先日、あるヨーロッパの経営者とゆっくり食事をしながらお話をする機会がありました。今の国際金融情勢における日本の位置づけ、2011.3.11以降の日本社会の変化等、歯に衣を着せないというか、明快な表現でのお話は、実に興味深く新鮮でした。
まずは、いきなり「日本人のほとんどは東日本大震災を忘れ掛けているのでしょうか?」と。来日以来、彼は多くの日本の経営者たちに、「福島原発事故ほか、東北の被災は大変でしたね」と問うと、ほぼ全員が「いやいや、もう大丈夫、日本全体としては何も心配はありませんよ」と言っていたと。「忘れている」と聞かれて、一瞬、私は「ウーん」と返す言葉に詰まりましたが、「それは、日本全体が被災した訳ではない、という意味なのだと思いますが」と、私は苦しい弁明。この辺りは日本人の曖昧な表現が「忘れているのか」との印象に映るのでしょうかね。
曖昧とか誤解を受けると言えば、「風評被害」という言葉も危険な言葉ですね。福島の変わらぬ現状を語る多くの方々の発言が、「そんなこというと『風評被害』で多くの福島県民、日本国民が迷惑するからやめろ」みたいな論調を目にする時があります、口封じに通じる状態です。
さらに、彼は原発事故の放射能に対する認識にも容赦ありませんでした。他の外国人からも聞いていましたが、ヨーロッパに住むビジネスマンたちは、会社からも家族からも日本への出張の際には、「長い滞在はしないように」と言われているそうです。そして、成田着の飛行機便では、福島県上空を迂回して着陸するルートを選択的に通っているとか。放射能への恐怖は、チェルノブイリを経験しているだけに、関係当局、国の発する情報への信頼は、かなり薄いのでしょう。自分たちで放射線量を測定するか、さもなくばその地域に近づかないことだと。出張中の日本の滞在ホテルでは、靴のそばに懐中電灯とヨウ素タブレットを置いて寝るようにと会社からの指示が出ているそうです。もちろん会社関係者の命を思っての措置なのでしょうが、そうとばかりは言えないようです、何の注意もしていなかったと会社の責任を後から問われることを回避するためだとも考えられます。
以前に書きました、確かに3・11以降、会食をする機会が多々ありましたが、食事の付け合わせのシイタケ類はほぼ全員が食べずに残していますし、魚類もみずからはあまりオーダーしていない感じがしますね。日本人に比べて、格段に放射能汚染には敏感な気がします。というより、これが今の日本を見る世界の「常識」なのかも知れません。
ヨーロッパの経営者の面白いのは、アメリカとの距離感ですね。湾岸戦争時でもいつでも、アメリカの大統領の発言には基本的には批判的ですし、金融政策に対してもきっちりした防衛策で迎え打つ姿勢があります。日本のように、まさに「隷属状態」とは真逆の自立した視点から、多くのことを学ぶことができます。