サービススタンダード、「三愛の精神」

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 札幌近郊の民間病院経営者の先生とともに、20年以上継続している「木朝会(もくちょうかい)」例会・第261回があり、今回は永年札幌パークホテル(http://www.park1964.com/)でもご勤務の取締役総支配人・田辺俊一さんのご講演でした。正式名称は、「株式会社グランビスタ ホテル&リゾート 札幌パークホテル:http://www.granvista.co.jp/company/index.html」だそうです。

 札幌パークホテルの歴史を大変丁寧にご説明されて、顧客とともに歩むサービスの一端を理解できた気がします。そもそも(株)リコーの創始者・市村清(http://san-ai-kai.jp/ichimura/index.html)さんの「ホテル三愛」からスタートして、今もその「三愛の精神」をサービスの基軸に据えている姿に、学ぶ所が多いですね。現在のロゴも、当時の「H」と「S」との組み合わせのままで使われていて、大変懐かしく感じます。プライベートでは伯父・伯母のスポンサーで、幼い時から、そして私の子供たちも含めて度々お世話になっていて、特に4階中華「桃源郷」にはよく行きました。また仕事では、1991年に(株)秋山愛生舘・100周年記念パーティもここで開催しましたが、その時ご担当だったのが田辺俊一さんでした。「六華(りっか)同窓会:http://www.rikka.net/」の毎年の総会・懇親会でも永年お世話になっています。

 現在、その創業精神は、「EMINA」としてサービススタンダードとなって全てのスタッフの基盤とのことでした。「EMINA」とは、アイヌ語で「ほほえみ」という意味だそうです。

札幌パークほてる:サービススタンダード

札幌パークホテル:サービススタンダード

  ホテルの顧客サービスは、病院他でも大変役に立つ場合が多いですね。継続的に良好な関係をどう創っていくのか、顧客(患者)満足度をどう上げるのか、個別対応の価値等、とにかくわがままな(?)お客・患者に対して、どう対応し満足度を高めるのか、共通する概念もすぐに役に立つお話ばかりでした。顧客からのクレームを記録・分析してみると、2割は「コミュニケーション不足」が原因だそうです。ブライダル部門では、顧客が「何をしたいのか」、「誰を喜ばせたいのか」等をしっかり把握する、またどうニーズを引っ張り出すか、全て対応した担当者の「コミュニケーション力」に因るものであると。そこから「顧客満足度向上」への解決策が生まれるのでしょうね。一方、モンスター化したとんでもないクレーマーに対しては、実に見事に対処する準備をお持ちです、時には毅然とした処置も含めてですね。

 これまで「木朝会」では、札幌パークホテルにお世話になっていますが、確かに朝7時からの毎月の会合では、採算を度外視しての微笑みとコミュニケーション溢れるサービスにいつも感謝しています。それにしても先日田辺総支配人と久しぶりに昔話が出来たのは、はたまらない幸せでした。名前はそのままでも、知っているスタッフが一人もいなくなってしまった老舗ホテルがある一方で、創業の心をきっちり守り育てて、スタッフにも徹底しているその経営姿勢に心から声援を送ります。サービスはやはり「人」と、つなげる「コミュニケーション」ですね、今後とも宜しくお願いします!

がん患者~お金との闘い、他

Posted by 秋山孝二
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  メディア・アンビシャス7月例会(http://media-am.org/?p=203)では、STV(http://www.stv.ne.jp/)・佐々木律プロデューサーをゲストにお迎えして、作品「がん患者~お金との闘い:http://www.stv.ne.jp/tv/dnews/past/index.html?idno=20100528204534&query_start=1」を上映・ディスカッションを行いました。(参考:http://pancreatic.cocolog-nifty.com/oncle/2010/02/post-c4a4.html

 今年1月に、がん患者の女性・金子明美さんが享年41歳で亡くなられました。彼女はがんと闘いながら、がん患者の治療費負担の問題を提起してきました(金子明美さんブログ:http://plaza.rakuten.co.jp/akiramenaidesu/)。

 私はがんに関しては、これまで医薬品卸売会社の経営者として、現在は北海道対がん協会(http://www.hokkaido-taigan.jp/)・監事として、それなりに近い立ち位置で過ごしてきましたが、今回のような患者サイドの経済的な視点からの問題提起は、恥ずかしながら初めて接しました。

 この番組は3回目のリメイク、3年間の取材中にSTV「どさんこワイド」でニュースとして20回以上報道され、岩波書店からも「がん患者~お金との闘い:http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-022499-4」で出版されています。佐々木さんもお話されていましたが、一連の取材では、患者・家族の周りには多様な課題が横たわっていて、「何をテーマとするか」、「どこに解決の道筋があるのか」等、誰も見つけられない難しさがあったようです。創りようによっては、「がんを支える家族物語」で終わってしまう、そんな危惧さえお持ちだったとか。厚生労働者の窓口の方も、新聞レベルの現状把握でしかなく、一般市民にとっては推して知るべしですね。生命保険会社に対しては、「知らせる」意味あいでは大きな成果があったのかもしれません。

 製薬会社は、競ってこの分野で新薬開発を莫大な投資により行い、市場に出たとしても大変高価な医薬品となります。その上、「治療」というよりも「延命」効果に止まる訳で、研究領域を越えた幅広い医師・医療機関、患者・その家族にとって本当に望む医療なのかどうか、まだまだ議論の余地がありそうな気がします。ただ、患者サイドに立った報道というのは大変貴重であり、是非これからもこの視点からのメディアの役割に期待し続けたい気持です。

 

 もう一つ、医療関係の話題です。「札幌医科大学・医療安全公開講座:『女子医大の経験』~再発を防ぐために(http://web.sapmed.ac.jp/jp/public/local/index.html)」が開催されました。黒澤博身先生による2001年3月の東京女子医大(http://www.twmu.ac.jp/)事件から学ぶ貴重なお話でした。英国「ブリストルの経験:http://dr-urashima.jp/pdf/r-5.pdf」から、「システムエラー」の中で、コミュニケーションの重要性を指摘され、「現代医療の限界」を、事前にどう患者・家族に説明するか、医療従事者の認識とギャップのある課題を提起されました。そして同時に、ここでもメディアの役割の重要性が語られました。

 超高齢社会、疾病構造の変化、医療の進歩、新薬の発売等、日本では我々にとって未知の課題解決までの間に、まだまだ幾つかの貴重な「いのち」の存在が必要なのかも知れません。どこかに「悪者がいる」といった悪代官探しよりも、みんなで創っていく姿勢が急務なのだと思います、それが亡くなっていった「いのち」に対する責任かと。

劇場/新時代への展望

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 今月上旬に、劇作家・演出家、劇団青年団(http://www.seinendan.org/jpn/seinendan/about/index.html)主宰、内閣官房参与の平田オリザさんを東京からお招きして、「劇場/新時代の展望」と題してのセミナーが(財)北海道文化財団(http://haf.jp/)主催で行われ、当日は260名を越える方々の参加で、大変な盛り上がりを見せました。

平田オリザさん(右端)も参加の鼎談

平田オリザさん(右端)も参加の鼎談

  平田オリザさんの基調講演では、「芸術立国論」を発表してからの10年の足跡を辿り、「舞台芸術の現状と未来~優れた劇場からの創造発信」や、「創る、観る、育てる」劇場と新しい国立劇場構想、劇場法策定の意義について、貴重なお話を聴くことができました。その理念については、文化庁文化審議会文化政策部会の資料からも読みとれます(http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/seisaku/08_08/pdf/shiryo_2.pdf)。

 創作活動としての「劇場」の位置づけ、成熟した国家・社会における「政策」の重要性、そしてそれが世界へ発信できる人材の確保・育成につながる一連の効果を、フランス・イギリスの例も提示されて大変分かりやすいお話でした。不足している「教育システム」と「劇場の創作活動」とのご指摘はまさにその通りで、従来型ハコモノ政策ではない市民活動の高まりとして、「文化で生きていく覚悟」を問われたような気がします。思えば、これまで北海道演劇財団の設立以来発信してきたメッセージそのものでもあります(http://www.h-paf.ne.jp/hpaf/tokushoku.html)。

 従来の「国立劇場」のイメージとはかなり違った、創作活動の拠点としての全国各地の「創る劇場」構想は実に興味深く、北海道の芸術・文化政策としてもかなり現実味を帯びていると感じました。今後、道民としてもしっかり地に着いた議論を重ねて、実現したいと思いましたね。

 来月2日午後6時30分から、札幌市中央区大通東3丁目・内田洋行1階「U-cala」で、「演劇文化は街の活力~演劇人が活躍する街をめざして」をテーマにフォーラムが開催されます。札幌をもっと芸術・文化のあふれる街にしたい、そんな想いから「芸術・文化フォーラム:ACF」が結成されて、今回はここ主催の第5回フォーラムとなります。私もパネラーの一人として参加する予定です。

アオムシは、今、元気です

Posted by 秋山孝二
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  イモムシでもケムシでもない、アオムシが庭で元気でした。キアゲハの幼虫でしょうか、数匹存在感を示しています。やがて美しい蝶となって、大空を飛んでほしいですね。

庭で元気な青虫です!

庭で元気な青虫です!

  参議院選挙が終わりました、結果は結果としてただ受け入れるだけです。ただ、その後の各政党のコメントを読むにつけ、「どうして日本の政治家は、どいつもこいつもこう見識が低いのか、今後のビジョンも理念も感じられない」そんな落胆を隠せません。「あなた方の最優先課題は、選挙に勝つことですか!」と、言いたい今の私の心境です。

 昨年の政権交代後、私の尊敬する多くの経営者の方々とお話をする機会がありました。100%の皆さんが、「交代を選んだのだから、少なくとも4年間はやらせてみての評価でしょう。この課題山積の今、メディアの言うなりにコロコロ政権を代えるその事が一番のマイナス要因だと思います」と、お話になっていました。現実的課題にリスクを取って日々向かい合っている経営者は、交代した新しい体制が機能する時間というのがどの位なのかを、本能的に理解しているのだと思います。今朝新聞で読んだ各経済団体の代表の方々のご発言も、そのようなメッセージでした。(http://www.doyukai.or.jp/chairmansmsg/pressconf/2010/100713a.html)私も全く同様に思います。谷垣氏の「今回の結果を得て衆議院解散・総選挙に追い込む」みたいなコメントが事実なら、現状認識の誤りもいい加減にして頂きたいものです。メディアの「騒ぎ屋」的スタンスも相変わらずで、メディア自身の「立ち位置」が私には全く伝わってきません。

 今、日本社会に山積する難題は国家的危機であり、多くの課題が超党派で対応すべきものばかりだと私は思います。この大切な時期に政府・国会が機能しないとすれば、リスクは高まるばかりです。待ったなしの政策課題を、何とか国民の知恵と勇気で解決したいものです。

 先日、マチ中でお会いした知人との立ち話で、「しばらくは政治には何も期待できない、どんな政権であっても、自分の責任のあるフィールドをしっかり守っていく時期なのでしょうね」という点で意を同じくしました。多くのコストをかけての選挙をはじめ、政治のコストパフォーマンスを「仕分け」して貰いていですね。同時に、どの党にせよ、若い人材に期待したいと思います、従来型から脱却して、新しい世界の形成に向けた努力にですよ。

隣国の家族たち、北と南で

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 ミニシアター系映画館の上映スタイルは、一つの作品を一日の中で繰り返し上映ではないので、同じ日に同じ映画館で違う作品を観ることができます。札幌・狸小路6丁目のシアター・キノ(http://theaterkino.net/)で、二本続けての韓国映画は、いずれも「家族の関係性」をテーマとしていました。 

 一つは、「息もできない:http://www.bitters.co.jp/ikimodekinai/」で、俳優として活躍してきたヤン・イクチュン初の長編監督作品です。「自分は家族との間に問題を抱えてきた。このもどかしさを抱いたままで、この先は生きていけないと思った。すべてを吐き出したかった」と、チラシにあります。そんな切実な思いから脚本を書き始め、自分で資金を集め、製作にこぎつけたそうです。自身の感情のありったけを注ぎ込んだ主人公サンフンを演じるのはもちろん彼で、まさにヤン・イクチュンの魂そのものですね。物語はフィクションでも、映画の中の感情に1%の嘘もない、と彼は更に語っています。

 観客の胸を激しく揺さぶり、彼の感情を受け止めるのも大変です、観客こそ、まさに「息もできない」でした。見終わった後の疲労感もかなりでしたね。最初から最後までトップギアといった感じで、「間」とか「溜め」がもう少しあると、作品としてはもっと感動出来たような気がしますが。

映画チラシより

映画チラシより

  もう一方のキム・テギュン監督、「クロッシング:http://www.crossing-movie.jp/」は完成度の高い映画でした。「生きるために命を賭けて国境を越える人々:国家とは何か、人間とは何か、彼らの存在が私たちの心を激しく揺さぶる」、「果たされなかった父と息子の約束」、「生きるために別れるしかなかった」・・・・、胸に刺さるフレーズの数々、涙が止まりませんでしたね。11歳の息子ジュニが、「お母さんを守る約束を果たせなかった、ごめんなさい」と、遠く離れた父に詫びる場面は、特に胸が痛みました。折しもW杯サッカーの真っ最中、そしてどこにでも同じように降る「雨」が場面場面で現れて、思い出の糸となって繋がります。背景の映像も素晴らしく、韓国・中国・モンゴルでの撮影は、移動距離で8000キロにもなったとか。

 一昨年、私は板門店に行き、昨年4月にこの欄に書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=876)。しかしながら、その時の北と南の対峙する場は、多くの悲劇を覆い隠すかのように異様な静けさでした。日本本土では1945年が最後の終戦でしたが、隣国ではその後更に新たな戦争が勃発し、多くの家族の悲惨な状況が今も続いている現実を実感しました。余りにも理不尽な、そしてその中でも脈々と続く親子の愛情、地理的にはすぐ近くの、同じ時代を生きてきた別の家族像を目の当たりにしました。

麗人・美輪明宏の存在感

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  昔から気になってはいましたが、特段にファンという訳ではありませんでした。しかし先日、NHK衛星放送「The Star:麗人・美輪明宏(http://www.nhk.or.jp/star/past/20100703.html)」を見ていて、私は「ただ者にあらず」の感を強くしました。HPのトップに、次のようなメッセージが掲載されています。

~~~~~~~~~人間は肉体と精神とでできています。
肉体を維持するためのビタミン剤や栄養補助食品は過剰なくらい出回っているし、
それらのものに関しては、あなた方もとても敏感に反応する。
なのに、もう一方の精神を健やかに維持するものに対して、あまりに無頓着です。

では、精神におけるビタミン剤や栄養補助食品に匹敵するものは何か?
それこそが「文化」なのです。
ですから、それが欠ければ、当然精神的栄養失調が起きます。
いたずらにイライラしたり、焦りを覚えたり、落ちこんでみたり、自信をなくしたり、
理由のない怒りがフツフツと湧きあがってきたり・・・
そんな経験があるとしたら、あなたの心が飢えている証拠でしょう。

美輪明宏(~『天声美語』より~)  ~~~~~~~~~~~~~~~

  美輪明宏(http://www.o-miwa.co.jp/)さんは、現在はスピリチュアル系としてテレビでご活躍ですが、私は勿論歌手として、「メケメケ:http://www.youtube.com/watch?v=0QkQrpyPFTw」とか、後の「ヨイトマケの唄:http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg」で強く印象に残っています。

 先日は本当に久しぶりに、美輪さんの「ヨイトマケの唄」を聞きました、素晴らしかったですね。同時にその他の作品、「亡霊たちの行進:http://www.youtube.com/watch?v=0GwI3UlJlQE」、「祖国と女達:http://www.youtube.com/watch?v=YIS8mqx5-2U」、「悪魔:http://www.youtube.com/watch?v=oyk2K63aApM&feature=related」、「ふるさとの空の下で」等の痛烈な反戦歌があったことも知りました。歌詞にメッセージ性が強く、声も表現力があり、プロフェッショナルですね。

 「戦争というのは、全ての美しいものを失くすること」とも、番組に参加していた女子高校生に語っていました。美輪さんの経歴(http://www.fesh.jp/utterer_784_1_1.html)に因るのでしょう、長崎での被爆等、戦争の悲惨さでは大変リアルな体験に基づく明確な反戦への意思、「美」、「愛」への造詣の深さ、ひと言ひと言に力強さがあります。番組の最後で、「今の時代は、以前よりはだいぶ戦争反対の声は大きくなっているけれど、まだまだ油断できない」と、真剣な眼差しで語っていたのが印象的でした。

 美輪明宏、恐るべし、ですね!

スタートした「ウレシパクラブ」

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  札幌大学ウレシパクラブ(http://www.sapporo-u.ac.jp/bunka/urespa_project.htm)の第一回総会が開催されました。昨年、プロジェクトが発足して以来、応援団もクラブへ、現在支援団体・個人も150に発展しています。

総会:会長の本田優子教授のご挨拶

ウレシパクラブ第一回総会:会長の本田優子教授のご挨拶

  先日の総会には、宮腰昭男学長、山田玲良副学長、昨年から札幌在住となった作家の池澤夏樹(http://www.impala.jp/)さんも駆けつけて、祝辞を述べられました。今年度の活動予定では、学習会、ウレシパツアー、ウレシパフェスタ、会報「ウレシパ・ソンコ」の発行、ウレシパクラブ・ブログと、盛り沢山の内容です。

 総会後の交流会では、ゼミ学生、奨学生達が次々に挨拶をされました。それぞれご自分の人生においてアイヌ民族であることの位置づけ他、率直な言葉でメッセージを伝えていました。38歳にしてアイヌ民族であることを公表した方、社会に一旦は出たものの、再度アイヌ文化をしっかり学ぶ為に入学した方等、私は直接こういった言葉を聞く機会も無く、これまでの紆余曲折を知り有意義でした。応援団の方々も多様で、どうやら本田優子先生を囲む「秘密クラブ?(冗談ですが)」があるようです。大学内では、「逆差別ではないか」との批判もあるでしょうし、ウレシパプロジェクトのような新しい試みは戦いの連続だったかとは推察しますが、ここまで推進された本田先生他関係者の皆さまの勇気に頭が下がります。アカデミックセクターのチャレンジを見せて頂きました。

 今年5月22日「生物多様性の日」に、札幌植物園の元園長・辻井達一先生にご案内をして頂きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4214)。その時、辻井先生は、「生物多様性」について最後にこうおっしゃいました。「『多様性』というと、何か種類を多く集めることと誤解される場合が多いのですが、本来は個々の種が生育できる環境を担保すること、というのが正確な表現です。ですから私は、『多様性』というよりも『不同性』、すなわち同じではないという言葉の方が適切だと思っています」と。

 様々な経緯をたどって札幌大学のこの場に集ったアイヌ民族の学生たちが、これからアイデンティティの再発見・再構築をされることを心から祈っています。それが成し遂げられるかどうかは、受け止める社会が「不同性」を担保できるかどうか、だと思うのです。出口戦略としての企業の受け入れ体制も問われるのでしょう。本来的意味で、北海道という大地の「バイオリージョン:生きている地域」としての懐(ふところ)の深さが試されるのでしょうね。これからもささやかですが応援していきます。

シネマの風景~懐かしの映画

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 「北の映像ミュージアム(http://kitanoeizou.net/modules/official/index.php/main/shushi.html)」の10周年記念事業「シネマの風景フェスティバル」が札幌狸小路5丁目の札幌東宝プラザで7日間開催されました。ロビーには懐かしい映画ポスターも貼られて、レトロな雰囲気も漂い、お客さんも若干平均年齢は高めでしたが大盛況でした。来年以降の継続開催の期待も高まります。

北の映像ミュージアム10周年記念パンフレットより

北の映像ミュージアム10周年記念パンフレットより

ロビー:懐かしの映画ポスター

ロビー:懐かしの映画ポスター

2階ロビー:懐かしの映画ポスター

2階ロビー:懐かしの映画ポスター

 私はその中で、「赤いハンカチ:http://www.youtube.com/watch?v=0KMLJz44a38&feature=related」と「網走番外地:http://www.youtube.com/watch?v=CFnYmKUBvgw」の二本を見るにとどまりましたが、往年の大スター達の若かりし頃の姿を目の当たりにして、興奮しましたね。題名と歌は以前から何回も聞いていましたが、当時私はまだ幼なかったこともあり、これまで見たことがありませんでしたので良い機会でした。

 「赤いハンカチ」は、1964年の日活作品です。今でいう「刑事もの」で、パンフレットによると、日活ムードアクション最盛期の傑作だそうです。石原裕次郎、浅丘ルリ子、二谷英明、金子信雄、芦田伸介ほかの出演です。浅丘ルリ子の若かりし頃の魅力はすごいですね、芦田伸介の渋さもひきつけます。またダム工事宿舎、飲み屋街での裕次郎の「赤いハンカチ」を歌う場面も印象的です。随所に「北へ流れる北海道」の場面も映し出されて、雰囲気も盛り上がっていました。

 「網走番外地」は、1965年の東映作品です。白黒映画で、高倉健、南原宏治、丹波哲郎、田中邦衛、そして嵐寛寿郎ほかの出演です。高倉健の人気を決定付けた現代アクションのヒットシリーズ第一作、とパンフレットにはあります。網走市を中心とした北海道ロケによる背景の数々は、荒涼とした雰囲気と冬の厳しさが伝わり、素晴らしいですね。

 中でも嵐寛寿郎(アラカン:http://movie.goo.ne.jp/cast/97746/)の扮する「鬼寅」の存在感は際立っていました。彼は、鞍馬天狗、新東宝映画の明治天皇役など、幼い頃の記憶にも鮮明でした。気品というか風格というか、「映画俳優の誇り」みたいなもの感じます。

 それにしても、映画というのはこんなにも時代を映し出すものなのだとあらためて感じましたね。会話の言葉、やり取りのテンポ、今のコンピューターグラフィックによる映画よりも、はるかに違和感なく染み入ります。「溜めがある」とでもいうのでしょうか、見る側に考える時間をあたえてくれるみたいな、そんな「優しさ」を感じさせる「シネマの風景」でした。

‘71 北アメリカへの一人旅 (5)

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 気がついてみると、もう7月です。昨夕、W杯サッカー岡田ジャパンが日本に戻り、記者会見の様子も昨晩・今朝のニュースでみましたが、岡田武史監督の心配りと懐の深さに、あらためて感動致しました。徹頭徹尾選手を主役に位置づける姿勢に、彼のリーダーシップと選手たちのフォロワーシップを感じました。最後まで素晴らしいパフォーマンスに感謝です!

 この表題シリーズの第一回目(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2626)で私は、太平洋航路・APL(アメリカン・プレジデント・ライン)所属、「プレジデント・クリーブランド号:http://teikisen.blog84.fc2.com/blog-category-166.html」に乗船して、横浜大桟橋からハワイ・オアフ島ホノルル経由でサンフランシスコに行った、と書きました。

 当時は丁度、ボーイング747(ジャンボジェット)機が就航して間もなくで、人々の関心が大型旅客機に集まっていた時でしたが、「時間のある今、是非、船で太平洋を渡る経験をすべき」とアドバイスしてくれた方がいらっしゃいまして、貨客船の旅となりました。料金的には、片道では若干船(二等船室)の方が安かったような気がします。船旅は等級が厳格で、一等と二等ではデッキも食堂も全く別でした。ハワイで一時船を下りる時に、それまで船内では見なかった一等船客のインド人大富豪一行と初めて出合いました。

 一日が23時間、8日間でハワイ・オアフ島ホノルル港ピア10に到着、ここはあの1941年12月8日未明の日本海軍奇襲攻撃、真珠湾(パールハーバー)からもすぐ近くでした。入国手続きはここで行われるので、事前情報として、「怪しげで貧乏くさい人は、入国管理官から滞在期間を多く貰えない」と聞いていましたので、髪はしっかり分けて髭を剃り、下はバミューダ、上はスーツジャケットにネクタイという不思議な出で立ちで、着席の係官の前に向かったのを鮮明に覚えています。作戦は見事に成功し、6か月間の長期滞在日数を貰いました。

 横浜を出港してすぐ、台風を避ける為に予定航路から南下したので、丸1日余計にかかりました。遅れも半端ではありませんね。台風接近時は、船が数メートルも繰り返し上下し、部屋の丸い窓には鉄製のふたがはめられて緊張感も高まり、更に狭い室内は一晩中きしむ音で寝られませんでした。20数年前のアリューシャンもこんな海だったのかと、キスカ撤退作戦(http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-16kisuka.htm)に旗艦「阿武隈」の通信長として従事した父を思い出し、北と南の違いはあれ、「太平洋の嵐」を実感した貴重な体験でした。

アルバムから:台風接近の海上で

アルバムから:台風接近の海上で

 ホノルル一泊の後に、サンフランシスコに向けて出港しましたが、こちらは一転して気温は低いのですが穏やかな(退屈な?)海が続きました。一週間後の早朝にサンフランシスコ金門橋の下をくぐり、ベイブリッジを通過して湾の奥の桟橋に到着でした。朝もやの金門橋のライトとサンフランシスコのマチの灯を船のデッキから眺めた時、感動というよりも「アメリカに来てしまった」みたいな、震えのくるような不安な気持の方が強かったような気がします。

 一方今年1月に、幕末史研究会に参加した時、「咸臨丸子孫の会:http://www.kanrin-maru.org/」の方々とお話をする機会がありました。今年は咸臨丸が太平洋を渡って150周年の記念すべき年であり、自分たちの祖先が勇敢に太平洋を渡って、生きて帰って来たからこそ今の自分たちがある、そんな趣旨の自己紹介を聞き感動しました。咸臨丸(http://www.d9.dion.ne.jp/~senaun/pageBT11.html)は、アメリカから戻った後も、北海道とは大変縁の深い歴史を辿っています。そして更に、その研究会・交流会で、榎本武揚さんの曾孫で東京農業大学客員教授の榎本隆充さんとお会いして、リアルなお話を聞くことが出来て、幕末維新を身近に感じました。

 4月下旬に、榎本さんから、今度は「開陽丸(http://www.h6.dion.ne.jp/~kaiyou/)子孫の会」総会で、青山学院大学の片桐一男先生が特別講演をされる旨の連絡があり、1月に続き片桐先生のお話を伺いました。1月は「勝海舟と坂本龍馬」、今回は「榎本武揚と開陽丸」、いずれも幕末維新の激動期を生きた人々ですね。開陽丸も北海道とは縁が深く歴史に刻まれています。

 そして先日の「大和ミュージアム:http://www.yamato-museum.com/concept/」、何か今年は「船」、「太平洋」、「日本海軍」、「歴史」の縁が続き、ついでに私の太平洋横断の記憶もたどることができました。

 この2週間の船旅で、多くのカルチャーショックを受けた体験は、今も私の宝となっています。

W杯サッカー、日本チームに拍手!!

Posted by 秋山孝二
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 W杯サッカー南アフリカ大会で、予選リーグを通じて岡田ジャパンは前評判を覆す大健闘でしたが、昨晩の決勝トーナメント1回戦パラグアイには惜しくも敗れました。目標のベスト4への進出が出来ずに残念ですが、試合内容はこれまでのどの大会よりも素晴らしく、岡田監督の采配、選手達の一体感、闘志あふれるプレーぶりは、多くの人々に感動を与えたに違いありません。

 とは言っても、今回私は、各試合を最初から最後まで見ていたわけではありません。野球でもそうなのですが、最近は90分間緊張してテレビを見ている根気が無くなったというのでしょうか、終わり部分を見て結果を確認し、後は報道各局・各紙で振り返り、特に日本全国の応援の様子、世界各国の岡田ジャパンの評価を若干の余裕ある状況で知れば十分、そんな心のあり様です。昨晩も夜外で食事をしていたら、「今日試合を見ないのは非国民だ!」と、隣の席の方々が話をされていましたが、私は帰宅後、試合前に寝て、十分「非国民」でした。

 岡田監督はここまで、メディアをはじめ沢山のバッシングに遭いながらも、覚悟を持って信念を曲げずに良く戦いました。責任ある当事者としての立場を全うした稀有な人物、本当に素晴らしい仕事をされました。試合後の公式記者会見の席でも、「本当にこれだけ頑張ったので、選手には勝たせてあげたかった。私の力が足りなかった」と、ひと言ひと言が明快で歯切れが良かったです。思い起こせば、2008年に脳梗塞(こうそく)で倒れたイビチャ・オシム前監督の後任として急きょ就任し、翌年1月のチリ戦から指揮を執り、2月から始まった南アフリカ大会アジア予選を突破しました。W杯予選を突破した日本人監督は1人だけで、岡田監督にとっては98年大会の予選に続く2度目の突破でした。

 選手たちのコメントも、どこか哲学的でインテリジェンスの高さを感じましたね。デンマーク戦に勝利を収めた直後に本田選手の「なぜかそれ程喜べない」みたいなコメント、昨晩は、「批判する人がいなかったら、ここまでこれたかどうかわからない。応援してくれた人だけでなく、批判してくれた人にも感謝したい」等は、奥行きのある発言で興味深かったです。

 地味ではありますが、ディフェンス陣の相手エースの徹底したマーク等、相手を十分研究し、それぞれチーム内の役割をしっかり果たして戦った姿は、何か新しいアジア的、日本的サッカーの「かたち」を見た思いです。同時に、攻撃の創造力というか突破力というか、常識を越える「何か」も足りない気がしますね。以前本であるスポーツ評論家が語っていました。「W杯サッカーで得点をあげるのは、昼間に銀行強盗するようなもの」と。例えは甚だしく不適切ですが、セオリーでは勝てないという意味だと思います。

 課題はいろいろあるのでしょうが、20代・30代の日本の若者が、一生懸命に目標に向かって切磋琢磨し、努力し結果を出し、私たちに夢を与えてくれた、そんな彼らに心から感謝したいです.お疲れさま,胸を張って日本に帰って来て下さい!!

「大和ミュージアム」のメッセージ

Posted by 秋山孝二
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 広島県呉市にある戦艦大和の情報集積施設「大和ミュージアム:http://www.yamato-museum.com/concept/」は、正式には「呉市海事歴史科学館」と言います。

一階ホールにある全長26.3メートル(10分の1)モデル

一階ホールにある全長26.3メートル(10分の1)モデル

科学技術の集積

科学技術の集積

  「沖縄戦」、「海軍」等との関係からも、私は以前からこの施設を機会があれば訪問したいと思っていました。呉市の施設として(現在は指定管理者制度により民間企業コンソーシアムが運営)今年は開設5周年を迎え、戦争武器の戦艦「大和」というよりも、日本の科学技術の結集「大和」の視点から展示が企画されていて、地元に根差す科学・製造技術の伝統他、予想を上回る貴重なメッセージを受け取りました。先日の佐倉の国立博物館(http://www.rekihaku.ac.jp/)、東京九段の靖国神社・遊就館(http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/)とは、かなり趣を異にしています。

 日本海軍の礎として、愛生舘シリーズでも掲載した「長崎海軍伝習所」、勝海舟、小栗上野介(おくりこうづけのすけ:http://www.cocoyoko.net/history/h100000074.html)にも言及されていました。

長崎海軍伝習所

長崎海軍伝習所

  呉は海軍工廠のまちとして栄え、戦後は伝統的技術と新しい技術のコラボレイトでタンカー製造等も含めて経済成長を支えてきました。パンフレットにもあるように「呉の歴史」は、良かれ悪しかれ明治以降の日本の近代化の歴史でもあります。大上段からただ評論するのではなく、地域の教育、文化、観光への寄与を目的として、科学技術創造立国を目指す日本の将来に向けて、その担い手の子供たちにも科学技術の価値を届けたいという意図を感じました。

  向かいの「海上自衛隊呉史料館(http://www.jmsdf-kure-museum.jp/index.php):通称てつのくじら館」にも寄りました。日本の潜水艦製造技術の歴史、機雷除去を主とする掃海活動の歴史等、技術的側面からの説明・展示が興味深かったですね。

海上自衛隊呉資料館・入口

海上自衛隊呉史料館・入口(展示用潜水艦「あきしお」)

  「いつも反戦とか叫んでいるお前が、なぜ戦艦大和、潜水艦なんだ!」と言われそうですが、私にとって「日本海軍」の歴史は、父の影響もあり幼い頃から興味深く感じており、幕末・維新に始まった基礎から、日本海海戦、ロンドン・ワシントン軍縮会議、太平洋戦争、、海軍解体、戦後の海上自衛隊設立等、引き続き歴史の脈絡として注目をしています。

 これまで江田島の旧海軍兵学校(http://www.mod.go.jp/msdf/mocs/mocs/index.htm)には2回程足を運んでいますが、呉はいつも通過でした。今回しばし滞在できて、呉というまちが、戦後「平和産業港湾都市」として再生してきた歴史も知り、新鮮な視座を与えてくれました。

昭和31年、秋山家祝宴

Posted by 秋山孝二
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  札幌グランドホテル(http://www.grand1934.com/)1階、新館と旧館を繋ぐ部分にビジネスラウンジと併設して、図書類・記念展示の場があります。その一角に当初から、「昭和三十一年五月十二日・秋山家祝宴」とのタイトルで、一つのメニューが展示されています。

 以前から機会があったら写真を撮りたいと思っていましたが、先日たまたま通りかかった所、係の方が拭き掃除をされていたのでガラスケースを開けて頂き、カメラに収めました。

当日の名入りメニュー

当日の名入りメニュー

  日付から思い起こしてみると、私達家族の「野田」から「秋山」への養子縁組・披露宴の時のメニューだと思います。私の父の姓「野田」から「秋山」への縁組です。私はまだ小学校入学前でしたので大きな変更もなく特段の記憶もないのですが、家族5人が、参列された皆さまの前でしばし起立していたのは覚えています。

 当時、グランドホテルというのは大変な「非日常の場」で、白いテーブルクロスにナイフとフォークのセットも、何か大変緊張するひと時だったような気がします。それから50年以上も経て、その時の少し色あせた食事メニューを見ると、感慨もひとしおです。

沖縄「慰霊の日」、ほか

Posted by 秋山孝二
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 今日は、沖縄「慰霊の日」です。1945年4月1日にアメリカ軍が沖縄本島上陸で開始された「沖縄戦」は、6月23日、日本軍第32軍司令官・牛島満中将他指令部の自決をもって組織的戦闘が終結されたと言われています。現地沖縄本島ではその後も悲惨な戦いが続き、多くの民間人が犠牲になったことは周知の事実です。1962年から毎年沖縄県が主催する「沖縄全戦没者慰霊祭」が執り行われる一方、1974年制定の県条例によって、この日が「慰霊の日」の休日となりました。「沖縄戦」については、後日私なりにここで記述しようと思っています。

 

 出張の合間に、面談する相手の都合により時間がポッカリ開く時もあり、先日も映画「グリーン・ゾーン」、「孤高のメス」を相次いで観る機会をもてました。

 ポール・グリーングラス監督、マット・デイモン主演の映画「グリーン・ゾーン:http://green-zone.jp/」は、徹底的に現場に固執していて面白かったですね。「面白い」と表現するのは不謹慎かもしれませんが、アメリカが始めた戦争をアメリカ人が映画製作して世界で上映する、そんな国としての懐(ふところ)の深さを感じるのです。

 イラク戦争開戦から4週間後、ロイ・ミラーと彼の部隊は、砂漠地帯に隠された大量破壊兵器の行方を追う極秘任務で、イラクの首都バグダードを駆けずり回りますが、空振りが続きます。国防総省の動きに不信感を覚えた彼は、同じ疑念を抱いていたCIA調査官ブラウンと共闘することに。部隊を離れ単独で調査を開始し、様々な妨害工作に苦しみながら、更に、ウオール・ストリート・ジャーナル紙の記者も絡んで、核心に迫っていきます。結論は「大量破壊兵器は存在しなかった」です。バグダッド市内の「グリーン・ゾーン」の際立った違和感も含めて、誰が味方で誰が敵なのかが混とんとして進む映像の迫力は、映画の魅力です。ただ、これがほぼ歴史の真実ですから、開戦以来マスメディアによる上空から私たちの目に届いていたイラク戦争の報道とは、一体何だったのでしょうか。この映画では、私には イラク人フレディの役回りが注目でした。

 もう一つ、話題の邦画、成島出監督の「孤高のメス:http://www.kokouno-mes.com/」です。「字幕付き上映」と切符売り場で言われて、「あれっ、外国語映画なの?」と一瞬戸惑いましたが、勿論日本語の映画でした。

 「生体肝移植」、「地域医療」等の課題を正面から扱い、そこに繰り広げられる人間の恨み・つらみ・妬み等、意欲的な映画でした。手術場の臨場感も素晴らしい迫力でしたし、臓器移植(http://www.jotnw.or.jp/)の法的環境の変遷も勉強になりました。更に、北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)でチーフディレクターを創立以来つとめている斉藤歩さんが、悪い(?)医師役で出演していました。舞台の俳優・演出、そして映画に頑張っていますね。

 この数年、比較的お年寄りの観客の多い映画では、2時間を越えて来るとトイレに立つ方々が目立ちます。行く時は良いのですが、戻って来た時にご自分の席を見つけられない方も複数いらっしゃる様子は昔は無かった光景だけに、高齢社会を実感します。

 「いのち」を巡る多方面からのメッセージの数々、平和な時代に感謝しつつ、なお課題と向き合い解決を模索する世代の責任も感じます。

愛生舘の「こころ」 (11)

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 3ヶ月ぶりのこのシリーズです。千葉県佐倉市は、堀田藩の地元として、歴史を語る町並みを今も見ることができます。佐倉順天堂記念館(http://www.geocities.jp/bane2161/kyuusakurajyuntendou.html)、旧堀田邸(さくら庭園)、武家屋敷、国立歴史民族博物館(歴博:http://www.rekihaku.ac.jp/)を散策しながら、藩を挙げて鎖国社会の中でも広く海外から学ぼうとする情熱に感動します。「西の長崎」、「東の佐倉」と、外国の文化・知識等を貪欲に吸収しようとする姿勢で名をはせて、多くの国際センスあふれる人材を幕末・維新でも輩出しています。

佐倉順天堂医院の門

佐倉順天堂医院の門

門の礎石

門の礎石

  「佐倉順天堂」は、天保14年(1843)に佐藤泰然が開いた蘭(オランダ)医学の塾兼診療所で、現在の順天堂大学の源流です。「愛生舘」事業の構想の主・松本良順は佐藤泰然の実子でしたが、松本家に養子となり、一貫して幕臣として活躍し、長崎第二次海軍伝習でオランダのポンぺから蘭(オランダ)医学を弟子40数名とともに学び、日本の近代西洋医学の基礎を創りました。

藩主堀田家の邸宅

旧藩主・堀田家の邸宅

  旧堀田邸は、明治時代に佐倉に移り住んだ旧佐倉藩主・堀田正倫の邸宅と、明治洋式の芝生の庭園です。邸宅の幾つかの部屋には、松本良順の書が掲げられていました。訪れた時は映画の撮影か何かで、スタッフとモデルの方で庭は賑わっていました。昨年から3年間、年末に放映される「坂の上の雲」のロケでも、この邸宅の居間、大きな掛け軸のある部屋でも収録され、その場面は今年末にオンエアだそうです。

  一方、まちの西部・旧佐倉城址公園に隣接して「国立歴史民族博物館(歴博)がそびえ建っています。「壮大な規模を有する歴史の殿堂(?)」のフレーズを目にしましたが、似たような名前「国立民族学博物館(みんぱく:http://www.minpaku.ac.jp/)は、大阪にある別の施設です。全館冷房が効いて、原始・古代から始まり6つの展示室も十分なスペース、特に第6展示室「現代」は、特別展示もあり力が入っているのでしょうか。ただ、何か突き抜けるメッセージが足りないのですよ、「戦争反対」が届いてこないみたいな、展示物と見学者との間に厚過ぎるガラスの壁、時々は曇りガラスの壁を感じます。

 率直な疑問は、この国立博物館が何故この佐倉市にあるのか、真っ先にそれを知りたかったですね。沢山の外国人ツアーと思われるグループも来ていましたが、どう説明していたのかは分かりません。先の地元の3つの施設は、見学者の為に「三館共通入館券」も販売して連携をとりながら、堀田藩の因って来るゆえんと歴史的価値を懇切丁寧に発信していました。

 別の意味で、縦割り行政の印象を受け、その現状が何にも代えがたい「現代」を展示しているようで、そんな言い方はあまりに皮肉っぽいでしょうかね。しかし、行政の在り方がどうであれ、地域に暮らす市民は毎日しっかり生きてきたというように、この佐倉の地に人が育つ風土を実感しました。

ナレッジキャピタル・トライアル2010、ほか

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 大阪の複合商業施設・堂島リバーフォーラム(http://www.dojimariver.com/)において、「大阪・北ヤード、ナレッジキャピタル・トライアル2010:http://www.trial2010.jp/?mode=summaryhttp://www.youtube.com/watch?v=YxmqjEvuaOQ」が2日間の日程で開催されました。

会場入り口で

会場入り口で

 大阪の梅田駅北地区、「北ヤードプロジェクト:http://kita-yard.com/」が先行開発プロジェクトとしてスタートしていて、昨年に続き今年で2回目のイベントだそうです。「世界を変える、大阪が変わる」、「あなたは今日からナレッジキャピタル人です」とのキャッチコピーもパンフレットには見られ、「あつまる」、「つくる」、「みせる」、「まじわる」の基本機能を、「体験」できるイベントとのメッセージです。

 映像・実演の展示あり、トークセッションありで盛りだくさん、私は以下の3つのセッションを聞きました(http://www.trial2010.jp/?mode=program11#s1)。

 「ナレッジキャピタルアドバイザリーボード会議」、「ミニ・アゴラフォーラム:和文化と最先端技術」、「スペシャルトークセッション:アジア太平洋の新しいビジネスパラダイム・留学生のとまり木構想」です。アジアの大交流時代を見据えたスケールの大きい「コンテンツ創造」との印象を持ちました。

 

 その後は、堂島川をはさんだ向かい側、大阪大学中之島センター10階「佐治敬三メモリアルホール」で開催のリレー講座「アジア太平洋のネットワーク型発展における技術交流と人材育成」と題して、立命館アジア太平洋大学(http://www.apu.ac.jp/home/index.php?sel_lang=japanese)前学長、モンテ・カセム氏の講演に出席しました。主催は、アジア太平洋研究所推進会議(APIPC:http://apipc.org/-forum/)です。彼は昨年札幌で開催された、経済同友会全国フォーラムにもパネラーの一人で参加されていましたhttp://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1272

 日本滞在も長く、日本文化も熟知されてる外国人の視点から、日本の大学、人材育成への鋭い問題提起と提言の数々でした。大学への提言の主なものは下記の3つです。

* 個別大学の取り組みでは限界があり、関西7大学連携で「国際化のマインド」を育てて、個人を応援しやすい仕組の構築

* 国際ビジネスマンの大学進学戦略:日本の終身雇用制が国内的にはプレッシャーになっている現実

* 国際規格づくりへの参画

 グローバル化と地域主権の両立では、1)言語・文化・宗教等での多様性の受け入れ、2)創造性の応援、3)地域資源・知恵の活用、を提言されていました。今のままでは国際競争力として、日本社会の魅力が欠如しているとの指摘は、思い当たる節も多く、私の今後の活動にも大いに役に立ちます。

 私が医薬品卸業の経営者だった時は、メーカー本社も大阪の道修町・平野町に多く、この界隈も良く来ましたが、先日久しぶりに足を運ぶと大阪大学他ずいぶん川の両岸も新しい建物も多く、景色が変わっていて驚きました。

千葉大学・西千葉キャンパス周辺は?

Posted by 秋山孝二
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  「6・15」を忘れる訳にはいきません、1960年6月15日、国会議事堂前で当時東大生だった樺(かんば)美智子さんが日米安保条約改定反対デモ参加中に亡くなった日ですhttp://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kannba.htm

 私が千葉大学(http://www.chiba-u.ac.jp/)の学生だった(1969年入学)頃、毎年この日は西千葉キャンパスから東京の明治公園等に行き、追悼集会に参加しました。また、西千葉キャンパスには樺美智子さんのご両親・俊雄さま、光子さまもいらっしゃって講演会も開催され、追悼著書の「人しれず微笑まん」は心に残るメッセージでした。

 先日、たまたま時間があったので、昨年に続いて千葉大学・西千葉キャンパスに行ってきました。現在は1万5千人の学生数とのことで、40年前は土が舞い埃っぽかったキャンパスが、見違えるようなうっそうとした木々の並木道へと変貌し、風格を感じ嬉しくなりました。

40年前は小さな木々でしたが、立派になりました!

40年前は小さな木々でしたが、立派になりました!

  しばしゆっくり散策していると、今でも通りの向こうから笛の音とアジ演説の声が聞こえて来そうです。それにしても平穏です、立て看板も同好会イベントみたいなものばかり、米軍の沖縄・普天間飛行場等を糾弾するような立て看板は一枚もありません。

 そして40年前に時々通った東門斜め前の中国料理店「北京亭」は、今も健在でした。それどころか、丁度昼時だったので中に入って見ると、当時は楕円形のカウンターだけだった場が随分広がっていて、テーブルも入り、倍くらいの座席数となっていました。そこで私は、思い出の「レバニラ炒め」を注文して、マスター風の男性にお尋ねしましたら、何とその方が私が学生時代にも主人としてお店をやっていたことが分かりました。何とも懐かしく、レバーの味は全く変わりなく格別でしたよ。

「北京亭」も拡張して元気でした!

「北京亭」も拡張して元気でした!

絶品のレバーは今も健在!

絶品のレバーは今も健在!

  懐かしくて愛おしくて、良くこの間お店をお続けになっていたと感動しながら店を出て見ると、その出口の取っ手付近にステッカーが貼っていました。「底力宣言!千葉大学を応援しています:We support Chiba University」とありました。

地域から愛される大学へと!

地域から愛される大学へと!

 「変わるキャンパス」と「変わらぬ門前のお店」、ともに現在の姿に感動致しました。

 これまで私は自分の卒業した大学をそれ程「懐かしく」思ったことはありませんが、妻と出会った場も大学の臨海実習所、その後様々な場面で千葉大学卒業の方々ともお会いする度に、今キャンパス周辺がどうなっているのかと気になるから不思議です。

山﨑葵さん、横田滋さん、つながる絆!

Posted by 秋山孝二
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  首都圏在住の高校同窓生を中心に集う会・東京六華同窓会(http://www.tokyorikka.jp/)が、今年で何と105周年を迎えました。500名を越える登録で、節目の懇親会には、昨年12月のYamahaミュージックレボリューションで、「グランプリ」と「審査員特別賞」の2賞に輝いた現役2年生の山﨑葵さん(http://pksp.jp/yamazakiaoi38/?o=0, http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3001)がライブで、北朝鮮拉致被害者の会の前代表・横田滋さんも壇上からご挨拶をされました。横田さんのお父さんは、札幌一中の教頭をお務めになったとお話をされていました。

東京の同窓会の特別参加で2曲

「ユメノナカ」他、特別参加で2曲

 

横田滋さんもご挨拶

横田滋さんもご挨拶

 毎年、母校への熱い思いで大変盛り上がる集まりですが、今年は更なる熱気でした。特に札幌一中卒業の大先輩の皆さまは、勿論男子校だったので男性のみですが、30人以上壇上にお上りになり、一中校歌・応援歌等をきっちりお歌いになりました。

 そして現役高校生の山崎さんは、グランプリ受賞曲「ユメノナカ:http://www.youtube.com/watch?v=1_Vr38fAaNo」、NHKでも取り上げられている「強くなる人:http://www.myspace.com/yamazakiaoi」の2曲を歌ってくれて、会場中の大歓声でした。「強くなる人」は約30秒のTVスポットとしてNHK総合テレビ(北海道ブロック)で随時オンエアされていて、耳にする機会も多く楽しみです。先日は北見ご出身のお母さまと二人で出席でしたが、近くにいた私を含めた同窓生のオジサンたちは、「お姉さまかと思いました!」と、率直な感想(?)を漏らしていました。

 大先輩たちと若い世代が、15歳から18歳の一時期集った場を介して「つながる」、肩書きも仕事も関係なく、「等身大の一人の人間」として現在を生きているゆえの「絆」は、本当に素晴らしいものですね。

「パーソナルサポーター」実現に向けて

Posted by 秋山孝二
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  「構想日本:http://www.kosonippon.org/」が主催の「JIフォーラム第155回」が開催されました。今回のテーマは、「日本から無縁・孤立・貧困・閉塞感をなくそう『パーソナルサポーター』特区実現に向けて」でした。

 代表の加藤秀樹さんがコーディネーターで、前半・後半の二部構成の企画、パネラーは以下の通りです。先月、釧路のフォーラムにパネラーで参加頂いた日置真世さん、札幌に講演でお招きした湯浅誠さんも、キーメンバーのお一人で活躍です。別々の場面での人のネットワークが、様々な場でまさに「つながって」いきますね。

NPO法人ユースポート横濱http://www.youthport.jp/:岩永牧人、鈴木晶子
社会福祉法人いきいき福祉会http://www.rapport.or.jp/:小川泰子
NPO法人アクションポート横浜http://actionport-yokohama.org/:川崎あや

内閣府行政刷新会議事務局http://www.cao.go.jp/sasshin/:重徳和彦
NPO法人地域生活支援ネットワークサロンhttp://n-salon.org/:日置真世
NPO法人ライフリンクhttp://www.lifelink.or.jp/hp/top.html:清水康之
NPO法人北九州ホームレス支援機構http://www.h3.dion.ne.jp/~ettou/npo/:奥田和志
財団法人沖縄県労働者福祉基金協会http://www.rofuku-okinawa.jp/index.html:玉城勉
反貧困ネットワークhttp://www.k5.dion.ne.jp/~hinky/:湯浅誠

全国各地で課題解決に活動する人たち

全国各地で課題解決に活動する人たち:前半

  今、横浜を拠点に活動する各種NPOがプラットホームを形成して、特区申請を行っていますhttp://www.kosonippon.org/temp/20100517personalsupporter.pdf。主たる目的は「若者の就労支援」ですが、その本質は、ホームレス、高齢者等でも同様で、社会のつながりをなくした「貧困」でもあります。

 「絆(きずな)の取り戻し」、「行政の限界」、「伴走支援体制の確立」、「生活課題の解決」、「家族とは何だったのか」、「就労という言葉のワナ」、「家族が家族でいられる支援」等、キーワードが次々と活動されている方々から出てきていました。

 縦割りの行政、諸制度、そして市民活動も同様に縦割りになっている弊害。それらを突破して、「いのちをつなぐ」、次の世代へ、行政と、民間同士で・・・・。取り敢えず横浜の特区申請に注目ですが、全国各地で「パーソナルサポーター」の概念と取り組みはスタート出来そうです。今、確実に日本社会は変わり、それへの課題解決が急務ですね。

検証・昭和報道

Posted by 秋山孝二
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  先日、朝日新聞シンポジウム「検証・昭和報道」が開催されました。2年間の現場記者20名程を含めた事前検討会議の後、2009年4月から2010年3月まで朝日新聞夕刊に250回連載された「検証・昭和報道」の取り組みに対する総括シンポジウムでした。

当日配布資料:朝日新聞夕刊連載記事より

当日配布資料:朝日新聞夕刊連載記事より

  取材班から上丸(じょうまる)洋一氏の報告、基調講演として入江昭(ハーバード大学名誉教授)氏、討論(前・後)では船橋洋一(朝日新聞)、入江昭、劉傑(りゅう・けつ:早稲田大学教授)、バラック・クシュナー(ケンブリッジ大学准教授)の各氏がパネラーでした。

<船橋>

*時間が経ってから分かることがある――記事の「検証」機能が必要、現在に鏡をつくること、「調査報道」が無かった

<入江>

*今回の「検証」は、知的に正直な試み

*国内の記事:市民の目をどこまで貫いたか、国家権力の手先となっていなかったか、 国外の記事:欧米大国中心の報道、国際関係の記事:国家権力からの情報・関係性が多い、最近は「交流と共生の昭和史」が書かれるようになってきた

*20世紀の流れ:前半はナショナリズムの台頭、後半は国境を越えた「つながり」(経済・ITネットワーク・移民・避難民・人権・環境・宗教・民族等)

<劉傑>

*歴史の分かれ目をどう理解するか:ロンドン軍縮会議、満州事変

*新聞は「時代の空気を伝える」もの、「流れを読む」、「先を展望する」は別のこと

*戦後は平和を手に入れた:時代の空気は「平和を守る」であり、しばらくは「アメリカの政策に従う」ことであった、80年代に入って、「市民」、「グローバル」等のあらたな視点が生まれてきたのではないか

*「中国報道」をどう行ってきたか:評価の分かれ目、「1945年」は東アジアの多くの国にとって「戦争の終わり」ではない

<クシュナー>

*戦前の日本では、新聞は「第4の権力」ではなく、「政府の一部」だった

*アメリカでは、新聞は200年以上前から「政府を批判する」ことを求められた

*沖縄返還に絡む「密約事件」で、「報道されなかったことの意味」が再認識されるべき、同じ時期のアメリカ・ペンタゴン
ペーパーズ(http://www.mtholyoke.edu/acad/intrel/pentagon/pent1.html)におけるランド研究所ダニエル・エルスバーグは、極秘書類をニューヨークタイムズに掲載、日米を巡る状況の違いは象徴的、「The Most Dangerous Man in America」は、NHK-BS世界のドキュメンタリーで2回にわたり放映された(http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/100301.htmlhttp://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/100302.html

*映画「大統領の陰謀(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD5664/story.html)」、「フロスト×ニクソン:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1064」、このような映画が日本で制作されるだろうか

<その他>

*戦前の新聞は、「上からの目線」で国民の教育機能、国民と国家の間に位置した、調査報道が無かった、「報道」が「宣伝」に変わった、国際秩序をどこまで報道出来たか、昭和の報道は明治以降の「日本」をどう総括するかである

*戦後の報道では、「占領」をどう書けたのか、「東京裁判」で多くの知らない事実が明るみになった

*「冷戦構造」にとらわれ過ぎたのではないか、世界各地では多様な動きが進行していた、特に中国の台頭等

*調査報道は、情報公開法に基づいた「情報公開」活動により実現可能性が高まった

 

最後に、「ジャーナリズムは検証報道・調査報道ができるかどうかが生命線である」と結ばれました。聴衆は400名を越えていたでしょうか、平均年齢はかなり高かったですね、学生は20名程度だったような気がします。このシンポジウムの詳細は、6月21日朝刊特集面として掲載予定とのことです。

「札幌地下広場」は完成近し?

Posted by 秋山孝二
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  札幌市中央区大通西3丁目に「北洋銀行大通ビル」が完成し、地下鉄大通駅から地下で直結もしました。その結果、大通駅からJR札幌駅方面の地下通路を見ることができるようになりました。

地下通路:大通から駅方面を眺めると

地下通路:地下鉄大通駅からJR札幌駅方面を眺めると

  完成オープンにはまだまだ時間が掛るのでしょうが、イメージはつかめますね。現在いろいろな構想・計画が検討されています。ただの「通路」としてではもったいない「空間」ですね、まさに「新しい公共の場」として市民のアイディアを出していきたいものです。札幌駅北口通路・北1条地下駐車場上の通路みたいな殺風景な場だけにはしたくありません。センスが悪いし、まちづくりの情熱も発想も感じません、まさにカネを使うのが目的としか、私のように札幌のマチを愛する者からするとそう感じてしまいます。

 「通路だ、広場だ」と言うと、1969年前後の新宿駅西口地下「広場」を想い出しますね。「フォークゲリラ」が出現して、大変な数の若者を毎回集めていました。「死んだ男の残したものは(1965年)http://www.youtube.com/watch?v=DABGM-4t5Po&feature=related」、「自衛隊に入ろう:高田渡(1969年)http://www.youtube.com/watch?v=sywgy3YPtec&feature=related」、「フランシーヌの場合は:新谷のり子(1969年)http://www.youtube.com/watch?v=5dVgVwBe8Os&feature=related――フランシーヌとは、1969年3月30日にベトナム戦争に抗議して焼身自殺したフランス人女性フランシーヌ・ルコンテ(Francine Lecomte)のこと」、「イムジン河:ザ・フォーク・クルセダーズ(1969年)http://www.youtube.com/watch?v=M6I7byV5Zu8」、「さとうきび畑:http://www.youtube.com/watch?v=tyB9z2C98tM」、何回も「ここは通路である」と絶叫する警備陣に追い立てられていましたが、引いては集まるそのエネルギーは、時代の空気なんですね。

 新しく出来上がる札幌の地下「広場」も、腕章をはめた警備員たちが追い払うように立ちまわる無粋な場面だけは、やめて貰いましょう。狸小路1丁目から5丁目界隈の午後8時過ぎには、若者グループのライブ(練習?)で賑わっている、あんな風に是非、若者が集い・つながる「場」にしていきたいですね。