様変わり、国内の駅・空港!

Posted By 秋山孝二
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 コロナ禍を経て、日本各地の駅・空港は、以前の景色と全く異なった様相を呈しています。大きなスーツケースを引きずって歩く海外からの観光客風の多くの方々、これまであまり見なかったローカルでマニアックな場にも現れています。

 移動の行程も観光目的の多数の方々の影響で、これまで比較的空いている日程・時間帯でも満席ほか混雑する状況になっています。 東京のホテルはもちろんですが、地方都市のホテルも日本語が全くの少数派、以前宿泊していたそれなりのホテルは価格もバカ高くなって富裕層の海外の方々ばかり、これまでビジネスで使っていたホテルの価格も倍以上になって、東京ではカプセルホテルでも1万円を超える場合もあったりで様変わりです。 また、昼時の特段評判になる様でない食事する場所、立ち食いソバ、餃子屋とかでも長い列が出来たりしてです。結局、出張中の私の食事は、近くのコンビニで買って宿泊ホテルの部屋で取っている状況、コロナ禍の時と全く同じ状態です。

 先日の国内線飛行機内、前方のプレミアムクラスにはアジア系の家族、小さな子たちも一席を確保して、以前では見たこともない光景でした。基本的にはインバウンドの観光客は歓迎ですが、それを受け入れる体制が不十分、政府の無責任なスローガンには大いに不満を抱きます。

< 追記 >

 上の記事を書いて少し時間を経た後に、スマホを置き、メガネを外して目を閉じると、1971年頃の北米大陸を横断していた時の様子を思い出します。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (1)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (2)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (3)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (4)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ‘71 北アメリカへの一人旅 (5)

 当時の日本は、「エコノミックアニマル」と揶揄されて、日本製品の品質・性能の優秀性を素直に認めないほどの勢いで嫉妬にも近い感情の嵐で海外市場を席捲し始めていました。それから50年以上を経て、様々な場面で垣間見る今の日本の姿に凋落を感じない訳にはいきません。一生懸命仕事をしてきたつもりの私ですが、自分の子供・孫たちを含めて若い世代への申し訳なさは、戦後民主主義教育を受けて高度成長期を生きてきた自分の心の底に流れる重たい気持ちです。

 少しでも、一筋の光をさせるようにこれからの人生を歩みたいものと、今、羽田空港に差す日の出を見ながら思う今朝です。

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