姉妹都市交流からの財産を活かしたい!

Posted by 秋山孝二
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 最近、札幌市の国際化について、長年携わって来ている方々と意見交換する機会がありました。札幌市は地方としては、大変国際交流活動の進んだまちでしたが、昨今何故かグローバルな時代にも関わらず、以前より海外との交流が停滞している感じがしているとの事です。

 

 札幌で生まれ18歳まで育った私は、その後日本の幾つかのまちで暮らし、世界の沢山のまちを訪れました。とりわけ「姉妹都市交流」は私にとって貴重な体験で、其の中で1)80年代の米国オレゴン州ポートランド市、2)90年代前半のロシア・ノボシビルスク市への訪問は忘れられない想い出です。

 

オレゴン州ポートランド市: 昨今、「インターンシップ・プログラム(単位認定企業研修)」の役割と効用が新聞紙上でよく見かけます。教育実習の企業版とでも言えるのでしょうか、正式な単位認定となる企業実習です。今から20年前に、私達はポ市州立大学(PSU)の学部長他関係者の方々と、札幌の地場企業でのプログラムを提案・構築しました。まさに「手作り」のプログラムでした。

 

それに先立つ1985年11月、札幌市の要請を受けて若手経営者5名でポ市を訪問した際にそのきっかけは出来ました。ポ市の窓口はバド・クラーク市長(当時)直属の秘書室ジャン・ヴァン・ドメレンと市経済局でした。この訪問で他に「都市マッピングシステム」、「交通網データベース」の技術に接した私達は、将来の札幌を想像し目から鱗が落ちる思いでした。

 

翌1986年6月に地元法人会員14社が集まり、任意団体「IBEC:国際企業交流会・札幌」を設立しました。以来このプログラムでの受け入れ学生は15名、就職した学生は5名、留学生の交換プログラムでは127名、受け入れ企業は53社に及びました。ビザ取得・滞在施設の交渉・企業への依頼はじめ、人材育成の枠組み創りで貴重な体験の数々でした。

 

数年前に、市内で開催された「都心の交通連続フォーラム」でも、ポ市の「Metro:メトロ」を軸とした新しいマチづくりの報告を聞き、進化し続けてきたポ市の軌跡を改めて知りました。一方で、20年近くも前に私たちが札幌市長を訪問し、報告・提言した「Metro:メトロ」等の先進的まちづくりプランは、環境重視の今、市役所でどう政策に反映されたのか、忸怩たる思いもあります。ただの「交流」だけで、先進的試みから学ぶ姿勢が無ければ、イベントの連続で、蓄積するノウハウとはならないか、あるいは財産の持ち腐れでしょう。

 

ノボシビルスク市: 英語の「ニュー・シベリア」を意味する西シベリアの中心都市は、特に印象深い訪問でした。1990年8月に、「ノボシビルスク100年基金財団」と「札幌国際交流プラザ」とがノ市において盟約を交わし、ノ市は札幌の4番目の姉妹都市になりました。其の直後に12名からなる「第一回札幌国際交流プラザ経済・文化使節団」が初めて派遣される事になったのです。

 

1990年10月20日夕方、私は使節団の団長としてハバロフスクからイルクーツク経由で、緊張と期待のうちに、雪降るノボシビルスク空港に到着しました。空港では真紅のバラの花束が贈られ、地元ラジオ放送局の取材もありました。私自身、ロシアの大地に立った感動は今も忘れられません。使節団のメンバーは、日本語教育・音楽・演劇・美容・出版界等幅広く、夫々その後の交流に繋がる有意義な訪問だったようです。私はビジネススクールで4日間、延べ15時間の講義でした。英語からロシア語への通訳を介して、日本のビジネス環境・習慣・教育システム等を説明しました。参加者の方々の真剣な眼差しは忘れられません。

 

それから4年を経て、モスクワ・サンクトペテルブルク経由で再びノ市を訪問する機会が有り、急速に変貌するロシアの一端を実感しました。

 

 「あの時のあの人は、今元気だろうか」と懐かしく思い出しながら、「このまちは最高さ!」と笑顔で語る姿も眼に浮かびます。限りない可能性を秘めた「札幌」のまちで、これからを担う若い世代が伸び伸び暮らせる環境を創る一助として、「いのちを育むまちづくり」の私の新しいチャレンジは、ささやかではありますが始まっているのです。