南原研究会http://nanbara.sakura.ne.jp/が毎年開催しているシンポジウムに参加しました。
今年のテーマは「南原繁と戦後教育改革~その現代的意義~」で、第一部は東京大学名誉教授 寺崎昌男先生の基調講演、第二部が「南原繁をめぐる人々(その3)」と題して、「前田多門」、「田中耕太郎」「河合道」「務台理作」「天野貞祐」について、それぞれ研究会メンバーがその功績他をレポートし、コーディネーターを成蹊大学教授の加藤節先生が務められました。
敗戦直後の荒廃の中、高い理念と構想力を持って臨んだ教育刷新委員会での議論を踏まえた当日の各研究者の発表は、大変内容が濃く、戦後教育の枠組みを決めた過程を再認識出来ました。明治以来の「教育勅語」をどう扱うか、従来の日本の人材育成を総括して、新しい時代を担う、言い換えれば制度の民主化を推進する主体の創造、自由で自立した人間の育成等への並々ならない情熱を感じました。どこかに原案が用意されていた予定調和ではなく、本当に喧々諤々たる議論の中から、教育基本法が世に誕生した経緯を認識しました。
昨年でしたか、それら誕生の議論に比べると余りに貧困な経緯で教育基本法の一部が改訂されました。関わった方々の教育観とも言えない思惑と駆け引きの中で、貴重な言葉の数々が削除され、改悪されましたね、恐ろしい事です。私は昔、教育現場にいた者として、教育の重要性を軽んじる今の政治家・学者に憤りを感じます。何年か前に、「最近の日本人の顔が醜くなった」とどなたかが書いていましたが、本質的議論なしのこの種の「改定」が続く事に大変な危機感を持ちますね。と同時にそうさせない活動を自分の出来るところから始めなくてはとも思います。
先日のシンポではフロアーとの意見交換の時間で、80歳代の方がご意見を述べていらっしゃいました。「今の方々は、教育勅語の文言だけを議論をされる傾向があるが、それが教育現場或いは社会でどのように使われていたか、を良く見極めなければなりません。本来の意味あいとは別に、それが権威・権力として有無を言わせず子供たちを管理・強制する手段として利用されていた事実を見逃してはなりません」と。
時代を踏まえた改革の議論、その中でやはり「原点の確認」が重要ですし、高い理念を掲げ続ける見識も大切なのだと再度感じた東京での時間でした。