あすの電力予想

Posted by 秋山孝二
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 関西電力(http://www.kepco.co.jp/)の原発で、一基だけ運転していた福井県・高浜3号機(87万キロワット)が、20日午後11時に、定期検査のために発電を停止しました。関西電力の原発11基が全て止まり、西日本で稼働中の原発はなくなっています。北海道電力(http://www.hepco.co.jp/)の泊原発3号機は、4月下旬に停止する予定です。

 今月、関西に出張した時、地元テレビで「あすの電力予想」が流れていました。

テレビの「あすの電力予想」

テレビの「あすの電力予想」

 

  一方関東では、東京湾のアクアラインから見る雪を戴いた富士山が、青空の中に姿をあらわしていました。

早朝の富士山:東京湾アクアラインから

早朝の富士山:東京湾アクアラインから

 再稼働を巡る経済産業省の原子力安全・保安院(http://www.nisa.meti.go.jp/)の「議論」は、議論にもなっておらず、実にひどい組織と人材です、まさに「人罪」です。3月末の組織の廃止前に、最後の「悪事の企て」と言わなければなりません。引き続き、厳しい眼で私たちは監視していく必要があります、国民のいのちを何と心得ているのか、国民をなめるにも程があります。

札幌演劇シーズン、2012冬 (2)

Posted by 秋山孝二
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 「札幌演劇シーズン、2012冬」は、1月28日から始まり(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11645)、後半日程(25日まで)を迎えています。思えば、昨年8月の札幌での記者会見(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9763)から7カ月、もうすぐ初年度が終了です。

 私は、劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/の「このくらいのLangit:http://s-e-season.com/season/2012/winter/inadagumi/は、2回目の観劇を14日に、劇団TPS(http://www.h-paf.ne.jp/)の「亀、もしくは・・・・:http://s-e-season.com/season/2012/winter/tps/は、19日、今回のキャストで初めて観ました、22日には2回目の予定も。

ロビーでは、これまでの公演の写真も展示

ロビーでは、これまでの公演の写真も展示

 先日は公演後に、「演劇は仕事になるのか?~演劇の経済的側面とその未来」の著者・米屋尚子さんの講演と鼎談がありました。社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協:http://www.geidankyo.or.jp/top.shtml)で仕事をされて、長年にわたり舞台芸術にかかわる調査研究、政策提言などを担当する一方で、「芸団協セミナー」の責任者として数々の制作者向け講座を企画してきた方です。

東京からのゲスト:米屋尚子さん

東京からのゲスト:米屋尚子さん

  この日は盛りだくさん、講演の後は、毎月の「ZOOサロンの会:http://www.h-paf.ne.jp/salon/index.html」、今回は恒例の「橋本久明賞」の発表でした。「橋本久明賞」とは、TPSの発展にご尽力された故・橋本久明前TPSくらぶ会長の功績を称え、2005年に創設された賞で、年間を通じて最もTPSの活動に貢献した劇団員に贈られる賞です。今年は、全演目に出演し、存在感のある演技で好評だったニセコ町出身の高子未来さんが受賞されました。昨年の札幌劇場祭授賞式後のパーティで、私は彼女に直接、独自の目立たない演技が素晴らしかったと言っていたので、今回の受賞は大変嬉しいです、この賞の審査員の評価がです。

第7回橋本久明賞受賞:高子未来さん

第7回橋本久明賞受賞:高子未来さん

  さらに昨日のNHK総合テレビ・道内版「「つながる@きたカフェ」」の番組では、TPSチーフディレクターの斎藤歩さんが出演して、北海道におけるこれまでの演劇創造等について熱く語っていました。一昨日のサロンの会では、隣の席で日本酒を飲みながらワイワイやっていて、これまでの活動、海外公演のお話等は、大変身近に感じられました。彼は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」、今放送中のTBS「運命の人」にも出演している「個性派(?)俳優」で、今回の演劇シーズンでは、「亀、もしくは・・・・」に出演しています。

齊藤歩、NHK総合テレビに出演:北海道での演劇創造について熱く語る

齊藤歩、NHK総合テレビに出演:北海道での演劇創造について熱く語る

 ハンガリー公演でも、韓国公演でも、同行ツアーで斎藤歩さんとは一緒でした。いろいろゆっくりお話をする機会もありましたが、「若い時に海外公演を経験して、外国のお客様の反応、多様な評価を体験して、世界に通用する役者に育って貰いたい」という彼のメッセージは、これまでの草分け的な地道な育成活動に裏付けされた重みのある言葉でした。

 想い出しますね、ハンガリー公演のブダペスト・メルリン劇場で、「亀、もしくは・・・・」の初日、始まってからの3分間の緊張、山野久治さん扮するハドバー先生のセリフにどっと笑いが起きた時のあの感動。そして、その後日本国内での一段とレベルの上がった公演活動は、役者陣の確かな進化を実感しました。

 人を育てる、それには芝居を創る多くの方々、足を運ぶ観客・ファン、そして、場なのでしょうね。札幌・北海道が本当に本物の場となるような活動が、今年始まったと言えるのでしょう、期待したいし、応援もします!

「六華サロン」 in Tokyo

Posted by 秋山孝二
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 東京六華(りっか)同窓会(http://www.tokyorikka.jp/)は、明治30年の札幌尋常中学校の同窓生が東京で設立して以来、その後の変遷を経て今日まで続き、今年で107年を迎える同窓会です、私も登録1600名の会員の一人です。その中で、この数年、地道に、今、各界の最前線で活躍する同窓の講師を招いて毎月例会を開催している「六華サロン:http://www.tokyorikka.jp/rikkasalon/rikkasalon.html」は、大変ユニークな活動で、内容も濃く、素晴らしい集まりです。

 先月は、私は始めて参加致しましたが、昨年3・11大震災で大きな被害のあった宮城県石巻赤十字病院(http://www.ishinomaki.jrc.or.jp/)の腎臓内科副部長・笠井 暁史(南41期)先生をゲストにお招きしての例会でした。淡々とお話される内容は、まさに感動を与える貴重な報告であり、つい先日に続いて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11566)、私にとってまた誇り高き後輩です。

石巻日赤病院・笠井医師の報告

石巻赤十字病院・笠井医師の報告

  たくさん感じたことはあります、同窓会ブログにも写真入りで報告があります(http://www.tokyorikka.jp/rikkasalon/rikkasalon.html)。まずは、医療機関の職員も被災者であること。当たり前なのですが、遠くに居て、メディアでしか見ていない私たちは、ともすると平時の感覚で彼らの仕事ぶりに期待してしまっていたと大いに反省します。着の身着のまま、食事も、寝る場所も、取材で外からくるメディア、ボランティアとは違って、まさに「被災者」であること、その上で仕事で患者さんを変わらず治療しようとするモラルの高さに敬服します。日頃からの教育訓練のなせる技なのでしょう。

 直後からマル一日は、本当に異常なくらい静かな病院内、ある意味で当たり前ですね、病院に行くどころではない訳ですから。次に押し寄せる人の波とパニック状態、継続的治療が必要な人々が命を掛けて殺到する現実は、現場の方からお聞きして初めて知る事がらばかり。土壇場での患者に対して治療する順番づけの場面(トリアージ)、まさに有事の医療に求められる「どの命を救うのか」の厳しい判断等も、です。以前ここに書き留めた「パンデミックドリル:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3257」を思い出しました。笠井先生は、一連の体験をまさに淡々と、ほとんど形容詞はなく説明されましたが、それ故に臨場感があり、専門職としての力量がためされたのだと思います。

 もうすぐ3・11からマル一年です、私たちはこの大きな犠牲から、今後につながるきっちりした教訓を学び、次に活かしていかなくてはなりません。そして、原子力発電所爆発事故では、未だに収束していない現状、事故調査の最終結果すら発表となっていない今、しなければならないこと、やってはいけないこと、これらは明らかですね。

戸髙一成館長とのお話から

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 広島県呉市の「大和ミュージアム:http://www.yamato-museum.com/concept/」、正式名称は「呉市海事歴史科学館」です。

 2年前にも訪問(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4585)しましたが、今回は、館長・戸髙一成(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9991http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11196)さんとお会いして意見交換、いくつかアドバイスを頂くのが主たる目的でした。

大和ミュージアムから造船工場を望む

大和ミュージアムから造船工場を望む

玄関前:実物大の大和主砲砲身

玄関前:戦艦「陸奥」実物大の主砲身とスクリュ―

錨と

錨ほか

 これまで、一連のビハール号事件:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6」で、自分なりに歴史を検証してきたつもりですが、どうしても「戦犯裁判」の記録で、壁にぶち当たっていました。今後、B・C級戦犯裁判の証言記録を、どう追いかけていくか、その辺について貴重なアドバイスをたくさん頂きました。

 戸髙一成さんは、3年前の8月に、NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1907」3回シリーズでも、高く評価されました。この番組の原点になった「海軍反省会」のテープを保管していることでも知られています。「海戦からみた日露戦争」、「海戦からみた日清戦争」、「海戦からみた太平洋戦争」等、著書もたくさんあり、館長ノート(ブログ:http://www.yamato-museum.com/concept/note/index.html)も興味深いです。今回は、初対面でしたが、テレビ・著書で私はあらかじめよく承知していたためか、或いは戸髙さんのお人柄なのか、初めてという気が全くしない、実に自然なやり取りでした。

 以下、お話から幾つか~~~~~~ 

* 戦争の反省: 敗因は、中枢にいた軍人たちが一番よく分かっている。「海軍反省会」等では、率直な意見が多く出されていたが、聞いた話が本になると、率直な発言が修正されるので、録音テープでの保管とした。なぜ戦争が起きたか、なぜ回避できなかったについて、現場の様子を伝えておかなければならないという認識で、この会は、1980(昭和55)年から1991(平成3)年まで131回開かれた。

* なぜか、海軍中枢に居た方々の会合に数多くお誘いを頂き、「反省会」の録音テープの発表に関しては、生前に発表されると本音が言えなくなる危惧もあり、20年を経て公にし、当初の参加者との約束を守った。

* 「反省会」は記憶の確認、責任の追及等、率直な発言が多かったが、自分たちは最善を尽くしたという言い訳的な発言も背景にはあった。

* 民間の商船撃沈、病院船攻撃、海に浮かぶ軍人・民間人の銃撃等は、戦争中にはどの海軍でも日常的に起きていた記録がある。「ビハール号事件」の場合は、救出して捕虜にした事態が、難しさを造り出したのだろう。戦争とは理不尽で、不条理。

* 「特攻」で逝った人を「英雄」と持ち上げるのは、これを命令した人たちの責任を回避するものであり、特攻の陰の部分だ。

* 海軍は国防の組織、国防は国民を守るための組織のはず、それを「特攻」という国民を殺す作戦を立案し実行し、本来の機能を失った。

* 日本の国は、国家と国民との間の「権利」、「義務」のバランスが甚だ悪かった。「徴兵」の義務を課する大前提として、国家はその国民のいのちを限りなく守る責任を負わなければならないはず。それが、戦後の「戦争責任」の議論にも強く影響してくる。

* 組織と責任の取り方については、今の原子力発電所事故のその後の過程でも全く同様に、あいまいな構図を見て取れる。体制的に責任の所在が不明確。軍令部は天皇の参謀として大枠の命令は出すが、現地での戦略は現場の連合艦隊が行う。従って失敗しても責任が不明確になる。軍令部は現場が悪いと思い、現場の連合艦隊は方針そのものが悪かったと思う。だから失敗を次の戦略に活かすことができなかった。

* 戦後の反省会でも、「組織が悪かった」とは思っていても、その任を担っていた「個人の責任」とは最後まで考えていない所に、「責任を取る」、「責任を取らせる」発想が生まれてこないし、これは日本社会の特徴なのではないか、現代でも同様である。

* 日露戦争の日本海軍の完全勝利により、「無敵艦隊」との認識が続き、海軍には「負ける」という言葉がなかった。本来は、戦争遂行能力が無くなった時期に、戦いの終結を検討すべきが、誰もその勇気が無かった。最後まで「帝国海軍の面子」のためにだけ戦い続ける愚、「日本国の将来」と言った理念は見い出せない。

* 軍は、本来は戦争をしないために存在する、抑止力としてあるにもかかわらず戦争を始めた。現実問題として、軍人・司令官の立場で、「戦争開始に反対」、「戦争を終結させる」ことの不可能なことをあらためて感じる。

~~~~~~~~~~~~~~~~以上、お話から

 

 インターネットで、「太平洋戦争」を検索をすると、実にたくさんのサイトが紹介されます。その中には、極端な戦争讃美、お決まりの懐古趣味、反戦一辺倒、個人を罵倒するような乱暴なブログ等、様々です。でも、今を生きる現役の私たちがしなければならないことは、これまでの多くの犠牲を無駄にしない「学び」から、二度と戦争を始めない国を創る議論を続け、実現することなのではないでしょうか、右翼も左翼もありません、人間としての基本として、です。そして、国際社会の中で生きている現在、それは一国では成し遂げることは不可能です、まさに「外交」の出番です。

 たくさんの海軍中枢の方々とお会いして、実際の生の声を聴いてこられた戸髙一成さんは、ほぼ戦後の同時代を生きてきた私の2年歳上です。今回お会いして、「戦争を語り継ぐ」ということ、「戦後生まれの世代の戦争との向き合い方」について、大きなヒントを得ました。先日、終り頃で、「何を知っているということより、史実をもとに自分の頭で考え続けることが大事だと思います」とおっしゃった言葉が、全てなのかもしれませんね。戸髙一成さま、お忙しい中おつき合い頂き、ありがとうございました。

 近いうちに、また検証を始めます、東京で、そして、ロンドンで、ですね!

江田島へ三たび、「旧海軍兵学校」

Posted by 秋山孝二
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 旧海軍兵学校は、現在は「海上自衛隊第一術科学校:http://www.mod.go.jp/msdf/onemss/」になっています。

 長崎での第一次海軍伝習(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3148)を受けて、日本海軍創設の機運が高まり、まず築地にその人材育成の拠点が設立されました。1888(明治21)年、東京築地にあった海軍兵学校が広島県江田島に移転し、この江田島の地において教育が開始されました。当初生徒は、表桟橋に係留された学習船「東京丸」で起居していましたが、1893(明治26)年に赤レンガの生徒館が完成しました。以後、海軍兵学校は逐次拡充整備され、1945(昭和20)年12月1日に閉校されるまで、57年間にわたり、海軍士官養成の場としての歴史と伝統を築き上げました。

 終戦後は、11年間にわたり、米軍及び英連邦軍等が進駐して施設を使用しましたが、1956(昭和31)年1月、海上自衛隊がこれらを引き継ぎ、横須賀から術科学校が移転、1957(昭和32)年5月には「海上自衛隊幹部候補生学校」が独立開校し、翌年4月には、「海上自衛隊第1術科学校」が発足しました。

旧海軍兵学校校舎

旧海軍兵学校・生徒館

教育参考館

教育参考館

 インターネットで検索すると、たくさんの方が動画・写真等で紹介していますので、画像はそちらに譲ります。私はこれまで、父に絡んで何回か兵学校について書きました。今回の訪問で3回目、これまでと違う立場での見学に、新たな気づきもあり、三たび、身の引き締まる思いでした。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1907

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3177

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5921

 

 今回はその後、レンタル自転車を借りて、江田島湾の向こう側の「軍艦利根資料館:http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki9/tone/tone.html」にも足をのばしました、途中には、同じく攻撃を受けた「大淀」犠牲者の碑もありました。先日は、海岸沿いの強い寒風と峠の山坂でかなりきつい行程でしたが、昨年12月の兵学校76期の方々の「大淀」、「利根」のお話を伺い(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11026)、今回訪問できてよかったです。

少し離れた「軍艦利根資料館」

少し離れた「軍艦利根資料館」

 重巡「利根」は、1944(昭和19)年10月のレイテ沖作戦の後に日本へ帰艦、その後呉に回航され、1945(昭和20)年2月に海軍兵学校練習艦となりました。1945(昭和20)年3月19日の米空母艦載機による空襲により小破、その後、この能美へ移動したものの、7月24日および28日の空襲により大破し、着底しました。この攻撃により、128名の乗員と17名の島民が亡くなったそうです。その頃、「利根」通信長だった私の父・野田宏は、兵学校の分隊監事として江田島に居り、広島への原爆投下を、この江田島で体験しました。

 6年前に父が亡くなった後、書棚を整理していましたら、当時使っていた教科書が数冊見つかりました。

左は「英語書簡文」(昭和16年8月)、右は「航海術五の巻:気象学」(昭和8年2月)の教科書

左は「英語書簡文」(昭和16年8月)、右は「航海術巻の五:気象学」(昭和8年2月)の教科書

 

 日本は、人材育成にかける情熱を持ちながら、日清・日露戦争を経て、戦略なき戦争遂行の陰で、国を担う尊い人材を多く失いました。

岡寺、飛鳥寺&橿原神宮

Posted by 秋山孝二
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 今年は辰年、「龍蓋寺:http://www4.kcn.ne.jp/~balance/の名の奈良県飛鳥地方「岡寺」を訪問しました。私は今年61歳で「大厄年」、この最古の厄払いのお寺については、以前から寺島実郎さんも一押しで、いつか機会があればと思っていましたが、今回、やっと足を運ぶことができました。「岡寺」には実際、龍に蓋をしたといわれる「龍蓋池」も本堂の前にひっそりと。雪が降る寒風の中、レンタル自転車で約3時間走り回り、岡寺に向かう急な坂では自転車を押して登り、帰りは逆に急過ぎて乗るのが危険で、また自転車を支えて途中まで降りました。何のために自転車を岡寺入口まで持っていったのか、後から思えば我ながらよく分からなかってのですが、心地良い疲れではありました。

岡寺本堂

岡寺本堂ほか

岡寺、本来は「龍蓋寺」、龍に蓋をした池

岡寺、本来は「龍蓋寺」、龍に蓋をした池

 

 「岡寺」から5分程度でしたか、「飛鳥寺:http://www.asuka-tobira.com/asukakyo/asukadera.htm」、ここは596年に蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺です。「飛鳥寺」の大仏の前でしばし立つと、左右の顔の表情が違うことに気がつき、空間まるごと歴史を刻んでいて、まるで別の時間が悠々と流れていて落ち着きましたね。この飛鳥地方全体については、「飛鳥資料館:http://www.nabunken.go.jp/asuka/」で一目瞭然、大変立派な資料展示でした。

日本最古の大仏

日本最古の大仏

 

 実は、飛鳥地方探索の前日夕方は、ひと気のない「橿原神宮:http://www.naranet.co.jp/kashiharajingu/」を歩きました。「パワースポット」と言われて、インターネット検索すると多様な紹介がされていますが、ひとそれぞれの感じ方が大切でしょうね。

橿原神宮:本殿を望む

橿原神宮:本殿を望む

 畝傍山の南東麓、約50万平方メートルもの広大な土地に建てられた檜皮葺き(ひわだぶき:檜の樹皮の屋根)で素木(しらき)造りの本殿と神楽殿、玉砂利の参道、背景の深い森の緑と穏やかな稜線のコラボは、時の流れを包み込み、壮大な物語を感じさせます。初代天皇であると伝えられる神武(じんむ)天皇が、橿原宮で天下を治めたという「日本書紀」の記述に基づき、1890(明治23)年に建てられました。祭神は神武天皇とその皇后・媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)で、本殿(重要文化財)は京都御所の賢所(かしこどころ)を移築したものです。 

 

 昨年は「秋山財団創設25周年」を記念してルーツをたどる活動で忙しく、今回は日本国のルーツを確認し、貴重な時間を過ごしました。「場のもつ説得力」、ここでもまた「歴史」を感じ取りました。

「JT生命誌研究館」を訪れて

Posted by 秋山孝二
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 大阪・高槻市にある「JT生命誌研究館:http://www.brh.co.jp/」では、「生きること」、「ゲノムとDNAと時間軸」、「何だかへんなところ」、「いのちのつながり」等、展示の一つ一つのフレーズが、実に心地よく響きます、豊富な素晴らしいメッセージです!(以下の写真はこのブログに使用との限定で承認して頂きました)

生命誌

生命誌「生きる」ということ

館内2階から

館内2階から

いのちの連鎖

いのちの連鎖

 ここの館長・中村桂子(http://www.brh.co.jp/youkoso/aisatsu/)先生に、今年秋予定、秋山財団講演会での演者の依頼をして参りました。大変お忙しい中、北海道までお越し頂くのは大変困難なのは承知していたのですが、何とか無理をお願いして実現しそうです、本当に有り難いことです。中村桂子先生は、3年前の札医大・リレー講座(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1690)でも素晴らしいお話でしたし、つい最近のNHK教育テレビ「いのちの時間」等にも出演されています。

 この生命誌研究館では、「いのち」のつながりを「見える化」して展示し、易しい表現ながらも妥協することなく、ゲノムDNA等についてかなり高度な内容まで説明しています。「多様性」、「いのちがつなぐ歴史の創造」、「いのちを育む場としての地球」、本当に一つ一つが心に沁み入ります。

 まさにライフサイエンス研究の究極のアウトリーチ活動ですね、最初に「いのち」を学ぶ子どもたちが、こういった場と出会うとことが、最高の価値だと思います。

日本人は何を考えてきたのか?

Posted by 秋山孝二
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 NHK教育テレビ「日本人は何を考えてきたのか:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/about/index.html」、NHKのHPには:~~~~~~未曾有の震災、原発事故、そして混迷する政治・経済…いま、私たちは文明史の転換に立たされています。日本はどこへゆくのか。時代の座標軸を求めて、思想や哲学を求める声が高まっています。日本が近代文明を目指して開国してから150年。この間、人々は時代と向き合い、何を考えてきたのでしょうか。思想の巨人たちの苦闘の中に、今を読み解く手がかりはないのか。このシリーズは国際的な新しい視点で2年がかりで日本人の近代の思索の営みを描いていきます。~~~~~とあります。

 第4回「非戦と平等を求めて~堺利彦と幸徳秋水:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/0129.html」は、見応えがありました。歴史学者・クリスチーヌ・レヴィ(フランス・ボルドー第三大学教授:http://peces.blog27.fc2.com/blog-entry-455.html)さん、山泉進(明治大学教授:http://www.meiji.ac.jp/hogaku/teacher/yamaizumi.htm)さんのコメント、特にレヴィ教授のお話は実に興味深かったです。国家と国民、自立した存在としての国民、国家権力とその責任の取り方、取らせ方等、3・11以降の今、まさに問い直されるべき日本社会だと思います。

<参考サイト>

* 「堺利彦顕彰会:http://www12.ocn.ne.jp/~sayaka/turuta_hayama_sakai/sakai.html

* 「幸徳秋水を顕彰する会:http://www.shuusui.com/

 2年前に高知県四万十市を訪れた時、四万十中村で幸徳秋水のお墓をお参りしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3916)。冤罪(えんざい)のまさに始まり、日清・日露戦争を経た当時の時代背景をあらためて認識しました、「歴史に学ぶ」とは言え、歴史の検証というのも奥深いですね。記録の壁を穿ち、厚い扉をこじ開けて真実を究明する、そんな飽くなき姿勢が必須です。

 今後、7月「大正編:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/index.html」も楽しみです。~~~~~~~~~~~~

第5回 東と西をつなぐ ~内村鑑三・新渡戸稲造~

第6回 大正デモクラシーと中国・朝鮮 ~吉野作造・石橋湛山~

第7回 貧困に取り組む ~河上肇と経済学者たち~

第8回 常民の日本を探る ~柳田民俗学とその継承者~
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ウルトラジャンボ!隣の若い連中

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 札幌市営地下鉄「大通駅」の南1条西5丁目出口に向かう途中、 「やきそば屋大通店:http://gourmet.walkerplus.com/144461030638/」のディスプレイがあります。ほぼ毎日その通路を歩いていて、これは目に入っていました。お店にはいつも混んでいる時間を外して行っていたので気がつかなかったのですが、先日は丁度昼時、店内はほぼ満席で、私の両隣りにも次々と若いビジネスマンがやってきました。

地下鉄「大通駅」通路のディスプレイ

地下鉄「大通駅」通路のディスプレイ

 自分の注文は「並」でしたが、お店の方は「10円増しで大盛りになりますけれども?」。私は最近とても食べられないので、「いや、並で結構です」と答えました。その後、相次いで着席した若いビジネスマン、右隣は「スーパージャンボ!」、左は「ミラクル!」と言うではありませんか。私は変わった商品があるのだなと思っていたら、何とそれがあのディスプレイにあった焼きそばの「量」だったのです。いつも「並」しか頼まない自分は、この店は大盛りの「並」だと思い込んでいたのですが、やがて両隣に運ばれたそれぞれのお皿を見てびっくり!あのディスプレイにあったそのままの量ががお皿に山盛りになっているではありませんか。若い連中はそこにお気に入りのトッピングソースを何種類かそれぞれ自分なりにかけて食べ始めました。

一番上(皿だけ)が「並」、順に「大盛」、「ジャンボ」・・・

一番上(皿だけ映っている)が「並」、順に「大盛」、「ジャンボ」・・・

更に増えていく・・・・

更に増えていく・・・・

 この店はもう25年以上経っているとか、開店当時は250g、375g、500gの3段階だったメニューも、今では650~3000gも加わり9段階、ちなみに「スーパージャンボ」は2.5玉、「ミラクル」は3玉分だそうですよ。「ミラクル」の上にまだ2段階大盛のメニューがあります。用意する店も店でびっくりですが、それを注文して食べきる若い連中にも驚きでした、尊敬します!

 私にとって、「食べ放題」という言葉を初めて聞いたのは1960年代だったでしょうか。札幌市内南大通3丁目だったかと思いますが、「味のセンター」というビルが開店オープン、寿司・そば・和食・中華・洋食等、いろいろあっての食べ放題メニューが新鮮でした。それと今は大盛況のお好み焼き・焼きそばの「風月:http://www.fugetsu-sapporo.co.jp/」、札幌の南16条の第一号店で、焼きそばを3人前(?)を食べるとタダになるとか何とか、高校時代に教室で話題になっていたのを思い出しました。

 「焼きそば」と大盛りの想い出が、先日、急に蘇りました、フェイスブック(FB)でも食べ物の記事が多くアップされていますね。「生きる」ことは「食べる」ことなのでしょう!

札幌演劇シーズン、2012冬 (1)

Posted by 秋山孝二
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 「札幌演劇シーズン、2012冬:http://s-e-season.com/season/2012/winter/」が始まりました。今年の冬は以下の二つの劇団の公演でこの企画はスタートです。前半・後半、まだまだ続きます!

* 劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/の「このくらいのLangit:http://s-e-season.com/season/2012/winter/inadagumi/

* 劇団TPS(http://www.h-paf.ne.jp/)の「亀、もしくは・・・・:http://s-e-season.com/season/2012/winter/tps/

 先日は劇団イナダ組を見てきました、ウイークディの夜、雪にもかかわらず、会場のコンカリーニョ(http://www.concarino.or.jp/about/)180席は満員でした。

雪の中、開演前に続々と入場するお客さんたち

雪の中、開演前に続々と入場するお客さんたち

  HPによると、「劇団イナダ組が、10周年記念として2002年に上演したこの作品、舞台は東京の高架下、廃品回収業の亜細亜エンターテインメント。そこで生まれ育った兄妹『ビン』と『カン』を始め、その日暮らしの人々が暮らしている。ある日、ミズノと名乗る男が借金のカタに売られて来たところから物語は始まる。テレビ局の取材でミズノの提案でカンが描いた絵が紹介され、以来、カンの絵が高値で売れるようになり状況は一変。絵を描くことを強要される日々の中、フィリピン人のエミーが語る南の“楽園”に魅了されていくカン。カンが自分から離れていくことに焦るビン。それぞれの求める“楽園”とは・・・・」。

 2時間を越える大作でした、「お金」、「夢の楽園」、「愛」、「真実とは違う造られたストーリー」等、息つく暇もなくたたみ掛けるような展開に少しの疲労感、しかし、後半への移行から最終まで、熱演が続き大変面白かったです。タガログ語の「タンジット:空」に夢を抱きながら、まだまだ進化しそうな今回の芝居、再来週にまた観に行こうと思います。

 公演終了後の企画として、ステージ見学・役者との交流がアナウンスされていました(http://www.concarino.or.jp/2012/01/syuuengocafe/)。役者はどんな目線で芝居をしているか、直後の舞台に上がってのガイド、役者から視る客席はどんな具合か、そして、終演直後の役者との交流等、斬新なアイディアは大変な人気のようです。熱演直後のお疲れの所、役者の皆さまにも感謝したいです。

 舞台と客席の関係性から一歩踏み込んだ、新しい交流によって生まれる演劇の魅力を感じて頂ければ嬉しいですね、観客に若い方々が多かったのも楽しみです!

山本義隆、変わらぬ深い洞察!

Posted by 秋山孝二
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 昨年の3・11以降、出会った最も印象的な書物に、山本義隆著「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと:http://www.msz.co.jp/news/topics/07644.htmlがあります。わずか100ページ程ですが、ご存知の方は忘れられない名・山本義隆http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8821)、この変革期に変わらぬ深い洞察です。

 その中から幾つかのフレーズ~~~~~~~~~

* 20世紀に大きな問題になった公害の多くは、なんらかの有用物質の生産過程に付随して生じる有害物質を、無知からか、あるいは知っての上での怠慢からか、それとも故意の犯行として、海中や大気中に放出することで発生した。ひとたび環境に放出された有害物質を回収するのは事実上不可能であるが、技術の向上と十分な配慮により廃液や排気を濾過し、そのような有害物質を工場外に出さないようにすることは不可能ではなく、またこうして発生源で回収されたそれらの有害物質を技術的に無害化することも、あるいはそのような技術が生み出されるまで保管しておくことも、多くの場合可能である。・・・・いずれにせよ有害物質を完全に回収し無害化し得る技術が伴ってはじめて、その技術は完成されたことになる。

* 無害化不可能な有毒物質を、稼働に伴って生み出し続ける原子力発電は、未熟な技術と言わざるを得ない。

* 定期検査では、放射能を有する気体も大気中に放出されている。このように原発は、それ自体が放射能と熱の二大汚染源である。その影響がすぐに明らかにならないからと言って、このまま原発を稼働し続け、何世代も後にどのような影響がもたらされるかを人体実験するわけにはいかない。つまることろ原子力発電は、日常的に地球環境を汚染し、危険で扱いの厄介な廃棄物を生み出し続け、その影響を受益者の世代から見て何世代、いや何十世代も先の人類に、負の遺産として押しつけているのである。

* 税金を用いた多額の交付金によって地方議会を切り崩し、地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、優遇されている電力会社は、他の企業では考えられないような潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、頻繁に生じている小規模な事故や不具合の発覚を隠ぺいして安全宣伝を繰り返し、寄附講座という形でのボス教授の支配の続く大学研究室をまるごと買収し、こうして、地元マスコミや学界から批判者を排除し、翼賛体制を作り上げていったやり方は、「原発ファシズム」という様相を呈している。

* 経験主義的に始まった「水力」や「風力」、あるいは「火力」といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的使用、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみに基づいて生み出された。

* 今回東北地方を襲った大津波に対して、最も効果的な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然に対する畏れの感覚を、もう一度取り戻すべきであろう。

* こうなった以上は、世界がフクシマの教訓を共有するべく、事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、その上で、率先して脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以上 引用おわり

 日本を代表する卓越した物理学研究者・山本義隆の見識でした。

 実を言うと、私の家の書棚には、8年前に第30回大佛次郎賞を受賞した彼の著書「磁力と重力の発見1・2・3:http://www.msz.co.jp/book/detail/08031.html」が置いてあるのです。三冊をすぐに買ったのですが、最初の100ページを読んで挫折して、そのまま今日に至っていました。今回の彼の原発事故への深い考察を目の当たりにして、再度「磁場と重力の発見」に挑戦しようと意欲が湧いてきました。

 山本義隆氏の変わらぬ見識に感動し、力を得ました。

2015年・2025年の医療と介護

Posted by 秋山孝二
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 医療経済研究機構(https://www.ihep.jp/)が主催する今年7年目の「新春特別講座」、数年前までは毎年参加していました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=424)が、今年も興味深かったですね。

 今年のテーマは、「2015・2025年の医療と介護―在るべき姿とそこへ至るための課題―」。「高齢社会」と言われて久しい日本ですが、何だかんだと時間が過ぎていくと、2040年を境にして、突然この傾向にもブレーキがかかるそうです。制度改革論議も、時間を掛けてじっくりやればよいというものでもなく、今考えるは2015年に向けての改革、それ以降は、医療も、介護も、その連携も、かなり柔軟な変更ができる構図が重要とのこと、言い換えるならば、改革論議・実践にはスピードが必要なのでしょう。

 

 北海道の医療の先駆的実践者と言えば、北海道室蘭市にお住まいの西村昭男先生が頭に浮かびます。私も医薬品卸の経営に身を置いていた時、経営戦略、将来の医療への視座に関して多くのことを学ばせて頂きましたが、年明けに室蘭市の素晴らしい景観のご自宅を訪問して、久しぶりにゆっくりお話を伺って参りました。

 2010年7月末で社会医療法人社団カレスサッポロ(本部札幌:http://www.caress-sapporo.jp/)の理事長を退任し、大城辰美理事(スクウェア・ワン社長)にその職を譲られました。現在「アグリ工房イタンキ:http://d.hatena.ne.jp/n43dkht/20101021/1287651641」という株式会社を立ち上げ、室蘭の自宅近くで野菜生産工場を今年3月に稼動させる予定です。これまでの資料を整理しながら、20年前に自分が提起した様々な指摘・プランが、今もなおそのまま通用するように今の医療は旧態依然であることを、嘆いていました。医療とのかかわりは患者としてだけと笑われていましたが、間違いなく辛口の患者(?)でしょうね。

遠くに冬の樽前山

札幌・室蘭のJR車窓から、遠くに冬の樽前山を望む

  病院経営について、数十年間、数々の改革・先駆的実践をされた西村昭男先生は、「今後はアグリ事業に力を注ぎ、共に生命を扱う使命が共通しているので、経験を活かした研究開発ができれば嬉しい」と、お元気な姿でお話になっていました。農業を通じて命に寄り添い、北海道の限りない価値を高めていかれる姿勢を語っていました。昨年は日本の豪華客船「飛鳥」のクルージングで、2月のニュージーランドの地震に遭遇し、3月に帰国した直後には、羽田空港で3・11の大震災にも巻き込まれたそうです。

お元気な西村先生ご夫妻

お元気な西村先生ご夫妻

 ますます意欲旺盛な西村先生のご活躍を、心から祈念しております。

ダルビッシュ、君ならできる!

Posted by 秋山孝二
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 何とも爽やかな、誇り高き若者、ダルビッシュ・有(http://ameblo.jp/darvish-yu-blog/)!

 そして、ここまで彼をきっちり育てた北海道日本ハムファイターズ(http://www.fighters.co.jp/)の経営陣・選手たちに、心から敬意と感謝です。24日、札幌ドームで記者会見がありました(http://www.fighters.co.jp/news/detail/2501.html)、1万人を越えるファンの前で、途中、記者のつたない質問にも優しい眼差しで応える姿勢で、実に堂々と、気負いも無く自然で、立派でした!

堂々たる若武者、ダルビッシュ・有

堂々たる若武者、ダルビッシュ・有

 これまで彼については何回も書きました。

* WBCでの活躍(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=760)、この後決勝では締めくくりで再度投げて、優勝のマウンドに立っていました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1813

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2528

 

 彼のブログでは、こう語っています。~~~~~~~

 昨日会見で話したメジャーに行く理由ですが、日本のプロ野球が物足りなくなったのではなく、戦えなくなったのだと言うことです。モチベーションを保つために一試合の中で自分なりに制限をかけたりもしてましたが、やっぱり全部の力を出したいと思うのがアスリート!自分の仕事や勝負を全うしたいと思ったのでメジャーに行く事にしました。
 メジャーではどうなるかはわかりません。ただ自分の出来る事をこなしていればいい結果になると思います。これからも野球をはじめ、トレーニング、栄養の事をちゃんと勉強して、さらに上へ行きたいと思います。

 個人的に鶴さんへ:7年間首を振り続け、後輩らしからぬ態度を取ってすみません。しかしちゃんと感謝していますよ!鶴さんがいなかったら自分はいなかったと思っています。鶴さんが選手会長は不安ですが、いい方向に行くことを願ってます。

 ファンの皆様へ:7年間ありがとうございました!常に応援してもらい幸せでした。これからもファイターズをよろしくお願いします!あとレンジャーズも!(笑) それと一つだけ。あなた達が選手を愛すようにファイターズの選手もあなた達を愛しています。あなた達が想像する何十倍もです。どんなことがあっても支えてあげてください。打てなくても、抑えられなくても、いつもの温かい言葉と拍手を送ってあげてください。またオフに北海道に行きます。最高の思い出をありがとうございました!!
ダルビッシュ 有 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「求道者」と言うのでしょうか、道を究めようと理想に向けて突き進む姿は美しく、感動します。記者会見でスタンドを埋めた、或いはテレビの前の多くのファンは満足したと思いますね。とにかく、彼の言葉には力があったし、「本当に勝負したい」、まさにプロフェッショナルの真髄でした。

 ダルビッシュ・有、君なら間違いなくメジャーリーグでも勝ち続ける、これまでのたくさんの感動をありがとう、是非、頑張ってね、応援し続けます!

祝・芥川賞受賞、円城塔さん!<改訂版>

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 私の高校(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10719http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4447)の22年後輩、円城塔さんが、今年の芥川賞を受賞されました!言い換えると、私は彼の「先輩」です(??)

 第146回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞に円城塔さん(39)の「道化師の蝶(ちょう)」(群像7月号)と田中慎弥さん(39)の「共喰(ぐ)い」(すばる10月号)、直木賞には葉室麟さん(60)の「蜩(ひぐらし)ノ記」(祥伝社)が選ばれました。副賞は各100万円で、授賞式は2月中旬に東京都内で開かれるようです。新聞・テレビで、円城塔さんが札幌出身とは知りましたが、もう一人の田中慎弥さんのユニークさの報道が多くて、数人の方から同窓だと教えてもらい、初めて知りました。何と言っても肝心の作品「道化師の蝶」を読んでいないのですから、話になりませんね、「文学」は私にとって遠いなと、あらためて感じました。

 受賞発表後のやり取りは、こちらに:http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/106745.html

 円城さんは現在は大阪市在住で、東北大学理学部を卒業して東大大学院博士課程修了、理学部での専攻は物理学です。報道によると「受賞作は5章構成。各章ごとに違う『わたし』の視点で語られる。『着想を捕まえる虫取り網』を軸に、時も場所も登場人物も変化しズレていく小説。円城さんは『小説は色々あるので(私の作品も)広めていいと判断して頂けた。ただ、分からないという人がいるのは力不足。精進します』とあり、少々難しそうな小説ですね。

 さらに、選考委員を今回で退任する黒井千次さんが、「道化師の蝶」は「不思議でファンタスティックな面白さを追いかけることができる。今までの小説と違う新しさと面白さが注目された」と評したそうです。

 とにかく、すぐに読んでみます、そして、まずは、芥川賞受賞おめでとうございます!、ですね。

 後輩と言えばあと二人、是非紹介したい方がいます。一人は、防衛省の重責を担う立場に近く就く方で、岩崎茂航空幕僚長の統合幕僚長への就任に伴い、私の高校2年後輩の片岡晴彦・空将が後任の航空幕僚長に就任予定です、頑張ってもらいたいですね。

 もう一人は今月メディアでも話題になりました、将棋の米長邦雄・永世棋聖を破った将棋ソフト「ボンクラーズ」の開発者、伊藤英紀さんです、彼は一回り(12年)後輩です。彼の挑戦はまだ始まったばかり、竜王、名人に勝てるソフト開発が目標とのことです。

 素晴らしき後輩たちです。

「寺島文庫リレー塾2011」、終了

Posted by 秋山孝二
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 寺島文庫(http://www.terashima-bunko.jp/about.html)主催の第2回リレー塾(http://www.terashima-bunko.com/bunko-project/relay.html)計6回が、先日、終了しました、毎回200名を越える参加者で大盛況でした。

10数人いらっしゃいました

1期・2期の皆勤賞は、10数人いらっしゃいました

 数年前に、札幌医科大学でもリレー塾が開催されました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7141)が、今回の東京でのシリーズは、「日本創生への視座」と題して、現在の日本・世界の課題に対して思索を続ける論客ばかり、日頃テレビ等のメディアでは聞かれない突っ込んだ言及で興味深かったですね。私にとっては、寺島実郎さんは勿論ですが、西部邁(http://www.hatugenshajuku.net/)さんの「危機における『実存的保守』の構え」が印象的でした。もう20年近く前になりますか、「発言者塾」を札幌で開催して、私も続けて参加していました。昨年11月は一層分かりやすいお話でした、その一部から~~~~~~~

* 3・11で被災した85歳のおばあさん3人の言葉:「こんなこと、あの戦争に比べれば何のことはありません」、「娘・孫、みな死んだ、こんなことならいっそ死んだ方がよかった」、「生き残った一本の梅の若木、残り5・6年、これを育てることが私の人生の役割です」

* 生きるための「よすが」、「基準」みたいなもの、それが「実存の姿」

* 死へ向かって人間はどう生きるか、廃墟の中から浮かび上がる「基準」は実にシンプル

* 1930年代、ヨーロッパは危機の中で徹底的に考え抜いて、「実存哲学」は生まれた

* 「tradition」は、「伝統」と訳されてきているが、本来は「trade:トゥレディーノ」で「運ぶ」という意味、意訳して「運ばれ来たれしもの」となる――習慣の中にある平衡感覚を保とうとする概念:「保守」~綱を渡る時の「バランシングバー(棒)」

* 昨今の議論では、左翼はこの「伝統」を「拘束衣」と思いこみ、右翼は「岩盤」と誤解している、山の尾根を歩く、或いは綱を渡るがごとき緊張感に満ちた歴史から生まれた概念である

* 近代主義:「自由」・「平等」の二分割

* 18世紀・近代保守思想の祖:エドモンド・バーク

* 「維新」の本来の意味:孔子の「天命――変わらぬもの」、「維」は、「房」の意で、糸が縦横にしっかりしている状態

* 「revolution:革命」の「革」は、皮を剥ぐから派生して「変える」の意、「命」は「天命」で変わらぬものの意、すなわち、「革命の本来的意味は、「不変なものを守るために今のものを変える」である~~現在は、この「変わらぬもの」の議論が無いではないか!

* 「危機管理」という言葉は、言語矛盾!

* IT革命は「将来を確率的に予測する」(?):条件が変わらないことを大前提として、言い換えれば、昨日・今日の変化を将来としてしまう「近視眼的」な発想。欲望・技術・制度等、そんなことはあり得ない

* 「モノづくり」には、必ず長期的イメージがあるはず

* 「テクネー」は「生きる知恵」の意、そこから派生したテクノロジー(技術)の言葉、戦後日本は「テクノマニアック:技術狂」、昨今の原子力議論は、技術に話を落とし込んでおいて最後は井戸端会議かよ!

* 人間が「生きる」ことは、「時代」を生きること、時間軸の中でイメージを組み立てることが大切である。定かでないものを、「変化」、「変化」と礼賛すべきでない、これが「実存のエッセンス

* 日本の伝統に立脚した「歴史的有機体――組織」が乗り越えられようとしている、すなわち、歴史の破壊である

* 日本的集団経営方法を如何に活かすかを考えるべき時

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~講演概略 おわり

 

 最終回に寺島実郎さんがおっしゃっていましたが、この20年間、社会科学的アプローチから指摘していた二つの視点、1)マネーゲーム批判、2)イラク戦争は間違った戦争については、今も変わっていないと。そして、昨今の日本の論評について、今必要なのは、政策科学的な「あるべき姿」を語り続ける「現状の変革者」ではないのかと、淡々と締めくくられました。

 私自身、今、テレビ・書籍で巷にあふれる表層感覚の教養主義、「時代の解説をして見せる人」ではなく、時代の課題に真摯に向き合い、提言を続ける人に、たまらない魅力を感じます。同時に、自分の頭で考え続けることを続けたいです、同じ時間・空間でお話を聴く価値、あらためて意義深いですね。

誇りです、澤選手、佐々木監督

Posted by 秋山孝二
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 「FIFA女子年間世界最優秀選手賞」に澤穂希選手、「女子年間最優秀監督賞」に佐々木則夫監督、「フェアプレー賞」に日本サッカー協会(http://www.jfa.or.jp/)が、それぞれ選ばれ、スイス・チューリッヒで授賞式が華やかに行われました(http://www.jfa.or.jp/jfa/topics/2012/6.html)、アジア初の三部門、爽やかな受賞でした!

メッシと握手する澤穂希選手

メッシと握手する澤穂希選手

  「世界」と名のつく褒賞で、堂々と和服姿で登場の澤選手、日の丸を付けていなくても、一目で「日本」をアピールする映像を見て、しばらく忘れていた国際社会の中の日本の存在感でした。昨年末、NHK・BSで、「なでしこジャパン」のワールドカップの試合をフルで見ていましたが、一戦一戦、成長・進化するチームの姿を再確認しましたね、特に、予選リーグのイングランド戦で敗れて、ヨーロッパ・アメリカとの戦い方を学んだ感じです。昨年夏の感動(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9370)を思い出すと共に、年明け一番の元気の出るニュースでした。

失くした手帳、戻ってきました!

Posted by 秋山孝二
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 昨年師走の中頃、東京出張した際に、私は大切にしていた手帳をどこかで失くしました。それには、これまで数十年の連絡先電話番号、各種のID・パスワード、札幌市営交通の残額7000円位のウイズユーカード、東京都地下鉄路線図、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン市の地下鉄路線図、NTTカードも一緒でした。

そのまま全部、戻りました

そのまま全部、戻りました

 これまで出張中に自分の持ち物を落としたことはありませんでしたが、失くしてみると大変な喪失感で、年末・年始、仕事の合間に出張行程を思い出しながら、問い合わせをしていきました。財布を取り出した時に一緒に落としたか置き忘れたか、ANA、新千歳空港ビル、羽田空港ビル、JR北海道、札幌市交通局、京浜急行、フォーラムのあった寺島文庫ビル、面談した品川のカフェ、etc。現実的にはカバンから他の物と一緒に出て落ちるというのはあり得なく、用事で取り出して、そのまま置き忘れた可能性が高いことに気がつき、最終的に、年明けの先日、JRバス関東館山支店から千葉県館山市警察署に保管されていることが分かりました。12月19日夜、東京駅からアクアライン経由館山行きのバス内で、座席上に置き忘れたようです。

 まあ、思い出そうとしても記憶がない、何とも情けない一ヵ月でしたが、全て手元に戻ってきて、「めでたし、めでたし」です。それにしても、日本の現場力のレベルは実に優秀ですね。どの窓口でも1分も待つことなく、「Yes」、「No」の返事があり、受け答えも実に丁寧でした。

 そう言えば昨年は、札幌ススキノでお店に名刺入れを忘れて、一緒だった方に預かって頂いたり、今回の手帳の紛失、たまたまともに手元に戻ってきたものの、集中力の欠如は如何ともし難いですね。今年は年明けから、反省しきりです、ある方は「縁起が良い!」と言ってはくれますが・・・・・。

 Facebookでは、たくさんの方々から「お祝い?」のお言葉を頂き、恥ずかしいやら何やらで、複雑な気持です。皆さま、この様なことでご心配を頂き、心から感謝致します!

屋根は、日本の資源です!

Posted by 秋山孝二
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 阪神大震災から17年目の今日です、私たちはあの地震から何を学んだのでしょうか?

 新しい時代ですね!!!年明けから、こんな広告がいっぱいです。

PANASONICの新聞広告から

PANASONICの新聞広告から

新しい時代に突入!

新しい時代に突入!

 家の屋根で「発電」ですよ、「電気を創り出す家」といったハウスメーカーのテレビCMも目にしました。

 このような企業の動きを裏付けるように、昨年、国に大きな動きがありました、2011年6月7日、新成長戦略実現会議(http://www.npu.go.jp/policy/policy04/archive02.html)の分科会として「エネルギー・環境会議:http://www.npu.go.jp/policy/policy09/archive01.html」が設置されました。10月3日には、その「エネルギー・環境会議」に「コスト等検証委員会:ww.npu.go.jp/policy/policy09/archive02.html」が発足しました。

 12月19日にこの委員会が報告書をまとめました。その中で、太陽光についての報告は以下のようになっています。~~~~~

(6)太陽光 (住宅用・ メガソーラ)
○太陽光については、2010年モデルシステムの発電コストは、30円/kWh以上(割引率3%、設備利用率12%、稼働年数20年)と、他の電源と比べても、高い水準であるものの、足元でも、システム価格が低下しつつあり、また、2030年には量産効果などにより、大幅な価格低下が期待され、現在の2分の1から3分の1にまでコストが下がる可能性がある。これが実現されれば、石油火力(割引率3%、設備利用率10%、稼働年数40年)よりも安い水準が達成される。次世代太陽電池など革新的な技術が実現すれば、さらに下がる可能性もある。
○ただし、太陽光の導入が拡大してきた場合、将来、配電系統における電圧変動抑制対策を含め、何らかの系統安定化のための追加的な投資が必要である。その中には、系統安定化のための調整電源の確保、系統連系強化、需要動向に基づく需給調整や、蓄電池の役割の整理・普及をどのように進めていくかという論点がある。
○住宅用でも、メガソーラーでも、既存の揚水発電所の活用や蓄電設備併設を含め電力システムの需給調整力の向上により、昼間しか出力しない、出力調整ができないなどの太陽光発電の課題を解決する可能性も出てくる。住宅のヒートポンプ給湯、電気自動車の充電などによる調整を利用すれば、蓄電機を別途付ける量も低減できる。現時点では、蓄電コストは高く、今後、どの程度低下するかが導入拡大の鍵を握る。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 経済同友会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8221)の昨年の会議資料にも、「太陽光発電の普及には、低コスト化に向けて、さらなる技術開発を進めていくとともに、耕作放棄地、マンション・工場の壁面、など、制度制約や転換効率等の課題が存在する場所での設置を進めていくための制度改革、及び、それに採算性を持たせる技術・ノウハウの開発が不可欠である。」とありました。

 恐らく、これまでの日本企業の技術開発レベルから想像すると、これを遥かに上回るスピードで課題が解決されると思います。「メガ○○」とかの巨大設備投資よりも、小規模分散エネルギーの製造であり供給が、安全・安心・省エネ・少エネのキーワードだと私は思います。今年は、自分でも真剣にエネルギーについて考えて行動しようと思います!

鴨下重彦先生の遺志を継いで

Posted by 秋山孝二
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 東京大学名誉教授・小児医学研究振興財団(http://www.jpeds.or.jp/zaidan.html)理事長・鴨下重彦先生が、2011年11月10日に前立腺がんでお亡くなりになりました。

 今から4年ほど前に、褒賞事業「新渡戸・南原賞」を秋山財団で引き受けました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35)が、それから、ご一緒に多磨霊園へ新渡戸稲造・内村鑑三・南原繁・矢内原忠雄のお墓参り、南原繁の母校の四国・三本松高校の訪問等、鴨下先生には運営委員長として、この間大変お世話になり、昨年9月の秋山財団「新渡戸・南原賞」授賞式には、お元気な姿でご出席・ご挨拶をされていました(http://www.akiyama-foundation.org/nitobe/)。

 その後、11月3日、東京神田・学士会館で、「南原繁研究会:http://nanbara.sakura.ne.jp/」シンポジウムが開催されて、そこでの基調講演が最期の講演となりました。私はこのシンポジウムに3年前に出席(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=215)しましたが、昨年は出席できず、後日、山口周三事務局長から送って頂いたDVDで拝見しました。概略は下記の通りです。

* 南原繁「人間の使命」:昭和23年9月30日、東京大学卒業式での演述(http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-001004-7.html

* 矢内原忠雄:昭和36年7月8日、北海道大学で最期の講演:内村鑑三とシュバイツァー「畑は広い、働き人は少ない」

* 内村鑑三:明治27年7月(日清戦争2週間前):「後世への最大遺物・デンマルク国の話:http://www.aozora.gr.jp/cards/000034/card519.html

* 大災害をどう受け止めるか、「災害社会学」~~「非常時の礼節」-大混乱の中で日本人が世界に示した勇気と美徳

* 渡辺和子(ノートルダム清心女子大学学長:http://www.ndsu.ac.jp/):2・26事件で射殺された渡辺丈太郎教育相の娘さん、目の前で射殺され、その後の人生に強い影響を与えた。第7師団長の時に、北海道・旭川市で誕生

 

 「鴨下重彦先生を偲ぶ会」は12月4日に国際基督教大学で開催されましたが、私はどうしても都合がつかず欠席でした。その数日前にご自宅に弔問に参りました時、奥様がご在宅でしばしお話ができて、先生の書斎にもご案内して頂きました。あふれるほどの書物に机、ここで鴨下先生が深く思索されていたのかと思うと胸が詰まってきました。

 2月には「新渡戸・南原賞」運営委員会を開催して、新しい代表を決める予定です。鴨下重彦先生、これまでのご指導に心から感謝申し上げます、先生のこの「新渡戸・南原賞」に込めたご遺志をしっかり受け継ぎます、どうか安らかにお眠り下さい。

温暖化を肌で知る?

Posted by 秋山孝二
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 「温暖化」により北極の氷が溶け出しているとよく聞き、映像でも見たりしますが、遠い場所のことで今一リアリティがありません。

 札幌に住む私の身の回りで感じることは、特に冬の積雪の形状ですね。昔は、北海道は粉雪で、屋根の雪はしばし積もっていても、やがて傾斜でサーッと落ちていったような気がします。この数年は、粘り気(水分?)が強く、なかなか地表に落ちてきません。カーテン状につながって湾曲し、最終的には雪が落ちる場所も家に近い所になり、家の壁の傷み方も大きいような気がします。

家の屋根の雪

家の屋根の雪

  本州の人々は、「温暖化で雪が減ったのでは?」と言いますが、必ずしも雪の降る量と「温暖化」は、札幌の緯度では相関関係があるとは思えません。雪の「質」が変わるというのでしょうか、今年の冬、円山公園の雪も例年通りです。

円山公園入り口20mから北方面を望む

円山公園入り口20mから北方面を望む

 そう言えば、昨年秋にほとんど成らなかった柿の実(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10619)でしたが、前の冬にやってきていた鳥たち(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7104)は今年はどうやって冬を過ごしているのか、気がかりですね。さらに、昨年秋に札幌に出没していた熊も、無事冬眠に入ったのでしょうか?