「多様性」と言えば、目指すべき社会の中にも

Posted by 秋山孝二
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 「多様性」と言えば、世界の中の日本、あるいは学校教育においても、キーワードなのだと思います。もう4年ほど前になりますが、「どんなに障害が重くても地域の学校へ・連絡会議」の会報に書いたのが、以下の内容です。

―――この直近20数年、私はビジネスの世界で企業経営に携わり、仕事上沢山の国々・都市で数多くの市民・企業経営者・官僚・研究者に会う機会に恵まれ、日本という国・日本人に対する熱い期待を肌で感じて参りました。民族・宗教・思想の全く違う国際社会の多様な人々が寄せる期待感、しかしながらそれは過去の歴史の事実から、大きな不安感とも隣り合わせで存在する事もまた容易に推測されます。私たちが意識するしないにかかわらず、今の日本国・日本人は、国際社会の中で世界に貢献すべき責務を負っている気がします。事実、数多くのNGOの一員として、「こころざし」をもって地道に世界各地で活躍する日本人も増加していて、貢献の仕方も実に多彩で頼もしい限りです。

しかし、これまでの実績を基盤に、国際社会から喜ばれる将来の日本人の活躍を、今後も期待できるのでしょうか。私は正直に申し上げて、大いなる危惧を抱いています。

私は1970年代美濃部都政の末期に、東京都江戸川区で公立中学校の理科教員をしていました。聴力に障がいのある子供たちも含めたクラス編成、知的障がいの子供たちの特別クラスと一緒の学校で、私は5年間担任を受け持ち、実験を中心とした教科指導、バレーボール部の顧問等、忙しく充実した毎日でした。

当時は「校内暴力」が新聞紙上を賑わせていましたが、私の経験からは、「校内暴力」に限らず、地域内での他校生とのいざこざも多く、授業とか部活の他に、地域社会の中で“義務教育”に携わる者として、否応なしに責任を感じる場面も多々ありました。ただ、一連のいわゆる「暴力沙汰」も、当事者から言わせると「存在感の誇示」が本質の様で、一人の人間が大きく成長する過程で、大切な時期だったのでしょう。そんな「はみ出し」も学校教育の中で、個性として容認できていた、良き時代だったのかもしれません。

また、「運動会等の学校行事で、知恵遅れの子供たちと一緒では親戚から誤解をうける」とか、「耳が悪い子供と一緒のクラスでは、授業のレベルが下がるのでは」とか、毎年数人の保護者の方々から苦情を言われた事もありました。初めての担任の時、私自身、意思伝達では大いに不安で逃げたい気持にもなりましたが、伝えたい事を子供たちの目をしっかり見て話をしていくうちに、私は難聴児との会話に自信を深める事が出来ました。学級の生徒たちも、ほぼ私と同じように、彼・彼女らとの自然な会話を身につけていきました。

5年間の教員生活で私は、「異なった存在をありのままに認識する事」と、「心のふれ合いを創造するコミュニケーション」を、人生の出来るだけ早い時期から体験して育つ事の大切さを強く感じました。その事が同時に、「他と違う自分」の価値を意識する強い動機となり、人間として生きていく為には、「多様性の尊重」が社会の中で最も重要である事を生徒とともに学びました。「自立する個人の尊厳」とも言えましょうか。時あたかも「能力別学級編成」、「養護学校義務化」の流れの中で、私は反対の姿勢を明確にして、当時の組合幹部も含めた「抵抗勢力」と闘っていた時代です。

その後、教員を辞めて札幌に移り、自分の子供たちが体験した札幌の学校教育の現場から推察する最近の環境に、何か大変な危機を感じてしまうのは私一人ではないと思います。私が教員時代の雰囲気に比べて、全く更にひどく「均質化を目指す教育」へと逆行している、そんな危惧を抱いているのです。仕組みが理想的な教育環境ではないのが大きな問題というより、現場教員集団・PTAが、結果的に足並みそろえて「異質な事・人・物の排除」に懸命になっている姿、これは冒頭に申し上げた、国際社会が期待する「21世紀型日本人像」を創り出す事と全く逆行していると言わざるを得ません。

そんな危機感を抱きつつ、世界に羽ばたく価値のある「個性」を磨く場としての札幌・北海道に、限りない可能性を信じて、これからの若い世代にたまらない魅力を感じながら、私なりの活動を地道にしていきたいと思っています。―――

多様な「いのち」が存在できる世界、それは人間社会でも自然界でも、最も豊かで健康で価値のある事だと確信しています。