富山、話題の「ライトレール」ほか

Posted by 秋山孝二
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  富山はこれまで通過を含めて3回程訪問しています。ただ、いずれもそれぞれの目的の為だけに行きましたので、いわゆる「観光スポット」にはほとんど足を運べずにいました。今回は、言わば初めての観光でしたね。妻のいとこが二家族、富山市内で暮らしていて、それぞれと久しぶりに再会する目的もあり、背中を押してくれました。

称名滝を臨む

称名滝を臨む

  新千歳空港から神通川の河川敷にある富山空港に到着して、すぐに南東の立山・室堂(むろどう)方面を目指しました。富山地鉄立山線・終点の立山駅を過ぎて行くと、「称名滝(しょうみょうだき):http://www.tate-yama.com/travel/syou/syou.htm」を臨む展望台に着きました。その先から滝下までの遊歩道は通行止めでしたので、この展望台からしばし眺めていました。3000メートル級の山々を源流とし落差350メートルの大量の水は、「落差日本一」とのことです。当日は、真夏の渇水期でしたが、それでも滝の水は勢いよく落ちて周囲の空間と共に大自然の迫力でした。見学後の帰り道、ものすごい落雷・雷雨でしたので、一挙に落ちる滝の水・沢の水かさも増していたことでしょう。

 翌日は朝から町なか観光です。富山といえば、今有名なのは「セントラム(CENTRAM):http://www7.city.toyama.toyama.jp/topics/20091208.html」、「ポートラム(PORTRAM):http://portram.zening.info/index.htm」ですね。

 「環状線:セントラム(http://kttri.jp/wadai/?p=412)」は一周25分くらいで料金は一律200円です。正確にはこの路線を「富山地方鉄道富山都心線」と言うようで、市内中心部を一方通行ですが循環しています。時節柄、「おわら風の盆」のラッピングで走っていました。

セントラム「風の盆」ラッピング車両

セントラム「風の盆」ラッピング車両

 今、札幌でも路面電車が延長の方向で検討されていて、「SAPPORP CITY TRAM」の議論が深まりつつあります。先日のある研究会では市の部長が、富山、諸外国の事例等を紹介していましたし、一カ月前の私が属する本府(ほんぷ)連合町内会・役員会では、市の担当課長らが来て、延長について説明しました。ただニュアンスは少し違っていて、札幌オリジナルの「札幌スタイル:http://www.city.sapporo.jp/keizai/sapporo-style/gaiyou.html」にこだわった路面電車の延長を検討中と語っていましたが。私が18歳まで育ったこの連合町内会のど真ん中を、昔から、そして今も路面電車が走っていますので、自ずから関心は高いですね。

 もう一つの「ポートラム」は、正式名称は「富山港線(廃止JR線の再利用)」で、2006年までJR西日本の路線を第三セクター・富山ライトレール(株)(http://www.t-lr.co.jp/)が譲り受けて路面電車化して、ライトレール(LRT)を走らせて話題になっています(http://www.youtube.com/watch?v=Sx71h_16F-U)。バスの乗り換えもホームの向かいで移動距離も更に拡がり、利便性に富んでいます。

JR路線のライトレール(右)と隣接するバス停

旧JR路線を活用したライトレール(右)と隣接するバス停

  ライトレールで富山駅北口から乗ると終着駅「岩瀬浜」に着きます。岩瀬は、江戸時代から明治にかけて、北前船交易での回船問屋が隆盛を誇り、日本海有数の港町として発展しました。今も北前船の文化が香るお屋敷が多く残っています。

北前船・豪商森家

北前船回船問屋・森家

 そう言えば、1918(大正7)年7月22日の夜から始まった「米騒動」は、米の値段が高騰する中、ここから少し東の魚津港での出来事で、北海道へ運ぶ米の輸送を阻止する目的でした。翌月上旬に大阪朝日新聞が、「越中女一揆」と大々的に報道し全国的に知られる所となり、歴史的転換点となりました。米を運んで行った北前船は、帰りは北海道から昆布等の海産物を持ち帰り、それらを使った様々の地場名産品を世に出しました。

 富山は、路面電車、日本海物流と、北海道と歴史的にも深い関係性を感じます。