ロジェ・カイヨワの『戦争論』

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 NHK教育テレビ(Eテレ)番組『100分de名著(https://www.nhk.or.jp/meicho/』、ロジェ・カイヨワ『戦争論(https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/90_sensouron/index.html)』は、哲学者・西谷修先生の解説で4回にわたり大変興味深い内容でした。

 「人間にとって戦争とは何か?」という根源的な問いに対して、人類学の視点から答えを出そうとしたこの「戦争論」。「ユネスコ国際平和文学賞」を受賞し、国際的に大きな反響を巻き起こし、フランスの高名な社会学者・人類学者ロジェ・カイヨワ(1913 - 1978)が、「人類は戦争という現象とどう向き合うべきか」を世に問うた戦争論の名著です。

 戦争を全般的に考察し、それについて論じる本としては、私も以前に読んだクラウゼヴィッツの『戦争論』(1832~34)が古典として著名で、その後、西洋近代以降(フランス革命以降)の近代国家体制が成立してから、折あるごとに書かれています。それらは国家間戦争という枠組みを前提にして、戦争をする国家や軍人の立場から、技術的な成功・失敗、或いは政治的にどう回避するか、といった議論が一般的でした。

 カイヨワは、それとは違ったスタンスで、「人間にとっての戦争とは何か」という問題に真正面から取り組んだのです。なぜなら、20世紀の戦争は、「世界戦争」であり、あらゆる人々の生存を巻き込む人類的な体験だったので、もはや戦争は単に国家の問題でもなく、また軍人や政治家だけの問題でもなく、私達万人・人類にとっての問題だと考えたのです。

 彼は言います、戦争の本質・もたらすいろいろな結果、歴史上の役割は、戦争というものが単なる武力闘争ではなく、「破壊のための組織的企て」であるということを心に留めておいてこそ初めて理解することができる、と。

* 戦争形態の変遷:

1 原始的戦争(身分差のない、未開段階社会における部族間抗争)

2 帝国戦争 (異質な文化・文明を背景にした集団同士の衝突)

3 貴族戦争 (封建社会における貴族階級の職能としての戦争、日本においては武士)

4 国民戦争 (国家同士がそれぞれの国力をぶつけ合う戦争、無制限な破壊・殺戮)

* マスケット銃が歩兵をつくり、歩兵が民主主義をつくった。

~~私はミュージカル『レ・ミゼラブル』のバリケードの場面を思い出しました。当時としては、「銃を取る」ことが圧政からの解放の象徴だったのでしょうね。

* 近代の民主制国家の内実は、平民が銃を手に入れたことで、武装した市民たちがそのまま軍隊なっていく。身分制社会から、平等社会に近づけば近づくほど戦争が激化していくパラドックスは、この理由から生じている。

* 第一次世界大戦の各地のモニュメントが「英雄の碑」ではなく、「無名戦士の墓」であることはよく知られている。多くの無名の人たちが国家に尽くし、その礎となったことの証、国家は「死の貯金箱」へ。

* 二十世紀に入り、戦争が「全体戦争」となってその惨禍が深刻化すると、初めて戦争が「罪悪」であるという考えが顕在化してきた。それまでは、戦争すること自体に善悪は無かった、それ故に「無差別戦争観」であり、勇ましく戦うことは美徳として称えられることはあっても、非難されることは無かった。

* ウェストファリア体制では、主権国家が、「宣戦布告」によって戦争を始め、第三国つまり非当事国家が設定する「講和会議」によって戦争を終えるというルールができた。以降の国家間秩序の中では、ことの善悪にかかわらず戦争することは国家の「権利」だった!

* アインシュタインとフロイトとの往復書簡

ーーアインシュタイン:人間を戦争というくびきから解き放つために何ができるのか?

――フロイト:集団的暴力の発露である戦争は、一人ひとりの人間の意志ではどうにもならず、ただ発展した文明への依存と、それによる生物としての衰退だけが、戦争を終焉に向かわせることができるだろう、と。

――両者:戦争は人間の意志ではどうにもならない。

* 「戦争」の実態は、「祭り」の実態に相通じる。ともに騒乱と動揺の時期であり、多数の群衆が集まって蓄積経済のかわりに浪費経済を行う時期である。個の独立性は一時棚上げされる。個人は画一的に組織された大衆の中に溶け込んでしまい、肉体的、感情的または知的自律性は消え去ってしまう。

* 身分制度から解放されて平等が社会の原則になっても、結局それが国民として一元的に国家の統制の下に置かれると、この「破壊・消費」への傾きは国家によって絞めつけられ、方向づけされることになる。それが戦争という形で、血わき肉おどる「祝祭」として爆発する。

* 戦争は国家によって「全体化」し、恐るべき「聖なるもの」として世界を吞み込んだ。「やってみて分かった全体戦争」(第一次世界大戦)から「それと分かって準備した全体戦争」(第二次世界大戦」という戦争そのものの反転が、この「呑み込み」のダイナミズムを表している。

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 以上、引用がかなり長くなりましたが、そんな絶望的な戦争への傾きにストップをかけることはできないのか、最終回はそこに焦点が当たっていました。それは結局、「人権」、そして「教育」であると。

 「戦争」に正面から歴史的に考察した素晴らしい論説でした。現代はさらに、国家間の軍隊対軍隊ではなく、テロとの戦いになり、それはすなわち一人ひとりの市民が標的の可能性が高く、日ごろからの監視社会を容認せざるを得ない時代に突入しているのですよね。基本的人権、プライバシーとの兼ね合い等、個としては難しい時代を生きなければならない、それを再確認しました。

2012年の大みそかに思う

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 2012年もいよいよ大みそか、皆さまにとって今年はどんな年でしたか?

 私は前半はいいペースで動いていましたが、夏過ぎからは少しずつの無理なスケジュールが影響し次第に過密になってきて、思索の時間が不足となり、年末はもうヘトヘト感で大いに反省しています。パネラーとか司会とか、ステージに立つ機会も多かったですね。気持はまだまだ旺盛なのですが、仕事の整理がつかない状態、机の上はかつてない程に資料の山、散らかってしまいました。ただ、私の能力減退というよりも、関わってきた一つ一つのテーマ・活動が「つながり」はじめて、これまでのカテゴリー分けでは収拾がつかなくなってきたような、そんな意味では「嬉しい悲鳴」とふり返っています。

 私にとって印象的な出来事は、北海道日本ハムファイターズの活躍です。この「部屋」でもこれまでたくさんコメントをしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA)。今年は特に栗山監督の初年度の挑戦でしたが、実に立派だったし、ことに臨む姿勢から多くの事柄を学びました。ダルビッシュの札幌ドームでの記者会見に始まり、メジャーでの活躍も含めて、私の元気の素でした、ありがとうございました。

 活動としては、「エネルギーチェンジ100プロジェクト」ですね、これについてもここで何回も書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8100)。来年は是非、北海道での「再生可能エネルギー円卓会議」を構築したいと思っています。

 もう一つの来年に向けての挑戦は、人材育成の原点、「新渡戸稲造・遠友夜学校」を札幌の教育の柱にしていく活動です。新渡戸稲造についてもここで何回も書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0)。今年は「生誕150年」でしたが、私自身は動きが取れませんでしたので、来年の「没後80年」には札幌のまちづくりとコラボレーションし、幅広い方々の参画を得て、「事業」を構築していくのが夢であり、正夢としたいですね。

 

 今年は「大正100年+1」でした。別の言い方をすると「明治天皇没後100年(http://www.asahi.com/national/update/1203/TKY201212030227.html)」、「昭和87年」で、そして「明治144年」とも。あと13年で「昭和100年」、2025年です。そんな時間軸で今を捉えて見ると、新しい歴史の気づきも生まれてきます。

 こんなテレビも気になりました、NHK教育テレビ(http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/index.html)。歴史を多面的にしっかり振りかえる、いつの時も忘れない姿勢でありたいですね。

 秋山財団も26周年を終えて、来年はさらに飛躍して参ります。これまでの資産を「つなぐ」をキーワードに、研究助成での「アウトリーチ活動」、活動助成での「ネットワーク形成」を主要テーマに、これからもイノベーションを継続して参ります。今年一年、多くの皆さまにご支援・ご指導頂き、心から感謝申し上げます、皆さま、どうかよいお年をお迎え下さい!

「地域医療と霞が関の半世紀」

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 NHK教育テレビのETV特集「地域医療と霞が関の半世紀(http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1007.html)」は、大震災被害の病院再建から、戦後の医療政策をさかのぼる、大変優れた番組でした。「医療」は、これまでの私の人生の中でも、重要なテーマであり、これからも寄り添い続けます(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%BB%E7%99%82)。

震災後の復興と戦後医療の問題提起

震災後の復興と戦後医療への問題提起

 医薬品卸業経営者として、医薬品流通の立場で度々お会いした日本医師会の坪井栄孝元会長、秋山財団の最初の講演会の演者でお招きした日野原重明先生、厚生省(現・厚生労働省)の幸田正孝さんほか、懐かしいお顔も登場していました。坪井先生は、お会いした時はいつでも、当時まだ若かった私の話をしっかりお聞き下さり、飾り気なく、誠実に向き合って頂きました。

第15代日本医師会会長・坪井栄孝先生

第15代日本医師会会長・坪井栄孝先生

幸田正孝さんと武見太郎先生

幸田正孝さんと武見太郎先生

 東日本大震災によって被災した医療機関は、実は震災前から、医師不足と赤字経営に苦しむ医療過疎地域でした。岩手県陸前高田市の県立高田病院では、今は、全国から駆けつけた応援の医師たちの助けを借りながら、何とか仮設診療所での診察を続けています。

片野嘉一郎先生

片野嘉一郎先生

 福島県では、福島第一原発の事故後、放射能による健康被害を懸念し、医師の離職が相次いでいるとのこと。原発事故が、もともと深刻だった医師不足にさらなる拍車をかけている現実です、郡山市のあの坪井先生の病院ですら、その問題に直面しているようです。
 なぜ、地域医療は疲弊してしまったのか、厚生省キャリア官僚OBと日本医師会の元幹部の方々への長時間のインタビューは、その経過を明らかにしていました。医療費削減と保険料負担の調整に追われる一方、どんな医師を育て、全国に医師をどう配置すべきかという担い手の議論がおきざりに、或いは見誤ってきた実態ですね、これは当時もずっと指摘されてきたポイントでした。

 ビバリッジ報告、医療機関整備計画、国民皆保険制度導入、プロフェッショナル・フリーダム、自由開業医制、医療金融公庫の成り立ち、一県一医大構想、家庭医制度の試み、医療法改定、地域医療計画、必要病床数、かけこみ増床、医療費亡国論、新臨床研修制度、等、これまでの歴史を振り返るキーワードも明確で、戦後の医療政策を1時間半の番組の中で、コンパクトにまとめられていました。

 この番組の特に優れているところは、震災後に病院を取り戻そうと模索を続ける岩手県立高田病院の半世紀の歩みに、戦後の医療を巡る厚生省と医師会との攻防の歴史をたどりながら、超高齢社会に突入した日本で、これからも持続可能な医療の姿への問題提起だと思います。

 予測に基づく政策立案、そこに絡む各セクターの思惑、思ったような成果を挙げられない、或いは意図しない結果となってします等、共通して大きく欠けているのは、一人一人のモチベーションとか心理と言った社会科学・人文科学的な考察のような気がします。今のエネルギーにおける原子力発電の議論にも、この論点が欠けていて、ただ「エネルギー」の問題として技術的な視点からばかりのやりとりで、それ以外は「感情的」と排除されているような気がします。成功する政策の秘訣は、実は「人の心理をつかむ」ことなのだと思います、ね。

「JT生命誌研究館」を訪れて

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 大阪・高槻市にある「JT生命誌研究館:http://www.brh.co.jp/」では、「生きること」、「ゲノムとDNAと時間軸」、「何だかへんなところ」、「いのちのつながり」等、展示の一つ一つのフレーズが、実に心地よく響きます、豊富な素晴らしいメッセージです!(以下の写真はこのブログに使用との限定で承認して頂きました)

生命誌

生命誌「生きる」ということ

館内2階から

館内2階から

いのちの連鎖

いのちの連鎖

 ここの館長・中村桂子(http://www.brh.co.jp/youkoso/aisatsu/)先生に、今年秋予定、秋山財団講演会での演者の依頼をして参りました。大変お忙しい中、北海道までお越し頂くのは大変困難なのは承知していたのですが、何とか無理をお願いして実現しそうです、本当に有り難いことです。中村桂子先生は、3年前の札医大・リレー講座(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1690)でも素晴らしいお話でしたし、つい最近のNHK教育テレビ「いのちの時間」等にも出演されています。

 この生命誌研究館では、「いのち」のつながりを「見える化」して展示し、易しい表現ながらも妥協することなく、ゲノムDNA等についてかなり高度な内容まで説明しています。「多様性」、「いのちがつなぐ歴史の創造」、「いのちを育む場としての地球」、本当に一つ一つが心に沁み入ります。

 まさにライフサイエンス研究の究極のアウトリーチ活動ですね、最初に「いのち」を学ぶ子どもたちが、こういった場と出会うとことが、最高の価値だと思います。

日本人は何を考えてきたのか?

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 NHK教育テレビ「日本人は何を考えてきたのか:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/about/index.html」、NHKのHPには:~~~~~~未曾有の震災、原発事故、そして混迷する政治・経済…いま、私たちは文明史の転換に立たされています。日本はどこへゆくのか。時代の座標軸を求めて、思想や哲学を求める声が高まっています。日本が近代文明を目指して開国してから150年。この間、人々は時代と向き合い、何を考えてきたのでしょうか。思想の巨人たちの苦闘の中に、今を読み解く手がかりはないのか。このシリーズは国際的な新しい視点で2年がかりで日本人の近代の思索の営みを描いていきます。~~~~~とあります。

 第4回「非戦と平等を求めて~堺利彦と幸徳秋水:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/0129.html」は、見応えがありました。歴史学者・クリスチーヌ・レヴィ(フランス・ボルドー第三大学教授:http://peces.blog27.fc2.com/blog-entry-455.html)さん、山泉進(明治大学教授:http://www.meiji.ac.jp/hogaku/teacher/yamaizumi.htm)さんのコメント、特にレヴィ教授のお話は実に興味深かったです。国家と国民、自立した存在としての国民、国家権力とその責任の取り方、取らせ方等、3・11以降の今、まさに問い直されるべき日本社会だと思います。

<参考サイト>

* 「堺利彦顕彰会:http://www12.ocn.ne.jp/~sayaka/turuta_hayama_sakai/sakai.html

* 「幸徳秋水を顕彰する会:http://www.shuusui.com/

 2年前に高知県四万十市を訪れた時、四万十中村で幸徳秋水のお墓をお参りしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3916)。冤罪(えんざい)のまさに始まり、日清・日露戦争を経た当時の時代背景をあらためて認識しました、「歴史に学ぶ」とは言え、歴史の検証というのも奥深いですね。記録の壁を穿ち、厚い扉をこじ開けて真実を究明する、そんな飽くなき姿勢が必須です。

 今後、7月「大正編:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/index.html」も楽しみです。~~~~~~~~~~~~

第5回 東と西をつなぐ ~内村鑑三・新渡戸稲造~

第6回 大正デモクラシーと中国・朝鮮 ~吉野作造・石橋湛山~

第7回 貧困に取り組む ~河上肇と経済学者たち~

第8回 常民の日本を探る ~柳田民俗学とその継承者~
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「命の世話」と向き合う

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 先月までの4年間、第16代大阪大学総長だった臨床哲学者の鷲田清一(http://www.isc.meiji.ac.jp/~nomad/washida/menu.htm)さんが、日曜日朝のテレビで静かに語っていました、「『命の世話』と向き合う」です。

 NHK教育テレビでは、心に沁みる番組がありますね(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=NHK%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93)。3・11の大震災後、何か生きていることの意味合いが変わってきているような気がします。以下、幾つか印象的だったフレーズを。

* 「命の世話」を引き受ける

* 「Responsibility」の意味は、「Response:応答・反応」+「Ability:能力」であり、日本語訳の「責任」とは意を異にする。「Community」の「パブリックな事がら」をもう一度引き受け直す、それが「Responsibility」の本来の意味

* 大切なものを失った時、「自分の人生を語り直す」プロセスが大切、そして最後まで自分で語り終えることも<R.D.レイン(Ronald David Laing):http://d.hatena.ne.jp/keyword/R%A1%A6D%A1%A6%A5%EC%A5%A4%A5%F3

* 「聴き役」の心得は、1)相手が語り切るまでひたすら「待つ」こと、言葉が出て来るまで「待つ」こと。<感心する才能>、2)他人との関係の中で考える、自分の時間を相手にあげること、3)自分の中で完結させない、すなわち「命の世話」と向き合うこと

* 自分の名前は、人から頂いたもの、それは「相対化した自分」と向き合うことを意味づけられている

 

 休日の朝、頭が一番すっきりしている時間帯に、根源的・哲学的なお話が入ってくるのは心地良いです。この番組を見ていて、思い出した方がいます、「株式会社レスポンスアビリティhttp://www.responseability.jp」代表取締役の足立直樹さんです、これまで企業と生物多様性の保全に対してメッセージを発信し続けています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2990)。 秋山財団の「ネットワーク形成事業」の一つ、「社会企業研究会」で第一回のゲストとして興味深い講演をして頂きました(http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html)。先日届いたメーリングの最後に、「・・・・・、 何かおかしくなりつつあることに、みなさんはもう気がついているはずです。問題は、いつ行動を起こすかです。それが、持続可能になれるかどうかの分かれ道なのだと思います。――サステナビリティ・プランナー 足立直樹――」と書かれていました。

  「2001.9.11」からちょうど10年、「2011.3.11」から6ヵ月、犠牲になった皆さまのご冥福をお祈りしながら、身の引き締まる思いの今朝の私です。

大地震、今、感じること(7)

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 もうすぐ大震災から一ヵ月が経とうとしています。数回前にも書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7320)、このところ、的を射た発言、感動する番組も増えています。

 経営共創基盤CEO(http://www.igpi.co.jp/)・冨山和彦さんの文章、産業再生機構時代から彼の発言には注目していましたが(http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/person/interview/070424_toyama1/)、朝日新聞(4月2日)のオピニオン「3・11再起」で、「すべては『子どもの為に』」と題するメッセージは心に染み入ります。

・・・・これからの日本再興で一番大切なことは、すべての政策やプランを「子どもたちにプラスかマイナスか」で判断することです。「国は何をしてくれるか」ではなく、「あなたは国の未来のために何ができるか」を問うこと。それを国民に問う勇気のあるリーダーを選ぶこと。だから町づくりも、さらには国づくりも30代までの若い世代に任せたい。50年後にも生きているだろう彼らが、未来を決めるべきです。それより上の世代は、子どもたちのためにどれだけ犠牲になれるか、当然と思っている既得権益をどれだけ捨てられるか、が問われる。年金受給権も、医療保障も、あるいは年功序列や終身雇用も、それが大事です。すべての政策や復興計画は、子どもたちの未来を軸に考えていく。・・・・・

 NHK教育テレビ(4月3日夜10時から)のETV特集「原発災害の地にて~対談玄侑宗久・吉岡忍:http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html」は、原発事故下の福島県にて直近の取材で、大変説得力がありました。福島県三春町の福聚寺住職・玄侑宗久(http://www.genyu-sokyu.com/)さんの言葉の力、近隣住民の元高校教師の放射線量観測データ、避難所の漁師の証言等、東京電力ほか原発関係者を含む諸中央官庁への不信感、自らのデータ蓄積と研ぎ澄まされた判断で行動する自立性、等です。今回「亡くなった命」が生き残った人々へ与えるメッセージをしっかり受け止めて、私たちには新たなより良き社会を構築する使命がある、そう私は理解しました。

 プロゴルファー・石川遼くんの今年の賞金全てを被災者支援への寄付とする報道にも感動しました。ただのパフォーマンスではなく、マスターズトーナメント(http://www.tbs.co.jp/masters/)を間近に控えて、今回の被災者に心を寄せるその姿勢、19歳の人間とは思えいない、いやそれゆえの崇高な志に涙を抑えることができませんでした。自身の成績と金額を連動させたことについて、「こんな時に、ゴルフをやっていていいのだろうかとも考えました、でも復興には長い時間がかかると思う。皆さんと一緒に戦っていく形にしたかった」とインタビューで答えていました、何というプロゴルファーでしょうか。

 昨日、スイスの金融機関の方から連絡が有りました。「日本の原発事故の推移の中で、少なくともヨーロッパの多くの人々は、日本の関係当事者たちの発表に強い不信を持っている」と。爆発当初にアメリカ原子力規制委員会(Nuclear Regulatory Comission:http://www.nrc.gov/の責任者が語った悲観的予測の通りに事態が進んでいると認識していて、日本の復興により経済が上向きになるのは10月以降ではないか、との観測が定着しつつあるようです。さらにフランスのサルコジ大統領の緊急な訪日も、来年の大統領選挙に向けては裏目との見方が大半とか。

 NRC は3月21日に、福島第一原発事故に関する公聴会を行いました。その中で、NRC は現在、福島第一原発事故に関して、主に3つの活動を行っていることを明らかにしています。1つ目は、日本政府、およびNRC の連携先である原子力安全・保安院に対する支援、2つ目は、情報収集とその情報にもとづく日本国内のアメリカの施設への安全性評価、3つ目は、アメリカ大使館への支援です。

 福島第一原発事故の現状も説明されましたが、日本側から提供される情報は記者会見で発表される程度のもので、NRC が独自の解析を行うに足るものではないようです。「正確な状況を理解することは非常に難しい。情報はときに錯綜しており、技術者が詳細な解析をするために必要なレベルではない。そのため、われわれは最良の理解のための情報を収集するのに多くの時間を費やしている」と、責任者(Executive Director for Operation )のウィリアム・ボーチャード氏は語りました。

 気象庁の事故現場付近の風に関する定点観測情報も、海外からのメッセージの方が迅速で正確のようですね(http://takedanet.com/2011/04/47_afa2.html)、国内ではなぜか急に発表されなくなったのですから。今の情報時代、NHK教育テレビに出演していた福島県三春町の福聚寺住職・玄侑宗久もおっしゃっていましがが、とにかく出来るだけ早く測定値を発表さえすれば、分析等は世界の専門家たちが瞬時に寄せる時代である、と。「Twitter」がわずかの文字数でもなぜあれ程のネットワークを形成できるか、それは個々のメッセージを読んだ人たちが、次々にメッセージを寄せることにより、瞬時にネットワークが形成されていく、質の進化がなされる、そういう時代なのですよね。

 情報制限下の日本社会、「国への幻想」は早々と捨てて、私たちの身の回りのできる活動からやっていきましょうよ!未来は予測するものではなく、創っていくものであることを信じて、です!

菜の花忌:司馬遼太郎のたいまつ

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 司馬遼太郎記念財団(http://www.shibazaidan.or.jp/)が主催「第15回 菜の花忌」が大阪で開催され、1400人を上回る人で大盛況でした。NHK教育テレビの番組としても後日放映されるようです。この記念館については、昨年書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5898)。開演2時間前に、下見を兼ねて会場ロビーを通ったところ、すでに200人以上の方々が列をなしているではありませんか。少し驚きましたが、私は取り敢えず隣の歴史博物館(http://www.mus-his.city.osaka.jp/)の特別展示、「発掘された日本列島2010」を見学しました。

隣の博物館では

隣の歴史博物館では

 この「菜の花忌」は、司馬遼太郎さんの命日の2月12日に、東京と大阪で交互に開催されています。今年は第15回とのこと、ホールの舞台前方には端から端までたくさんの菜の花で飾られていて、終了時には参加者の方々にお土産としてプレゼントされました。

当日のプログラムから

当日のプログラムから

 プログラムは2部構成、第一部は「司馬遼太郎賞」、「フェローシップ」の贈呈で、それぞれ現理事長・福田みどりさまからの手渡しでした。福田みどりさまは、昨年夏に腰を患って入院中とのこと、先日も病院からお越し頂いたとのことでしたが、しっかりとしたまごころ溢れる冒頭のご挨拶でした。

福田みどり理事長のご挨拶: 入院中に、あらためて「生きる」ことの意味を学んだ。入院している方々は、清らかな魂からこぼれ落ちるような笑顔、前向きで、明日だけを見ている眼差しに感動した。存命だった司馬さんを、どれだけ本当に理解出来ていたのか、振り返る時がある。

 第二部は、シンポジウム「司馬遼太郎のたいまつ――われわれが受け継ぐべきもの」と題して、興味深いお話。小学校の教科書にも掲載された、「洪庵のたいまつ:http://www.youtube.com/watch?v=ePjlDn-VH0Y」、「二十一世紀に生きる君たちへ:http://gogodiet.net/Forkids.htmhttp://yokohama-now.jp/home/?p=3504」を題材に、緒方洪庵の大阪・適塾の理念ほか、4人のパネラーそれぞれの視座から含蓄のあるご発言でした。

 ~~~~~~~「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。~~~~~~~~~~~「二十一世紀に生きる君たちに」より引用

 江戸の各地における多様な教育の再評価、「理屈」と「道理」との違い、岡潔の「鋭い発見の喜び」ほか、パネルディスカッションで紡ぎ出される味わいのある言葉を反芻し、私は帰り道に何回もうなずきながら余韻に浸っていました、素晴らしい会でした。

私にとっての「沖縄」

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  戦後65回目の今日です。「私にとっての『沖縄』」と題してこの欄の下書きを始めて、一カ月があっという間に経ってしまいました。こんな状態が私にとっての「沖縄」なのでしょう。

 私はこれまで2回沖縄に行ったことがあります。最初は今から20年ほど前に、スキューバダイビングを目的として「万座毛:http://kankou.e-pon.jp/manzamou/」周辺で数日、その間、嘉手納基地(http://www.kadena.af.mil/)に知人にご案内をして頂きました。昔、千歳のクマ基地の想い出がおぼろげにあった私ですが、嘉手納基地は比較にならない程広大な「コミュニティー」でした。この時は基本的には観光目的で、戦跡等とは無縁でした。

 2回目は10年くらい前、医薬品卸会社の営業担当副社長として、全国の営業部訪問の一環で沖縄を訪問しました。会議終了後に会社関係者に案内して頂き、摩文仁の平和祈念公園、慰霊碑、ひめゆりの塔、地下壕、首里城等を、かなり時間を掛けて回りました。当時、私は名古屋に単身赴任でしたが、摩文仁の北海道関係者の慰霊碑で、24万人のうち1万人以上の戦没者の名前を見て、あらためてその犠牲の大きさに胸を痛めました。先日8月13日NHK総合:北海道プラス「北海道民の沖縄戦:http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=700&date=2010-08-13&ch=21&eid=52764」で、詳細に報道されていました。

2010.6.23札幌での慰霊祭

2010.6.23札幌での慰霊祭

 今、藻岩山の麓にある慰霊碑の前での式典は、今年が最後とのこと、来年には慰霊碑を札幌市中央区の市営地下鉄幌平橋からほど近い札幌護国神社(http://www3.ocn.ne.jp/~gokoku30/)に移転することになったそうです。

 更に沖縄を一層近いものにしたのは、経営者で尊敬する浦崎さん(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1152)とのお付き合いからです。沖縄の家族の強い絆について、貴重なお話の数々をお聴きしました。

 それ以降沖縄に関するニュースには、特に沖縄戦に象徴されるように、第二次世界大戦後の日本本土との関係、沖縄返還他、新しい事実も知ることにより、自分なりに意識をあらたにしています。メディア報道でも、今年に入ってかなり放映されていますね。

 例えば、W杯サッカー・南アフリカ大会の最中に、沖縄返還時の密約に絡む貴重な番組がありました(その後再放送もされました)。沖縄返還時の外務省の若泉敬さんに関して、NHKテレビ(http://www.nhk.or.jp/special/onair/100619.html)、地元・琉球新報の記事(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-2174-storytopic-1.html)。沖縄戦に関しては、 NHK教育テレビ・ETV特集第318回(6月27日)「よみがえる戦場の記憶~新発見沖縄戦600本のフィルム~http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html」、昨年から今年の日米安保条約に絡む米軍基地問題(第310回(4月25日) 「本土に問う~普天間移設問題の根底~http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html」)等です。

 このシリーズではまた、第285回(昨年8月23日)「シリーズ戦争とラジオ第2回:日米電波戦争~国際放送は何を伝えたのか~http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html」といった、貴重な報道もされています。

 密約の存在が明らかになったのもそうですが、一連の報道の情報源が、ことごとくアメリカであること、その辺りに先進国(?)としての日本の構造的課題が今も存在していると思います。「歴史の記録」の価値、資料の焼却等の処分により、歴史的事実そのものの削除は、検証を困難にし責任を曖昧にする姑息な手段ですし、日本国民の人権に対する甚だしい冒涜だと思います。「情報公開」の法的整備は、「情報機密」の法的整備にも通じる大切な社会基盤整備です。

 日米関係においては、新政権には冷戦構造後の新しい関係構築に向けた「場」の設定を、基地・核兵器削減を含めた安全保障分野を始め、多くの分野で一歩踏み出して貰いたいと思います。

いのち、人と人との間に

Posted by 秋山孝二
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 NHK教育テレビ、こころの時代「いのち、人と人との間に」で、千葉県成田市・曹洞宗長寿院の篠原鋭一住職のお話を再放送で聴きましたhttp://www.choujuin.com/introduction/index.html。ご自分の体験から、「あなたも人生の料理人」と語る住職のひと言ひと言に温かみを感じました。

*生きていく為の仏教でありたい

*人生の羅針盤としての僧侶の存在

*自死への相談

*同事行、因縁果、無常

*多彩なイベント

   ◆長寿院サンガ(コンサート・講演会等)を年4回開催

   ◆カンボジア・タイ・中国少数民族教育支援ボランティア活動

   ◆悩み相談・自殺志願者との対話(年中無休・無料)

   ◆小学生・中学生・高校生・大学生対象「心の力を養う合宿」開校

   ◆社員研修会の開校(長寿院でまたは会社で)

   ◆住職の著書「みんなに読んで欲しい本当の話①・②」「あなたも人生の料理人」「仏教スクール」他

ホームページには、下記のようなメッセージが記載されています。

――現在で33世を数える住職が檀信徒と共に、誰でも気軽に立ち寄れる「開かれたお寺」づくりを目指し、お寺の整備・修繕につとめてまいりました。通常行事のほか多彩なコンサートや講演会等を定期的に開催するなど、広く文化交流の場としてお寺を開放しています。また、学生さんから社会人の皆さんまで、「心の力」を養う禅合宿や研修も行っています。ご希望であれば、どなたでもご自由に参加いただけます。どうぞ、生きている間にお寺をご利用ください。

サンガとは「やすらぎを求める人々の集い」又は「共同体」のことです。長寿院サンガの様々な催事に参加して「出会い」を、そして「心の豊かさ」を体験してください。どなたでも参加いただけます。

 年齢や職業などすべてを超えて、なごやかな食事の会が始まります。スタッフが心をこめて用意する精進料理、お酒も少々。お寺でのお食事会ならではの、平和なひとときです。

 み仏の前で行なう結婚式を『仏前結婚式』といいます。清楚な式、おだやかな披露宴。平和な家庭がいくつも誕生しています。

 仏教は一度きりの人生を幸福に生きる「生き方」を説いています。死んでからでは遅いのです。生きているうちに聞いて、人生に活かしてください。

私たちはいつも動いています。時には止まりましょう。静の中に身をおいてこそ正しい判断や結論が出るのです。

 食事は「喰う」ものではなく、「いただく」ものです。禅寺の食事作法により、いのちの尊さを学びます。

―――――――

 「どうぞ、生きている間にお寺をご利用ください」というメッセージに、大変新鮮な響きがありました。話を聞く場の生け花にもさり気ない気配りをする篠原さんの優しさに感動致しました。

 

早起きは三文の得

Posted by 秋山孝二
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 日曜日の早朝5時頃、何気なくテレビのスイッチを入れましたら、NHK教育テレビで「こころの時代~無は無限大~」が放映されていました。

相國寺派管長http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/index.html

有馬賴底(ありまらいてい)老大師http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%97L%94n%81@%97%8A%92%EA/list.html

「人間本来 無一物」と題して、「無は無限大」の意味を1時間、丁寧に語っておられました。以下、印象に残ったお言葉です。

*「知」は会得するもの、真の自由人は解き放たれる

*「転じる力」を培う ――>執着したり、とらわれたりしている時はダメ

*霊性を揺さぶる力 ――>眠っている力

*空っぽで生きていく事が、最も豊かな事

*僧堂にこもる + 行脚する  :黙想と行動のバランス、体験して初めて納得できる

*師匠の笑顔は見た事がない

*ボヤの直後の「片付けろ!」の師匠のお言葉、「見ていてくれた」事への感動

一方、つい先日、鈴木大拙著「禅と日本文化」(岩波新書)http://kindai.bungaku1.com/showa01/zen.html を読んだばかりでした。この本の初版は英文で1938(昭和13)年、和訳本は北川桃雄訳で1940(昭和15)年の出版です。禅と美術、武士、剣道、儒教、茶道、俳句、を通して禅の精神を几帳面に述べています。同時に日本文化を世界に説明する強い意欲を感じました。冒頭の第一章では「禅の予備知識」として、丁寧にその基本が記述されています。日本文化の非相称性、禅の精神の「孤絶性」、「孤独性」他、「無執着」と言い換えてもいました。

新渡戸稲造の「武士道」もそうですが、欧米人に対して日本文化を伝えたい、という情熱を全体を通じて感じます。

休日の早朝、頭が「空」の状態で響き会う言葉も多く、「三文の得」でした。