千葉県館山市の「モンフルニエ(http://tabelog.com/chiba/A1207/A120704/12005073/)」は、本格的フランスパンのお店として有名ですが、今の話題は、「館山市鏡ケ浦からみる世界遺産・富士山」のパンです。一日20食限定のメロンパン、夕日時、ピンクに映える姿をパンに焼きあげていました!
今でこそ多くの日本選手がプロ野球の大リーグに挑戦していますが、何といっても野茂英雄(http://www.nomo-radiant.jp/)がそのパイオニアでした。二度のノーヒットノーラン達成、控え目な立ち振る舞いは、まさに「日本人の中の日本人選手」でした。
http://wapc.mlb.com/play/?content_id=29585681&query=Hideo%2BNomo
http://wapc.mlb.com/play/?content_id=20111691&query=Hideo%2BNomo
つい先日、新聞記事を目にして、あらためて当時の興奮がよみがえってきましたね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~スポニチアネックス 記事より
野茂氏 ダルにエール「偉大な選手になって」
スポニチアネックス 8月12日(月)8時26分配信
ドジャースなどで123勝を挙げ、08年に現役を引退した野茂英雄氏(44)が10日(日本時間11日)、レンジャーズのダルビッシュにエールを送った。
自身の首振り人形が先着5万人に配布されたドジャースタジアムでのレイズ戦で始球式を務め、「楽しみに見ていますし、僕よりも彼の方がレベルが高い。毎年いい結果を出して、偉大な選手になってもらいたい」と期待を寄せた。
野茂氏は95年に近鉄からド軍へ移籍。日本選手の先駆者として、メジャー挑戦の扉を開いた。95年には新人王と236奪三振でタイトルを獲得。ダルビッシュは現在192奪三振で、自身の日本人最多記録を超える270三振ペースだが「野球は実力社会なので、仕方ないというより楽しみに見ている」と応援した。
始球式では98年以来の背番号16のユニホーム姿で登場し、旋風を巻き起こした「トルネード投法」も披露。高めの速球を投げ込むと、5万2619人から大歓声が上がった。04年9月12日のカージナルス戦以来、3254日ぶりの古巣マウンドに「もう一度選手としてやりたい感じ」と笑顔だった。
~~~~~~~~~~引用 おわり
~~~~~~~~~~ 日刊スポーツ 記事より
野茂氏トルネードで始球式「緊張」
日刊スポーツ 8月11日(日)6時29分配信
1995年からドジャースに在籍した野茂英雄氏(44)が10日(日本時間11日)、かつて数々の好投を披露したドジャースタジアムで始球式を行った。この日は先着5万人に同氏の首振り人形が配布された。
野茂氏がドジャースタジアムを訪れるのは5年ぶりのこと。功績を称える映像がスクリーンに映し出された後、大歓声を浴びながら登場。背番号「16」のユニホームを着てマウンドの手前に立つと、一世を風靡(ふうび)したトルネード投法で、捕手役を務めた元チームメイトのエリック・キャロスが持つミットに速球を投げ込んだ。ボールはやや高めに浮き、ストライクとはいかなかったが、球場に集まったファンからスタンディングオベーションを受けた。
野茂氏は「今日は少し緊張しています。(どうしてかは)分からないです(笑い)。今振り返ってみても、球団のオマリーさん(当時オーナー)、ラソーダさん(当時監督)、球団のスタッフの助けがないと、多分僕は成績残せなかった気がします。こういう日を作ってもらえたのも、スタッフの人たちが、自分がやりやすいように、自分がパフォーマンスしやすいように、環境を作ってくれたおかげなので本当に感謝しています」と感慨深そうに話した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり
ダルビッシュがアメリカでデビューした時も、私は野茂英雄の姿を思い出しました。
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12548
私は、これからも「真のパイオニア・野茂英雄」を忘れはしません!
「Cafe Tone(http://www.cafe-tone.com/)」の宮澤洋子さんからご案内を頂き、フォーラムに参加しました、「『SHIEN』で世界を変えるセミナー」。講師の舘岡康雄(http://shienken.org/index.html)さんは、日産自動車(株)中央研究所に入社し、変革チームの中枢を担い、その後、現在は静岡大学大学院教授としてご活躍中です。
先日も講演でお話をされていましたが、21世紀型の課題解決方法として、「人をSHIEN(支援)すること」、「支援マネジメント」を提唱されています。
20世紀から21世紀に移り、ITの急速な発展、グローバルな情報インフラの進展、モノあまり時代の到来、顧客の嗜好の急速な変化など、経営環境はより複雑化し、スピードのある運営を求め始めてきています。そんな状況の変化の中で、経営のパラダイムも大きく変貌し、不確実性、複雑性に対応したマネジメントに移行せざるを得ません。
特に「情報」という刻々と動いているものを、自らも動きながら、「動いているままに扱わなくてはならない時代」になってきているとのご指摘は、実感ともフィットする認識でした。このような新しい時代において、私たちが目指す組織やシステムは、「管理・統制」の行動様式ではなく、マネジメントの基軸は、制度重視から「柔軟性・創造性」重視へとシフトしていかなければ解決への道とはなりません。 また同時に、経営スタイルも、経営資源を内部に「囲い込む」従来の経営スタイルから、各関係者が「共に参加し、互いに相互作用しあう」、多元的かつ多様なダイナミズムの中でものごとが解決していくと考えるべきとの説明にも納得します。
相互支援的なプロセスからなる新しい経営スタイル、マネジメント手法へと移行することが重要で、ここでのキーワードは、「つながり」、「オープンネットワーク」、「参加意識」、「コラボレーション」、「相互補完」、「支援」など、と。従来型の組織を越えて、プロジェクトチームによる「スペースの形成」といったお話は、企業のイノベーションの現場の声として、あらゆる集団・組織にも通用する普遍性を持ちますね。
さらに講演後に検索してみると、現場での経験をさらに深めての論文も多数執筆されてます。
~~~~~論文「エージェントの利他性と企業活動」の概要説明から引用
新世紀に入り企業活動は、空間的にはよりグローバル化、時間的にはより短縮化の道を辿っている。グローバル化とは、異なる経路依存性を持ったエージェント間の調整問題に帰結する。一方、ITの発展等を背景に関係性を飛躍的に高めたエージェント同士が、より短期間に成果を生み出そうとすれば、その動きの連鎖も、複雑性を呈してくる。この両者の状況下では、過去のインプットとアウトプットの関係性を既知とした管理行動は破綻せざるを得ない。本研究は、現在の潮流の本質をパラダイムシフト(“リザルト”パラダイムから“プロセス”パラダイムへの変化)として提言すると共に、現在のプロセスパラダイムに有効な行動様式として支援行為を取り上げ、ビジネス局面でその有効性を具体的に提示するものである。更に、“支援”概念の本質についても新たな提言を行う。
~~~~~~~引用 おわり
来月9月から、札幌学院大学(http://www.sgu.ac.jp/information/index.html)で、客員教授として「経営組織論」を一コマ15回講義をお引き受けしている私にとっても、大変示唆に富むお話で有意義なひと時でした。企業の現場を経験してなおかつ研究分野でそれを深掘りする姿勢に頭が下がります。
映画「笹の墓標(http://sasanobohyo.blogspot.jp/)」の全編を2日間で観ました。秋山財団の社会貢献活動助成、ネットワーク形成事業助成では、この遺骨収集のネットワーク形成活動を応援してきました。
http://blog.goo.ne.jp/kioku-2011
第一章 朱鞠内(しゅまりない)
第二章 浅茅野(あさじの)
第三章 遺族
第四章 未来へ
第五章 私たち
15年間の活動の中から、参加者の方々が成長・進化していく様子を、つぶさに映像からも読み取ることができました。特に、韓国人、日本人に加えて、在日朝鮮人、在日韓国人の存在が、歴史認識に幅を持たせていることを知り、新しい世代の新たな「連帯」の担い手を予感させます。
過去の歴史を踏まえて、歴史を乗り越えるということの意味合いを、この映画は示しているような気がします。日本人の韓国・朝鮮人への謝罪という従来のパターンよりも、日本の若い世代への謝罪が日本の責任ある方々には必要なのではないかという問いかけは、大変新鮮な指摘でした。
歴史は容赦なく前に進んでいく、「和解」とは何かを問いかける、重たい9時間の映画でした。
「キスカ撤退作戦(http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-16kisuka.htm)」成功から70年の今年、作戦完了の日7月29日に東宝映画「キスカ」鑑賞の「海鴎の集い」のご案内があり、参加しました。私の父はこの作戦で、旗艦「阿武隈」の通信長として参加し、司令部と艦隊・木村昌福司令官とのやり取りを含めて、重要な任務を担っていました。先日は、この作戦に南方戦線から招集された方、予科練生ほかの方々が集まられ、その後の懇親会でも当時の生々しいお話を伺うことができました。
海軍士官だったお私の父について、2年前の8月、北海道新聞の終戦特集・5回連載記事でも紹介された「ビハール号事件」にからむ、これまでのこの欄での記載です(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6)。
この連載後、さらに関係するお話を聞こうと、様々な方とお会いしていますが、特に広島県呉市の「大和ミュージアム」館長・戸高一成さんとの面談は強く印象に残っています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11782)。その中で、再度思い出しておきたい戸高さんのお言葉を:
~~~~~~~昨年2月訪問時のまとめから 引用
* 組織と責任の取り方については、今の原子力発電所事故のその後の過程でも全く同様に、あいまいな構図を見て取れる。体制的に責任の所在が不明確。軍令部は天皇の参謀として大枠の命令は出すが、現地での戦略は現場の連合艦隊が行う。従って失敗しても責任が不明確になる。軍令部は現場が悪いと思い、現場の連合艦隊は方針そのものが悪かったと思う。だから失敗を次の戦略に活かすことができなかった。
* 戦後の反省会でも、「組織が悪かった」とは思っていても、その任を担っていた「個人の責任」とは最後まで考えていない所に、「責任を取る」、「責任を取らせる」発想が生まれてこないし、これは日本社会の特徴なのではないか、現代でも同様である。
* 日露戦争の日本海軍の完全勝利により、「無敵艦隊」との認識が続き、海軍には「負ける」という言葉がなかった。本来は、戦争遂行能力が無くなった時期に、戦いの終結を検討すべきが、誰もその勇気が無かった。最後まで「帝国海軍の面子」のためにだけ戦い続ける愚、「日本国の将来」と言った理念は見い出せない。
~~~~~~~引用 おわり
~~~~~~~もう一つ私のブログ(「錯誤・失敗」の責任)より
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11196
~~~~~~~引用 おわり
最近、私は思うのです、太平洋戦争当時の「帝国海軍」の幹部たちは、実は悪い意味の「官僚」でしかなかったのではないか、と。「確固たる理念」とか、「国際社会の中での日本の位置づけ」とかのビジョンが、明治直後の創設期から時間の経過とともに失せていったのではないか、と。個々の人材のキャリアは、エリート教育として今と比べても海外任務も豊富で見聞も広く、当時としては最高の質・量だったのでしょうが、日清・日露戦争勝利からくる驕りと傲慢さによる「組織としての目的・理念」の退廃が目立ち、「戦争の大義」が何なのかはどこかへ消え、ただ、「組織維持」とか「メンツ」とかが最優先となっての展望なき状態でした。
参考:http://v.youku.com/v_show/id_XNTI0MTI4MjYw.html
これは、海軍だけではありませんね。敗戦時の中国戦線での陸軍幹部の行動を検証しても、ただただ戦勝国への心証を良くしようとの目的で、様々の情報を自ら進んで提供している事実を知るにつけ、「幹部の退廃」と「組織の劣化」を痛感します。
どうしても8月は戦争と向き合わざるを得ません。今の日本、戦後教育が置き忘れたエリート教育の欠如からくるものか、その上の世代の抜け殻のような虚ろな眼、どのセクターにも「優れた人物」を見出すことが難しい状況は、危ういですね。まさに、戦後の高度成長を担った方々は「総退陣!」なのでしょう。
もう20数年続けている早朝勉強会「木朝会」、先月は第294回例会で、この4月に新しく就任された札幌医科大学付属病院看護部長・萩原直美さんのお話でした。木朝会例会については、これまでにも何回かこの欄に記載しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%A8%E6%9C%9D%E4%BC%9A)。
この「新人看護職員研修プログラム」は、「卒後臨床研修の努力義務化」を踏まえて、札幌医科大学で運営しているもので、附属病院の職員ばかりでなく、一般の民間医療機関の看護職員等、地域にも有料プログラムとして開放しているそうです。
特に、「今時の新人の傾向として」のお話は興味深かったですね、どんな分野にでも共通する「今時の若者」気質なのでしょう。当日出席された医師の方々からは、「我々が学んでいた時代に比べて、手とり足とりの懇切丁寧なプログラム」との感想も多く、それは取りも直さず現場における看護職員の不足を意味しているようです。
萩原部長は、医療現場で激務の看護職をこなしながら、夜間大学で経営学を学び、卒業後は大学院修士課程で論文作成に挑んでいるそうです。「ダブルメジャー」時代とは言え、学ぶ志を貫く努力家、頭が下がります。北海道の地域医療は、このような地道な努力によりこれまでも、そしてこれからも支えられていくのでしょうね。
美輪明宏さんのライブに初めて足を運びました、確かにカラフルな舞台でしたが、奇をてらうことなく、ことのほかオーソドックスで少々意外でした。「歌手」というより「役者」ですね、もちろん歌は抜きん出ていて聴かせます、昨年のNHK紅白の「驚異の視聴率、6分間!」に始まり、トークの面白さも際立っていました。「ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=qt70qMMSlhY)」を聴きに行ったといってもいいのですが、それに勝るとも劣らない曲が多くあり、いまさらながらのキャリアに裏付けされた質の高いステージに感動でした。エディット・ピアフの「愛の賛歌」を原語で歌う美輪明宏のこだわりに、「プロフェッショナル」の意地が伝わってきました。
美輪明宏については以前にこの欄に書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4699)。トークの中では、「人生」とか、「戦い続けてきた」といった言葉が心に残り、信念を貫いて生きてきた「美輪明宏」を感じます。若い頃から歌っていた銀座のお店の常連だった三島由紀夫ほか文壇の大御所たちとの出会い、語らいが、美輪の刺激になっていたのでしょうか。
~~~~~~~以前の私のブログから引用
「戦争というのは、全ての美しいものを失くすること」とも、番組に参加していた女子高校生に語っていました。美輪さんの経歴(http://www.fesh.jp/utterer_784_1_1.html)に因るのでしょう、長崎での被爆等、戦争の悲惨さでは大変リアルな体験に基づく明確な反戦への意思、「美」、「愛」への造詣の深さ、ひと言ひと言に力強さがあります。番組の最後で、「今の時代は、以前よりはだいぶ戦争反対の声は大きくなっているけれど、まだまだ油断できない」と、真剣な眼差しで語っていたのが印象的でした。
~~~~~~~引用 おわり
「オリジナル版ヨイトマケの唄(http://www.youtube.com/watch?v=zw2cxsvjweY)」はこちら。
一方、同じくシャンソンがベースの「クミコ(http://www.puerta-ds.com/kumiko/)」さんのライブは、毎年追いかけています、毎回進化していく彼女の唄は、本当に満足感いっぱいの「プロフェッショナル」なステージです。今回所属する会社もコロンビアに代わり、3・11以降はシャンソンばかりでなく歌謡曲ジャンルにも挑戦していると言っていました。前半最後の坂本九の「あしたがあるさ:http://www.youtube.com/watch?v=0EBFpIuC6Ok」も良かったですね。
クミコさんについてもこの欄に何回も書いています。
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%AF%E3%83%9F%E3%82%B3
お二人とも、テレビ・ラジオの時空間の出演では、如何にも窮屈そうに私は感じるのですね、広い舞台と大ホールの伸び伸びとした空間で存分その歌声を聴けるのは最高です、「銀巴里:http://www.asahi.com/national/update/0605/OSK201306040137.html」で永らく歌っていたので、本当はもう少し至近距離がベストなのかも知れませんが・・・・。
大切にしたい「プロフェッショナル」のお二人です。
北海道・栗山町のブランド健康玉ねぎ「さらさらレッド:http://sarasara-red.com/」の畑ミーティング、昨年は、第10回アースカフェ(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13917)として初めて参加しましたが、今年はさらに午前・午後の二部制で、参加者も100名を超え、内容の濃いプログラムでした。
今年は、同時開催で初の試みとして、「さらさらレッド」の普及を目指して、収穫から調理、盛り付け、配達まで一人でこなして料理の出来栄えを競う「玉ねぎトライアスロン」も企画され、実行委員長の地元・小林酒造(http://www.kitanonishiki.com/)の小林清志専務は、スタートから表彰式まで大活躍でした。33名の料理審査員の一人として投票もしましたが、玉ねぎ・さらさらレッドの幅広い材料としての「ちから」を、あらためて感じました。
午前の部は、新企画、「玉ねぎ圃場の土壌断面調査会」です。帯広畜産大学の谷昌幸・准教授が玉ねぎ畑横を掘り、土壌断面を観察する大変ユニークな試みでした。深さ1.5メートルの断面が発する多くの歴史とメッセージ、それを一つ一つ丁寧に「解読」、「解説」する谷先生のプロフェッショナルな姿、暑さも忘れるほど吸い込まれるお話で素晴らしかったです。畑をまさに「三次元」で受け止めたひと時でした。
谷先生とは、3年前にアフリカ・マラウィ―でのプロジェクトに同行させて頂きました。
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3
午後からは「さらさらレッドの食育勉強会」です。講師は、デリカ・フーズ(http://www.delica.co.jp/)の丹羽真清(ますみ)社長と植物育種研究所(http://ikushu.com/)の岡本大作社長です。
玉ねぎをはじめとする「野菜」のもつ栄養、健康増進効果について、「科学的」な数値の裏付けのある分かりやすい説明でした。
座学の後に、昨年も見学した岡本大作社長の育種研究所と圃場見学もありました、基本的な部分は昨年かなり学んでいましたが、昨今、巷で語られている「自給率」とか「安全性」とかを越えた、「種」への強い「こだわり」、この分野で世界的にも注目されている岡本社長の熱弁は、大変説得力があり、栗山町だけでなく、北海道、日本の宝だと思いました。
今回のミーティング、「結局は、」と皆さんが結論でおっしゃることに、一本軸が通っていたような気がします。その土地、その品種の固有の力を認識してどう高めていくか、まさに究極の「固有の命の尊厳」みたいな、私にはそう聞こえてきました。
何はともあれ、素晴らしい一日でした、ありがとうございました。
今回の訪問については、新聞でも大きく取り上げて頂きました。
多くの方々がケビンから受けた数々の教え、一緒に楽しんだ会話・活動、そしてそれらへの感謝をご家族に伝える姿は、本当に心洗われる美しさでした。
たとえば、ケビンが2年間、初代の国際交流員として仕事をしていた北海道庁訪問時、お会いした北海道庁の現職でいらっしゃる窪田毅・知事室長は、ケビンがマサチューセッツ州の現地法人の責任者だった時に、北海道庁のロサンゼルス駐在員としてアメリカ本土でケビンと面談をしていたそうです、当時のケビンの名刺も大切に保管してお持ちでした。先日の表敬訪問時に、自らその時の様子をマリアさんほかご家族に静かに語り掛け、ケビンの訃報に接した時の説明に至って号泣され、同席していた私も思わず涙を抑えることができませんでした。
また、同じく同席された加納信義・知事室国際課主幹は、野球部でのチームメイトでケビンの次のピッチャーだったとか。エースピッチャー、ホームランバッターとしてのケビンの当時の様子をリアルに語っていました。
とにかく、初めての国際交流員としてケビンの幅広い北海道庁での活躍は、その後の北海道の国際化においても大きな貢献をしたことは間違いありません。
今回、訪問後に赤レンガをバックにご家族で写真撮影する様子を間近で見ていて、マリアさんの念願がかなった瞬間のようで、私自身、何かホッとした気持でした、「ケビン、あなたが活躍した北海道に、子供たちを連れてきたよ」、と。
Kevin Stewartについては、一昨年に亡くなられて以来、これまでこの欄でも何回も書き留めてきました。
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=Kevin
今月18日、以前から妻のマリアさんがおっしゃっていたように、3人の子供たちを連れて、札幌・日本訪問を実現させました。
北海道日米協会、ケビンを偲ぶ会、北海道・マサチューセッツ協会、北海道国際交流課ほか、大変多くの方々との面談が実現し、それぞれが生前ケビンにお世話になったお話を直接マリアさん、3人のお子様に伝えられている様子を間近で見ていて、あらためてケビン・スチュワートの人柄の素晴らしさ、北海道で果たした仕事の価値の大きさに感動しました。
今年5月にオープンした「愛生舘サロン:http://aiseikan.net/salon」の趣旨に賛同して頂き、新著「何のために働くのか~自分を創る生き方(http://terashima-bunko.com/terashima/book-info.html#nannotameni)」出版の機会に、テレビ等で積極的な発言をされている寺島実郎さんが、ふるさと北海道の学生、若手経営者に熱いメッセージを伝えました。予定時間を大幅に越えての濃密なお話は、参加した高校生、大学生はもちろん、多くの若い世代に届いたものと確信しています。
講演後は、新著へのサイン会も急遽設定されて、たくさんの方々お一人おひとりに言葉をかけてのご厚意も。
東京・九段下では、寺島文庫(http://terashima-bunko.com/)ビルで草の根の若い世代の交流も継続されていて、これからの日本を担う健全で骨太な人材の育成にご尽力されています。
「寺島実郎戦略経営塾(http://www.terashima-bunko.com/bunko-project/strategic-management.html)」も毎回内容の濃い意見交換になっています。定点観測的なデータを基に、今繰り広げられているグローバルでの大きな変化を正確に認識し、これからの日本のあるべき方向性、自分たちの立ち位置の確認ほか、今を生きる我々へのエールと問題提起が的確です。
「たくさんの人を集める」のではなく、「良質の方々に集まって頂く」、そんな会の趣旨を感じるピーンと張りつめた緊張感が、「愛生舘サロン」の代表者としては、大変心地よかったですね。これからもこの場から、「本物の担い手」がどんどん育っていくことが私の「夢」です!
「演劇」と私は、この数十年、何やかやでずいぶん長い付き合いとなっていて、この欄でも「演劇」で検索するといろいろ書き留めてきています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%BC%94%E5%8A%87%E8%B2%A1%E5%9B%A3)。
このところでは、札幌座Pit公演「ブレーメンの自由:http://www.h-paf.ne.jp/engeki/pit_bremen.html」と、弘前劇場公演「最後の授業:http://www.hirogeki.co.jp/next.html」が印象的でした。
「ブレーメンの自由」のHPより~~~~~~~~~
19世紀初頭ドイツブレーメンで実際に起きた事件をR・Wファスビンダー監督が戯曲化した衝撃作!!
工場経営者の妻ゲーシェは、夫ミルテンベルガーに日頃から家畜のように扱われていた。ある日、ミルテンベルガーが急死し、ゲーシェは夫の友人ゴットフリートと暮らし始める。恋人との同棲を非難する母親を毒殺し、別れ話を回避しようとわが子に手をかけて、逃げようとする恋人を毒殺する。愛に執着しながらも自由を求め続けるゲーシェの最後とは・・・・。「毒殺屋」と呼ばれた主人公ゲーシェ役に宮田圭子、彼女を取り巻く男たちに多彩な客演を迎えて届けられる「札幌座Pit」の初舞台。
~~~~~~~~~~ 引用 おわり
この作品の演出の弦巻啓太(札幌座ディレクター)と本作翻訳者の渋谷哲也(東京国際大学准教授・ドイツ映画研究)さんによるアフタートークも作品自体の背景とかゲーシェの人となり等、一層作品を深く楽しめました、弦巻さんのこの作品に掛ける意欲を感じましたし、「札幌座Pit」として実験的プロジェクトに取り組む関係者たちの挑戦に拍手です。
一方、私の最も好きな弘前劇場・長谷川孝治さんのオリジナル作品、「最後の授業:http://jiyuudai.com/guide/130626.html」も良かったですね。いつもながらのゆったりした時間の中に多彩な会話のやり取り、ハッとする時々のセリフ等、全く飽きない1時間半でした。
そして気がついてみると、今年も「演劇シーズン:http://s-e-season.com/」の到来です。地下歩行空間にも大きな広報が展開されていて、パンフレットの取り出し状況も昨年を上回る勢いとか、着実に拡がりを見せる札幌の演劇界、これからも楽しみですね!
先日、八戸の親戚から「ホヤ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A4」がクール便で届きました、北海道産の赤いものと少々違っていますが、私にとってはたくさんの思い出が詰まっています。
東北・八戸出身の私の父は、私が幼いころからこのホヤだけは、殻をむいてお皿に盛るところまで、自ら台所に立って誰にも触らせませんでした。見よう見まねでさばき方を学んでいた自分は、先日久しぶりに丸ごとのホヤと向き合いましたが、何とか昔の感じで仕上がったから面白いものですね、忘れていないのですよ。
居酒屋など外で出てくるホヤは、生でも酢の物でも塩辛でも、品よく薄く小さく切って出てきますが、自分でさばく時は、厚めに切って水洗いは決してせずに、その汁の中に漬ける感じで保存するのですよね。先日は酢をたっぷり入れて数日間朝昼晩味わいましたが、昔懐かしいホヤの風味が素晴らしかったです、歯ごたえもコリコリしていて、後味も最高でした。
これを最初に食べた方には敬意を表します、それにしても何の変哲もない「ホヤ」の存在が、私にたくさんの思い出をくれました。最近特に思いますね、このような「本物」に出会ってしまうと、ごく普通のお店で出てくるものがみんな「ニセモノ」に感じてしまい、「こんなんじゃないんだよな~」と首をかしげる自分が不幸です、特に海産物は産地の旬のモノとの落差が大き過ぎますね。
先日フェイスブック(FB)を開いていたら、映画俳優・渡辺謙さんのダボス会議(2012)のスピーチが目に飛び込んできました、昨年1月のスイスのダボスでのものです。昨今の無原則な「原発再稼働申請」に絡んでの書き込みだったかもしれません。当時日本では、「絆」部分だけの報道だったようですが、全文を読むと再生可能エネルギーへの彼の強い信念と主張が読み取れます。
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2012/davos/
最後のフレーズだけ引用します。~~~~~~~~~~~スピーチの引用
私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。
~~~~~~~~~~~~~引用 おわり
渡辺謙さんと言えば、「許されざる者:http://wwws.warnerbros.co.jp/yurusarezaru/index.html」が今年9月に封切上映となります。クリント・イーストウッド監督・主演で第65回米アカデミー作品賞、監督賞ほか4部門を受賞した傑作西部劇「許されざる者」(1992)を、日本映画としてリメイクしました。幕府崩壊後の明治初期、北海道開拓時代の歴史の中で、かつて「人斬り十兵衛」と恐れられていた男(渡辺謙)が、再び戦いに身を投じていく姿を描いています。北海道・阿寒湖周辺でのロケも敢行されて、エキストラで知人も出演していますが、「エキストラを越えた存在感が抜群」との前評判もあり楽しみです。
一方、昨年秋に札幌を訪問された松村昭雄さん(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14850)のメーリングでは下記のような記事が送信されてきました、ソーシャルメディアのメッセージは、いろいろな動きを教えてくれます。
~~~~~~~~~~メールからの引用
日本の友人の皆様へ、
過日、アメリカ合衆国原子力規制委員会のグレゴリー・ヤツコー前会長が、原子力発電所は基本的安全性にかけるので、段階的に廃止すべきであるという発言をされました。カナダの著名な原子力科学者ゴードン・エドワーズ博士がこの意見について説明をされた記事の日本語訳
原子炉は段階的に廃止すべき:前アメリカ原子力規制委員会会長の発言
原子力専門家のゴードンエドワーズ博士がヤツコー会長の決断の背景を説明します。
原子炉は段階的に廃止すべき:前アメリカ原子力規制委員会会長の発言
By: ゴードン・エドワード博士
2013年4月9日
昨年までアメリカ合衆国原子力規制委員会会長職にあったグレゴリー・ヤツコー氏が、全ての潜在的に危険な機械は、その全てを完全に停止できる「緊急停止スイッチ」を備えているべきである、という最も基本的な認識に至りました。原子力発電炉にはそれが無いのです。ですからヤツコー会長は、全ての原子炉は段階的に廃止すべきである、という結論を出しました。
ヒーローが爆発装置や巨大な殺人マシンの動力を間一髪に止めて大惨事が無害なものへと代わる、といったアクションアドベンチャー映画が一体何本あることでしょう。大事故の起るほんの一瞬前に(?) 装置や機械が瞬く間に悪から良に代わる。大惨事から無害へと。なぜなら、誰かが「停止」スイッチのボタンを押すからです。
しかし、原子力発電炉は完全に停止させることはできないのです。どんなに緊急な場合にでもです。とんでもない構造欠陥です! 止めることのできない自動車や消せない火事を想像してみてください。
勿論、全ての原子炉に核の連鎖反応を2秒以内に止める「緊急停止装置」はあります。そして大抵はたいへんよく効きます。スリーマイル島の原子炉は最初のトラブルのサインがあった時に直ちに停止しました。ただその後に溶けただけです。福島第一の3つの稼働中の原子炉は全て津波が到着する前に自動停止しました。ところが結局、全て溶けたのです。
問題は、核連鎖反応を止めることが熱発生を止めはしないのです。使用している規模に準じて数千度の熱が、燃料の溶け出すポイントに向かって上昇し続けながら炉心に加え続けられる、という止められないプロセスなのです。
熱は何故止まらないのでしょう? それは私達が放射能活動を停止する方法を知らないからなのです。
通常の稼動をしている原子炉の炉心で激しく発生する、放射性副産物の途方も無い一覧表があります。たとえ核分裂が止まった後にも、核燃料の核分裂の結果炉心に集まった不安定な原子の放射性崩壊(壊変)により物凄い率で熱が発生し続けます。
この熱を「崩壊熱」といい、原子炉の炉心や原子炉の炉心付近にあるもの全てを溶かすに十分なものなのです。「停止」の直後で、崩壊熱はフルパワー熱のおよそ7パーセントです。
1000メガワットの電力を作るよう設計された原子炉では、通常約3000メガワットの熱が発生しています。もし、この原子炉が突然停止した場合、およそ3000メガワットの7%の熱が、照射を受けた核燃料の廃棄副産物による容赦のない放射性壊変により生じ続けます
それは200メガワット以上の熱になります。そして、それは止められないのです。
エネルギー冷却システムで熱を取り除くことができます。しかしもし原子炉が損なわれた場合に、エネルギー冷却システムは損なわれないと、いったい誰が言えるでしょうか?
停止できない原子炉はあたかもステロイド地獄のようなものです。そして、全ての原子炉がそうなのです。
ゴドン・エドワーズ
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前原子力規制委員が原子炉は欠陥であると発言
By: マシュー・L・ワルド、2013年4月8日付ニューヨークタイムズ紙
ワシントン発:現在アメリカ合衆国で稼働中の104の全ての発電用原子炉に直すことのできない安全性の問題があり新しい技術と交換されるべきである、と前原子力規制委員会の会長が月曜日に発言した。彼は、全てを直ちに停止するということは現実的ではないが、原子炉の(稼動)寿命を長くしようとするよりは段階的に廃止することを支持する、と発言した。
前会長であるグレゴリー・ヤツコー氏の発言は数多くの原発反対派グループの中では珍しいことではない。しかし、その安全確保を担当していた前原子力規制委員会の会長が、業界に対しそうもはっきりと批判することは至極珍しいことである。
ヤツコー博士は発言後のインタビューで、一体なぜ会長在任中にこの指摘をしなかったのか、という質問に、「私は最近まで本当に考えつかなかった」と言った。
2011年に日本での福島原子力事故でさらに明確となった「問題のことをもっと考えていて、業界と当局として、この本当に難しい問題をどう対応するかを模索する原子力安全コミュニティー全体を監視していました」、「バンドエイドにさらにバンドエイドを貼り付けてもこの問題は修復しません」と発言した。
ヤツコー博士は、ワシントンで行われたカーネギー国際原子力政策会議の福島事故に関する会合で、原子力委員会から初期の40年認可を超えてさらに20年の許可を得た多くのアメリカの原子炉は、おそらくそれほど長くは保たないだろうと発言した。彼は、原子炉が合計80年間稼動するということを意味する、2度目の20年延長申請を原子炉オーナーに許可する、という委員会の提案も拒否した。
ヤツコー博士は、原子炉燃料が連鎖反応停止後もおびただしい量の熱を発生し続けるという特徴について挙げ「崩壊熱」が福島のメルトダウンを引き起こしたものであると言及した。彼は、解決策はおそらく熱が燃料の溶融ポイントまで上がらない小さな原子炉である、と言った。
原子力業界はこのヤツコー博士の査定に不合意。業界の貿易協会である原子力エネルギー研究所理事長のマービン・S・ファーテル氏は「アメリカ合衆国の原子力エネルギー施設は安全に稼動している」、「それはグレッグ・ヤツコー氏の原子力規制委員会会長在職期間以前のケースである。これは多数の安全と性能インディケーターにより立証された原子力規制委員会の特別福島対応専門調査団に認知された彼の会長在職期間のケースである。今日のケースなのである。」と発言した。
ヤツコー博士は、委員会の他の4人の委員との数ヶ月間にわたる対立の後、昨年夏に会長職を辞職した。彼はしばしばあらゆる安全問題について、より強力な安全性の向上を主張する少数派に投票し、原子力業界より疑惑に見られていた。ヤツコー博士はネバダ州のハリー・レイド上院多数党院内総務の前補佐であり、提案されたラスベガスから100マイル程にあるユッカマウンテンの核廃棄物処理場の進展を遅らせる手段としてレイド氏の唆しで指名された(と疑惑視されていた)。
この記事は2013年4月9日付ニューヨーク版A16ページに「前規制委員が原子炉は欠陥であると発言」という見出しで出たものです。
(翻訳:木村道子)
~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり
翌日、松村昭雄さんの別便でさらにこんなサイトの紹介も:
http://akiomatsumura.com/2013/07/beyond-control-our-loosening-grasp-on-nuclear-security.html
私は、グレゴリー・ヤツコー博士について今年4月にこの欄でもご紹介しています。
http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=16358
つい先日の福島第一原発の汚染水によると思われる海水汚染、メディアの原発事故に関する追及は甘いですね。肝心の日本国内の認識がこのレベルでは、参議院選挙でどんな結果になろうとも、国際社会でのボジショニングはどんどん下がっていくでしょう、憂うべきことです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013071002000248.html
福島第一原発自体の事故収束、汚染水の現状と今後、使用済核燃料の問題、何一つ解決の目途も立っていない現実から眼をそらして、日本の将来を考えることはできません、日本の政治の貧困とそれに関わる政治家の質の低さ、そして担い手意識の低い主権者としての国民、これが今の日本の「実力」なのでしょうか。
この所この「部屋」は、「感動する」の言葉が頻発ですね。これは私のボキャブラリーが貧困なのではなく、本当に素晴らしい集まりが連続していて、とにかく、とにかく、「感動する!」のですよ、生きててよかった、やってきてよかったと、どの会合でも参加した皆さん、準備に関わった皆さんとともに喜び合える、そんな「幸せ」を感じています。やっている者同士、引き受けている者同士の集まりは、「つながり」も容易ですね、以下の会もその続きです。
第三回目となる前田一歩園財団(http://www.ippoen.or.jp/)と秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)の合同報告会が、今年も開催されました。これまでの報告会の様子は下記の通りです。
* 一昨年(2011)の合同報告会 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9140
* 昨年(2012)の合同報告会 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13683
今年は両方合わせて15団体の活動報告、それにオブザーバーとして今年度秋山財団の「ネットワーク形成事業助成:http://www.akiyama-foundation.org/grants/grants_06」で採択された高校生3チームも最後まで参加されました。当日の様子は、今、録画・編集中で、出来上がり次第ここに掲載致します。
<http://www.akiyama-foundation.org/news/524.html>
4時間を越える長丁場でしたが、皆さん集中力を切らすことなく、疲労感もなく、素晴らしく充実した報告会となりました。終了した過去情報としての「報告」ではなく、今進行中の「活きた活動報告」とでも言えば宜しいのでしょうか、これまでの活動に基づく今後のしっかりしたベクトルも見えて、まさに「並走する」臨場感が溢れていました。
またその後続いて行われた交流会も、和気あいあい、濃密なコミュニケーションが続き、新しい出会いの数々もあったようです、終了後の皆さんの表情がそれを証明していました。卓上の食べ物の残りが偏在したので(?)、急遽、強制的席替え(?)もあったりのサプライズ。来年の報告会も一層楽しみになってきました。間もなく一週間が経ちますが、「興奮覚めやらず」、の私です!
今年報告した団体は下記の通りです。~~~~~~~~~名前の下に下線のある方が発表者
1) 秋山 /歴史は生きる力「れきし・いのち」 プラットホームプロジェクト 角 幸博、神長 敬、東田 秀美
2) 前田 / NPO法人 もりねっと北海道 陣内 雄
3) 秋山 / 道内の意思伝達支援普及プロジェクト 杉山 逸子、阿部 幸太郎、佐藤 美由紀
4) 前田 / NPO法人 カラカネイトトンボを守る会 内田 葉子
http://www7b.biglobe.ne.jp/~karakane/
5) 秋山 /医療スタッフの地産地kane消 ~ 住民主導で創る世界一の看護学校 ~ 森 義和、西埜 弘樹
6) 前田 / ゼニガタアザラシ研究グループ 小林 由美
http://blog.livedoor.jp/zeniken30/archives/14247313.html
https://www.facebook.com/groups/423113004421683/
7) 秋山 / 「みん菜の花」プロジェクト エップ レイモンド、荒谷 明子
http://eschaton.asia/、 http://minnanohana.com/
8) 前田 / くしろ森と緑の会 川勝 久章
URL 準備中
9) 秋山 / 積雪・極寒冷地域のいのちを護る防災・減災への取り組み 根本 昌宏、石井 克哉
http://www.toukihisaitaiou.jp/
10) 前田 /美幌町郷土史研究会 鬼丸 和幸
URL 準備中
11) 秋山 / Rio+20 北海道ネットワークプロジェクト 溝渕 清彦
12) 前田 /北の川探検隊 竹村 勇一
http://plaza.rakuten.co.jp/wildwonderlife/
13) 秋山 / 森と里つなぎプロジェクト 陣内 雄
14) 前田 / NPO法人NATURS 赤石 哲明
http://naturas.chu.jp/natu-top/natu-top.htm
15) 秋山 / 和解と平和のための東アジア市民ネットワーク 長谷山 隆博、呉 明 煕(オミョンヒ)
http://blog.goo.ne.jp/kioku-2011/e/5f311a36e432c57226aa3c6e2d308401
オブザーバー参加の今年採択の高校生3チームの代表も、交流会で堂々たる抱負を語ってくれました。学校単位のプロジェクトではないので、卒業後もプロジェクトメンバーとして、彼・彼女らの成長とともにネットワークも進化・発展していくのでしょう。壇上に上がっての話の内容が前向きで素晴らしい、多くの参加者が、逆にたくさんの元気をもらいました。
つい先月末のこの欄に、会議の「品位」みたいなことを書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17124)が、今回もまさに、報告をされた方、各財団の関係者、そして準備に奔走した両財団事務局の皆さんの「見識」と「ひた向きさ」が、報告会・交流会を大いに盛り上げました。2年前の初回から参加の秋山財団の理事のお一人が、会の終わりにつぶやきました、「年を経るごとに間違いなく進化している、やってきてよかったね!」と。これ以上心に響くお言葉はありません、ありがとうございます、もったいない位のお褒めの言葉です。
日曜朝のテレビ「サンデーモーニング(http://www.tbs.co.jp/sunday/)」に出演している中央大学教授・目加田説子(もとこ)さんが、札幌で初めての講演、今回第6回目「グリーン九条の会:http://green9zyo.blogspot.jp/」主催でこの場が実現しました。これまでこのシリーズの講演については数回この欄でも書きました。
* 品川 正治 さん http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1351
* 湯浅 誠 さん http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4280
* 益川 敏英 さん http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13758
「国際公共政策」がご専門で、大学で教えるとともに、「地雷廃絶日本キャンペーン(http://www.jcbl-ngo.org/)」の運営委員として、NGO活動でもご活躍です。
幼い頃、アルゼンチンで暮らした経験は忘れがたく、軍事政権、ペロン政権、イザベル政権等、クーデターによる政変の危うさを身をもって体験し、これまでの研究活動のバックボーンになっている印象を受けました。
今回、私たちが札幌にお招きしてじっくりお話を聞く企画は、テレビ等でのコメントではいかにも時間が限られて、目加田先生の鋭いご指摘、ご提言をもっと奥深く聴いてみたいという多くの声に応えたものでした。先日の会場でも、講演の初めから終わりまで、何かピーンと心地よい緊張が持続して、疲労感は全くなく、充実した時間・空間となりました。講演後の質問に対して、誠実に向き合ってお答えを紡ぎ出す姿勢に、私は最前列で感動していました。
特に私にとって興味深かったのは、目加田先生がこれまで取り組んできた課題解決は、広く大きな拡がりに留意して、「超党派」を目指した活動であったこと、メディアも全メディアへの発信に心掛けていること等です。そして、「成功体験の積み重ね」を重視して、若い世代にもそれを教えてきたことでしょう。「メディアが伝えないことは何なのか」をいつも考えることが重要であると力説される姿は、そんな地道な活動をされてきた目加田先生の真骨頂だと思います。
「社会的責任投資:SRI(Social Resposible Investment)」への説明も実に奥行きの深いお話でした。まだまだ金融機関の社会的責任に対して未熟な日本国民の問題意識ですが、非常に重要な問題を先進国として含んでいます。この分野においてもNGOの圧力が必要なのでしょうね。市民として、私たちもおかしなことに対しては声を上げ続けていくことが大切だと思います。バブル崩壊後20年以上経て、一体日本の金融機関はどれほど改革を進めたというのでしょうか。本来の「信用創造」による地域経済の活性化といった使命を、私は身近な金融に従事する方々から感じることはできません。
お話にもありましたが、日本国は先進国と言われながら、現在、人権問題で国際機関から122の勧告を受けている状態で、これらについて日本のメディアも殆ど報道していません。今、You-tube上で話題になっている「人権」に対する一件を皆さんご存知ですよね(http://www.youtube.com/watch?v=oKTLY702Pyw)?日本の「人権人道大使」が、「シャラップ!」と繰り返し語った’事件’です、ジュネーブで今年5月21日から22日にかけて行われた国連拷問禁止委員会で、日本の代表として参加した上田秀明人権人道大使の信じられない発言です。一人外務省高官の属性としての低劣な資質というよりも、こういった認識の人間が政府高官としてここまで生きてきているその国・政府の意識レベル、日本国民としてまさにこれ以上の「恥」はありません!
クラスター爆弾についての丁寧な説明に始まった今回のご講演は、私にとっては「日本のアカデミックセクターの良心」を目の当たりにした感じです。清楚な出で立ちの中に凛とした理念と主張、日本もまだまだ捨てたものではない、講演後の食事会、交流会において、至近距離で拝見し、意見交換をさせて頂き、確信した一日でした。
目加田説子先生、今後の一層のご活躍を期待しています!!
6月22日開催の「遠友夜学校」フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17103)の模様が、u-streamでアップされました、こちらです!
三重県松阪市にある松浦武四郎記念館を(http://www.city.matsusaka.mie.jp/www/contents/1000001187000/)訪問しました、展示内容とその運営を知りたいために。
松阪市のHPには次のように記載されています~~~~~~~~
松尾芭蕉、本居宣長とともに、三重県が生んだ偉人のひとり松浦武四郎は、北海道の探検に始まり、全国各地をすみずみまで旅をした人物で、武四郎の歩いた道をつなげば、日本地図ができ上がるとまでいわれたほど、その調査は日本全国に及んでいます。なかでも6回にわたっておこなわれた蝦夷地(現在の北海道)の調査は多くの著作にまとめられ、今でも貴重な資料として、国の重要文化財に指定されています。
そして、明治政府では開拓判官となり、北海道の名称、国名(今の支庁名)、郡名の撰定に携わったことから、「『北海道』の名付け親」と称せられるようになりました。松阪市(旧三雲町)では、この偉大な松浦武四郎の功績を偲び、松浦家で代々大切に保存され、寄贈を受けた武四郎ゆかりの資料を展示する博物館として、「松浦武四郎記念館」を、平成6年(1994年)に開館しました。
~~~~~~~~~HP からの引用おわり
「松浦武四郎記念館」には、松浦家から松阪市(旧三雲町)に寄贈された武四郎の貴重な資料を数多く収蔵して、所有は教育委員会とのことです。平成20(2008)年に、松浦家から寄贈された資料のうち、1503点が国の重要文化財に指定されました。松浦武四郎記念館の展示室では、教育委員会自体が維持管理に関わり、約2ヶ月ごとに資料を入れ替えながら、多彩な分野で活躍し、さまざまな顔を持っている松浦武四郎の姿を紹介しています。札幌の遠友夜学校跡地に記念館建設ほかを模索する私たち(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17103)にも、大変参考になる活動でした。地域市民の読書会等のサークル活動にも建物は活用されています。
5分くらい離れた伊勢神宮に通じる街道沿いには、生家も保存されていました。
北海道、樺太、千島列島ほか、6回もの北方探検の旅は、当時の時代としては極めて貴重な体験であり、その後の歴史に大きな功績でした。当時の大きな「こころざし」に感動のひと時でした。
北大生協主催の「キャリア英語講演会」が、先日、北海道大学文系棟教室で開催され、私も講演者の一人として登壇しました。
- 当日のチラシ
あとお二人の講演者は、北海道大学先端生命科学院 先端融合科学研究部門特任助教の天野麻穂先生、北海道大学法学部4年の春田淳平さんでした。
天野先生は、研究者としてアメリカ・カリフォルニアの大学での経験を、春田さんはほんの少し前に学生としてのアメリカ・マサチューセッツ大学での留学経験について、貴重なお話をされました。
私は、ここでも数回シリーズで書いているアメリカでの一連の経験をビジネスと大人(?)の視点から参加者の皆さんに伝えたつもりです、ケヴィン・ステュアートのことも。
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2626
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2629
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3791
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3979
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4431
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%B3
私のまとめは、「日本の歴史、文化、芸術を、正確な英語でしっかり説明できる、これが一番大切なこと」で締めくくりました。質疑応答では的を射た質問も出てきて、久しぶりに英語を巡る意見交換のひと時、面白かったですね。これを企画した「オレンジ・バード(https://www.facebook.com/orangebirdinc)」の飯田了子社長、コチェフ・アレキサンダーさん、お誘い頂き心から感謝致します。













































