世界バレー・女子、32年ぶりのメダル!

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 先日開催された「2010年バレーボール女子世界選手権:http://www.tbs.co.jp/sebare/」で、全日本女子チームが32年ぶりにメダルを獲得しました。準決勝でブラジルにフルセットの末惜しくも敗れましたが、3位決定戦ではアメリカをフルセットで破り、堂々の銅メダルでした。

 私はバレーボールへのこだわり(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27)があり、テレビ観戦していても冷静ではいられません。一生懸命拾い上げる選手を見ていると、つい拳を握って前のめりになってしまいます。いずれの試合も見たのは終盤のみ、とても最初からのエネルギーはありません。今回の世界バレー日本対米国(TBS系)の視聴率が20・5%(関東地区)だったとか。瞬間最高視聴率は、真鍋政義監督の勝利インタビューが行われた午後9時18分で35・9%で、前日に放送されたプラジル戦の視聴率は21・6%、瞬間最高視聴率は第4セットの22対22の局面で迎えた午後9時3分だったそうですね。

 それにしても、いつも感じているのですが、解説者の川合俊一はどうしようもないですね。富士フイルムでセンタープレーヤーだった時から知っていますが、とにかく大事な場面で全く気が弱い、昔の松平監督時代の全日本チーム知っている私は、彼が全日本男子のメンバーであったことが信じられません、そこまでチームの力が落ちていたのでしょう。その後の彼の活動を見ていて、どのフィールドで生きていこうとしているのか、良く分かりません。先日のテレビでも、観客同然で、「ウヮー」とか「キャー」としか言っていませんでしたよ。女子バレーに関しては、もっともっと優れた解説ができる人材はたくさんいると思うのですが、TBSとの特別な関係なのでしょうかね。

 今回の日本チームの活躍を見ていて、私は真鍋政義監督の采配が素晴らしかったし、それと同時にその前の柳本晶一(http://www.sponichi.co.jp/sports/special/fivestars/5stars_yanagimoto/kijilist.html)監督の手腕が素晴らしかったと思います。彼の現役・新日鉄時代のセッターも強く記憶に残っていますが、選手育成にかける「覚悟」に感動致します。将来の為に若手を積極的に使い、練習中も試合中も、そして試合後も常に選手への温かい眼差しを注ぐ、この間の日本女子バレー沈滞の流れを変えましたね。

 真鍋政義監督の「守りの強化」も的確でした。バレーボールで「守り」というのは、まず「ブロック」です。ブロックで確実にその後のレシーブするエリアを決める、或いは相手アタッカーに打たせるエリアを決める、要するにレシーブするエリアを出来るだけ狭めて拾いまくる、その戦略ですね。全てのアタックを止める必要などないのです。そしてレシーブは、諦めずに「床とボールの間に手を入れて」しぶとく拾う、昔の全日本女子・山田重雄監督が私に言った言葉を思い出しました。

 ブラジル戦を見ていると、決して勝てない相手ではありません。第2セットの驚異的粘りは、これまでの全日本とはひと味もふた味も違った「強さ」を感じました。ただ、序盤・中盤・終盤の戦い方、点の取り方を変えなければなりません。会場の観客は、スタートの一点から大歓声ですが、選手・監督は冷静さが必要です。そして、終盤の「ここぞ」という場面用のサーブ、攻撃パターンの「秘策」もコマとして重要です。

 以前は終盤戦の崩れた時は、「オープンにトスを上げて、エースで勝負」と決まっていたような気がしますが、先日の試合を見ている限り、これまでの日本の常識を破り、勇気を持って新しい形でポイントを取っていました。バックアタック、荒木の速攻など良かったです。

 今回の日本チームの試合を外国チームは研究して、また日本対策を進めるでしょう。それを上回る戦略・戦術を、真鍋政義監督ほかの首脳陣なら考えて実行してくれると確信しています。取り敢えず、今回の銅メダル獲得、おめでとうございます!

秋、さらに一層深まって

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 「好きな季節はいつ?」と聞かれれば、私は迷わず「秋」と答えます、それも「晩秋」でしょうか。

 「春」は、あらゆる植物が一斉に芽を吹き、咲き出して、その勢いに自分の気分がついていけない、そんな気が幼い時からありましたね。学校に入学してからはこの季節、新しい環境の場合が多く、その辺の緊張感も更に気持を押しつけるのかもしれません、自分自身の「出遅れ感」とでもいうのでしょうか。「夏」は太陽がまぶし過ぎて、気持は解放されますが奥行きが無いといった感じですね。「冬」も好きですが、一面の白は立体感に欠けて味わいが無い(?)。「秋」は盛りを過ぎて枯れていく魅力みたいな、紅葉も春の緑よりもはるかに多様で変わりゆく時間的経過もあり、色それぞれのストーリーを想像すると、何ともそれまでの道程をいとおしく感じます。

 今年は例年とは違った天候だったので、秋自体の風景も不思議な様相を呈しています。例えば、家の庭の柿の木、毎年実は付けていますが、今年の数の多さは、この20年で最高でした。200個以上はありますでしょうか。妻の実家、千葉県館山市(http://www.city.tateyama.chiba.jp/)の柿ではありますが、札幌でも多少の差はあれ、毎年実をつけています。特に収穫はしませんので、やがて寒さで落ちたり、雪が降った後は多種類の鳥たちの餌にもなっています。 

家の庭の柿の実、今年は200個以上なりました!

家の庭の柿の実、今年は200個以上なりました!

 札幌西高横のイチョウ並木も綺麗でした、さすがに今では葉は落ちました。

札西高横のイチョウ並木

札幌西高横のイチョウ並木

  先日、札幌市西区琴似方面に用事があって歩いて行きました。屯田兵舎跡も一緒の琴似神社境内は、午後の陽を浴びて素晴らしい景色でしたね。北海道神宮もいいですが、ここもまさに「晩秋」でした。

琴似神社境内で

札幌市西区・琴似神社境内で

 そう言えば、10月下旬に札幌に初雪が降った日、市内のたくさんの木々の枝が折れて地面に落ちていました。広葉樹の葉の色が、まだ変わるか変わらないかの内に湿った雪が降って、枝が重さに耐えきれなく折れたようです。それくらい自然界では「急激」という時間軸の短縮は、大きな影響を与えるのですね。「適切な時間」、適時というタイミングの妙、実に見事に創り上げられている「環境」、「生態系」です。後で思えば、自然界の剪定作業だったのでしょう。

 これから、いよいよ北海道の冬の到来ですね。

東京・池袋西口界隈で

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 東京の豊島区・池袋に用事があり、初めてJR池袋駅西口に降りました。池袋駅西口公園(http://www.city.toshima.lg.jp/shisetsu/kouen_guide/001138.html)では、秋の日差しを浴びてのんびりベンチに座っている方も多く、都内でもこんな雰囲気があるのかと少々驚きました。

 その一角にある大きな黒いモニュメントと、その横にステンレスの繊細な記念像(

http://www.city.toshima.lg.jp/koho/hodo/18317/018386.html

が目に入りました。近くに寄って横の記念碑を読むと、5年前にバングラディシュ共和国のベガム・カレダ・ジア首相から、文化交流の象徴として豊島区に寄贈されたもののようです。

池袋駅西口公園:巨大なモニュメント

池袋駅西口公園:巨大なモニュメント

バングラディシュからの贈り物

バングラディシュからの贈り物

 ジャパン・バングラディシュ・ソサエティ(http://www.japanbangladesh.com/jp/)の尽力により、ボイシャキ祭(バングラディシュのお正月祭)の開催をきっかけに始まった象徴としてです。このモニュメントの原型「ショヒド・ミナール:http://news.livedoor.com/article/detail/2576094/」は、ベンガル語を護った人々を讃えるもので、ユネスコ(http://www.unesco.or.jp/)総会において全会一致で宣言された「国際母語の日:2月21日http://www.unesco.org/en/languages-and-multilingualism/21-february-international-mother-language-day/」を象徴しているとされています。

 都心のちょっとした広場にも、人々の多様な交流の軌跡があるものですね。秋の日差しの中、ひと時の温かい気持になりました。

「世界を知る力」、リレー講座スタート

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  寺島文庫(http://www.terashima-bunko.jp/about.html)主催による「『世界を知る力』リレー講座:http://www.terashima-bunko.jp/」が始まりました。半年に10回という濃密スケジュールでの連続講座です。

半年間で全10回、盛りだくさんの講師陣

半年間で全10回、盛りだくさんの講師陣

  以下、細かな内容は書き留めませんが、初回は、早稲田大隈講堂で満員の大盛況で、藤原帰一(http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/faculty/professors/KiichiFujiwara.htm)さんの鋭い指摘が印象的でした。

早稲田・大隈講堂でキックオフ

早稲田・大隈講堂でキックオフ

  第2回は、中東問題のプロフェッショナル、東京外国語大学大学院教授の酒井啓子(http://www.tufs.ac.jp/research/people/sakai_keiko.html)さん。専門の「イラク問題」と、「中東和平問題(パレスチナ問題)」についての展望は、今後の視座として引き続き目が離せません。結論的には、イラク、パレスチナ共通の課題は、「課題が国内問題化してくる時代」の「多様性共存」でしょうか。それは「日本がかかえるイスラムとの共存」とも言えます、はっきり新しい構図に入ったのです。

 第3回は、多摩大学経営情報学部教授の沈才彬(シン・サイヒン:http://www.geocities.jp/mstcj182)さん。これまで聞いた中国関連の講演の中で、最も腑に落ちる、実に明快なお話でした。中国の今後のリスクを5つにまとめていました。1)2013年政権交代に伴う党内権力闘争、2)二大「時限爆弾」:「格差(地域間、都市と農村、貧富)」と「腐敗」、3)強まる住宅バブルとインフレ懸念、4)人民元切り上げ、5)アメリカによるチャイナバッシング。

 今、日中で起きているデモに絡み、「ナショナリズム」についても興味深いコメントをされていました、「思春期のナショナリズム(?)」とおっしゃっいましたかね?最後は、日米、日中関係の微妙な日本のスタンスを、「親米睦中:しんべいぼくちゅう」と表現されました。「アメリカとは親しく、中国とは仲良く」、言い得て妙ですね。

 とにかく、ここまでの講師の方々の大変分かりやすい解説は、時間の経過を忘れる程切れ味爽やかで、1時間半の限られた時間に濃密なメッセージの数々、そして新しい時代の認識・構図を示してくれました。課題認識が的確で、構図を大きくつかむ力に優れている、そんな感じですね。日常の新聞・テレビを通しては、実は何も理解していなかった、断片的「知識」では出来るはずもない、納得しました。

 私自身振り返ってみましたが、これまでに中国関係では、以下の3回書きました。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4136http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3983http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2510、それぞれの視点からの指摘も間違ってはいなかったと思います。ただ、その前提となる「新しい時代の構図」を良く見ていなかった、それを痛感します。

 今後の講座に期待します!

「母子像・ふるさと」、札幌へ!

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 ハンガリーの彫刻家ワグナー・ナンドールの作品(http://wagnernandor.com/indexj.htm)「母子像・ふるさと」を、妻のちよさんが札幌に寄贈する意向を受けて、この間募金活動も行っていた庁立高女・札幌北高同窓会を中心とする「札幌に迎える会」により、フォーラムが開催されました。私も親族(甥)として、同窓会メンバーではありませんが、「迎える会」の一員として応援しています。

ワグナー・ナンドール作 「母子像」

ワグナー・ナンドール作 「母子像・ふるさと」

  「ワグナー・ナンドールの世界~母子像に込めた平和への祈り~」と題して、120人を越える参加者で大盛況でした。この日の為に来日したハンガリーからのご来賓、キッシュ・シャンドールさんのご挨拶、ナンドールの一生を紹介したDVD、札幌芸術の森・吉崎副館長の作品紹介、札幌市・生島副市長と和久奈ちよさんとの対談、そしてフロアーとの質疑応答と、盛りだくさんの内容でした。

ハンガリーからの来賓:キッシュ・シャンドールさん

ハンガリーからの来賓:キッシュ・シャンドールさん

  キッシュさんは、自らの体験として1956年のハンガリー動乱(革命)の模様を臨場感あふれて語りました。「丁度、一か月前は1956年ハンガリー動乱(革命)の記念日でした。その特別な日を、ハンガリー人は皆よく覚えています。1956年の秋の12日間は、ハンガリー人にとって忘れられない日々です、突然自由が訪れました。ワグナー・ナンドールは34歳、私は14歳でした。皆が同じ気持を味わったのです。自由がある!急に青い空がある!空気がある!信じられない気持でした」。

 そして、ナンドールはその時に、若い芸術家たちに声高く呼びかけました。「武器を手にするな!スケッチブックを持って街に出て、現実のあらゆることを描くのだ!」と。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で、過酷な戦闘の経験を持つゆえに、「武器を取ることは容易だが、置くことは極めて難しい」と、常々芸術家たちに語っていたそうです。当時の政権から芸術家集団のリーダー、危険人物として狙われて、彼は後にスウェーデンに亡命したのです。

和久奈ちよ、生島さんとの対談

和久奈ちよ、生島さんとの対談

 ちよさんからは、率直なお話がありました。

* ナンドールが、「武士道」はじめ、東洋の哲学に小さい頃から接していて、その「調和」、「自然との一体」等の概念に共鳴していた、老子の思想もその一つ

* 「母子像・ふるさと」には、母と子どもの「愛」を、「受ける愛」、「与える愛」として、球形で的確に表現している

* 戦争はもちろんあってはならない、ただ、戦争が無いからといって「平和」であるとは限らない。「心の平安」、「確かな愛」、それが「母子像・ふるさと」に込められたメッセージである 

 来年にも設置されるだろう「母子像・ふるさと」は、私たちに「原点」を示す説得力をもたらすでしょう。「芸術家は社会に貢献してはじめて芸術家たり得る、なぜなら作品は何百年・何千年生き続けるのだから・・・」、ワグナー・ナンドールの信念でした。

 ワグナー・ナンドールの作品にご興味のある方は、是非栃木県益子町までお運びください。http://www.mashiko-kankou.org/509_733_topics_details.shtmlhttp://kankou.4-seasons.jp/asobu/509.shtml

再び、アジア太平洋の連携とは何か

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  もう、一月以上も手元に温めてしまいました、アジア太平洋研究所推進会議(APIPChttp://apipc.org/-forum/)が主催する、8月に大阪で開催された(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5162)一連のシリーズの総まとめフォーラムです。

フォーラムのチラシ

フォーラムのチラシ

 ただの議論に終始するだけでなく、「温室効果ガス削減のための新たな国際協力枠組み」を目指す、「グリーンニューディール(GND)研究レポート」としてまとめ上げました。当日はそれに関わった方々が壇上で、それぞれの立場から大変前向きな提言をされました。  

トライアル・プロジェクトのレポート

トライアル・プロジェクトのレポート

 今回のレポートは、京都議定書で書かれている「CDM:http://eco.goo.ne.jp/word/ecoword/E00011.html」の限界性・課題を指摘し、今後の温暖化問題解決のための新しい国際協力による、日本の技術貢献等の果たす役割にも言及しています。 CDM理事会他については「京都メカニズム(http://www.kyomecha.org/cdm.html)」で詳細説明があります。

 今回のまとめでも語られていた、「悩ましき隣人:中国」とどういう国際協力の装置を創っていくか、日本国の政策パッケージ他「本気度」の不足、日本の「知恵のアドバイス」に対してフランスの「哲学からの戦略提案」等、傾聴する指摘・提案の数々でした。

 特に、環境分野での日本の議論が、戦略よりもライフスタイルの問題に矮小化されているのではないか、日本の技術提案は高価でハイスペック過ぎる、といった指摘は理解できます。また、人材育成の装置として、「留学生の止まり木:人間交差点」機能の重要性も提起されました。「止まり木」で思い出しましたが、以前、スイスの方から聞いた話です。街中の広い道路、郊外の高速道路に作られているグリーンベルトの本来的機能は、帯状に木々が伐採されて鳥たちの生態系を狂わさないように、「止まり木」の意味だそうです。決して、人間の心地良さの為ではないと。

 人間は、「面白い」か「有り難い」が無いと集まってこないそうです。言い換えれば「たまり場」的仕掛けが必要であり、今後、日本のAPIhttp://apipc.org/)が、アジアのERIAhttp://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/10070201.htmlhttp://www.eria.org/)とコラボレイト出来れば大変面白くなりそうです。

 こう言った議論がメディアに登場する場面も殆どありません。ましてや政治の世界では期待も出来ません。総合的「構想力」の発揮として、日本の総力を挙げて、民間の高い見識の出番なのでしょうね。

あっという間に2年が過ぎました・・・

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 このブログ(コラム)を始めて、早くも丸2年が経ちました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24)。「それも世の為、人の為かと思います」と書きましたが、この間、多くの方々からメール、お手紙、直接のご意見を受け取り、心から感謝申し上げます。随分たくさんの方に読んで頂いていることを知り、当初は独善的独り言でスタートしたつもりが、インターネット時代、予想もしなかった展開となっています、結局は「自分の為」だったようです。これまで頂いたご質問、ご意見に対して、私なりのコメントで御礼の言葉に代えさせて頂きます。

1)随分いろいろな場所に出かけているのですね(暇とお金があるんですね)?:1回の出張中に体験したことを数回に分けて書いたりすることも多く、実際はそれ程のことでもありません。以前の上場会社社長・副社長時代は、もっともっと忙しい毎日で、それこそ「忙しい」と言う暇もない程忙しかった、それも看板を背負って、機密性の高い、利害の絡む出張ばかりでしたから。「書く余裕があるんだね」と言われればその通りですが、「書ける出張」に時間を取れる状態ともいえます。

2)踊り場みたいな多少の休息も必要では、今のペースで大丈夫?:「『下山の哲学』と言いながら(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=307)、まだ頂上を目指しているのでは?」とのご指摘がありました。ご心配に感謝しますが、以前からみると信じられないくらいに、「自分の為だけの時間(これを説明するのが少々難しい)」を持つことができています。書いているそのこと自体が、自分にとっては「休息」みたいなもので、ペースに無理はありません。もっと率直に言うと、頭に思い浮かぶ6割程度しか活字になっていない、そんな雰囲気の昨今です。

 書くことが無くなればそれで終了、いずれはただ消えていく、気楽なものですね。一つ掲載すると体に空きスペースが出来て、新たなテーマが生まれてくるような気がするのです。また、掲載することにより新しい出会いがあり、そこからまた新たな地平のスタートとなる、以前ビジネスの世界でも似たような体験はしましたが、役回りではなく、現在のように等身大の自分で活動していると、その何倍もの不思議な、新鮮な感じです。

3)毎回重たいテーマ、気まじめで息が詰まります!:一つ書き始めると次から次へと関連する事柄が頭に浮かび、どんどん広がっていきます。この際だから、あれも書きたい、これも書きたいと言葉が「湧き出て」きて、つい詰め込み過ぎる傾向はあるのか、と反省はしています。ただ、若い連中のような軽いノリで文章は書けず、どうしても「気まじめ?」になってしまいますね。特に強いインパクトを受けた時の表現が、「感動しました」、「印象的でした」と型通りの言葉しか出てこない、自分のボキャブラリーの貧困を感じます。読み手にとって息が詰まると言われれば、何ともコメントのしようがありません、お許しください。

4)書き過ぎ、公開し過ぎて支障はありませんか?:一番注意しているのは、文章でも写真でも「プライバシー」なのですが・・・。自分のことは多少出過ぎても責任の範囲ですが、他の方へのご迷惑は注意しているつもりです。最初は固有名詞も全て控えていましたが、回を重ねて変化しました、逆になぜ名前を書かないのか、が明確に説明できない場合も多いので。マスメディアではないので、その辺は自由度大きく考えています。お気づきの方も多いと思いますが、かなりオープンにしているようで、幾つか全く書いていない領域もあります。たくさん発信すると機密も守られる、そんな謎めいた言葉を信じています。

 

 最初の6カ月は文章のみで、次は写真を加え、更に関係ウエッブサイトを出来るだけ掲載し、と少しずつ進化させてきたつもりです。いつも取材のように小さなデジカメをバッグに入れて、少し違ったアングルの写真を撮るのも、楽しみの一つです。

 今後に,今幾つかプランを持っています。一般的には、「テレビとインターネットの融合」とかいろいろ言われていますが、Twitterとか携帯電話を使っていろいろ発信していければと思っています、無理のないテンポでですが。先日NHK-BS1で、慶応大学の村井純教授(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5162)がコーディネーターで、「ABUスペシャルセッション・イン・トウキョウ:http://www.abutokyo2010.com/」が放映されていました。グローバルな社会の中で、「つながり」、「関係性」、「ネットワーク」を求めて、新しい時代が各国で始まっているようですよ。

 お読みの方々で何か面白いアイディアをお持ちの方は、是非ご提案をお願いします。それではまた、歩き始めます!

あの時代、あの人たちの軌跡

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 「唐牛(かろうじ)健太郎」の名前を聞いたのは、私が小学校時代でしたでしょうか。「全学連」というのが何を意味するのかは分かりませんでしたが、北海道大学の学生が日米安保条約改定反対闘争の指導者だったと、誰かから聞いた気がします。函館・湯の川出身の彼の人生の軌跡が、知人・友人の皆さんのご尽力で展示されました。

「唐牛健太郎、函館にかえる」展示会

「唐牛健太郎、函館にかえる」展示会・会場で

装甲車前の唐牛委員長

装甲車前の唐牛委員長

  しおりには、「彼が逝ってから26年。全学連委員長として1960年の安保闘争を指揮、その後の生き方からも伝説的な存在だった彼のふるさとは函館です。唐牛健太郎とは、どんな人間だったのか。60年安保から50周年の今年、激動の日々を駆け抜けた男の47歳の生涯を辿ってほしいと企画しました。・・・・・・」と書かれています。彼については、真偽のほどは分かりませんが、その後いろいろなメッセージが世に伝えられていますね、同じ函館出身の田中清玄(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163475508/isisnejp-22/ref=nosim)との関係等でも。展示会場の関係者の方は、「予想以上の反響で、あらためて彼の47年の人生の価値を確認しました」とおっしゃっていました。 

 

 一方東京では、それから過ぎること約10年、1965年の日韓条約締結時代から70年安保前夜、1968年、三派全学連の委員長になった同志社大学・藤本敏夫と歌手・加藤登紀子の物語「青い月のバラード」(加藤登紀子著)が,最近、演劇として上演されました(http://www.puremarry.com/aoi.html)。

ピュアーマリー企画・制作、「青い月のバラード」・俳優座劇場で

ピュアーマリー企画・制作、「青い月のバラード」・俳優座劇場で

 公演初日には加藤登紀子さんご本人とお母さま・お姉さまも観客としてご出席でした。終演後、舞台上に促されて歩んだ登紀子さんは、「ただ感動で、涙が出ました」以外は多くを語らず、ここは役者たちの舞台、と示すかのようなプロ歌手の沈黙で、観客に一層の感動を与えました。

 登紀子さんは、1960年6月15日は高校生として国会へのデモに参加し、藤本さんは関西でテニスコートに居たそうです。彼の風貌は、唐牛健太郎の田舎的雰囲気とは大きく異なり、お洒落でそれまでの学生運動の闘士のイメージとは違いますね。どこか都会的でマフラーとコートが似合い、映画俳優のようで、その後の「農的くらし」と言っても、何となく違和感が私にはありました。これも時代の反映なのかもしれません。

 千葉県鴨川市にある「鴨川自然王国:http://www.k-sizenohkoku.com/」は、藤本さんと登紀子さんが築いた新しいフィールド、多くの方々がその理念に共鳴して活動しています。私自身もこれまで数回、「帰農塾:http://www.k-sizenohkoku.com/satoyama/satoyama_top.html」ほかのプログラムに参加して、間近で登紀子さんとお話を何回もさせて頂いています。「TOKIKO WORLD:http://www.tokiko.com/」も活発ですが、鴨川でのプログラムの中、田植え等でお世話になった石田三示さんは、現在衆議院議員でご活躍ですね。

 まわるまわるよ、時代はまわる、そんな時代をひた向きに生きた人生の軌跡は、節目の今年、人々に多くのメッセージを与えます。昨年7月に書いたこの欄を思い出しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1600)。

エコビレッジライフ体験塾

Posted by 秋山孝二
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 今年の秋山財団の社会貢献活動助成で、選考委員会で高い評価を得て採択された「エコビレッジライフ体験塾( http://ecovillage.greenwebs.net/course/course.html)」の一コマに参加してきました。当日は明峯哲夫さんの座学で、20名を越える参加者もあり盛況でしたhttp://ecovillagehokkaido.blogspot.com/2010/10/1024.html)。

 代表の坂本純科さんの説明によると、エコビレッジは「持続可能な社会モデル」で、「住民が互いに支えあう仕組み」と、「環境に負荷の少ない暮らし方」を求める人びとが、意識的に創るコミュニティのことだそうです。健康で幸せなライフスタイルを望む人びとの間で着目され、今や世界各地15,000ヶ所に広がっていると言われています。

 EDE(Ecovillage Design Education:エコビレッジ・デザイン・エデュケーション:http://www.ede-japan.org/)を基本に、学びのテーマは、1)持続可能な食と農( CSA:community supported agriculture(http://journeytoforever.org/jp/farm_csa.html)の実践、2)持続可能な住まいと暮らし、3)持続可能な経済、4)持続可能な関係づくりと組織運営、です。

長沼の体験塾・塾用畑と教室ほか

長沼の体験塾・塾用畑と教室ほか

 プログラムによると、近くで「メノビレッジ長沼:http://web.me.com/raymondrepp/mennovillage-jp/Top_Page.html」を営むレイモンド・エップさんも講師のお一人です。CSA(Community Supported Agriculture)を実践し、米、小麦、野菜、養鶏のほかパンや味噌などを会員に提供しています(http://www.waa-bc.com/agri/hokkaido/article/hokkaido_080930151150.html)。2年前の「G8洞爺湖サミット」開催と時を同じくして、「G8サミット市民フォーラム北海道」が、「市民サミット」で数多くのフォーラムを企画して、その一つで「北海道発、世界の未来~環境・農業・地域自立」と題して大変内容の濃いシンポを展開しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=54)。パネリストとしてレイモンド・エップさんもご参加頂き、「北海道に根差した多様な農業を!」と、力強い提言をアピールされたのを鮮明に覚えています。

 先日の講師・明峯哲夫さんは、秋山財団の選考委員でもあります。「やぼ耕作団」等の現場の豊富な経験はじめ、有機農業を通じての「いのちの哲学(http://www.yuki-hajimeru.or.jp/column_5_01.html)」まで、「小規模農業の意義・可能性」について、生物多様性の概念にも言及されて、大変興味深いお話でした。「伝統的な小規模技術の発展的継承」、「大地の慈しみ」を再確認し、大地を耕すことの意義を一層感じました。

 お昼は特製カレー数種類、取れたて新米がデザートと、何とも贅沢な昼食でした。エコビレッジライフ体験塾の充実と進化を祈念しています。

新国際線ターミナルに想う

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  10月21日から、羽田空港に新しい国際線ターミナルがオープン(http://allabout.co.jp/gm/gc/187809/)したので、東京出張のついでにちょっと覗いてきました。出国ブース前のロビーまでの見学でしたが、ひと言での感想は、「日本のハブ空港イメージって、この程度なの?」ですね。香港国際空港、韓国・仁川(インチョン)空港、中国・北京空港と比べると、まさに「ローカル空港」の広さですよ。でも乗客からすると、皮肉ではありませんが、コンパクトで使い易い規模かもしれません。

新しい国際線出発ロビー

新しい国際線出発ロビー

江戸情緒をたっぷり?

江戸情緒をたっぷり?

 メディアによると、「観光立国・日本の空の玄関口として、羽田ハブ空港化への第一歩が歴史に刻まれる瞬間です。30余年のときを経て『羽田から海外へ』、旅立ちのときを心待ちにする往年のファンも多いはず 」ほか、最大限の国際化への評価です。30年前ならいざ知らず、21世紀の現在、どうせなら「世界をグッと引き寄せる、コンパクトなロビー!」とでも銘打つべきですね、「江戸小路」は中部国際空港セントレア(http://www.centrair.jp/restaurant/index.html)の二番煎じではありませんか?私にとっては何とも違和感のあるメディアの表現です、「アジアのハブ空港を目指す」は。

 1969年に私が千葉大学に入学した時、地元千葉県では戸村一作委員長を中心とした幅広い「三里塚空港反対闘争」の最中でした。当時その土地で農業を営んでいた人々を追い出しての「成田国際空港建設」とは一体何だったのか、今一度、「三里塚空港反対闘争:http://www.youtube.com/watch?v=E9hy3ZWS3So&feature=relatedhttp://www.youtube.com/watch?v=bE4Lo8-UbhM&feature=related」をしっかり振り返る必要があると思います。この羽田空港の新しいロビーに期待を寄せる方々は、真摯に「成田空港とは何だったのか」の総括をしなければならないでしょう。今、あらためてあの時の三里塚農民の闘う姿を見て、胸が熱くなります。永年、日本の食供給に貢献してきた農民の皆さんに、暴力的に対峙した権力は、結局さしたる国際化の展望も無く、ただ「めんつ」にこだわる醜い姿だったとしか言いようがありません。「新しい国際化への窓口」とか底の浅い言葉が漂流し、その後不便を強いられて、「国民への利益還元」など無かったではありませんか。メディアも今になって平気で、「なぜ成田に空港を持って行ったのか」ととぼけています。

 戦争責任に関しても感じるのですが、日本人は「歴史に対する責任」という概念が薄いのでしょうか、歴史の記録、保管、継承、総括等、実にいい加減です。現場の歴史的事実を、土壇場になると「関わった個人のもの」としてしか認識しない精神的構図、コモンズとしての価値を感じていない、「歴史と誠実に向き合う」姿勢の欠如、社会的存在の認識軸がないのかも知れません。誤解を恐れずに言えば、信仰に近い何かが欠けているような気がします。

今は、もう秋、そして初雪!

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 北海道札幌南高学校林(http://www.sapporominami.hokkaido-c.ed.jp/hp/a/gakorin.html)で、「秋の散策会」が催されました。学校の総合学習の一環として、「学校林に生きるキノコたち」がテーマで、酪農学園大学の干場敏博(http://www.rakuno.ac.jp/dep12/sub3.html)教授が講師、多彩なキノコの解説に驚きと感動のひと時でした。秋山財団は、数年前にこの学校林活動へ助成を行っています(http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/NR/rdonlyres/1FB7E1C2-5A18-4B10-938E-541F3C6ADB02/0/061hakozaki.pdf))。

森でキノコ採集、多様ですね

森でキノコ採集、多様ですね

  「ひと言でキノコといっても、森の実際のフィールドには、幼菌・成菌・老菌と、赤ちゃんから老人まで多様に生息しています。図鑑には綺麗な時ばかりが写っていますが・・・」とバスの中での解説。最後に「皆さんへのメッセージ」とおっしゃって下記のように結ばれました。、

1) 森林生態系はキノコの種類も豊富です

2) 栄養摂取の様式で観ましょう<腐生菌、寄生菌、共生菌>

3) キノコの価値は食毒では判定できません:どのキノコも素晴らしい!キノコの多様性

 最後は大きな鍋で贅沢な「キノコ汁」でした。

早速、キノコ汁を満喫!

早速、キノコ汁を満喫!

  一方、札幌市内の円山公園は、気がついてみるとすっかり秋の気配。昨年よりも紅葉が遅い?朝のこもれびが素晴らしいですね。

円山公園の朝(1)

円山公園の朝(1)

円山公園の朝(2)、毎年の場所から

円山公園の朝(2)、毎年の場所から

  そんな秋の気配かと思っていましたら、やって来ました札幌の初雪です!

10月26日、今年の札幌の初雪です!

10月26日、今年の札幌の初雪です!

古代メキシコ・オルメカ文明

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  日本メキシコ交流400年記念(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/mexico/j_mexico400/index.html)、「マヤへの道:古代メキシコ・オルメカ文明展(http://www.asahi.com/event/olmeca/)」が開催されています。

池袋サンシャインシティでの展示会

池袋サンシャインシティでの展示会

入口正面の巨大石彫(レプリカ)

入口正面の巨大石彫(レプリカ)

  オルメカ文明は紀元前1500 年頃、マヤ以前の謎の文明で、メキシコ湾岸地方に突然あらわれた新大陸でもっとも初期の古代文明と言われています。文明を築いたのはベーリング海峡を渡ってきたモンゴロイドの人びとで、巨大な石を彫刻し、土造りのピラミッド神殿などを築く建築技術、ヒスイなどの玉石を精緻に加工する技術をもっていました。マヤ文明(http://www.2012crisis.com/mayabunmei/)など中米古代文明に共通する美術様式や宗教体系などから、新大陸の「母なる文明」とよばれているそうです。

 築いた人々もモンゴロイド、アジアとの関係性も知ることができて、大変興味深い展示でした。出張中に急に獲得できた時間、目に飛び込んできた「マヤ以前の謎の文明」のフレーズ、近い場所でのこのようなイベントは、「大当たり!」ですね。

「第7回新渡戸・南原賞」受賞式

Posted by 秋山孝二
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  今年の秋山財団「第7回新渡戸・南原賞」受賞式が、先日東京で開催されました。2年前に当財団でお引き受けした事業です(http://www.akiyama-foundation.org/nitobe/)が、今年の受賞者は、

*北海道大学名誉教授・三島徳三(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B0%C5%E7%C6%C1%BB%B0)さん

*成蹊学園専務理事・加藤節(http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/2421704.html)さん

です。この事業の鴨下重彦代表がおっしゃっていますが、「この賞は受賞された方々のご活躍で一層価値が高まっていく」のです。今年の贈呈式・祝賀会にも、素晴らしい方々が駆けつけて来られました。

資生堂相談役 池田守男 氏

資生堂相談役・第3回受賞者 池田守男 さん

元東京大学総長 佐々木毅 氏

元東京大学総長 佐々木毅 さん

韓国・成蹊大学教授 李 静和(リ・ジョンファ) 氏

韓国・成蹊大学教授 李 静和(リ・ジョンファ) さん

朝日新聞論説委員 辻 篤子 氏

朝日新聞論説委員 辻 篤子 さん

前東京女子大学学長 湊 晶子 さん

当事業運営委員(前東京女子大学学長) 湊 晶子 さん

 それぞれの先生方からは、貴重なメッセージの数々を頂きました。「賞の存在意義、それは社会に対する強いメッセージの発信であり、積み重ねることで価値が高まっていくのでしょう」、「時代と人間」、「実践と理念」、「思索と思考する姿」、「密かに闘っている人々への熱いメッセージ」等、心に響く言葉がご来賓の方から発せられました。

 2年前に、この事業を引き受けるに当たって、お墓参りと故郷巡礼に行ったのを思い出しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35)。新渡戸稲造、南原繁、お二人は大変困難な時代に生きた稀有な人物ですが、その哲学と信念は今の時代に一層学ぶ価値があるように思います。先日の受賞者・関係する方々のお話から、現在の日本を憂う気持と強い危機感と同時に、若い世代育成への並々ならぬ意気込みを感じ、日本の「良心」に勇気づけられました。

トヨタ財団から学ぶ

Posted by 秋山孝二
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 日本での民間財団活動をこの間リードしてきた「 トヨタ財団(http://www.toyotafound.or.jp/)」、先日、「アジア隣人プログラム・研究助成プログラム助成金・贈呈式」、それに先立つ「ミニシンポ:http://www.toyotafound.or.jp/00topics/topics01/2010-1015-1023-4.html」が開催されました。

贈呈式前のミニ・シンポジウムで

贈呈式前のミニ・シンポジウムで

  報告者の3名の方々は、地道なこれまでの活動を淡々と、極めて具体的に報告されました。それぞれの内容は大変濃かったし、こういった活動を選考するトヨタ財団の選考眼、見識にも学ぶところが多いですね。お金を出す側・受け取る側の関係で終わるのではなく、いつも語られる「パートナーとして共に歩む」の姿勢がしっかり貫かれている、その辺りがメッセージとして的確に伝わってくるような気がします。

* 渡辺幸倫:相模女子大学学芸学部講師(http://www.sagami-wu.ac.jp/yukinori-watanabe.html

* 綾部真雄:首都大学東京人文学研究科准教授(http://sites.google.com/site/wwwshajin/Home/staff/stuff_ayabe

* 坂東あけみ:ベトナムの子ども達を支援する会事務局長(http://www.normanet.ne.jp/~jannet/kaiin_hashin/houkoku090918_ml74_01.html

 以下、印象に残った言葉を幾つか~~~~~~

 (渡辺) 個別面接によるライフヒストリーは、類型化してモデルを創ろうとするのではなく、100人の多様性を大切にしたい。“人はそれぞれの人生の主人公”だから

 (綾部) “明るい未来を見せる”、それは「文化」の力。少数民族の「エスニック・セキュリティ」は、国家のセキュリティからはみ出す。 「文化」は、危機に対処するための技術

 (坂東) 親の子どもに対する愛情は世界共通、立ちあがりの時は社会がどうサポートするのか、が重要

 

 トヨタ財団は、「公益財団法人」としてあらたなスタートを切り、「よりよい未来を構築するために」と、新しいきずなを求めて更なる挑戦を始めました(http://202.218.52.67/00topics/topics01/2010-0913-1019-4.html)。これまで多くの研修・フォーラムで、トヨタ財団幹部、プログラムコーディネーターの方々とお会いしてきましたが、いつも芯の通った哲学をお持ちで、新しい「気づき」を得ていた私です。来年創立25周年を迎える秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)としては、これからも学んでいきたいその明確な理念と高い理想ですね。

ロビーコンサート in アサヒビール

Posted by 秋山孝二
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 企業メセナでは先駆的なアサヒビールのCSR(http://www.asahibeer.co.jp/csr/philosophy/index.html)活動、そして芸術文化財団の加藤種男・事務局長(http://eco.goo.ne.jp/business/keiei/keyperson/46-1.html) は今日までけん引してきたパイオニア的存在です。 

 毎回、秋山財団にもご案内を頂いていますが、先日20年目を迎えたロビーコンサート、今回は第14回「死んだ男の残したものは:http://www.asahibeer.co.jp/news/2010/0914.html」でした。ご存じのように、亡くなった武満徹さんの曲に因む作曲家たち、当日配布の資料にはコーディネートされた池田逸子さんが次のように書かれています。「本日のプログラムは、そうして『明日』を信じて音楽を創りつづけ、それらを残して死んでいった男(作曲家)たちの作品を中心に構成した、いわば直球勝負のプログラム・・・・・」

 冒頭と間に挟まれたそれぞれのアレンジ、武満徹「死んだ男の残したものは」が素晴らしく、私は特に、坂田明のサックス、立花千春のフルート演奏が印象的でした。この曲については、以前のこの欄にも少し書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4084)。

コンサートのシラシ

コンサートのシラシ

アサヒビール本社ロビーで

アサヒビール本社ロビーで

  会場には常連と思われる方々が多く、普段は本社ロビーのこの場所が、不思議な音楽空間になっていました。途中休憩の「缶ビール」も一段と美味しかったです。

 入場料は「市民パトロネージュ制」と書かれ、更に「お帰りの時に、お客様のお気持に見合った入場料をお支払いください。金額の多寡は問いません。集まった入場料は、出演者の今後の活動をサポートするため、全額出演者にお渡しします」とありました。

 パイオニアの果敢な活動の継続は、「民が担う新しい公共」のモデルとして、常に勉強になります。今後の財団のご活躍を期待しています。

ヒグマから北海道を見直しました!

Posted by 秋山孝二
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 北海道市民環境ネットワーク(通称・きたネット: http://www.kitanet.org/index.html)と、一般財団法人セブンイレブン記念財団(http://www.7midori.org/)との共催「北海道環境活動交流フォーラム」が、昨年に引き続き(http://www.kitanet.org/event/index.htm#work2009)、札幌円山動物園(http://www.city.sapporo.jp/zoo/index.html)で開催されました(http://www.kitanet.org/event/index.htm#work2010)。

幅広いパネリストで大盛況

午後のプログラム:幅広いパネリストで大盛況

  今年は、国際生物多様性年スペシャル『北海道の生物多様性を考える』、「ヒグマのいまを知る、豊かな自然の道しるべとして」と題して、多面的な視座からの意見交換でした。このところ本州で、ツキノワグマが人を襲う被害(?)が大々的の報道されていますが、生物多様性の視点からは、かなり違った現実と受け止めるべきではないでしょうか。クマと人との距離感を間違った人間の暮らしとでも言えるのかもしれません、メディアにそんな見識を求めたいですね。

 クマとの付き合いかたは、アラスカでの活動を基に作成された手引き翻訳版としての 「クマとの調和したくらし:http://www.oshima.pref.hokkaido.jp/os-ksktu/kuma/LivingInHarmonyWithBears_J1%201p-16p.pdf」が、大変参考になります。

 分科会の一つでは、昨年に引き続きエゾシカ問題も新しい切り口で議論されたようです。私は後半部分しか参加できませんでしたが、ただ「対策」に追われるのではなく、エゾシカがなぜこんなに増えてしまったのか、の検証もして欲しかったですね。生態系の頂点「オオカミ」の絶滅が直接的な理由であるとか、どこかでエゾシカ・ヒグマ・オオカミ等、「生態系」をめぐる多様な議論も今後期待したいです。

ガールズ・パワーで、エゾシカ問題をかみくだく!

分科会:ガールズ・パワーで、エゾシカ問題をかみくだく!

 ヒグマは、ツキノワグマより世界的にははるかに広い生息分布で、しかも北海道はその南限として、大変コンパクトなエリアに多数のヒグマが存在する、言い換えればヒグマが広く動き回らなくても生息できる「豊かな多様性・生産性のある生態系」を育む貴重な大地であることを知りました。

 もう15年以上前になりますが、私はアラスカ・キーナイ半島(http://www.silverfinguides.com/japanese/)に「キングサーモンほかの釣り」に行きました。ある一日は小型水上飛行機で離れた湖に着水し、そこに流れ入る小川の河口付近で7時間程の紅シャケ釣りでした。機内でパイロットが、「一つだけお願い、もし釣ったシャケをクマと争ったら、クマに譲ってやって下さい!」と言ったので、私も含めて大笑いをして「面白いジョークをいうパイロットだね」と、湖面から離陸して7時間後に迎えに来る飛行機の姿を見送ったのです。

 ところがですよ、釣りを始めて30分もしない内に、何と何と山からいろんな種類のクマが続々(!)と私たちの方に降りて来るではありませんか。一堂、足は震え胃は痛み、ある人はツルっと滑って全身ずぶ濡れ、記念にカメラを回していた人のビデオを後日見ると、画面が震えで揺れているのが分かります。「大変なことになったな」と、私は動揺しました、もう釣りどころではありませんでした。ガイドの腰にはライフルの弾が6発用意されていましたが、到底そんな数では足りません。実は後でアメリカ人に聞くと、それは釣り人を守るというよりも、事故が起きて紛争になった時のアリバイ(体制は整えていた?)だとおっしゃる方もいたりして・・・・。総数〆て20頭以上はやって来たでしょうか、「お邪魔しました」の世界でしたね。

 結局は、勿論何の事故も無く、予定通り釣りを続けて戻りましたが、多くのクマたちが本当に至近距離を、まるで私たちの存在を無視するように自然体で通り過ぎていくその姿に驚きを感じました。先日フォーラムの講演を聴いていて、アラスカでそのような「人との共生の環境」を創り出す永年の活動を知り、あらためてこれまでの努力の賜物なのだと理解しました。

 札幌・北海道は、ヒグマと「共存する知恵」を身につける、世界に類を見ない貴重な場だと強く思いました。ただ「射殺」を繰り返すだけでは、あまりに知恵が足りません。北海道におけるヒグマとヒトとの関係は、イコール「人間と野生との関係」が試されている、そんな気がしてきます。

TPS、サハリンで初公演!

Posted by 秋山孝二
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  札幌のプロ劇団「TPS:http://www.h-paf.ne.jp/tps/tps.html」が、アントン・チェーホフ生誕150周年記念で、サハリンのチェーホフ劇場で「秋のソナチネ:http://www.h-paf.ne.jp/tps/kanou.html#aki」公演をしました。これまでハンガリー(ブダペストほか)、韓国(光州・ソウル)、ルーマニアでも海外公演を行っています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=97)。今回、私は同行できませんでしたが、先日帰国報告会が開催されて、東欧・韓国とは一味違ったロシアの舞台事情を聴くことが出来ました、大変興味深かったですね。

当日プログラムの表紙

当日プログラムの表紙

  TPSはこれまでチェーホフ作品を国内で多数上演していて、今回生誕150周年の演劇祭「チェーホフの秋」に招待されました。2日間で500人以上が来場し、地元でも拍手喝さいだったようです。劇場前の道路は穴ぼこだれけでも、10数万人のマチに立派な劇場が存在する、それだけでもロシアにおける芸術・文化の位置づけを感じますし、その伝統が観客のレベルの高さを創り上げているのでしょうね。日本の、いや札幌市の政策は、もっともっと芸術・文化の振興に本気になってもらいたいものです。

 サハリン国際チェーホフ劇場のヤーナ・チェーホワさんは、「モスクワなどから来ている劇団の公演をたくさん観てきたサハリンの観客も、『秋のソナチネ』を観て心が奪われた。洗練された演技、シーンにふさわしい音楽の演奏によって、チェーホフの作品に基づいた多くの公演よりチェーホフの雰囲気に通じていたと言える」と、絶賛するコメントをメディアに寄せていました。

サハリン公演を終えた出演者たち

サハリン公演を終えた出演者たち

翻訳・カーチャさん、チェロ・土田英順さん、女優・宮田圭子さん、

翻訳・カーチャさん、チェロ・土田英順さん、女優・宮田圭子さん、

 報告会では、ロシアの劇場・舞台を取り巻く事情も垣間見られて楽しかったですね。特に土田英順さんがいつになく怒っていました、「どうして劇場にあんなに人がいるのか!」と。劇場には200人を越えるスタッフ(?)がいて、それぞれ受け持ちの仕事が縦割りで分担されていたようです。「人が多いとそれぞれに仕事を作るだけだ!」とも、かなり厳しい口調でおっしゃっていましてね。戸のカギを開ける担当も、扉ごとに違う人が現れる(?)、日本では一人で賄っている多くの仕事を、それぞれ違う劇場スタッフが入れかわり立ちかわり行っている、出演する役者も準備作業をどんどんやる姿に驚いた様子、そんな状態だったそうです。 

 メディアの取材もかなり多かったり、歓迎パーティーの設営もあったりと、昨年のルーマニア・ハンガリー公演と比べて、今回は受け入れがかなりしっかりしていたと言えるのかも知れません。いずれにせよ、若い劇団員にとって海外公演でそれぞれの国の演劇事情、観客の反応を肌で知ること、驚きと苦労を体験する、そのことが何より肥やしになりますね、お疲れさまでした!!

ノーベル化学賞受賞に思う

Posted by 秋山孝二
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 2010年のノーベル化学賞を鈴木章・北海道大(http://www.hokudai.ac.jp/)名誉教授、根岸英一・米パデュー大(http://www.purdue.edu/)特別教授ら3人が受賞しましたが、特に北海道大学の鈴木先生は鵡川町ご出身の道産子(どさんこ)で大変身近なせいでしょうか、いつもとは一味違った感動を覚えますし、誇り高いですね。「HOKKAIDO」がまた世界ブランドになりました。

 昨年11月9日のこの欄(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2583)に、ノーベル賞の理念ほかを書き留めました。本来の意図が十分日本では伝わっていない部分もあり、特にノーベル平和賞の位置づけについては、中国の反応を見ていると、彼らも十分把握していないのではないか、と思われますね。国際社会の中で、なぜ今回、劉暁波さんにノーベル平和賞が授与されたのか(http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101008-OYT1T01158.htm)を、冷静に受け止めるべきだと思いますし、同時にノルウェーのノーベル委員会の決定にも敬意を表します、受賞理由が実に明快です。

 2001年に名古屋大学の野依良治先生がやはりノーベル化学賞を受賞された時(http://www.natureinterface.com/j/ni05/P24-28/)に、北大薬学部の先生が、「この分野は、日本の研究レベルが世界をリードしている」とおっしゃっていました。今回それを証明するかのように、お二人の先生が幅広い分野への応用を可能にする技術で受賞でした。ただ、懸念されることは、これまでの受賞者もそうですが、その殆どの研究が1970年代に為されている成果であることです。

 2000年代小泉政権時代に、国の自然科学に対する研究費が大幅に傾斜配分されて、基礎研究等への「投資」が必ずしも十分にはされていません。高等教育機関への資金も他の先進諸国に比べて、大変見劣りのする金額となっています。独立行政法人化により、研究の成果を近視眼的に追及されるとった弊害も指摘されています。政権交代後の「仕分け」でそうなったという方がいますが、それは事実と違います。間違いなく、小泉政権時代の「競争原理の導入」が直接の契機です。

 今回の受賞をきっかけに、自然科学系研究への関心が高まり、基礎研究分野でも日本の力を発揮して貰いたいものです。秋山財団の24年間の研究助成が、少しでもお役に立っていればとささやかな期待もしたいですね。そして、今後の助成活動にも大きな励みとなりました。ノーベル賞受賞だけがゴールでは勿論ありませんが、研究者の皆さん、これからのご活躍を祈念しています!!!

ビハール号事件(1)

Posted by 秋山孝二
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  私は今、自分の時間を以前よりも持つことができるので、明治維新から今日までの近代の歴史を振り返りながら、検証らしきことをしています。特に、戦後のA・B・C級戦犯の検証、実際に足を運び、ヨーロッパでのナチスによるホロコースト、中国での日本軍による数々の事実を自分の目で確認し、新たな歴史的課題も見えてきました。

 そんな中、ある意味では思いもよらなかったのですが、ごく身近に私の知らない一つの「事件」があったことが最近分かりました。それは、旧日本海軍の重巡洋艦「利根:http://military.sakura.ne.jp/navy/c_tone2.htm」による「ビハール号事件」です。これから何回になるか分かりません、身内にも関係する重要な事実ですので、どんな展開になるか予想もつきませんが、追いかけてみようと思っています。

 これまでこの欄に数回書いている通り、私の父は4年前に亡くなりました。海軍兵学校66期卒で、キスカ撤退では旗艦「阿武隈」の、レイテ沖海戦では重巡洋艦「利根」の通信長として作戦に従事しました。その後、広島県江田島の海軍兵学校分隊監事で終戦を迎えました。

 没後に、私たち家族の発案で追悼集「絆」を発刊し、その中で私は父の思い出として次のように書きました。~~~~~

・・・・一方で私は、海軍兵学校時代の生活、キスカ撤退作戦、レイテ沖海戦等の最前線の経験を何回も聴いていた。とりわけキスカ撤退作戦での木村昌福司令官の勇気ある決断に関しては、旗艦「阿武隈」の通信長として身近にその現場を体験して、企業経営者としても社内報等で「バランスの重要性」として繰り返し強調していた。

 ある時に、自宅2階の自室で、戦争で生き残った者の苦しみについて静かに語ったことがあった。沢山の人間が戦争で無くなった悲しみは私には容易に感じても、父が言う生きて帰って来た人間の「その後の苦しみ」というのは、つい最近まで理解できなかった。ススキノのカラオケでも軍歌を歌う気にはなれない、戦争を賛美していた人間が戦後途端に反戦論者になっているのは許せない、今でも戦争が起これば自分は戦地に赴く、と戦争を巡る場面では、父はかなり頑固なこだわりを持ちつづけていた様な気がしている。

 そんな父ではあったが、入院中の夜中のベッドで、「火事だ、火事だ、水を」とうわ言の様に叫んでいる様子を聞いた時、それが戦艦の甲板での消火活動ではないか、と直感した時があった。自ら志願した海軍将校の人生ではあっても、心の底に沈む恐怖の存在を、私は数少ない場面ではあったが父の心の中に見た思いで、強い衝撃を受けた。・・・・・ ~~~~~~~~~

 4年前にこれを書いた時、私は勿論今回の「サ号作戦」については知る由もなく、ただ、「うわ言」に衝撃を受けていた、そんな自分でした。昭和19年に、キスカ撤退作戦の後、父は重巡洋艦「利根」の通信長として作戦に従事し、インド洋上での通商路破壊作戦(サ号作戦)に参加しました。そこで起きたのが「ビハール号事件」です。父は終戦後、海軍施設の進駐軍の接収・移管業務を済ませて、札幌に移りました。昭和22年に香港の戦犯裁判の証人として、ほぼ1年間程(その後、2・3カ月だと分かりました)、香港に滞在していたことは分かっていますが、それがどんな裁判だったのか、その辺りがこの事件を知る多少の手掛かりになります。私は、父からキスカ撤退作戦、レイテ沖海戦については話を聴いていましたが、インド洋上での作戦は一度も聴いた記憶がありません。

 4年前に青山淳平・著『海は語らない―ビハール号事件と戦犯裁判(http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1102322644)』(光人社刊)が出版されたのを最近知り、すぐに読んでみました。「なぜ捕虜は処刑されたか、救助した捕虜111名、うち65名をその後殺害した衝撃の真相。英国商船乗員乗客「処分」事件」、或いは「英国戦争裁判・香港法廷の実情」とも書かれています。この本には私の父の名が、まるで映画のシーンを見るかのように数か所リアルに出ていました。

 私は、まずは自分で過去の資料を調べようと思い、先日市ヶ谷の防衛省に行ってみました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5391)。そこの職員に問い合わせた所、戦史・艦日誌等は市ヶ谷にはなく、別の場所に所蔵されていて、閲覧も出来ることが分かりました。何かの機会に時間を取って調べようと思っています、なかなか時間的都合もあり難しい作業になりそうですが、しっかり真実を見極めたいですね。

 戦争の検証は他人事ではなく、自分の家族の人生の検証になってきました。

経済成長と医療を考える

Posted by 秋山孝二
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  医療経済研究機構(http://www.ihep.jp/)による第16回シンポジウム「経済成長と医療を考える」が開催されました。

 ○ 基調講演: 『医療政策の難しさを考える~中医協委員としての経験から~』

          伊東 光晴 氏 (医療経済研究機構 所長)

 ○ パネルディスカッション

  コーディネーター:南 砂 氏 (読売新聞東京本社 編集委員:http://www.odh.or.jp/minami/minamisuna.html

  パネリスト:河北 博文 氏 (河北総合病院 理事長:http://kawakita.or.jp/honin/rijichou.html

         島崎 謙治 氏 (政策研究大学院大学 教授:http://www.grips.ac.jp/jp/files/shimazaki_kenji.html

         邊見 公雄 氏 (全国自治体病院協議会 会長:http://www.jmha.or.jp/outline/outline01.html

パネルディスカッション

パネルディスカッション

 今回のこのフォーラム、さらなる経済成長を見込むことが難しい現状の中で、国民皆保険を堅持しつつ、量・質ともに十分な医療を提供し続けるためには、どのような改革が必要か、医療提供側と医療を享受する側から議論を深めることが目的でした。

 更に、2010年6月18日に閣議決定された菅政権の「新成長戦略:http://www.kantei.go.jp/jp/sinseichousenryaku/sinseichou01.pdf」、その中で「強みを活かす成長分野:(2)ライフ・イノベーション」で、医療自体が経済をけん引するという発想をどう考えるか、「混合診療の拡大」、「メディカルツーリズムの推進」等をどう受け止めるか。

 最後に、「国民皆保険制度の将来像」についてもパネリストは展望されていました。

 「医療」自体が日本の経済成長を「けん引」する力があるかどうかについて、経済成長は枠の拡がりをもたらす必要があり、社会保障・医療は所得の再分配であり、皆さん少々懐疑的ではありましたが、「医療」、「教育」が日本の基幹事業であることに認識の違いはありませんでした。そしてこの10年程は、どちらもまともな議論も無く推移していることに、大変な危機感をにじませています。私自身、教育基本法の改訂では、今の政治家たちの見識の無さに憤りを感じました。

 久しぶりに河北先生とお会いしましたが、相変わらずの論客ぶりでした。想い出します、20数年前に、河北先生を含む東京の病院経営者の皆さんと、当時の「JCAHO:現在はJoint Commission(http://www.jointcommission.org/)」はじめシカゴ大学病院管理学講座、ServiceMaster社(http://www.servicemaster.com/)他、アメリカの医療現場を訪問しました。突っ込んだ意見交換のやり取りは、今でも忘れられません。