週末、ベルリンの空は青

Posted by 秋山孝二
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 ベルリンはこれまで一度も行ったことがなかったので、というより1989年前には生きている内には到底無理だと思っていましたので、今回、またとない機会であり、週末に少しだけ寄ることにしました。

 一番の興味は、冷戦構造のシンボル「ベルリンの壁」で、今それがどうなっているのか、市民はどう受け止めているのか、です。空港からのタクシー運転手は、彼が10歳の時に壁が崩壊し、あっという間に無くなって驚いたと笑いながら語っていました。現在、市内三か所にモニュメントとしてしっかり残し、歴史資料も写真入りで豊富に展示されていました。特にナチスが政党として熱狂的に迎えられていた時期からの解説、戦後の裁判の記録は、その意味する所が理解できます。2年前のアウシュヴィッツ訪問時(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1485)も説明がありました、それが仕組みとして、政策として実行されていたことに我々は目を向けなければ再発は防げない、と。

ナチス秘密警察本部前の壁

ゲシュタポ本部前の壁

レンガの壁の跡に歴史の展示が約200メートル、更に右側に立派な資料館

レンガの壁の跡に歴史の展示が約200メートル、更に右側に立派な資料館

East Side Gallery(1㎞以上続く)

壁を使った「East Side Gallery」、1㎞以上手前側に続く

  ブランデンブルグ門は、東西冷戦の象徴のような場として記憶にありましたが、今はその面影は無く、多くの観光客で賑わっていました。広場ではあちこちでパフォーマンス、もっと厳粛な場と勝手に想像していましたので拍子抜けでした。私が考えている以上に、時代は先を行っているのでしょうね。

ブランデンブルグ門:旧東ドイツ側から

ブランデンブルグ門:旧東ドイツ側から

写真スポット?左後ろでは冷戦時代の象徴する国旗も登場

写真スポット?左後ろでは冷戦時代の両国旗も登場

お金を受け取るたびに少しの動きです!

お金を受け取るたびに少しの動きです!

  街全体は、トラディショナルとモダンが調和した街づくりで、ゾーンの位置づけ等、ち密な議論と計画の奥深さと感じました。鬱陶しい壁を壊して、主要駅の開放系の設計は、明るさと機能性に優れていて、これまでの歴史的建造物と対抗するのではないというメッセージも感じて取れます。

ベルリン中央駅:開放系5段構造

ベルリン中央駅:開放系5段構造

 今回の短い滞在、美術館・博物館系の見学を全くスキップして、タイトルをつけると「歴史とまちづくり」系とでも名付けましょうか、ディテールはまたの機会に訪問できればと多少残念な気もしながら、ハノーバーに来ました。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(4:終)

Posted by 秋山孝二
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 私はこれまで7年間に、ワグナー・ナンドール関係、演劇関係で5回、ルーマニアとハンガリーの国境を陸で越えました。同行メンバーも全く違うのですが、いつも印象的なのは「ハンガリーの大平原」ですね、とにかく「大」です。

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

  高速道路はどの国でも同じ景色(?)で退屈ですが、一歩降りて地方の集落をゆっくり抜けていくと、歴史と人々の暮らしの「におい」が感じられて興味深いです、韓国もそうでしたね。確かにこの地に来ている、外国なんだという現実感とでも言うのでしょうか。

デブレツェンからの古代の国道

東部の街・デブレツェンから続く古代の国道

爆撃で落ちた教会の鐘:モニュメントに

セーケシュフェヘールバール:爆撃で破壊されて落ちた教会の鐘:モニュメントに

 ハンガリーの場合は長い歴史の中で、何回もの不条理な社会状況がありましたから、自立した市民は、一層「モニュメントとして残す」、「記念碑のような形として意志を示す重要性」を、知恵として持ち続けている気がします。「国に何かをお願いする」とか、「国に何かを期待する」みたいな話が出てこないですね、地方自治体はエネルギーがあり、これまでの多くの犠牲の中から自分たちの暮らしをしっかり「守る」術(すべ)を持っているのでしょう。毎回ここに来ると感じる「におい」です。

 セーケシュフェヘールバールでの発掘作業と復元プロジェクトは実に面白かったですね、そしてそこに世界からの考古学者が参画している事実も。古い歴史を検証することとこれからの新しい時代を創る仕事が、「今、この場」の活動で結合している、腑に落ちるお話でした。

 今回3か所で、ワグナー・ナンドールの作品とそれに共感する多くの皆さまと私はお会い出来ました。ここまで作品の建立に至る道には、それぞれ苦難の物語があり、ハンガリーの「Academia Fumana」理事長のキッシュ・シャンドールさんを筆頭に、ワグナー・ナンドール没後にハンガリーで建立推進を担われた方々、日本でワグナー・ちよ理事長の「ワグナー・ナンドール記念財団」と支援されてきた方々のご尽力に心から感謝申し上げます。

 「戦う」という言葉に何か抵抗感を持つ昨今の日本社会、「精神の戦い」は個人レベルでも社会レベルでも、戦後日本が失くした、或いは忘れた価値ではありませんか。歴史に誠実に向き合う、そこに今の難しい時代を生きて、将来に向けた価値創造のヒントがあるような気がします、ヨーロッパのせめぎ合いを生き抜いている、「アジアの同胞」からの学びです。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(3)

Posted by 秋山孝二
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 このシリーズ最終日は、ブダペストから約1時間西、バラトン湖手前の古都・セーケシュフェヘールバール(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/246751/m0u/)、ワグナー・ナンドール作「ハンガリアン・コープス像」のある広場で、市民挙げての式典でした。広場の中心にある像、空高く突きあげる指の表現に、作者の強いメッセージ「希望」を感じます。

右が「ハンガリアン・コープス像」

右が「ハンガリアン・コープス像」

  式典では、市の代表、「Academia Fumana」を代表して日本大使夫人とワグナーちよさん、そして日本の「ワグナー・ナンドール財団:http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html」を代表して評議員の堅田さんと私が、それぞれ兵士二人が運ぶ後をついて献花しました。あらかじめの連絡はなく、直前の指示に戸惑いながらも、我々の名前が大きく呼ばれて身の引き締まる思いでした。ただ、ここでも決定的証拠写真が撮れず、日本に帰ってから誰か撮影している方を探し出す必要があります。兵士、子供たち、楽隊、政治・行政の幹部、ピーンと張り詰めたあの緊張感が、たまらなく感激でした、絵になるというか、毎年こうやってメッセージを伝え続けて、自分たちの歴史に対して真摯に向き合っている姿への感動かもしれません。

式典前、少し緊張気味の旗手・高校生たち

式典前に彫刻を囲み、少し緊張気味の旗手・高校生たち

式典に参加の右・副市長(文化・芸術担当)、左・県議会議長

式典に参加の右・副市長(文化・芸術担当)、左・県議会議長

 式典の後、副市長のご案内で街の中心部を歩きましたが、まるでテーマパークのように見事な景観を形成しています。市議会議場でも説明を受け、歴史の一コマに居る雰囲気をかもしだす、重厚で厳かな議場でした。その後、リニューアルした歴史的建造物について考古学者の方によるご案内・説明も興味深く、歴史の節目・節目に壁の増改築もあった様子が石の積み上げの違いで検証されたり、またそれらを透明の壁で「見える化」しながら、結婚披露宴会場として今も活用する、保存・展示の技術にも驚きました。今もなお遺跡の発掘作業が続いていました。

 前日のナジュバラドでは、朝の6時に教会の透き通る鐘の音で目を覚まし、ここでは正午に、市内十数か所の教会が次々と鐘を鳴らし、時を告げていました。その鐘の音を聴き終えて、空間を復元したレストランで副市長主催の昼食会が和気あいあいで開催。

市議会議場

市議会議場

 この街は人口10万人少し、数100年間、歴代の国王の戴冠式が行われていた誇りが、圧倒的な存在感と自信をを示しています。市庁舎・議場の壁には大きな絵画が掛けられて、どうみても美術館といった建た住まいです。「自治」の伝統、歴史への誇り、今の殆どの日本の地方自治体が持ち合わせていない「エネルギー」のようなものなのでしょうね、とにかく感動しました。

<12日に追加分:公式写真集と地元テレビの報道>

http://www.szekesfehervar.hu/viewer.php?image=0&group=90042
 
http://www.fehervar.tv/index.php?pg=video&cid=16&vid=4572&autoplay=true

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(2)

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 翌日、ルーマニアからハンガリー・ブダペストにマイクロバスで移動中、大平原のフン族の末裔が多く住む農村での一コマです。

大きな風車:ハンガリー西部の農村

大きな風車:ハンガリー東部の農村で

 ブダペストに到着して午後5時からは、ペトフィ文学博物館(http://www.pim.hu/object.1160b1a4-08c9-4ea9-bb65-1d30e97d1eb0.ivy)で、「『哲学の庭』建立10周年記念シンポジウム」が開催されました。在ブダペストの伊藤大使ご夫妻他200名の参加者があり、大変盛大な会となりました。ナジュバラドとこのフォーラムは、いずれもハンガリー・ブダペストを本拠に活動する「Academia Fumana Foundation」が主催しています。

 この様子は「在ハンガリー日本大使館・館員日誌:10月5日」に掲載されています(http://www.hu.emb-japan.go.jp/jpn/annai/diary1110.htm#1)。また、1年前のサイト(6月17日:http://www.hu.emb-japan.go.jp/jpn/annai/diary1006.htm)にも「哲学の庭」について掲載されています。

「哲学の庭」建立10周年記念フォーラムで

記念フォーラム壇上でご挨拶をされる伊藤哲雄・日本大使

 私は最前列に着席していて会場全体を撮影できず、雰囲気を伝えられないのが残念です。終了直後にやっと撮った一枚です。

満席の聴衆:終了直後の様子

満席の聴衆:終了直後の様子

 「哲学の庭」の彫像群は現在、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘近く、東京都中野区の哲学堂公園、そしてワグナー・ナンドール記念財団の本拠地である栃木県益子町の3か所に置かれています。ナンドールは、「私は文化、宗教などの相違点よりも、各々の共通点を探しているのです。共通点を通してしかお互いに近づくことは出来ないのです」と、この彫像群のメッセージを語っていました。

 ブダペストにある彫像群は、数年前に3体が盗難に遭い、円形台座の一部も切断・持ち去られました。世界的な金属需要による盗難事件の一環と思われますが、地元・関係者のご尽力でその後修復・設置されました。ワグナー・ナンドールの人生同様、幾多の困難をも乗り越えて今日を迎えている、そんなお話も興味深かったです。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(1)

Posted by 秋山孝二
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 ワグナー・ナンドールについては、この欄で何回もご紹介しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%AF%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB)。

 日本の「公益財団法人 ワグナー・ナンドール記念財団:http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html」は、今年4月から新たなスタートで、これまでの活動・作品については、「アートギャラリー:http://www.wagnernandor.com/artgalery.htm」でご覧頂けます。今年の春の展示会は、東日本大震災の被害で中止されましたが、秋は今月15日から一ヵ月、リニューアル・オープンです。

 今年は現地で一つの区切りとして、生まれ故郷から始まり、一連のさかのぼりイベント・式典等、濃密な日々でした。

 まずは、彼の生まれ故郷、現在はルーマニア領内、ハンガリー・ルーマニア国境を越えて数キロ西、「ナジュバラド:ルーマニア名・オラディア」詩人ヨーゼフ・アティラ銅像の前で、副市長ほか関係者の皆さまとの献花でした。製作後50年間、共産党政権下で同志たちによって地下に大切に保管されていた像です、ここに建立となるまで波乱万丈の歴史でした。

ちよ理事長と市長、アティラ像の前で

ちよ理事長と副市長、アティラ像の前で

  続いて公園から程近い、ワグナー・ナンドールの生まれた家を訪問しました。今は身内は誰も住んではいませんが、以前から玄関前には銘版とレリーフが据え付けられてあり、今回はその下に訪問団でリースを掲げてきました。

ワグナー・ナンドールの銘版:誕生した家の玄関で

ワグナー・ナンドールの銘版:誕生した家の玄関で

  夕方は、「ワグナー・ナンドールの芸術」、「東日本大震災」について報告があり、副市長もご出席頂き、興味深い内容に集まった50名の皆さまは聴き入っていました。開催したこの場が、ワグナー・ナンドールの熱烈な支援者、あのテーケシュ・ラズロー大司教の教会です。「ティミショアラの集会」で、当時のルーマニア・チャウシェスク政権崩壊の糸口となったことで有名です。

ちよ理事長:テーケシュ・ラズロー大司教の教会講堂でのフォーラム

ちよ理事長のご挨拶:教会講堂でのフォーラム

 故郷の心を歴史の中で持ち続けるマジャール人として、会場の雰囲気から強靭な「絆」の熱い思いを感じました。

R.Kevin Stewart 氏、逝く

Posted by 秋山孝二
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 突然の訃報に呆然としています。

ボストングローブ社、死亡広告より~~~~

 STEWART, Richard K. “Kevin” 49, of Hopkinton, formerly of Salem, OR, passed away on Saturday, October 1, 2011, at the Rose Monahan Hospice House in Worcester, after a brave battle with brain cancer.

 An avid fisherman and Red Sox fan, Kevin lived in Japan for two years and maintained friendships around the world. After working for many years in the import/export field, Kevin founded Health Tech Export Associates in 2004. He grew his business into a successful enterprise, connecting US and European human and veterinary health product companies with interested customers in Japan. Most importantly, Kevin was a beloved and devoted father, husband, son, brother, neighbor, and friend who touched many lives. Kevin is survived by his children, Isla, Aidan, and Carlin Stewart, and his wife, Maria (Baute) Stewart, of Hopkinton, MA, his parents, Richard and Dorothy Stewart of Escondido, CA, his sister, Paula (Stewart) Brust and her husband Kirk of Escondido, CA, and six nieces and nephews.

 Visitation will be held on Wednesday, October 5, 2011, from 4-8 p.m. at the Chesmore Funeral Home(www.ChesmoreFuneralHome.com) of Holliston, 854 Washington Street.

  A funeral service will take place on Thursday, October 6, 2011, at 10 a.m., at the First Congregational Church of Holliston, 725 Washington St. Burial will follow in Lake Grove Cemetery in Holliston. In lieu of flowers, donations may be made in memory of R. Kevin Stewart to either Caring Bridge at: www.caringbridge.org or to the National Brain Tumor Society at: www.braintumor.org

Published in The Boston Globe on October 3, 2011~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 Kevin は、私の海外ネットワーク構築の大恩人であり、未だにこの事実を受け入れることが出来ません。

 10/1(土)の夜11時頃、ケビンは最期を妻・Maria(マリア)さんに看取られながらホスピスで永眠されました。まだあまりにも若く、また奥様と12歳、10歳の双子のお子様たちを遺して逝かなければならないのは断腸の思いであったのではと、心が痛みます。マリアさんは、最期は”peaceful”であったとおっしゃっているそうです。最期の2ヶ月間ほどは、マリアさんは自宅から仕事をし、彼の看病、子供たちのことと、休む時間もなく献身的にされていて、木曜日の葬儀と弔問客への対応が終わる頃には、身も心も疲れ果てられるのではと心配しています。

 10日程まえに、ホスピス「Rose Monahan Hospice Home」に移られて、Kevinのホスピスのサイト(http://www.vnacarenetwork.org/services/hospice/rose)から、私のアメリカの友人が下記の妻・Mariaさんの記事を見つけてくれていました。末期を迎えている彼の状況と家族の優しさが伝わってきます。つらい記事ですが、彼の回復を祈っていた矢先でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 はじまり

 Kevin apdate Hi, all:

Just a quick note to, once again, THANK YOU for all of the love and support
you channel to us through this website.  Although Kevin was on hospice at
home, the move to the hospice house was really better for him and for our
family.  I think, in my head, I know this, but in my heart, the idea of him
leaving our home and not coming back has been very difficult and I’ve
questioned the decision so much.

Today, after a Kevin had a very restless night, we made the journey to the
Rose Monahan hospice home in Worcester, MA.  He tolerated the ambulance ride
well, and in fact, although he slept through it, he held my hand the entire
trip.  I was his wife again!

When we got here, the people who work in this place made him comfortable and
got him (and me) settled in a room with a gorgeous view of Coe’s Pond with
authority, kindness, and compassion.  I have had a more peaceful day with
him here than we’ve had in several weeks.  I know now that I made the right
decision, and that when the kids see him here, they, too, will be at peace.

He is able to have visitors from 9 am - 8 pm and to receive mail, so the
address is:

Kevin Stewart
c/o Rose Monahan Hospice Home
10 Judith Road
Worcester, MA 01602-3213

If you would like to visit with Kevin, I would welcome it, as I know he
would. It would probably be best to let us get through the weekend first, so
that he can really get acclimated.  I would just ask that you call me first
so that I can give you a sense of how he’s doing.  My cell is 0000,
and I promise to try to be good about checking messages / returning calls.
 He may sleep through your visit, but I know he can hear you.  If you prefer
to send messages to him, know that I am reading him your CaringBridge posts.

I don’t typically get religious in these posts, but the love and support you
have given us has been God’s grace in practice, and our family will never,
ever forget it.

With love and thanks,

Maria
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 葬儀には参列できませんが、少しでも私自身の気持を伝えたいと思っています。

 Kevin、あなたの温かい気持と優しい笑顔は一生忘れません、どうか安らかにお眠り下さい。

「無言館」、ふたたび!

Posted by 秋山孝二
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 昨日・一昨日と一泊二日、ニセコ町で濃密な会議がありました。その議論はまた後日に概略掲載しようと思っていますが、そうこうしているうちに、気がつくともう10月に入っています。 

 先月は実にたくさんの催しがあり、それぞれその場では大変充実した、納得するお話の数々でした。ただ、後でゆっくり振り返る時間が足りなく、消化不良気味、少々バランスを欠いた月だったような気もします。少し遅れました、「無言館」館主の窪島誠一郎さんのご講演を紹介致します。昨年7月に札幌で講演会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4814)があり、引き続き今年もまた聴く機会を得ました。

 今回は「『無言館』と、生命のこと~戦没画学生が伝えるもの~」と題してで、村山槐多(かいた)についてのお話も興味深かったです(http://members3.jcom.home.ne.jp/garance-club/)。戦時中の絵かきたちは、「非国民」と言われました。その絵が戦後、如何に勇気と希望を与えたか、3・11震災後数日は全く訪問者はなかったのが、4日後からは来訪者が戻り、書き残したノートに「励まされた」とひと言。何か不思議な印象を受けました、とのお話でした。

窪島誠一郎さんの講演

窪島誠一郎さんの講演

  混乱の時期にこそ、芸術・文化の力が発揮されるとも言えるのでしょう。11月・12月には、私も呼びかけ人の一人で上映委員会(代表・國田裕子さん:eiga.mugonkan@gmail.com)主催で、下記の長編ドキュメンタリー映画「無言館:http://xin-ei.co.jp/other/seisaku.html」も上映されます。

<上映会のご案内>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■と き  2011 年11 月15 日(火) 約90 分3 回上映
      ● 13:30 ~ 15:00 ● 16:00 ~ 17:30 ● 19:00 ~ 20:30
■ところ  札幌市男女共同参画センター ホール(札幌エルプラザ3F:http://www.danjyo.sl-plaza.jp/
      札幌市北区北8 条西3 丁目 電話011-728-1222( 代)
      JR 札幌駅北口より徒歩3 分(地下歩道12 番出口より直通)
■と き  2011 年12 月11 日(日)・12 日(月)約90 分3 回上映
      ● 10:30 ~ 12:00 ● 13:30 ~ 15:00 ● 18:00 ~ 19:30
■ところ  新さっぽろサンピアザ劇場:http://www.arc-city.com/sunpi-theater/
      札幌市厚別区厚別中央2 条5 丁目7-2 電話011-890-2458
      JR新札幌駅より徒歩約5分・地下鉄東西線新さっぽろ駅2番出口より徒歩約2分

■共通前売り券 1,000 円 ■当日券 1,500 円
チケット取扱い:各関係団体・プレイガイド 大丸藤井、道新、教育文化会館、サンピアザ、デュオ
新さっぽろサンピアザ劇場
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

映画二作品 & 演劇二作品 +1

Posted by 秋山孝二
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 芸術の秋、活動の秋でしょうか、多くのイベントが屋外・室内で目白押しの9月、自分なりに忙しいのですが、映画・演劇には時間を見ては足を運ぶ日々でした。

 「黄色い星の子供たち:http://kiiroihoshi-movie.com/pc/」、「一枚のハガキ:http://www.ichimai-no-hagaki.jp/」、ともに話題作でした。「黄色い・・」は、ナチス占領下フランスの隠された事実の映画化、「フランス国民は多くのユダヤ人を匿った」とギリギリの表現でのフランスの誇り(?)、「隠された事実」の公開に、70年の歳月を必要としたということでしょうか。「一枚のハガキ」は、「新藤兼人監督の映画人生最後にして最高の傑作」と宣伝されていましたが少々がっかり(?)、何となく場面・場面が唐突な感じでした。

「黄色い星の子供たち」&「一枚のハガキ」

「黄色い星の子供たち」&「一枚のハガキ」

 

 一方、演劇でも熱演が続いています。劇団「フライングステージ:http://www.flyingstage.com/top.html」の「ハッピー・ジャーニー:http://www.flyingstage.com/happyjourney.html」、「弦巻楽団:http://tsurumaki-gakudan.com/」の「♯15ラブレス:http://tgakudan.blog98.fc2.com/blog-entry-638.html」は、面白かったです。「ハッピー・・・」は、札幌で開催された「第15回レインボーマーチさっぽろ:http://www.rainbowmarch.org/」と期を同じくしての上演でした。丁寧な作品への仕上げに好感が持てましたし、母親の青函連絡船あたりのセリフは、私も一挙に40年前に時代をさかのぼりました。

「ハッピー・ジャーニー」&「弦巻楽団」

「ハッピー・ジャーニー」&「ラブレス」

 

 もう一つ映画一本、「未来を生きる君たちへ:http://www.mirai-ikiru.jp/」は、感動しました。子供二人の表情・演技が実に素晴らしく、ストーリーが進展していくにつれての心境の変化を見事に表現していましたし、「暴力と非暴力」、「夫婦間の感情」等、様々なテーマが織りなす微妙な感情の揺れが理解出来ました。

 朝晩、すっかり気温が下がっている札幌です。真っ青な空を見ながら、今年も秋の到来を感じる昨今です。

新渡戸・南原賞授賞式2011

Posted by 秋山孝二
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 秋山財団の褒賞事業「新渡戸・南原賞:http://www.akiyama-foundation.org/nitobe/」授賞式が、今年も東京神田・学士会館(http://www.gakushikaikan.co.jp/)で開催されました。これまでこの欄に、何回かご紹介しています。
 
 今年の受賞者は、

三谷太一郎さん(左)と北城恪太郎さん(右)へ花束贈呈

三谷太一郎さん(左)と北城恪太郎さん(右)へ花束贈呈

 授賞式の冒頭で、新渡戸・南原基金の鴨下重彦(http://jura.jp/leuko1/disease/leuko/ldfj/article/kamosita.htm)代表がご挨拶を致しました。 

新渡戸・南原基金代表の鴨下重彦先生

新渡戸・南原基金代表の鴨下重彦先生

 式典後の祝賀懇親会は、100名を越す参加者で盛況でした。ご来賓のトップバッター、内閣府・公益認定等委員会(https://www.koeki-info.go.jp/pictis_portal/koeki/pictis_portal/common/portal.html)の委員長としてご活躍の池田守男(http://www.youtube.com/watch?v=CiamAus_ftQ)さんがご挨拶をされました。「民が担う新しい公共」として、秋山財団の事業を高く評価して頂きました。 

来賓祝辞:池田守男さん(資生堂相談役)

来賓祝辞:池田守男さん(資生堂相談役)

  続いて、日本学術会議(http://www.scj.go.jp/)会長の廣渡(ひろわたり)清吾さんのご挨拶は特に印象的で、「3・11以降、科学者はこれまで市民・社会にどんな貢献をしてきたのかを、厳しく問い直す日々である」とのお言葉でした。文科系として初めての会長就任と、会場でどなたかから伺いました。

乾杯:広渡清吾さん(日本学術会議会長)

乾杯:廣渡清吾さん(日本学術会議会長)

  テレビでもお馴染みの御厨(みくりや)貴(http://www.mikuriya.rcast.u-tokyo.ac.jp/int/index.html)さんは、今回受賞された三谷太一郎先生の門下生で、学生時代に緊張して先生と向き合っていた様子をご披露されていました。

来賓祝辞:御厨(みくりや)貴さん(東京大学教授)

来賓祝辞:御厨貴さん(東京大学教授)

 授賞式のご来賓挨拶の中で、「新渡戸稲造先生、南原繁先生は、『教養』というのは『共感力』と理解していたのではないか」とのフレーズがありました、3・11以降に益々心に残ります。

 秋山財団として、9月14日開催の講演会・贈呈式、先日の授賞式と、二つの大きな行事が終了した今、私は少しホッとしています。特に今年は設立25年目の節目であり、これまでにこの財団活動に絶大なご支援を頂いた全ての方々に、心から御礼を申し上げたい気持でいっぱいです、ありがとうございました。

 25年間を振り返ると、年を経るごとにその価値の蓄積を実感します。「地道な継続の力」、世の中が激変しても変わらない「理念」とか「哲学」、当初から関わった者として、あらためて「高い志」を大切にしたい、そう思います。皆さま、今後とも宜しくお願い致します!!

“脱原発社会は可能だ”

Posted by 秋山孝二
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PARC(http://www.parc-jp.org/)主催のフォーラム「脱原発社会は可能だ:http://www.parc-jp.org/freeschool/event/110923.html」が開催されました。

 第一部:小出裕章さんの基調講演(http://www.ustream.tv/recorded/17446156

 第二部:パネルディスカッション(http://www.ustream.tv/recorded/17448379

小出裕章先生の講演

第一部;小出裕章先生の講演

4名のパネルディスカッション

第二部:4名のパネルディスカッション

明峯哲夫さんと小出裕章さん

明峯哲夫さんと小出裕章さん

 400名近い方々で満席の法政大学会場でした。パネラーは4名。城南信用金庫(http://www.jsbank.co.jp/profile/houshin.html)理事長の吉原毅さんは、「お金は麻薬!」とおっしゃっていました、企業経営者として勇気ある発言の数々です。纐纈(はなぶさ)あや(http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae158hanabusa.html)さんは、映画「祝(ほうり)の島:http://www.cinemajournal.net/special/2010/hourinoshima/」の監督です。明峯哲夫さんはもう何回もこの欄でもご紹介しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%98%8E%E5%B3%AF%E5%93%B2%E5%A4%AB)。小出裕章さんも3・11以降、一層有名になりました。

 原発事故後の社会は、エネルギー分野だけではなく、20世紀後半の都市と農村との関係、食の自給問題等、現代の日本社会の多くの課題を浮き彫りにしました。そして、個々人の頭をフル回転させて、時代を構想する力で切り拓いていくたくましさが必要とされています、一時の熱狂だけではなくですね。

 北海道ではこんな具体的取り組み「エネルギー・チェンジ100:HP(http://www.enechan100.com/blog/)」がスタート、多くの方の宣言も掲載されました、私の宣言はこちら(http://www.enechan100.com/blog/?p=382)。

明峯哲夫さんの「東京日記」より

Posted by 秋山孝二
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 明峯哲夫(http://www.yuki-hajimeru.or.jp/column_5_01.html)さんは、秋山財団の評議員としてご指導を頂いています。震災直後から、ドイツ語サイトで、貴重な日記を送信し続けました。以下、ご本人の承諾を得て、その抜粋を書き留めます。

 

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「東京日記」2011316 411日    明峯哲夫                       

 

以下の文章は、311震災直後ドイツの友人から依頼され、毎日彼の下に書き送ったものである。友人は私と同世代の反原発・自給自足運動家で、小さな村の村長を務めている。私の文章は彼の翻訳により、「Das Tokio-Tagebuch (東京日記)」として彼のサイト(http://www.tacheles-regional.de/)に掲載されている。東日本大震災の一つの「記録」としてお読みいただければ幸いである。

 

326日号 「暗闇」

 

太陽が没する。あたりに暗闇が広がる。太古の人々にとって暗闇は当たり前だった。彼らには物が見えなくなる恐怖はなかったろう。彼らが暗闇を恐れたとしたら、それは夜行性の動物から襲われることだったろうか。人が火を発見したのは、暗闇でも物を見たいからではなく、火の力で野獣を遠ざけるためだったかもしれない。

 しかし現代人が暗闇を恐れるのは、野獣に襲われるためではむろんない。物が見えないことそのものを恐れているからだ。こうして現代人は明るさを求めて「火」を次々と進化させ、ついには「原子の火」を弄ぶまでになった。

 なんでも明瞭に見えなければ気が済まぬ現代人は、すべてのことを明晰に理解しなければ気が済まない。現代人が恐れるのは野獣ではなく、「暗愚=無知」である。こうして徹底した明晰さを求める人間は「科学」をひたすら発展させ、その科学が「原子の火」を生んだ。

 今は夜。我が町は「計画停電」のさなかにある。私は小さなろうそくの灯をたよりに、こうして文を紡いでいる。「原子の火」に依存しないくらしは「暗闇」を恐れないことを意味するはず。つまり「無知」であることを恐れないことだ。人間の眼は「暗闇」に慣れる。暗闇の中でこそ人の直感は研ぎ澄まされ、物の気配を正しく見分けることができる。とすれば人は「無知」であればこそ、実は事の真実を見抜くことができるはずではないか、などと・・・。

 おっと、電灯が点いた。思わずほっとする。私も紛れもない現代人である。

 

 

42日号「消えない火」

 

 用事があり、東京湾岸を電車で千葉まで行ってきた。湾岸は高い煙突が林立する石油化学コンビナートが何十キロと続いている。東電の火力発電所も5基ここにある。幸い東京湾岸は津波の被害はなかった。しかし地震直後この一角にある石油製油所で配管から漏れ出した天然ガス(ブタン)が引火、ガスタンクが次々と爆発炎上した。一時は上空800メートルまで炎が上がり、一帯は真黒な煙に包まれたという。火災は延々と続き、ガスが燃え尽きた10日後にようやく鎮火した。電車の車窓から遠くに見たコンビナートは、今は平静を保っているようだ。

 3月30日、東電会長は地震後初めての記者会見で、福島第一原発1~4号基は廃炉にすると述べた。冷却機能が回復した56号基については言明しなかったが、政府のスポークスマンはこれらも廃炉にすべきとの見解を示している。

 廃炉にするには、まず稼働中の原子炉を冷温停止状態にしなければならない。冷却装置が動けばこれは12日で完了するというが、現在もなお冷却装置は動いていない。冷温停止した核燃料を安定させるには、さらに34年冷却プールで冷やし続けなければならない。さらに施設や原子炉を解体しそこを完全な更地にするには20年、30年の歳月が必要という。しかしそれでもどこかに移され保管される使用済み核燃料は、さらに長期間放射線を放出し続ける。プルトニウムの半減期は24000年、ウランは162000年。

 化石燃料の火は燃え尽きれば、鎮火する。しかし原子の火は半永久的に消えることがないのである。

 

 

410日号「希望」

 

 あの日。

火の見櫓(やぐら)で半鐘(はんしょう)を鳴らし続けながら、津波に呑みこまれた消防団の男性。「逃げて!」と防災無線放送で住民たちに叫びながら、濁流に姿を消した町役場の若い女性職員・・・。

そしてそれから続く日々の中。

町の再生は原発の復旧からと、避難先から危険な現場に戻ってきた若い原発労働者。人々から日用品を途切れさせまいと、店を守り続ける自主避難地区の店主。従業員たちの給料を支払おうと、金策に走り回る被災した小さな工場の経営者。原発から近い町で、診療を続ける医師と看護師。避難場所でゴミの分別を呼び掛ける男性。村に留まり、牛の世話に余念のない避難区域の農民。自らも被災し、家族を失いながらも不眠不休で奔走する役場の職員。救援にやってきた若いアメリカの兵士に、何度も頭を下げながら手にした一枚の米菓を差し出す老婆。そしていつ終わるとも分からぬ仮の生活に、取り乱すことなく耐える無数の被災者たち・・・。 

被害の全容が未だ杳(よう)として不明のこの大災害。しかし勤勉で、責任感が強く、礼儀正しく、律義(りちぎ)、こうした人々が健在である限り、この国には確かな希望がある。

明日で被災1か月。

それでもまた明日、種をまこう。

 

 

411日号 「天国はいらない、故郷を与えよ」

 

 「種(たね)を蒔くな、収穫するな、食べるな、出荷するな、・・・そこに住むな」。これらは「故郷」に生きる人々への「国家」による迫害である。「国家」の武器は「数値」だ。大気、土、水、海、農産物、魚介類、飲用水などなどの汚染・・・。○○シーベルト、××ベクレムという数値が踊る度に、「故郷」に生きる人々は惑い、追いつめられていく。「原発」はこうして「故郷」を破壊した。科学の粋を集め、権力の限りを尽くしその「原発」を作ったのは、他ならぬ「国家」だ。

 首都・東京。光溢れるこの都は人々を魅了する「天国」か。「天国」は「原発」により支えられている。「原発」の喪失は「天国」から光を奪った。今「天国」は深い闇の中に沈む。

「故郷」を追われた人々はどこへ向かうのか。「天国」を失った人々はどこへ彷徨(さまよ)い出るのか。人々の安住の地はいずこか。

 

「天国はいらない、故郷を与えよ」(セルゲイ・エセーニン)

 

(「東京日記」はひとまず本号をもって、ページを閉じます。お読みいただいた方々、そして私に執筆の機会を与え、翻訳の労を惜しまなかったRichard Pestemer君に、あらためて感謝を捧げます。またの機会に。)

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福祉フォーラム、「共に生きる」

Posted by 秋山孝二
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 社会福祉法人ノマド福祉会(http://www.nomad-haru.com/)、社会福祉法人はるにれの里(http://www.harunire.or.jp/)が中心となっての実行委員会主催、福祉フォーラム「共に生きる~地域と共にある福祉をめざして~:http://www.haot.jp/wp/wp-content/uploads/2011/08/f92b1250a4748357d0b8b612713d4ff01.pdfが、満席の聴衆で大盛況でした。

福祉フォーラム

福祉フォーラム「共に生きる」

 第一部の基調講演は、内閣官房社会福祉改革担当室長の中村秀一さんが、「社会保障制度の将来ビジョンを考える~介護・医療・年金・障害者福祉は~」と題してお話をされました。

 第二部のシンポジウムは、「地域と共にある福祉とは ~福祉の実践を通してめざすもの~」のテーマで、素晴らしい実践報告が3名のパネラーからなされました。

1.精神保健福祉分野:向谷地 生良 さん(北海道医療大学教授 社会福祉法人べてるの家:http://urakawa-bethel.or.jp/ 理事)

2.自閉症&知的障がい者福祉分野:木村 昭一 さん(社会福祉法人はるにれの里 統括施設長)

3.高齢者福祉分野:油谷 香織 さん(社会福祉法人 ノマド福祉会 統括施設長)

現場からの報告&意見交換会

現場からの報告&意見交換会

 縦割り行政からの視座ではなく、地域から「共に生きる」福祉を考えると、三つのの概念はほぼ同じであることに気づきます。すなわち、「当事者」が主役であり、福祉研究も「当事者研究」をベースにまちづくりを推進すること、今、「きずな社会」があらためて求められていること、3・11以降の被災者支援「絆社会」の再評価こそ、長い間障がい者が求め続けてきたものであること等です。

 「やり過ぎない支援」、「世代間交流の意義」、「世界的流れ、心の病は薬物依存から自己治療へ」、「生きづらさの共有」等、「当事者研究」のキーワードが満載でした。

 「総合的な福祉」、「地域と共に生きる福祉」をテーマに、定期的な全国大会開催に向けて、また一歩進んでいくエネルギーも披露されました、新しい時代が確かに始まっています。

北の映像ミュージアム、ほか

Posted by 秋山孝二
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 「多彩なイベント」とつい先日書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9906)、今年100周年を迎える大通公園(http://www.city.sapporo.jp/ryokuka/top/odori100/index.html)及び周辺では、まだまだ続いています。

 私も一会員のNPO法人「北の映像ミュージアム:http://kitanoeizou.net/modules/official/index.php/main/top.html」の常設展示場が先日オープンしました。(株)セイコーマート(http://www.seicomart.co.jp/company/index.html)は、道内1000店舗開店の記念事業として、このプロジェクトに2000万円の協賛とのことでした、グッド・センスですね。

「北の映像ミュージアム」、テープカット

「北の映像ミュージアム」、テープカット

 テープカットされたお一人に、社長の丸谷智保さんもご出席でした。彼は、30年程前、北海道拓殖銀行光星支店にいらっしゃって、当時私が(株)秋山愛生舘の経理部長だった時の担当者でした、素晴らしく優秀でしたね。何回か一緒に食事をしたりして、十勝の池田町町長だったお父様が、「十勝ワイン:http://www.tokachi-wine.com/」を育てあげた過程をお伺いしたりしました。その後、ニューヨーク支店勤務の時は、9・11で崩壊したあの「ワールドトレードセンター」の高層レストランで、当時の確か後藤支店長と3人でお食事をご馳走になったのを覚えています。その他、たくさんの想い出も尽きません。彼の誠実な人柄、堂々たるビジネススタイル、久しぶりにお会いしても全く変わっていなくて、嬉しかったです。頑張って下さい、丸谷社長!

 「さっぽろ芸文館」一階でのテープカットに続き、中央区南2条西5丁目で、映画「大地の侍:http://www.touhoku.com/0a-02-iwadeyama.htm」、「喜びも悲しみも幾歳月:http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD8380/」が上映されました。満席の映画館、前から5番目席で観るのも久しぶりでしたね。 「大地の侍」では、大友柳太朗、高千穂ひづる、杉村春子、宮口精二ほか、「喜びも悲しみも幾歳月」では、佐田啓二、高峰秀子、懐かしくもあり風格に感動したり、思いは様々でした。

 一方大通公園では、「さっぽろオータムフェスト2011:http://www.sapporo-autumnfest.jp/」は、10月2日まで開催中。朝早くからたくさんのお客さんで賑わっていました!

さっぽろオータムフェスト2011

さっぽろオータムフェスト2011

朝から大変な賑わいです!

朝から大変な賑わいです!

 映画「大地の侍」を観ていて、何か3・11以降の福島県の皆さんと重なって、大地の意味する「重さ」を痛感しました。「面積」としてだけの土地ではなく、「文化」、「誇り」として、生きる「拠りどころ」としての心の支えが、「大地」なのでしょうね。

「さよなら原発集会」、過去最大規模

Posted by 秋山孝二
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 「http://www.youtube.com/watch?v=k5Q5cRWpQaU

 「民の力」を、なめちゃいけませんよ!

 何もコメントする必要はありません、これだけの人が集まった事実、それを報道しない全国紙・マスメディア、その事実、しっかり両目を大きく開けて見つめなければなりません。海外の報道はこちらに一覧です(http://togetter.com/li/190288)。

 動画の36分30秒過ぎからの「福島ハイロアクション」武藤類子さんのアピールは心に沁み入ります

 「明治公園に6万人」、反射的に思い出しました、1969年6月15日の集会を。

 札幌の会社では、こんな垂れ幕も現れました、3・11以降、確かに時代は変わってきています。

企業も意志を明確にし始めました

企業も意志を明確にし始めました

秋山財団、<25周年記念>

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 「公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)<25周年記念>講演会・贈呈式」が先日開催されました。毎年9月に行われていますが、今年は設立25周年記念の節目となりました。当日、私自身は写真をとる暇がなく、リアルな現場の模様をお伝えできないのが残念ですが、後日HPにアップ出来ると思いますので、そちらでご覧いただけると嬉しいです。

 テレビ・ラジオ・新聞でもお馴染みの北海道出身・寺島実郎(http://terashima-bunko.com/)さんの講演会には、約300人の聴衆が参加し、熱心に聞き入っていました。

 最近の寺島実郎さんは、2011年5月10日に親鸞聖人750回忌講演会で「今を生きる親鸞」の題でご講演、ご存知のように、親鸞は浄土真宗の開祖であり、50年前の700回忌の講演会演者が鈴木大拙(禅文化・仏教学者:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E6%8B%99)で、寺島氏は現在、鈴木大拙の鎌倉・松ヶ岡文庫(http://matsugaoka-bunko.com/ja/index.html)の理事も務めていて、不思議なご縁を感じます。

 またそれに先立つ2007年8月4日には、90年の節目の高野山大学(http://www.koyasan-u.ac.jp/)夏季講座、で、「現代に生きる空海――経済人の視点から学ぶべきこと」と題してご講演、これまでにこの場では、新渡戸稲造、司馬遼太郎等の方々もお話をされています。

 さらに、直近で発売された月刊誌「世界:http://www.iwanami.co.jp/sekai/」10月号では、連載「脳力のレッスン」で、自らこの10年のご自分の発言を検証・総括されています。 

講演会パンフ:今年は25周年記念として演者に寺島実郎氏

講演会パンフ:今年は25周年記念として演者に寺島実郎氏

 その後に、受賞者、来賓、財団関係者が出席して、贈呈式が行われました(http://www.akiyama-foundation.org/what/index.php?year=2011&mon=06&day=30#36)。

来賓として北大・佐伯総長、財団賞受賞者・浅香正博先生

来賓として北大・佐伯浩総長、財団賞受賞者・浅香正博先生

 冒頭の私の挨拶で、財団の現況をお越し頂いたみなさんにご報告しました~~~~~以下、引用です。

1つ目は、一昨年12月から、「公益財団法人」という法人格として、順調に活動を始めており、つい先日は北海道庁担当者による最初の監査も終了しました。「民が担う新しい公共」として、確実に財政基盤を固めつつ、なお一層311以降の北海道の将来に向けて貢献する決意を新たにしています。

 

2つ目は冒頭にも申し上げましたが、今年、秋山財団設立25周年を迎えるにあたり、昨年度から「記念事業」を推進しています。昨年の片桐一男先生の記念講演会はその第一弾であり、この財団の原点であります「『愛生舘事業』の志」を再度確認する意図で開催致しました。今年は、それをまとめた「ブックレット」の発刊、資料・書籍の収集・調査研究の継続、そして今年7月には片桐先生による5日間連続の「古文書講座」を開催して、広く本州からも含めて多くの市民のご参加を頂きました。

 

3つ目は「コラボレーション」、「ネットワーク」の視座、拡がりへの期待です。いわゆる研究分野での「アウトリーチ活動」であり、市民活動分野での「コラボレーション」です。たとえば、昨年財団賞を受賞された上田宏先生は、今年の札幌でご自身が主宰する国際学会で「市民講座」を開催されました。市民活動助成では、当財団と前田一歩園財団さんとの共同で報告会を開催し、その模様をustreamでライブ・録画配信して多くの方々と共有しました。また、研究助成の募集要項には、「アウトリーチ活動」の要望を書き込みました。これから益々、ソーシャルメディア等も駆使した研究者と一般市民とのコラボレーションが、成熟した市民社会の醸成に寄与すると信じています。http://www.akiyama-foundation.org/what/index.php?year=2011&mon=07&day=01#37

 

4つ目は、今検討中のものですが、財団と助成受領者・団体との「パートナーシップの形成」です。今年度中に、「秋山財団の未来像2011」を策定し、助成受領者には論文掲載等の機会提供支援、受領団体とは密接な活動報告とアドバイス等、インターネットのホームページも駆使して、共に進化していく財団でありたいと思っています。

 

以上ご報告しました様に、当財団は一歩一歩ではありますが、皆さま方の率直なご意見・ご提言に耳を傾け、25周年を節目として、財団の初心である「生命科学(いのち)の視座」を忘れることなく、着実に前進して参りたいと思っています。

 贈呈式後の懇親会にも多数ご参加を頂き、多くの交流が図られたようで良かったです。年に一度の財団としてのメインイベントが大盛況で終了し、また来年からワンランク上のステージで少しでもお役に立ちたいと気持を新たに致しました。

 なお、「新渡戸・南原賞:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35」の受賞式は、9月26日に東京神田・学士会館で開催予定です。昨年の様子はこの欄にも書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6170)。東京でも新たな出会いがあることを楽しみにしています。

 これまで秋山財団を応援して頂いた皆さまに、心から御礼申し上げます。今後とも宜しくご指導をお願い致します。

未来を壊さないエネルギーのはなし

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  田中優さんの講演会「未来を壊さないエネルギーのはなし」が、200名の参加で大盛況でした。副題は、「~考えてみませんか?未来を照らす「あたらしいエネルギー」のつくり方、つかい方~」です。

■□■□◆◇◆◇■□■□◆◇◆◇■□■□◆◇◆◇
   “持 続 す る 志”    <優さんメルマガ:http://tanakayu.blogspot.com/

全国を飛び回る田中優さん

全国を飛び回る田中優さん

 講演の様子はこちらから:

 * 第1部(講演・約時間)⇒http://ow.ly/6sA3N

 * 第2部(質疑応答)⇒http://ow.ly/6sA4X

或いは

 * 第1部(講演)⇒
http://www.facebook.com/l/nAQDdlSNLAQA_PdQt4qSfbGvN4asU9Udfvsi8r5smADG4zQ/ow.ly/6sA3N 

 * 第2部(質疑応答)⇒
http://www.facebook.com/l/1AQCJou9kAQB7d57NI8rW2CPO3e-Pm8Ev2I3k3j5HceUUkQ/ow.ly/6sA4X

 

 講演内容は是非録画をご覧ください、あっという間の2時間で、たくさんの今後へのヒントを頂きました。たとえば、これまでの原子力政策に関して、どうして巨大施設が建設され続けるか、どうしてプロパガンダが継続できるか、推進する構図を端的に指摘されていました。1)メディア、2)金融機関、3)大手建設会社(ゼネコン)、4)政治家、5)地元知事(「政策協定」締結当事者)の各権益として、です。

 誰が電気を消費しているのか?なぜ事業者はピーク時をつくるのか?市民の希望はなぜ通じないか?等について、次々と明解なお答えでした!!

 「スマートグリッド」のキーワードは: 省エネ製品、バッテリー、電気自動車、自然エネルギー、IT

 北海道の<コ・ジェネ>における比較優位性が多いにある、運動の広がりを創り出していく視点から、たくさんのメッセージでした。それも、彼のこの間の地道な活動を総括しての絞り出すようなお話で、かつ分かりやすくて素晴らしかったです。「エネルギー」に集中してのお話、昨今ともすると放射能汚染関連で満載となる講演を、今の北海道的課題に置き換えての2時間のお話と質疑応答、大変中身の濃い時間でした。

 3・11以降の「エネルギー」チェンジは、「食の安心・安全」と同じように、私たち一人一人の問題であり、国とか専門家とか電力会社にお任せでは危ういですね、顧客として、今を生きる日本国民として、放射能汚染ではそれこそ世界に対しての責任も持たなければなりません。今、議論を深めて、声を挙げずにいつやるのでしょうか!!!

国際微生物学連合(IUMS)2011会議

Posted by 秋山孝二
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 9月の札幌は、多くのイベント・会議が目白押しです。「国際微生物学協会連合(http://www.congre.co.jp/iums2011sapporo/index.html)2011大会」が、先日札幌で開催され、海外からも含めて4000人の参加者で盛況でした。日本では大阪での後、21年ぶりに札幌で開かれました。今回の札幌大会の大会長・冨田房男先生は、平成14年度の秋山財団・財団賞(http://www.akiyama-foundation.org/history1/)を受賞されています。

札幌コンベンションホール入口で:日本で21年ぶり、札幌では初めての開催

札幌コンベンションセンター入口で:札幌では初めての開催

 私は、二つの公開プログラム(http://www.conventionsapporo.jp/j/meeting/outreach/images/iums.pdf」)に参加しました。

 一つは公開講座:「高峰譲吉――北里柴三郎」で、 高峰譲吉(http://www.npo-takamine.org/)と北里柴三郎(http://www.kitasato.ac.jp/kinen-shitsu/)について、海外の研究者を含めて、多角的な人物像を紹介していました。

市民公開講座(1)

市民公開講座(1)

ワシントンのさくら、日米協会設立の経緯など

ワシントンのさくら、日米協会設立の経緯など

  高峰譲吉は、タカジアスターゼ、アドレナリン、ワシントンの桜、日米協会、三共(株)の初代社長等、大変幅広い分野での活躍で大きな足跡を残しました。

 もう一つは、市民公開講座:「限りなく広がる微生物の世界:後援(NBRC:http://www.nbrc.nite.go.jp/)」で、別府輝彦(http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/hakko/history.html)先生、喜田宏(http://www.hokudai.ac.jp/bureau/news/jihou/jihou0506/615_02.htm)先生のお話は興味深かったですね。

 喜田宏先生は、秋山財団の平成14年度講演等助成を受賞(http://www.akiyama-foundation.org/history6/index14.php)されています。別府輝彦先生は、「未知の大陸―新しい微生物世界を探る」と題して、「微生物種の多様性は、コロンブスの大陸発見にも匹敵する新しい世界の発見」であり、「『微生物共生系』は、ガイアとしての地球それ自体を意味する壮大な共生体である」こと。喜田宏先生は、「鳥インフルエンザとパンデミック対策」、「季節性インフルエンザの克服こそが、パンデミックインフルエンザ対策の基本である」と、今の対策の問題点を指摘していました。

 限りなく拡がる微生物の世界、ミクロな話は実に壮大(マクロ)でした。

重たい、原発関連二つの映画

Posted by 秋山孝二
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 3・11の東京電力福島原発事故は、今なお緊迫した状態で推移していますが、6ヵ月を過ぎてこの所、テレビでも映画でも、検証・調査的な番組・作品が上映されています。

 映画では、「チェルノブイリ・ハート:http://www.gocinema.jp/c-heart/」ですね、「事故から25年・・・・、まだ終わっていない」で始まりますが、子供たちへの影響はまだまだ未知のことも多く、映っている人物もその後亡くなっていたり、それゆえの悲惨さを感じます。子供たちの表情が何とも切なく、胸に刺さります。

今なお続く被曝被害、恐ろしいことです

今なお続く被曝被害、恐ろしいことです

 もう一つは、「あしたが消えるーどうして原発?http://www.cinematoday.jp/movie/T0010562」です。1時間弱のドキュメンタリー映画で、原発設計者の証言がリアルです、抜粋の動画(http://www.youtube.com/watch?v=4lvvCEVF7vg)でも見られます、実に怖い話であり、22年前の映画とは思えません、まさに「想定内」の出来ごとでした。

  私の場合、しかしながらただ怖がってばかりではいられません。エネルギー政策とか言う前に、子供たちの人権を今を生きる世代としてどう守っていくのか、基本的生存の問題です。

 それ故に、今福島にいる子供たちへの放射能汚染は、限りなく少なく防御しなければならないでしょう。基準がどうこう言う前に、命を守るためには時間がそうたくさんはありません。
 一つ前に掲載した足立直樹さんの新しいメーリングがきました。今、実際に活動している方々の思いを読みとれますので、引用します。
~~~~~~~~~~~~~~~~引用はじまり
 既にいろいろなことをこの半年の間に変えた人たちは、空気を読むことの危険性に気付き、あえて空気を読まずに、自分の頭で考え、行動を起こした人たちです。周りが変化するのをじっと待つのではなく、自分で新しいものを作ったり、新しい世界に身を投じたのです。
 たとえば今週は、孫正義氏が呼びかけた自然エネルギー財団がいよいよ始動し、明日、明後日は世界中から駆けつけた専門家が、自然エネルギーによる持続可能な社会作りを目指すための戦略を練り、提言を行います。私もその専門家会議に参加することになっており、この新しい仕組み作りに加われることをとても嬉しく思っています。
 景色はまだ変化していないけれども、風向きは既に変わっているのです。自分の周りの空気を読んでいるだけでは、この大きな流れには案外気付きにくいのかもしれません。なにしろ、周りの空気はすっかり淀んでしまっているかもしれないのです。
 大きな時代の流れに取り残されないためには、横並びはむしろ危険と思った方がいい状況になってきたのかもしれません。空気を読むのではなく、時代の風を読む、そんな意識を大切にしたいと思います。
                                                サステナビリティ・プランナー 足立直樹
▼新著『もう空気は読まなくていい ~ポスト3.11を生き抜くために~』
■足立直樹 新著 ワニブックス【PLUS】出版  価格798円(税込)
→Amazonからも注文できます。
http://www.responseability.jp/mm/97he/a07mx5×0ci4hukcagfBCX
→Twitterでも本の宣伝、ならびに読者から寄せられた感想が紹介されています。『もう空気はよまなくていい』公式@mky311
http://www.responseability.jp/mm/97he/a07my5×0ci4hukcagfWYo
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり
 3・11以降、すでに行動を起こし始めている方々が大勢います。福島原発行動隊(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9664)も同様です。出来ない、やらない理由を100語るよりも、今、それぞれの「個」が出来る場から小さな一歩を踏み出しましょう、次の世代の生存のためにですね!

「命の世話」と向き合う

Posted by 秋山孝二
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 先月までの4年間、第16代大阪大学総長だった臨床哲学者の鷲田清一(http://www.isc.meiji.ac.jp/~nomad/washida/menu.htm)さんが、日曜日朝のテレビで静かに語っていました、「『命の世話』と向き合う」です。

 NHK教育テレビでは、心に沁みる番組がありますね(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=NHK%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93)。3・11の大震災後、何か生きていることの意味合いが変わってきているような気がします。以下、幾つか印象的だったフレーズを。

* 「命の世話」を引き受ける

* 「Responsibility」の意味は、「Response:応答・反応」+「Ability:能力」であり、日本語訳の「責任」とは意を異にする。「Community」の「パブリックな事がら」をもう一度引き受け直す、それが「Responsibility」の本来の意味

* 大切なものを失った時、「自分の人生を語り直す」プロセスが大切、そして最後まで自分で語り終えることも<R.D.レイン(Ronald David Laing):http://d.hatena.ne.jp/keyword/R%A1%A6D%A1%A6%A5%EC%A5%A4%A5%F3

* 「聴き役」の心得は、1)相手が語り切るまでひたすら「待つ」こと、言葉が出て来るまで「待つ」こと。<感心する才能>、2)他人との関係の中で考える、自分の時間を相手にあげること、3)自分の中で完結させない、すなわち「命の世話」と向き合うこと

* 自分の名前は、人から頂いたもの、それは「相対化した自分」と向き合うことを意味づけられている

 

 休日の朝、頭が一番すっきりしている時間帯に、根源的・哲学的なお話が入ってくるのは心地良いです。この番組を見ていて、思い出した方がいます、「株式会社レスポンスアビリティhttp://www.responseability.jp」代表取締役の足立直樹さんです、これまで企業と生物多様性の保全に対してメッセージを発信し続けています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2990)。 秋山財団の「ネットワーク形成事業」の一つ、「社会企業研究会」で第一回のゲストとして興味深い講演をして頂きました(http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html)。先日届いたメーリングの最後に、「・・・・・、 何かおかしくなりつつあることに、みなさんはもう気がついているはずです。問題は、いつ行動を起こすかです。それが、持続可能になれるかどうかの分かれ道なのだと思います。――サステナビリティ・プランナー 足立直樹――」と書かれていました。

  「2001.9.11」からちょうど10年、「2011.3.11」から6ヵ月、犠牲になった皆さまのご冥福をお祈りしながら、身の引き締まる思いの今朝の私です。

「Socimo」論の説得力!

Posted by 秋山孝二
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 私も会員の日本ファンドレイジング協会(Jfra:http://jfra.jp/)主催のセミナーは、今年2月に多数の参加者で開催され、新時代の到来を感じましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7411)、先日は、「つながりを楽しみながら社会を変えていく~創造的なコミュニティの作り方」と題して、ソーシャルコンテンツプロデューサー・(株)SCOP(http://s-cop.jp/)代表の山名清隆(http://whosereal.causepark.jp/social_marketer/post_56.htmlさんの講演がありました。「Socimo:Social Motivation」論、面白かったですね、HPに記載されているプロジェクト、どれも皆大変ユニークです、特に「日本愛妻家協会」の「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ:http://www.aisaika.org/index2.html」なんて、何ともユニーク中のユニークですね!

山名清隆さんの熱弁!

山名清隆さんの熱弁!

 

 「Socimo:Social Motivation」論、印象に残るフレーズの連発でした!

* ソーシャル・モチベーション(略して「ソシモ・SOCIMO」)とは、ひとりの人が社会にポジティブにアプローチしていく動機、それによって「ムーブメント」を創り出す

* 「叫ばれキャベツ」は、「なまもの」であり、男の「勇気野菜」:来年開催予定の第1回「嬬恋(つまごい)キャボス会議:http://www.kyabosforum.com/report.html

* 「自分超え現象」:自分との関係性発見(カッコいいおもしろそう)→>モチベーションの触発(オレにもできるかも)ー>参加&行動(ひとまずやろう)===>自分超え現象(世の中と関係している実感・誰かとつながっている感じ:新しい自分)

* 「Soccimo:ソシモ」、「Famemo:フェイモ、有名になりたい」、「Manemo:マネモ、お金を得たい」の関係性

* 「THEORY U」、Dr.C.Otto Scharmer

* 「私」という制限を越えていくと、「覚悟」が生まれる

* 「働き方を変える」ということ: 「依頼に応えるくん」 から 「期待を高めるくん」 へ

* 新しいプロジェクトは、モチベーションが「動き出し」、「集まりはじめ」、「まわり出す」

* 3次元ワークスタイル: 自分がするという主体的「意志」を立てると、視点が多観点化され創造性が再生し、広大な構想空間が出現する。依頼が期待へ、、指示が共感へ、要望が希望へ、予想が可能性へ変わっていく : サッカーでいう「スペースを作る」と同じ発想

* 4次元ワークスタイル: 思考の制限から離れてアイディアを「放牧する」感覚!

* 正直さと大胆さと勇気の表明をすると、創造的な対話空間が生まれる~共感の波が広がり出す

 

 そして、最後に山名さんは言いました、

「ファンドレイジング」は「アート」である、人を巻き込み、温度を上げる!!!    その通りですね!