今年で31年目となる木朝会、2018年初めての最初は、「公益財団法人 札幌交響楽団(http://www.sso.or.jp/)」の総務営業部中川広一次長による「オーケストラの裏側」でした。
* これまでの木朝会の記事はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%A8%E6%9C%9D%E4%BC%9A
当日は、永井健専務理事、庄司寿子総務営業部部長もお越し頂き、普段なかなか聞けない裏方の皆さんのご活躍を垣間見た気がします。沿革はこちら――> http://www.sso.or.jp/sso/profile/
札響歴史の説明で、発足時から初期の時代、初代常任指揮者荒谷正雄先生、初代理事長阿部謙夫(元北海道放送社長)、北海道銀行島本融(とおる)初代頭取、等、懐かしいお名前をお聞きしました。
この56年間の中で、事業は大きく拡がりを見せています。
札響の高いレベルは国内外の評判ですが、本当に札幌・北海道の宝であり誇りですね。そして、ここまで温かく応援してきた多くの道民の皆さんにも感謝したいです。私が小・中・高校の6年間習った上原与四郎先生も、群馬交響楽団から移籍したチャーターメンバ―でした。映画『ここに泉あり(http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou44/kokoniizumiari.html)』は、1955年2月12日公開の日本映画。中央映画製作、独立映画配給。監督は今井正、主演は岸恵子。モノクロ、スタンダード、150分。 高崎の市民オーケストラが、群馬交響楽団へと成長する草創期の実話を舞台としたヒューマンドラマです。その群馬交響楽団から7名が札幌交響楽団に移籍して、当時、「泉が枯れる」との批判を受けたと、永井健専務理事からその場で伺いました。
* 上原与四郎先生についての記事――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4859
「芸術文化を育てる」と簡単には言いますが、やはりその時代の人に恵まれないとできないことですね。当事者の芸術家だけではなく、経済界の見識とか人物の大きさとかです。今、そんな人材の劣化を痛感する中、私なりに何か貢献できればと思っています。
何やら珍しく謎めいたタイトルで失礼します、今日は私の67回目の誕生日。
昨年末から年初にかけて、私が関わる組織で、これまでしっかり仕事を支えてきた方たちのモチベーションが落ちたり、今後の展望が見出せず苦労している姿をしばしば目にしています。
私自身、これまで、何かをしなかったことを後悔するより、挑戦してみてつまずく方がまだいいことと自分に言い聞かせて、前へ前へ進んで生きてきたつもりです。でも、このことはなかなか多くの人と共有するのは難しいようですね。カベにぶつかっている当事者のお話を聞けば聞く程、なるほどと納得する場合が多く、とても「ガンバレ、ガンバレ!」とは言えない気持になります。
「モチベーションアップ」をテーマとした研修プログラムも世の中にはたくさんありますが、私から見ると?が多く、どうアドバイスをしたらよいのかは至難の業です。
これまで、私が所属する会社のトップが亡くなった場合に友人から頂いたアドバイスは、「年齢の上の功労者がお亡くなりになるというのは、次世代の台頭を促す最高の配慮と考えるべき」と。「追悼は勿論、大切な見送りのプロセスだが、故人を悲しむ、愛おしむよりも、次の担い手たる若い世代がしっかり次代を引き受け、引き継ぐ姿を示すことこそが、最高の供養だ」と。この言葉を信じて、私はこれまで幾多の困難を乗り越えてきました。
もう一つ心に留めていること、自分の働きは、歴史の1ページに過ぎない。それは自らの価値を過小評価しているのではなく、これまでの所属する団体の業績へのリスペクトであり、そんな歴史に対して傲慢になってはいけないといったようなニュアンスです。次の担い手にどうやって仕事を引き継ぐか、それは歴史を引き継ぐ作業であると思うのです。担い手としての足跡を確かに残したという自負が大事だし、自分の過去の仕事を肯定的に認める気持も大切ですよね。少なくとも私は、自分の身の回りに起こった喪失に関しては、こうやって乗り越えてきたつもりです、「自己肯定感」とでもいうのでしょうか。
東京でよく足を運ぶ日本工業倶楽部(http://www.kogyoclub.or.jp/about.html)のギャラリーの一角に、歴代の会長の肖像が飾ってあります。私は直接は何の関係もないのですが、歴代の経済界の重鎮の姿と向き合って、何か背筋がピンとなる思いです。今の経済界の方々と比較しても、モノが違うという感じですね。育った時代の違いか、受けた教育の違いか、日本の企業を背負っていた方々の矜持を受けとめます。
写真の右から3番目、土光敏夫さんとは、札幌での民間臨調の会議の休憩時、トイレで隣だったことが私の唯一の誇り(?)です、メザシで有名ですが、至近距離でお互いに立っていたことが、です!
先日、桜田洋一さんのご講演文章を校正していて、多くの哲学者の名前が出てきました、その中で、詩人ゲーテも登場していましたが、こんな言葉を思い出しました。「馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くこともできる。しかし最後の一歩は、自分一人で歩かなければならないのだ」。
先日発表になった第158回芥川賞を受賞された若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも(http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309026374/)」、新聞には、タイトルは宮沢賢治の詩の言葉から取り、「桃子さん」の「一人で生きていく」という決意を託した、とありました。
それぞれの世代、人間には、それぞれの「一歩」があるのでしょうが、私にとっては何か、最後は自分一人で歩く「覚悟」を促されているような気がします。
今年も東京出張が始まりました。私にとっての東京のシンボルは、スカイツリーが出来てもやはり「東京タワー(https://www.tokyotower.co.jp/)」です。今年3月には、250mの展望台がリニューアルオープンとのこと、いつか、久しぶりに昇ってみたいですね。
昨年末から、昨年9月の秋山財団特別講演会で札幌にお越し頂いた桜田一洋さんの講演録の校正を続けています。
* 講演の様子――> http://www.akiyama-foundation.org/news/2700.html
ご講演の中で、科学のアプローチについての部分、都内の幾つかの場所から見える東京タワーの写真を紹介し、場所、時間、角度によって姿を変える様子から、前提条件の違いによって同じ物質、論理も違ってくることに言及されています。
私が座長をやったこのご講演、当日は逐一の言葉を追いかけるのに精一杯で、論理とか脈絡は正直言って十分理解した訳ではありませんでしたが、動画を何回も観つつ校正を行いながら、あらためて桜田さんのお話の奥深さを再認識している次第です、作業はまだ続きますが、ブックレットとしての出来上がりを乞うご期待です!
先日のお電話では、「Society 5.0(http://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html)」で象徴される次世代インフラ戦略も、いよいよ日本国の今後の方向性として展開がはじまるようですので、今年9月の贈呈式での続けての特別講演も楽しみになっています。2年続けて同じ演者をお迎えするのは、32年間の秋山財団としては初めての試みです。秋山財団の中期計画も、このマスタープランを念頭に置いて展開していきたいと、先日の理事会、評議員会でもご説明致しました。
< Society 5.0 > ~~~~~~~~~~~~~~~~~HPから引用
http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/juyoukadai/infra_fukkou/12kai/sanko2.pdf
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)
狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱されました。
「Society 5.0」で実現する社会
これまでの情報社会(Society 4.0)では知識や情報が共有されず、分野横断的な連携が不十分であるという問題がありました。人が行う能力に限界があるため、あふれる情報から必要な情報を見つけて分析する作業が負担であったり、年齢や障害などによる労働や行動範囲に制約がありました。また、少子高齢化や地方の過疎化などの課題に対して様々な制約があり、十分に対応することが困難でした。
Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服します。また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となります。
HPより引用 おわり
2018年2月に札幌座が上演する佐々木譲原作「暴雪圏(http://www.shinchosha.co.jp/book/122324/)」について、昨年末に札幌座サロンで佐々木譲さんをゲストにお招きして飯塚優子さんとのトークが開かれました。
まずは、サプライズとして佐々木譲さんによる「暴雪圏」の読み語りです。ヨーロッパでは作家による自著の読み語りは大変人気があるようですね。
引き続いては、トークタイム。地元広告代理店を辞めて作家を志した時の心境ほか、飯塚優子さんとのやり取り、脚本・演出の斎藤歩のお話、この作品のこぼれ話も多く、楽しいひと時でした。2月公演、お楽しみに!!
2月予定の公演は以下の通りです。
* http://www.sapporoza.com/program-index/?program_id=1440
<このお芝居について>
猛吹雪の怖さを身体で知っているのは、やはり北国のひとたちだ。『暴雪圏』の舞台化は地元北海道の劇団で、とひそかに願っていた。それが札幌座で実現するなんて! いまからもう楽しみでならない。(佐々木譲)
直木賞作家・佐々木譲が北海道の厳冬期を描いた小説を、数年の準備期間を経て、斎藤歩がついに舞台化!! ブリザードが吹き抜ける十勝の平原を貫く一本道に建つペンションに避難せざるを得なくなった人間模様が、自然の猛威の中で複雑に交錯する。
<演出家・斎藤歩からのメッセージ>
佐々木譲さんとは、長い準備期間に、随分お話をさせていただきました。譲さんの小説も随分読ませていただきました。せっかく北海道で舞台化するのですから、しかも真冬にやるのですから、『暴雪圏』しかないと、真っ先に思いつきました。 北海道でしか描けない、とてつもないスケールの演出を用意して、譲さんをびっくりさせようと企んでいます。
キャスト
斎藤歩
磯貝圭子
林千賀子
山本菜穂
熊木志保
菊池健
山野久治(風の色)
山田百次(ホエイ・劇団野の上)
納谷真大(イレブンナイン)
町田誠也(words of hearts)
有田哲(クラアク芸術堂)
スタッフ
演出助手:櫻井幸絵
舞台美術:高田久男(セットアップ)
照明:熊倉英記(ステージアンサンブル)
舞台監督:尾崎要(アクトコール)
大道具製作:アクトコール
小道具:林千賀子
衣裳:磯貝圭子
音響オペレーター:佐藤健一
字幕オペレーター:高子未来
音楽製作:北海道教育大学岩見沢校音楽文化専攻
宣伝美術:若林瑞沙(studio COPAIN)
制作:横山勝俊(札幌座)・富岡尊廣(NPO法人札幌座くらぶ)
プロデューサー:木村典子
年末の北海道経済同友会(http://hokkaido-doyukai.jp/)例会、横内代表幹事のご講演[「北海道が抱える課題と将来展望」でした。
* ご参考――> http://hre-net.com/jinbutsu/jinji/15699/
引き続いて行われた幹事会では、国立アイヌ民族博物館に関しての推進協議会についても議案となりました。その協議会の議長に横内龍三代表幹事が就任されるようです、楽しみですね。
(公財)ワグナー・ナンドール記念財団(http://wagnernandor.jp/)ではそれぞれ諸団体とコラボし、昨年は「ワグナー・ナンドール没後20年記念」として、春からシリーズで彫像と縁のある場で記念会を開催しました。
* 宇都宮 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=30736
* 札幌 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31220
* ブダペスト http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31593
* 東京 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31770
* 東京 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32032
その最後を飾るイベント、東京都中野区の哲学堂公園(http://www.tetsugakudo.jp/top.htm)つながりで、中野区サンプラザで12月に開催されました、題して、「『哲学のまち・中野』をめざして」です。井上円了とワグナー・ナンドールの理念の見事なまでのコラボレーション、中野区の皆さまほか、多くの方々に愛されている様子が嬉しかったですね。
* 哲学堂公園――> http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/102500/d024809.html
第一区長のプレゼンは、パワーポイントの動画とコラボしたナレーション風で、一級の芸術作品でした。文化の薫り高く、さすがにブダペスト市のリーダーとの印象も多く聞かれ、会場内を魅了しました。
その後のパネルディスカッション、中野区の歴史の中に、哲学堂公園の価値がしっかり位置付けられていました、そして、新たにワグナー・ナンドールの「哲学の庭」も加わって。
終了後の懇親会、ノジュ・ガーボール・タマシュ第一区長がプレゼンで引用した石川啄木の短歌は、ハンガリー語に訳されたインターネットからのものだったと分かりました。
昨年末は、何かと気忙しく、手元に認めたコメントをアップできずに新年を迎えてしまいました。ここから数回、「振り返り」として続けてアップさせて頂きます。
まずはその初回です。
昨年10月にハンガリー訪問から帰国して、Facebookに私は書きました。
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ハンガリーから戻ってきて久しぶりに日本の新聞を読んで、何とも脆弱な政治状況を痛感!戦争では負け続けているハンガリー、ただ、どの博物館に行っても「祖国防衛のために戦った誇り」を伝える展示が骨太です。それに比べて、「ヤジ懸念で街頭演説日程非公表」?、自らは何のための存在か、何の信念もなく権力を弄ぶ、権力の座にしがみ付く姿はみっともない。今年のノーベル平和賞、文学賞、多くのハンガリーの方から「おめでとう!」の言葉を頂きました、意識の根底にアジアの一員としての我々との連帯意識が。良く今の状況を戦前と似てきたというけれど、市民社会の活動、NGOの存在等、今は、国政の劣化を私たち市民の連帯が補って余りある状況とも言えるのではないでしょうか?それにしても日本の政治はみっともなく、恥を知れ!ですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ここまででコピーおわり
2017年のノーベル文学賞を受賞した日系英国人作家、カズオ・イシグロさんが10月10日夜(日本時間11日早朝)、ストックホルム市庁舎での記念晩さん会で行ったスピーチ全文は以下の通り。格調高い内容に、日本人として誇りを感じます。
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陛下、殿下、そして紳士淑女の皆様。
大きな外国人の顔、西欧の男の人の顔が、私の本の1ページを埋めるようにカラーで描かれていたのを、鮮明に記憶しています。堂々とした顔の後ろの一方に見えたのは、爆発による煙とほこりでした。もう一方に描かれていたのは煙の中から空へと昇っていく白い鳥でした。私は5歳で、伝統的な日本の家の畳の部屋で腹ばいになっていました。この瞬間が印象に残ったのは、私の後ろの方で、ダイナマイトを発明した人が、その使われ方を心配して(日本語で)「のーべるしょう」を作ったと話す母の声に特別な感情がこもっていたからです。「のーべるしょう」という言葉を日本語で聞いたのは、これが初めてでした。「のーべるしょう」はね、と母は言いました。(同)「へいわ」を促進するためにあるのよ、と。「へいわ」はピースやハーモニーという意味の日本語です。私の街、長崎が原爆によって壊滅的な被害を受けてから14年しかたっておらず、まだ年端もいかない私でも、平和とは何か大切なものであること、それがなければ恐ろしいものがこの世界を襲うかもしれないことを分かっていました。
ノーベル賞は他の偉大な賞と同じく、小さな子どもでも分かるようなシンプルなもので、それがきっとこれまで長く世界の人々の想像力をかき立て続けてきた理由でしょう。自分の国の人がノーベル賞を受賞したことで感じる誇りは、オリンピックで自国の選手がメダルを勝ち取ったのを見て感じるものとは違います。自分の部族がほかの部族より優れていることを示したからといって、誇りをもったりはしません。むしろ、自分たちのうちの一人が人類共通の努力に著しい貢献をしたことを知って得られる誇りです。わき上がる感情はずっと大きく、人々を融合させてくれるものです。
私たちは今日、部族間の憎しみがますます大きくなり、共同体が分裂して集団が敵対する時代に生きています。私の分野である文学と同じく、ノーベル賞は、こうした時代にあって、私たちが自分たちを分断している壁を越えてものを考えられるよう助けてくれ、人間として共に闘わねばならないことは何かを思い出させてくれる賞です。世界中で母親たちがいつも子どもを鼓舞し希望を与えてきたような、母親が小さな子どもに言って聞かせるようなものです。このような栄誉を与えられて、私はうれしいと思っているでしょうか? ええ、思っています。私は受賞の知らせを受けて直感的に、「のーべるしょう」と声に出し、その直後に、いま91歳の母親に電話しました。私は長崎にいた時、既に多少なりとも賞の意味を理解しており、今も理解していると思っています。ここに立って、その歴史の一部になることを許されたことに感動しております。ありがとうございます。
https://mainichi.jp/articles/20171211/k00/00e/040/177000c
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同じく2017年のノーベル平和賞を受賞したNGO「ICAN(http://peaceboat.org/21213.html)」を代表して、ベアトリス・フィン事務局長と広島の被爆者であるサーロー節子さんが共同して、ノーベル平和賞受賞講演を行いました。
この演説と講演の日本語訳を以下からダウンロードできます。なおこれらの日本語訳はピースボートによる非公式訳であり、英語の原文の著作権はノーベル財団にあります(© THE NOBEL FOUNDATION, STOCKHOLM, 2017)。聴衆の真剣な眼差し、節子さんの力のこもった語りとスピーチ、これにも日本人としての誇りを感じます。
http://peaceboat.org/22083.html
https://www.youtube.com/watch?v=W_nIa520gu0
日本国政府のみっともなさとは裏腹に、世界で活躍する日本人の素晴らしさ、国破れても人財あり、でしょうか。政治家の劣化と恥さらしをカバーして余りあるお二人の国際舞台でのスピーチでした。
今年も南19期の皆さん、元気に集まりました。初参加の同期もいたり、いつも来るメンバーはインフルエンザで欠席とか、どうしても都合がつかなかったとかで欠席した者も。昔の話よりも今の状況のお話が今年は多かったような気がします。高齢化社会とは言え、60歳代の命の壁はなかなか厚く、ここを生き抜いて長生きしたいみたいな希望も聞かれました、それだけ、身近な方々のご逝去が増えてきているのかもしれません。
私からは、六華同窓会(http://www.rikka.net/)の近況と今月の新年交流会(http://www.rikka.net/information/2017/12/30.html#menu)のご案内、札南高学校林(http://www.rikka-forest.jp/)の昨今の新しい活動について説明しました。3月4日の冬の踏査イベントについてのご案内も。
最後は今年も記念撮影、来年の卒業50周年に集まることを約束して。高校卒後50年の年月が経ったなど、信じられませんが・・・・。
新年あけましておめでとうございます。昨年末は何かと気忙しく、十分な一年の振り返りも片付けもできずに過ぎてしまいましたが、また、新しい気持で今年も生きていきたいと思います。今年はリセットの年となりそうです、組み立てた事業をまた初めから見直すみたいな、そんな気分の元旦です。
昨年末29日、FM三角山放送局で毎年恒例の丸山哲秀先生の「先生人語年末SP」8時間生放送」に出演しました。今回は、「INAZOサミットの秋山さん」と紹介されました!
年の初めはなぜか、福井県坂井市・谷口屋(http://taniguchiya.co.jp/)の「おあげ(http://www.takeda-no-age.com/」でスタート。
秋山財団では、昨年4月から第8期中期五か年計画が始まっています。今年も昨年に続いて、秋山財団の中期計画を再確認したいと思います。
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<活動目標及び方針>
財団設立25周年(2011年)に策定した長期方針「未来像・2011から(http://www.akiyama-foundation.org/vision)」、その後の第7期中期5カ年を踏まえて、30周年以降の進化・深化を目指す。更に充実した事業展開としっかりした事業検証を継続し、それを裏付ける財政基盤の拡充を目標として、事業計画及び財務計画の基本方針を次の通りとする。
1) 研究助成、活動助成全般を通じて、「生命科学」の概念を明確にし、「北海道学」に象徴される「地域」について深掘りする一方、生命科学の基礎的研究に取組む若手研究者を重視した助成を継続する。
2) 「新しい公共」の担い手への支援・育成を柱に、「ネットワーク形成事業助成」を検証し、パートナーとして共に進化する道筋を継承する。
3) 自主・自立を堅持する民間財団として、一層の基本財産の保全と充実に努め、さらに積極的な運用を研究し、実行する。
4) 財団経営の充実と発展のために、事務局機能の職務・権限を確立する。
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今年の財団運営、常務理事を欠いて、しばらくは事務局2名と私の3人体制でコンパクトに脇を固めて再出発です。皆さま、宜しくお願い致します。
先月40年ぶりに会った教師時代の教え子たち、その時会った生徒たちが、都合が付かなかった子たちと地元で会う場をセットしてくれました。大勢では話を聞けなかった一人一人の人生、なかなか多彩で味わいのあるひと時でした。
*先月の様子はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32009
ラーメン店を地元でやっているある教え子が、卒業文集と卒業アルバムを持ってきて、本当に懐かしい自分の文章、寄せ書き、写真に触れました。なぜか当時、私は「できるだけ遠くまで行くんだ!」のフレーズに心酔していたようです。さらに「静かに目を閉じよう」、誰の言葉か思い出せません。長渕剛(http://www.nagabuchi.or.jp/)の「しあわせになろうよ(https://www.youtube.com/watch?v=ifdG375NZ_U)」の一節に同じようなニュアンスの言葉があったかな?いや、今、歌詞をチェックしましたが何かの勘違いのようです。
他のクラスのページに、何と私の理科の授業風景。黒板をみると「ウェゲナーの大陸移動説」を紹介している所です、懐かしいですね、はっきり覚えています。理科の授業では、実験をたくさんして器材も随分壊したなぁ、教科書になかった「昭和新山の話」、「ギリシア神話と星座」とか、今思うと少々恥ずかしくなるようないろいろなエピソードを子供たちに語ったような気がします。
* 大陸移動説 https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E7%A7%BB%E5%8B%95%E8%AA%AC-92248
理科の授業と言えば、当時「第二分野」といわれていた生物系の授業で、「生殖」を懸命に教えていた時、「卵細胞に精子が向い・・・・」と、回りくどい説明で格闘していると、あるクラスの前の方に座っていた女子生徒が、「先生、そんなに気を使わなくってもいいよ、分ってるから」と不規則発言(!)、未だにあの瞬間は忘れられません。
一方、卒業文集にも、担任教師として書いていたのです。
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「予感を越えるもの」に期待をよせて
三年三組 担任 秋山孝二
人は何を行う時も、見通しを持つものだ。それを計画性というのかもしれない。しかし、君達の人生はこれから計画通りにはいかない。ミュンヘン五輪男子バレーボール準決勝戦、対ブルガリア戦の全日本の大逆転。いわゆるセオリーでは負けの試合が結果的にひっくりかえった。深夜テレビを観ていて深く感動した。選手12人、コーチ、監督など社会人が八年間自らをかけて努力してきた。彼らは言う。「根性」といった精神力だけでは勝てない。なぜなら、相手だってそれ位持っているだろうから、と。結果というのは多くの場合あまりに非情である。血の出るような努力を一瞬にして切り捨てる。しかし、勝負というのは時として夢を越える。まさに信じられない瞬間をつくり出す。自分をとりまく現実との勝負。心の底から感動できる時を夢みながら、私は静かに目をつぶりたい。
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この文章はすっかり忘れていましたが、当時のバレーボール指導に没頭していた自分の姿がいじらしく感じます。この日の帰りは、3年の時私のクラスだった竹川君、仕事以外に東京下町でボランティアで祭の応援をしているNPOの理事をやっているとか、昔とちっとも変わらない笑顔で、江戸川区から浜松町まで車で送ってもらいました。40数年経た今、胸に手をあてて振り返れば、自分の人生どうだったのか、余韻の残る出会いでした。
突然の訃報とはこのようなことなのか、今月19日午後のことです。(公財)秋山記念生命科学振興財団の常務理事、宮原正幸が急逝しました。
昨日、お通夜、本日告別式、ともに滞りなく終了しました。ご会葬頂いた皆さま、弔電、ご供物、ご供花を頂いた皆さま、心から感謝申し上げます。
葬儀の私の弔辞~~~~~~~~~~~~~
弔辞
公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団常務理事、故宮原正幸さんのご霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。
「宮原さんが倒れて心肺停止で今搬送中です」、と財団職員の救急車内からの報を受け取ったのは、わずか5日前の午後6時過ぎのことです。その日の午前中には、宮原常務理事、事務局の桜井、城越、私とで、年明け開催予定の財団理事会、評議員会の議案を巡って、最終の確認をしたばかりでした。いつもと変わらぬ姿、わずか数時間後のこの連絡に、私はにわかには信ずることができませんでしたが、すぐに気を取り直して西区の病院に駆けつけました。こうして弔辞を読んでいる自分は、未だに現実とは受け入れがたい正直な気持です。
宮原正幸さん、初めて私が出会ったのは、今からもう30年以上前になるでしょうか。北海道銀行のホープとして、新しい事業づくりに懸命に努力していた時でした。「北の大地に種を蒔く」と、北海道の将来ビジョン、新しいビジネスモデルによる北海道の活性化等、当時、企業経営に携わりはじめたまだ新米の私は、前向きな意見交換を何回もしたような気がします。銀行というのはただお金を預かる、貸し付けるだけでなく、地域の開発・活性化なくして繁栄はないとの信念、地域住民の豊かな暮らしに関しても真摯に向き合うものなのかと、私は、そんな高度経済成長を支え、バブルに向かう当時の間接金融機能の原点に対して、また、組織の中で意志を貫こうとしている一人の人間に対して、素朴な感動を覚えたことを今でも記憶しています。
その後、私との関係で濃淡はありましたが、思い出すと会ったりし、縁あって秋山財団に迎えて以来5年7ヶ月、丁度、財団設立25年の直後から30年の重要な時期を、本当に全力で「民が担う公益財団活動」に邁進して頂きました。
思い出します、毎年9月の贈呈式、理事長挨拶として原稿を書いていた宮原さんの幾つかのこだわりの言葉を。「大平洋戦争末期の沖縄戦からの学び」、「ヒューマニズム」、「民間が担う公共」、「科学者の矜持」、「アンチテーゼ」、「アウトリーチ活動」等々、そして「いのちの尊厳」です。私との意見の相違で何回も議論したことも、今となっては過去の思い出となりました。
贈呈式では、祝賀会の終わりの挨拶で、ふるさと芦別の幼い頃の記憶と愛着、大学時代に暮らした弘前、東北地方に寄せる想い、銀行・生命保険会社での経験と誇り、ある時は激しい憤り、ある時は貴重な教訓として語り、そして必ず毎年、ご両親の想い出に言及していた姿も忘れられません。
宮原さんの最期の仕事となった秋山財団来年度事業計画の策定作業では、自ら力を入れて挿入した二点、「生命科学の概念を明確に提起し、『北海道学』という新しい概念の構築を提唱する中で『地域』を深掘りする」、「生命科学の基礎的研究に取り組む若手研究者を重視した助成を継続する」、私は、年明けの会議で、宮原さんの遺志として理事・評議員・監事の皆さまにお伝え致します。
宮原正幸さん、秋山財団でのご業績が、言い尽くせぬ貴いものとして私どもの心にしっかり残っております。歴史に刻まれたこの財産と宮原正幸さんの生前のご尽力に深く感謝するとともに、これからも永く継承し力強く歩んでいくことをお誓いし、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
どうか安らかにお眠り下さい。
平成29年12月24日
公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団
理事長 秋山 孝二
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私の自宅は、すでに築30年以上経っていますが、当初から暖房はペチカです。江別のペチカ屋さんとのお付き合いでしたが、少し前に毎年お願いしていた煙突掃除の職人さんが高齢となり仕事を閉じたので、その後の掃除をしてくれる方を探していました。
そんな中、環境系市民活動で知り合いの旭川を本拠とする「円筒の横山(http://entotuya.com/)」さんにお願いして、若手お二人の職人、奥山寛仁工事部長、設楽照久主任が札幌まで出張して下さり、先日、手際よく終了しました。
HPより~~~~~~~~~~~~~~
筒師・横山愛慈の信念と誇り
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~コピー おわり
仕事の合間にお二人といろいろお話ができました、その前向きな姿勢に胸が熱くなりました。黒の制服と胸の素敵なエンブレム、ドイツを発祥とした面白い話の数々、「幸せを呼ぶ煙突掃除屋さん」として、街の人気者だとか。作業服にタッチすると、良いことが起きる!って言い伝えもあるそうです。さらに新年には、多くの家庭で「煙突掃除人形」を飾り、どの人形も立派な髭をたくわえ、煙突ブラシにシルクハット姿、そして、必ず四つ葉のクローバーを持っていると。きっと、汚れをきれいに落して新しい年を迎える習慣なのでしょう。加えてこの仕事に就くには、「マイスター」の称号が必要で、見習い3年、職人2年の後、試験に合格して初めて開業できる仕組とか。
ドイツの様子を話す二人の目の輝きと笑顔を見ているだけで、私は大いに元気になりました。「この仕事が本当に楽しいんです!」と言って車に乗り込んだ姿は久しぶりにみる若者の光景、本当に素晴らしいひと時でした、奥山さん、設楽さん、そして横山社長、ありがとうございます!!!
先月、東京で開催された「『しあわせの経済』世界フォーラム 2017(http://economics-of-happiness-japan.org/)」を受けて、秋山財団でも応援した「『しあわせの経済』 フォーラム in 北海道(http://www.akiyama-foundation.org/news/2745.html)」が愛生舘サロンで続いて開催されました。
道内でローカリゼーションに取り組んでいる市民団体や支援団体を対象に、東京にゲストとして訪れたタイの先住民のカレン族の若きリーダーおふたりを迎えて、道内各地の実践例と共に学ぶフォーラム、参加者同士の情報交換から具体的な課題解決策、実践者の拡大につながるような意見交換でした。
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< 当日プログラム >
14:00 ~ 14:10 開 会
14:10 ~ 15:20 ゲストの講演と質疑応答
15:20 ~ 16:30 道内におけるローカリゼーションレポート
* 長沼メノビレッジ(荒谷明子) https://www.facebook.com/mennovillage/
* 余市エコビレッジ(坂本純科) http://ecovillage.greenwebs.net/
* 飛生アートコミュニティ(國松希根太) http://www.tobiu.com/
* 猿払村に集う若者たち(小泉浩) https://www.change-agent.jp/news/archives/000093.html
16:30 ~ 17:50 ディスカッション
18:00 閉 会
主催:ロコタブル(http://locotable.net/)
協力:公益財団法人秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)
<海外ゲスト>
スウェ氏
カレン族の村で伝統的な知恵や地域の文化を学びながら、父であり 部族のカリスマ的リーダー、ジョニ・オドチャオとともに先住民の権 利闘争にも参加。2009 年に栃木県アジア学院に 9 ヶ月間留学しグロー バル化の本質と土に根ざして生きる循環的な農業技術について学んだ。 2011 年、巨大企業の単一栽培プロジェクトが生態系やカレンの文化を 破壊すると危機感を抱き、それに対抗するため「レイジーマンファーム」 でコーヒー栽培を始める。森林農業を村人に教え、「地球のためにゆっ くりと」というスローガンを掲げて有機コーヒーの栽培、販売ビジネ スを展開している。
オシ氏
アメリカ旅行中、モンタナ族と出会い、自分のアイデンティ ティと役割について考えるようになり、現在は北タイ山岳民族 のリーダー、ジョニ・オドチャオの末娘の婿としてノンタオ村 で農業や森林栽培のコーヒーを育てて暮らしている。また、仲 間とセルフビルドで建てた家と「対話の庭」を運営し、アジア やヨーロッパ、日本からの研修やエコツアーなどの企画に携わ る一方、カレン族の民話や音楽、民話「レイジーマン」の教え
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「折り紙ヒコーキ」 & 「牡蠣マイスター」 = カキフライ!!!
何やらナゾかけのようですが、今月の「愛生舘サロン(http://aiseikan.net/salon)」例会は、忘年会を兼ねて、「JAL折り紙ヒコーキ教室(https://www.jal.com/ja/csr/society/origami.html)」と牡蠣マイスターの坪井さんの見事なまでのコラボレーションでした。
「JAL折り紙ヒコーキ全国大会」が来年3月予定され、年明け早々から地区予選(https://www.jal.com/ja/csr/origami_yosen/)も行われるとのこと、因みに北海道各地でも始まります。
* 以前の愛生舘サロン記事――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3
そして、今日のハイライト、牡蠣マイスターの登場です!
以下は坪井さんのメッセージからコピーです~~~~~~~~~~~~~~~~~
【折り紙ヒコーキ】と【カキフライ】
昨日は”牡蠣”以外で感動した「折り紙ヒコーキ」のイベントを行いました。
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▢開催動機はこちら↓…
https://oyster1595.wixsite.com/mysite
▢そもそもどんな活動?↓
https://www.jal.com/ja/csr/soraiku/origami.html
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もちろん牡蠣も絡めてますが。
ヒコーキとかけてカキと解く。その心は”カキフライ”!
という事で、牡蠣活動家曰く世界一おいしいカキフライも用意しました。
子供と大人がカミヒコを通じて「感動」を共有する。
牡蠣を通じて人々が「おいしい」を共有する。
年齢や属性など何かの柵をとりはずした純粋な繋がり。
繋がらないようで繋がる2つの活動。
コンセプトにぴったりな場所もご提供頂き、これからも続けて参りますので宜しくお願い致します。m(_ _)m
【そして翌日】
皆様、昨日はご参加本当にありがとうございました。
自分のヒコーキが指導員の魔法で遠くへ飛んで行く。この感動を共有して頂けていたら嬉しいです。子供たちと大人が同じレベルでヒコーキを飛ばし、それが共通言語となる。それが次なる感動で、更にその先に夢を見ております。今後は1月の北海道ブロック大会の日程が決まったらお知らせ致します。優勝者は羽田の全国大会へ招待されるそうです!全国大会の後に皆様とJAL指導員さんで集まり、再来年に向けて盛り上げる打ち合わせを行いたいと考えてます。是非その時はより沢山の共感下さる大人たちにお声かけくださると幸いです。
写真はまとまり次第後日お送り致します、本当にありがとうございました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 坪井さんメッセージコピー おわり
折り紙ヒコーキも牡蠣も深いですね、本当に!
(公財)ワグナー・ナンドール記念財団(http://wagnernandor.jp/)ではそれぞれ諸団体とコラボし、今年は「ワグナー・ナンドール没後20年記念」として、春からシリーズで彫像と縁のある場で記念会を開催しています。
* 宇都宮 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=30736
* 札幌 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31220
* ブダペスト http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31593
先月、東京・三田の駐日ハンガリー大使館(https://tokio.mfa.gov.hu/jpn)では、パラノヴィチ・ノルバート駐日ハンガリー大使閣下の招待による「ワグナー・ナンドール没後20年記念会」が開かれました。
プログラムは、10月に東京で演奏を行った堅田優衣さん指揮「ノエマ・ノエシス(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31770)」のユニットが再び登場して、素晴らしいハーモニーで参加者を魅了し、その後は別室でハンガリー料理を囲む懇談の場となりました、素晴らしいひと時でした。
アットホームな雰囲気の中、ワグナー・ナンドールを偲びながらの歌声と懇談のひと時、余韻を楽しみながら一人で三田から浜松町まで、閑静な町並みと東京タワーを見ながら帰りました。
今回のこのサミット、アイディアから実施まで、約2年間掛けてのプロジェクト、実に多くの方々のご尽力を頂きました。地道にご案内をし続けた「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/)」の三上節子さん、当日は記念館建設寄付ブースに張り付いての頑張りに頭が下がります。
従来型の硬いオープニングではなく、演劇的に始めようとの狙いで、今回のようになりました。まずは、「友あり、遠方より来たる」で、ワイワイガヤガヤの交流の場を創り出そう、そんな思いは参加者には通じたのかなと、自画自賛する昨今です。
北海道新聞、朝日新聞、岩手日報、岩手めんこいテレビ、北海道のuhbほか、その後、続々とニュース他特番でも放映されています。随時、こちらにアップして参ります。そして、HPにも当日の様子を全て録画でアップします、乞うご期待!
* http://nitobe-enyu.org/summit_movie/
ある方の1週間後、個人的感想です。~~~~~~~~~~~~~~~~
★ 「第1回 稲造サミット」が、札幌で開催されたことの意義は、今後、どのように発展、深化していくのか……関係者ばかりでなく、参加された方々、こうした動きがあったことを後世の方々が知った時のことなど、いろいろなことが可能性として芽吹いてくるように思えます。
当日の記念品として「文庫ブックカバー」を思いついて実現できたのは、この話に即座に協力していただいた方々の存在があったからこそです。そのような方々に共通するのは、「時代と格闘」する心意気が「顔貌」にあらわれていることでした。
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そして、こんな視座からの評価も。
来年は盛岡で開催予定。さらに進化して多くの方々の集う場となれば嬉しいですね。ご支援・ご協力い頂いた皆さま、ありがとうございます、そして、お疲れ様でした!!!!
寺島実郎さんの基調講演に続いては、新渡戸稲造に縁(ゆかり)のある各地で活動されている方々の報告です。まさに、「友あり、遠方より来たる」です。
報告概略――> http://enyumirai.main.jp/2017/11/28/%E3%80%8C%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9Einazo%E3%82%B5%E3%
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【 活動報告 】
1. ブリティッシュコロンビア大学(UBC)NITOBE GARDEN http://botanicalgarden.ubc.ca/visit/nitobe-memorial-garden/
キュレーター 杉山 龍 氏『Nitobe Memorial Garden 新渡戸記念庭園~太平洋の架け橋~』
2.(公財)国際文化会館 新渡戸国際塾 https://www.i-house.or.jp/programs/activities/nitobejuku/
常勤理事 丸山 勇 氏 『新渡戸国際塾のご紹介』
3. 創価大学創価教育研究所 https://www.soka.ac.jp/edu/
創価大学大学院博士後期課程 岩木 勇作 氏 『新渡戸稲造と牧口常三郎』
4. 花巻新渡戸記念館 https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/505/507/p004141.html
学芸員 中島 明子 氏 『拓く、繋ぎつづけて、稲造へ』(オリジナルDVD)
休 憩 (10分)
5. (一財)新渡戸基金 http://www.nitobe.com/
理事長 藤井 茂 氏 『新渡戸稲造の生誕の地から皆さんへ』
6. (株)岩手めんこいテレビ http://www.menkoi-tv.co.jp/top.html
プロデューサー 工藤 哲人 氏 『稲造関係の海外取材、テレビ番組製作を通して』
7. 十和田 新渡戸記念館 http://www.nitobe.jp/
館長 新渡戸 常憲 氏 『新渡戸記念館(十和田)』
8. NPO法人十和田歴史文化研究会 https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/002000507
語り 小笠原 良子 氏 紙芝居『幻のふしぎなトンネル〜木枯らしに吹かれて』
9. 平成遠友夜学校 http://enyuyagakkou.web.fc2.com/top.htm
代表 北海道大学名誉教授 藤田 正一 氏 『札幌遠友夜学校に通底する精神』
10. 学校法人 北星学園 http://houjin.hokusei.ac.jp/
理事長 大山 綱夫 氏 『新渡戸稲造と北星学園—平和教育の源流—』
11. 北海道大学 新渡戸カレッジ https://nitobe-college.academic.hokudai.ac.jp/
学生 山瀬 和葉 氏、遠藤 和可奈 氏『北海道大学新渡戸カレッジについて』
12.(一社)新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会 http://nitobe-enyu.org/
副会長 高橋 大作 氏 『遠友学校と私たちの活動』
【 展示のみ 】
・ Naomi Darling, AIA, LEED, AP BD+C https://www.fivecolleges.edu/
Five College Assistant Professor of Sustainable Architecture(Hampshire College/Mt.Holyoke College/University of Massachusetts,Amherst)
・ ハバフォード大学 https://www.haverford.edu/
鈴木貴美子 (東アジア言語文化学部日本語プログラム所属 日本語講師)
「ハバフォード大学の日本語クラス-新渡戸稲造・遠友夜学校を授業に」
【 御礼のご挨拶 】
(一社)新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会 代表理事 秋山 孝二
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最後は参加者全員で記念写真。
進行も予定通りで、参加者の皆さんはそれぞれにお話が続きましたが、次の隣の部屋の懇親会へと移りました。カナダ・バンクーバーからお越しの杉山龍(りょう)さんを囲んで、懇親会受付係の皆さんとも記念に。
岩手めんこいテレビでは早速報道も。(http://www.fnn-news.com/localtime/iwate/detail.html?id=FNNL00057081)
一昨年、寺島実郎さんからアイディアを頂いてから企画を温めて準備した「INAZOサミット」、その第一回を先日札幌で開催しました。定員200名でしたが急きょ椅子を増やして、カナダ、東京、東北からを含めて250名の方々が20の円卓に集い、開始前から交流が始まりました。
直後の報告はこちら――> http://enyumirai.main.jp/2017/11/28/%E3%80%8C%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9Einazo%E3%82%B5%E3%
第一回の趣旨は以下の通りです。
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< 「第一回INAZOサミット」in 札幌 開催趣意書 >
テーマ: 友あり、遠方より来たる
開催趣旨
「INAZOサミット」開催は、新渡戸稲造とメリー夫人、及び新渡戸家の業績を再確認して顕彰し、縁(ゆかり)の地のネットワーク形成を促し、個々の活動の相乗効果を発信する試みです。今回、それらを地域の繋がりで「見える化」し、さらに新たな気づきを得る場を、縁のある土地の持ち回りで今後継続開催したいと思っています。
そのキックオフとして、新渡戸稲造が札幌農学校の二期生として学び、その後メリー夫人とともに過ごしたこの札幌、教育ボランティア活動の「札幌遠友夜学校」の実践の地で、日本全国・世界の新渡戸ご夫妻に縁のある方々・団体・学校にお集まりいただき、「友あり、遠方より来たる」、多彩な人々が集うプラットホームを準備いたしました。
「INAZOサミット」の企画が、自由な環境の中で、参加される方々が互いに開かれて創発しあう場になることを期待し、未来の地域・世界を切り拓く活動として、多くの方々と共に歩むきっかけとなることを札幌から期待しています。
多くの皆さまのご参加と交流をこの機会に図って頂ければこれ以上の喜びはありません。2017年11月25日、札幌でお会いしましょう!
新渡戸稲造記念 遠友みらい塾 塾長 寺島 実郎
一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会 代表理事 秋山 孝二
「第一回INAZOサミット in 札幌」実行委員会 委員長 宮澤 洋子
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サプライズのオープニングの後はご来賓の在札幌米国総領事館レイチェル・ブルネット・チェン首席領事の素晴らしいご挨拶。チェン首席領事はその後も、基調講演、各地からの活動報告まで熱心に耳を傾けていらっしゃいました。
続いては基調講演、一般財団法人日本総合研究所 会長、新渡戸稲造記念遠友みらい塾(http://enyumirai.main.jp/)塾長の寺島実郎 さんのお話、『新渡戸稲造とは何か-現代に生きるそのメッセージ』でした。
当日用意された「寺島実郎の時代認識」(資料集;2018年新年号速報版)に挟まれていたA4サイズの一枚のレジメ「新渡戸稲造とは何か-現代に生きるそのメッセージ」は以下の通りです。
● 「太平洋の橋」になろうとした憂国の国際人、新渡戸稲造
・本質は「偉大な教育者」
・『武士道』と『世渡りの道』
・国際連盟次長としての活躍…板挟みの苦悩
・温かく厳しい魂の持ち主
・地方(ぢかた)学→民俗学の基礎…「グローカリティー」の原型
1898年『農業本論』:郷土教育の重要性
「郷土研究会」の意味…柳田國男との関係
● 青年にとっての2つの道標:新渡戸稲造の対照としての内村鑑三
(参考)キリストに生きた武士、内村鑑三の高尚なる生涯
・純粋で不器用な人生…「内村が父で、新渡戸は母」
・米国留学と日本再発見…クラーク博士との面談:「宗教者というより軍人」
・「不敬事件」という契機:第一高等中学校
・日本近代史との格闘:「一人の日本人、武士の子、独立のキリスト教徒」
・名著『後世への最大遺物』(1894年)…「あの人はああやって真摯に生きた」という記憶
★ 『二十世紀と格闘した先人たち 一九〇〇年 アジア・アメリカの興隆』(2015年、新潮社)