ビハール号事件(4)

Posted by 秋山孝二
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 昨日の東京は、昼前に猛烈な豪雨と雷、東京駅丸の内地下街への入り口の階段は、まるで滝のように水が勢いよく流れ落ちていました。そして、今日の午前中の札幌、突然空が暗くなり、同じように雷鳴とどしゃ降りの雨です、今はもうすっかりあがって日差しも出ています。気温も空の様子も、急に、秋の気配です。

 「鎮魂」という言葉が、今年のお盆は特に重たいですね、3月の震災の影響か、先日の北海道新聞5回連載記事の余韻かは判りませんが・・・・。この1週間、たくさんの方々とメールのやり取り他、ご意見・ご感想をお寄せ頂き、いつもとはひと味もふた味も違った終戦記念日前後でした、幾つかご紹介致します。

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<私の叔母から>

記事を繰り返し重い心で読みました。表現できないことが多いですが私だけの感想を簡単にのべてみます。

* ハンガリーとの違い:ハンガリーは戦時中、自国をロシアに蹂躙され、それに応戦するドイツにも国をことごとく破壊されました。したがって国民は国を守る為に戦ったので、敗れても、ひどい目にあったがベストを尽くしたと思っています。ナンドールも故郷が戦場で戦いました。
* 最近テレビドラマで時々戦中、戦後の物語が放映されますが、私(80歳)共の世代から見ると 悲惨な、苦しいことばかり強調されて、クラスメート皆で「楽しいこと、美しいこともいっぱいあったのにねー」と、何か別の世界が映されている感じです。人間として偉い、尊敬する軍人も民間人も多かったです。宏お義兄さんの白い制服に短剣を帯びて、もの静かに歩く姿も神々しい感じでした。今そんな大人が何人いるでしょうか。この頃、民主主義に疑問を持つことが多いです。独裁者は嫌ですが、選挙のシステムなど根本的に考える必要があるように思います。

<永年の友人宛のメールから>

うちのオヤジも満州に行った陸軍二等兵ですが、通信部隊だったそうですが、やはり詳しいことは口をつぐんでいましたが、戦友とは最後まで仲が良かったのと、国(政府)というか権威というものを全く信じなかったことがとても印象に残っています。私の喉に刺さるが如くの小骨だらけの反骨精神もこのへんのオヤジの影響かも知れません。

ビハール号事件は明治の軍隊ではあり得ない事件だと思います。組織も人間も簡単に劣化していくことを無残でかつみじめな形で表した事件だと思いますが、劣化は当然他人事でも昔の話でもありませんので、まさに教訓の宝庫なのでしょう。

事件の主役となった重巡「利根」は、砲弾が散らばらないように艦首部に主砲4基を集中した珍しい艦ですが、被告の黛治夫艦長は、砲撃の理論家でも有名でもあったのでこの記事を読んで驚きました。そんなことがあったのか、です。

海軍はその性格上技術屋の集団(艦という機械と電気で出来た動く設備・装置に乗っかった軍隊)ですので、観念的なことは嫌ったはずですが、理論・理屈でははったりには対抗できず、あちこちに青年将校という名の無責任なはったり屋がはこびりだしてこういうことになっていったのだと思います。本来の責任は戦隊以下の現場(現地部隊)ではなく、艦隊司令部とか連合艦隊司令部などの上級司令部でしょうね。記事では軍令部とありますが、キーマンは艦隊司令長官でしょう、南西方面艦隊の高須中将ですね。

陸軍では有名なビルマの山岳地帯を舞台にしたインパール作戦があります。この作戦は軍事理論無視の無茶苦茶で有名ですが、この話も知れば知るほど怒りがこみ上げてきます。担当した軍司令部とその上の方面軍や南方総軍司令部の現地部隊への無理難題が、多くの将兵を死に追いやった他、作戦を担当した4師団の師団長が命令違反で全員解任されるという、陸軍史上始まって以来の事態を引き起こしました。

こういう陸海軍共通した話は、現代の企業戦士の自殺や過労死に通じる話ではないか、と思っています。その意味ではその昔あった話ではないのですね。われわれには被害、加害を問わず、これらの事件と同じ体質を持っているということだと思います。

<私から知人Aへ>

記事の余韻はまだ続きます。昨日は財団事務所に市内の方から電話を頂き、お父様の介護の時に、秋山愛生舘の関係する方にお世話になり、そのお礼を言いたかったと。また、数日前にはやはりお電話で、お父様が「利根」の乗組員だったそうで、ビハール号事件の時に乗っていたかどうかを確認出来ないかというお問い合わせでした。東京・目黒の防衛研究所・図書館閲覧室をご紹介しました。

<私から知人Bへ>

先日、実は戦史に詳しい方とお話をしました。彼の言では、イギリスの戦犯裁判とアメリカの戦犯裁判とでは、随分その処分が違っていると。アメリカの場合は、「怨念」がかなり強く、捕虜3人の殺害事件に対して、戦犯7人の絞首刑とかもかなりあったそうです。ビハール号事件では、65名の捕虜殺害に対して、幹部とは言え1名の絞首刑、1名の実刑7年判決というのは異例の「軽さ」であり、これは英国の日本海軍への敬いとか歴史の尊重とかと考えることが出来るのでは、という見解でした。手を下した人々が一人も裁かれていないというのも、犠牲になったお二人の「武士道精神」を英国が根底では受けとめたのでは、と。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 一昨日でしたか、NHK・BSプレミアム(http://www.nhk.or.jp/shogen/)で「シベリア抑留」についての番組がありました。内容は、「戦後、57万を超える日本人が強制労働を強いられた『シベリア抑留』。過酷な収容所の日々、そして戦後日本での苦難。激動の歳月を、人々はどのように生き抜いたのか?」です。

 番組HPには、「過酷な労働を強いられ、少なくとも5万5000人以上が命を落としたとされる『シベリア抑留』。苛(か)烈な生存状況を激化させた日本軍組織の矛盾。スターリン体制のもとで行われた旧ソ連の徹底した思想教育。新たな苦難を余儀なくされた冷戦下の戦後日本。60年を超える激動の日々を、人々はどのように生き抜いたのか? 今も、深いかっとうを抱え続ける元抑留者たち。肉声で語るシベリア抑留の記録。」とありました。日本軍の中での葛藤、帰国後の苦難等、見応えがありました。

 それぞれの戦争体験、それぞれの想い、いずれも実に重たい話です、特にこの2011年は。鎮魂の8月は続きます。

お盆、千葉県館山市では

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 千葉県館山市(http://www2.city.tateyama.chiba.jp/Guide/?tpcid=44&stoid=19961)は、夏は海水浴客で賑わいますが、お盆を過ぎて、夏休みの皆さんも峠を越した感じです。

海岸も海水浴の峠は越えて

静かな館山市鏡ヶ浦方面を望む

 国の律令体制の下、安房(あわの)国は国分寺も置かれ、館山が政治・経済・文化の中心となりました。源頼朝が鎌倉幕府を開き、諸豪族が鎌倉の影響を強く受けて支配していたとされています。戦国時代に入り、里見氏が豪族を支配し始め、戦国大名として成長を遂げ、江戸に幕府が置かれた後も、外様大名として安房を中心に勢力を維持します。やがて幕府によって山陰地方に移されるまで、10代170年にわたって房総を統治しました。

城山公園の館山城(復元)

城山公園の館山城(復元)

 私にとって、館山の海と言うとヘリコプターが必ず思い出されます。今日も、館山市内鏡ヶ浦沖の海ではどこの部隊か、ヘリコプターの着艦訓練が繰り返し行われていました。

沖ではヘリコプターの着艦訓練

沖ではヘリコプターの着艦訓練

 そして、いつものことながら、海上自衛隊館山航空基地では、ヘリコプター訓練が朝から夕方まで行われています。平成20年3月から改編されて、正式には、海上自衛隊第21航空群(http://www.mod.go.jp/msdf/tateyama/)というようです。

<第21航空群部隊改編:HPより>
第101航空隊、第121航空隊、第123航空隊廃止
第21航空隊(館山)新編
第73航空隊(硫黄島航空分遣隊、大湊航空分遣隊)新編
隷下に編入( UH-60J型 ヘリコプター配属)
舞鶴航空基地隊、第123航空分遣隊、第2整備補給分遣隊廃止
第23航空隊(舞鶴)新編
大湊航空隊廃止、第25航空隊(大湊)新編

海上自衛隊館山航空隊で、ヘリコプター訓練

館山市宮城の基地でヘリコプター訓練

 時の経過とともに、マチの様子も変わっていくのでしょうね、暑い日が続く館山です。

始動する「福島原発行動隊:SVCF」

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 4月に、福島での原発事故に対して60歳以上の技術者たちがいち早く立ち上がった「福島原発 暴発阻止行動 プロジェクト」が話題になりました。後に「福島原発行動隊:http://bouhatsusoshi.jp/http://www.facebook.com/bouhatsusoshi」との正式名称で、一般社団法人格も取得し、現在行動隊メンバーは500名を越え、賛同人も1500名くらいになっています。私は専門技術は何もないのですが、その志に感じるところがあり、設立直後に早速志願・登録し、先日、第8回目の参議院・院内集会に初めて参加しました。

* SVCF:Skilled Veterans Corps for Fukushima (三つ目の単語、「コープス」ではなく「コー」と発音)

ロゴも決定

ロゴも決定

 この活動趣旨等は、代表の山田恭暉さんの記者会見で詳細説明されています(http://www.ustream.tv/recorded/16534418)。設立当初から海外メディアの取材も多く、(http://www.csmonitor.com/World/Asia-Pacific/2011/0803/Fukushima-s-nuclear-cauldron-Retirees-who-want-to-go-in)、死を覚悟した「カミカゼ」行動隊かといったセンセーショナルな質問もあったとか。

 先日の集会でも、応援メッセージとして、「必ず無事帰ってきて下さい!」みたいな言葉も多く、何か鉢巻を締めた隊員のイメージで違和感が私にはありましたが・・・・。今は、一時の感情でも、思いつめた危機感でもなく、冷静に落ち着いた対処が大切だと思うのです。

 このプロジェクトの一番のポイントは、参加呼びかけの終り部分、「・・・・身体面でも生活の面でも最も放射能被曝の害が少なくて済み、しかもこれまで能力を蓄積してきた退役者たちが力を振り絞って、若い世代の被曝を少しでも減少するよう力を出しましょう。まず、私たち自身が、この仕事を担う意思のあることを表明します。・・・・」でしょうね。現在、長期の活動を視野に入れたち密な作業体制構築に向けた基盤づくりの最中です。しかしながら東京電力は、そんな私たちの思いを歓迎はしないのかもしれません。

 山田さんの記者会見でもメディアの方から報告がありましたが、地元の大学が、線量測定・ガレキ撤去等の作業に学生を担わせる計画をしているとか、とんでもありませんね、今の福島原発は教育の場以前の話だと思います。これから数十年、放射能事故の後始末を通して、技術の蓄積と、ヒロシマ・ナガサキに次いで、「フクシマ」を放射能の危険性を後世に伝えるモニュメントとしなければなりません。さらに、この危機を乗り越えた地元福島県民、日本国民の姿を世界に示したいものです。福島・日本だけの問題ではなく、国際社会、そして未来のいのちへの責任だと思います。

ビハール号事件(3)

Posted by 秋山孝二
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 今朝で、北海道新聞朝刊・5回連載「父が見た海~戦後66年 ビハール号事件を追う」が終わりました。

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 連載前は、取材によって新たな事実をたくさん知り、「これで一件落着」みたいな気になるかと思いましたが、今、正直言って、まだまだ検証途中という感じですね。「捕虜殺害」には、必ずその遺族が居るはずで、何人かは今回の場合、イギリスで今も暮らしているはずです。それと、香港での戦犯裁判の記録は、切り取られることなく、イギリス本国にアーカイブスとしてしっかり保存されているのは間違いないでしょう。この事件をさらに追い掛ける道筋は見えていますので、今後時間をつくって実現できればと思います。裁判記録の検索は、裁判上の専門用語が必要なのかも知れません。確かにあることは分かっていても、検索する用語が少し違っているとヒットして来ない場合もあるのでしょう、研究の余地ありです。

 限られたスペースでメッセージを伝えるために、無駄な修飾をそぎ落とし、コンパクトな言葉に思いを込める、そんな記者の努力を垣間見た気もします。たとえば記事の中、初日の中盤、「むさぼるように読んだ」には、私自身の本に対する思いが込められていましたし、2日目の後半部、「現場は口達指令の呪縛に追い詰められていく」のフレーズは、現場で増大する緊迫感が伝わってきます。さらに4日目の中盤、「法廷の論点は、被告人2人のどちらに責任があるかに矮小化された」は、経過を説明するとかなりの字数を必要とする事実を、実に端的に状況を言い当ててると思いました。

 今朝の記事は、最も緊張しましたね、試験の発表を待っている心境とでも言いましょうか。記者が一連の私との話でどう受けとめたのか、その結果が明らかになる感じでした。最後の表現は、まだまだこれからも検証は続く、「旅の途中」と言い渡された気がします。

 3・11以降に、特に原発事故に関わりのある組織で、今、「無責任の体系」が蔓延っています。結局、現場に全てを任せて(押しつけて)、第一義的責任を負う立場の人間達が逃げようとしている、今朝の報道で3つの中央官庁のトップが、「更迭」と報道されながら割増退職金を得る処遇となっているというのも、納税者としては許し難い話です。責任の取り方・取らせ方、戦前と何も変わっていません、出す方も出す方、貰う方も貰う方です、そしてそれを許してしまうメディアと国民も。これからも私たちは自立する市民として、油断せずに国政に携わる人々を「監視して」いかなければなりません、犠牲になったこれまでの命に申し開きができません。

 繰り返しになりますが、今回の連載、初日から私へのメール・電話・直接のお話等、大変な反響でした。一般的な読者のご感想は今後分かるのでしょうが、メディアの威力というか影響力というか、まざまざと実感しました。北海道新聞デスク・お二人の記者のご尽力に、心から感謝申し上げます、そして昨年、最初にこの事件を伝えてくれた小樽在住の渡辺大助さん(http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A1%E8%BE%BA-%E5%A4%A7%E5%8A%A9/e/B004LUT7F4)、読んで頂いた読者の皆さまに御礼申し上げます。

ビハール号事件(2)

Posted by 秋山孝二
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 昨年10月9日にこの欄で、「ビハール号事件:Behar case」について書いて以来(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5921)、しばらくの間沈黙の日々が続いていましたが、2011年8月8日から、終戦特集の一つとして、北海道新聞・第一社会面に5日続けて詳細載っています。「父が見た海~戦後66年 ビハール号事件を追う~」です。海軍兵学校66期卒の父、戦後66年を経て、60歳の還暦を迎えた私が、3・11以降、覚悟を決めました。

 初日以来、想像を上回る反応に、ただただ驚いています。会う人会う人、秋山財団事務所の近くを通る方も、職員に向かって、「ここの財団の理事長でしょ」とか、声を掛けて頂いているようです。約1ヶ月半の取材、北海道新聞の二人の記者の方々には、本当に寄り添っての取材活動、的確な質問、取材相手への敬意、何とも感謝の言葉も無い程の感動です。扱っている話題はとても重たいものにも関わらず、「今・ここ」で世に問いかけなければというジャーナリスト魂を感じました。同時に、「メディアの力」を目の当たりにした数日間です。

 一昨年来、私はメディアに対して、場当たり的な垂れ流し報道ではなく、時間軸のしっかりした調査・検証報道の必要性を指摘していたつもりです。昨年仰せつかった1年間の北海道新聞・新聞評でも、一貫してそれに言及しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E8%81%9E%E8%A9%95)。今回、まさにそれを実践する機会を与えて頂いた、そんな気がここまでの中でしています。キーマンお二人と直接面談でき、長時間のお話を伺いましたし、保阪正康さんとの意見交換では、トータルの戦争における「軍隊」の行動パターン、1000人以上の戦場体験者との面談に裏付けられた心理等、短期間で一気に情報の質も量も深化致しました。とても私一人では出来なかったことばかりです。このテーマに向き合う記者・報道部次長の誠意あふれる姿勢に、心から感謝申し上げます。

 明後日の最終回を終えて、再度この欄で書き留めたいと思います。今月から、この「秋山孝二の部屋」へのご意見を受け付けることにしました、ブログ開始3年弱を経て、初めて解禁致しました。スパムほかイレギュラーなメール以外は、基本的に掲載したいと思っています。一覧の画面から、「該当日のタイトル」をクリックするとコメントの受・送信画面が出て、ご覧頂けます。

初めてでした、「アンドロイド演劇」

Posted by 秋山孝二
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 財団法人・北海道文化財団(http://haf.jp/)のアートゼミ事業として、「アンドロイド演劇『さようなら』&『トークセッション』」が札幌で開催されました。プログラム最初はアンドロイド演劇「さようなら」の上演、次にトークセッションで、青年団主宰・平田オリザさん(http://www.seinendan.org/jpn/seinendan/about/index.html)、大阪大学教授・石黒浩さん(http://top.irl.sys.es.osaka-u.ac.jp/)、そして北海道大学教授・小野哲雄さん(http://chaosweb.complex.eng.hokudai.ac.jp/~tono/)でした。

舞台上の瞬きするロボット&トークセッション

舞台上の瞬きするロボット、どちらがアンドロイド?

 開演前、暗い舞台に座る女性、時々微妙に動きはするものの、「アレがロボット:http://www.youtube.com/watch?v=bwOAnc1SANcかな?」とささやく声も聞こえていました。この所、話題の演劇で、「平田オリザ+石黒浩研究室のロボット演劇・最新作!」、 「死を目前にした人間に、ただ詩を読み続けるアンドロイドと、一人の少女の物語」ほか、いろいろ紹介されています。

http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=24153

http://www.seinendan.org/jpn/info/2011/06/iworker_geminoidF/

http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20101004/E1286123616031.html

 ~~~~「現代口語演劇理論」に基づき、ち密な劇世界を織り上げる演劇界の旗手・平田オリザと、自分そっくりに、精密にコピーしたロボット「ジェミノイド:http://robot.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/07/21/93.html」で知られるロボット研究の第一人者・石黒浩。世界的に活躍する二人の才能がタッグを組み、大阪大学で進めている「ロボット演劇プロジェクト:http://www.robo-labo.jp/modules/d3blog3/details.php?bid=19」が、北海道・札幌で初上演となります。~~~~~チラシも話題豊富です。

 

 トークセッションでは、小野先生の進行で、大変面白いやり取りが続きました。

* 演劇との出会いと新しい研究:状況を踏まえたロボットの存在

* サッカーボールを蹴るロボット、それが何なの?という素朴な疑問、感動がなかったこれまでのロボット

* 演劇製作において、ロボットと俳優の差は基本的にはなし!

* 「アンドロイド・サイエンス:http://www.is.sys.es.osaka-u.ac.jp/research/0007/index.ja.html」は人間を理解すること、「人間とは何か」がテーマである

 

 正直、事前にチラシを読んでみてもどんな演劇か良く理解していなかったのです。ただ、20分と短い芝居という程度で。会場は若い方々も大変多く、満席でした。これまでの「ロボット開発」は、確かに状況とは隔絶したオタク的存在という感じ。平田オリザさんがおっしゃるように、「歩くロボット、ボールを蹴るロボット、それで何なのさ」、という素朴な疑問でしたね。

 演劇分野で、今後役者の半分くらいはロボットで十分なのではないか、と不気味な予測をされていた平田オリザさん。演劇における「人間の存在」が、あらためて問われる今後なのでしょうかね。大学の授業をロボットが行って、報酬を得ることが出来るかという提起も面白かったです。自宅からライブ遠隔操作での授業、巨大な人間の形をした携帯電話が教壇に立っていると考えれば、何の違和感もないではないかという石黒先生のお話は、妙に説得力がありました。

 大変新鮮なお話の数々、足を運んだ甲斐がありました、ありがとうございます。

私の札幌の原風景、藻岩山

Posted by 秋山孝二
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 人には、他の人には何の変哲もない景色に、たくさんの想い出と物語が詰まっている場合があります。この角度からの札幌「藻岩山:http://www.welcome.city.sapporo.jp/sites/moiwa」は、私にとっての札幌の原風景です。3年前のこの欄に、こんな書き込みもしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35)。

札幌市中央図書館横から藻岩山を望む

札幌市中央図書館横から藻岩山を望む

 私の母校の小学校校歌「明星輝く藻岩の山の、気高き姿を日ごとに仰ぎ・・・」、中学校校歌「藻岩嶺を仰ぐ学び舎、我ら今、ここに集いて・・・」(http://www.youtube.com/watch?v=tczsnF-FqsI)、高校校歌「明日に望む藻岩嶺に、夕べ河畔の豊平に・・・:http://www.tokyorikka.jp/~minami21/kohka/index.html」、全てに登場する「藻岩山」は、私の心のふるさとです。

 札幌の街は、西側に山並みが連なり、南西に藻岩山、南9条通りから西を望むと円山が、南大通から西を望むと大倉山が、北5条通りから西を望むと三角山が、そして遥か北西には手稲山を仰ぎみることができ、景観的にも明治時代の開拓設計者の素晴らしいセンスに感謝したいですね。

 先日、東京からのお客様を、久しぶりに藻岩山観光道路を走って藻岩山頂にご案内しようと思って近くまで言った所、「現在休止中」との看板が掛っていました。山頂の建物のリニューアルで今年12月まで休業とのことでした(http://moiwa.sapporo-dc.co.jp/)。藻岩山頂からの夜景は素晴らしいですね、函館山と世界に誇れる夜景だと思います、香港、長崎なども行きましたが、比較になりません。

 遠くから眺めてもよし、登ってもよし、夜の夜景もよし、こんな素晴らしい山は私のこれまでの人生にはありませんですよ!

キタラに響く吹奏楽の音!

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今年も、社団法人全日本吹奏楽連盟(http://www.ajba.or.jp/)と朝日新聞社(http://www.asahi.com/shimbun/)が主催する「全国吹奏楽コンクール」の札幌地区予選があり、高校の部で、我が母校が今年も金賞を受賞し、全道大会出場となりました。今年は是非、全国大会へ進んでもらいたいものです、金賞を受賞しても、必ずしも全国大会に行ける訳ではないようですね。

2011年度(平成23年)吹奏楽コンクール情報(中学校・高等学校)
2011年度 吹奏楽コンクール課題曲
I マーチ「ライヴリー アヴェニュー」 堀田庸元 約3分半
II 天国の島 佐藤博昭 約4分半
III シャコンヌ S 新実徳英 約4分
IV 南風のマーチ 渡口公康 約3分
V 「薔薇戦争」より 戦場にて 山口哲人 約4分半

<今年の課題曲>

* マーチ「ライヴリーアヴェニュー:http://www.youtube.com/watch?v=cx74-LE4zNo

* 「天国の島:http://www.youtube.com/watch?v=KNgQZJT7DjI&feature=related

* 「シャコンヌ S:http://www.youtube.com/watch?v=Goje9Tj8PQ4&feature=related

* 「南風のマーチ:http://www.youtube.com/watch?v=5xFqC4LfPz0&feature=related

* 「薔薇戦争」より戦場にて:http://www.youtube.com/watch?v=gLX3OJEfEw0&feature=related

もう3カ月程前になりますが、5月下旬に、この高校の吹奏楽部が、「東日本大震災復興支援チャリティーコンサート」というサブタイトルで、第29回定期演奏会を開催しました。プログラム前半はオーソドックススタイルでの演奏、後半は「ハリウッド万歳」、「イエスタディ」、「アフリカンシンフォニー」等のジャンルで、そして最後は「坂本九メモリアル」でした。自由闊達な姿、こちらが元気をもらいました、素晴らしいですね、生徒たちの笑顔!

プログラム前に、「オープニングコンサート」として、打楽器、フルート、クラリネット、サックス、金管、木管、それぞれの四重奏、五重奏、八重奏の演奏があり、開演前に来たお客さんを楽しませてくれました。

プレ・オープニングセッションで

プレ・オープニングセッションで

上の写真、開演50分前なので、客席もまだ閑散としていますが、開演直前は満席。これを撮影直後、「撮影は禁止です!」と注意を係員から受けました、何と言うセンスの無さ!

このコンクールは、個人の部もたくさんあって、高校生には大変良いチャレンジの場となっています。いわゆるクラシック的緊張感と、マーチングとしてのウキウキ感、先日の高校野球全道大会でも応援席で活躍したようです。毎年感じますが、部長の生徒の挨拶も、実にしっかりしていて感動します。今年はフィナーレは、「見上げてごらん夜の星を:http://www.youtube.com/watch?v=-VUeSVjN1cM」の全員の大合唱でした。3・11の震災後、特に心に染み入ります。

陸別で、関 寛斎の足跡(2)

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 町の郊外のゆかりの地を巡り、一方、旧陸別駅付近には、関寛斎翁像等、その中で「関寛斎資料館:http://www13.plala.or.jp/doutounavi/sekikannsaisaito.html」は豊富な資料展示でした。

旧陸別町駅前に建つ「関寛翁之像」

旧陸別町駅前に建つ「関寛翁之像」

町の中心部・関寛斎資料館入口

町の中心部・関寛斎資料館入口

内部の豊富な展示物群

内部の豊富な展示物群

  波乱万丈な関寛斎の一生は、その才能を評価して登用した人々、多くの人との出会い、北海道に新天地開拓の意欲に燃えて渡って来た意欲等、数々の感動物語です。長崎医学伝習から松本良順を慕い、人生の歩み方にもそれを検証することが出来ます。

旧陸別駅前のそば屋さん「秦(はた)食堂」

旧陸別駅前のそば屋さん「秦(はた)食堂」

 駅前の大きなおそば屋「秦食堂」、息子さんの秦秀二くんは、(株)秋山愛生舘に新卒で入社し営業で活躍、私が社長時代に退社し、実家のそば屋を継ぐために陸別に行きました。当時、陸別に向かう直前に挨拶に来た時のことをはっきり覚えています。先日お世話になった時にも、地元青年会主催のお祭りの合い間に駆けつけてくれて、久しぶりに会うことが出来ました。松本良順、関寛斎、陸別、愛生舘、秋山愛生舘、秦くん、秋山財団、何か時間・空間を越える不思議な関係性を感じます。

 それにしても、内容の濃い、素晴らしい訪問となりました、陸別の皆さま、ご説明、ご案内等お時間を取って頂き、心から感謝申し上げます。

陸別で、関 寛斎の足跡(1)

Posted by 秋山孝二
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 片桐一男先生のお供で、道東の陸別町(http://www.town.rikubetsu.hokkaido.jp/)を訪問し、関寛斎の足跡を辿りました(http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/23692625.html)。陸別町は「全国最低気温」の地として、天気予報等でもよく名前が出て来ます。今回、松本順と長崎海軍伝習・医学伝習(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E4%BC%9D%E7%BF%92)の延長上で、関寛斎の更なる功績を実感すべく足をのばし、予想通り、関寛斎の「北の大地」で果てしない夢の実現に向けた奮闘を体感しました。地元の斎藤省三さん、向井啓さん、大鳥居仁さんには、お休みの所ご案内頂き、心から感謝申し上げます。

関寛斎・埋葬の丘から陸別町方面を望む

郊外にある関寛斎・埋葬の丘から陸別町方面を望む

丘の頂上に置かれた墓碑

丘の頂上に置かれた墓碑

青龍山・史跡ユクエピラチャシ跡に建つ関寛翁碑

青龍山・史跡ユクエピラチャシ跡に建つ関寛翁碑

 上総国山辺郡中村(現在の千葉県東金市)に生まれ、儒者・関俊輔の養子となり、佐倉順天堂(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4429)で医学を学びました。その後、長崎の第二次海軍伝習(医学伝習)に参画し、松本順と出会います。1年数カ月の勉学の後、奥羽、山梨、徳島と各地で地域医療の基礎を築き、明治35年に72歳で北海道・十勝国斗満(トマム)に入植して、自作農育成に力を注ぎました。開拓方針を、二宮尊親の二宮農場に求め、徳富蘆花との手紙のやり取り等多彩な活動でしたが、82歳の秋に、自らの命を絶った波乱万丈の人生でした。

大盛況!「夏季古文書講座」

Posted by 秋山孝二
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 公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)の25周年記念事業の一つ、「夏季古文書講座」が今週月曜日から5回開催されて、今晩で最終回を迎えます。連日熱心な受講者と相まって大盛況です。講師の片桐一男先生は、蘭学史・洋学史・日蘭文化交渉史の第一人者で、幕末・維新ほか、オランダ(阿蘭陀)との関係からみる日本のこの500年の歴史は興味深いです、以下、チラシからの転載です。

~~~~~~ 講師   青山学院大学名誉教授  片桐  一男 先生(洋学史研究会会長)

 

「『くずし字』の古文書(こもんじょ)が読めたらいいのになぁ」と思ったことはありませんか。取り上げます古文書教材は、「水書板」に「ふで」を使って『くずし字』の古文書の全文を書き写し、そのうえで、読解文を全文書き示しますので、初心者の老若男女、みんな楽しんで読めるようになります。

鎖国から開国への急激なショックで始まった長崎の海軍伝習と医学伝習は、日本の近代国家建設にどのように役立ったのか。

勝海舟と松本順の狙いと行動を示す古文書の読解を通じて、歴史の現場が鮮明に浮かび上がります。未公開古文書の読解を楽しんでください。

 

◎ プログラム(どの回からでも受講できます)

   

       

7月25日(月)

勝海舟の狙い ― 「愚存申上候書付」 ―

7月26日(火)

長崎の海軍伝習 ― 時間表・オランダ通詞・咸臨丸 ―

7月27日(水)

勝海舟の「蚊鳴餘言」 ― 世界のなかのトクガワ・ニッポン ―

7月28日(木)

長崎の医学伝習 ― ポンペ・松本順・養生所 ―

7月29日(金)

「愛生館」事業 ― 松本順と髙松保郎 ―

夜間講座にたくさんの受講者

夜間講座にたくさんの受講者

テキストとして:「咸臨丸」、「松本良順」

テキストとして:「咸臨丸」、「松本良順」

 これまで私にとっては少々敷居が高かった「古文書」ですが、片桐先生の分かりやすい解説により、「解読する楽しさ」を体験しています。日記というものから、本人の心証だけではなく、時代の様子、伝習の雰囲気等を読み解き、想像していくわくわく感とでも言うのでしょうか、新しい発見でした。個別の古文書を重ね合わせる、誤字を発見する、省略の記号を解釈する、そのプロセスの面白さは、かなりの根気も必要ですが、扉を一つづつ開けて新しい世界を知っていくような、素晴らしいひと時でした。

 鎖国から開国への急激な時代の変化の中で始まった長崎の「海軍伝習:http://www.mirai.ne.jp/~jkj8/nagasaki.htm」と第二次海軍伝習としての「医学伝習:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5595」は、日本の近代国家建設にどのように役に立ったのか、その一端を理解できたような気がします。

楽しみな若手和楽器奏者たち

Posted by 秋山孝二
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 「夏夜会」と題して、若手の和楽器演奏家が3人集い、熱い演奏でした。以前から応援している津軽三味線・白田路明(http://con-sent.net/peace/shirata_michiaki/)、和太鼓・橋口隆之(http://edktbk.exblog.jp/)、尺八・中村仁樹(http://www.masaki-nakamura.com/)のコラボレーションは、伝統的であり、イノベイティブであり、それぞれの個性が魅力的でした。疲労感が全くない、心地良さは最高です。

津軽三味線:白田路明

津軽三味線:白田路明

和太鼓:橋口隆之、尺八:中村仁樹

和太鼓:橋口隆之、尺八:中村仁樹

 今、若い和楽器演奏者が活躍していますね、素晴らしいことです!「伝統を守る」という観念的な話では無く、「独創的」とか「挑戦的」という言葉がぴったりなパフォーマンスです。それぞれが楽器を通して個性を表現し、多様な他者も受け入れている状態のコラボレーション、実にイイです。

 橋口くん、ブログにありましたが北海道でも「打ち上げ」とも言いますよ、「なおらい」は「直来」で神道の言葉かと、参考になるのであれば以前私が書いたこの欄(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8359)の後半部もご覧頂ければ嬉しいです、先日のパフォーマンス、「見せる」演奏は「魅せ」ました、素晴らしかった!!

 中村くん、いつもいつもオシャレな演奏は感動を与えてくれます。立っているだけの姿も決まっているし、尺八の高音があんなに魅力的だとは思いませんでした。これからもチャレンジし続けて下さい!!

 白田くん、同じテーブルでお父さまと久しぶりにゆっくりお話が出来ました。ご両親の絶妙なコンビはうらやましい環境です。でも、これからはこれまでの実績から更に脱皮して、一層世界に羽ばたいて欲しいですね、親元を離れて東京生活、しっかりした自分のポリシーを持っているあなたなら、素晴らしい仲間たち、演奏の場との出会いもたくさんあるでしょう、そして、ふるさと北海道も忘れずに、どうかいつまでもチャレンジャーであって下さいね!!

 自分を一層磨き続けて下さい、今後を託せる若手3人に、心からの拍手です!!!!!

松山城は坂の上の「城」!

Posted by 秋山孝二
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  先日、この数年話題の松山に行く機会がありました、出張の目的は来月にでも書きます。窮屈な日程の合間をぬって、早朝5時半過ぎに松山城(http://www.matsuyamajo.jp/information/)を、黒門道から登りました。「丘の上のお城」くらいに思っていましたが、かなり急な坂と石段、久しぶりに汗びっしょりとなりました。上の本丸では地元の方々が早めのラジオ体操、毎朝恒例となっているようでした。私自身は早朝1時間半くらいで、一日のエネルギーを使い果たした感じです。

130メートルの山の上

130メートルの山の上

登って見ると

登って、本丸から天守を臨む

天守閣を臨む

NHKテレビ「坂の上の雲」の冒頭場面の背景

石垣が織りなす景観

石垣が織りなす景観

 多様な石垣が印象的でした、天守に向かう道筋も複雑に折れ曲がり、要所要所に門も配置されて、当時の戦略性を感じます。松山市内はもちろん、遠く瀬戸内海も見通せる眺望は素晴らしいですね。

「震災後」から「戦後」を検証する

Posted by 秋山孝二
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 「九条の会:http://www.9-jo.jp/」の事務局長・小森陽一さんをお招きして、「エンレイソウ9条の会」主催の「原発震災と憲法」と題した講演会がありました。3・11以降の日本の現状を、あらためて憲法に立ち戻って議論を組み立て、貴重なお話でした。

 「日本国憲法(http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM)」の前文

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(後略)

 

* 前文の諸前提が崩れている現状、 「3・11」から問い直す憲法の「主権」者性は、前文と第13条における「生命、自由、幸福追求の権利」の思想に拠り所がある、今、「主権者としての自覚」が重要である(第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする)

* 第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」の思想と「復興計画」の矛盾、生存権に基づく項目として思想の基軸にすべきである(第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない)

* 被災地で問い直される福島の子供たちを取り巻く現実、第22条、27条、そして26条の相互関係(第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない:第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ:第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する)

* ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちへの裏切りとしての「フクシマ」

* 「軍国主義の時代」から「原発主義の時代」への同質的な社会構造の移行、「震災後」から「戦後」を検証すべきである

* 3・11以降の日本では、「立憲政治」が行われていると言えるのだろうか、今、私たちが主権者としての自覚を持って事に当たらなければ誰が国を縛ることが出来るのか

* 現在の放射能汚染の諸基準は、ヒロシマ・ナガサキ、そして100キロ圏外にも関わらず被曝した1954年の第五福竜丸の犠牲に基づいて、医師・研究者により設定されたものである

* メディアに踊る言葉:「原子力神話」は、本当の「神話」に失礼である。「原発アレルギー」、そんなアレルギーなど存在しない

* 丸山真男が「現代政治の思想と行動:http://www.geocities.co.jp/fwtetsu/maruyama.html」で語るように、「無責任の体系」と「犠牲」が一対となって進行してきた、典型的な「フクシマ原発」である

* 復興議論中で、町の歴史の尊重か、新自由主義の復活か、引き続きの見極めが重要

* 今こそ、「原子力発電」は何をもたらすか、これまで何をもって「安全」と言ってきたかを検証すべきである。安全性の実証などどこにもなく、最終処分も全くの未知である

* 「脱原発」への政策転換とエネルギー政策の転換

* 「3・11」の経験と憲法九条の思想の統一

   1) オキナワとフクシマを同時に捉える視点に基づく東アジアの平和構想

   2 )放射能被害の拡大を食い止め、生命・健康・地域社会の健全を最優先させる政策へ

   3) 「大連立政権」と憲法改悪と原発推進勢力の一体化に対して、草の根で対抗する重要性

   4) 「核抑止力」と「安全な原発」の考え方が、同じ根を持っていることを明らかにする対話運動を!

 

 そして最後に、これまで「唯一の被爆国」であり、国際社会の中で「核廃絶」を主張する立場だった日本国が、3・11以降、「原発テロ国家」になってしまった、と。これからは、たとえば漁業関係者がアジアと草の根で連帯する方策、本当の復興とはどういう形かを議論する文化を醸成していこう、と結ばれました。

前田一歩園財団の理念と実践(2)

Posted by 秋山孝二
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 二日目は、財団の新井田利光常務理事、西田力博部長、酒井賢一係長のご説明で、阿寒湖北「一歩園・湖北の森」でのワークショップでした。パンケトーから阿寒湖に流れるイベシベツ川を上ってパンケトー畔まで、ポイントポイントで解説を聴き、針広混交林・倒木更新・萌芽更新等の森林樹木編、湿地、キノコ類、川の生態等、あらためて森の多様性と奥深さに圧倒されました。

阿寒湖近くの川面

阿寒湖近くの川面

パンケトウから阿寒湖への急流で

川真珠の群生

川真珠貝がびっしり

パンケトウ湖畔から山並みを臨む(背景の雄阿寒岳は霧の中)

パンケトー湖畔から山並みを臨む(背景の雄阿寒岳は霧の中)

 管理山林は、全域が阿寒国立公園に包含されていて、水源かん養保安林、風致保安林など保安林指定にもなっています。さらに、鳥獣保護区の指定を受けているので、自然環境の保全には特段の配慮が欠かせないとのこと。財団では前田一歩園財団 “森づくり 6カ条”を打ち立てて、森づくり活動を行っています。

第一条 一度に大面積にわたり一斉に木を切らない――>皆伐を行わない

第二条 300年前の姿に戻す――>山全体で針葉樹と広葉樹の割合を70:30とする

第三条 鳥や動物の巣になる木は切らない――>大径木、景観木、鳥獣類の営巣木、貴重木などは努めて保残する

第四条 川のそばの木は切らない――>河川の流域は原則禁伐とする

第五条 大人の木も、子供の木もある山にする――>人工林の上木と天然性幼稚樹を保残育成する

第六条 木の無いところには木を植える――>更新不良地には植え込みを行う

 

 私はこれまで阿寒湖畔には数回行ってはいましたが、湖北を歩いたのは初めてで、温泉街とは違った「自然」の姿を垣間見た気がします。川の流れの音、植物のかもしだす香り、パンケトー湖畔の静寂、写真に映った緑の多様性とエネルギー等、全てが新鮮な驚きでした。

 戦前・戦後と幾多の困難な時期、特に高度成長期・バブル経済期の「開発」という名の破壊行為をも跳ね返してこられた前田一歩園さんのこれまでのご努力に心から敬意を表するとともに、今後の益々のご活躍を祈念しています、この度はありがとうございました。

前田一歩園財団の理念と実践(1)

Posted by 秋山孝二
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 NPO法人・北海道市民環境ネットワーク(http://www.kitanet.org/index.html)が主催し、この度、北海道の道東・阿寒の「前田一歩園財団:http://www.ippoen.or.jp/」の多大なご協力を得て、「森づくりセミナー」が一泊二日で行われました。

阿寒湖北側の一歩園財団の森

阿寒湖北側の一歩園財団の森

~~~~深々と水をたたえてマリモが生息する湖と、その湖面を囲む広大な森林を有する阿寒国立公園:昭和9(1934)年指定。「この景観はスイスのそれにも比肩する。阿寒の山林は切る山ではなく、見る山だ」といったのは前田一歩園の初代園主・前田正名(まさな)翁でした。その自然への思想は子息の正次(まさじ)、光子夫妻へと受け継がれました。ことに“阿寒の母”と慕われた故光子さんは「『自然を保護する』という言葉さえも人間の傲慢であり、自然に人間が保護されているのだ。前田家の財産はすべて公共事業の財源とす」の家憲を体現するため、全財産を投じて宿願の『前田一歩園財団』を昭和58(1983)年に設立、その18日後に世を去ります。いま、その遺志を継いだ財団は、阿寒の森を守り、森林保全の施業と環境思想の普及に貢献する事業を着々と進めています。~~HPより(http://www.ippoen.or.jp/naritatsi1.htm

 「りんゆう観光(株):http://www.rinyu.co.jp/index.php」のウェッブマガジン「カムイミンタラ」にも、その歴史・理念が紹介されています(http://kamuimintara.net/detail.php?rskey=34198909t01)。

 セミナー一日目は、ゲストハウスで前田三郎理事長のお話と新井田利光常務理事の現況報告、続いて山本光一課長のガイドで財団事務所そばの「ボッケの森」散策でした。「一歩園」は正名の座右の銘「物ごと万事に一歩が大切」に由来すること他、いずれも歴史の重みと設立趣旨・哲学を分かりやすくお話して頂き、あらためて森を守る意気込みも感じ取りました。今風に言えば、「民が担う公共」の原点がここにあり、日本でも草分け的存在です。前田三郎理事長は、秋山財団設立以来、評議員として18年間ご指導して頂き、初代の評議員会議長も務められました。

阿寒湖南岸・ボッケから雄阿寒岳を臨む

阿寒湖南岸・ボッケから雄阿寒岳を臨む

前田光子記念館(旧ゲストハウス)外観

前田光子記念館(旧ゲストハウス)外観

ゲストハウス内でセミナー:前田三郎理事長のお話

ゲストハウス内でセミナー:前田三郎理事長のお話

 今年は、このすぐ近くでも熊が数回目撃されて数日間通行禁止になったとか、まぁ熊のテリトリーですから、それ程驚くことでもないですかね。地面から湧き出る温泉、熱を帯びた散策路の岩盤等、火山群の中にある湖畔も実感出来ました。思えば、雄阿寒岳・雌阿寒岳はじめ、周辺にはたくさんの火山があり、古阿寒湖の面影、ペンケトー・パンケトー等の湖も大自然の変わって来た今の姿です。何か大自然のとてつもないエネルギーを感じとり、畏敬の念を抱きます。

感動をありがとう、なでしこジャパン!

Posted by 秋山孝二
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 今朝のFIFA女子ワールドカップ2011(http://www.jfa.or.jp/index.html)決勝、日本対アメリカの試合は、「なでしこジャパン」の驚異的粘りと執念で2度にわたって追いつき、最後はPK戦の末に初めての優勝を飾りました、実に堂々たる戦いぶり、澤穂希キャプテンをはじめ、各選手がそれぞれの仕事をしっかり成し遂げて、体力的にはかなり優位なアメリカチームの攻撃をしのぎ、我慢して、最後はゴールキーパー・海堀あゆみの好捕で終了しました。

 以前にも書きましたが、この所私はサッカーの90分を試合開始から見続ける集中力に欠けていて、最近は後半部分を見ることにしています。(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4630)、(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7389

 今回の時間帯は、この後半部分からというのが普段の目覚めとほぼ同じで、特に今朝のような素晴らしいゲームでの勝利は、何にも代えがたい元気の源となります、感謝です。朝から各テレビチャンネルをいろいろ変えながら、久しぶりにテレビにかじり付いていました。応援している方々の喜ぶ様子を見ていても涙が出て来るから不思議です。どの局でも澤選手、海堀選手等をヒロインに取り上げていました、表彰式の様子も、選手の皆さん、監督・コーチ、本当に素晴らしい笑顔でしたね、特にPK戦前の全員の笑顔は本当に素晴らしかった、何回も何回も見てはその度に感動していました。

 今日の試合の流れを見ていて、誰か一人この決勝戦のヒロインをと言われれば、私は迷いなく、延長後半のロスタイム、ファウルを取られた日本のディフェンス・岩清水梓を挙げます、レッドカードの判定で一発退場となりましたが、このプレーが最高のチームプレーだと確信します(後でスロービデオを見ても、相手選手には全く触れていない見事なセーブでしたが)。マスメディアは勿論そうは言えないでしょうね、表彰式でフェアプレー賞まで獲得した「なでしこジャパン」ですから、「意図的ファウル」という訳にもいかないでしょう。でも、このワンプレーは、ペナルティエリアギリギリの外、1名減で戦う残り時間は1分程度のラストプレーでしたか、致命的失点を避けるこの時あの場所での「究極のディフェンス」、まさにレッドカード覚悟のディフェンスとして、チームの危機を救いました。頭を使うサッカー、まさに「なでしこジャパン」の真骨頂をここに見た感じでした。「フィジカル」+「メンタル」、それぞれ「飛び抜けた」能力と、それを引き出した監督・コーチ陣に脱帽です。

 日本サッカー協会のHPには、「フェアプレー」とは~~~~~~

  1. 1 ルールを正確に理解し、守る
    フェアプレーの基本はルールをしっかりと知った上で、それを守ろうと努力することである。
  2. 2 ルールの精神:安全・公平・喜び
    ルールは、自分も他人もけがをしないで安全にプレーできること、両チーム、選手に公平であること、みんなが楽しくプレーできることを意図して作られているのである。
  3. 3 レフェリーに敬意を払う
    審判は両チームがルールに従って公平に競技ができるために頼んだ人である。人間である以上ミスもするだろうが、最終判断を任せた人なのだから、審判を信頼し、その判断を尊重しなければならない。
  4. 4 相手に敬意を払う
    相手チームの選手は「敵」ではない。サッカーを楽しむ大切な「仲間」である。仲間にけがをさせるようなプレーは絶対にしてはならないことである。

~~~~~~と明示されています。

 男子の岡田監督、ザッケローニ監督にも共通していますが、今回の佐々木則夫監督は、事前情報を基に戦略・戦術を駆使して、試合が始まってからは選手に全幅の信頼を寄せて、試合後は選手を称賛してやまない、実に素晴らしい采配であり、リーダーです。

 とにかく凄い試合の連続で、どんどん進化していった「なでしこジャパン」、チームが日本に帰ってくるのを楽しみにしています。彼女たちがチームを応援する全ての人々に与えてくれました、実に立派でした、感動をありがとう!!!

懐かしの「ANA モヒカンジェット」

Posted by 秋山孝二
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 「ANA モヒカンジェット:https://www.ana.co.jp/dom/promotion/mohican-jet/」 、話には聞いたり遠くからは見ていましたが、先日やっと近くでじっくり見物でした、懐かしいですね。

 2009年9月のANA広報では:

~~~~~創立記念日でもある、来る12月1日(火)に、かつてのANAのコーポレートデザインであったモヒカンルックをあしらった「ANA モヒカンジェット」を復刻版機体デザインとして復活させます。

 「ANA モヒカンジェット」は、1969年5月の1番塗装機以降、1989年3月の最終機の運航に至るまでの約20年間、日本の空を就航しました。垂直尾翼にはレオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプターの図案をモチーフにしたANAの社章も塗装されていました。

 「ANA モヒカンジェット」の就航期間は、日本経済の高度成長期であり、大阪万国博覧会(1970年開催)、時代の象徴であった宮崎、鹿児島への新婚旅行など、航空機での旅行が一般的となった時代でもありました。また、純民間航空会社として創業したANAの事業拡大期の象徴でもありました。~~~~~~~  :、とあります。

懐かしい機体です

羽田空港ターミナルで、懐かしい機体です

  当時、機体先部分の「モヒカン」はあまり意識しませんでしたし、全体ももっとずんぐりのイメージ、垂直尾翼のラセンと明るいブルーの色は印象的でした。カラーは今のブルーと同じかと思いましたが、かなり明るい色だったのですね、機体がスマートだからでしょうか、今でも違和感はありません。

 丘珠空港の小さなプロペラ機時代を知っている私にとって、最初は水平に止まっている飛行機に驚き、次は60年代ですね、羽田空港でジェット機DC8の姿を見た時は興奮しました、プロペラがなくジェットエンジンの空洞が印象的でした。ジャンボジェット機では、機内で映画が見られるのに驚き、その後90年代前半では、ロシア国内のイリューシン型機体のジェットエンジンの後方部が煤で黒くなっていたこと、ジェット燃料の質の違いかと、当時のロシア事情を知った気がしました、ただ、離陸・着陸が恐ろしくスムースで、パイロットの技量は確かだったようです。

 今日から「ニュー新千歳空港ターミナル」がオープンとか(http://new-chitose-airport-open.com/pc/)。「ニュー」と「新」ですから、時代の最先端なのでしょうか、ターミナルビルも時代の流れで変わっていくのでしょうね。

北海道エネルギーチェンジ100!

Posted by 秋山孝二
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北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト」とは

 豊かな北海道の環境を未来の子どもたちに引き継ぎたい。安全・安心な資源を被災した方に届けたい。北海道の地産地消エネルギー最大限の活用、さらに自然エネルギーアイランドへのシフトをめざす団体・個人が、声をあげ、北海道の未来をつくるための提案を行うとともに、北海道の「北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例」の周知と、自然エネルギー推進のために活動する市民活動の支援ネットワークをつくるプロジェクトです。

WEB◆http://www.enechan100.com/

Facebook◆http://www.facebook.com/enecha​n100

Twitter◆https://twitter.com/#!/enechan​100

毎日新聞朝刊に掲載(http://mainichi.jp/hokkaido/news/20110709hog00m040004000c.html

<4つのアクション>

1.私たちは、北海道の「北海道省エネルギー・新エネルギー促進条例:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kz/kke/johrei/johrei.htm」を支持し、自然力100%の北海道を実現します。~~みんさんの「エネルギーチェンジ宣言」を、HPに掲載します~~

2.私たちは、北海道の市民の力を結集して、自然エネルギー100%を実現するためのロードマップをつくります。

3.私たちは、北海道の産学官民を結び、持続可能な自然エネルギー政策実現の働きかけを行います。

4.私たちは、北海道の生物多様性と自然エネルギーの共存を実現するために活動します。

呼びかけ人

秋山孝二(NPO法人北海道市民環境ネットワーク 理事長)
金子正美( 酪農学園大学 環境共生学類 教授)
藤田郁男(環境学習フォーラム北海道代表)
岩井尚人(プロジェクトデザインセンター 専務理事)
高木晴光(NPO法人ねおす 理事長)
草野竹史(環境NGO ezorock 代表理事)

北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト事務局

事務局長 宮本尚
岩井尚人 有坂美紀 松本公洋 相蘇かおり 黒子奈美江 

 

札幌市中央区南9条西3丁目1-6 彩木ビル2
NPO
法人北海道市民環境ネットワーク内
電話  011-531-0482  FAX  011-531-0483
E-mail
 e-office★enechan100.com@に変えて送信してください)

 本活動に、資金協力をお願いいたします。
使用目的/広報費・郵送費・印刷費・交通費等。
収支につきましては随時、本ホームページに掲載していきます。

寄付窓口
1
)ゆうちょ銀行 振替口座 口座番号 02760-3-84980 口座名義 北海道エネルギーチエンジ100
 他銀行から振り込む場合は
 ゆうちょ銀行 二七九店 当座預金 口座番号 0084980 
 口座名義 北海道エネルギーチエンジ100 (ホツカイドウエネルギーチエンジヒヤク)
 2)NPO北海道市民環境ネットワークの口座に振り込み(事前にメール、電話等でその旨をお知らせください。)
北洋銀行 本店営業部  普通預金 口座番号  2292978  
口座名義  トクヒ)ホツカイドウシミンカンキヨウネツトワーク
楽天銀行  ビート支店(210) 普通預金(1) 口座番号 7027982
口座名義  トクヒ)ホツカイドウシミンカンキヨウネツトワーク
近日、カードでのお振り込みも可能になります。もうしばらくお待ちください。

請求書・領収書の発行が可能です。事務局にその旨、お伝えください。

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 地に足をしっかり着けた取り組み、全国でもこんな取り組みが始まっています(http://ishes.org/news/2011/inws_id000118.html)。

 来週札幌ではこのような集会も予定されています。

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「子どもの未来と、食を守るネットワーク」~北海道の大地にたねをまこう~

第2回 意見交換会のご案内

子どもたちの未来と食を守るために私たちが出来ることは何か、

また、しなければいけないことは何か・・・

想いをひとつにし、認識を新たにするための1回目の意見交換会には、

たくさんのみなさまの参加を得ることが出来ました。

そして、様々なメッセージも頂きました。

その想いを共有し、さらに一歩踏み込んでネットワークをより有益なものとするために、第2回意見交換会を開催いたします。

前回以上のみなさまの参加をお待ちしています。

 

今回のメッセンジャーは、以下の方々を予定しています。(順不同)

 

①安斎伸也氏 福島市庭坂「あんざい果樹園」4代目 

②上島信一氏 北海道コカコーラボトリング執行役員(CSR担当)

③大島美貴子氏 神奈川の座間で麦っ子畑保育園 園長

④秋山孝二氏 NPO法人北海道市民環境ネットワーク理事長

開催日時 2011年7月22日() 午後6時30分~午後9時

開催場所 「札幌エルプラザ」3階ホール 札幌市中央区北8西3

 

今回は、資料代として、ネットワーク会員500円、

非会員1000円を頂きたいと考えています。ご協力よろしくお願いいたします。 

  

開催呼びかけ人代表

荒川義人 (天使大学教授)

       湯浅優子 (北海道スローフード・フレンズ リーダー)

                開催事務局 オフィスアイズ 今宮廉

                        問い合わせ先 011-215-8871

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 首都圏以外の「地方」から、今、エネルギー自給への模索が始まっています。今後のエネルギーについて、地域にあるものを棚卸して、その地に暮らす全ての人たちで、将来のエネルギー資源について議論し、提言していこうではありませんか!!

名古屋は、今

Posted by 秋山孝二
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 先日、ほぼ1年ぶりに名古屋に行く機会がありました。(株)スズケン(http://www.suzuken.co.jp/)の代表取締役副社長として、私は4年8ヶ月名古屋に居りました、とは言っていも、東京を主として全国への出張が多く、名古屋に留まっていたのは月10日程度だったでしょうか。週末の空いた時間に、街なかを随分一人で歩き回りましたね。

 名古屋は道が広いと言われますが、一歩メイン通りを中に入ると、昔の城下町ほかの風情を残した小路が今もたくさん残っています。今回、都会の喧騒から少し離れた堀川沿いの四間道(しけみち:http://matinami.o.oo7.jp/tyubu-tokai2/sikenmiti.htm)にある「右近:http://www.jfood-ukon.com/welcome.html」でひと時を過ごしました。江戸時代は名古屋城の城下町として賑わいをみせていた界隈です。四間道は元禄13(1700)年の大火の後、道幅を四間(約7メートル)に拡張して、東側に石垣を積み、土蔵を建てて火事を防いだと言われています。

堀川の畔、「右近」周辺で風情ある街並み

堀川の畔、「右近」周辺で風情ある街並み

店内の古地図

店内の古地図

  もう一つの大きな目的は、NPO法人地域の未来・志援センター(http://www.c-mirai.org/)の萩原喜之理事長との意見交換でした。萩原さんは、NPO法人中部リサイクル運動市民の会(http://www.es-net.jp/)、NPO法人エコデザイン市民社会フォーラム(http://eem.jp/ecode/)においても重要な役割を担っていらっしゃる市民活動一筋の草分けです。

愛知万博での地域通貨

愛知万博での地域通貨:EEM金町駅のお店で

 3・11以降のエネルギー政策に関して、企業・市民から代替エネルギーへの提案を行うべく、萩原さんは今、経済団体とのコラボを企画していて、つい先日立ち上げた北海道の「エネルギーチェンジ100プロジェクト:WEB◆http://www.enechan100.com/、Facebook◆http://www.facebook.com/enecha​n100 、Twitter◆https://twitter.com/#!/enechan​100」とも、どこかでコラボレイトできる可能性を確信しました。首都圏以外の「地方」から、今、エネルギー自給への模索が始まっています。