忘れられない笑顔
わずか2週間程前のアフリカ行きが、何かもう随分前のような気もします。帰国後ゆっくり振り返りを、と思っていましたが、現実の厳しさがそれを許してくれません。葬儀、溜まった仕事の整理、課題への急ぐ対応等、首都圏へも行ったりきたりの毎日です。3月中は、まだまとめ切れていない思い出と手元にある写真を見ながら、その余韻に浸りたい気持ですね。
書き留め忘れていた幾つかのことです。
1) 南アフリカと言えば、私は世界初の心臓移植手術を最初に思い出します。1967年12月3日、ケープタウンで クリスチャン・バーナード教授によって行われましたが、今回ケープタウン訪問の際に、ガイドさんがその病院を教えてくれました。日本では札幌医科大学で和田寿郎教授の執刀が最初でしたが、その後大きな議論となりました。次に浮かぶのはネルソン・マンデラ氏の名前です。ついこの間、この欄で「Invictus:インビクタスhttp://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3298」として紹介しました。30年近くの牢獄生活の後、大統領に就任し、5年間執務した建物もテーブルマウンテンから見ました。
2) 「ウォッシュレットは日本人を弱くした?」: 数年前のトヨタ財団の贈呈式で、「おむつなし育児」プロジェクト(http://www.toyotafound.or.jp/00topics/topics02/2009-0826-1552-1.html)代表の津田塾大学国際関係学部・三砂ちづる教授のお言葉、「最近の若者は、ウォシュレットで促されて便意をもよおすそうだ。そんなひ弱な若者ばかりで日本の将来は大丈夫?」と。一方旅行会社のある方が、「最近旅行プランの中、宿泊ホテルのリクエストで、ウォッシュレット設備をあげる日本の若者がかなり多い」、とおっしゃっていました。生まれたときからそういった環境で育った人間は、恐らく出口の粘膜がかなり弱くなっているのでは?との意見に、今回の旅行を通じて説得力を感じましたが・・・・。昔、トイレ、というよりは厠(かわや)・便所の方が雰囲気が出ていますが、寒い空間で、そこに置いてあった厚めの紙を手でもんで使っていた時代が長く続いていました。
3) 世代の着眼点の違いが新鮮: 飛行機に乗り込む時、空港搭乗口を通過してすぐに私たちのグループの若者が、「今の係の女性は魅力的!」と言うではありませんか。私などは搭乗券の半券ばかりを眺めて通過しているのに、やはり若者は女性に視線を集中するあたり、「着眼点の違い?」をあらためて感じましたね、自分もいつの間にか年を取ったとのか、とも。同様に、情報に対しての感度も勉強になりました。Twitterを使っての「ささやき方」、とても私には真似が出来ません。今回一緒の一人が、往路のキャセイ・パシフィック航空チェックインカウンターで長く待たされている時のクレームのささやきに対して、即座に会社からお詫びのメッセージがTwitterを通してアップされていたとか。企業の顧客への対応が、ここまで来ている「今」の時代をリアルに感じました。しばらく私は「無口なおじさん」でいくしかないですね、とてもこのテンポについていけません。
4) フィールドを持っていることの価値: 同じ現場に立ち会っていても、普段のフィールドが違うとそこから読み取るメッセージも多様で、面白いですね。一人だとただの待ち時間になるようなひと時、空港内チェックイン・カウンター、搭乗待合室、食事中、全ての時間での意見交換が一つの現場を数倍の価値として自分には感じられました。今回は「アース・カフェ」仲間という軸で繋がり、多様なフィールドで活動する皆さんとご一緒で、本当に貴重な体験となり感謝です。
5) ガイドの言葉・眼差し: ケープタウンでのガイドはアラブ系の地元生まれの男性でしたが、「アパルトヘイト」を語る眼差しが真剣でした。彼らは白人とは差別された「カラード」として、マチの中では住む場所が強制的に分けられ、場所によってはつい最近まで鉄条網で囲われていた所も車窓から見ましたし、運転手等の日給も未だに大きく違うようです。
6) 「MAIZE:メイズ」: イギリスではトウモロコシを 「maize 」と呼び、穀物全般を指して「 corn」 と言うようです。マラウィ―はイギリスの植民地だったので、現地では「メイズ」でした。長く英語を勉強していながら、初めて聞くことも多いです。
7) 香港からヨハネスバーグの13時間の飛行中、赤道付近のかなりの揺れ: ジャンボジェットの後部座席だったからかもしれませんが、長時間の巡航中、揺れっ放しでした。特に赤道付近と思われる時間帯は、ストーンと落ちるような揺れこそありませんでしたが、通常のヨーロッパ線のロシア上空、アメリカ線の太平洋上空では経験の無い、上下左右の連続的「揺れ」でした。気流の状態が違うのでしょうか。私の国際線での最も大きな揺れは、忘れもしません25年くらい前の冬、アメリカ・シアトル行きのノースウエスト機でした。発達した低気圧の中を通過中に、ゴーゴーと大きな音を立てて機体が上下左右に揺れ、ある瞬間ストーンと落ちました。手にしていたコップのビールが上に飛び出して、隣の女性のスカートにかかったではありませんか。離陸して間もなくで、その後も全身冷や汗でびっしょりだったことを今でも忘れません。「恐怖」というよりも、「非日常」体験後の風呂上がり状態といいましょうか、不思議な感動(?)を覚えました。
8) 復路の香港国際空港で、中国語のニュースを見ていて驚きました。今年の第82回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を「ザ・コーヴ:http://thecove-2010.com/」が受賞したそうです。ニュースでは日本の青い海が、イルカの真っ赤な血で染まっていく場面が繰り返し放映されていました。実はその時は何の話か分からなかったのですが、日本に帰ってきてオスカーのことだと知ったのです。日本の地元は、世界にきっちり発信しているのでしょうかね。
プランタイア空港に来ていた見学の子供たち
帯広畜産大学の現地実験農場
スコールですぐに道が川に
肝心の農業技術支援については、帯広畜産大学の先生達も戻られたでしょうし、今後も引き続き意見交換をしようと思っています。私たちはマラウィ―から何を学ぶべきか、どういう活動をこの北海道ですることが支援に繋がるのか等を含めてですね。まだまだ尽きないアフリカ体験ですが、取り敢えずこの辺でアップに致します。