‘71 北アメリカへの一人旅 (2)

Posted By 秋山孝二
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 第一回目で、「いつまでという予めの計画もなく、2・3人のアメリカに住む方々の連絡先と、ただ一人だけに訪問する旨を伝えていた以外は全くの行き当たりばったりで、・・・」と書きました。計画は無かったのですが、別に漂流していた訳ではありません、目的は持っていました。連絡先を貰ったアメリカに住む方のお一人は、ロスアンゼルスの日系二世Nさん。私は直接お会いしたことはなく、日本でお世話になっていた方の遠縁にあたる方でした。沢山の貴重なお話を伺った記憶があります。アメリカの日系人の方々のご苦労は、別の機会にしっかり書き留めたいと思っています。

 「ただ一人だけに」というのが、写真の女性M.Lです。日本に留学している時に札幌で会い、彼女とのやり取りで英会話の魅力を初めて知りました。違う世界が一気に拡がるというのか、「活きた英語」というのか、思いっきり表現出来ない苛立ちも同時にありながら、新しい世界に入るきっかけを貰いましたね。1年間の留学の後にアメリカに戻り、当時彼女はニューヨーク州オスウェゴ市にある州立大学の学生でしたhttp://www.oswego.edu/about/index.html。キャンパスの裏には五大湖の一つ、オンタリオ湖畔が広がっている素晴らしい景観の大学でした。ご承知のように、「ニューヨーク」と言った場合、「State」と「City」で場所が違います。いわゆる「9.11」のあったのは「New York City:NYC」です。

40年前、州立大学キャンパスで

40年前、州立大学キャンパスで

 この旅では、大学キャンパスで3日間程、一か月後に彼女の自宅のある小さな町で3日間程それぞれ滞在しました。現在二人の男の子の母で、今はバーモント州で暮らしていて、プロの画家・教室・ユニークな芸術品作成を続けていますhttp://www.meryllebowitz.com./bio.html。、数年前に上の子・ベンジャミンがガールフレンドと共に東京に来た時、私の長男を含めて昼食を一緒にしました。ガールフレンドが根っからの「ベジタリアン」で、日本食の「鰹だし」もダメとのことで苦労しました。お店の方によると、その様な場合は前の日までに言うと「昆布だし」に代えて出せますとのことでした、昨今のお店も対応力が問われているのですね。

 今、思い出しました。当時大陸をバスで移動していた時、宿泊先のYMCA館内でも、ラジオから流れていたのが’Mamy Blue (http://www.youtube.com/watch?v=nwVfci-YtMM&feature=related)’ でした。当初は曲の題名も分からず、その名を知ったのはずっと後ではありました。

 

One Response to “‘71 北アメリカへの一人旅 (2)”

  1. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » キャリア英語講演会 in 北大 Says:

    [...] * http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2629 [...]