課題はあるものの、三地域とも大変前向きな内容でした、むしろ終盤のフロアーからの質問で、「本当の姿にしっかり目を向けていないのではないか」と言った指摘もあったり。たとえば、「アンケート調査を基にした対応ではなく、現場の生の声を聴くべき」、「国の法律が有事の災害時対応には対応できていないので、法律改定を提起すべき」、「スピード感の欠如」、「何も変わっていない、何もない現状を直視すべき」、「予算の金額、契約の金額で復興は測れない、新しい指標はないものか、物が出来て人が住んで初めて復興ではないのか」、とかです。

 全体として共通する印象としては、経営者のお話は分かりやすいということでしょうか。日々の経営の中で、延々と議論だけでは何も解決しない、とにかく状況打破のために果敢に挑戦している現場を感じました。

 報告終了後に、追悼式典が行われ、14時46分、全員での黙とう、あらためて犠牲となった御霊への祈りでした。

 引き続きの分科会、私は「原子力災害の克服に向けて」に参加し、以前から注目していた児玉龍彦先生のお話も間近で聴くことができました。2011年7月27日の衆議院厚生労働委員会での陳述は伝説となっています(http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo)、「国会の怠慢」、「子どもを守らなくて何の国家か」と憤る姿は、まさに自然科学者の信念なのでしょう、当時、鬼気迫るものを感じました。

パネラーの児玉龍彦先生とコーディネーターの冨山和彦社長

パネラーの児玉龍彦先生とコーディネーターの冨山和彦社長

  今回の児玉龍彦先生は、2011年の現実の危機感、緊急性の指摘と比べて、現状では、継続的にしっかり放射線量を測定して、この間の変遷を住民が納得できる手立てを与えることに重点を置かれていました。「今回の原発事故は、かつてない規模の『環境汚染』である認識をもつこと。当事者の意見をしっかり聴き、ち密な作業が重要。結論が先に決まっている議論が多過ぎ」、「データを継続的に示し、説明し続ければ、何を心配し、何は安心できるかを理解できる」等です、近距離で初めてお会いしましたが、児玉先生の笑顔は本当に素晴らしいですね。

 そして、「20世紀のチェルノブイリ事故とは違って、21世紀の日本の科学技術と経済を結集すれば、必ず除染と地域の復興は成し遂げられる」との自信にあふれるご発言に、場内は大きな感動でした、日本の自然科学者の矜持です!

 一方、マスメディアもテレビ・新聞でも特集でいっぱい、2013年3・11の地元紙夕刊の一面です。

あれからもうすぐ満2年

Posted by 秋山孝二
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 2011年3月11日を経て、日本はその前の世界とその後の世界と、大きな時代の変わり目となりました。私自身にとっても、直後からこの現実と無縁ではいられず、たとえば、これまでフクシマ原発事故について、たくさん書いてきました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85)。

 そして、一周年の昨年の私のメッセージです(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12165)。忘却の彼方ではなく、しっかり向き合い続ける、それが今を生きる日本人としての立ち位置だと思います。

 今年は、こんなサイトもあります:

* http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2013_0306.html

* http://youtu.be/_Fz7hTNV-_U

 「全国経済同友会 東日本大震災 追悼シンポジウム」が3月11日に仙台で開催され、私はそれに出席します。日本の代表的な経済人が、2年を経て、今何を考えているのか、全国の電力会社トップも参加予定ですので、しっかりそのメッセージを聴いてこようと思っています。翌日は、「語り部タクシー:http://www.sendaichuotaxi.co.jp/charter/kataribe.html」で今の被災地を自分なりに検証します。

 被災地を、とりわけ原子力発電の今後においては、フクシマの現実を直視しない原発再稼働の判断は有ってはならないことです。いや、使用済核燃料の処理、電気料金体系の構造改革等、優先順位のはるかに高い課題が山積みです。経済界に身を置く日本の経営者達が、この2年間の被災地の現状を正しく認識すれば、原発事故が「エネルギー」だけの問題ではなく、今の、将来の日本人、世界の人々の「基本的人権」の問題だと気がつくことに、かすかな望みをつなぎます。薄っぺらな「経済成長最優先」論議は、もうやめにして、日本人としての矜持、責任を世界に示すことだと、私は仙台の会場でも主張したいと思っています。

正気の沙汰とは思えない

Posted by 秋山孝二
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 毎日発行される新聞の全国紙、地方紙を、くまなく読むことは不可能ですが、時々、FBとかで特に話題になる場合は、読み逃していても目に触れられるので有り難いですね。

 この新聞社説もそんな話題の中から読むことが出来ましたが、驚くような内容です、とても正気の沙汰とは思えません(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130224-OYT1T01073.htm)。

 「風評被害」の言葉で、全ての「真実」を隠ぺいする体制、想い出しますね、「自己責任」の名の下に人質を守ることを放棄した当時の政府、同じようにきわめて悪質な「プロパガンダ」です。海外の多くの研究者、ジャーナリストが、フクシマで起きている現実に警告を発している事態、今の時代、賢い国民は様々なメディアツールでそれらにアクセスできるのです。今回の原発事故による放射能汚染を、相も変わらず厳重な管理下の医療機関の放射線量と比較している非常識等、当事者の日本のマスメディアがこのありさまです。日本が真に先進国として世界に貢献するためには、国民一人一人が賢い情報をしっかり得て、このような低劣な主張をするメディアをしっかり見極めなければなりません、勇気を持って。

 これを読んで、昨年末に東京で開催されたフォーラムを想い出しました。あるマスメディアの方からご案内を頂いて足を運びましたが、その時登壇した方、個人的に7つの裁判でこの新聞社から訴えられているとか。守る盾もない個人を、一企業が顧問弁護士を使って複数の裁判を起こす、こちらも正気の沙汰とは思えません。「権力の暴走?」、何か組織内で起きている、そう思うのが常識なのではないでしょうか。歴史のある組織の中に、それを正す「装置」が欠如しているとすれば、まだまだ犠牲者が数多く出て来そうな気がします。この社説が、本当にこの新聞社の主張したいことなのでしょうか、この会社に私は優秀な方を存知あげているので、企業の理念に立ち戻って、本来の姿に修復してもらいたいと思いますが・・・・。

 私の幻想でないことを祈ります。

昨年末、マスメディアの方からご案内頂いたフォーラム

昨年末、マスメディアの方からご案内頂いたフォーラム

札幌劇場祭(TGR)の審査を終えて(2)

Posted by 秋山孝二
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 今年の劇場祭、結果は以下の通りで、詳細はこちら(http://www.s-artstage.com/2012/news/2012/12/536/)。

< TGR札幌劇場祭大賞2012 >
大賞 弘前劇場「素麺」(http://www.hirogeki.co.jp/
特別賞(作品賞) /intro「モスクワ」(http://intro-sapporo.com/
特別賞(脚本賞) /座・れら「不知火の燃ゆ」(http://hakouma.eux.jp/2012/06/shiranuino_moyu/
新人賞 /劇団パーソンズ「CRY WOLF!」(http://persons.xxxxxxxx.jp/

< 審査員奨励賞 >
人形劇なかま パラパラポナ「ルドルフとイッパイアッテナ」(https://www.sapporo-info.com/eventDetail.php?event_code=43264
赤星マサノリ×坂口修一 二人芝居「貧乏ネ申 -The Poor Zombies-」(http://blog.livedoor.jp/aka_saka/archives/4057024.html
劇団怪獣無法地帯「The Lady・Blues~彼女に何が起こったか~」(http://muz-web.com/

< オーディエンス賞 >
ホームラン王 /劇団千年王國「火盗人」(http://sen-nen.org/
首位打者 /人形劇集団チーム・パース「大どろぼうホッツェンプロッツ」(http://www.s-artstage.com/2012/tgr2012/profile/#yamabikoza

 審査員3年目、地域で演劇を支えるすそ野は、この3年間を見ただけでも大きな進化・深化を実感致します。2年前の感想はこちら(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6707)。それにしても、「審査」の難しさは変わらず感じ続けましたね。個々の講評は、TGRのHPに譲るとして、今年のTGRの感想を2回に分けて書き留めます。

1) 昨年3・11を経て、今年のオリジナル脚本にはそれ以降の時代をにじませる雰囲気が漂っていました。創り手も観る側も、「3・11以降」をはっきり意識して生きている気がしましたね。大賞・特別賞2作品は、三つともに大震災・津波・原発事故の犠牲、及びその後の対応への批判的メッセージでしたが、昨年とは違って、新たな時代の始まりをしっかり引き受けて前に進んでいる姿も感じ取れました。

2) 弘前劇場は、以前から私の大変好きな劇団です。今年の公演、「素麺」はその中でもとりわけ素晴らしく、セリフ、間合い、照明、舞台装置等、完成度の高い作品でした。現実と真摯に向かい合う作者の姿勢、3・11以降を生きている者が「歴史を引き受ける」と力強いセリフ、一人一人の生きる「物語」が舞台の本棚からも感じられて、「生き直す」との新たな出発を感じ取りました。終了後はしばし立ち上がることができずに、その余韻に浸っていましたし、出口にいらっしゃった長谷川孝治さんに、「素晴らしい作品ですね」と、声をお掛けして帰りました、このような芝居をありがとう、と言ったお礼の気持でしたね。

3) introの「モスクワ」は、その題名からも魅力があり、どんな公演なのか興味津々でした。「わたし、ドブリニンスカヤ駅のマクドナルドに行く・・・・」、繰り返しのフレーズが私には少々耳障りでしたが、他の審査員は全くそんなことは無かったようです。「通り過ぎれば、そこは通過点」、この繰り返しも「分かったよ」と私の心の中ではそう呟いていましたが、ロシア語の文字を記号に、環状線をデザインとしてのサークルに、モスクワ、パリ、東京と、想像力は世界を駆け巡りました。そして、「1986」とそれ以降の世界、アントン・チェーホフ「三人姉妹」、映像の斬新さ、リズム感とスピード感、イトウワカナさんの「脱家族」、「個とコミュニティを見つめ直して境界を越えていく」心意気を感じました。前の若い女性が食べていたカップのスープみたいなもの、後で分かりましたが入り口で販売していたボルシチだったようです、ピロシキも売っていたと分かり、大変残念なことをしました。

4) 座・れら「不知火の燃ゆ」も衝撃的でした。戸塚直人さんの演出、水俣病を取り上げてはいますが、これは明らかに3・11原発事故を「放射能公害」と意識した作品。公開審査会後の交流会では戸塚さんともしばし歓談できて、その辺の意図を伺うことができました。役者の方々ともお話して、舞台で観る表情とは違った側面を垣間見た貴重なひと時でした。(次回につづく)

ミランダ・シュラーズさんは語る

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 秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)主催の講演会「ドイツの脱原発政策と経済界」が、少人数の限定メンバーで開催し、内容の濃いやり取りもあり盛況でした。講師は、ミランダ・シュラーズ(ベルリン自由大学環境政策研究所所長)先生、座長は北海道大学大学院経済学研究科教授・吉田文和先生。
<ミランダ・シュラーズさん> 
アメリカ生まれ。メリーランド州立大学教授を経て、ベルリン自由大学教授・環境政策研究所所長。専門は環境政策、政治学。2011年3月よりドイツ政府原発問題倫理委員会委員。日本語著書『ドイツは脱原発を選んだ』(岩波ブックレット)、『地球環境問題の比較政治学ー日本・ドイツ・アメリカ』(岩波書店)などがある。

ミランダ・シュラーズさん:夜のフォーラムで

ミランダ・シュラーズさん:夜のフォーラムで

 

 <講演趣旨> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

* 戦争の背景には「エネルギー問題」、エネルギー不足が戦争を引き起こす場合が多い:現在はエネルギー需要の増大時期

* 「エネルギー不足」よりも「地球温暖化」の課題が優先順位として高かかった:しかし、20123.11以降は転換

* 2011年、南アフリカのダーバンで開催された気候変動枠組み条約第17回締約国会議(COP17)の合意

* 2011年3月、欧州連合理事会のエネルギー大臣決定:2050年までに温室効果ガス排出量80~95%削減(1990年比)

* 東西ドイツが統一した時に、東ドイツにあった原発を止めた

―― フクシマ原発事故のインパクト

* ドイツの「脱原発政策」はすでに決定していた。問題はいつまで、どんな順番でというのが議論の焦点

* エネルギーの問題は「社会問題」、「私たちの問題」、倫理の議論をする必要性を政府は痛感

* 安全性の問題、代替エネルギーの問題、送電線の整備等、付随する様々な問題を早い時期に想定

* ドイツ政府・国民は、ハイテク日本での大事故とその後の対応に衝撃を受けた

* ドイツは、迅速な対応により、古い原発を即停止した

* 新しいエネルギー政策は二つの軸: 1)自然エネルギーの普及、2)エネルギー効率の向上

―― 「倫理委員会」の議論

* 17名の委員:「原子力」は社会を二分していた

  ――倫理的に問題あり: 都市と地方、次世代の資源を使って、次世代に廃棄物を残す――>「脱原発」で統合できる

* ドイツの将来のエネルギー転換のための協同プロジェクト「エネルギー・ヴェンデ

* 「エネルギー・ヴェンデ」をエネルギー革命として世界に普及する言葉としていく

* 原子力発電の安全性には楽観的だったが、「チェルノブイリ事故以上の可能性を想定すべき」へと転換

* 原子力発電は事故になった場合は、ほかのどのエネルギー源よりも危険

* 次世代に廃棄物処理などを残すことは、倫理的問題としての認識

* 「原子力」より安全なエネルギー源としての「自然エネルギー」

* 再生可能エネルギー普及とエネルギー効率性政策で原子力を段階的にゼロへ:経済的にも大きなビジネスチャンス

* 原発を停止する順番の決定:地域の電力事情を考慮して明確化

* ドイツの失敗から日本は学べるのではないか

* 自然エネルギーの最適ミックスを考えるべき

* 自然エネルギーは地域資源に依拠: ドイツは風力主体、日本は風力と森林バイオマス、水力等の地域特性を活かすべき

* 太陽光: ドイツは太陽光よりも風力に優位性あり、将来はコスト的には風力に投資すべき

* 都市の魅力発信として「100%再生可能エネルギーのマチ」:輸送システムの転換、ライフスタイルの転換等

  ――ハンブルグは「European Green Capital」、フライブルクは「Green City」、 世界から多くの訪問者

* 政府が動くまで「待つ」のではなく、地方が独自に地域資源を活かしてエネルギー転換を実践すべき

* ドイツでは、1970年代に地方で「脱原発」を実践し始めた。成功の秘訣は成功モデルを地方から見せること

* 「「エネルギー・ヴェンデ」」の必要性は、電気だけ考えていては困難、輸送システム、新しい技術等も含めた議論が必要

* 「新しい技術」を待っていても何も始まらない、あるものからまず始めよう。

* 今使っているエネルギーがどこから生まれているかを考える時代

* 今までのエネルギー論議は、「技術論議」に終始していたが、社会のため、生活レベルのため、どうやって「もっと住みやすいマチ」、「もっと住みやすい社会」を創造できるかの視座が重要

* 「エネルギー・ヴェンデ」が会社のためにはどういう意味があるのか、経済にどういう価値があるのかを議論、新しい技術、新しい考え方等、ビジネスチャンスが大

* 原子力のコストは高すぎる――保険を払っているのは国民、廃棄物処理コストも含まれていない

* 「脱原発」は、ドイツに取って大きなビジネスチャンス: 「経済界=企業群」が率先してけん引した

* ドイツに日本の「経団連」は存在しない、個々の企業の意思決定が全て:個々の企業がリスクとプロフィットで迅速な判断可能

* 「エネルギー・ヴェンデ」は新しいドイツを創造する――>どうやってヨーロッパのエネルギー革命へとするか

* ビジョンが無いと前へ進めない、必要なことはどういうマチにしたいのか、草の根の力、「地域のビジョン策定」が重要

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~おわり

 今回のミランダ・シュラーズ先生のお話で、今、私たちが北海道で推進する「エネチェン・ロードマップ:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13681」にも力を頂きました。まさに地方からのエネチェンを実践するこの取り組みが、将来のエネルギー転換の基盤になっていく、まさに「エネルギー・ヴェンデ」の実践モデルとなる確信を得ました。

松村昭雄さんの札幌訪問

Posted by 秋山孝二
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 国連アドバイザーだった松村昭雄さんが、先日50年ぶりに札幌をご訪問され、その折に、札幌市上田文雄市長ほか、北海道の経済界のトップとも面談しました。夜も、北海道経済同友会幹部と会食し、北海道が、昨年3・11以降の国難にどんな貢献が出来るかを、真摯に語り合いました、久しぶりに正しい現状認識に基づいた前向きの意見交換ができて、今後の展開に大きな助言を頂きました。

 松村さんが何ものか(?!)をご紹介するのは実に難しいことですが、今回何を札幌のリーダーたちに訴えたかったかは、私がくどくど書くよりも下記のブログをお読み頂ければ一目瞭然です(日本語は「japanese」をクリック)。ひと言で言えば、日本のリーダーたちが、今のフクシマ原発事故に対して危機感が欠如していることへの警鐘です。現実の状況としっかり向き合い、国際社会の英知も結集して、長い時間の取り組みを宣言する必要があるのでしょう、日本国の信頼を確保するために。

 チェルノブイリ事故では結局どうして爆発を収束させたか、そしてその甚大な被害が実際、今、子どもたちにどう影響しているか、世界のトップレベルの科学者、見識のある方々のコメントを直に聴きながらの松村さんのお話には説得力がありました。

<2012.6.11ブログ http://akiomatsumura.com/2012/06/what-is-the-united-states-government-waiting-for.html

<2012.8.24ブログ http://akiomatsumura.com/2012/08/the-nuclear-sacrifice-of-our-children-14-recommendations-to-help-radiation-contaminated-japan.html

 

 昨年10月のIBM北海道会議(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10557)でも小磯修二先生が講演されたように、北海道という地は、その開拓の歴史をさかのぼると、明治維新の幕末諸藩の雇用創出としての大移民計画、第二次世界大戦直後の外地からの復員兵とその家族の雇用創出移民計画等、国策としての移民政策の成功モデルとして世界的な評価を得ています。

 今、「フクシマの復興」というよりも、「日本の復興」という意味で、北海道の果たすべき役割は大きいでしょう。そしてその計画は、「避難する人々の受け入れ」ではなく、福島の方々の誇りを尊重するものでなくてはなりません。人が場所を移して暮らすことは、憐憫の情では長続きはしません、たとえば、福島の伝統・文化の導入、技術移転とかですね、第三の大移民計画」とでも呼べるものが必要なのではないでしょうか。

「地域医療と霞が関の半世紀」

Posted by 秋山孝二
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 NHK教育テレビのETV特集「地域医療と霞が関の半世紀(http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1007.html)」は、大震災被害の病院再建から、戦後の医療政策をさかのぼる、大変優れた番組でした。「医療」は、これまでの私の人生の中でも、重要なテーマであり、これからも寄り添い続けます(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%BB%E7%99%82)。

震災後の復興と戦後医療の問題提起

震災後の復興と戦後医療への問題提起

 医薬品卸業経営者として、医薬品流通の立場で度々お会いした日本医師会の坪井栄孝元会長、秋山財団の最初の講演会の演者でお招きした日野原重明先生、厚生省(現・厚生労働省)の幸田正孝さんほか、懐かしいお顔も登場していました。坪井先生は、お会いした時はいつでも、当時まだ若かった私の話をしっかりお聞き下さり、飾り気なく、誠実に向き合って頂きました。

第15代日本医師会会長・坪井栄孝先生

第15代日本医師会会長・坪井栄孝先生

幸田正孝さんと武見太郎先生

幸田正孝さんと武見太郎先生

 東日本大震災によって被災した医療機関は、実は震災前から、医師不足と赤字経営に苦しむ医療過疎地域でした。岩手県陸前高田市の県立高田病院では、今は、全国から駆けつけた応援の医師たちの助けを借りながら、何とか仮設診療所での診察を続けています。

片野嘉一郎先生

片野嘉一郎先生

 福島県では、福島第一原発の事故後、放射能による健康被害を懸念し、医師の離職が相次いでいるとのこと。原発事故が、もともと深刻だった医師不足にさらなる拍車をかけている現実です、郡山市のあの坪井先生の病院ですら、その問題に直面しているようです。
 なぜ、地域医療は疲弊してしまったのか、厚生省キャリア官僚OBと日本医師会の元幹部の方々への長時間のインタビューは、その経過を明らかにしていました。医療費削減と保険料負担の調整に追われる一方、どんな医師を育て、全国に医師をどう配置すべきかという担い手の議論がおきざりに、或いは見誤ってきた実態ですね、これは当時もずっと指摘されてきたポイントでした。

 ビバリッジ報告、医療機関整備計画、国民皆保険制度導入、プロフェッショナル・フリーダム、自由開業医制、医療金融公庫の成り立ち、一県一医大構想、家庭医制度の試み、医療法改定、地域医療計画、必要病床数、かけこみ増床、医療費亡国論、新臨床研修制度、等、これまでの歴史を振り返るキーワードも明確で、戦後の医療政策を1時間半の番組の中で、コンパクトにまとめられていました。

 この番組の特に優れているところは、震災後に病院を取り戻そうと模索を続ける岩手県立高田病院の半世紀の歩みに、戦後の医療を巡る厚生省と医師会との攻防の歴史をたどりながら、超高齢社会に突入した日本で、これからも持続可能な医療の姿への問題提起だと思います。

 予測に基づく政策立案、そこに絡む各セクターの思惑、思ったような成果を挙げられない、或いは意図しない結果となってします等、共通して大きく欠けているのは、一人一人のモチベーションとか心理と言った社会科学・人文科学的な考察のような気がします。今のエネルギーにおける原子力発電の議論にも、この論点が欠けていて、ただ「エネルギー」の問題として技術的な視点からばかりのやりとりで、それ以外は「感情的」と排除されているような気がします。成功する政策の秘訣は、実は「人の心理をつかむ」ことなのだと思います、ね。

いのちを紡ぐ人びと

Posted by 秋山孝二
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 2011年3月11日以降、それぞれの日本人が「いのちを紡ぐ」活動で被災者と並走しています。

 一つは、福島県双葉郡川内村・遠藤雄幸(http://www.kawauchimura.jp/outline/greeting.html)村長、先日、札幌でお話を聴く機会がありました。遠藤村長のブログはこちら(http://kawauchi.exblog.jp/)。

川内村・遠藤雄幸村長の講演

川内村・遠藤雄幸村長の講演

  「帰村宣言」は誤解も多かったようで、本来の意味は、次の通りです。現地の状況は想像以上に厳しいものがあります、「放射能汚染」の重たさをあらためて感じました。

~~~~~~村としては、「戻れる人は戻る、心配な人はもう少し様子を見てから戻る」の方針です。帰村するかどうかは村民皆様の自主判断に委ねる考えであり、その選択を尊重して出来る限りの支援をしていくつもりです。「離れていても村民、離れたところで学んでいても川内の子供たち」です。 
「辛く悲しいこともあったが一日一日を大切にしながら出来ることは自分でやり、小さいことにも喜びを見出しその時々を元気に楽しむこと、戻れるチャンスがあるなら少しでも前に進むことが大切だよ」とチェルノブイリ原発事故避難者に励まされてきました。厳しい現実を突きつけられている反面、前向きにできることを着実に行うことのほうが重要だと考えております。~~~~~~

 

 一方、十勝では、「スローフード・フレンズ北海道:http://slowfood-friends.org/」主催、加藤登紀子さんの二女・Yae(http://www.yaenet.com/)さんはじめ、十勝ゆかりのミュージシャンが「いのちを紡ぐ音楽会」で熱唱でした。集まった多彩な方々との交流は、本当にここに書ききれない貴重なものでした。トーク、試食会、ライブ等、かなりの長時間でしたが、野外ステージで天高く伸びる歌声と心に届く詩の素晴らしさ、こんなに疲労感の無いステージも珍しい、素晴らしいパフォーマンスでした。

「いのちを紡ぐ音楽会」 in 十勝・千年の森

「いのちを紡ぐ音楽会」 in 十勝・千年の森

* Yae(http://www.yaenet.com/

* 流(http://nagare.us/

* MYU(http://ytamakum.ddo.jp/myu/page_2.htm

* 宇井ひろし(http://pub.ne.jp/hiroooui/

ライブ出演者・全員集合

ライブ出演者:Yae、流、MYU、宇井ひろし、フィナーレで全員集合

  Yaeさんは今年デビュー10周年、お父様の藤本敏夫さんが亡くなられて10年、ライブに先立って、「農的幸福論」を巡ってのトークもメッセージが豊富でしたね。「自分のポジションが分かれば、次にはミッションが分かってくる」、これは、藤本敏夫さん有名なフレーズです。私はこれまでに、彼が設立した「鴨川自然王国:http://www.k-sizenohkoku.com/」を3回訪問しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%8E%8B%E5%9B%BD)、楽しかったですね。

  災害救援ネットワーク北海道(http://mouth-mountain.greenwebs.net/)の「やんじー」こと山口幸雄さんは、これまでのボランティア救援活動の様子、今後の展望を熱く語りました。

「やんじー」山口幸雄さんと奥さま

「やんじー」山口幸雄さんと奥さま

  主催の「スローフード・フレンズ北海道:http://slowfood-friends.org/」のリーダー・湯浅優子さんと「十勝千年の森:http://www.tmf.jp/」のガーデナー・新谷みどりさん、このイベントの裏方として大活躍でした。湯浅さんは秋山財団の選考委員としてお力を頂いています、新得駅までの送迎をありがとうございます!

湯浅優子さんと新谷みどりさん

湯浅優子さんと新谷みどりさん

 Yaeさんの「ハッピーバースデイ 3・11(日本ユニセフ協会メッセージCM:http://www.youtube.com/watch?v=liJPOxPT1-o)」は、十勝の空高く響き、心に沁み入りました。

~~~~~3.11に奪われたたくさんの命。
 でも同時にたくさんの命がこの世に誕生しました。
 たくさんの愛に支えられて。

 失ったものは多いけれど、何が一番大切なのかを感じることができました。

 一番大事なのはお金や地位などでは絶対ない!
 家族や地域が共に幸せに暮らすことです。

 この小さな子どもたちに、私たちは何をしてあげられるだろうか?
 これからずっと先の未来まで子どもたちの笑顔を絶やさないために。

 

  ライブ会場から少し離れたレストランでは、結婚式と披露宴。十勝の空に色とりどりの風船が舞い上がっていきました。

「千年の丘」では結婚式!

「千年の丘」では結婚式!