ワグナー・ナンドールという人物をご存知でしょうか。
ナジュバラドというハンガリー(現在はルーマニア領)の小さな町に生まれ、1956年ハンガリー動乱(革命)での学生指導者・芸術家のひとり。その後スウェーデンに亡命して、そこで私の叔母ちよと出会い、結婚し、やがて日本に帰化して栃木県益子町にアトリエを構えて活躍しました。11年前に亡くなり、現在はそのアトリエを保存・発展し、財団法人タオ世界文化発展研究所http://wagnernandor.com/indexj.htm として春・秋の展示会他の活動を行っています。
彼は東洋と西洋のクロスする価値に魅せられ、多くのメッセージ性の強い彫刻を残しました。しかしながら、母国ハンガリーでは不遇の時代を過ごし、彼の作品の再評価が、この10数年始まって今日に至っています。日本では、町の広場、公園等にある芸術作品は、何か強い時代のメッセージを感じません。公共投資の一環として、ある意味では意図的にそういった作者の主張を除いている風にも見受けられもします。
ヨーロッパの町の広場は、そこの住民の集会の場であり、歴史的にはある時は革命広場、ある時は虐殺の現場でもあります。従ってそこに設置される芸術作品は、明確にメッセージのシンボルであり、それ故に体制が変わるときには引き倒されるといった光景につながってくるのだと私は以前から感じていました。
私の叔父ワグナー・ナンドールの作品には、力強さとそんな心の底からの叫びを感じます。そして20世紀の歴史に翻弄されながらも、力強く生き抜き、東洋・日本の哲学に行き着き、安らぎを得た生涯に感動します。先日の穏やかな秋の日差しの中、益子町の小高い土地に展示されている彫刻作品を見ながら、しばし物思いにふけるひと時でした。