中国:瀋陽、北京で

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 この欄は、本来、北京で滞在した「北京飯店:http://www.chinabeijinghotel.com/en/index.html」からアップしようとしましたが、今回の旅行で最も高級(五つ星)だったホテルで意外にも回線が上手くつながらず、少し遅れてしまいました。「高級」とは言っても、この件でフロントに連絡した際のホテル側の対応たるや、日本では考えられない高圧的な態度でスピードも無く、日本の三流以下ですよ、サービス業における中国の後進性を目の当たりにしました。「伝統」、「歴史」は今の優れたサービス価値につながって初めて意味を持ってくるはずです。別に私は、この所の事件によって中国に対して感情的に言っているのではありません。

 瀋陽では、「“九・一八”歴史博物館:http://www.918museum.org.cn/」を訪問しました。1931(昭和6)年9月18日午後10時20分頃、瀋陽市(当時は「奉天」)北の柳条湖で満鉄(南満州鉄道株式会社:http://web1.kcn.jp/mantetu/)線路上爆発が起き、日本でいう「満州事変」、そして以降、対中国との15年戦争の始まりとなりました。瀋陽市では、毎年9月18日午後9時18分に全市一斉に車は止まり、クラクションをならし、この博物館敷地内にあるつり鐘もつくようです。

博物館前広場に建つモニュメント

博物館前広場に建つモニュメント

  「勿忘国恥:古い歴史を忘れるな!」の文字で始まる展示は、今を生きる両国国民にとって、以降の忌まわしい歴史となりますが、眼をしっかり見開いて留めておかねばなりません。広大な博物館には事の始まりだけではなく、抗日戦争を戦った中国人の歴史、関東軍731部隊、平頂山虐殺、溥儀の即位、戦犯裁判等、幅広い内容で、最後は日本人有志から贈られた「中国養父母感謝碑」で結ばれています。

 そして1956年7月1日から20日にかけて瀋陽で行われた「中国最高人民裁判所特別軍事法廷:http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2010-09/06/content_20873810.htm」は、日本人戦犯28名の公開裁判を行い、その場所が市内に残っています。現在はかなりさびれた映画館跡となっていますが、近いうちに修復・保存されて記念館となるそうです。この裁判では絞首刑は一人もいなく、最高刑で懲役18年、それも数年後の恩赦で大幅に刑期が短縮され、日本に戻って来ています。この間収容されていたのが、先の撫順の「戦犯管理所」です。

1956年7月から20日間、軍事法廷が開催された場所

1956年7月から20日間、軍事法廷が開催された場所

 

 北京に移動して、「中国人民抗日戦争紀念館:http://j.people.com.cn/94638/94658/7131285.html」を訪問しました。

紀念館正面

紀念館正面

  ハルピン・撫順・瀋陽と廻ってここに来ると、ここは何か「総集編」とでも言うのでしょうか、そんな感じですね。1937年7月7日、盧溝橋での日中両軍の衝突で事実上始まった日中戦争、更に時間軸を拡げて15年戦争という捉え方、そしてこの館の建設意図は、「抗日戦争の歴史的意義」ですね。すなわち抗日戦争はアヘン戦争依頼、中国人民により外国侵略に対抗する戦争の中で初めて完全勝利した民族解放闘争であり、それ故に巨額の投資をしたのでしょう。「日本軍の暴挙」を説明する場は他と同様ですが、後半の「道得れば助け多し」で表現される「国際支援を得た闘い」というフレーズは新しい意図を感じました。最後は、「歴史を戒めの鑑として、未来に目を向ける」と結ばれています。

1945年9月9日:南京での日本軍降伏調印の場の再現

1945年9月9日:南京での日本軍降伏調印の場の再現

  日本人は、「第二次世界大戦はアメリカに負けた」意識が大変強く、「中国に負けた」とはあまり感じていない(思いたくない?)のではないでしょうか。それも「アメリカの物量に負けた」という総括が主体ですので、その誤った意識が戦後の高度成長期を経てバブル期まで影響しているように思います。戦後の軍事法廷もA・B・C級戦犯裁判はある程度関心を持っていますが、中国本土での戦犯裁判についてはかなり認識も薄いですね。中国にはなぜ負けたのでしょうか?総括がまだ済んでいないような気がします。

盧溝橋

盧溝橋

 盧溝橋の写真、橋の右手には水があり左手は水が枯れている、本来は「水が枯れている」のですが、この記念すべき場では風景的に水があった方が良いという判断(誰の判断かは判りませんが)で、水の汲み入れ工事を行ったそうです。「環境後進国」のイメージはまずい(?)との判断でしょうか。

 重たい「歴史の検証」の旅は、ひとまずこれで終わりました。今回も旅システム(http://www.tabisystem.com/の企画で、お世話になりました。