「錯誤・失敗」の責任

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 昨日、私は書きました、・・・・・・・・・・軍事力ばかりでなく、原子力政策においてもこの海軍の変質の歴史から学ぶことが多いと思います。そしてその「学び」は、これからの日本創造で生きて初めて「価値」となるのですよね、と。この部分について、戸髙さんは具体的事例で言及していますので、それを引用します。

 

* 巡洋艦「インディアナポリス」は、1945年7月26日に米本土から運んできた原爆をテニアン島に降ろして任務を終え、グアム島を経由してフィリピンのレイテに向かった。出港前の情報では、付近に日本の潜水艦が行動している恐れがあったので、日中はジグザグ航行を行っていたが、日没後は直進で進んでいた。深夜、日本の伊五十八潜水艦の魚雷攻撃で、「インディアナポリス」は十数分であっけなく姿を消し、SOSの発信さえも間に合わなかった。

* 乗員約1,200名のうち約300名が沈没時に戦死し、その後8月7日の救助完了までの間に多くが遭難し、結局300名程度が救助されたにすぎなかった。日本国内では、この撃沈は日本海軍潜水艦のあげた最後の金星としてのみ有名である。しかし、米国では、「インディアナポリス」の遭難は、海軍最大の悲劇として戦後に大きな問題となった。一隻の巡洋艦が、ほとんど敵の存在しないと思われていた海面で撃沈され、数々の不運が重ねって多くの生命が失われた。この事件の責任はいったい誰にあるのか?

* この「インディアナポリス」の事件は、終戦直後のアメリカ海軍と国民の間に重大な関心を呼び起こし、そのニュースは争って読まれた。多くのアメリカ人がこの事件について海軍内部に責任者が存在し、処罰されなければならないと考え、生き残った艦長は軍法会議にかけられ有罪とされた。大戦中にアメリカ海軍が喪失した軍艦の艦長が軍法会議にかけられたケースは他にない。

* この異例の裁判が引き起こされた最大の理由は、「将兵が死ななくてもよい場所で無駄に命を落としたのではないか?」ということにあった。この問題意識こそ、日米海軍、いや、日米両国の国家と軍隊と兵士の関係における最大の相違点だったのである。

* アメリカ国民は、義務として兵役につき、戦争に参加している。同時にすべての兵士は国家に対して、生命の安全に関して最善の努力を払うことを要求する権利を持っている。もし一人の兵士が戦死すれば、その遺族はその兵士の死が「意義ある死」であったかどうか(すなわち、無意味な作戦や無能な指揮による死ではなかったか、また十分な生活と最善の兵器が与えられていたか)を知る権利を持っていた。それがアメリカという国家と国民の契約だったのである。

* 「インディアナポリス」の場合を例にとると、死亡した乗員の遺族が太平洋艦隊司令長官のニミッツ提督に対して、責任者の早急な追及を行うように要求する手紙を送っている。これに対してニミッツは、ていねいな返事を書いている。さらに事件調査についても、「われわれは、自分たちの間違いを隠そうとは考えていない」と言明している。これは何ら特別の例ではなく、このような手紙は戦時中に軍の指揮者や、大統領がたびたび受け取ったものだった。また、海軍の内部でも同じように契約があった。「義務を果たした者には名誉を、果たさなかった者には罰を」である。すべての失敗について責任者が厳しく失態や怠慢を追及され、それぞれ処分を受けたものである。

* 戦いの中で得られた教訓、戦訓には兵士の血の代償が支払われている。そして、その教訓の活用は、次の戦いにおける血の代償の量を左右する。もし真剣に戦訓を得ようとすれば、それは冷厳な責任の追及となるのはやむを得ない。法廷で戦友のミスを追及することはアメリカ人にとっても、もちろん愉快なことではない。しかし今後、同じ過誤が繰り返されないために必要不可欠なこととされたのだ。

* ひるがえって、日本海軍のケースはどうであったろうか?1942年6月のミッドウェー海戦に敗れた第一航空艦隊の参謀長草鹿龍之介は、山本五十六司令長官に対して、ほとんど個人の感情レベルの懇願を行っている。そして山本長官も敗北の責任など全く念頭になく、「承知した」と答えている。さらに海戦の敗因については後に、形ばかりの戦訓委員会が設置されたが、その結果は極秘とされて一切公開されなかった。利用されることのない戦訓などに、一体何の意義があるだろうか。

* 日本海軍の指揮官や高級幕僚が、戦闘の重要な局面で重大な錯誤や失敗をおかし、以後の戦局を極めて不利なものとしたケースはミッドウェー作戦にとどまらず、海軍甲事件・海軍乙事件・台湾沖航空戦・レイテ沖海戦での栗田艦隊の反転など、枚挙にいとまがない。にもかかわらず、それらのケースの責任者で直接処分されたものがいないということは、一体何を意味するのだろうか。

* 太平洋戦争における日本軍の反省を記した書籍や雑誌を見ると、個々の戦闘の戦術的巧拙についての評価、あるいは戦略的な総論に偏したもの、または日本人の国民性、というような茫漠としたものなどが多く、将兵の義務、責任、そして権利といったものについての考察は、ほとんどない。

* しかし、軍隊の本体が人間の集団である以上、将兵の一人の人間としての権利と義務に基づく立場の確立こそ、精強な軍隊の第一歩であると考えるべきであり、日本軍についてもこの観点からの研究がさらに必要と思われる。

~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 

 大変長い引用で申し訳ありません。ただ、この数年、日本の戦争と向き合っていて、私がずっと心に引っかかっていた「責任の取り方、取らせ方」について、まさに上記の指摘に120%賛同致します。戦後の東京裁判に代表されるABC級裁判を批判する前に、日本国自体の命の価値に対して自ら指導者・幹部の責任を裁く当事者能力の欠如を指摘すべきだと思います。

 今月2日、この欄に私は書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11026)・・・・・・

・・・・・・・・私に15分程度のご挨拶の時間があったので、この場にお招き頂いた御礼と、連載記事の概略、及び今の気持を話しました。当初は、全く個人的興味だった「ビハール号事件」、戦闘日誌等の記録を調査した際、重要部分が切り取られていたこと、香港のB級戦犯法廷での日本海軍幹部の不誠実な証言、父の役割、一人責任を負って絞首台に立った第十六戦隊司令官・左近允尚正中将、そのご子息・左近允尚敏さまとの意見交換等、溢れ出る言葉を抑制しながらではありましたが、お話したつもりです。戦犯裁判とは言え、このままでは現場に責任が全て押しつけられて、本来の作戦立案等、責任ある幹部が誰一人として処罰されないという実に理不尽な経過に私が憤りを感じたこと、歴史の中に確かに記録・記憶されてしかるべき事実であること、戦争は未体験ながら、今を生きる世代として明らかにしておく責務等です。・・・・・・・

 今、原子力発電所の事故ほか国策に対して、全国で巻き起こるデモ・集会等の直接行動は、まさに体験した日本国民の、今と将来に向けた基本的人権の獲得行動であると思います。

「海戦」からみた日本の戦争

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 今年は、私にとって「戦争」と向き合った記憶に残る年となりました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11094)。今月11日にも書きましたが、「日本海軍の変遷」から検証して、新しい気づきがありました。

 数年前から、歴史認識として「戦争責任」検証の旅で、アウシュヴィッツ等のヨーロッパ・中国東北部を訪問し、今年8月は北海道新聞に、旧海軍の私の父に絡む「ビハール号事件:5回連載」の記事も掲載されました。この間、旧海軍の多くの方々と出会い、貴重なお話、或いは著書を読むことが出来ました。その中から海軍に関係する二つを紹介致します。

 一つは、今年夏に知人の大沼芳徳さんから送って頂いた伊藤和雄著「まさにNCWであった日本海海戦:http://janafa.com/book-35/page-13.pdf」です、「NCW:Network Centric Warfare(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E4%B8%AD%E5%BF%83%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84)」は、簡単に言うと「ネットワーク中心の戦い」で、近年、米海軍大学校長のアーサー・セブロフスキー中将の講演ほか、アメリカ軍オリジナルの構想と理解されているようですが、実は、日露戦争の日本海海戦が「NCW」だったという視座の興味深い本でした。

 ペリーから送られた電信機に始まり、明治維新以降、海底電信ケーブル、軍用水底線、海軍望楼、三六式無線電信機等、新しく創設された日本海軍のインフラ整備・開発が、実は今日言う「NCW」そのものだったのです。日本海海戦の勝利の分析も、「情報優位」の下で、連合艦隊が主導的に戦ったからこそ、機力(ハードウエア)と術力(ソフトウエア)の僅かな差が大きな結果となってあらわれた、著者はそう断言しています。さらに、戦勝の要因として言われている、敵前大回頭(T字ターン)、砲の門数・口径、装甲の暑さ、下瀬火薬の優越度は、勝敗を左右した決定的要因ではなく、「情報優位」の傘の下に存在した数ある要因のひとつに過ぎない、とも。この勝因総括・分析の誤りが、実はそれから37年後の太平洋戦争での大敗北へとつながります、ある意味で歴史の必然として、です。

 幕末から明治にかけて、本来の「近代国家の建設」への熱き思いと、情報・通信ネットワークの重要性を本能的に理解した優れたリーダー達の見識を、私たちはしっかり史実として記憶しておかなければならないのでしょう、その後の時代を検証すればする程ですね。

 

 もう一つは、戸髙一成著「海戦からみた太平洋戦争」です。戸髙さんはご存知のように、「呉市海事歴史科学館館長(通称大和ミュージアム:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4585」で、同時に海軍史研究家でも著名な方です。私は全く同感する部分が多かったので、少し長くなりますが引用させて下さい。

* 太平洋戦争では、連合艦隊は早期の艦隊決戦を追求し続け、その作戦が破綻して戦力を使い果たした後は、いたずらに特攻作戦のみによって戦死者を増やすだけに終始した。あえて日本海軍の失敗や欠陥に目を向けることが、現在の日本人にとって有益と考えるのである。

* マリアナの攻防で艦隊を失った日本海軍は、ことの重大さに苦悩していた。もはや日米の戦力差は決定的なものであり、通常の攻撃では、日本側に勝ち目はなくなっていたのである。米軍のレーダーは安定した性能で日本機の接近を探知し、十分な余裕を持って邀撃(ようげき)戦闘機を差し向けている。また、幸運にも邀撃戦闘機群の網を逃れ、米艦隊に突入できた飛行機も、小型レーダーを内蔵し、飛行機に接近しただけで炸裂するVT信管を装備した高角砲弾の弾幕に包まれて撃墜されてしまう。

* 当時、日本海軍では、この米艦隊の対空砲火の命中率が異常に高いことに気づかず、単に対空機銃と高角砲が多い、つまり物量の差があるといった程度の認識しかなかった。この、「米軍イコール物量」という図式は、日本の軍人の頭の中に深く染み込んだ観念で、これはワシントン条約で日本の海軍が対米6割に抑えられた時からの長い歴史を持った観念であった。これらの物量に対抗するには、米艦隊を上回る戦力を集中して対抗すべきであったが、日本海軍にはすでにその力はなく、力を蓄積するだけの資源も時間もなかったのである。

* では、何もない日本海軍に残された道は何であったか。それは「天佑神助」を当てにすることと、「大和魂」を持ち出すことだけだったのである。合理的な作戦がすべて破綻した時、残っていた作戦が非合理であったことは、或いは自然なことだったのかもしれない。

* 1945年の戦艦大和の最期となった「沖縄特攻」のとき、出撃にあたって連合艦隊司令部から与えられた命令がある。この命令を起案したのが誰なのかはっきりしないが、命令文が示すものは、この特攻艦隊の出撃が、「海軍の伝統を発揚」するために命じられたものである、ということであった。付帯的に付けられた「皇国無窮の礎を確立」することとともに、そこには何ら遂行中の戦争に対する戦術展望もなければ、全てを失った後に対する考慮も読み取ることはできない。この作戦目標は「戦果」ではなく、「日本海軍の栄光」の伝統発揚のためだったのである。日本海軍にとっては、「海軍あって国家なし」と言われても仕方のない命令文である。海軍は、ただ「輝ける伝統」という幻を守るために多くの艦艇と人命を米軍の攻撃の前に差し出したのであろうか。

* いかに軍事技術が発達しようとも、戦争に至る原因の多くは、古来変わるものではなく、基本的には、国家間の政策・利害の衝突に過ぎない。これは、本質的には、外交交渉で解決されるべきものであり、戦争は、いわば交渉失敗の結果なのである。

* このような、外交的敗北によって始まった太平洋戦争は壊滅的な敗北で終り、日清戦争に始まった「日本の五十年戦争」も幕を閉じた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 「外交」と「戦争」と言えば、クラウゼヴィッツ(http://kotobank.jp/word/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%84)の「戦争論」を思い出します。日本海海戦を担った指導者たちと、太平洋戦争時の海軍指導部の質・見識の差とでも言うのでしょうか、この80年近くで変遷していった日本海軍から考察する歴史は、しかし、今も進行形であると思いますね、指導者の劣化、それを見過ごす国民の民度の低さとお任せ民主主義の跋扈です、教育の敗北と言っても良いかもしれません。

 今の日本は2008年統計で、「53隻の駆逐艦保有」、これは米軍第7艦隊の2倍であり、「護衛艦52隻、哨戒艦9隻、機雷艦31隻、潜水艦16隻など152隻、43.7万トン保有」、世界第2位の海軍です。それをコントロールする指導者は育っているのでしょうか。軍事力ばかりでなく、原子力政策においてもこの海軍の変質の歴史から学ぶことが多いと思います。そしてその「学び」は、これからの日本創造で生きて初めて「価値」となるのですよね。

環境4団体、北大と連携協定

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 先日、北海道大学大学院「環境科学院:http://www.ees.hokudai.ac.jp/」、道が出資する「北海道環境財団:http://www.heco-spc.or.jp/」、民間のNPO法人「北海道市民環境ネットワーク(きたネット):http://www.kitanet.org/」、札幌市の「市環境プラザ:http://www.kankyo.sl-plaza.jp/」、国の「環境省北海道環境パートナーシップオフィス(EPO北海道):http://www.epohok.jp/」との間で、「連携・協力に関する基本合意書調印式」が行われました。
 4年前から、環境4団体で、「環境中間支援会議・北海道(環境☆ナビ北海道):http://enavi-hokkaido.net/」というプラットホームを構築してきました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3137)。この設立は、実は簡単なように見えて全国的には極めて稀な試みであり、大変高く評価されています。
 環境をテーマに活動する方々にとって、行政の縦割り組織の窓口は使い勝手が悪く、それぞれの強みが十分生かされないままこれまで来ていましたが、各団体の皆さんの努力により、また、民間の中間支援NPOが介在することにより、「環境中間支援」機能として活動を始めました。そこに、今回のアカデミックセクター・北海道大学との連携・協力が付加されました。勿論、今後他の大学との連携にも期待したいですし、そうなれば北海道での環境活動に一層弾みがつくと思いますね。
 ところで、先日の調印式ですが、各団体の長が勢ぞろいで少々緊張感の漂う会場の雰囲気でした。5人のサインも滞りなく終了して、いよいよ写真撮影へと展開しようとしたその時、後ろの横断幕が何と「落下」したのです。一瞬会場の皆さんが驚いたのですが、北大のお二人の先生は落ち着いた様子でテープで貼り直し、私も真ん中に居たので靴を脱いで椅子の上でお手伝い、無事修復を終えると、「提携調印後、最初の協働作業でした!」と、どなたかの宣言です!、よく結婚式での「ウエディングケーキ入刀」で言うではないですか、まさにそのノリでしたから場内爆笑でした。
 北大・環境科学院の皆さまの心にくい「演出」でしたね(?!)
 それにしても、あの絶妙のタイミングで横断幕を敢えて落とす(?)サプライズを盛り込んだ手の込んだシナリオ、来年の「さっぽろ劇場祭:TGR」に是非参加して頂きたいですよね、恐れ入りました!

映画「無言館」、上映!

Posted by 秋山孝二
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 長編ドキュメンタリー映画「無言館:http://xin-ei.co.jp/other/seisaku.html」が上映され、たくさんのお客さんでした。私もよびかけ人の一人でしたが殆ど仕事は出来ませんでした、申し訳ありません。

 これまで、窪島誠一郎さんの講演はご紹介してきました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%84%A1%E8%A8%80%E9%A4%A8)が、彼自身の話では表現しきれなかった訪問者の感想、座談等、あらたな「無言館:http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/kanko/museum/mugonkan.html」の魅力を発見しました。来年春には、是非時間を作って訪れてみようと思います。以下、印象に残った言葉を。

* 「無言館」の「無言」は、多くの方は言葉を発しない「絵画」を展示してあるから、とおっしゃるのですが、館主の私(窪島さん)は、実は見学に来た方がその絵の前で言葉を失う、無言で誠実に向き合う、そんな意味と理解しています。

* 遺作を供出して頂きたいとお願いに行った時、なかなか同意をして貰えなかったお身内の方がその後お亡くなりになり、息子さんが全ての作品を無言館に寄付する意向を伝えてきました。「作者の思いをを伝える」、その重みを感じましたね。

* 年月でカビとか埃で多少傷んだ遺作を修復する専門家の方、完全に修復することが目的ではなく、窪島さんはキャンバスのキズとかはむしろそのままにして頂きたいとおっしゃるそうです、時間の経過を含めた「作品」の価値であり、メッセージなのでしょうね。

* 小学生の時に訪問して、数年後、中学生として再度訪問した子どもたちと窪島さんを囲んでの語らいで:窪島さんは若い子たちに、「絵の奥にいる作者は、限られた自分の人生を生きた人。ある時は明日・明後日がある自分の幸せを感じるが、ある時は限られた時間を精一杯生きた彼らをうらやましく思う時もあるから不思議です」、とおっしゃっていました。

* 終りで窪島さん、「この無言館のメッセージを、『反戦・平和』とおっしゃる方がいますが、実は自分はそう言ったカテゴリーで括られるのをあまり良しとしません。遺作が語りかけるのは、少々気取ったいい方になりますが、『愛』だと思うのです」と、少し照れた様子でお話されました。

 

 長野県上田市、周りを山に囲まれた田園地帯の丘の上に、数棟ひっそりとたたずむ美術館です。館内では、作品が放つメッセージ、余計な意味付与を排除したありのままの展示、遺志を受け止めようと訪れる見学者、すべてが真摯ですね。講演とは一味違った「無言館」の魅力でした、企画された國田裕子実行委員長さまはじめ、ここまでのご尽力に心から感謝申し上げます。

真珠湾が教えるもの

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 今年の12月は真珠湾攻撃から70年、11日は東日本大震災から9カ月の節目です。師走を迎えると、この一年を振り返りたくなりますね。

 私にとって「2011」という年は、「戦争」に向き合った一年として強く記憶に残ると同時に、大きく前へ踏み出しました。この数年のポーランド・中国北東部訪問で体験した戦争責任の検証(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84)、「ビハール号事件」の調査(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6)、そして今年8月の北海道新聞の5回に渡る終戦特集連載記事(201188-12e98193e696b0e38393e3838fe383bce383abe789b9e99b86efbc88e7b78fefbc89)等です。更に、3・11の大震災後の対応を目の当たりにして、国難に対する「責任の所在の不明確さ」も、戦争責任と酷似すると感じていました。

 8日朝日新聞朝刊「オピニオン」欄で、東京大学教授・加藤陽子(http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/)さんのインタビュー記事「真珠湾が教えるもの」が大きく掲載されて、中見出しには、「思惑ずれた日米、対立を解くには豊かな歴史観必要」とも。少々長くなりますが、引用します。

~~~~~~――最終的に開戦の決定を主導したのは誰だったのでしょう

「形としては大本営政府連絡会議と閣議決定によって開戦が決定されたので、軍と内閣双方の一致がありました。しかし、意志決定に至る状況判断において、軍と文官では情報に大きな非対称性があったと思います。東郷外相でさえ、開戦が12月8日で攻撃地点は真珠湾とマレー半島だ、と12月1日まで知らされていませんでした。陸海軍はグル―米国大使がワシントンへ送った電報をはじめ、あらゆる暗号を解読していましたが、軍に不利になる情報は統帥事項として内閣に上げなかった。この点、日清、日露といった過去の戦争が伊藤博文など元老の指導下になされたのとは対照的です」

――専門家が知識を独占していた点では、原発推進の過程と似ているような気がします

「どちらも専門家が無謬性の神話にとらわれ、外部の批判を許さない点で共通しています。軍部は、日露戦争の戦勝を神話化し、自国軍の能力を客観視する目や、欠陥を指摘する人々を排除していきました。原発も安全神話ゆえに、最悪の場合の想定を行わなかったのでしょう」

――戦争回避の失敗から、現在の日本は何を学ぶべきでしょうか

「日本は、背負ってきた近代そのもの、明治以来の歴史全体を否定されたと考えて対米戦争に踏み切りました。原理的な対立が起きた時、どこまで退却しうるか、大正デモクラシー期に戻るか等、具体的な歴史イメージを豊かに持っておくことが大切でした。そうしたイメージを持てない今の日本社会の状況が、昔のこの時代に似ていて心配です」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 

 もう一つ、ちょうど読み終えた本、広島県呉市海時歴史科学館(大和ミュージアム:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4585)館長・戸高一成著「海戦からみた太平洋戦争」のまえがきに書かれていました、引用します。

~~~~~~~~~~~~~

・・・・・・、米英海軍、とくに英海軍の根本政策には、「海上交通線の維持」ということが「国土の防衛」ということと並んで、海軍の最大任務とされていることをみたからであった。しかるに、日本海軍は、何かしら海軍自体の純作戦的立場にばかりとらわれていると思われたからであった。・・・・・・・・連合艦隊第一主義と艦隊決戦主義への偏重は、太平洋戦争の展開において、きわめて大きな弊害をもたらした。連合艦隊は早期の艦隊決戦を追求し続け、その作戦が破綻して戦力を使い果たした後は、いたずらに特攻作戦のみによって戦死者を増やすだけに終始した。これは、不十分な想定のもとに原子力発電所の設置を行い、想定外の事象が発生した時の適切な対処を欠いたまま月日を消費している、2011年の状況を思わせるものがある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 

 歴史の考察、失敗から学ぶ姿勢、敗戦までの道すじと3・11以降の原子力発電所爆発事故の経過を検証するお二人のご意見に、私は「我が意を得たり」でした。ここまでの責任者のありさま、情報隠ぺいの常態化、マスメディアの不甲斐なさ、いよいよ国民の怒りは頂点に達しつつあります、そして更に昨日の国会の閉会、何をかいわんや、ですね。議員定数の削減、国家公務員給与の削減等、法律を成立させる立法府の責任を何も果たしていないで2011越年はあり得ないでしょう!

 こんな体たらくの今の日本国、それでも私たちは「日本国民」として、「今」、そして「これから」を生きなければなりません。どう凌ぐか、どう新しい時代を創るのか、残っている時間はそれ程ないように思います。

「マルニ」復活、足利銀行

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 「足利銀行(http://www.ashikagabank.co.jp/)のスピリッツ」として、25年ぶりに「マルニ」バッジが復活しました。

 これと相呼応して、ワグナー・ナンドール記念財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)理事長・和久奈ちよさんが、この度、足利銀行に「故藤松正憲」ブロンズ像を寄付しました(http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/central/mashiko/news/20111025/643499)。故藤松頭取が、財団の和久奈ちよ理事長の実父・二代目秋山康之進(私の祖父)と日本銀行札幌支店長時代から交友があり、ワグナー夫妻が益子町にアトリエを建設(昭和45年)、創作活動に際して親交がありました。ワグナー・ナンドールが、その際の感謝の気持を表現したく足利銀行に寄贈する目的でこのブロンズ像が製作されましたが、在任中は設置がかなわず、数十年を経て本店ロビーでのお披露目となりました。

足利家家系図と紋章

足利家家系図と紋章

左・渋沢栄一胸像と復活した「マルニ」ロゴ

左・渋沢栄一胸像と復活した「マルニ」ロゴ

「信為萬事本」の書と故藤松正憲頭取のブロンズ像

「信為萬事本」の書と故藤松正憲頭取のブロンズ像

 宇都宮市内にある本店ロビー、玄関を入ってすぐの場所に、控えめに展示されていました。渋沢栄一の孫(娘の子)である明石正三は、足利銀行の役員で、胸像は渋沢青淵記念財団龍門社(現在の公益財団法人渋沢栄一記念財団:http://www.shibusawa.or.jp/)から寄贈されたそうです。

 日本の銀行の創始者であり、「論語と算盤」でも有名、経済道徳合一主義の提唱者でもある渋沢栄一の「信為萬事本」の書は、「信を万事の本となす」と読み、山岡鉄舟が西郷隆盛とのやり取りの中で書したものとして知られています。原典は、1060年成立の中国史書「新唐書:http://kodaishi-21.web.infoseek.co.jp/p3-6.html」に由来して、「信とはお互いに信じ合うことであり、すべての物事の根本である」という意味です。

 日本の銀行はバブル期から今日まで、本来の信用創造としての間接金融の機能を忘れて、大変な危機を経てきたはずです。破たん、国有化等、いろいろな経緯はありましたが、現在そこからどれ程の教訓を学んだのか、私は「?」と思うばかりです。何が変わったのか、相変わらずの手数料商売のビジネスモデルでは、日本経済の復興、地域経済の活性化は見込めません。元に戻ることだけでは「進化」とは言えませんね、猛省を望みます!!

 ところで、宇都宮と言えば「餃子」です。地元の方に伺うと、「みんみん派」と「正嗣派」で人気を二分しているとのこと。これまで「みんみん:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2491」は何回か試していましたので、今回は探し歩いて初めて「正嗣」に、「焼き」と「水」を一つずつでした。

「正嗣(まさし)」宮島店

「正嗣(まさし)」宮島店

 小さなお店(カウンター席10人程度)で、大変安く美味しかったですね。これでやっていけるのかと思いましたが、店に居たわずか20分程度の間に、お客さんがそこで食べる餃子、持ち帰り冷凍餃子、出前の注文等で売れること売れること、100個以上の売り上げはあったのではないかと思われます。店の入口には、「この店には餃子しかありません」の張り紙がありました。

 驚くべき「餃子人気」です!

さっぽろ劇場祭(TGR)2011、終了!

Posted by 秋山孝二
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 さっぽろ劇場祭(TGR)2011(http://www.s-artstage.com/2011/tgr2011/)が、4日の公開審査会で終了しました、詳細はこちら(http://www.s-artstage.com/2011/news/2011/12/606/http://hakouma.eux.jp/2011/12/tgr2011_taisho/)。U-streamでライブ映像もアップされていたようですし、twitterでもたくさんつぶやかれていました。

 私は昨年(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6621)に引き続きの審査員として、一ヵ月間に32本の参加作品の観劇、昨日の公開審査会では7人の審査員が分担し、32本全作品の講評を行いました。今年こそは一作品1分間の持ち時間でと意気込んで臨みましたが、私は最初の4分間の持ち時間で6分32秒もしゃべってしまいました、作品の評価を端的に表現するのは本当に難しいものですね。

【2011年度 札幌劇場祭 受賞作品】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・札幌劇場祭 大賞 劇団千年王國 「狼王ロボ」
・札幌劇場祭 特別賞 [演出賞] intro 「蒸発」
・札幌劇場祭 特別賞 [作品賞] 弘前劇場 「海辺の日々」

・札幌劇場祭 新人賞 劇団アトリエ 「もういちど」

・札幌劇場祭 オーディエンス賞  ※星5つ満点の観客アンケートによる賞
  リーディングヒッター賞(☆の平均) 劇団千年王國 「狼王ロボ」
  ホームラン王賞(獲得した☆の総数) 劇団千年王國 「狼王ロボ」

・札幌劇場祭 審査員奨励賞 yhs 「忘れたいのに思い出せない」
・札幌劇場祭 審査員奨励賞 AND 「ばらひまわり」
・札幌劇場祭 審査員奨励賞 座・れら 「トランス」

・フライヤーコンテスト 優勝
  ミュージカルユニット もえぎ色 「Teardrop」 (同数 1位)
  きりがたりシアター 「ジャックと豆の木」 (同数 1位)

[各賞についてのメモ]
大賞・特別賞は、TPS / 人形劇団ぽっけ&ばおばぶ&ボクラ を加えた最終候補 5作品からの公開審査。新人賞は結成3年以内の団体が対象です。オーディエンス賞は今年度はじめて実施されたもの。フライヤーコンテストはTGRのキックオフイベント(11/5,6)にて実施されたものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 個々の講評は、後日こちらにアップされると思います(http://www.s-artstage.com/2011/news/2011/12/606/)。3・11の大震災を経て、芸術・文化のエネルギーを一層感じた今年の劇場祭でした。演劇関係に携わっている全ての方々に感謝するとともに、これからの活躍を大いに期待しています!そして、プロとして生活出来るためにも、多くの市民に劇場に足を運んで頂くことをお願いしたいです!

海軍兵学校76期の皆さまと

Posted by 秋山孝二
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 海軍兵学校76期(http://homepage2.nifty.com/navy76/)の「第23回ブリッジ会」が都内で開催され、初めて出席しました。当日は寒風にもかかわらず、50名程の方々がお集まりになり、皆さま83歳の実に凛々しいお姿で懇談されていました。ある意味で、日本最後のエリート教育を受け、戦後、各界で日本の復興・高度成長期をリーダーとして担ってこられた方々のお姿を目の当たりにした場でした。

「ブリッジ会」:海軍兵学校76期の皆さま(83歳)50名

「ブリッジ会」:海軍兵学校76期の皆さま(83歳)50名

  なぜ、この会に私が参加することになったのか、それはこの「秋山孝二の部屋」と大いに関係があります。2年ほど前でしょうか、このブログを重巡「利根」の検索から偶然お読みになった横浜在住の井上正美さんからご連絡があり、東京で何回もお会いしました。井上さんは、私の父・秋山(旧姓野田)宏が海軍兵学校分隊監事だった時の生徒(76期)だった方です。

 今年8月に、終戦企画として、北海道新聞に5回連載となった「ビハール号:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6」記事をこの会で紹介して頂き、先日の私の出席となりました。

 私に15分程度のご挨拶の時間があったので、この場にお招き頂いた御礼と、連載記事の概略、及び今の気持を話しました。当初は、全く個人的興味だった「ビハール号事件」、戦闘日誌等の記録を調査した際、重要部分が切り取られていたこと、香港のB級戦犯法廷での日本海軍幹部の不誠実な証言、父の役割、一人責任を負って絞首台に立った第十六戦隊司令官・左近允尚正中将、そのご子息・左近允尚敏さまとの意見交換等、溢れ出る言葉を抑制しながらではありましたが、お話したつもりです。戦犯裁判とは言え、このままでは現場に責任が全て押しつけられて、本来の作戦立案等、責任ある幹部が誰一人として処罰されないという実に理不尽な経過に私が憤りを感じたこと、歴史の中に確かに記録・記憶されてしかるべき事実であること、戦争は未体験ながら、今を生きる世代として明らかにしておく責務等です。

 その後、懇談の場で、多くの貴重なお話を聴くことが出来ました、幾つかを書き留めます。

* 7月24・25日、比島沖海戦の残存艦が呉周辺に回避していたので、江田島は米軍艦載機の空襲があり、江田島内に仮泊の「利根」、「大淀」も急降下爆撃を受けた。7月28日早朝より、艦載機・B29爆撃機が攻撃してきたが、この際の米軍パイロットの白いマフラーも忘れられない。応戦したが、「利根」は着底、「大淀」は爆発したようで急激に横転した。これらの戦闘で300名が戦死し、兵学校から目と鼻の先でのことであり、戦局の急迫を実感した。<後で私が調べたところ、これを以て米軍の攻撃は一段落し、豊田軍令部総長は、「連合艦隊の水上部隊全滅」と奏上したそうです>

* 現在は、「戦略」「戦術」という言葉で語られるが、これは英米から入ってきた概念。旧日本海軍では、伝統的に「戦策」「戦則」という言葉だった。「戦略」の「略」は、自分のものにする、「術」は手練手管的ネガティブな意味が付きまとうのに比べて、「策」「則」は如何にもルールに則って事を進める姿勢がにじみ出ている。

* 兵学校の生徒時代、教官は10期上くらいの先輩で歴戦の勇士にも関わらず、自慢話は全くなく、戦闘の話は殆ど聞くことはなかった。機密事項とは言え、語りたいとは思わない心情も強かったのではないか。

* 兄が零戦パイロットで終戦直前に戦死し、戦後十数年は戦争・兵学校の話は口には出さなかったが、時の経過とともに集まりにも参加するようになり、気持の整理が出来てきた。

 

まだまだたくさんあるのですが・・・・。とにかく、今年8月に左近允尚敏さんとお会いした時と同じく、50名の皆さまの話を聴く時の姿勢は、並はずれた集中力と緊張を感じ、私自身、身の引き締まる思いでした。次回は来年3月開催予定です。

さっぽろ劇場祭(TGR)、終盤へ

Posted by 秋山孝二
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 10月下旬から始まった2011年の「さっぽろ劇場祭:TGR(http://www.s-artstage.com/2011/about/」は、いよいよ終盤を迎えています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=TGR)。

 「劇場祭」は、実に幅広いジャンルがあります。人形劇、オペラ、読み語り、ミュージカル風(?)劇、一人芝居、現代劇・・・・・。そして、劇場内は殆どの場合、携帯電話電源切り、飲食禁止、写真・ビデオ撮影禁止ですね。先日の西区琴似・コンカリーニョ(http://www.concarino.or.jp/)では、それら全てがOKという、芝居というよりも「ショータイム」がありましたよ。私は開始前から缶ビール片手にカメラを構えて、忙しく観劇でした。

宣伝チラシより~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

子ども向け、アングラ、ショーミュージカル、学園、サーカス、海賊…と様々なテーマで作品を作ってきた「もえぎ色」が、第3回公演を新たにリメイク!舞台は劇場を大きく作り変えたショーパブ「Teardrop」。ダンサーとして働く女の子達が夢を掴んで行く物語を描くオリジナルミュージカル!

伝説のショーパブ Teardrop が、3年の時を超え甦る―
ミュージカルユニット もえぎ色 第7回公演 「Teardrop」

脚本・振付: 喜井萌希 脚色・演出: 太田真介
出演: 坂本祐以、国門綾花、懸梨恵、森高麻由、岡田怜奈、堤亜美、寺崎智美、チヤゲンタ、山腰真央、木内彩花(劇団ルート1)、たかはしはるな、佐藤紫穂(Bee-Hive)、庄本緑子、寺地ユイ(星くずロンリネス)、NEGI(劇団平成商品)、池下陽奈・星奈・夢奈、大隅夢果、小松美穂、TERA、TOUKA、寺田英夫

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

「TEARDROP」を舞台に

「Teardrop」を舞台に

演舞

踊り、踊り、踊り・・・

「マドンナ」の歌

「マドンナ!」の歌!

エネルギッシュな踊りが続く!

エネルギッシュな踊りが続く!

ユニークな存在感?

ユニークな存在感?

  演劇の劇評と言えば、加藤浩嗣さんの「シアターホリック:http://theater-holic.seesaa.net/」が興味深いですね。どこの劇場に行っても必ず前方にお座りになっています。

 多様な劇場での多様な演劇、それを支えていくプロの担い手、幅広い観客、そんな芸術・文化の香りが満ちた「サッポロ」の街にしたいですね、劇場に足を運ぶことによって。12月4日の「公開審査」が楽しみです!

「希望の『君の椅子』」プロジェクト

Posted by 秋山孝二
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 「君の椅子」プロジェクト(http://www.asahikawa-u.ac.jp/page/kiminoisu_project.htmlは、2006年に始まって、毎年新しいデザインによる椅子は、新たな命を祝福してきています。

毎年のデザインはその年に生まれた命を祝福します

毎年のデザインはその年に生まれた命を祝福します

 「君の椅子」プロジェクトの代表である磯田憲一さんは、その理念を下記のように語っています。

・・・・・、経済性や利便性だけでなく、地域社会の優しく、柔らかなネットワークを少しでも取り戻していきたい、そのためにひとりひとりがそれぞれに小さな取組みを重ねていく、そんな思いを込めて私達は「君の椅子」プロジェクトを立ち上げ、その一歩を踏み出しました。北海道という地域の持つ財産とその潜在力を活かして、「新しい生命」、「新しい市民」の誕生を暖かく見つめ支え合う地域コミュニティ、その再生の火を灯す役割を担いたい、それが私達” 君の椅子プロジェクト”の願いです。「君の椅子」は思い出の記憶装置。それは子どもたちの未来への贈り物です。新しい生命が人々のあたたかな眼差しに見守られて、健やかに成長することを願いながら私たちはこの北海道の大地から「君の椅子」を贈り届けていきます。・・・・・・・

 「君の椅子」は、名前やロゴ、一連番号が刻印された世界でひとつだけの椅子で、無垢(むく)の木材で確かな技を持つ旭川家具の職人が作ります。暦年ごとにデザインが変わるオリジナルの手づくり椅子です。

 今月初旬に、磯田さんから、3・11の震災を経て、「希望の『君の椅子』」を立ち上げる旨をお聴きして、私もすぐに賛同致しました。3月11日の大震災で、亡くなられた方々の数は毎日のように報道されていますが、その日生まれてきた「新しい命」は、まさに3・11以降の復興の「希望」です。被災した東北3県下の市町村に問い合わせをして、その日誕生した子を把握し、そのお名前を座面裏に記して贈呈する試みです。

「希望の『君の椅子』」です

「希望の『君の椅子』」です

座面裏の名前を記した刻印です

座面裏の名前を記した刻印です

 個人情報保護法との関わりで困難をともなった作業だったようですが、104の新しい命を私たち北海道民が祝福する試みは、世界に発信して希望の糸口としたいものです。私たちの気持を「見える化」して応援する、木目とともに、「3・11以降のいのち」の成長を記録する、そんな椅子になってもらいたいですね!

「きたネット」、今年のふり返り(後)

Posted by 秋山孝二
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 今年の「札幌KITA-NET北海道環境活動交流フォーラム2011:http://www.kitanet.org/event/index.html#works2011」は、国際森林年に因んで、「北海道スタイルの森づくり、市民力で森と人をつなぐ」と題して、盛だくさんな内容で開催されました。全道各地から170名を越える大勢の参加者が、最初から最後まで大変熱心に聴き、分科会・ワークショップでは活発な意見交換がなされました、一つの場に集う価値を、あらためて確認した一日でした。基調講演二題は「きたネットWeb:http://www.kitanet.org/index.html」の録画でも見ることができます。

フォーラムのプログラム

フォーラムのプログラム

基調講演1 「協働の力でつくる北海道の森林の未来」では、北海道大学農学部教授・柿澤宏昭(http://gcoe.ees.hokudai.ac.jp/mfrs/?p=854)先生が、「持続的な森林の管理と循環型社会の構築を進めるために、森林資源の利用まで含めたより多面的で深い市民と森林との関係のもち方について」、お話をされました。  

北海道大学農学部・柿澤宏昭教授

北海道大学農学部教授・柿澤宏昭さん

基調講演2 「もっと森を、モア・トゥリーズの活動」では、一般社団法人「モア・トゥリーズ:http://www.more-trees.org/」事務局長の水谷伸吉先生が、「より多くの人に森と関わりを持ってもらえるよう、普遍性をもった都市と森をつなぐプラットホームで ありつづけたいと願う、モア・トゥリーズの活動」を語りました。 

坂本龍一代表の「モア・トゥリーズ」

坂本龍一代表の「モア・トゥリーズ」

事務局長・水谷伸吉さん

事務局長・水谷伸吉さん

 代表の坂本龍一さんをシンボルに、フィールドをショウアップする多彩な活動は素晴らしいですねカーボンオフセットの取り組みとして、「ANA・B787カーボンオフセットキャンペーン:https://www.ana.co.jp/amc/cpn/offset/は、ちょうど今、実施期間中です。

 

 午後からは3つの分科会に分かれての意見交換、更に続く全員によるワークショップでした。

●分科会A 市民団体は森づくりをどう変える?~森づくりのモデルを考える」 

 北海道の2地域で、まったく違うアプローチから民有林保全に切り込んでいる2つのNPOが、共通する課題を考え、将来を展望しました。NPO法人ウヨロ環境トラスト(白老町:http://www.shiraoi.org/trust/)、もりねっと北海道(NPO法人森林再生ネットワーク北海道 /旭川市:http://morinet-h.org/

【コメンテーター】
荻原 裕 氏(北海道森林管理局 保全調整課 課長

●分科会B 「事業体と市民をつなぐ森づくり」

 企業・事業体と市民活動団体の連携、森林資源活用事業に取り組むNPOの事例から、森づくりの新しい道筋を考えました。 

【コーディネーター】柿澤 宏昭 氏(北海道大学農学部 教授)  

事例1 コープ未来の森づくり基金(http://www.coop-sapporo.or.jp/contents/view/id/82 & きたネット(http://www.kitanet.org/index.html
事例2 一般財団法人セブン-イレブン記念財団(http://www.7midori.org/) & NPO法人支笏湖復興森づくりの会(http://www.shikotsuko-moridukuri.org/index.html
事例3 NPO法人森の生活(下川町:http://www.forest-life.org/)が事業者としてめざすもの

【コメンテーター】  
     水谷 伸吉 氏(一般社団法人more trees)  
     西川 瀞二 氏(北海道林業技士会)  
    遠藤 俊次 氏(ホーマック株式会社)

●分科会C 「森からはじめるエネルギーシフト」 *この分科会は公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団「ネットワーク形成事業」助成により開催

  林業の持続可能性と木質バイオマスの有効利用の可能性について各地の事例から学び、「北海道における木質エネルギーへの転換をどう進めるか」をディスカッションしました。

 【コーディネーター】大友 詔雄 氏(NPO法人北海道新エネルギー普及促進協会:http://www.hkd-enekyo.npo-jp.net/ 理事長)

事例1 木質バイオマス利活用の可能性と地域内経済効果―森からみたエネルギーの地産地消 大友 詔雄 氏

事例2 薪プロジェクト(どさんこ薪ネットコンソーシアム)について 岡田 基 氏(一般社団法人ProDeC:http://prodec.jp/

事例3 木質資源作物の可能性と下川町における公共施設のエネルギー転換 高橋 祐二 氏(下川町地域振興課 主幹:http://www.town.shimokawa.hokkaido.jp/Cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AM04000

 <11月28日追記>分科会Cの様子:http://enavi-hokkaido.net/forest/?p=315

~~~印象に残った言葉の数々~~~

* 「植林」から「森」づくりへ、「循環」の中で私たちは関わるべきである

* 地域と森林の関わりは「多様」で、「全体的」である

* 地域特性、特有資源を生かしての取り組みを、「まちづくり」として

* 都市と森とのつながり・橋渡し、3・11以降の取り組みとしての「LIFE 311:http://life311.more-trees.org/

* カーボン・オフセット(相殺)の取り組み:ANA、NTTドコモ等の取り組み

* オーストリア・ギュッシング市の取り組み(http://www.nerc-hokkaido.co.jp/wp/chiki)、http://www.eonet.ne.jp/~forest-energy/GREEN%20ENERGY%20FILE/Guessingstory.pdf

 下川町の数々の実践は、感動する程素晴らしいものでした。行政に優れた人材を得ると、市民とともに先駆的試みが可能ですし、持続可能な新しいシステムもダイナミックに動いていくことを立証していますね。素晴らしいモデルが北海道にはあり、心強く感じました。とにかく、この一日は大変内容が濃く、とても全ては書ききれません。ただの知識・知恵ではなく、これからの私の実践に大きく役立てたいものと決意をしています。皆さま、本当にありがとうございました!

「きたネット」、今年のふり返り(前)

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 環境系中間支援団体、「NPO法人 北海道市民環境ネットワーク:愛称きたネット(http://www.kitanet.org/index.html)」の今年の活動テーマは、「森づくり」です(http://www.kitanet.org/event/index.htm#2011s)。

 今年の5月、通常総会当日に今年度最初のイベントとして、「国際森林年 特別企画<北海道の森をどうする?座談会>」でした。

多彩なリーダーをお迎えして

多彩なリーダーをお迎えして

 次は7月の交流行事で、前田一歩園財団の訪問(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9393http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9405)。

 そして9月には、「森づくりと人づくり」と題しての講演と説明会が開催されました。

きたネットカフェSPECIAL 2011

きたネットカフェ SPECIAL 2011

東京 & 札幌、今年の11月

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 東京都台東区上野公園にある、旧東京音楽学校奏楽堂(http://www.taitocity.net/taito/sougakudou/)です。

東京藝大・奏楽堂

旧東京音楽学校・奏楽堂

 先日、久しぶりに上野公園界隈を歩いていると、ここでピアニスト・小倉末子の展示、「凛と弾く:http://www.taitocity.net/taito/sougakudou/sougakudou_news/news-ogura.html」を公開していました。彼女の業績は後進の指導でも発揮されて、数々の足跡を残し、終戦の1年前に54歳でお亡くなりになりました。

小倉末子「凛と弾く」の展示

小倉末子「凛と弾く」の展示

  このすぐ近く、東京国立博物館(http://www.tnm.jp/)では、特別展「法然と親鸞:http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1404」が開催中です。今年は、法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌で、特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」と銘打って、平成館特別展示室で、10月25日(火)~12月4日(日)までの開催です。先日も多くの方々が玄関前に列を作っていました、私はその横を通り抜けるだけでしたが・・・・。

 一方、札幌ではつい先日、中央区のサッポロファクトリー(http://sapporofactory.jp/)のアトリウムで、巨大クリスマスツリーにイルミネーションが点灯しました。イベント広場では子連れの家族も楽しそう、北海道の冬をここで過ごす人々も多いのでしょうね。

サッポロファクトリーのアトリウム

サッポロファクトリーのアトリウム

 今年2011年も残り1ヶ月半、ごく普通の暮らしが有り難く感じる今日この頃です。今年は、「年忘れ○○」等の言葉は禁句でしょうね、忘れられない・忘れてはいけない年のはずですから・・・・・。

「母子像・ふるさと」、除幕式!

Posted by 秋山孝二
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 先月31日に設置された「母子像・ふるさと」(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10725)、周辺の工事もほぼ終了し、18日午後2時から「除幕式」が開催され、80人以上の参加者で大いに盛り上がりました。前日の積雪で新しく造られた公園はすっかり冬化粧、背景は雪のベールで覆われて来年までお預けです。

ワグナー・ちよ理事長のご挨拶

ワグナー・ちよ理事長のご挨拶

除幕式:地元の幼稚園児と保護者も参加

除幕式:地元の幼稚園児と保護者も参加

  地元の幼稚園に通う子供たちと保護者の方々もご参加下さり、除幕式にも一役買ってくれました。この「母子像・ふるさと」には子供たちが実に似合いますね、歓声も空いっぱいに広がって、ひと時温かい空気に包まれます。

「母子像・ふるさと」には子供たちが似合います!

「母子像・ふるさと」像と地元の幼稚園児たち

 ワグナー・ナンドールのメッセージが市民の皆さんに届いて、新しい札幌の名所になってくれると嬉しいですね。

<補足> 円山公園となりの町内会ブログにも掲載されています(http://miyanomorimachisen.blog111.fc2.com/blog-entry-633.html)。

「フクシマ論」、開沼博さん

Posted by 秋山孝二
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 「さっぽろ自由学校・遊:http://www.sapporoyu.org/index.php」の連続講座「奪われた“郷土”~フクシマからのメッセージ~:http://www.sapporoyu.org/modules/sy_course/index.php?id_course=279」の第2回は、東京大学・大学院博士課程の開沼博さんのお話でした。開沼さんの著書「フクシマ論:http://ceron.jp/url/www.seidosha.co.jp/index.php?%A1%D6%A5%D5%A5%AF%A5%B7%A5%DE%A1%D7%CF%C0」は、第65回毎日出版文化賞を受賞し(http://mainichi.jp/corporate/info/news/20111103ddm001040037000c.html)、ベストセラーに。

 第1回の安倍(あんばい)隆さんは、このシリーズのコーディネーターも兼ねていますが、その話はアーカイブでこちら(http://www.sapporoyu.org/modules/sy_myevent/index.php?id_event=282)です。

 先日の講座会場、愛生舘ビル2階は、まさにあふれる人で超満員、驚きましたね。彼は、3・11以前から福島の「原子力ムラ」について研究を進めていて、今年1月14日に修士論文を書き終えたところだったそうです。

 戦後復帰から「田舎と都会」という枠組みで成長を続けた日本社会、それは「成長」という名の「地方の植民地化」だったと断言しました。「55年体制」とこれまで語られている1955年は、原子力基本法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S30/S30HO186.html)制定の年でもあります。「成長とはエネルギーだ!」、日本の戦後のエネルギーの中心に原子力があり、反対派は「変わり者」扱いになり、議論する余地はないとされてきた社会、経済的にも、文化的にも、政治的にも、いわゆる「信心(しんじん):addictional」として。

 「原子力ムラ前史」として、福島と電力・エネルギーとの関わりに言及しました。1914年の猪苗代第一水力発電所建設に始まる歴史から、1960年代の原子力発電所計画が今に至っている歴史的経過。そして、1)「中央の原子力ムラ:行政、メディア、研究者」は理想への邁進の果てに、合理性がゆがめられ、2)「地方の原子力ムラ」は原子力を媒介として豊かさを求め、原子力依存状態となっていった、それらの歴史的経過を分かりやすく解説されました。

 原発一基による1000人の雇用、定期検査で2000人の雇用、それで原発は地元経済に貢献したのか?「危ないこと」を「危ない」と言わない、言えない状況ができていたのです。

 福島県いわき市生まれの若干27歳、上野千鶴子さん、吉見俊哉さんに師事したそうですが、とにかく冷静沈着で、恐るべき若手研究者です。質問に対しても温かい眼差しと丁寧な答え、地元福島の住民に寄り添う調査・研究の証しを見せて頂いた気がします。最後に、「今、変わらないものが、いつ変わるというのだろうか・・・・」、地方が見過ごされているのではないか、東京発マスメディアは、ただ情報を消費しているだけ」と結ばれました。

 本当に、「今、変えないで、いつ変えると言うのか!」、後の世代、或いは歴史から、3・11以降の我々が試されています。

 

三国清三が語る、「北海道から世界へ」

Posted by 秋山孝二
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 この1カ月くらい、私が関係する諸団体で、講演等イベントが目白押しです。先日は、北海道経済同友会の例会で、「オテル・ド・ミクニ(http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi)」のオーナーシェフ・三国清三(きよみ)さんをお招きして講演がありました。北海道増毛町(http://www.town.mashike.hokkaido.jp/menu/kanko/kankou-top/mashike-kankou1.html)出身、私より3歳若い彼の話は、ほぼ同時代を生きていながら、アメリカ・ヨーロッパでの活躍の映像からも推し量れ興味深く、彼自身の人生から紡ぎ出される言葉に力がありました。

最初に修行した札幌グランドホテルで講演

最初に修行した札幌グランドホテルで講演

 増毛の浜で採れる「ホヤ」の味で育った三国さんは、「五味:甘い、すっぱい、しょっぱい、にがい、うま味」の大切さを感じ、その後のシェフ人生の基盤となりました。

 2003年に札幌駅南口に「ミクニ サッポロ:http://www.stellarplace.net/floor_guide/142/」開業、このところは子供たちの食育活動(http://mikuni555.com/conts/)、スローフード運動にご尽力されています。

 最後は、「結局は、最も価値のあることは『オリジナリティ』であり、それがグローバル社会での日本人としての『アイデンティティ』、『誇り』だと思います」と結ばれました。

「近自然」によるまちづくり

Posted by 秋山孝二
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 スイス近自然学研究所代表の山脇正俊(http://web.me.com/masatoshiyamawaki/homepage/profile-jp.html)さんをお迎えしての講演、1年に一回は日本に来て、札幌でも毎年講演をされています。

 主催は、「スローフード・フレンズ北海道(http://www.slowfood-friends.org/)」で、今年で9年目の近自然セミナーです。フレンズHPの活動記録に、2003年からの様子が掲載されており、代表の湯浅優子(http://www.netbeet.ne.jp/~tabitoka/heart/05tuttyan.html)さんは「ファームイン」の草分けです。共催は「北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト(http://www.enechan100.com/http://ja-jp.facebook.com/enechan100)」、「北海道エコビレッジ推進プロジェクト(http://ecovillage.greenwebs.net/about.html)」でした。

山脇さん:中代達矢に似た風貌

山脇正俊さん:中代達矢に似た風貌?

 当日の逐一の報告は書き留めませんが、先日、同じく参加した鈴木善人さんは自身のブログ(http://www.leaps.jp/?p=2940)で内容をコンパクトにまとめています。経営者から見ると、「リスクマネジメント」という言葉で「近自然」を語って頂けたことが、最も腑に落ちるポイントかなと、やはり経営者の鈴木善人さんのブログを読んで感じました。

 特に印象に残ったフレーズは、~~~環境配慮は「危機管理:リスクマネジメント」であり、4つの原則がある:1)事前の周到な準備、2)危機の認識、3)迅速で適切な回避行動、4)対処より予防~~~~まさに「経営」そのものですよね。

 もう一つ、「スペシャリスト」に対する言葉で、従来の「ジェネラリスト」は英語の語感が良くなく、「ユニバーサリスト」が使われる場合が多いとか、日本語では「万能家」と訳しているようです。

 基本的概念で、食、農、エネルギー、景観、近自然等、皆共通するものがあります。

さっぽろアートステージ2011

Posted by 秋山孝二
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 今年で7回目、「さっぽろアートステージ2011:http://www.s-artstage.com/2011/」が始まりました。

 「さっぽろアートステージ」とは、札幌で活躍するアーティストに発表の場をつくり、その作品を市民と一緒に観て、ふれて、感じるアートイベントです、市内各所で関連イベントも盛んです。

駅前地下通路で

駅前通り地下通路で

 「アート」は、ふれて、感じて、はじめて楽しめるものだと思いますね、HPには次のように書かれています。

~~~~~その「アート」を街に開放し、気軽に楽しめるように、わたしたち「さっぽろアートステージ」はアーティストと市民がつながる「アートの入口」をつくり出しています。その入口は、舞台へ、現代アートへ、音楽へつながる入口です。そんな入口を街の至る所に出現させ、みなさんと「アート」の距離を縮めたい、「アート」を身近に感じてもらいたいと思っています。

 2011年もアートステージは「舞台芸術部門」「学生音楽部門」「音楽部門」「美術部門」の4部門で構成。「特別企画」として今年限定で、3月に開通した「札幌駅前地下通歩行空間」を舞台に「キックオフイベント」を開催いたします。アートステージのスタートとなる「キックオフイベント」ぜひ、ご期待ください!~~~~~~~~

 キックオフイベントは、今月5・6日に地下通路で開催されました。

地下通路での展示

地下通路での展示

 一方、 「札幌劇場祭:TGR(http://www.s-artstage.com/2011/tgr2011/)」も、先月下旬から、先立って市内9つの劇場で一層レベルアップし始まっています。

琴似・パトスロビーで、多様なチラシ

琴似・パトスのロビーに揃う多様なチラシ

 今年も私は審査員として、1カ月に32本のエントリー演劇を観ることになり、すでに8本は終わりました。昨年は初めての審査で要領も良く分かりませんでしたが、その後1年経ち、今年はかなり周辺情報も増えていますし、しっかりした審査で臨みます。今年の私の視点を、劇場祭のHPに掲載しています。

~~~~~<コメント> 3・11以降、芸術・文化の価値が人々に生きる力を与えるとして、高く評価されています。まだ一度も演劇を観たことの無い、或いは「敷居が高い」と敬遠している多くのごく普通の市民に対して、劇場に足を運んで貰う努力・意欲が感じられること、芝居を通して伝えたいメッセージ、問題提起が明確であること、そして何か新しいものを追いかけている姿、等が私の視点です。演劇に興味はありますが、基本的に「素人」の立ち位置にこだわりたい、北海道の演劇人に期待しています!~~~~~~

●今年のTGR札幌劇場祭大賞の審査員は以下の7人です。
・飯塚 優子 (レッドベリースタジオ主宰) ※審査委員長
・早川 渉 (映画監督)
・秋山 孝二 (NPO法人北海道市民環境ネットワーク理事長)
・松井 哲朗 (劇評誌「続・観劇片々」主宰)
・桑田 信治(株式会社インテリジェンス anウィークリー北海道版編集担当)
・北田 静美 (株式会社ウエス CREATIVE5 営業企画 プロデューサー)
・森  彩夏 (北海道教育大学岩見沢校 芸術文化コース  アートマネージメント音楽研究室所属4年生)

 12月4日は、午後から公開審査会があり、そこで大賞他が決まります。実は、私の所属、この「秋山財団」から「NPO理事長」に変更しました。肩書を入れると漢字が20文字以上も続くことになり、芸術・文化には馴染まない(?)と勝手に自分で判断して代えました!

 

  更に、今年から「常設」となった「500m美術館:http://www.s-artstage.com/2011/artstreet_about/」も一段とレベルアップです。

今年から「常設」へ:500m美術館

今年から「常設」へ:500m美術館

  芸術の秋、札幌は今、盛りなり、ですね。

中川ヒデアキ:追悼ライブ

Posted by 秋山孝二
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  「中川ヒデアキ:追悼ライブ」が、札幌市西区八軒のレッドベリースタジオ(http://www.akai-mi.com/)で開催されました。ここで昨年は10周年記念企画で、こんなコンサート(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5248)も。

 数少ないインド古典音楽の演奏家として知られた札幌在住の中川ヒデアキさんが、がんにより9月15日に57歳で亡くなりました。演奏仲間には「デンさん」の愛称で慕われ、インド音楽と釣りが好きだった中川さんを悼み、友人らが札幌市内のライブ喫茶などで追悼ライブの企画、初日でした。

右:シタール、左:タブラ

左:タブラ、右:シタール

 この回は、シタール・井上憲司(http://www.kenjiinoue.com/)さん、タブラ・逆瀬川健治(http://homepage2.nifty.com/souhadou/index/Home.html)さんの演奏でした。

タブラ演奏:逆瀬川 健治、シタール演奏:井上憲司

タブラ演奏:逆瀬川 健治、シタール演奏:井上憲司

 とにかく、一つの曲が長いです。初めてだったので、最初は旋律を追いかけて追いかけて、そのうちに催眠術に掛ったみたいに眠くなります、退屈で眠気がくるのとは違います。それからなおも淡々とシタールの響きとタブラのリズムが織りなす不思議な音楽、結局曲の終りが第一部の終了でした。

 私は中川さんには生前お会いしたことはないのですが、こうやって追悼ライブが、以前の仲間たちによって開催されて多くのファンが集まる、死してなおの存在感、素晴らしいですね。

六華同窓会2011

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
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 高校の「六華(りっか)同窓会:http://www.rikka.net/」の総会・懇親会が、今年も盛大に開催されました。東京には「東京六華同窓会:http://www.tokyorikka.jp/」もあり、こちらは6月に行われました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9007)。

オープニング:吹奏楽部

オープニング:吹奏楽部

  オープニングは吹奏楽部の演奏、続いてダンス部のはち切れそうなパフォーマンス。今年も600名を越える同窓生の登録があり、「絆」を確かめ合ったひと時です。毎年、年長者順に着席テーブル、私たちの期は、この数年、「もうすぐ我々も着席組だよね」と、同期の連中と話をしていましたが、何と今年がその「着席組」だったではありませんか!座って歓談していると、何だかすっかり落ち着いてしまって、立っている若い世代との交流もそっちのけで、立派な「長老組」でした。こうして歳を取っていくのかと、少々の寂しさも感じながら・・・・。

ダンス部:素晴らしい笑顔

ダンス部:素晴らしい笑顔

  懇親会途中で、アコースティックギタープレーヤー、現役大学生・南58期の山木将平(http://yamakishohei.web.fc2.com/top.html)くんの演奏もありました(http://www.youtube.com/user/shoheiyamaki)。素晴らしいテクニックに加えて、特殊奏法等の作曲・演奏活動にもチャレンジし、チラシにあるように、まさに北海道の大地と空の広大さを感じさせました。会場では1stアルバムの「NORTH WIND:http://www.amazon.co.jp/NORTH-WIND/dp/B004OVSP6M」も販売されて、飛ぶように売れていましたね、楽しみです!

山木将人さんの演奏

山木将平くんの演奏

  昨年少し納得のいかなかった一中の大先輩達、今年は気合十分で、一中校歌、応援歌を堂々と歌い上げました!中53期の山本晋也さんは、歌詞を大きめに印刷して皆さんに配り、この日に備えたとおっしゃっていました。

一中同窓生の雄姿

一中同窓生の雄姿

 「六華同窓会」の幹事長をつとめている私は、今年の会誌に、「『自立した個』として生きる時代」と題して書きました。~~~~~~~~

 2011年六華同窓会総会・懇親会、とりわけ今年は、例年以上に開催できること自体を心からお喜び申し上げます。今年のテーマ、「『六華全書』~今、ひもとくとき」からは、多彩な同窓生の「今」と「人生」を紡ぎ、独自の「六華全書」をひも解いていきたいとの意欲を感じ取ります。これまで幹事当番期としてご準備にあたられた南36期の福沢康弘実行委員長はじめ、同期の皆様に心から感謝申し上げます。

本年3111446分に発生した巨大地震、それに連なる大津波、驚愕の東京電力福島原子力発電所事故は、多くの喪失感を生みながらも、今生きている我々に大きな課題を提起しています。そんな中で今年の当番期は、「『六華全書』に集約された『知』の力は、私たちの想いを必ずやかたちにしてくれると信じて」と、大変前向きに語っています、今ここ、まさに六華に集う人々の出番だというように。

 

7月の「FIFA女子ワールドカップ2011」で、「なでしこジャパン」の優勝は、私たちにたくさんの勇気を与えてくれました。選手たちは日々苦労の連続でここまでの道のりを勝ち取り、結果を出し、試合後のコメントも笑顔も実に爽やかでした。さらに今回の佐々木則夫監督は、男子の岡田前監督、ザッケローニ監督にも共通していますが、事前情報を基に戦略・戦術を駆使して「日本らしさ」を創り出し、試合が始まってからは選手に全幅の信頼を寄せて、試合後は選手を称賛してやまない、本当に素晴らしい采配でした。「駒として使う」というより、一人ひとりの考える力を信頼して、情況に応じた瞬時の判断を任せる、組織における「自立した個」の育成、まさに新しい時代の監督像です。311以降の日本に必要な人材は、自分の頭で考え続ける、こうした「自立した個」であり、取りも直さず、六華に集う人々そのものではありませんか。~~~~~~~~

 

3・11以降の同窓会、また「つながり」の新鮮さを感じて良かったな、と。