外国人の辛口コメント、「日本人って」

Posted by 秋山孝二
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 この3週間くらい、海外で、国内で、外国人と随分話す機会がありました。3・11以降の日本社会の様子をそれぞれ情報収集しながら、かなり「辛口」の日本人評を耳にしました。でも、不思議と意外性はなく、「あなたもそう思うか」というお話が多かったですね。

 70歳代のハンガリー人、これまで彼の人生で、自国の国境が4回変わり、ひどい時は1,000 ㎞も国境が奪われ移動した時代もあるとか。領土は伸びたり縮んだりするもの、とわきまえるべきではないか、尖閣諸島、北方領土等、日本人は領土問題に関心がなさすぎ!、ロシアという国は領土拡大だけを考えてきた国、とのご指摘。

 ハンガリー人は、「トランシルバニア」で絆が結ばれているのでしょうね。たとえばルーマニア国境で理不尽に入出国で待たされても、「従順」というのとは違って、「耐えながら機会をうかがっている」という感じです。「インビクタス:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3298」ですね。そして、国に何を期待できるのか(何もできない)と、基本的な部分で腹くくりができているみたいな。

 ドイツ・ハノーバーの見本市でブースに立ち寄ったドイツ人が、「フクシマ原発報道」について、東京電力はどうして起きている事実を隠すのか、マスメディアはなぜそれを追及しないのか、或いは一緒になって隠しているのか、そして日本人はどうしてその状況を許して問いただそうとしないか、と。そんな国民性がマスメディアを甘やかせているのではないか、と。確かにこの間、「原発事故」に関して、インターネットの多くのサイトで、ドイツメディアの果敢な報道を眼にします。

 金融機関に勤めるスイス人が、あまりに従順で大人しい日本人の行動について、考えられない!と驚きを隠しません。これだけ広範囲に放射能汚染が明らかになりながら、街頭デモも殆ど無しとは信じられない、と。「基本的人権・生存権の侵害」以外の何ものでもないだろう、そう言った静かな国民性に政治家たちが甘えている状況は、とても先進国とは思えない。もっともっと政治が緊張感を持たなければ優れた人材も育たないし、人材もこの世界に入ってこないだろうと。今回の大事故で何も変わらなければ、更に日本の政治家は国民をなめてかかるだろうね、と。

 ふだん静かで政治的な話題は殆どしない彼は、尚も続けます。日本の経営者数人に今回会って話をしたが、皆、実にネガティブに今の日本の経済状況を語っていた。でも、グローバルな視点からみて、今の日本のポジショニングは依然高いレベルにあり、そこから前に進む意欲をこのところの経営者に感じられない、飢えで苦しんでいるわけで無し、失業率だって他国と比べて決して高くはないではないか、まさに「ゆでカエル」状態であり、そのことが危機的である、と。過去の財産に寄り掛かって緊張感を失くしていると多くの国は見るだろう、とも。

 ギリシア問題から始まり、EUについてはかなり悲観的な展望でした。スイスはEUに加盟していないので、スイスの政治指導者に感謝するとも。それでも日本同様、現在スイスフラン高で、輸出企業の多いスイスもチャレンジだと。ただ、今のところは企業業績は悪くは無い。アメリカも確かに難しい局面だが、それでも一国であり、まだ大統領・政府の統制下で政策変更等、方向性を見い出せるが、EUはその下に各国の政府・議会・国民がいて、あまりに関わる利害関係者が多すぎて、スピードのある決断による転換が難しく危機的であると。そんな理由で、「社債」はまだしも、「国債」はリスクが高すぎる。

 見本市でプースに来たイラン人が、日本はどうして外国とのコラボレーションに高いハードルを設定するのか、と。優れた技術に憧れて学びたい発展途上国の人々に、もっとオープンでいいのではないか、それが優れている日本の使命だろう、と。

 同じくブースに来たチリ人が、地震についてチリも多発する国だと話し始めました。日本は地震の研究では大変優れているにも関わらず大きな被害だった、チリも昨年2回大地震に見舞われたと。

 まだまだたくさん紹介したい話はありますが、切りがありません。総じて「日本」という国に対しては、幻想と思われるほど評価が高く、逆に私が困惑する感じです。でも、ダイナミックに変動するグローバルな課題に比べれば、今の日本国内で日々問題とされている多くのことは、内向きの些細なことなのかもしれませんね、それに気がついていない現状こそが、「危機」であると、そう強く思っている昨今です。「世界に果たす日本の役割」、そんな自らへの問いが、今の日本を打開するきっかけのような気がします。

IBM 北海道会議、ニセコで再び!

Posted by 秋山孝二
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 ここへの掲載は後先になりましたが、海外出張の直前に、日本アイ・ビー・エム社のCSR活動(http://www-06.ibm.com/ibm/jp/company/environment/symposium/2006/pdf/06prog06.pdf)の一環として、26回目を迎えた「IBM 北海道会議」が、今年はニセコ町(http://www.town.niseko.lg.jp/goannai/gaiyou.html)で再び開催され、私にとっては実に懐かしい「復活参加」でした。第一回から第三回まで、今から20数年前に、まだ私が30歳代の時にお誘いを頂いて参加し、確か当時最年少だったような気がします。

 今回はあいにく雲が多い天気で、羊蹄山は全景を見ることは出来ませんでした。昔、私の子供たちがまだ小さかった頃、毎年年末に数泊、家族でスキーに来ていた頃を思い出しました。札幌からの猛吹雪の中のドライブは、フロントガラスに額を付けるようにして運転したことも懐かしい想い出です。40年以上前の山田温泉、アルペン山荘等の当時、家族で毎年行っていた20数年前と、同じニセコでも随分雰囲気は変わってはいましたが、羊蹄山・ニセコアンヌプリの雄姿は相変わらずでした。

羊蹄山はあいにく曇り空

羊蹄山はあいにくの曇り空

 今回の会議は本当に久しぶりの参加で、変わらぬ行き届いた運営に、私は「懐かしさ」は噛みしめながら基調講演・分科会と席に着いていました。ただ分科会「エネルギー」で議論が始まるにつれて、若い世代の数々の発言に、私は確かな時の経過を感じましたね、昔とこの場での自分のポジショニングの違いを。 

 議論の詳細は省略しますが、特に印象深かったのは、ニセコ町・片山健也(http://www.katayamakenya.com/)町長、秋山財団の評議員でもある釧路公立大学・小磯修二(http://www.kushiro-pu.ac.jp/faculty/edu_staff/koisosyuji.html)学長のお話でした。小磯先生は、「国土の復興、創生と北海道」と題して、ベルリンの都市開発をプロローグに、「平時の論理と非常時の論理の違い」、「地域主体の政策構築を」等、新しい視座から意識改革を促しました。片山町長の「環境への厳しい基準が、町の魅力になる新たな時代の到来」、実に説得力のある貴重なメッセージです。

 丁度、2日間の会議終了直後に海外出張でベルリンにも行く予定があり、小磯先生からベルリンの都市開発のキー・スポットも個人的にメールで教えて頂き、何か不思議な「縁」を感じました。

2日目の分科会発表

2日目の分科会発表

  2日間の日程終了後、オプショナルツアーにも参加し、1) 「有島武郎記念館:http://www.town.niseko.lg.jp/arishima/index.htm」を久しぶりに訪れました。以前よりも随分増築されて、一段と整備されていました。

有島武郎記念館

有島武郎記念館:2階から

  2) 「SLニセコ号:http://www.jrhokkaido.co.jp/travel/slniseko2011/index.html」、懐かしいですね、あの蒸気機関車の煙のにおい、高い天井の客車、「ピューュ!」という空に向かう汽笛の音!

SLニセコ号

SLニセコ号

何とも懐かしい車内で

何とも懐かしい車内で

 思わず「懐かしい!」を連発してしまいました、北海道は、本当に奥深い自然を有しています。190万都市札幌からわずか2時間の所に、こんなダイナミックな場です、この代えられぬ資源を大切に持続可能なこれからの地域の価値を高めたいですね!何か言い知れない「エネルギー」を頂きました、ありがとうございます。

追悼、R.Kevin Stewart

Posted by 秋山孝二
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 R.Kevin Stewart の葬儀は終了したようです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以下、メールの引用

 ケビンさんの葬儀及び埋葬は、季節外れに暖かく良いお天気の日に、悲しいながらも大勢の弔問客に見守られながら厳かに行われました。日本関係者は、現在MPアグロの輸入業務を行っている三洋貿易のNY社長及び業務担当の方が来られました。

 私と夫が最期に会わせていただいたのは、彼が亡くなる前の週末でしたが、彼はお寿司が大好物だったので、カリフォルニアロールを持って行きました。マリアさんが「お寿司食べる?」と聞くとうなずき、少しずつ食べさせようとする彼女に自分に握らせてと言うように右手を上げて、6ピースをほぼ間食し、居合わせたご家族、マリアさんのご両親と弟さんのご家族を驚かせました。お通夜の際に、マリアさんからあれが最期の食事だったとお聞きし、二人で涙しました。

 秋山様及びその他の方から送られたお花とメッセージは確かにお供えされていました。埋葬の後、ご自宅でランチをとりながら生前のスライドショーを見たりする故人を偲ぶ集まりがあり、大きなご自宅ですが入りきれないほどの人で埋まっておりました。たくさんの方々に惜しまれ、たくさんの涙とともに送られながら永眠されました。

以上、ご報告まで。

エルドス喜代美          Date: Thu, 13 Oct 2011

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

アラスカの海で、氷河を背景にkevinとともに

アラスカの海で、氷河を背景にkevinとともに:1995年7月

 それにしても未だに彼の死は信じられません。彼との最初の出会いは、20年以上前、日本の「JETプログラム:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/hito/sei/jet/index.html」で北海道庁で2年間の勤務を終えて、当時の秋山愛生舘の5階に帰国の挨拶に来た時でした。「オレゴンに戻るけれど、もし何かアメリカでの仕事があれば遠慮なく連絡をして欲しい」旨の話だったと思います。翌年オレゴン・ポートランド市を訪問した時、日本食レストラン「禅」で昼食をしながら、再会を喜び、楽しく話をしたのを覚えています。

 そして、翌年でしたか、オレゴンとは全く逆の東海岸ボストンに現地法人を設立するに当たって、最初のつまずきがいろいろあり窮地に陥っていて、私はボストンのホテルからオレゴン・セーラムに居るkevinに電話をしました、「kevin、急で申し訳ないけれど、今すぐにボストンに来てくれないか」と。

 翌日の夕方、ボストンのホテルフロントで彼の後姿を見つけた時、恥ずかしながら涙が止まりませんでした、すぐに駆けつけてくれた彼の「気持」に感激して。秋山愛生舘の海外展開の礎であり、特にAHIC(Autumn Hills International Corporation )設立に当たっては、Kevinはまさに最大の恩人でした。その後私の後任として社長に就任し、スズケンと合併後に、自分で全ての株を買い取り、以来一貫してヘルスケアビジネスの世界で頑張ってきたKevin。自宅地下を「ホームオフィス」としたとの連絡を受けて訪問したことがありました。行ってびっくり、ボストンマラソンのスタート地点、大変大きな家で、地下と言っても立派な広いオフィスでした。私はこの恩人を今までも、これからも生涯忘れることはありません。

 仕事は勿論、アメリカでゴルフを何回も一緒にしたこと、フェンウェイパークでレッドソックスを何回も見に行って、始まる前に必ず球場外のイタリアンホットドッグを食べたこと、ビジネスでもとにかく彼の堂々たる対応に勇気づけられることが何回もありました。結婚式にも招待して貰いました、私はカラオケテープ持参で、「乾杯」を唄いました、忘れられませんね。

 日本人のビジネスパートナーとフロリダでゴルフもしました。ワニが居たり、カメが居たりで大騒ぎでした。アラスカにも一緒に行きました、彼が全行程バンを運転して、叔母さんが経営するキーナイ川の立派な釣り宿に泊めてもらい、キングサーモン他、エキサイティングな釣りの想い出は一生忘れられません。

 チャレンジツアー、フォーサイトツアー、その他の研修旅行でお世話になった数多くの人たちが、Kevinに感謝しています。海外旅行をするたびに感じます、私にとってAHIC設立時・採用面接、その後の社長としての体験は、今も貴重な財産となっていることを。飛びきり優秀だったキャレン・ローゼンバーガーが逝き、今回Kevinも亡くなり、設立当時のメンバーが若くしてこの世を去り、何とも寂しい限りです。

 どうか、残されたMariaさんと3人のお子様たち、お力を落とすことなく、これからも元気に生きて頂きたいと願いつつ、遠い札幌の地からご冥福を心からお祈り申し上げます。

「バイオテクニカ 2011」、開幕!(後)

Posted by 秋山孝二
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 この見本市の趣旨は、「生命工学のあらゆる分野の展示と国際会議及びセミナーを同時開催することにより、最新の市場情勢と将来の可能性の豊富な実例と情報を提供する」です。これまで2年に一回の開催でしたが、今年は昨年に続いてで、企業・関係団体・大学を含めた研究機関等、世界28カ国から620団体が出展、海外はヨーロッパを中心に198団体です。2007年より、「バイオテクニカ」を総合的・国際的なイベントとするべく、「展示」、「コンファレンス」、「パートナリング・マッチング」、「バイオテクニカ アワード」の4つの柱を中心に展開されています。次回は2013年だそうです。

「Messe」正面玄関前

「Messe」正面玄関前 

  「ハノーバー国際見本市会場:http://www.messe.de/homepage_d」は、メッサーシュミット社の工場跡地、広大な敷地に建設されて、今回はその20数施設のごく一部の使用です。市内中心部からは地下鉄(郊外では路面電車)で20分程度、入口までは大変便利ですが、中はバスでないとかなり歩きます。初日は強風に雨、ただ二・三日目は気持のいい天気だったので、朝、正面玄関から歩いて会場まで行きました。

 秋山財団の出展の目的は、生命科学分野での「ネットワーキング」支援、情報収集、バイオ分野の方向性等、今後の事業展開の模索です。今年25周年を迎えて、今年度は新たな5ヶ年計画の策定時となっています。これまでの経済的支援事業プラス、研究者のネットワーク・視野拡大へのサポートとして、向こう25年を見据えて何かプログラムが用意できないかと、そんな視点から参加していました。

 お陰さまでブースでお会いした方々、あらかじめアポを取って「パートナリング・マッチング」で意見交換した団体、会場で訪問してお話をじっくり聴いた団体等50を越え、「Face to Face」の話しあいで濃密な3日間でした。札幌に戻った後、これらをどうフォローアップするか、今から大仕事の予感がします。スイス、オランダ、ドイツの各州、韓国等では、国・州の旗を掲げてプラットホームをアピールしていましたね。

 一日目の夜、「バイオテクニカ アワード」の表彰式と大パーティに招待されましたので、今後の参考になるかとの思いで出席しました。

元産業技術大臣は延々30分以上のオープニング・スピーチ

元産業技術大臣は30分以上のオープニング・スピーチ 

 事前に45分くらいの授賞式だと聞いていましたが、開会自体が10分遅れ、それぞれのご挨拶、特に写真の元産業技術大臣のスピーチが延々30分越える「講義?」となり、全てが終了して時計を見ると1時間半を回っていました、空腹を前にです。「几帳面なドイツ人」のイメージは、二日前のベルリンからハノーバーまでの電車の大幅な遅れと相まって、私としては大きく崩れ始めています。「権威主義的」とでもいうのか、もっと新しい演出のある授賞式でいいと思うのです、「もう少し聴きたい」、「もう少し見たい」、全てを3割くらいカットすると、実に素敵なイベントになるのでしょうが、従来型の権威に対して運営側が誰も言い出す勇気がない、少々辛辣過ぎますでしょうかね、来賓席に席を確保して頂き、ただで飲み食いの厚遇もして頂きながら・・・。

 それとは対照的に、見本市会場の幾つかのブースでは、午後4時半頃を回ると、オシャレなイベントが繰り広げられていました。2日目終了間際のスイスブース、グラスワインが赤白テーブルにいっぱい、伝統楽器の音色が会場中に響きます、このために地元から演奏者をご招待したとか、いろいろですね。

 今回久しぶりに外国の方々とじっくりお話を致しました。スペインの若者は素晴らしいテンポと躍動感あふれる眼差しで、彼のミッションを説明してくれました。イランの医薬品関係の方は、「日本はどうして海外とのコラボに対して敷居を高くしているのか」と率直な苦言、東ドイツ出身の私と同年輩の大学関係者の方からは、「ベルリンの壁崩壊」後について、生活者の視点からもろ手を挙げての喜びでは無い現実を伺うことが出来ました、貴重なお話でしたね。ベルリンのブランデンブルグ門でも感じたのですが、私は「東西冷戦」、「ベルリンの壁」にこだわり過ぎているのかも、との反省もしています、すでにそれは多くの人にとって「過去の歴史」であり、若者中心に確実に新しい時代が走り出している、そんな実感を今回強く持ちました。

 今回いろいろ準備、当日ブースでのご支援等して頂いた「ハノーバーフェアーズジャパン(株):http://www.hannovermesse.co.jp/repraesentauten/biotechnica.html」の盛健一社長、ドイツ語通訳の田口理穂さん、本当にお世話になりました。盛社長からは豊富な海外駐在経験、とりわけ南アフリカ、マラウィ等のお話は大変興味深く勉強になりました。また、今回の参加に背中を押してくれました同社の樋渡さん、青木さんにも、心から感謝申し上げます。

「バイオテクニカ 2011」、開幕!(前)

Posted by 秋山孝二
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 ドイツ・ハノーバーで、今年も「BIO TECHNICA(バイオテクニカ) 2011」が開催されました。今回、秋山財団は初めてブースを開設して参加していますhttp://www.hannovermesse.co.jp/repraesentauten/biotechnica.html

見本市全体

ハノーバーの「MESSE」で見本市全体

メッセ会場では、外の風で「クジラの鳴き声」も聴けました!

クジラがモチーフのメッセ会場では、外の風により中のパイプが「クジラの鳴き声!」を出す

  秋山財団ブースはコンパクトですが、初日から予想以上の方々の訪問がありました。ブースでは、一人、開始前に50年ぶりくらいでクレパスを握って、日の丸と「JAPAN」の文字を書く男性がいました。

秋山財団のブースです

秋山財団のブースです

 

 「HOKKAIDO」はすごいブランド力です!「SAPPORO」もかなりの知名度ですね、特に「1972札幌オリンピック冬季大会」については、訪問してきたヨーロッパ各国の方々が懐かしそうにお話をされていました。

初日終了後の1300人のパーティ:何とこんなメニューもありましたよ!

初日終了後の1300人のパーティ:何とこんなメニューもありましたよ!

 一日目の夜は授賞式と、続いて1300人参加の懇親会でした。ビュッフェスタイルの食事コーナー、最初のスープの表示に驚きました、「Cream of Hokkaido pumpkin soup」です。地元ハノーバーで、「Hokkaido Panpkin」は高級かぼちゃとして人気が高いと聞きました。これが確かに北海道からの輸入品かどうか、日本に帰ってから検証します。

週末、ベルリンの空は青

Posted by 秋山孝二
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 ベルリンはこれまで一度も行ったことがなかったので、というより1989年前には生きている内には到底無理だと思っていましたので、今回、またとない機会であり、週末に少しだけ寄ることにしました。

 一番の興味は、冷戦構造のシンボル「ベルリンの壁」で、今それがどうなっているのか、市民はどう受け止めているのか、です。空港からのタクシー運転手は、彼が10歳の時に壁が崩壊し、あっという間に無くなって驚いたと笑いながら語っていました。現在、市内三か所にモニュメントとしてしっかり残し、歴史資料も写真入りで豊富に展示されていました。特にナチスが政党として熱狂的に迎えられていた時期からの解説、戦後の裁判の記録は、その意味する所が理解できます。2年前のアウシュヴィッツ訪問時(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1485)も説明がありました、それが仕組みとして、政策として実行されていたことに我々は目を向けなければ再発は防げない、と。

ナチス秘密警察本部前の壁

ゲシュタポ本部前の壁

レンガの壁の跡に歴史の展示が約200メートル、更に右側に立派な資料館

レンガの壁の跡に歴史の展示が約200メートル、更に右側に立派な資料館

East Side Gallery(1㎞以上続く)

壁を使った「East Side Gallery」、1㎞以上手前側に続く

  ブランデンブルグ門は、東西冷戦の象徴のような場として記憶にありましたが、今はその面影は無く、多くの観光客で賑わっていました。広場ではあちこちでパフォーマンス、もっと厳粛な場と勝手に想像していましたので拍子抜けでした。私が考えている以上に、時代は先を行っているのでしょうね。

ブランデンブルグ門:旧東ドイツ側から

ブランデンブルグ門:旧東ドイツ側から

写真スポット?左後ろでは冷戦時代の象徴する国旗も登場

写真スポット?左後ろでは冷戦時代の両国旗も登場

お金を受け取るたびに少しの動きです!

お金を受け取るたびに少しの動きです!

  街全体は、トラディショナルとモダンが調和した街づくりで、ゾーンの位置づけ等、ち密な議論と計画の奥深さと感じました。鬱陶しい壁を壊して、主要駅の開放系の設計は、明るさと機能性に優れていて、これまでの歴史的建造物と対抗するのではないというメッセージも感じて取れます。

ベルリン中央駅:開放系5段構造

ベルリン中央駅:開放系5段構造

 今回の短い滞在、美術館・博物館系の見学を全くスキップして、タイトルをつけると「歴史とまちづくり」系とでも名付けましょうか、ディテールはまたの機会に訪問できればと多少残念な気もしながら、ハノーバーに来ました。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(4:終)

Posted by 秋山孝二
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 私はこれまで7年間に、ワグナー・ナンドール関係、演劇関係で5回、ルーマニアとハンガリーの国境を陸で越えました。同行メンバーも全く違うのですが、いつも印象的なのは「ハンガリーの大平原」ですね、とにかく「大」です。

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

  高速道路はどの国でも同じ景色(?)で退屈ですが、一歩降りて地方の集落をゆっくり抜けていくと、歴史と人々の暮らしの「におい」が感じられて興味深いです、韓国もそうでしたね。確かにこの地に来ている、外国なんだという現実感とでも言うのでしょうか。

デブレツェンからの古代の国道

東部の街・デブレツェンから続く古代の国道

爆撃で落ちた教会の鐘:モニュメントに

セーケシュフェヘールバール:爆撃で破壊されて落ちた教会の鐘:モニュメントに

 ハンガリーの場合は長い歴史の中で、何回もの不条理な社会状況がありましたから、自立した市民は、一層「モニュメントとして残す」、「記念碑のような形として意志を示す重要性」を、知恵として持ち続けている気がします。「国に何かをお願いする」とか、「国に何かを期待する」みたいな話が出てこないですね、地方自治体はエネルギーがあり、これまでの多くの犠牲の中から自分たちの暮らしをしっかり「守る」術(すべ)を持っているのでしょう。毎回ここに来ると感じる「におい」です。

 セーケシュフェヘールバールでの発掘作業と復元プロジェクトは実に面白かったですね、そしてそこに世界からの考古学者が参画している事実も。古い歴史を検証することとこれからの新しい時代を創る仕事が、「今、この場」の活動で結合している、腑に落ちるお話でした。

 今回3か所で、ワグナー・ナンドールの作品とそれに共感する多くの皆さまと私はお会い出来ました。ここまで作品の建立に至る道には、それぞれ苦難の物語があり、ハンガリーの「Academia Fumana」理事長のキッシュ・シャンドールさんを筆頭に、ワグナー・ナンドール没後にハンガリーで建立推進を担われた方々、日本でワグナー・ちよ理事長の「ワグナー・ナンドール記念財団」と支援されてきた方々のご尽力に心から感謝申し上げます。

 「戦う」という言葉に何か抵抗感を持つ昨今の日本社会、「精神の戦い」は個人レベルでも社会レベルでも、戦後日本が失くした、或いは忘れた価値ではありませんか。歴史に誠実に向き合う、そこに今の難しい時代を生きて、将来に向けた価値創造のヒントがあるような気がします、ヨーロッパのせめぎ合いを生き抜いている、「アジアの同胞」からの学びです。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(3)

Posted by 秋山孝二
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 このシリーズ最終日は、ブダペストから約1時間西、バラトン湖手前の古都・セーケシュフェヘールバール(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/246751/m0u/)、ワグナー・ナンドール作「ハンガリアン・コープス像」のある広場で、市民挙げての式典でした。広場の中心にある像、空高く突きあげる指の表現に、作者の強いメッセージ「希望」を感じます。

右が「ハンガリアン・コープス像」

右が「ハンガリアン・コープス像」

  式典では、市の代表、「Academia Fumana」を代表して日本大使夫人とワグナーちよさん、そして日本の「ワグナー・ナンドール財団:http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html」を代表して評議員の堅田さんと私が、それぞれ兵士二人が運ぶ後をついて献花しました。あらかじめの連絡はなく、直前の指示に戸惑いながらも、我々の名前が大きく呼ばれて身の引き締まる思いでした。ただ、ここでも決定的証拠写真が撮れず、日本に帰ってから誰か撮影している方を探し出す必要があります。兵士、子供たち、楽隊、政治・行政の幹部、ピーンと張り詰めたあの緊張感が、たまらなく感激でした、絵になるというか、毎年こうやってメッセージを伝え続けて、自分たちの歴史に対して真摯に向き合っている姿への感動かもしれません。

式典前、少し緊張気味の旗手・高校生たち

式典前に彫刻を囲み、少し緊張気味の旗手・高校生たち

式典に参加の右・副市長(文化・芸術担当)、左・県議会議長

式典に参加の右・副市長(文化・芸術担当)、左・県議会議長

 式典の後、副市長のご案内で街の中心部を歩きましたが、まるでテーマパークのように見事な景観を形成しています。市議会議場でも説明を受け、歴史の一コマに居る雰囲気をかもしだす、重厚で厳かな議場でした。その後、リニューアルした歴史的建造物について考古学者の方によるご案内・説明も興味深く、歴史の節目・節目に壁の増改築もあった様子が石の積み上げの違いで検証されたり、またそれらを透明の壁で「見える化」しながら、結婚披露宴会場として今も活用する、保存・展示の技術にも驚きました。今もなお遺跡の発掘作業が続いていました。

 前日のナジュバラドでは、朝の6時に教会の透き通る鐘の音で目を覚まし、ここでは正午に、市内十数か所の教会が次々と鐘を鳴らし、時を告げていました。その鐘の音を聴き終えて、空間を復元したレストランで副市長主催の昼食会が和気あいあいで開催。

市議会議場

市議会議場

 この街は人口10万人少し、数100年間、歴代の国王の戴冠式が行われていた誇りが、圧倒的な存在感と自信をを示しています。市庁舎・議場の壁には大きな絵画が掛けられて、どうみても美術館といった建た住まいです。「自治」の伝統、歴史への誇り、今の殆どの日本の地方自治体が持ち合わせていない「エネルギー」のようなものなのでしょうね、とにかく感動しました。

<12日に追加分:公式写真集と地元テレビの報道>

http://www.szekesfehervar.hu/viewer.php?image=0&group=90042
 
http://www.fehervar.tv/index.php?pg=video&cid=16&vid=4572&autoplay=true

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(2)

Posted by 秋山孝二
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 翌日、ルーマニアからハンガリー・ブダペストにマイクロバスで移動中、大平原のフン族の末裔が多く住む農村での一コマです。

大きな風車:ハンガリー西部の農村

大きな風車:ハンガリー東部の農村で

 ブダペストに到着して午後5時からは、ペトフィ文学博物館(http://www.pim.hu/object.1160b1a4-08c9-4ea9-bb65-1d30e97d1eb0.ivy)で、「『哲学の庭』建立10周年記念シンポジウム」が開催されました。在ブダペストの伊藤大使ご夫妻他200名の参加者があり、大変盛大な会となりました。ナジュバラドとこのフォーラムは、いずれもハンガリー・ブダペストを本拠に活動する「Academia Fumana Foundation」が主催しています。

 この様子は「在ハンガリー日本大使館・館員日誌:10月5日」に掲載されています(http://www.hu.emb-japan.go.jp/jpn/annai/diary1110.htm#1)。また、1年前のサイト(6月17日:http://www.hu.emb-japan.go.jp/jpn/annai/diary1006.htm)にも「哲学の庭」について掲載されています。

「哲学の庭」建立10周年記念フォーラムで

記念フォーラム壇上でご挨拶をされる伊藤哲雄・日本大使

 私は最前列に着席していて会場全体を撮影できず、雰囲気を伝えられないのが残念です。終了直後にやっと撮った一枚です。

満席の聴衆:終了直後の様子

満席の聴衆:終了直後の様子

 「哲学の庭」の彫像群は現在、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘近く、東京都中野区の哲学堂公園、そしてワグナー・ナンドール記念財団の本拠地である栃木県益子町の3か所に置かれています。ナンドールは、「私は文化、宗教などの相違点よりも、各々の共通点を探しているのです。共通点を通してしかお互いに近づくことは出来ないのです」と、この彫像群のメッセージを語っていました。

 ブダペストにある彫像群は、数年前に3体が盗難に遭い、円形台座の一部も切断・持ち去られました。世界的な金属需要による盗難事件の一環と思われますが、地元・関係者のご尽力でその後修復・設置されました。ワグナー・ナンドールの人生同様、幾多の困難をも乗り越えて今日を迎えている、そんなお話も興味深かったです。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(1)

Posted by 秋山孝二
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 ワグナー・ナンドールについては、この欄で何回もご紹介しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%AF%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB)。

 日本の「公益財団法人 ワグナー・ナンドール記念財団:http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html」は、今年4月から新たなスタートで、これまでの活動・作品については、「アートギャラリー:http://www.wagnernandor.com/artgalery.htm」でご覧頂けます。今年の春の展示会は、東日本大震災の被害で中止されましたが、秋は今月15日から一ヵ月、リニューアル・オープンです。

 今年は現地で一つの区切りとして、生まれ故郷から始まり、一連のさかのぼりイベント・式典等、濃密な日々でした。

 まずは、彼の生まれ故郷、現在はルーマニア領内、ハンガリー・ルーマニア国境を越えて数キロ西、「ナジュバラド:ルーマニア名・オラディア」詩人ヨーゼフ・アティラ銅像の前で、副市長ほか関係者の皆さまとの献花でした。製作後50年間、共産党政権下で同志たちによって地下に大切に保管されていた像です、ここに建立となるまで波乱万丈の歴史でした。

ちよ理事長と市長、アティラ像の前で

ちよ理事長と副市長、アティラ像の前で

  続いて公園から程近い、ワグナー・ナンドールの生まれた家を訪問しました。今は身内は誰も住んではいませんが、以前から玄関前には銘版とレリーフが据え付けられてあり、今回はその下に訪問団でリースを掲げてきました。

ワグナー・ナンドールの銘版:誕生した家の玄関で

ワグナー・ナンドールの銘版:誕生した家の玄関で

  夕方は、「ワグナー・ナンドールの芸術」、「東日本大震災」について報告があり、副市長もご出席頂き、興味深い内容に集まった50名の皆さまは聴き入っていました。開催したこの場が、ワグナー・ナンドールの熱烈な支援者、あのテーケシュ・ラズロー大司教の教会です。「ティミショアラの集会」で、当時のルーマニア・チャウシェスク政権崩壊の糸口となったことで有名です。

ちよ理事長:テーケシュ・ラズロー大司教の教会講堂でのフォーラム

ちよ理事長のご挨拶:教会講堂でのフォーラム

 故郷の心を歴史の中で持ち続けるマジャール人として、会場の雰囲気から強靭な「絆」の熱い思いを感じました。

R.Kevin Stewart 氏、逝く

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 突然の訃報に呆然としています。

ボストングローブ社、死亡広告より~~~~

 STEWART, Richard K. “Kevin” 49, of Hopkinton, formerly of Salem, OR, passed away on Saturday, October 1, 2011, at the Rose Monahan Hospice House in Worcester, after a brave battle with brain cancer.

 An avid fisherman and Red Sox fan, Kevin lived in Japan for two years and maintained friendships around the world. After working for many years in the import/export field, Kevin founded Health Tech Export Associates in 2004. He grew his business into a successful enterprise, connecting US and European human and veterinary health product companies with interested customers in Japan. Most importantly, Kevin was a beloved and devoted father, husband, son, brother, neighbor, and friend who touched many lives. Kevin is survived by his children, Isla, Aidan, and Carlin Stewart, and his wife, Maria (Baute) Stewart, of Hopkinton, MA, his parents, Richard and Dorothy Stewart of Escondido, CA, his sister, Paula (Stewart) Brust and her husband Kirk of Escondido, CA, and six nieces and nephews.

 Visitation will be held on Wednesday, October 5, 2011, from 4-8 p.m. at the Chesmore Funeral Home(www.ChesmoreFuneralHome.com) of Holliston, 854 Washington Street.

  A funeral service will take place on Thursday, October 6, 2011, at 10 a.m., at the First Congregational Church of Holliston, 725 Washington St. Burial will follow in Lake Grove Cemetery in Holliston. In lieu of flowers, donations may be made in memory of R. Kevin Stewart to either Caring Bridge at: www.caringbridge.org or to the National Brain Tumor Society at: www.braintumor.org

Published in The Boston Globe on October 3, 2011~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 Kevin は、私の海外ネットワーク構築の大恩人であり、未だにこの事実を受け入れることが出来ません。

 10/1(土)の夜11時頃、ケビンは最期を妻・Maria(マリア)さんに看取られながらホスピスで永眠されました。まだあまりにも若く、また奥様と12歳、10歳の双子のお子様たちを遺して逝かなければならないのは断腸の思いであったのではと、心が痛みます。マリアさんは、最期は”peaceful”であったとおっしゃっているそうです。最期の2ヶ月間ほどは、マリアさんは自宅から仕事をし、彼の看病、子供たちのことと、休む時間もなく献身的にされていて、木曜日の葬儀と弔問客への対応が終わる頃には、身も心も疲れ果てられるのではと心配しています。

 10日程まえに、ホスピス「Rose Monahan Hospice Home」に移られて、Kevinのホスピスのサイト(http://www.vnacarenetwork.org/services/hospice/rose)から、私のアメリカの友人が下記の妻・Mariaさんの記事を見つけてくれていました。末期を迎えている彼の状況と家族の優しさが伝わってきます。つらい記事ですが、彼の回復を祈っていた矢先でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 はじまり

 Kevin apdate Hi, all:

Just a quick note to, once again, THANK YOU for all of the love and support
you channel to us through this website.  Although Kevin was on hospice at
home, the move to the hospice house was really better for him and for our
family.  I think, in my head, I know this, but in my heart, the idea of him
leaving our home and not coming back has been very difficult and I’ve
questioned the decision so much.

Today, after a Kevin had a very restless night, we made the journey to the
Rose Monahan hospice home in Worcester, MA.  He tolerated the ambulance ride
well, and in fact, although he slept through it, he held my hand the entire
trip.  I was his wife again!

When we got here, the people who work in this place made him comfortable and
got him (and me) settled in a room with a gorgeous view of Coe’s Pond with
authority, kindness, and compassion.  I have had a more peaceful day with
him here than we’ve had in several weeks.  I know now that I made the right
decision, and that when the kids see him here, they, too, will be at peace.

He is able to have visitors from 9 am - 8 pm and to receive mail, so the
address is:

Kevin Stewart
c/o Rose Monahan Hospice Home
10 Judith Road
Worcester, MA 01602-3213

If you would like to visit with Kevin, I would welcome it, as I know he
would. It would probably be best to let us get through the weekend first, so
that he can really get acclimated.  I would just ask that you call me first
so that I can give you a sense of how he’s doing.  My cell is 0000,
and I promise to try to be good about checking messages / returning calls.
 He may sleep through your visit, but I know he can hear you.  If you prefer
to send messages to him, know that I am reading him your CaringBridge posts.

I don’t typically get religious in these posts, but the love and support you
have given us has been God’s grace in practice, and our family will never,
ever forget it.

With love and thanks,

Maria
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 葬儀には参列できませんが、少しでも私自身の気持を伝えたいと思っています。

 Kevin、あなたの温かい気持と優しい笑顔は一生忘れません、どうか安らかにお眠り下さい。

「無言館」、ふたたび!

Posted by 秋山孝二
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 昨日・一昨日と一泊二日、ニセコ町で濃密な会議がありました。その議論はまた後日に概略掲載しようと思っていますが、そうこうしているうちに、気がつくともう10月に入っています。 

 先月は実にたくさんの催しがあり、それぞれその場では大変充実した、納得するお話の数々でした。ただ、後でゆっくり振り返る時間が足りなく、消化不良気味、少々バランスを欠いた月だったような気もします。少し遅れました、「無言館」館主の窪島誠一郎さんのご講演を紹介致します。昨年7月に札幌で講演会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4814)があり、引き続き今年もまた聴く機会を得ました。

 今回は「『無言館』と、生命のこと~戦没画学生が伝えるもの~」と題してで、村山槐多(かいた)についてのお話も興味深かったです(http://members3.jcom.home.ne.jp/garance-club/)。戦時中の絵かきたちは、「非国民」と言われました。その絵が戦後、如何に勇気と希望を与えたか、3・11震災後数日は全く訪問者はなかったのが、4日後からは来訪者が戻り、書き残したノートに「励まされた」とひと言。何か不思議な印象を受けました、とのお話でした。

窪島誠一郎さんの講演

窪島誠一郎さんの講演

  混乱の時期にこそ、芸術・文化の力が発揮されるとも言えるのでしょう。11月・12月には、私も呼びかけ人の一人で上映委員会(代表・國田裕子さん:eiga.mugonkan@gmail.com)主催で、下記の長編ドキュメンタリー映画「無言館:http://xin-ei.co.jp/other/seisaku.html」も上映されます。

<上映会のご案内>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■と き  2011 年11 月15 日(火) 約90 分3 回上映
      ● 13:30 ~ 15:00 ● 16:00 ~ 17:30 ● 19:00 ~ 20:30
■ところ  札幌市男女共同参画センター ホール(札幌エルプラザ3F:http://www.danjyo.sl-plaza.jp/
      札幌市北区北8 条西3 丁目 電話011-728-1222( 代)
      JR 札幌駅北口より徒歩3 分(地下歩道12 番出口より直通)
■と き  2011 年12 月11 日(日)・12 日(月)約90 分3 回上映
      ● 10:30 ~ 12:00 ● 13:30 ~ 15:00 ● 18:00 ~ 19:30
■ところ  新さっぽろサンピアザ劇場:http://www.arc-city.com/sunpi-theater/
      札幌市厚別区厚別中央2 条5 丁目7-2 電話011-890-2458
      JR新札幌駅より徒歩約5分・地下鉄東西線新さっぽろ駅2番出口より徒歩約2分

■共通前売り券 1,000 円 ■当日券 1,500 円
チケット取扱い:各関係団体・プレイガイド 大丸藤井、道新、教育文化会館、サンピアザ、デュオ
新さっぽろサンピアザ劇場
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

映画二作品 & 演劇二作品 +1

Posted by 秋山孝二
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 芸術の秋、活動の秋でしょうか、多くのイベントが屋外・室内で目白押しの9月、自分なりに忙しいのですが、映画・演劇には時間を見ては足を運ぶ日々でした。

 「黄色い星の子供たち:http://kiiroihoshi-movie.com/pc/」、「一枚のハガキ:http://www.ichimai-no-hagaki.jp/」、ともに話題作でした。「黄色い・・」は、ナチス占領下フランスの隠された事実の映画化、「フランス国民は多くのユダヤ人を匿った」とギリギリの表現でのフランスの誇り(?)、「隠された事実」の公開に、70年の歳月を必要としたということでしょうか。「一枚のハガキ」は、「新藤兼人監督の映画人生最後にして最高の傑作」と宣伝されていましたが少々がっかり(?)、何となく場面・場面が唐突な感じでした。

「黄色い星の子供たち」&「一枚のハガキ」

「黄色い星の子供たち」&「一枚のハガキ」

 

 一方、演劇でも熱演が続いています。劇団「フライングステージ:http://www.flyingstage.com/top.html」の「ハッピー・ジャーニー:http://www.flyingstage.com/happyjourney.html」、「弦巻楽団:http://tsurumaki-gakudan.com/」の「♯15ラブレス:http://tgakudan.blog98.fc2.com/blog-entry-638.html」は、面白かったです。「ハッピー・・・」は、札幌で開催された「第15回レインボーマーチさっぽろ:http://www.rainbowmarch.org/」と期を同じくしての上演でした。丁寧な作品への仕上げに好感が持てましたし、母親の青函連絡船あたりのセリフは、私も一挙に40年前に時代をさかのぼりました。

「ハッピー・ジャーニー」&「弦巻楽団」

「ハッピー・ジャーニー」&「ラブレス」

 

 もう一つ映画一本、「未来を生きる君たちへ:http://www.mirai-ikiru.jp/」は、感動しました。子供二人の表情・演技が実に素晴らしく、ストーリーが進展していくにつれての心境の変化を見事に表現していましたし、「暴力と非暴力」、「夫婦間の感情」等、様々なテーマが織りなす微妙な感情の揺れが理解出来ました。

 朝晩、すっかり気温が下がっている札幌です。真っ青な空を見ながら、今年も秋の到来を感じる昨今です。

新渡戸・南原賞授賞式2011

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 秋山財団の褒賞事業「新渡戸・南原賞:http://www.akiyama-foundation.org/nitobe/」授賞式が、今年も東京神田・学士会館(http://www.gakushikaikan.co.jp/)で開催されました。これまでこの欄に、何回かご紹介しています。
 
 今年の受賞者は、

三谷太一郎さん(左)と北城恪太郎さん(右)へ花束贈呈

三谷太一郎さん(左)と北城恪太郎さん(右)へ花束贈呈

 授賞式の冒頭で、新渡戸・南原基金の鴨下重彦(http://jura.jp/leuko1/disease/leuko/ldfj/article/kamosita.htm)代表がご挨拶を致しました。 

新渡戸・南原基金代表の鴨下重彦先生

新渡戸・南原基金代表の鴨下重彦先生

 式典後の祝賀懇親会は、100名を越す参加者で盛況でした。ご来賓のトップバッター、内閣府・公益認定等委員会(https://www.koeki-info.go.jp/pictis_portal/koeki/pictis_portal/common/portal.html)の委員長としてご活躍の池田守男(http://www.youtube.com/watch?v=CiamAus_ftQ)さんがご挨拶をされました。「民が担う新しい公共」として、秋山財団の事業を高く評価して頂きました。 

来賓祝辞:池田守男さん(資生堂相談役)

来賓祝辞:池田守男さん(資生堂相談役)

  続いて、日本学術会議(http://www.scj.go.jp/)会長の廣渡(ひろわたり)清吾さんのご挨拶は特に印象的で、「3・11以降、科学者はこれまで市民・社会にどんな貢献をしてきたのかを、厳しく問い直す日々である」とのお言葉でした。文科系として初めての会長就任と、会場でどなたかから伺いました。

乾杯:広渡清吾さん(日本学術会議会長)

乾杯:廣渡清吾さん(日本学術会議会長)

  テレビでもお馴染みの御厨(みくりや)貴(http://www.mikuriya.rcast.u-tokyo.ac.jp/int/index.html)さんは、今回受賞された三谷太一郎先生の門下生で、学生時代に緊張して先生と向き合っていた様子をご披露されていました。

来賓祝辞:御厨(みくりや)貴さん(東京大学教授)

来賓祝辞:御厨貴さん(東京大学教授)

 授賞式のご来賓挨拶の中で、「新渡戸稲造先生、南原繁先生は、『教養』というのは『共感力』と理解していたのではないか」とのフレーズがありました、3・11以降に益々心に残ります。

 秋山財団として、9月14日開催の講演会・贈呈式、先日の授賞式と、二つの大きな行事が終了した今、私は少しホッとしています。特に今年は設立25年目の節目であり、これまでにこの財団活動に絶大なご支援を頂いた全ての方々に、心から御礼を申し上げたい気持でいっぱいです、ありがとうございました。

 25年間を振り返ると、年を経るごとにその価値の蓄積を実感します。「地道な継続の力」、世の中が激変しても変わらない「理念」とか「哲学」、当初から関わった者として、あらためて「高い志」を大切にしたい、そう思います。皆さま、今後とも宜しくお願い致します!!

“脱原発社会は可能だ”

Posted by 秋山孝二
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PARC(http://www.parc-jp.org/)主催のフォーラム「脱原発社会は可能だ:http://www.parc-jp.org/freeschool/event/110923.html」が開催されました。

 第一部:小出裕章さんの基調講演(http://www.ustream.tv/recorded/17446156

 第二部:パネルディスカッション(http://www.ustream.tv/recorded/17448379

小出裕章先生の講演

第一部;小出裕章先生の講演

4名のパネルディスカッション

第二部:4名のパネルディスカッション

明峯哲夫さんと小出裕章さん

明峯哲夫さんと小出裕章さん

 400名近い方々で満席の法政大学会場でした。パネラーは4名。城南信用金庫(http://www.jsbank.co.jp/profile/houshin.html)理事長の吉原毅さんは、「お金は麻薬!」とおっしゃっていました、企業経営者として勇気ある発言の数々です。纐纈(はなぶさ)あや(http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae158hanabusa.html)さんは、映画「祝(ほうり)の島:http://www.cinemajournal.net/special/2010/hourinoshima/」の監督です。明峯哲夫さんはもう何回もこの欄でもご紹介しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%98%8E%E5%B3%AF%E5%93%B2%E5%A4%AB)。小出裕章さんも3・11以降、一層有名になりました。

 原発事故後の社会は、エネルギー分野だけではなく、20世紀後半の都市と農村との関係、食の自給問題等、現代の日本社会の多くの課題を浮き彫りにしました。そして、個々人の頭をフル回転させて、時代を構想する力で切り拓いていくたくましさが必要とされています、一時の熱狂だけではなくですね。

 北海道ではこんな具体的取り組み「エネルギー・チェンジ100:HP(http://www.enechan100.com/blog/)」がスタート、多くの方の宣言も掲載されました、私の宣言はこちら(http://www.enechan100.com/blog/?p=382)。

明峯哲夫さんの「東京日記」より

Posted by 秋山孝二
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 明峯哲夫(http://www.yuki-hajimeru.or.jp/column_5_01.html)さんは、秋山財団の評議員としてご指導を頂いています。震災直後から、ドイツ語サイトで、貴重な日記を送信し続けました。以下、ご本人の承諾を得て、その抜粋を書き留めます。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「東京日記」2011316 411日    明峯哲夫                       

 

以下の文章は、311震災直後ドイツの友人から依頼され、毎日彼の下に書き送ったものである。友人は私と同世代の反原発・自給自足運動家で、小さな村の村長を務めている。私の文章は彼の翻訳により、「Das Tokio-Tagebuch (東京日記)」として彼のサイト(http://www.tacheles-regional.de/)に掲載されている。東日本大震災の一つの「記録」としてお読みいただければ幸いである。

 

326日号 「暗闇」

 

太陽が没する。あたりに暗闇が広がる。太古の人々にとって暗闇は当たり前だった。彼らには物が見えなくなる恐怖はなかったろう。彼らが暗闇を恐れたとしたら、それは夜行性の動物から襲われることだったろうか。人が火を発見したのは、暗闇でも物を見たいからではなく、火の力で野獣を遠ざけるためだったかもしれない。

 しかし現代人が暗闇を恐れるのは、野獣に襲われるためではむろんない。物が見えないことそのものを恐れているからだ。こうして現代人は明るさを求めて「火」を次々と進化させ、ついには「原子の火」を弄ぶまでになった。

 なんでも明瞭に見えなければ気が済まぬ現代人は、すべてのことを明晰に理解しなければ気が済まない。現代人が恐れるのは野獣ではなく、「暗愚=無知」である。こうして徹底した明晰さを求める人間は「科学」をひたすら発展させ、その科学が「原子の火」を生んだ。

 今は夜。我が町は「計画停電」のさなかにある。私は小さなろうそくの灯をたよりに、こうして文を紡いでいる。「原子の火」に依存しないくらしは「暗闇」を恐れないことを意味するはず。つまり「無知」であることを恐れないことだ。人間の眼は「暗闇」に慣れる。暗闇の中でこそ人の直感は研ぎ澄まされ、物の気配を正しく見分けることができる。とすれば人は「無知」であればこそ、実は事の真実を見抜くことができるはずではないか、などと・・・。

 おっと、電灯が点いた。思わずほっとする。私も紛れもない現代人である。

 

 

42日号「消えない火」

 

 用事があり、東京湾岸を電車で千葉まで行ってきた。湾岸は高い煙突が林立する石油化学コンビナートが何十キロと続いている。東電の火力発電所も5基ここにある。幸い東京湾岸は津波の被害はなかった。しかし地震直後この一角にある石油製油所で配管から漏れ出した天然ガス(ブタン)が引火、ガスタンクが次々と爆発炎上した。一時は上空800メートルまで炎が上がり、一帯は真黒な煙に包まれたという。火災は延々と続き、ガスが燃え尽きた10日後にようやく鎮火した。電車の車窓から遠くに見たコンビナートは、今は平静を保っているようだ。

 3月30日、東電会長は地震後初めての記者会見で、福島第一原発1~4号基は廃炉にすると述べた。冷却機能が回復した56号基については言明しなかったが、政府のスポークスマンはこれらも廃炉にすべきとの見解を示している。

 廃炉にするには、まず稼働中の原子炉を冷温停止状態にしなければならない。冷却装置が動けばこれは12日で完了するというが、現在もなお冷却装置は動いていない。冷温停止した核燃料を安定させるには、さらに34年冷却プールで冷やし続けなければならない。さらに施設や原子炉を解体しそこを完全な更地にするには20年、30年の歳月が必要という。しかしそれでもどこかに移され保管される使用済み核燃料は、さらに長期間放射線を放出し続ける。プルトニウムの半減期は24000年、ウランは162000年。

 化石燃料の火は燃え尽きれば、鎮火する。しかし原子の火は半永久的に消えることがないのである。

 

 

410日号「希望」

 

 あの日。

火の見櫓(やぐら)で半鐘(はんしょう)を鳴らし続けながら、津波に呑みこまれた消防団の男性。「逃げて!」と防災無線放送で住民たちに叫びながら、濁流に姿を消した町役場の若い女性職員・・・。

そしてそれから続く日々の中。

町の再生は原発の復旧からと、避難先から危険な現場に戻ってきた若い原発労働者。人々から日用品を途切れさせまいと、店を守り続ける自主避難地区の店主。従業員たちの給料を支払おうと、金策に走り回る被災した小さな工場の経営者。原発から近い町で、診療を続ける医師と看護師。避難場所でゴミの分別を呼び掛ける男性。村に留まり、牛の世話に余念のない避難区域の農民。自らも被災し、家族を失いながらも不眠不休で奔走する役場の職員。救援にやってきた若いアメリカの兵士に、何度も頭を下げながら手にした一枚の米菓を差し出す老婆。そしていつ終わるとも分からぬ仮の生活に、取り乱すことなく耐える無数の被災者たち・・・。 

被害の全容が未だ杳(よう)として不明のこの大災害。しかし勤勉で、責任感が強く、礼儀正しく、律義(りちぎ)、こうした人々が健在である限り、この国には確かな希望がある。

明日で被災1か月。

それでもまた明日、種をまこう。

 

 

411日号 「天国はいらない、故郷を与えよ」

 

 「種(たね)を蒔くな、収穫するな、食べるな、出荷するな、・・・そこに住むな」。これらは「故郷」に生きる人々への「国家」による迫害である。「国家」の武器は「数値」だ。大気、土、水、海、農産物、魚介類、飲用水などなどの汚染・・・。○○シーベルト、××ベクレムという数値が踊る度に、「故郷」に生きる人々は惑い、追いつめられていく。「原発」はこうして「故郷」を破壊した。科学の粋を集め、権力の限りを尽くしその「原発」を作ったのは、他ならぬ「国家」だ。

 首都・東京。光溢れるこの都は人々を魅了する「天国」か。「天国」は「原発」により支えられている。「原発」の喪失は「天国」から光を奪った。今「天国」は深い闇の中に沈む。

「故郷」を追われた人々はどこへ向かうのか。「天国」を失った人々はどこへ彷徨(さまよ)い出るのか。人々の安住の地はいずこか。

 

「天国はいらない、故郷を与えよ」(セルゲイ・エセーニン)

 

(「東京日記」はひとまず本号をもって、ページを閉じます。お読みいただいた方々、そして私に執筆の機会を与え、翻訳の労を惜しまなかったRichard Pestemer君に、あらためて感謝を捧げます。またの機会に。)

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福祉フォーラム、「共に生きる」

Posted by 秋山孝二
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 社会福祉法人ノマド福祉会(http://www.nomad-haru.com/)、社会福祉法人はるにれの里(http://www.harunire.or.jp/)が中心となっての実行委員会主催、福祉フォーラム「共に生きる~地域と共にある福祉をめざして~:http://www.haot.jp/wp/wp-content/uploads/2011/08/f92b1250a4748357d0b8b612713d4ff01.pdfが、満席の聴衆で大盛況でした。

福祉フォーラム

福祉フォーラム「共に生きる」

 第一部の基調講演は、内閣官房社会福祉改革担当室長の中村秀一さんが、「社会保障制度の将来ビジョンを考える~介護・医療・年金・障害者福祉は~」と題してお話をされました。

 第二部のシンポジウムは、「地域と共にある福祉とは ~福祉の実践を通してめざすもの~」のテーマで、素晴らしい実践報告が3名のパネラーからなされました。

1.精神保健福祉分野:向谷地 生良 さん(北海道医療大学教授 社会福祉法人べてるの家:http://urakawa-bethel.or.jp/ 理事)

2.自閉症&知的障がい者福祉分野:木村 昭一 さん(社会福祉法人はるにれの里 統括施設長)

3.高齢者福祉分野:油谷 香織 さん(社会福祉法人 ノマド福祉会 統括施設長)

現場からの報告&意見交換会

現場からの報告&意見交換会

 縦割り行政からの視座ではなく、地域から「共に生きる」福祉を考えると、三つのの概念はほぼ同じであることに気づきます。すなわち、「当事者」が主役であり、福祉研究も「当事者研究」をベースにまちづくりを推進すること、今、「きずな社会」があらためて求められていること、3・11以降の被災者支援「絆社会」の再評価こそ、長い間障がい者が求め続けてきたものであること等です。

 「やり過ぎない支援」、「世代間交流の意義」、「世界的流れ、心の病は薬物依存から自己治療へ」、「生きづらさの共有」等、「当事者研究」のキーワードが満載でした。

 「総合的な福祉」、「地域と共に生きる福祉」をテーマに、定期的な全国大会開催に向けて、また一歩進んでいくエネルギーも披露されました、新しい時代が確かに始まっています。

北の映像ミュージアム、ほか

Posted by 秋山孝二
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 「多彩なイベント」とつい先日書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9906)、今年100周年を迎える大通公園(http://www.city.sapporo.jp/ryokuka/top/odori100/index.html)及び周辺では、まだまだ続いています。

 私も一会員のNPO法人「北の映像ミュージアム:http://kitanoeizou.net/modules/official/index.php/main/top.html」の常設展示場が先日オープンしました。(株)セイコーマート(http://www.seicomart.co.jp/company/index.html)は、道内1000店舗開店の記念事業として、このプロジェクトに2000万円の協賛とのことでした、グッド・センスですね。

「北の映像ミュージアム」、テープカット

「北の映像ミュージアム」、テープカット

 テープカットされたお一人に、社長の丸谷智保さんもご出席でした。彼は、30年程前、北海道拓殖銀行光星支店にいらっしゃって、当時私が(株)秋山愛生舘の経理部長だった時の担当者でした、素晴らしく優秀でしたね。何回か一緒に食事をしたりして、十勝の池田町町長だったお父様が、「十勝ワイン:http://www.tokachi-wine.com/」を育てあげた過程をお伺いしたりしました。その後、ニューヨーク支店勤務の時は、9・11で崩壊したあの「ワールドトレードセンター」の高層レストランで、当時の確か後藤支店長と3人でお食事をご馳走になったのを覚えています。その他、たくさんの想い出も尽きません。彼の誠実な人柄、堂々たるビジネススタイル、久しぶりにお会いしても全く変わっていなくて、嬉しかったです。頑張って下さい、丸谷社長!

 「さっぽろ芸文館」一階でのテープカットに続き、中央区南2条西5丁目で、映画「大地の侍:http://www.touhoku.com/0a-02-iwadeyama.htm」、「喜びも悲しみも幾歳月:http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD8380/」が上映されました。満席の映画館、前から5番目席で観るのも久しぶりでしたね。 「大地の侍」では、大友柳太朗、高千穂ひづる、杉村春子、宮口精二ほか、「喜びも悲しみも幾歳月」では、佐田啓二、高峰秀子、懐かしくもあり風格に感動したり、思いは様々でした。

 一方大通公園では、「さっぽろオータムフェスト2011:http://www.sapporo-autumnfest.jp/」は、10月2日まで開催中。朝早くからたくさんのお客さんで賑わっていました!

さっぽろオータムフェスト2011

さっぽろオータムフェスト2011

朝から大変な賑わいです!

朝から大変な賑わいです!

 映画「大地の侍」を観ていて、何か3・11以降の福島県の皆さんと重なって、大地の意味する「重さ」を痛感しました。「面積」としてだけの土地ではなく、「文化」、「誇り」として、生きる「拠りどころ」としての心の支えが、「大地」なのでしょうね。

「さよなら原発集会」、過去最大規模

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 「http://www.youtube.com/watch?v=k5Q5cRWpQaU

 「民の力」を、なめちゃいけませんよ!

 何もコメントする必要はありません、これだけの人が集まった事実、それを報道しない全国紙・マスメディア、その事実、しっかり両目を大きく開けて見つめなければなりません。海外の報道はこちらに一覧です(http://togetter.com/li/190288)。

 動画の36分30秒過ぎからの「福島ハイロアクション」武藤類子さんのアピールは心に沁み入ります

 「明治公園に6万人」、反射的に思い出しました、1969年6月15日の集会を。

 札幌の会社では、こんな垂れ幕も現れました、3・11以降、確かに時代は変わってきています。

企業も意志を明確にし始めました

企業も意志を明確にし始めました

秋山財団、<25周年記念>

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 「公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)<25周年記念>講演会・贈呈式」が先日開催されました。毎年9月に行われていますが、今年は設立25周年記念の節目となりました。当日、私自身は写真をとる暇がなく、リアルな現場の模様をお伝えできないのが残念ですが、後日HPにアップ出来ると思いますので、そちらでご覧いただけると嬉しいです。

 テレビ・ラジオ・新聞でもお馴染みの北海道出身・寺島実郎(http://terashima-bunko.com/)さんの講演会には、約300人の聴衆が参加し、熱心に聞き入っていました。

 最近の寺島実郎さんは、2011年5月10日に親鸞聖人750回忌講演会で「今を生きる親鸞」の題でご講演、ご存知のように、親鸞は浄土真宗の開祖であり、50年前の700回忌の講演会演者が鈴木大拙(禅文化・仏教学者:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E6%8B%99)で、寺島氏は現在、鈴木大拙の鎌倉・松ヶ岡文庫(http://matsugaoka-bunko.com/ja/index.html)の理事も務めていて、不思議なご縁を感じます。

 またそれに先立つ2007年8月4日には、90年の節目の高野山大学(http://www.koyasan-u.ac.jp/)夏季講座、で、「現代に生きる空海――経済人の視点から学ぶべきこと」と題してご講演、これまでにこの場では、新渡戸稲造、司馬遼太郎等の方々もお話をされています。

 さらに、直近で発売された月刊誌「世界:http://www.iwanami.co.jp/sekai/」10月号では、連載「脳力のレッスン」で、自らこの10年のご自分の発言を検証・総括されています。 

講演会パンフ:今年は25周年記念として演者に寺島実郎氏

講演会パンフ:今年は25周年記念として演者に寺島実郎氏

 その後に、受賞者、来賓、財団関係者が出席して、贈呈式が行われました(http://www.akiyama-foundation.org/what/index.php?year=2011&mon=06&day=30#36)。

来賓として北大・佐伯総長、財団賞受賞者・浅香正博先生

来賓として北大・佐伯浩総長、財団賞受賞者・浅香正博先生

 冒頭の私の挨拶で、財団の現況をお越し頂いたみなさんにご報告しました~~~~~以下、引用です。

1つ目は、一昨年12月から、「公益財団法人」という法人格として、順調に活動を始めており、つい先日は北海道庁担当者による最初の監査も終了しました。「民が担う新しい公共」として、確実に財政基盤を固めつつ、なお一層311以降の北海道の将来に向けて貢献する決意を新たにしています。

 

2つ目は冒頭にも申し上げましたが、今年、秋山財団設立25周年を迎えるにあたり、昨年度から「記念事業」を推進しています。昨年の片桐一男先生の記念講演会はその第一弾であり、この財団の原点であります「『愛生舘事業』の志」を再度確認する意図で開催致しました。今年は、それをまとめた「ブックレット」の発刊、資料・書籍の収集・調査研究の継続、そして今年7月には片桐先生による5日間連続の「古文書講座」を開催して、広く本州からも含めて多くの市民のご参加を頂きました。

 

3つ目は「コラボレーション」、「ネットワーク」の視座、拡がりへの期待です。いわゆる研究分野での「アウトリーチ活動」であり、市民活動分野での「コラボレーション」です。たとえば、昨年財団賞を受賞された上田宏先生は、今年の札幌でご自身が主宰する国際学会で「市民講座」を開催されました。市民活動助成では、当財団と前田一歩園財団さんとの共同で報告会を開催し、その模様をustreamでライブ・録画配信して多くの方々と共有しました。また、研究助成の募集要項には、「アウトリーチ活動」の要望を書き込みました。これから益々、ソーシャルメディア等も駆使した研究者と一般市民とのコラボレーションが、成熟した市民社会の醸成に寄与すると信じています。http://www.akiyama-foundation.org/what/index.php?year=2011&mon=07&day=01#37

 

4つ目は、今検討中のものですが、財団と助成受領者・団体との「パートナーシップの形成」です。今年度中に、「秋山財団の未来像2011」を策定し、助成受領者には論文掲載等の機会提供支援、受領団体とは密接な活動報告とアドバイス等、インターネットのホームページも駆使して、共に進化していく財団でありたいと思っています。

 

以上ご報告しました様に、当財団は一歩一歩ではありますが、皆さま方の率直なご意見・ご提言に耳を傾け、25周年を節目として、財団の初心である「生命科学(いのち)の視座」を忘れることなく、着実に前進して参りたいと思っています。

 贈呈式後の懇親会にも多数ご参加を頂き、多くの交流が図られたようで良かったです。年に一度の財団としてのメインイベントが大盛況で終了し、また来年からワンランク上のステージで少しでもお役に立ちたいと気持を新たに致しました。

 なお、「新渡戸・南原賞:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35」の受賞式は、9月26日に東京神田・学士会館で開催予定です。昨年の様子はこの欄にも書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6170)。東京でも新たな出会いがあることを楽しみにしています。

 これまで秋山財団を応援して頂いた皆さまに、心から御礼申し上げます。今後とも宜しくご指導をお願い致します。