2013.3.11、仙台で (2)

Posted By 秋山孝二
Categoirzed Under: 日記
2 Comments

 会議の翌日、時間を作って「語り部タクシー:http://www.sendaichuotaxi.co.jp/charter/kataribe.html」で案内をしてもらいました。

 まずは仙台市荒浜地区(http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0602_2/)、市立荒浜小学校(http://www.sendai-c.ed.jp/~arahama/です。

隣の体育館は解体が決まったようです

隣の体育館は解体が決まったようです

 次は隣の名取市閖上(ゆりあげ)地区(http://memory.ever.jp/tsunami/shogen_natori.html)、「閖上赤貝」でも全国的に有名です、復興ブログ(http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/ほか震災後のいち早い立ち上がりは地域の底力を証明しました。

上のトランスの位置まで津波がきたそうです

上のトランスの位置まで津波がきたそうです

漁業を守る神社の丘から

地元漁業を守ってきた神社の丘から

 3・11二周年の翌日でした、中学校校門・慰霊碑前のたくさんのお花を整頓す女性二人の姿。お一人が、ここで14名犠牲になった「閖上中学校遺族会(http://blog.e-stageone.org/?eid=867276)」代表・丹野佑子さんでした。昨日のイベントで白い鳩風船が飛びました(http://www.youtube.com/watch?v=kwpwtU95jsE&feature=youtu.be)。少しの時間でしたがお話をして、その気丈な姿に頭が下がりました。国、市に対して、たくさんおっしゃりたいことも多いのでしょうが、関係者に何とか多くの犠牲者から学んで、今後の防災対策につなげて欲しいと提言をされていました。

 そして仙台空港(http://www.sonpo.or.jp/archive/publish/bousai/jiho/pdf/no_249/yj24918.pdfです。

空港ロビー内、右の柱のブルーのラインまで津波が

空港ロビー内、右の柱のブルーのラインまで津波が

 1ヶ月の修復期間を経て、見事に再開し、復興の象徴となったようです。

2 Responses to “2013.3.11、仙台で (2)”

  1. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 福島の「今」を行って Says:

    [...]  「2011.3.11」以降、私は被災地のごく一部ですが、時間を見つけては訪問しています。昨年は東京出張の折に、足を延ばして東北新幹線で郡山に、そこから会津若松方面に向かいました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12699)。今年は3月に宮城県仙台市荒浜地区、名取市閖上地区(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16071)、そして先日、郡山に行く用事があり、札幌から飛行機で直接福島空港へ、郡山、福島市、相馬、南相馬、飯館、二本松等、西部を通りながら放射線測定もしてきました。 [...]

  2. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 東北編 松島、石巻、女川 2017 Says:

    [...] * 仙台・荒浜地区ほか http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16071 [...]