昨年6月、プラハ・アウシュヴィッツ他を訪問したグループで、今年は中国に「検証の旅」です。
韓国・仁川(インチョン)空港、香港空港はアジアのハブとして目を見張りますが、15年ぶりに行った北京空港もそれを上回る広大な敷地・建物で、まさに中国の勢いを象徴するかのようでしたね、オリンピック・万博を目標に国家的プロジェクトで整備したのでしょう。でも、訪れるお客にとって、必ずしも「大きいことは良いことだ」ではない辺りが、難しい所ですね。空港でのインターネット・アクセスは大変便利ではありますが。
深夜にハルビン市内のホテルに到着して、早速部屋でインターネットに接続しましたが、日本では見られる幾つかのサイトがアクセスを拒否されました。事前に多少は聞いていましたが、何かのスクリーニングが掛っている様子です。
旧関東軍731部隊(http://sakura4987.exblog.jp/4958898/)の本部が置かれていた場所は、ハルピンから約1時間の場所です。広大な敷地は今も残されて陳列館となり、その周辺には関連施設で終戦直前に自ら破壊した発電所跡、凍傷研究所等跡もそのまま、訪問当日は高校生・大学生と思われる団体も見学に来ていました。部隊が建設した発電所は実に頑丈で、自ら破壊する時も爆破では困難だったようで、3本の煙突のうち1本だけの破壊で退却したようです。裏に回って建物の壁を見ると太い鉄筋が何本も入っていて、皮肉にも「耐震偽装建築」とは比較にならない当時の軍関係建築への予算を測り知ることが出来ます。インターネット検索では、様々な立場からのコメントも読むことが出来ますので、ここで掲載することは省略します。
すでにこの部隊の目的等は、1997年アメリカ政府の膨大な情報公開により明らかになっています、今回あらためて衝撃を受けたのは、昨年のアウシュヴィッツと同様に、「政策」として明確な意図を持って軍と医学会が組織的にかなりの期間実践したこと、そしてその間多大な犠牲をもたらして得た膨大な「医学的(?)情報」が、戦後戦争責任を裁く裁判における免罪の取引として、すべてアメリカに提出されていたことです。数年前から、関わった方々が80歳に近くなってきたからか、この件に関する証言も数多く世に公開されています。
「政策」としてという意味は、例えば「対ソ戦」を想定した寒地での人間対応力実験、資源の少ない日本が戦争に勝利する戦略としての大量破壊兵器として「細菌兵器」の開発、自国内では出来ない「医学的」臨床実験等です。
8月のNHKドキュメンタリーシリーズで放映された「広島・長崎への原爆投下」に関する番組で、誰よりも早く爆弾投下直後(2日後?)に日本の軍医師団が、診療目的ではなく調査目的で現地入りして、放射線障害等の貴重なデータを取得し分析し、それを731部隊同様に占領軍に提出したとの証言でした。 そしてその意図が、終戦後少しでも占領軍の心証を良くしようとの思惑からだった、とも。
更に731部隊に責任を負う幹部たちの終戦後に就いた役職も展示されていましたが、皆戦後日本の要職が実に多く、彼らの戦争責任に対する認識、許す社会の民度の低さ等、アウシュヴィッツとは違い、同じく戦後日本を生きてきている自分自身との関係性から一層重たいものがあります。戦後の数多くの戦争裁判の検証でも、アメリカ他の連合国の思惑等、しっかり認識していく必要性を感じます。
もう一つ、資料とかデータに関する日本人の独特の考え方ですね。国際社会では、「資料が無い」というのは、その後の検証・交渉では致命的に不利になるのは常識にもかかわらず、ただひとえに自らの「保身」、「責任回避」の為に、それを焼却・破壊して無かったことにしようとするメンタリティ、その程度の責任感・覚悟での仕事の遂行というのでしょうか。何だか何で言って、「国」、「国民」の為になどという言葉は全くみられません。これは今の社会でも、全く変わっていないから更に課題は重いですね。戦争中の様々な残虐行為、安保・沖縄密約、事実を無かったことにしようとするそのことが、歴史に対する冒とくですし、それを乗り越えて進化しようとする力をそぐものです。私たちの世代の責任は、とにかく事実を事実として認識して、二度と同じような過ちを繰り返さない社会づくりを日頃から地道にすることしかないのでしょう。
もう一つ、ハルピン市内の「東北烈士紀念館:http://www.mediabahn.co.jp/china/tiiki/tohokud7.html」では、抗日戦争で戦った女性戦士「趙一曼」に関する展示・説明が印象的でした。信念に生きる一人の女性の姿、また一人の子供へ託す自らの意思といのちの連鎖、今、中国・ハルピンに居ることを忘れて、無言でしばしたたずむばかりでした。