寺島実郎さんの戦略経営塾、リレー講座、連続講座をこの10年継続して参加していますが、今月の寺島実郎の世界を知る力 #7「世界経済の見通し/”北の黒船”知っておくべき日露関係の近代史(https://www.youtube.com/watch?v=wFvESgeQnds)」も素晴らしい内容でした。
事前に寺島さんから私に電話でご連絡を頂いて、「是非、ロシアとの関係においては北海道の多くの方々に視聴して頂きたいのでご案内を!」とのメッセージでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~番組内容:多摩大学の久恒啓一教授の発信から
経済というのはそもそも中国古典からは、「世を経(おさめ)、民を済(すくう)」こと。
世界経済
- IMFの世界経済予測では、世界同時好況の3年間。2020年はコロナ禍により▲3.3%成長。2021年は1月予測は5.5%だったが、4月予測は6.0%と強気
- 主たる原因はアメリカが2020年▲3.5%で、予測が1月5.1%から6.4%になったこと。バイデン大統領はワクチンの接種もすでに60日間で目標の1億人を突破(100日の予定だった)。4月末までに2億回の目標を設定。年収864万円以下には15万円の給付を行う。200兆円(1.9兆ドル)のインフラ投資の財政出動でアクセル全開
日本経済
- 日本は2020年▲4.8%でこれは2013-2014年の規模。1月予測は3.1%、4月は3.3%でなお水面下
- 中国は2020年2.3%とプラスで、1月予測は8.1%、4月はさらに加速し8.4%。インドは4月予測で12.5%、アセアンは4.9%。アジアの世紀が顕著
- 日米の違い、アメリカの政策は機動力と柔軟性がある。
1:日本は赤字国債を日銀が青天井で引き受けており、後続世代の借金にしているだけ。
2:実体経済の悪さと株高(米33800ドル4月9日。日29708円4月9日)という不自然さ。不安材料がでてきた。投資会社アルケガスの破綻で日米欧の金融が大きな損失、レバレッジ投資、行き過ぎたマネーゲーム金融資本主義のいびつな姿
日本経済の「家計」
- 家計:勤労者(現役)世帯の可処分所得は、2010年43.0万円、2015年42.7万、2019年47.7万。2020年は49.9万(10万円給付を除けば47.1万円)、ピークは1997年の49.7万円)
- 全国全世帯の家計消費支出では2020年は月27.8万円、ピークは1993年の33.5万円。2000年から2020年の20年間では、年間47.3万円ダウン!!
衣は▲47.1%、食は8.6%、住は▲11.3%。小遣い・交際費は▲49.0%で34673円で20年前と比べ年間で▲41.6万円(最大の減少)。光熱・通信13.4%。教育・娯楽は▲28.0%で月▲15499円で年▲18.6万円
日本人は学ばなくなった、学べなくなった。シケて、内向きに!
食の分野のプラスは調理食、肉類、お菓子、飲料。マイナスは外食と魚介類、食生活も変化。増えたトップ3分野は諸雑費(どうでもいいもの。雑費貧乏)4152円増加、通信3958円増加(価格は4分の1に値下がりだがスマホ需要が大きく増加)、自動車関連(地方は2台、モールへ)3312円増加。一方で医療や健康(サプリ)は増えているのをみると賢くなっているともいえ、努力して情報に接することが必要だ、内向きから賢くへ!
全体知への接近:
今回からの3回は北方領土問題をめぐるロシアとの向き合い方がテーマ。今回は前提としての日露関係の歴史。
- 日本人は1853年のペリーの浦賀来航で近代が始まったと考えているが、「北の黒船」が先にやってきている。半世紀前の1792年にラックスマンが根室へ。函館への回航させ、長崎の通行許可証を発行。9ヶ月滞在した。漂流民であった大黒屋光太夫(1783年に漂流)を連れてきた。光太夫はエカテリーナ二世と面会。ロシア語をマスターし44歳で帰国。老中は松平定信。一時金30両を与えられ、月3両の手当をもらい、千代田区番町に住み78歳まで生きた、聞き書き『北瑳聞』
- 1785年には林子平が「蝦夷国全図」という北海道の概念図、1798年には近藤重蔵が択捉を調査、「大日本恵土呂府」の標識を建てた。1800年に伊能忠敬が日本地図を完成
- 1804年にはレザノフが長崎に。6か月間留め置きで、通行証を取り上げられる。仙台石巻の漁師4人(1793年に漂流)を連れてきた。世界一周を初めてした日本人、アレクサンドル一世と面会。聞き書き『環海異聞』
- 情報は受け手の能力に比してしか伝わらない。レザノフは択捉で略奪行為を働き警戒された。
- 1806年に津軽藩、南部藩に守備の要請。1807年幕府の直轄地天領にする。1821年松前藩に返却。1860年ロシアが清国と結んだ北京条約でウスリー川東岸を割譲させ、ウラジオストック(東を攻めよ)を建設。北海道と極東ロシアは双生児、どちらも移民で成立。近代史はロシアと向き合った100年だった(司馬遼太郎)。
- ロシアが東へ向かう理由:ピョートル大帝(ロマノフ王朝の中興の祖)は1697年3月から18月間欧州視察を行ない、4か月間オランダ東インド会社で造船術を学ぶ。1703年サンクトベルクの建設を開始(1792-1918年のロマノフ王朝の首都)。1705年日本語学校を創設。漂流民の大坂出身の伝兵衛(1701年)を教師にした。1754年日本語学校はイルクーツクに移転。13世紀から15世紀にかけてモンゴルに支配された「タタールのくびき」から、東方に巻き返し。
- 日本の動向:ラックスマンとレザノフの間の1800年に八王子千人同心100人(家康が武田軍団を郷氏にした100人10組の大軍団)が蝦夷地へ入植。原半左エ門。苫小牧50人、白糠50人。ロシア対策の開拓だった
今月からは続いて翌週に細川護熙元首相との対談も、歴史を遡りリアルな細川家伝承のお話の数々、説得力が素晴らしかったです!細川護熙さんとは奈良・薬師寺でもリアルにお話を伺いました。
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E8%AD%B7%E7%86%99