私達には夢がある!旅の余韻(2)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 札幌市北京事務所・角田貴美所長にご紹介して頂き、今の北京を肌で感じることが出来ました。 

 まずは、今中国で活躍する若手ビジネスマン二人との濃密な意見交換 でした。「過去の歴史を認識した上で、しっかり前を向いて一緒に歩いて行ける若者との輪を広げていきたい」、と情熱を傾ける角田さんのご推薦だけあって、30代後半の若い二人は、「私達には夢があります!」と目を輝かせて約2時間意見交換をしました。本当に久しぶりの感動でした。数日間の私自身の重たい気持を取り払うような前向きな言葉と表情に、「確実に新しい時代がやって来ている」ことを実感致しました。

 彼らは十分日本語が上手ですが、友人には一度も日本に行ったことはないけれど、もっと言葉が上手で事情に詳しい者がいると。その友人はアニメとゲームで日本語を覚え、東京・秋葉原のどの店で何を売っているか、全てインターネットから情報を手に入れて承知しているとのことでした、新しい時代の到来ですね。

 次は、広大な景山公園(http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2002beijing/keizan.html)、天壇公園(http://www.arachina.com/attrations/beijing/tiandanpark/index.html)等のコミュニティの原点の場に感動でした。カラオケ大会、京劇のけいこ、軍事将棋に興じる一群、それぞれ地元市民が自然な形で人だかりを作り、一緒に楽しんでいる様子は、日本では近年見ることが出来ない光景です。「音が大きすぎてうるさい!」、「芝生が傷む!」等、モンスタークレーマーの申し入れで、昨今、居心地が悪くなっている札幌の公園ですが、どうしてそんな雰囲気になってしまったのでしょうか。とにかく、市民の間にコミュニケーションが自然な形で創り上げられているのですね、札幌も是非そんなマチにしたいものです。

カラオケを囲む200人以上の市民

カラオケを囲む200人以上の市民

京劇の練習

京劇の練習

 三つ目は角田さんのお勧めだったので、夜にツアーメンバーで行った「LEDによる壮大なアニメ(長さ200メートル、幅20メートル、高さ20メートル?)」の巨大天井スクリーンです。「This is China!」と言わんばかりの象徴的な場所でしたね、故宮⇒抗日記念館⇒LED天井通り、それぞれ時代を代表する北京のシンボルなのでしょう。

LEDでの天井映像(200メートル×20メートル)

LEDでの天井映像(200メートル×20メートル)

  最後は、街なかのファストフード店の看板です、しっかり翻訳(?)しての漢字名は、当て字が絶妙ですね。

ケンタッキーフライドチキン

ケンタッキーフライドチキン

マクドナルドハンバーガー

マクドナルドハンバーガー

スターバックス珈琲

スターバックス珈琲

 「China、 Now」、今の中国を間近に見ることが出来ました、次回行くと、また大きく変わっているのでしょう。ツアーメンバーの皆さん、お世話になりました!

なお続く旅の余韻(1)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 今回の訪問先は、それぞれ重い場所ばかりでしたが、北京の「中国人民抗日戦争紀念館:http://j.people.com.cn/94638/94658/7131285.html」で、当時、現地に点在する村に対して、日本軍の「『集団部落』化の強制」という施策が目に飛び込んできました。「限界集落」を設定し、「平成の大合併」と称しての村の合体を促した最近の動きとダブリました。永年その地に暮らす人々の居住地を、意思に反して強制的に移動・変更することは出来ません。まして武器と刀で追い立てての強制移住は、恨み・憎しみを増幅するだけになったのでしょう。

 もう一つ、10数年前に訪問した時は、今回よりも毛沢東の存在感があったような気がします。今回私の目に触れた彼の肖像は、通貨の人民元紙幣の中、天安門の大きな肖像画、そして瀋陽の広場での巨大な像だけでした。「タクシーを止めようとしている姿」、「賭けごとは五元までですよと言っている姿」とか、地元の方から冗談も出る程、その意味あいも昔とは随分変わってきているのかもしれません。時の流れとでもいうのでしょうか。 

西方を向く巨大な毛沢東像

瀋陽:西方を向く巨大な毛沢東像

  関東軍731部隊の敷地内記念館では、「マルタ」と称されて「実験材料」となった中国人犠牲者の名を刻んだ墓標の回廊も忘れられません。

犠牲者の名前一覧の回廊

犠牲者の名前一覧の回廊

  そして、昨年のアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所でも象徴的だった鉄道引き込み線が、ここにも敷かれていました。この上を一体何度「マルタ」を運ぶ列車が通り抜けたかと考えると、胸が詰まる思いです。

「マルタ」を運んだ引き込み線

「マルタ」を運んだ引き込み線