薬師寺で再び、戦略経営塾 2018

Posted by 秋山孝二
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 第7期寺島文庫戦略経営塾が、4年ぶりで奈良西ノ京・薬師寺(http://www.nara-yakushiji.com/)で開催されました。

* 4年前の薬師寺での講義

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%A5%88%E8%89%AF%E3%81%A7%E5%AD%A6%E3%81%B6

 開催日の早朝、東京の宿泊先で観たテレビニュース、今回の講義の冒頭で、村上管主はご挨拶の予定でしたので大変驚きました。

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執事長

加藤朝胤執事長

https://mainichi.jp/articles/20180516/k00/00m/040/102000c

 法相宗大本山・薬師寺(奈良市)は15日、最高責任者に当たる村上太胤管主(71)が辞任したと発表した。村上管主は「不徳の致すところで多くの方々の信頼を裏切り、ご迷惑をおかけ致しましたことを、深くお詫(わ)び申し上げます」との書面を寺に提出した。村上氏は寺側に「宗教者として不適切な女性関係について、週刊誌に取材を受けた」と説明したという。村上氏は執事長や法相宗宗務長などを経て2016年8月に管主に就任。当面、加藤朝胤執事長(68)が業務を代行する。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ニュース おわり

 私は、受付時刻より早めに奈良西ノ京・薬師寺境内に着き、白鳳伽藍で修復事業中の東塔を除き、

* 金堂で「薬師三尊像【国宝】薬師如来、日光菩薩、月光菩薩(http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_kondo.html)」

* 大講堂で「弥勒三尊像【重要文化財】、仏足石・仏足跡歌碑【国宝】(http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_daikodo.html)」

* 東院堂【国宝】で「聖観世音菩薩像【国宝】(http://www.nara-yakushiji.com/guide/hotoke/hotoke_toindo.html)」

* 西塔(http://www.nara-yakushiji.com/guide/garan/garan_seito.html

に足を運び、参拝してしばし黙考できました。

西塔の写真西塔

 午後からの受付後、新たに復興した白鳳伽藍の「食堂(じきどう)http://www.nara-yakushiji.com/guide/garan/garan_jikido.htmlを説明付きで見学し、建物外観は奈良時代の意匠を凝らした作りとし、内部は現代技術を活用することで広い空間を確保し、食堂を多目的に利用することを想定しています。堂内には田渕俊夫画伯により描かれた食堂ご本尊「阿弥陀三尊浄土図」を中心に、全長約50メートルにわたる壁画「仏教伝来の道と薬師寺」が奉納されています。

 さらに、道路を渡って「玄奘三蔵伽藍(http://www.nara-yakushiji.com/guide/garan/garan_genjyo.html」で壮大なインドから西安までの仏教伝来の歴史絵図。4年前にも観ましたが、詳細な解説付きで足を運ぶと、より深い空間となりました。食堂壁画とこの歴史絵図で日本への仏教伝来が完結しています。

 講義では、当初プログラムは変更されて、冒頭ご挨拶は記者会見をされていた加藤朝胤執事長、ニュース報道のお詫びのお言葉から始まり、失った信頼を取り戻すべく関係者全員で努力する旨のお話でした。

 続いては4年前にもお話を頂いた大谷徹奘(http://www.tetsujo.net/)副執事長のご登壇。薬師寺の「まほろば塾(http://www.mahoroba21.jp/)」では、寺島実郎さんとともに講師陣のお一人です。

* まほろば塾 http://www.mahoroba21.jp/about/index.html

 今回は「般若心経(はんにゃしんぎょう)」について、「お釈迦様の教えを現代に活用する試み:般若心経に学ぶ~玄奘三蔵と観自在菩薩」と題して、そのエッセンスを分かりやすくご解説されました。

 お釈迦様の教えの根本は、「死=人間の有限性」。そして玄奘三蔵訳の「般若心経」は、主人公の名を「観世音菩薩(鳩摩羅什訳)」から約240年を経て「観自在菩薩(玄奘訳)」に書き換えたその真意。最後に、その心は、初めの三文字「観自在」と最後の八文字「羯諦羯諦、波羅羯諦(ギャーテイ・ギャーテイ、ハーラー・ギャーテイ)」に表現される、すなわち、最初に「自覚(自ら目覚め)」、まとめに「覚行(かくぎょう:目覚めながら行く)」、永遠なるものを求めて、永遠に努力する人を菩薩という、そう締めくくられました。

 この日最後は、寺島実郎さんの現状認識、今回は特に宗教とAIほか、ホットな話題に鋭く切り込みました。

 普段、なかなか時間を費やしてのこのようなお話は聞くことができなかったので、宗教、お寺というのはまさに学びの場だと、認識を新たにした一日でした。奈良、また時間を見つけて訪れたいものです。

新渡戸稲造記念公園、綺麗に 2018

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 気温変化の激しい今年の札幌の春、恒例となった札幌市中央区にある「新渡戸稲造記念公園」の花壇の整備・掲示板整備・清掃活動を、「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/」メンバー有志が行いました。

<会員の三上さんからのご報告>
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 先週12日(土)10時~14時岸本・原田・三上で花壇の草
取り、土起こし、宿根草植え、掲示板へのラミネート加工
版の掲示をいたしました。
 また15日(火)10時~12時常田、岸本、原田、三上で
買った花の植栽、花壇横のフェンス下の草取りをしました。
保育園の2歳ぐらいの子ども達が植える前から花をめがけて
走ってきてくれたり、保母さんとアリやミミズ探しにやって
来てくれたりと、公園に遊びに来た子ども達、保母さん、お
母さん達がお花を見て喜ぶ姿を多く見ました。初老の男性
(昨年もお会いしたビル管理人さん)も花を見たり、掲示
板を見たりと、かなりきれいになった公園を「我が町の誇り」
といった表情で心を休めておりました。
 作業を眺めに来る方々にここに遠友夜学校があったこと、
ここに記念館を建てること、トイレもできますよと原田さん、
常田先生が説明をしました。私はフォーラムのチラシをあげ
たりしました。
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* 新渡戸稲造記念公園ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%92

 掲示板も新しいイベント案内を加えて。

 今年は、記念館寄付活動の正念場、この公園でも子供たちの歓声をたくさん聞くことができるでしょう。

札南高学校林 春の散策会 2018

Posted by 秋山孝二
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 今年も札南高学校林で「春の散策会」が開催されました、雨の中、200名の参加者で大変盛況でした。

 これまでの学校林関係記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%AD%E5%8D%97%E9%AB%98%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%9E%97

イベントチラシ

イベントチラシ

有明小学校校庭で全員集合!

有明小学校校庭で全員集合!

 今回は、このイベントの主催者六華同窓会幹事当番期(南43期)と(一財)札南高学校林財団が本格的コラボを組み、参加者が4つのグループに分かれて財団企画活動委員会メンバーによるガイド付き散策。「造林育人」碑では記念撮影も。途中、エゾエノキ・オオムラサキチームがこれまでの活動をコンパクトに説明するプログラムも盛り込み、教育林・環境林としての新たな学校林のステージとなりました、素晴らしかったです。

子供たち班

子供たち班

 それに先立つ一週間前には、札南高学校林財団の企画活動委員会と六華同窓会幹事当番期の43期の方々と事前準備も雨の中、行いました。

キノコチームの今年度の仕込み

キノコチームの今年度の仕込み

散策道の整備・階段構築

散策道の整備・階段構築

ベースキャンプ整備

ベースキャンプ整備

 実に多くの方々のご尽力の賜物です、嬉しいです!

ダル、翔平 & 幸太郎

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 ダルビッシュ有(https://ameblo.jp/darvish-yu-blog/)、大谷翔平(http://www.milb.com/player/index.jsp?player_id=660271#/career/R/pitching/2018/ALL)、清宮幸太郎(http://npb.jp/bis/players/41545136.html)、若き野球選手は、私たちに勇気を与えてくれます。北海道日本ハムファイターズに籍を置いて、アメリカ・メジャーリーグ、日本のプロ野球に挑む若者たち、これからの活躍に目が離せません。
「ダルビッシュ」の画像検索結果

「大谷翔平」の画像検索結果

スイングはできているが…(C)共同通信社

 ここまでの躍動する姿、周囲のしたり顔の解説者・OBたちは、そんな彼らの大活躍を、無理、難しい、まだまだ分からないと、とにかくネガティブ。これが今の日本の「老害」の現実ですね。育つものも育たたない、まったく邪魔以外の何者でもありません。

 ダルビッシュ有がMLBに挑戦する前の札幌での記者会見(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11581)、一抹の寂しさはあったけれど、アメリカでの活躍への期待感の方がはるかに上回っていました。同じく大谷翔平が行くときも、頑張って欲しいなと思い、開幕後の大活躍には私自身、胸を躍らせています、本当に凄いですね。清宮幸太郎も、一打席一打席が学びの場、ホームランは打つし予想を裏切らないここまでのパフォーマンスです。

 ケガに注意して、これからも引き続き頑張って欲しいと、心から願う昨今の私です、素晴らしい若者たち、アッパレ!!!!!

羽田空港、そして札幌で

Posted by 秋山孝二
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 3月、4月と、全国ニュースで桜前線が花盛りの中、私は不自由ながらテンポラリーな「個性」を楽しむかのように、東京、館山、宇都宮に出張をしました。その際必ず通る空港、新千歳空港はコンパクトなので、何とか歩いて移動し飛行機に乗り込みましたが、羽田空港第二ターミナル(https://www.tokyo-airport-bldg.co.jp/files/map/terminal2/map.pdf)は出発フロアーから荷物検査場、ラウンジ、搭乗口の動線が長く、特に札幌行きはターミナルの端の場合後多く、ラウンジから搭乗口までは、500m弱、300m等、かなりの距離があります。

 普段はただ目にするだけだったフロアーを移動する電動カート、実は第二ターミナルには2台しかないとのこと。この処、空港に着くたびにお世話になっていました。係りの女性が「だんだん松葉杖の使い方がお上手になりましたね」と褒めてくれたり、普段とは違った景色・会話がそこにあるから面白いです。

* 3月の私のコメントーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32759

 いつもと違った景色が今の私の目に入るというのは、実は、札幌の我が家の庭でも同じこと。毎年咲いていたのでしょうが、今年は特に印象的です、近くの円山公園のエゾヤマザクラが満開を過ぎて、今、梅の花と桃の花が同時に咲いています、札幌の春ですね!

サクラ、札幌円山公園4月29日

サクラ、札幌円山公園4月29日

 我が家の庭の今は。

桃の花、毎年実をつけています

桃の花、毎年実をつけています

梅の花

梅の花、風情では一番!

 愛おしくなる程、律儀に、毎年決まって咲く梅、桃の木々。こんな景色を永らく見逃し味わい逃していた自分、何とももったいない人生を送っていたのか、今更ながらしみじみ感慨にふける昨今です。

望月衣塑子さん、炎の2時間半+!

Posted by 秋山孝二
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 今年の札幌は桜の開花が早く、ゴールデンウイーク前に満開になりました。

北海道神宮の表参道も

北海道神宮の表参道も

円山公園ではお花見の人、人、人

円山公園ではお花見の人、人、人

 そんな中、今年3月にメディア・アンビシャス表彰式をした際、「17年メディアアンビシャス特別大賞」をお贈りした東京新聞の望月衣塑子記者が2日間来札し、29日と30日合わせて500人を超す入場者で溢れました。この企画は、当初、日本ジャーナリスト会議北海道主催の講演会だけの予定でしたが、さっぽろ自由学校「遊」と政治とメディアを考える会共催の学習会に広がり、送迎、警備、書籍販売、受付などに市民多数の皆さんが参加・協力しました。

「望月衣塑子、札幌講演」の画像検索結果

<望月記者の略歴>

1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶応義塾大学法学部卒業後、東京・中日新聞に入社。17年4月以降は、森友学園・加計学園問題の取材チームの一員となり、取材をしながら官房長官会見で質問し続けている。著書に『新聞記者』『武器輸出と日本企業』(いずれも角川新書)、『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(あけび書房、共著)など。二児の母。

危機的なマスメディアの状況

危機的なマスメディアの状況

 望月衣塑子さんは、記者会見の37 分で23 回、「モリカケ疑惑」で菅義偉官房長官に質問し続け、ネット右翼に攻撃され、殺害予告まで受けました。安倍長期政権で、メディアは萎縮していないか、ジャーナリズムはどう権力と対峙すべきか、日本歯科医師連盟ヤミ献金疑惑のスクープ記者が鋭い視座から考察しました。

 1時間半の予定の講演は、終わってみれば2時間半を越え、炎がほとばしる機関銃のような言葉が続きました。思い出したのは2年前の香港、2015年COP21で中心的な活躍をされた気候変動枠組条約事務局長のChristiana Figueres さんの講演です。聴衆を引き付ける言葉の力、望月さんの場合は、取材現場の臨場感あふれるお話、「力」と「覚悟」を感じました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=28015

日本国憲法と私

Posted by 秋山孝二
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 日本国憲法は1946(昭和21)年11月3日に公布され、その半年後の1947(昭和22)年5月3日に施行されました。5月3日は憲法記念日、1948(昭和23)年に「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」と法律で定めらた国民の祝日の1つです。

 その憲法の内容は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの柱を持っており、特に憲法9条の「戦争放棄」は平和憲法として世界でも有名です。この日を迎えて、私なりの日本国憲法についての率直な視点を書きたいと思います。なかなかまとめて考える時間はないのですが、昨今の改憲論議を見ていると、強い危機感を抱くものですから。

 これまでの私の日本国憲法に関する記載: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

 一番直近では、3月に国立公文書館の加藤館長を訪問した時、オリジナルは書庫に大切に保管されていて、ロビーに展示してあるレプリカではありますが、「日本国憲法」を至近距離で観ることができました。加藤館長がおっしゃるには、大日本帝国憲法に比べて時代背景もあったのか、紙の質がいかにも粗末だというのが印象的とか。

 私が日本国憲法を学んだのは、北海道学芸大学(現 北海道教育大学)附属札幌小学校・中学校の義務教育年限でした。そもそも「憲法とは何か」、「歴史が証明するように、時として権力は暴走し、個人を弾圧し、人権を抑圧することもある。だからこそ国家権力を縛り、権力を抑制的に、真に国民のために行使させるべく憲法というものがある。憲法とは、いわば長い歴史を持つ人類の英知の結晶である」、これが今も忘れることがなく学んだ基本的認識です。第二次世界大戦で多大な犠牲を負った日本の、新しい時代に向けた憲法であることも。

 そして、日本国憲法は3つの柱を持っている、と。

* 国を治める主権は国民にあるという「国民主権(主権在民)
* 人間が生まれながらにして持っている、人間らしく生きる権利を永久に保障する「基本的人権の尊重
* 世界の平和を永久に守るため、外国との争いが起きても戦争をしないで平和的に解決するという「平和主義

 当時、教えてくれた先生たちは大変熱心に語っていた姿を、私は今もはっきり覚えています。特に中学校時代、時代背景として自衛隊の存在が裁判等でも問われていたからなのか、「自衛隊は軍隊か」、「自衛隊は違憲か」、といったテーマでディベイトをしたことも覚えています。因みに私は、少数派だった「自衛隊は軍隊ではない」側に手を挙げて授業でやり取りしました。私たちの側は劣勢だったような気がしますが、先日の番組では丁度、二つの裁判との時期が重なり、社会科の先生は私たちに極めて政治的なテーマを題材として提起したのだと思います。

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 先日、案内があってこの憲法記念日に二つの番組を観ましたが、歴史の流れを濃密に捉えた素晴らしい内容でした。

* NHK・ETV再放送「平和に生きる権利を求めて~恵庭・長沼事件と憲法~」

http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2018-04-28/31/920/2259619/

 昨年度のメディア・アンビシャス(http://media-am.org/)のアンビシャス賞に輝いたBS1スペシャル「父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦争~」の番組プロデューサーだったNHKの塩田純さんの制作

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 自衛隊の合憲・違憲が争われた恵庭事件。裁判の録音がテレビで初めて公開された。裁判で提起された平和的生存権が、その後長沼ナイキ基地訴訟でどう問われてきたのか迫る。

 自衛隊をめぐり注目された裁判の録音が公開された。北海道の恵庭事件。演習の騒音に抗議し自衛隊の通信線を切断した酪農家が起訴された。自衛隊が合憲か違憲か争われたが札幌地裁は憲法判断をせず無罪判決を下した。ここで提起された平和的生存権は長沼ナイキ基地訴訟の地裁判決で示され、その後イラク派遣差し止め訴訟の名古屋高裁判決で確定した。今、沖縄の基地問題でよりどころとなる平和的生存権をめぐるスクープ・ドキュメント

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* NHK総合:NHKスペシャル「憲法と日本人 ~1949-64 知られざる攻防~」

https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180503

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 戦後一度だけ憲法改正をめぐる国民的議論が交わされた1949年~64年の15年間に着目して、当時の改憲派と護憲派の攻防を検証し、憲法をめぐる日本人の模索を見つめる番組です。憲法施行から71年。護憲か改憲か、国論を二分する攻防が繰り広げられた時代が、かつてあった。GHQの報告書によって憲法制定の過程が明らかになった1949年から、政府に設置された憲法調査会が最終報告書を提出した1964年までの15年間である。新たに発掘したこの間の700点の史料と関係者の証言から、憲法をめぐる日本人の知られざる模索を見つめる。

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 私は、小・中学校でしっかりとこの日本国憲法を学んだという自負があり、当時の先生方の時代と向き合う真摯な姿勢も忘れることはできません。右翼とか左翼とか、「日本を取り戻す」等、今、浅薄に語られる時代と違って、60年安保闘争を経た当時の日本社会の生真面目さも感じ取れるのです。と同時に、昨今、このような教育を受けた者の使命として、私は後の世代のためにも、この日本国憲法を体を張って護っていかなければならないと覚悟を決めました。日本の「近代」に対する認識もいい加減のままで、今の政治家の見識の無さと人品の卑しさに任せることはできません。言い換えるならば、私自身の歴史に対する誠意であり責任といってもいいかもしれません。

第15回 遠友みらい塾

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 遠友みらい塾(http://enyumirai.main.jp/、今回は第15回、寺島塾長のホットなお話でした。

濃密なお話を真剣に聴く

濃密なお話を真剣に聴くメンバー

寺島実郎塾長

寺島実郎塾長

 テクノロジーの発展やグローバル化が加速する現代の社会状況の中で、新しい「羅針盤」を手にする必要性とその可能性について考える、貴重な機会を提供して頂きました。

 この日、寺島塾長が最先端の「知」として掲げたキーワードは、「デジタル専制(Digital Dictatorship)」と「ジェロントロジー(gerontology)」です。

デジタルエコノミー

デジタルエコノミー

 「デジタル専制」という言葉は、今年1月にスイスで行われた世界経済フォーラム・ダボス会議でも使用され、世界的に注目を集めた言葉でもあります。肥大化を続けるFacebook、Apple、Google、Amazon、Microsoftをはじめ、中国のテンセントアリババといった巨大な時価総額の海外企業の動向を踏まえて、「データを支配するものがすべてを支配する」といった「データリズム」の時代に突入したことを示唆する今回のお話は、私たちが21世紀という時代とどのように向き合うべきなのかを考えさせられる、興味深いお話でした。これらに対するヨーロッパの新しい動きは、後日、BS11でも紹介されました。

GDPR

EUの「GDPR」、対応が速いですね

 一方、「ジェロントロジー(gerontology)」は、私にとっては1990年代初頭、アメリカのハーバード大学医学部の教授から初めて聞いた言葉で、確か、高齢者医療のフレーズで紹介されました、治療だけでなく、高齢者の「ADL:Active Dayliy Life」、「QOL:Quality Of Life」の一環だったように記憶しています。帰国して日本の大学関係の方々にもご紹介しましたが、ほとんどの皆さんは興味を示さず、今日に至っていました。一般的には「老年学」と翻訳されることが多いこの言葉ですが、今回、塾長が強調したのは、その言葉に付与されているネガティブなイメージをもとにした高齢化の議論の限界性と、その言葉をポジティブにとらえることで見えてくる新たな可能性です。

 言い換えるならばそれは、既存の「知」をもとに「高齢化」をとらえるのではなく、人生100年を前提として、高齢になっても参画できる社会システムをつくるといった発想の転換をもとにした新たな「高齢化」の捉え方、バックキャスティングですね。「分断」ではなく「包摂」を基軸に据えることでみえてくる新たな可能性についてのお話は示唆に富んでいました。寺島実郎さんが率いる多摩大学に、「ジェロントロジー学科」が実現するようです。

 昨今、朝鮮半島情勢を筆頭に、歴史が目まぐるしく変動していますが、そんな中、寺島実郎塾長の「資料集」とお話は、本当に「羅針盤」として時代に向き合う視座を与えてくれます。自分の頭で考えることを止めずに、思索する私でいたいと思います。この「資料集」はこちら(https://terashima-bunko.com/data-order.html)でも買い求められます、皆さんにお薦めします。

全国経済同友会セミナー 2018

Posted by 秋山孝二
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 毎年、年度初めに開催される「全国経済同友会セミナー」、今年は栃木県宇都宮市でした。今年のテーマは、「次世代につなげる輝く日本を目指して~明るく希望に満ちた社会の構築」です。

 「世界的に、AIやIoTに代表される第4次産業革命により産業構造が劇的に変化する一方、国内では人口減少・少子高齢化が進む等、社会構造が大きく変化し、既存の秩序や体制に綻びが 生じている。このような状況下、日本経済の発展の一翼を担う私達には豊かな日本を若者たちへ確実に繋げて いく責務があると捉えており、そのために創造的で実り多い議論をする。」としています。

 これまでのこの会の報告は以下の通り

* 2017 仙台(上) http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=29637

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=29643

* 2016 岡山 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=26260

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=26325

* 2015 金沢 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=23132

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=23136

* 2014 静岡 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%81

* 2013 盛岡 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16803

* 2012 富山 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12630

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12606

* 2011 福岡  http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8221

* 2010 高知 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3911

* 2009 札幌 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1272

第31回

第31回

<上の写真は下野新聞より>

 小林辰興さんとは、2010年の土佐大会後のオプショナルツアーでご一緒でした。

* 2010年の土佐でーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%88%9D%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%9C%9F%E4%BD%90%E3%81%AE%E5%9C%B0%E3%81%A7

栃木経済同友会筆頭代表幹事 小林

栃木経済同友会筆頭代表幹事 小林辰興さん

 オープニングでは日光東照宮楽師による雅楽演奏が披露され、6月まで「本物の出会い~栃木デスティネーションキャンペーン」が展開される中、栃木県観光のPRも行われたました。

 基調講演は、那珂川町馬頭広重美術館など県内での業績も多い建築家、東京大教授の隈研吾(くまけんご)さん、新国立競技場も手掛ける隈さんは「栃木の大谷石と芦野石を使い、全国47都道府県の木を使う考えも示しました。

特別講演 隈研吾さん

特別講演 隈研吾さん

2018年4月27日、板門店

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 2018年4月27日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長は、軍事境界線のある板門店で会談し、「板門店宣言」に署名して歴史的な一日となりました。

* 板門店宣言全文:https://article.auone.jp/detail/1/4/8/6_8_r_20180427_1524835601996918

 夜のテレビ、NHKニュースに登場していた南山大学教授のコメントは何ともネガティブ。歴史は一挙に変わるはずもなく、まして朝鮮半島の歴史では、基本的には休戦協定の当事者は北朝鮮とアメリカ(国連軍)ですから、構図的には6月にも想定されている米朝会談で正式な新しい枠組み交渉がなされるのは自明の理です。ただ、その前に、南北会議がこのように設定されて共通の目標を掲げたその両者の勇気に、率直にまずは拍手なのではありませんか。私は、1989年のロシア崩壊、ベルリンの壁の撤去の瞬間を思い出しました、まさに20世紀の冷戦構造の終結です。7年前にベルリンを訪問した時、その瞬間を自らの肌で感じました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10458

 今回、金正恩氏は北朝鮮の指導者として初めて軍事境界線を200mの徒歩で越え、韓国側に足を踏み入れました。午前は韓国側施設「平和の家」で同席者を交えて1時間40分会談、午後にも屋外を散策する途中で約40分間2人だけで会談し、その後で共同記者発表に臨みました。私はテレビでその様子を見ていて、共通の言語・民族が、もちろん世界の目を意識してではありますが、向き合って話す姿に、まさに歴史の瞬間に立ち会っている気がしました。

今朝の新聞各紙

今朝の新聞各紙

 宣言では「完全非核化」のほかに、朝鮮半島の平和構築に関しては「非正常的な現在の停戦状態を終息させ、確固たる平和体制を樹立することは歴史的課題」と指摘し、年内に朝鮮戦争の終戦を宣言したうえで、1953年に締結した休戦協定を平和協定に転換するため、南北米の3者或いは中国を加えた4者による会談を進めると明記しました。

 南北の緊張緩和のため、互いに武力を使用せず1992年の南北基本合意書で約束した「不可侵」の合意を再確認し順守するとし、来る5月1日から、南北の軍事境界線付近で拡声器を使って流してきた北朝鮮の住民向けの宣伝放送を中止し「すべての敵対行為を中止する」と宣言しました。

 南北は相互交流の拡大のため、北朝鮮の開城に南北共同連絡事務所を設ける方針も確認。経済協力に関しては、2007年の南北首脳会談で触れた事項を積極的に進め、鉄道や道路などの整備に関して対策を講じるとも明記しています。

 私は10年前に、演劇交流で韓国を訪問した時に、板門店ツアーに参加して現地に足を運びました。歴史の最前線にいる緊張感は今も心に残っています。

* 板門店 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=876

 その時の私のコメントです~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 いずれにせよ、相変わらずの日本外交の貧弱さを痛感しています、公式発表はともかく、複数の人的パイプがないというか。外交上は、今こそ、東アジアにおける平和と安全に関して「非核化」をキーワードにして、日本は本来のリーダーシップを発揮する時だと思います。そして、一味違う視点として、自然科学者・環境科学者を中心として、たとえば「オホーツク海の生態系」、「北東アジアの大気汚染」、「朝鮮半島の生態系」といったテーマでの、周辺6・7カ国ネットワーク形成プロジェクトを、日本がリーダーシップを取って場の構築等は出来ないものでしょうか。

 過去の歴史を受け止めながら、21世紀的テーマの新しい構想の中で平和の時代を創る、そんな時代なのだと強く思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 あれから10年を経て、何も動いていなかった日本国の姿勢、歴史の舞台から取り残される所以ですね。第二次世界大戦の戦勝国がどこで、敗戦国がどこだったのか、あらためて近い歴史をしっかり認識する必要があります、以前から私自身、声高に言ってきたことではありますが。日本は、アメリカに敗けただけでなく中国にも敗けた事実を認識しなければならず、そして、戦前、朝鮮半島を統治していたのは日本であり、中国の一部を占領していたのも日本であることを、ですね。今回の朝鮮半島の平和的統一への努力を、ただ「歓迎」といっている場合ではなく、何がしかの歴史的責任を負っての使命があるのでは、と私は強く思います。

 10年前の板門店ツアーで、向かうバスの中で聴いた「イムジン河」は、ひと際印象的でした。1969年前後の私の学生時代とも重なります。

* イムジン河 https://www.youtube.com/watch?v=eQF1xdghzGM

 東西ドイツの統合のように、今後、課題は多いでしょうが、南北朝鮮の統合により朝鮮半島の非核化への道が開かれると、韓国駐留のアメリカ軍の位置づけが変わり、ひいては日本の沖縄を中心にいるアメリカ軍基地にも変化が出てくることになります。まさに、朝鮮半島問題は、21世紀の日本のあるべき姿の課題に直結します。

 平和への道筋、一歩一歩前に進んでほしいものです、朝から興奮した2018年4月27日でした。

WNアートギャラリー春季展示会

Posted by 秋山孝二
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 栃木県益子町の「ワグナー・ナンドールアートギャラリー(http://art-museum-39.business.site/」では、今年も春の展示会が開催されています。今回は、丁度、私が毎年参加している「全国経済同友会セミナー」が宇都宮市で開かれるので、早めに入って展示会にも足を運びました。昨年は「ワグナー・ナンドール没後20年記念」で、盛たくさんの企画が大盛況でした。

* これまでの関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%AF%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%

 今年の併設展示は、水墨画です。

水墨画

水墨画

モノトーンの魅力

モノトーンの魅力

 益子の春、穏やかな日差しの中、庭をゆっくり散策される方も多かったですね。

春の益子

春の益子

アトリエ外観と「母子像・ふるさと」

アトリエ外観と「母子像・ふるさと」

クミコ、そして、加藤登紀子

Posted by 秋山孝二
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 プロのライブは、それぞれに魅力があり、毎年結局は追いかけて足を運んでいます、世間的には何をやっているおじさんかとの冷たい視線を感じつつ・・・。このところはクミコさんと加藤登紀子さんのライブ。歌だけでなく、2時間少々、その世界に浸る楽しみは、芝居の観劇と共に、大切にしている私の時間です。美輪明宏さんの7月ライブのチケットも買っています。

 お二人のライブ~~~~~~~~~~~~~~~~

< クミコ >

デビュー35周年! ザ・ベスト・コンサート~最後だとわかっていたなら~

「クミコ」の画像検索結果

* 最後だとわかっていたなら (https://www.youtube.com/watch?v=Xw_lC0uLZjg

* 最後の恋 哀しみのソレアード(https://www.youtube.com/watch?v=BzoGflyWWTw

< 加藤登紀子 >

「TOKIKO’S HISTORY 花はどこへ行った」、サブタイトルは、「1968年から半世紀、2018年に贈る未来への詩(うた)」

 2000年のテレビ番組から「花はどこへ行った(https://www.youtube.com/watch?v=1tk91SF2soo

:アメリカのフォークシンガーで反戦を訴えたピート・シーガーが、ロシアの文豪ショーロホフの”静かなドン”の一節をもとに、1955年に作った名曲”花はどこへいった”は、ベトナムへの代表的な反戦歌として広く歌われたました。大女優マレーネ・ディートリッヒは、祖国ドイツへの思いをこの歌に託し、フィギュアスケート選手カタリーナ・ビットは、ボスニアへの反戦を込めて、この歌をバックにオリンピックで演技。キングトン・トリオ、ジョーン・バエズ、PPM、懐かしいですね。

加藤登紀子が獄中結婚したワケ!夫・ 藤本敏夫、娘の現在は?

あなたの行く朝 (https://www.youtube.com/watch?v=tbOYvy6zy7w

* 1968 (https://www.youtube.com/watch?v=tIdFW7ZUODQ

* 3001年へのプレリュード  (http://recochoku.jp/song/S22123787/

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 これまで長く二人の歌を聴いていますが、共通するのはシャンソンを多く持ち歌にしていること。クミコさんは、銀巴里での長い下積みを経て、かなり後に大ブレイクした実力派。声に力があり、反戦へのメッセージほか、歌を通じての確固たる意志を感じます。登紀子さんは、シャンソンばかりでなく、ロシアの歌が魅力で、ハルピン生まれのルーツから現代までの歴史を歌に込め、今回は1968年からの50年をテーマに、私の生きてきた時代とも重なってエネルギーを貰った素晴らしいステージでした。私は長くトキコ倶楽部(http://www.tokiko.com/club/index.htm)の会員です。

 歌はメロディと歌詞だけでなく、その歌手の生きざまと時代を反映しているので、「没頭する時間」+「ストーリー」が、感動を生むのでしょう、ともに素晴らしいひと時でした。

我が家の庭にも春が

Posted by 秋山孝二
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 今年の私は、1月に眼科、2月に耳鼻科に通い、さらに2月末の転倒・骨折により、入院、手術、リハビリとバタバタ過ごしているうちに、外では雪が融けて春の日差しが降り注ぎ、気が付いてみると我が家の庭にも春がやってきています。

 外の流し台には、孫たちがいつのまにかお供え物。

ホタテ貝の上に

ホタテ貝の上に

それぞれ一つずつ

それぞれ一つずつ

 札幌の春は本格化、サクラもそろそろ咲き始め、円山公園は今年もまた多くの人たちとジンギスカンの煙であふれるのでしょう。

第113回 北を語る会 例会

Posted by 秋山孝二
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 異業種交流会で長く続いている「北を語る会」、なかなか例会に皆勤とはいきませんが、毎回盛りだくさんのプログラム満載です。

 これまでの「北を語る会」記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%97%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E4%BC%9A

 先日は、オホーツクに生きる会員・海田有一さんのお話とライブ演奏でした。

海田有一さん

海田有一さん

オホーツクのご紹介満載!

オホーツクのご紹介満載!

 第二部はカンテレ&クリスタルボウルのライブ演奏。

* カンテレ http://tozaimusic.com/index.php?id=i1494353442

 カンテレ はフィンランドの民族楽器の一つで、ツィター属に属する撥弦楽器の一種、フィンランドの国民的叙事詩であるカレワラの中で、老賢者ワイナミョイネンがカンテレを開発したことになっているため、フィンランドでは民族意識の象徴として扱われることも多いそうです。

* クリスタルボウル http://crystalbowlhealing.info/what

 クリスタルボウルは「シリカ(=水晶)」という粉から作られた、「おひつ」のような円筒形の楽器、ボウルひとつにつき、ひとつの音階(ドレミファソ〜)があり、優しく叩くことや、ゆっくりとこすることで、数分続く透明感あふれる音を出し、ヒーリングとしても人気のようです。

当日プログラムより

当日プログラムより

カンテレ(左)佐藤美津子さん、クリスタルボウル(右)尾藤弥生さん

カンテレ(左)佐藤美津子さん、クリスタルボウル(右)尾藤弥生さん

カンテレの生演奏

カンテレの生演奏

クリスタルボウルの奥深い音色

クリスタルボウルの奥深い音色

 二つの楽器の繰り出す音色のコラボが、空間に広がる不思議な世界を醸し出していました。

新渡戸稲造記念公園、春 2018

Posted by 秋山孝二
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 桜前線も一息ついた感、札幌は日差しは春めいてやっと雪が融けはしましたが、体感気温はまだまだといった昨今で、桜の開花はやはりゴールデンウイーク辺りでしょうか。

 先日、久しぶりに行ってみました、2014年12月16日に札幌遠友夜学校跡地に完成した「新渡戸稲造記念公園」は、4月に入って春の装いに日一日と向かっています。

* 新渡戸稲造記念公園の経緯ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%85%AC%E5%9C%92

 「一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会(http://nitobe-enyu.org/」では、この地に記念館を建てるべく、この間、寄付集めをしています。同時に、この記念公園造成にも案内板等の文言作成で協力して、公園完成後は、公園内清掃、彫刻清掃等、ボランティア活動で記念館建設の夢を追い続けており、今年がまさに正念場です。

 昨年は花壇作り、掲示板メインテナンス、そして、今年雪融けを待ってメンバーがひと冬のゴミの清掃活動をしました。毎年少しずつではありますが、50年間この場で続いた札幌遠友夜学校のボランティア活動も多くの市民に知られてきていると思っています。掲示板の内容も新たに、今年も前進します!

雪も融けた公園、掲示板

雪も融けた公園、掲示板

「考える会」メンバーによるゴミ拾いも

「考える会」メンバーによるゴミ拾いも

掲示板には新たな告知

掲示板も綺麗に

当時の遠友夜学校の様子

あらたに当時の遠友夜学校の様子も

裏面は新たな告知も

裏面は歴史年表も整備

公園内の植栽の説明

公園内の植栽の説明

 「一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」では、今年度は新たな企画として以下のような連続の「火曜講座」も開催します、多くの皆様のご参加を希望します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◎ 火曜講座 場所:愛生舘サロン 時間:13:30~15:00、参加費用:千円

7月10日(火)  松井博和氏 「志ある若者を育てるには」

札幌農学校精神や新渡戸稲造のこころで未来を担う若者の育成を!

8月7日(火) 木原直彦氏 「札幌・遠友夜学校・有島武郎」

9月11日(火) 三島徳三氏 「新渡戸稲造の「日本人精神論」と現代」

武士道だけでなく、新渡戸の「日本人の精神・宗教」論、を紹介し、

現代日本人のココロの根底に迫ります。

10月6日(土)    エルプラザ3Fホール(音楽と講演の集い)14:00?16:00(入場料:二千円)

「マザーテレサと新渡戸稲造ーミュージカル『マザーテレサ』の歌声とともに」

ソプラノ 吉村美穂さん ピアノ 野田常喜さん 講演 小野有五氏

11月13日(火)  秋山孝二氏 「遠友夜学校と私たちのこれまでの活動」

今の時代、遠友夜学校の理念に基づいて、私たちは生きていく糧をどう見出していくか。

12月11日(火) 三上節子氏 「 DVDに見る:創立100周年記念放送『魂の燈台・遠友夜学校』、

海外取材放送『フィンランドで見つけた武士道』」

遠友夜学校で育てられた教師たち・生徒たちの歩みと新渡戸の海外での影響力

1月15日(火) 藤田正一先生 「アメリカ独立宣言と遠友魂」

一見全く関係のないこの二つを結ぶ糸とは?

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 また、「考える会」の北洋銀行、北海道銀行の口座番号を変更しました。任意団体から一般社団法人への移行に伴うものです。以前の口座は閉鎖しましたので、今後はこちらをご案内下さい。ゆうちょ銀行は変更ありません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<北洋銀行 本店営業部  (下二けたの違いですのでお間違えないように)>

* 一般社団法人新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会  会長 秋山孝二

店番号 028  口座番号 6925540

* 一般社団法人新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会  記念館建設口座  会長 秋山孝二

店番号 028  口座番号 6925551

<北海道銀行 本店営業部  (口座名称記載冒頭が(社)でよろしいそうです)>

* (社)新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会  会長 秋山孝二

店番号 101  口座番号 3275025

* (社)新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会  記念館建設口座  会長 秋山孝二

店番号 101  口座番号 3274986

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 新しい年度を迎えて、気持ちも新たに活動を進めて参ります、目標にはまだ遠いですが、多くの方々の建設寄付へのご厚志をお願いする次第です。

北海道経済同友会 総会 2018

Posted by 秋山孝二
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 今年度の北海道経済同友会(http://hokkaido-doyukai.jp/)の総会と第一回の例会が開催されました。私は幹事を拝命してから20年以上経つでしょうか。今年度から、これまでの横内龍三代表幹事が顧問に、新しく石井純二幹事が代表幹事にご就任になりました。私より年下の初めての代表幹事、時代の流れを感じます。

横内龍三代表幹事は顧問に

横内龍三代表幹事は顧問に

新しくご就任の石井純二代表幹事

新しくご就任の石井純二代表幹事

 横内体制で、委員会活動も大変活発になり、私は環境問題委員会でいろいろ学びの場を与えて頂きました。引き続き、今年度以降もこの委員会に一員として研鑽を積むと同時に、新しく立ち上がった小磯修二先生が会長の「未来検討員会」にも参画することになりました。提言を含めての活発な議論が楽しみです。

* 環境問題委員会ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%92%B0%E5%A2%83%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

 総会に引き続き開催された第一回例会の演者は、日本航空(株)(https://www.jal.com/ja/)取締役で前会長の大西賢(おおにしまさる)さん、演題は『JAL破たんからの歩み~そして新たな企業文化の創造』でした。

経営再建にプロセスを

経営再建のプロセスを語る

淡々と、力強く

淡々と、力強く

 これまで上場廃止になった138社のうち、再上場できたのは9社のみの困難な道筋を、稲盛和夫さんのリーダーシップと相まって、大西さんほかのJAL経営者の賢明な努力で、最短で再上場を果たしたとのこと。それも数千億の債権放棄のご協力を得てであり、感謝以外の何物もないとおっしゃっていました。

 再生JALの社長にご就任された最初の言葉が「過去との決別」、社長就任の言葉としては覚悟を感じます。「事業構造の改革+内面的な構造改革=The New JAL」を実践した日々を丁寧にご説明されました。新しい実践は殆ど何もない、ただ、その目的を明確にして地道に全社員が努力し続けた結果と謙虚にお話をされていました。経営再建の神髄は、恐らくこのような地道な努力の積み重ねなのでしょうね。

* 【参考】大西賢の名言 https://systemincome.com/tag/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E8%B3%A2

 技術畑ご出身で関連会社社長の経営を経て、火中の栗を拾った勇気と覚悟に敬服します。短期間で社長から会長、そして取締役と、ミッションを心得た生き様も共感を持ちます。

 年度初め、身の引き締まるお話に感謝です、ありがとうございました。

限界を越えて、大谷翔平くん!

Posted by 秋山孝二
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 アメリカ大リーグで、日本ハムファイターズからエンジェルスに行った大谷翔平の活躍が素晴らしく、先週のMLB週間MVPにも選ばれました。投打の「二刀流」をこなす選手の受賞は各週の最優秀選手を選び始めた1975年以降、初めてで、日本選手でメジャー1年目の4月の受賞は最速、23歳9カ月は最年少と、初物尽くしでした。日ハムの栗山監督は、普通のことで特に驚かないと言っていますが、アメリカでも大変大きなインパクトを与えていて、私も嬉しく、元気を貰っています。

* https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180411-00000014-dal-spo&pos=4

無断転載禁止無断転載禁止

 6年前、彼が日本ハムファイターズに入団して二刀流に挑戦する時、多くのこの世界の評論家たちは反対の大合唱で極めて批判的でした。そんな様子に当時私はずいぶん憤っていたことが以下のコメントから分かります、どうして、若いこれからの選手の夢を、「やってみなはれ!」と背中を押してあげられないのか、と。

* 2012年12月 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=15309

* 2013年6月 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16905

* 2014年4月 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19619

 例えば~~~~~~~~~~~~~私のブログから

* 日ハム球団のきわめてオーソドックスな現行ドラフト制度下での選手指名、交渉姿勢に、さらに大きな拍手をしたいです。丁寧で誠実な交渉を繰り返し、指名した責任をしっかり果たした結果の翻意なのでしょうね。これに対して、星野仙一が批判しているようです(http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20121209-OHT1T00224.htm)、スポーツ報知の記事というのもアンタには言われたくない、ですよ。

* 今、学校教育現場で「いじめ」が大きな課題になっていますが、今回の「翻意」に対して、学校及び本人に対して幾つかの批判メッセージが届いているとか。朝日系の「強行指名」という言葉も不適切です、大手メディアの寄ってたかっての球団、若者バッシングではありませんか。ゆがんだ今の日本社会ですね、「いじめ」は学校現場だけではなく、むしろ日本社会そのものに横たわるどす黒い風潮なのでしょう、これを子どもたちが真似してしまっているのだと思います。

*  栗山監督のあの教育者としての立ち振る舞いと表現は、彼がただ東京学芸大学の卒業であるだけでは説明できないでしょう。以前にも書きましたが、「人を育てる」ことを根本の所で、人生の目的にしているのではと、私は彼に哲学を感じて尊敬しています。言い方は大変失礼ですが、「ただのプロ野球選手ではない」、そんな思いですし、彼を監督に据えた北海道日本ハムファイターズの球団関係者に敬意を表します。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14871

* 新人大谷へのレベルの低いコメントに辟易していると、全く対照的な事例として、私は、先月盛岡で、ジョン・V・ルース駐日米国大使が、経済同友会全国フォーラムの基調講演で「日本経済の未来を支える3つの鍵」と題して熱く語られ、日本の若者への期待感がにじみ出ていたのを思い出します(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16803)。

* さらに大藤さんに共感するのは、大谷翔平選手の前代未聞の「二刀流」挑戦を目の当たりにして、まだ始まったばかりではありますが、投打とも素晴らしい成績を挙げている現状から、このコメントが発せられていることです。昨年も、従来型の解説者、プロ野球選手OBは大谷翔平、日本ハムファイターズの挑戦に大変ネガティブな反応でしたね、まるで成功しては困るかのようでした。今年はさすがにそれ程ではありませんが、張本勲氏を筆頭に相変わらずの方も多いです。

* 何回もこの欄でも書いていますが、新しい挑戦を従来型の眼でしかコメントできない、理解しようとしない、その構図が今日本の閉塞状況を象徴しているような気がします。ベテランは、自分で判断できないことは素直に「分かりません」、「果敢に挑む本人を応援しましょうよ」と、どうして言えないものか、社会全体の器の小ささ、解説のプロフェッショナル不在を感じる昨今です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~私のブログからの引用 おわり

 寄ってたかって若者を批判する姿、カッコ悪いですね。新しい時代は新しい担い手が創る、そうです、化石のような方々は静かに去って頂きましょう、邪魔をしないように。実は、昨日のある会合でも、定番のように講演後に質問する80歳を超えた方が、質問を幾つも独り占めして時間を使う場面がありました。年寄りだからダメとは言いませんが、ああいう場で、質問は吟味したもの一人一つというのが「作法」ではないでしょうか、ご本人は現役時代からあの調子、未だに気が付いていな様子に、何か哀れを感じました。最後はお口汚し、失礼しました。

 大谷翔平くん、これからも限りない挑戦を!!!

結婚披露宴で @ 八雲町

Posted by 秋山孝二
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 北海道の八雲町(http://www.town.yakumo.lg.jp/)で結婚披露宴があり、出席しました。披露宴世話人の方々ほか3時間の宴を通して、地方のマチを支える若い世代の力が溢れ、脈々と暮らす人々の営みを感じて、こちらが元気を貰いました、感謝です。

 HPより町名の由来は以下の通りです。~~~~~~~~~~~~~~~~~

 町名は明治14年に徳川御三家の一つ、尾張徳川家(旧尾張藩)の17代当主徳川慶勝侯が、豊かで平和な理想郷建設を願い、古事記所載の日本最古の和歌である須佐之男命(スサノオノミコト)が読んだ「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」を引いて名付けました。

 旧熊石町の開基は、鎌倉時代後期の永仁4年(1296年)に日蓮上人の六老僧の一人、日持上人がこの地に足跡を残した時を持って定められています。元禄4年(1691年)には和人地エゾ地の境界地として番所が相沼から熊石に移され、当時の日本国最北の地となりましたが、寛保元年(1741年)に松前大島の噴火があり、村損壊の危機にさらされました。しかし、永享元年(1744年)頃から再び有力者の移住により新たな村づくりが進められ、漁場の拡大等によりニシンの千石場所として再び繁栄するようになりました。明治6年戸長、副戸長制度により熊石、泊川、相沼の3村に戸長が任命されました。明治35年北海道二級町村制が改正公布され、新しく熊石村として発足しました。明治20年代頃まで村の産業経済の中心であったニシン漁は明治30年代以降不漁の年が多く、地域活力も低迷を辿り、大正時代にはニシン漁は皆無となったため、イカ漁、イワシ漁等への転換が行われました。昭和35年、有史以来最も多くの人口1万有余人を数え、昭和37年には町制施行となり、高齢化や過疎化が進む中で、地域活性化のために農漁業の基盤整備や平地区の開発等が進められてきました。

 平成17年10月1日、渡島山系を挟んで隣り合っていた、渡島管内八雲町と檜山管内熊石町が新設合併を行い、新「八雲町」が誕生しました。この合併により面積955.98㎢、人口19,684人、世帯数8,640戸(平成20年3月1日現在)、日本で唯一太平洋(内浦湾)と日本海に面する町になったことにちなみ、新たに「二海郡」という郡名が付けられました。

* プロモーションビデオ http://www.town.yakumo.lg.jp/modules/yakumois/content0010.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ HP 引用おわり

 披露宴は300名の大宴会、オープニングは旧熊石町に400年続く伝統行事、続いて岩村克詔八雲町長の来賓祝辞で和やかに開会しました。

地元で続く伝統行事でのオープニング

地元で続く伝統行事でのオープニング

300人の披露宴!

300人の披露宴!

 新郎はお菓子屋さんの社長で職人、新婦も隣の長万部町ご出身で福祉施設のベテラン、ウェディングケーキも自作の畳1畳分もあるイチゴショートケーキでした。

ご自身制作のウェディングケーキへの入刀!

ご自身制作のウェディングケーキへの入刀!

 来賓ご挨拶、友人ご挨拶、余興等、心がこもったものばかり、最後の新郎からの御礼の言葉もこれまでの感謝が伝わり、地域で生きる姿に感動しました。

参会者への感謝のご挨拶

参会者への感謝のご挨拶

 企業城下町ではない歴史を基盤に、地域に生きてきた人たちの暮らし、まさにこれからの地方のあるべき姿を垣間見たようなひと時でした。先輩たちにお世話になり、お世話を次の世代のためにして、地域のお祭り・イベントを通じて人のネットワークがつながる、まさにまちづくりの原点ですね。どうか、新郎・新婦、末永くお幸せに!!

映画「ペンタゴン・ペーパーズ 」

Posted by 秋山孝二
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 前評判の高い映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書(http://pentagonpapers-movie.jp/(原題: The Post)は、息詰まるシーンの連続で、今の時代、タイムリーな内容でした!「フェイクニュースに対する解毒剤」といった評価も見られます。第90回アカデミー賞では、作品賞と主演女優賞にノミネートされました。

* http://eigaz.net/prediction/2018.php

画像検索結果

 メリル・ストリープ×トム・ハンクス、スティーヴン・スピルバーグ監督

http://pentagonpapers-movie.jp/news/2018/04/04/pentagonpapers0404/

 HPより~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていた。国防総省はベトナム戦争について客観的に調査・分析する文書を作成していたが、戦争の長期化により、それは7000枚に及ぶ膨大な量に膨れあがっていた。
 ある日、その文書が流出し、ニューヨーク・タイムズが内容の一部をスクープした。
ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストのトップでアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、残りの文書を独自に入手し、全貌を公表しようと奔走する。真実を伝えたいという気持ちが彼らを駆り立てていた。
 しかし、ニクソン大統領があらゆる手段で記事を差し止めようとするのは明らかだった。政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか…報道の自由、信念を懸けた“決断”の時は近づいていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 扱っていた時代、まさに私自身の生きてきた時代そのもの。表面化するかなり前からベトナム戦争の源流があったこと、メディアと政治、マスメディア間の熾烈な競争、女性経営者と70年代、社主の決断等、複数のテーマが錯綜する濃密な映画でした。

 幾つかの評論を読むと、スピルバーグ監督は、「本作は、ジャーナリズムの英雄の物語だよ」、「脚本を読んで受けた印象は、リーダーシップの物語だということだった。“リーダーはどう生まれるか? 決断を下すことに前向きではないリーダーを前向きに変化させるようなひらめきは、どういうものだろうか?”。キャサリン・グラハムの物語に、そんな“変化”を感じ、私は心をつかまれたんだ」と語ったそうです。そして、スピルバーグ監督がこの製作を発表したのは、トランプ政権発足からわずか45日後、この物語には、現代との共通点がとても多いと考えたとか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~以下はHPからの引用

 歴代大統領と公私共に蜜月関係を続けて来たブラッドリーが、時代の変化に呼応するメディアのあるべき姿を、少しの諦めと懐かしさを感じつつ語りかけるのに対し、グラハムはあっさり掲載を即決する。夫亡き後、新聞社を引き継ぎ、無能で社交好きな女性オーナーと蔑まれ、差別されて来た彼女が、会社存続か良心かという二者択一を迫られた時、当たり前のように後者を選択するのだ。

 それは、男性主導の世界に身を置き、秘かに疑問と怒りを溜め込んできたグラハムの痛烈なしっぺ返し。メリル・ストリープのこの種の設定でありがちな力演でなく、肩すかしのように軽妙な演技が、男女平等という最も今日的な問題を、約半世紀昔から今も変わらぬ現在へと運ぶ大事な役目を果たしている。

 女性のさらなる社会進出と、国民には見えない政治や社会の裏側に隠れた事実を次々と暴いてきた新聞及び新聞文化へのエールが、当時使われていたタイプライターや電話機、印刷所内の機器やシステム等、優れた時代考証と共に描き込まれた本作。“20世紀の映像記録人”スピルバーグが今、扱うべきテーマは、他にもまだたくさんありそうだ。

 映像では、ストリープ演じるキャサリンのキャラクターに焦点が当てられている。映画では、女性であるという偏見や、社主という重圧に苦悩しつつも、最善の決断を下そうともがく姿が描かれるが、ストリープは「彼女は元々女性らしい人だった。当時は男性だけが権力を持っていたの」と当時の時代背景を解説。

 さらに、プロデューサーのエイミー・パスカルとクリスティ・マコスコ・クリーガーは「1971年のワシントンでは、男が政治の話を始めると女は席を外した。女性経営者なんてありえない時代よ」(パスカル)、「女性の意見をテーマにした物語よ。キャサリンのおかげで、私たち女性は自己主張ができるようになった」(クリーガー)とキャサリンの偉業をたたえる。

 女性の出演者たちのインタビューも収められており、キーキャラクターの1人を演じたアリソン・ブリーは「強い女性が主人公の最高の物語よ」と誇らしげに語っている。本編映像も多数収録され、キャサリンが「政府の秘密を暴露する気か!」と言われても、き然とした面持ちで「許可ではなく、助言を求めに来たの」と言い放つ姿や、「もう父の会社じゃない。夫の会社でもない。私の会社よ」と宣言する勇ましい姿を確認できる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~HPからの引用 おわり

 キャサリン・グラハムとベン・ブラッドリーとの関係はこちらの「プロダクションノーツ」をご参考に:

http://pentagonpapers-movie.jp/production_note/3.html

 「Democracy Dies in Darkness(暗闇の中では民主主義は死んでしまう)」というスローガンで今は知られているワシントン・ポスト、この映画のラストシーンで予告しているのは、映画『大統領の陰謀』で描かれる「ウオーターゲイト事件」、こちらも面白かったです。1976年度アカデミー賞で作品賞・監督賞を含む8部門でノミネート、助演男優賞、脚色賞ほか全4部門に輝いたダスティン・ホフマン&ロバート・レッドフォード主演の実録作です。

* https://movie.walkerplus.com/mv5654/

 この作品こそ、当初は熱心な共和党支持者の単独犯行だと思われていた民主党本部への侵入と盗聴器の設置が、実はニクソン大統領の指示の下に行われた組織的な行為であることを突き止め、「ウォーターゲート事件」の真相を暴いた、ワシントン・ポスト紙の若き記者たちの物語でした。

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 今回の「ペンタゴン・ペーパーズ」のワシントンポスト社主キャサリン・グラハムを演じたメリル・ストリープは、脚本を読んで、「大きな変化は1人の人間の勇気から始まる」と語っています。「The Times」と「The Post」のジャーナリスト魂、ジャーナリズムの勇気と司法の自立性と主体性、今の日本でも発揮してもらいたいし、市民の声がこれを後押しする力としていきたいものです。できれば見逃しているシーン、味のある言葉を拾いたく、もう一度観に行きたいですね。

待合時間に思うこと

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
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 このところ、期せずして幾つかの場で「待っているひと時(待ち時間」があり、その間、様々なことが頭を巡りましたので、多忙な日常ではあまり考えることもないある意味では貴重な体験であり書き留めておきます。昔は、床屋さん、歯医者さん等、待っている場面がずいぶんありましたが、最近は予約制も普及してずいぶん減りはしました。

 まずは、先日も書きましたが、医療機関外来窓口の対応。昨今の厳しい競争の賜物とでも言うのでしょうか、昔に比べると格段に来る患者(顧客)に対してのきめ細かい姿勢を感じます。例えば、私が二か月に一回通っている内科外来窓口では、スタッフの声掛けが事務受付から検査看護師、診療室看護師まで、挨拶だけでなくごく自然な形でコミュニケーションを取っています。医療機関に来ている人々なので、どこかしら具合が悪いという状態を鑑みて、おそらく日ごろからそいう教育研修をしていると思われます。診察後の次回の予約を取る段では、名前を呼んだあと、「あっ、そのままで結構ですよ、今、行きますから」と、毎回100%同じ対応で、膝をついて座っている私たちと同じ目線で対応しています。どのスタッフでも誰でも同じですから、その医療機関の日頃の教育なのでしょう。

 もう一つの医療機関窓口では、高齢者が多いせいか、朝の受付にかなり早くから訪れる方もいらっしゃるようですが、整理券を配り、機械での受け付け時刻を明示しています。待合ロビー・廊下には、それぞれの先生の患者番号が電光掲示板に順番に掲示されて、「あと何人で自分の番か」が一目瞭然、待っていてもその時間に別の算段ができます。また、受付窓口の事務の方も、プラス1名カウンターの奥に立って待合室の状況をいつも視ているスタッフがいるのです。これもその病院の体制・システムとしてかなりよく吟味された仕組みと私は毎回感心しています。

 と、そんなこんなで時代と競争の激化でサービス産業のフロントラインのレベルアップを具に感じていた時、つい先日、私が代表を務める法人格を持った団体の銀行口座について用事があったので、市内中心部の北洋銀行本店営業部と北海道銀行本店営業部を訪れました。普段は、ATMで用件が済むので、久しぶりの窓口でした。以前から、私の周りの方々ともお話をしているのですが、「今、税務署窓口の対応はよくなったけれど、銀行窓口が一番訪れて気分が悪い」との声を聞いており、私自身もこの十数年、ますますその気持ちを強くしています。ただ、もう時間も経っているので、さすがに銀行自身そういった顧客の声を取り入れてサービス対応はレベルアップしているだろうとのほのかな期待を持って先日行ってみたのですが、北洋銀行はかなり改善されていましたが、北海道銀行は全く以前のままのひどい状態でした。

 今回、両行ともに団体の口座に関して3つの用事があったので、窓口の女性にそれぞれご説明をして必要書類等に書き入れて、そこまでの様子はほぼ同じ、ただ、北洋銀行窓口の女性は、上司に伺いを立てる箇所についてはすぐに席を立って、OKですとの返事を得たとか、その場で即決している雰囲気は感じられました。いつも感じることですが、日本のサービス業のフロントラインのレベルの高さは、世界でもかなりのものだと思いますね。今回も、両行とも窓口の女性の対応は説明の言葉も非の打ちどころがなかったと思います。

 問題はその後です。北洋銀行では「30分ほど時間を頂きますのでご容赦下さい」と、北海道銀行では「1時間ほどお時間を頂けますか?」とのことでもちろん了解してその間、ロビーを離れて自分なりの他の用事も済ませました。時間が経ち、北洋銀行窓口に行くと、私が預かっていた番号札を渡すと別の担当の方が、「こちらの通帳ですね、引き継いでいましたのでお渡し致します」と、ほんの1分のやり取りで銀行を出ました。

 次に北海道銀行本店営業部に移動して、ロビーに立っている案内係の方に、「これできていますかね?少し時間が早いのでできるまでここで待っています」と私は係の方の目の前の席に座っていました。スマホで高校野球のライブをチェックしたり、何だかんだで受け付けてから1時間が経ったので、「そろそろ出来上がりましたかね?」と代わった案内係の方にまた伺ったところ、バックオフィスに行って戻ってきて、「まだのようです」とのご返事。その間、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」を何十回聞いたことか、コンビニ以上でした、案内係を責めているのではありません、やらせている仕組みと上司にこれでいいのか、と言いたいですね。

 結局、結論は、受付から2時間15分後に、私は「念願の?!」通帳を受け取ることができました。ただ、私に通帳を渡してくれた女性は、まだ入行それほど経っていない職員ではないでしょうか。何もいきさつを知らされずに、もちろんお待たせしたというような気すらなく、ただ「ありがとうございました」と。私は、今回はクレーマーにはなりたくないと我慢していたのですが、バックオフィスにチラチラ見える上司と思われる男性陣に無性に腹が立って、「どこでこんな時間が掛かるのか説明して頂けませんか?」とかなり冷静にお願いしました。しばし奥の方で気乗りしない様子の上司と思われる男性がやってきて、「申し訳ありません」を繰り返し語るのみ。私は、「いや、お詫びを聞きたいのではなく、どうしてこんなに時間が掛かるのかを説明して頂きたいのですが」と再度聞いてみたのですが、明確な答えは何もありませんでした。

 私は2時間以上も待ったあげく昼食も取りそびれ、食後の薬も飲めず、これ以上道銀に寄り添う気持ちも無く、早くその場を離れたかったので退出した次第です。2時間が掛かりすぎるというのではなく、業務の見積もりで当初から2時間程度かかるのであれば、最初にそう言うのが顧客への配慮ではないかと思うのです。そうすればその間の時間の算段が付くし、顧客としても予定が立つというものでしょう。それにしても、あの程度の業務で2時間以上、営業店の看板を降ろして事務所と名称を代えた方がいいと思います、顧客不在です。

 実は、北海道銀行では以前にも本店営業部二階で同じようなことがあったので、これじゃ忍耐強い日本の顧客も離れていくのではないかと、まるで銀行幹部になったような心境で寂しくなった次第です。バックオフィスの非効率、決済の過剰なプロセスによるスピード感の欠如。曲がりなりにもこの間大学で「経営組織論」を10年間教えた私としては、北海道銀行の経営幹部にこの声が届くことを期待します。

 ちなみに、秋山財団は北海道銀行鳥居前支店にお世話になっています。昨日も私は払い出しで窓口に行きましたが、カウンターの女性、お金をお渡し頂いた女性とも、穏やかで笑顔を絶やさず会話もあり、何も文句を言う筋合いはありませんでした。ATMが主流の銀行窓口業務、せめて人が対応する場面では、心のこもった会話とかコミュニケーションが一層大切になっている気がします。バックオフィス上司の方々も、顧客目線を忘れてほしくないですね。

 書いていてだんだん不愉快になってきたのでこの辺でやめます、それにしても日本の銀行、顧客を粗末にしている、またその意識さえ銀行全体にない、憂うべき事態だと私は思います。

 以下、ついでなので、今年2月にFacebookに私がアップした記事も一緒に掲載します。金融機関窓口は、私にとっては鬼門かも。

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 テナントビルの受付業務を熟知されている方、いかが思われますか?

 東京都内、金融機関本拠が入居するビル、ビル玄関前の表看板にもその金融機関の名称が明示。詳しく言えばグループ企業がテナントとして入っているのかもしれません。受付カウンターでどこにでもあるように入館表を書き終えたら、「お名刺を2枚提示を」と冷たい笑顔で受付嬢は言いました。私はとっさに「以前は何も言われなかったけど、どうして2枚なの?」と聞いた所、「ご本人様確認のため」と何のためらいもなくそう返事、要するに1枚だと他人の名刺かもしれないということらしい。これまで国内外、何千回と企業訪問して多くの受付を体験していますが、こんなのは初めてでした。少なくともここまで足を運んできた訪問者に対して失礼な、と。総合受付を通り該当階に行くとそこにまた受付。私は少なくとも顧客、アポイントも事前に取っての訪問です。時代が変わってしまったのか、東京ではこれが常識となっているのか、どこか寂寥感を感じる私なのですが・・・。今の日本の金融機関とすれば、当たり前のビヘイビヤーか。

 言いたいことは、テナントビルなら万が一の不審者来訪のリスクはビル側が取れと。ほとんどの善意の訪問者に求めるものではないと思うのです。

 日本社会、責任をとにかく回避するために懸命に知恵を働かせる、そのくせ、大きな損失は減りもしない、まさに経営者の劣化ですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~Facebookの私の投稿コピー おわり