明峯哲夫さんの「東京日記」より

Posted By 秋山孝二
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 明峯哲夫(http://www.yuki-hajimeru.or.jp/column_5_01.html)さんは、秋山財団の評議員としてご指導を頂いています。震災直後から、ドイツ語サイトで、貴重な日記を送信し続けました。以下、ご本人の承諾を得て、その抜粋を書き留めます。

 

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「東京日記」2011316 411日    明峯哲夫                       

 

以下の文章は、311震災直後ドイツの友人から依頼され、毎日彼の下に書き送ったものである。友人は私と同世代の反原発・自給自足運動家で、小さな村の村長を務めている。私の文章は彼の翻訳により、「Das Tokio-Tagebuch (東京日記)」として彼のサイト(http://www.tacheles-regional.de/)に掲載されている。東日本大震災の一つの「記録」としてお読みいただければ幸いである。

 

326日号 「暗闇」

 

太陽が没する。あたりに暗闇が広がる。太古の人々にとって暗闇は当たり前だった。彼らには物が見えなくなる恐怖はなかったろう。彼らが暗闇を恐れたとしたら、それは夜行性の動物から襲われることだったろうか。人が火を発見したのは、暗闇でも物を見たいからではなく、火の力で野獣を遠ざけるためだったかもしれない。

 しかし現代人が暗闇を恐れるのは、野獣に襲われるためではむろんない。物が見えないことそのものを恐れているからだ。こうして現代人は明るさを求めて「火」を次々と進化させ、ついには「原子の火」を弄ぶまでになった。

 なんでも明瞭に見えなければ気が済まぬ現代人は、すべてのことを明晰に理解しなければ気が済まない。現代人が恐れるのは野獣ではなく、「暗愚=無知」である。こうして徹底した明晰さを求める人間は「科学」をひたすら発展させ、その科学が「原子の火」を生んだ。

 今は夜。我が町は「計画停電」のさなかにある。私は小さなろうそくの灯をたよりに、こうして文を紡いでいる。「原子の火」に依存しないくらしは「暗闇」を恐れないことを意味するはず。つまり「無知」であることを恐れないことだ。人間の眼は「暗闇」に慣れる。暗闇の中でこそ人の直感は研ぎ澄まされ、物の気配を正しく見分けることができる。とすれば人は「無知」であればこそ、実は事の真実を見抜くことができるはずではないか、などと・・・。

 おっと、電灯が点いた。思わずほっとする。私も紛れもない現代人である。

 

 

42日号「消えない火」

 

 用事があり、東京湾岸を電車で千葉まで行ってきた。湾岸は高い煙突が林立する石油化学コンビナートが何十キロと続いている。東電の火力発電所も5基ここにある。幸い東京湾岸は津波の被害はなかった。しかし地震直後この一角にある石油製油所で配管から漏れ出した天然ガス(ブタン)が引火、ガスタンクが次々と爆発炎上した。一時は上空800メートルまで炎が上がり、一帯は真黒な煙に包まれたという。火災は延々と続き、ガスが燃え尽きた10日後にようやく鎮火した。電車の車窓から遠くに見たコンビナートは、今は平静を保っているようだ。

 3月30日、東電会長は地震後初めての記者会見で、福島第一原発1~4号基は廃炉にすると述べた。冷却機能が回復した56号基については言明しなかったが、政府のスポークスマンはこれらも廃炉にすべきとの見解を示している。

 廃炉にするには、まず稼働中の原子炉を冷温停止状態にしなければならない。冷却装置が動けばこれは12日で完了するというが、現在もなお冷却装置は動いていない。冷温停止した核燃料を安定させるには、さらに34年冷却プールで冷やし続けなければならない。さらに施設や原子炉を解体しそこを完全な更地にするには20年、30年の歳月が必要という。しかしそれでもどこかに移され保管される使用済み核燃料は、さらに長期間放射線を放出し続ける。プルトニウムの半減期は24000年、ウランは162000年。

 化石燃料の火は燃え尽きれば、鎮火する。しかし原子の火は半永久的に消えることがないのである。

 

 

410日号「希望」

 

 あの日。

火の見櫓(やぐら)で半鐘(はんしょう)を鳴らし続けながら、津波に呑みこまれた消防団の男性。「逃げて!」と防災無線放送で住民たちに叫びながら、濁流に姿を消した町役場の若い女性職員・・・。

そしてそれから続く日々の中。

町の再生は原発の復旧からと、避難先から危険な現場に戻ってきた若い原発労働者。人々から日用品を途切れさせまいと、店を守り続ける自主避難地区の店主。従業員たちの給料を支払おうと、金策に走り回る被災した小さな工場の経営者。原発から近い町で、診療を続ける医師と看護師。避難場所でゴミの分別を呼び掛ける男性。村に留まり、牛の世話に余念のない避難区域の農民。自らも被災し、家族を失いながらも不眠不休で奔走する役場の職員。救援にやってきた若いアメリカの兵士に、何度も頭を下げながら手にした一枚の米菓を差し出す老婆。そしていつ終わるとも分からぬ仮の生活に、取り乱すことなく耐える無数の被災者たち・・・。 

被害の全容が未だ杳(よう)として不明のこの大災害。しかし勤勉で、責任感が強く、礼儀正しく、律義(りちぎ)、こうした人々が健在である限り、この国には確かな希望がある。

明日で被災1か月。

それでもまた明日、種をまこう。

 

 

411日号 「天国はいらない、故郷を与えよ」

 

 「種(たね)を蒔くな、収穫するな、食べるな、出荷するな、・・・そこに住むな」。これらは「故郷」に生きる人々への「国家」による迫害である。「国家」の武器は「数値」だ。大気、土、水、海、農産物、魚介類、飲用水などなどの汚染・・・。○○シーベルト、××ベクレムという数値が踊る度に、「故郷」に生きる人々は惑い、追いつめられていく。「原発」はこうして「故郷」を破壊した。科学の粋を集め、権力の限りを尽くしその「原発」を作ったのは、他ならぬ「国家」だ。

 首都・東京。光溢れるこの都は人々を魅了する「天国」か。「天国」は「原発」により支えられている。「原発」の喪失は「天国」から光を奪った。今「天国」は深い闇の中に沈む。

「故郷」を追われた人々はどこへ向かうのか。「天国」を失った人々はどこへ彷徨(さまよ)い出るのか。人々の安住の地はいずこか。

 

「天国はいらない、故郷を与えよ」(セルゲイ・エセーニン)

 

(「東京日記」はひとまず本号をもって、ページを閉じます。お読みいただいた方々、そして私に執筆の機会を与え、翻訳の労を惜しまなかったRichard Pestemer君に、あらためて感謝を捧げます。またの機会に。)

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