第12回「シニア・エージ」セミナー 司会・宇田川清江、構成・小栗謙一
山の手大空襲を語る「表参道が燃えた日」に出席しました。プログラムは下記の通りです。
第一部:プロローグ:米軍による日本空襲計画の映像映写(日本初公開) 体験談朗読「表参道が燃えた日」より
第二部:座談「体験エピソードを語り合う」
親戚が「表参道が燃えた日」の出版に関わり、このフォーラムの案内が来ましたので、出席しました。大変内容の充実した素晴らしいフォーラムでした。チラシからの抜粋です。
・・・63年前の5月25日夜、米軍機B29により、東京、山の手地域が焼夷弾の無差別爆撃を受けました。今華やかなファッションの街表参道も、一夜にして灰に帰したことをご存じですか?多くの方々が犠牲になりました。戦災の惨禍を語り継ぎたいと有志の人たちが体験記をまとめました。戦争のない世界と人間の尊厳を願って、是非ご一読下さい。http://stuttgart.exblog.jp/8771764/
周辺で、「あなたはあの時、どちらの方向に逃げたのですか」とのやり取りが休憩時間に聞こえてきました。~渋谷・明治神宮・青山・赤坂・・・・~。檀上の方の、特に印象に残った言葉は、「テレビでアフガニスタン、イラク他の爆撃のニュースを見ていますが、それらは全て爆撃をする側の映像です。その向こうの地面に逃げ惑う市民たち、それこそが60数年前のまさに自分たちそのものだったはずです。自分たちの悲惨な体験を、しっかり伝えていく事の大切さを痛感する毎日です。」と絞り出す声でした。
思いついたままのメモより・・・・
*焼夷弾、爆撃機の操縦士の顔が見える高さだった
*戦争のない世界、戦争の愚かさ、それを若い世代に伝えたい
*忌まわしい光景、しかし忘れてはならない事実
*恐怖というより、本能的に逃げた
*火の中を逃げ回った
*桜の花の様に、パッと咲いて、パッと散るのが最高の人生だと信じていた。でもパッと散る事は難しい。黒こげの煙の出る死体の数々を見ながら、教育の怖さを感じた
*自分の体験(戦争の話)はしたくなかった、でもこの数年前から伝えなくてはと思うようになった
*生き残る人たちは、「星に、碇に、顔に、ヤミ」
*東洋英和高等女学校の名前を「英国」との「和」だから変えろと言った人がいる、自分の名前こそ変えろ!「英国製飛行機だろ、英機!」