NHK ETV『100分de名著』!!

Posted by 秋山孝二
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 NHK教育テレビ『100分de名著(https://www.nhk.or.jp/meicho/)』は大変面白い解説とやり取りで毎回注目しています、テキストも読みやすくコンパクト、今回はアレクシェーヴィチ著『戦争は女の顔をしていない(https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/112_sensouwa/index.html)』でした。

* これまでの記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=100%E5%88%86de%E5%90%8D%E8%91%97

『老い』、ボーヴォワール

Posted by 秋山孝二
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 70歳代を生き始めている私に、時間のある時に出会うとても興味深い番組がいくつかありますが、『100分de名著(https://www.nhk.or.jp/meicho/』もその一つ、先月の『第111回(https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/111_beauvoir/index.html)』のボーヴォワールの著書『老い』も素晴らしい内容でした。

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 シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908~86)は、ジャン=ポール・サルトルと並び、戦後フランスにおいて実存主義の思想を掲げて活動した作家・哲学者です。代表作『第二の性』(1949年)は、1960年代のウーマン・リブ以降のいわゆる第二波フェミニズム(第一波は19世紀末からの婦人参政権運動)の先駆けとなった著作で、世界の女性たちに大きな影響を与えました。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な一節は、現在のジェンダー研究の最先端、すなわち、性差は運命でも単に生物学的なものでもなく、社会的に構築されるものである、という視点を先取りしていました。(上野千鶴子さん)

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 私にとっては、1960年代後半の大学生時代、「ウーマンリブ」運動の台頭の中で、ジャン・ポール・サルトルとともに、バイブルの様に読まれていた哲学者でしたが、当時の私には『第二の性』はどこか馴染めず、遠くから眺めていたといった感じでした。先日のNHK・Eテレで著書『老い』に触れて、あらためて彼女の慧眼に触れた気がしています、上野千鶴子先生の解説も大変興味深かったですね、今の時代、各回の題名だけ見ても注目でした。

第1回 老いは不意打ちである
第2回 老いに直面したひとびと
第3回 老いと性
第4回 役に立たなきゃ生きてちゃいかんか!

 彼女には子供さんはいらっしゃらなかったですが、没後の他の方のコメントも衝撃的でした。

 一方それとは別の話題ですが、朝のワイドショーではトレンディな働き方も紹介されていて注目でした。

 以前はよく理解できなかった書物に、時代、或いは自分の状況がが追いついてきた、そして同時に、自分とは全く違う発想の若い世代の台頭も感じながら、私自身の70歳代を生きていきたいものだと思う昨今です!!

今、マルクス 『資本論』

Posted by 秋山孝二
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 NHKテレビ『100分de名著(https://www.nhk.or.jp/meicho/sp/archives/index.html』、昨今の資本主義の行き詰まりを感じる中、今、『資本論』の新たな読み解きが面白いですね。新しい時代の新しい評価、私自身との歳の差を痛感しました。新たな世代が新しい時代を創っていくのだなと納得した時間でもありました。

「資本論」

 最近、複数の方々がこれまでの資本主義では問題は解決しない、もっと抜本的改革が必要だとして、新たな社会像を考えるためのヒントをマルクスの思想に求め始めています。また、ヨーロッパの都市では、住宅や水、エネルギーといった「コモンズ(共有財)」を、利潤のみを追求し続ける大企業から市民の手に取り戻し、自分たちの力で水平的に共同管理していこうという試みも始まっています。それは、マルクスが『資本論』で「アソシエーション」と呼んだ仕組みに極めて近いあり方といえます。

 斎藤幸平さんの解説による膨大な『資本論』の読み解き、エンゲルスが『資本論』に盛り込まなかった原稿を分析して、マルクスの「持続可能な社会」への言及が大変興味深いです。特に『第3回 イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を産む!?』は鋭い指摘で素晴らしい!「デジタル・プロレタリアート」の意味合いも興味津々です!

* https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/105_sihonron/index.html

 さらに『人新世(ひとしんせい)』の危機においてのマルクスの再評価への言及も。

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人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。

気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。
それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。
いや、危機の解決策はある。
ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。
世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす!

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 このコラムも興味深いです!

* https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/105_sihonron/guestcolumn.html

ロジェ・カイヨワの『戦争論』

Posted by 秋山孝二
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 NHK教育テレビ(Eテレ)番組『100分de名著(https://www.nhk.or.jp/meicho/』、ロジェ・カイヨワ『戦争論(https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/90_sensouron/index.html)』は、哲学者・西谷修先生の解説で4回にわたり大変興味深い内容でした。

 「人間にとって戦争とは何か?」という根源的な問いに対して、人類学の視点から答えを出そうとしたこの「戦争論」。「ユネスコ国際平和文学賞」を受賞し、国際的に大きな反響を巻き起こし、フランスの高名な社会学者・人類学者ロジェ・カイヨワ(1913 - 1978)が、「人類は戦争という現象とどう向き合うべきか」を世に問うた戦争論の名著です。

 戦争を全般的に考察し、それについて論じる本としては、私も以前に読んだクラウゼヴィッツの『戦争論』(1832~34)が古典として著名で、その後、西洋近代以降(フランス革命以降)の近代国家体制が成立してから、折あるごとに書かれています。それらは国家間戦争という枠組みを前提にして、戦争をする国家や軍人の立場から、技術的な成功・失敗、或いは政治的にどう回避するか、といった議論が一般的でした。

 カイヨワは、それとは違ったスタンスで、「人間にとっての戦争とは何か」という問題に真正面から取り組んだのです。なぜなら、20世紀の戦争は、「世界戦争」であり、あらゆる人々の生存を巻き込む人類的な体験だったので、もはや戦争は単に国家の問題でもなく、また軍人や政治家だけの問題でもなく、私達万人・人類にとっての問題だと考えたのです。

 彼は言います、戦争の本質・もたらすいろいろな結果、歴史上の役割は、戦争というものが単なる武力闘争ではなく、「破壊のための組織的企て」であるということを心に留めておいてこそ初めて理解することができる、と。

* 戦争形態の変遷:

1 原始的戦争(身分差のない、未開段階社会における部族間抗争)

2 帝国戦争 (異質な文化・文明を背景にした集団同士の衝突)

3 貴族戦争 (封建社会における貴族階級の職能としての戦争、日本においては武士)

4 国民戦争 (国家同士がそれぞれの国力をぶつけ合う戦争、無制限な破壊・殺戮)

* マスケット銃が歩兵をつくり、歩兵が民主主義をつくった。

~~私はミュージカル『レ・ミゼラブル』のバリケードの場面を思い出しました。当時としては、「銃を取る」ことが圧政からの解放の象徴だったのでしょうね。

* 近代の民主制国家の内実は、平民が銃を手に入れたことで、武装した市民たちがそのまま軍隊なっていく。身分制社会から、平等社会に近づけば近づくほど戦争が激化していくパラドックスは、この理由から生じている。

* 第一次世界大戦の各地のモニュメントが「英雄の碑」ではなく、「無名戦士の墓」であることはよく知られている。多くの無名の人たちが国家に尽くし、その礎となったことの証、国家は「死の貯金箱」へ。

* 二十世紀に入り、戦争が「全体戦争」となってその惨禍が深刻化すると、初めて戦争が「罪悪」であるという考えが顕在化してきた。それまでは、戦争すること自体に善悪は無かった、それ故に「無差別戦争観」であり、勇ましく戦うことは美徳として称えられることはあっても、非難されることは無かった。

* ウェストファリア体制では、主権国家が、「宣戦布告」によって戦争を始め、第三国つまり非当事国家が設定する「講和会議」によって戦争を終えるというルールができた。以降の国家間秩序の中では、ことの善悪にかかわらず戦争することは国家の「権利」だった!

* アインシュタインとフロイトとの往復書簡

ーーアインシュタイン:人間を戦争というくびきから解き放つために何ができるのか?

――フロイト:集団的暴力の発露である戦争は、一人ひとりの人間の意志ではどうにもならず、ただ発展した文明への依存と、それによる生物としての衰退だけが、戦争を終焉に向かわせることができるだろう、と。

――両者:戦争は人間の意志ではどうにもならない。

* 「戦争」の実態は、「祭り」の実態に相通じる。ともに騒乱と動揺の時期であり、多数の群衆が集まって蓄積経済のかわりに浪費経済を行う時期である。個の独立性は一時棚上げされる。個人は画一的に組織された大衆の中に溶け込んでしまい、肉体的、感情的または知的自律性は消え去ってしまう。

* 身分制度から解放されて平等が社会の原則になっても、結局それが国民として一元的に国家の統制の下に置かれると、この「破壊・消費」への傾きは国家によって絞めつけられ、方向づけされることになる。それが戦争という形で、血わき肉おどる「祝祭」として爆発する。

* 戦争は国家によって「全体化」し、恐るべき「聖なるもの」として世界を吞み込んだ。「やってみて分かった全体戦争」(第一次世界大戦)から「それと分かって準備した全体戦争」(第二次世界大戦」という戦争そのものの反転が、この「呑み込み」のダイナミズムを表している。

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 以上、引用がかなり長くなりましたが、そんな絶望的な戦争への傾きにストップをかけることはできないのか、最終回はそこに焦点が当たっていました。それは結局、「人権」、そして「教育」であると。

 「戦争」に正面から歴史的に考察した素晴らしい論説でした。現代はさらに、国家間の軍隊対軍隊ではなく、テロとの戦いになり、それはすなわち一人ひとりの市民が標的の可能性が高く、日ごろからの監視社会を容認せざるを得ない時代に突入しているのですよね。基本的人権、プライバシーとの兼ね合い等、個としては難しい時代を生きなければならない、それを再確認しました。