なお続く旅の余韻(1)

Posted By 秋山孝二
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 今回の訪問先は、それぞれ重い場所ばかりでしたが、北京の「中国人民抗日戦争紀念館:http://j.people.com.cn/94638/94658/7131285.html」で、当時、現地に点在する村に対して、日本軍の「『集団部落』化の強制」という施策が目に飛び込んできました。「限界集落」を設定し、「平成の大合併」と称しての村の合体を促した最近の動きとダブリました。永年その地に暮らす人々の居住地を、意思に反して強制的に移動・変更することは出来ません。まして武器と刀で追い立てての強制移住は、恨み・憎しみを増幅するだけになったのでしょう。

 もう一つ、10数年前に訪問した時は、今回よりも毛沢東の存在感があったような気がします。今回私の目に触れた彼の肖像は、通貨の人民元紙幣の中、天安門の大きな肖像画、そして瀋陽の広場での巨大な像だけでした。「タクシーを止めようとしている姿」、「賭けごとは五元までですよと言っている姿」とか、地元の方から冗談も出る程、その意味あいも昔とは随分変わってきているのかもしれません。時の流れとでもいうのでしょうか。 

西方を向く巨大な毛沢東像

瀋陽:西方を向く巨大な毛沢東像

  関東軍731部隊の敷地内記念館では、「マルタ」と称されて「実験材料」となった中国人犠牲者の名を刻んだ墓標の回廊も忘れられません。

犠牲者の名前一覧の回廊

犠牲者の名前一覧の回廊

  そして、昨年のアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所でも象徴的だった鉄道引き込み線が、ここにも敷かれていました。この上を一体何度「マルタ」を運ぶ列車が通り抜けたかと考えると、胸が詰まる思いです。

「マルタ」を運んだ引き込み線

「マルタ」を運んだ引き込み線

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