注目、脚本『虎に翼』!

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 NHK総合テレビの朝ドラ『虎の翼』が先週で終了しました。私は番組スタート後少ししてから、弁護士の方から「面白いよ」と言われて観始めましたが、本当にこれまでの朝ドラとは一味違った鋭いメッセージが登場人物のセリフから発せられて、NHK制作スタッフの覚悟と勇気を感じました、拍手喝采ですね。

* 虎に翼 - NHK

 先日はNHK総合『クローズアップ現代プラス』でこの作品の脚本担当、吉田恵里香さんが語っていました、現代日本社会を鋭く突く興味深いお話でした。

* 虎に翼 脚本家・吉田恵里香さんインタビュー NHKクローズアップ現代 - クローズアップ現代 取材ノート - NHK みんなでプラス

 日本国憲法第14条に拘り、弁護士事務所の壁に掛かれたこの条文は、繰り返し場面に登場して吉田さんの強いメッセージとなっていました。

 この番組を観ていて、以前、秋山財団が応援した札幌北高等学校のプロジェクトを思い出しました。「アンコンシャス・バイアス(略して『アンコン』)です。昨年から秋山財団に創設した『秋山喜代賞』の趣旨にも通ずる視点かなと、私は感じています。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » ジェンダー問題に取り組む高校生! (akiyama-foundation.org)

* 秋山喜代賞 - 秋山記念生命科学振興財団 (akiyama-foundation.org)

『バタフライエフェクト』(26)

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 最近のNHKはニュースはミゼラブルですが、今放映中の朝ドラの日本国憲法へのアプローチほか、ドキュメンタリー番組は大変意欲的な取り組みです。一連の映像の世紀『バタフライエフェクト』もその一つ、先日は『安保闘争~燃え盛った政治の季節』では1960年から70年前夜までのレジスタンス闘争をかなりの映像から読み解いていました。

* これまでの関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

 60年安保は何といっても唐牛健太郎を語らなければならないでしょうね、函館湯の川出身の北海道大学の学生で、彼の全学連指導者としての存在は伝説になっています。日本共産党は彼の同郷の田中清玄からの資金提供を受けていたと喧伝して、私が学生時代もことさら60年安保闘争を矮小化していましたが、先日の番組では彼の人となりを同時代の仲間の言葉を借りて浮き彫りにしていました。そして、1960年6月15日の樺(かんば)美智子さんの虐殺死についても映像を交えて紹介されていました。

* 唐牛健太郎関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » あの時代、あの人たちの軌跡 (akiyama-foundation.org)

 樺美智子さんの死は、私は小学生でしたが、担任の先生が話をしてくれました。また、私が学生時代に、千葉大学西千葉キャンパスにお母様がいらっしゃって講演をされました、娘・美智子さんの意志をしっかり支持しての信念が胸に刺さったことを今でも忘れられません。

 全国に吹き荒れた60年代後半、70年安保闘争前夜の国際反戦デ―の新宿です。

 東大全共闘代表の山本義隆さんも60年安保闘争からの流れの中で紹介されていました、私は1969年6月15日、9月5日、東京・日比谷野外音楽堂で彼の演説をその場で聴いていましたし、youtubeで今も時々講演をされているのを観ています。当時から一貫して近代日本の科学技術に対しての批判的論説は今も高い見識を感じています。

* 山本義隆さん関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

 NHKテレビのアーカイブスに、唐牛健太郎さんが漁師としてオホーツク海沿岸で漁業に励んでいる姿も残されていました。

 映像の力とアーカイブスの説得力というのでしょうか、私自身の1960年代終わり頃の思い出と相まって興奮して番組を観ていました、歴史の繋がりを再認識した次第です。

 今の政治に対しては敢えて何も論評はしません、向き合わない訳ではありませんが、するに値しないです。本来民主主義の手段としての大切な「選挙」は、今や政治家の「就職活動」に堕落し、当選したら大切な職場・国会では寝て過ごしている体たらく、そんな連中に我々が支払った税金が使われてると思うと怒りが湧いてきます。自分自身は、立場を活かして地域に根差した草の根の地道な活動で情報発信と応援をしていく姿勢を貫いていきたいものです。

小森陽一さん、語る!

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 グリーン九条の会が久しぶりに主催した講演会、小森陽一さんをお招きして『大江健三郎と私』と題して開催されました。

* これまでの『グリーン九条の会』の関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A

 当日会場は定員の100名を越える参加者でいっぱい、皆さん熱心に耳を傾けていらっしゃいました。

 講演の最後に、私は主催者を代表して御礼のご挨拶をさせて頂きました。まずはお母さまを亡くされてまだ間もないお忙しい時期に札幌までお越し頂いた小森陽一さんに、そして暑い中お越し頂いた100名を越える参加者の皆さまにご参加への感謝の言葉。次に、私と大江健三郎さんとの出会いについて、1969年か70年、東京の豊島公会堂での夜の講演会、堀田善衛さん、小田実さん、大江健三郎さんの3人の講演会を西千葉から出かけて聴きに行ったこと。その時、堀田さんは哲学的な興味深いお話、小田さんは早口の高音での激しい内容、大江さんのお話は訥々とした話しぶりで内容も難しくよく理解できなくて忸怩たる気持ちで帰ったこと。それが、2011年6月、九条の会の毎年東京日比谷公会堂で開催される講演会で久しぶりに大江さんの憲法に関するお話を聞いて、大変感動して私のイメージが上書きされたこと、をご挨拶としてお話をさせて頂きました。その時の大江さんは、日本国憲法の前文に数回記載されている「~~決意する。」の言葉の意味を我々はもっと心に刻むべきだとの趣旨だったことをご挨拶に付け加えました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8888

 2時間を越える講演会の後は、ごく内輪での懇親会。昔の学生時代の話から数々の話題も。私自身は少し下の世代の話で立場も違っての会話にアウェイ感いっぱいでしたが、それぞれのあの時代の想い出は懐かしかったですね。

 翌日の北海道新聞にはコンパクトに記事掲載されていました。

大江健三郎さん 逝く

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 ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんがお亡くなりになりました。私は作家というよりも日本国憲法の改悪に反対する『九条の会(http://www.9-jo.jp/』でその存在感を受け止めていました。10年以上前の東京日比谷公会堂での集会で、終了後に地下鉄でお帰りになる大江健三郎さんを至近距離でお見かけした時のお姿を忘れることができません。

* これまでの関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E

 私自身が88歳を迎えることができた時に、大江さんのように筋を通して世の中に存在を示し続ける人生を歩んでいるかどうか、見本としたい生涯です。ご冥福を心からお祈りいたします。

中島岳志さん講演『死者の立憲主義』

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 元北大大学院准教授で現在は東京工業大の中島岳志教授(政治学)が、「死者の立憲主義」と題し、オンラインで講演しました。日本国憲法は、人類の経験から得た「知恵の集積」という視点から、権力を憲法で制限する「立憲主義」と民主主義のあり方について語り、素晴らしい内容でした。私も世話人を引き受けている「メディア・アンビシャス(http://media-am.org/)」も実行委員会に協賛していました。

* https://www.youtube.com/watch?v=uFPQpYzXEDE

 中島岳志先生が憲法と「死者」の関係を考えたきっかけは、親しかった編集者を亡くした後、原稿を書くときにその編集者からの「いいかげんな仕事をしてて良いのか」という視線を感じるようになったことだと説明し、憲法は、「死者」が経験した戦争や差別などの苦難や失敗の末にできたものと指摘されました。

 私の手元メモからいくつかキーワードを!

* 「立憲」と「民主」との緊張関係が重要

ーー安倍・菅内閣では「民主」の方が優位という思い違いーー>選挙で選ばれた私たち?!、「民意=民主主義」を人質にとった!

* 「民主」の主語は「生きている多数の人間」

* 「立憲」=「憲法」の主語は「世界中の死者」、こういうことはやってはいけない、の見える化!

* 日本国憲法97条:基本的人権は、主語は世界中の死者、私たちに託されたメッセージ!

* 九条は変えるべき、ただし自民党的な視点からではなく、集団的自衛権の解釈が変えられた今、今の文言では戦争の歯止めになっていないから

* これまでの自民党政権は守ってこれたが、安倍・菅内閣では慣習を守れない、もはや日本では短い憲法を守りない時代になってしまった

* 『先祖の話』(柳田国男)、「ご先祖になる」、死後にも目標(仕事)がある、死者となって存在し続けている、死者と共に生きていく(ありがとう、ごめんね)、死者と出会い直す

【参考】

* https://toyokeizai.net/articles/-/395690

* 『保守と立憲そして死者』池田香代子 https://www.youtube.com/watch?v=fv5wtwjTyCc

* 『戦後70年 語る・問う(41)』 https://www.youtube.com/watch?v=Iq_C70IEEeU

* 『弱い指導者と利他が拓く未来』 https://www.youtube.com/watch?v=1DXeizqjrag

* 『2019参院選後の日本 民意を読む(4)』 https://www.youtube.com/watch?v=cKX-hEw5M_I

* 『なぜ「保守」論客が「とことん共産党」に?』 https://www.youtube.com/watch?v=k7SBayXFu1M

* 『山口二郎対談:菅政権の半年を検証する』 https://www.youtube.com/watch?v=nmv_M2TElKw

日本国憲法のこと

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 【スズケン・オンライン】5/2 いま知っておきたい 憲法の考え方『NHKカルチャー講座 木村草太』は、憲法記念日前日に大変示唆に富むお話でした。

* https://www.facebook.com/permalink.php?id=102433347837451&story_fbid=482528396494609

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木村草太 憲法学者:中日新聞Web

 今年の3月、札幌地裁で同性婚が認められないのは憲法が保障する平等権の侵害、つまり「違憲」という初の司法判断がでました。同様の訴訟はいま東京、名古屋、大阪、福岡でも争われています。
 この判決を巡る動きは、実は、アメリカにおける人種差別解消の動きをなぞっているように見えます。私たちは、差別とどのように向き合えばよいのか。札幌地裁判決の意味はどこにあるのか。法学的な解析とともに、アメリカの歴史を参照しながら、これから考えなければならないことを検討してみたいと思います。

 若い彼のような学者が、日本国憲法をしっかり伝えてくれるのは大変心強いです!!

Three Billboards in Sapporo !

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 「グリーン九条の会(http://green9zyo.blogspot.com/)」世話人のお一人、植田英隆さんの試みです。映画『Three  Billboards』にヒントを得て、毎月、一枚ずつ新しいメッセージが掲載されるようです!Three Billboards in Sapporo 、札幌市東区北11条東2丁目です!

* 映画『Three  Billboards(http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/)』

一方通行の道路角

道路の角に

< グリーン九条の会> http://www.kamuimintara.net/detail.php?rskey=145200901z03

 2008年10月21日、私たちは「グリーン九条の会」を札幌に結成し、翌年11月17日に発足記念の集いを30名ほどの参加で開催しました。

 世話人は、植田英隆さん、内山博さんと私の3名、事務局を担当してもらう1名含め、総勢10名に満たない小さな後発の「九条の会」です。ただ、世話人の3名は、いずれも現職の会社経営者であることが特色といえるかもしれません。

 現日本国憲法九条(きゅうじょう)が改悪されたり形骸化することを憂い、大江健三郎さんなど9名の方々が「九条の会」をつくり、2004年6月に「アピール」を発表しました。「アピール」には、その趣旨に賛同する人たちは、全国津々浦々そして各分野に「○○九条の会」をつくってほしい、とのことが訴えられています。呼びかけた当の「九条の会」(元祖とでも言えばいいのでしょうか)は上下という関係ではなく、つなぎ役をつとめるとも。さらに自らのホームページをつくり、全国にそれからの運動の進行がわかるように用意してくれました。「グリーン九条の会」もそれに触発され、呼応しようとできたのです。

 名称の「グリーン九条の会」は、緑の唐草模様の風呂敷をイメージしたことからつけました。「九条の会アピールに賛同する」「経済の視点から平和を考える」が私たちの趣旨です。

 企業は、長い目で利益を出し続けていかなくては存続できない存在ですから、経営者には「時流を読み、時流に乗る」ことが必要とされます。さまざまなつきあいのなか、自らの肩に責任を背負い、自分の判断で行動することが求められる立場です。ひとりよがりですむものではなく、言動に慎重さが求められるのは当然なのです。しかし、先輩経営者たちは、戦時中「統制経済の時代」「星に錨に顔に闇の時代」を体験し、くぐりぬけ、後輩に「それらは二度とごめんだ」の言葉を残してくれました。過去の歴史から感じることがあり、アピールへの共感を共有できるなら、自分たちなりに何かやれることがあるかも、が発足への踏ん切りをつけさせてくれたのです。

 その後は毎年、世話人が一致する内容の催しをやってきています。「決して先頭に立たず、他の九条の会のみなさんの後ろをついていく」が、モットーです。何年続けられるかわかりませんが、このささやかな動きでも、つながりあうのりしろのひとつとなれれば、幸いに思う私たちなのです。

 こんな設立の思いを持ち続けて今日までやってきました。自分たちのできる場から自分たちの思いを発信し続けたい、これからも私たちらしく活動していきます。

 これまでの「グリーン九条の会」の記事ーー>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A

第6回 遠友夜学校フォーラム

Posted by 秋山孝二
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 毎年6月に開催し、第6回目となる今年の「札幌遠友夜学校フォーラム」は、北海道大学名誉教授の三島徳三先生のお話でした。新渡戸稲造全集に盛り込まれる言葉を引用して、現代の課題解決にも通じる解説の数々は、実に新鮮な視座からのメッセージとなっていました。

* 2016年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27044

* 2017年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=30109

当日チラシ

当日チラシ

< 三島徳三先生のご講演 >

1 「日本人」の再認識

2 日本国民の道徳的覚醒

3 集団主義の決別と個人の確立

愛国心を土台とした平和主義

5 共存と寛容の思想

   * 柳宗悦「複合の美」の思想-

   * 金子みすず1903-1930の童謡詩

   * ガルブレイスの「拮抗力」概念

講師 三島徳三先生

講師 三島徳三先生

新渡戸の言

新渡戸の言

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 終了後の三島徳三先生の談です。

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 「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」主催の6.23講演会には150名くらいの人たちが来てくれた。しかし高齢者が多く、期待していた若者や各種運動家の人たちの参加は少なかったようだ。国際人としての新渡戸や「武士道」については知っていても、その他の業績や思想についての関心はまだまだ薄いからだろう。

 だが、新渡戸の思想は、若者言葉で言えば”半端ない”、見過ごしてしまうにはあまりにももったいない。飛躍するかもしれないが、朝鮮半島や東アジア、さらには世界の平和を構築するためには、新渡戸の「共存と寛容」の思想、「ナショナリズムとインターナショナリズム」の思想こそが大事なのだ。26歳で夭折した童謡詩人・金子みすずは、新渡戸の「共存と寛容の思想」を短くうたっている。「みんなちがってみんないい」

 その他、新渡戸の著作が「現代の日本」に示唆するものは多い。グローバル化の中で失われつつある地域の自然や文化、タネなどの農業資源、それらを守る哲学として、講演では民芸運動の父・柳宗悦の「複合の美」の思想を位置づけた。脱亜入欧の福沢諭吉とちがい、新渡戸は東洋と西洋の共存、それぞれの美点を強調する、新渡戸と柳の「東と西」「右と左」の複合の思想には、明らかに共通点がある。

 「右と左」の意義と共存を説く新渡戸の思想は、米国の著名な経済学者・ガルブレイスのCountervailing Power「拮抗力」の必要性とも通底する。労働組合、消費者運動、対抗的野党の存在こそが、社会のバランスを保ち、厚生をもたらすのだ。

 いま若者はスマホから目を上げず、他人のこと、政治や社会のこと、自然の移ろいに気が付かない。だが、そういう若者の中でも、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が爆発的に読まれているという。身近な友達関係から世界人類を見る、その豊かな人間性、そこに未来を託そうではないか。

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 若手の参加者の感想にも注目です。

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『どう生きるか』

 昨日の6月23日(土)札幌エルプラザで新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会の記念フォーラムが行われました。講演者は北海道大学名誉教授三島徳三さん。新渡戸稲造の道徳観を中心に語っていただきました。その中で先生が若者にどうしても読んで本として吉野源三郎作『君たちはどう生きるか』この本は昭和12年の本ですが漫画化され100万部以上の大ヒット作に。ジブリの宮崎駿監督もこの本を読み、自分が映画化する!と宣言されたほど三島先生いわく、ハンパない内容とのことです。自分も近いうちに購入して読んでみようと思います。

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 またこの日は日本国憲法の前文に触れる機会もありました。[われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない]新渡戸稲造が生涯目指した太平洋の架け橋になって国際平和をもたらすこと。そして札幌市、北海道そして自分達が取り組み始めたSDGsにも通じる内容。この文は国家の部分を人や会社などの組織、自然や環境などの大きな枠組みに当てはめてもこれからの時代に必要なエッセンスになると思いました。これらの三島先生による、様々な方向からのアプローチにより新渡戸稲造と現代に示唆する事柄を色々な例を用いて詳しく説明していただき収穫多き日になりました。

 講演会終了後の懇親会にも参加させてもらい元北海道大学農学部長の松井さんや色々な先生方のお話を聞かせていただきました。その中でも秋山さんから秋に開催される栃木県益子町でのワグナーナンドールアートギャラリーに参加させてもらえる事やワグナーナンドールの奥さん和久奈ちよさんにもお会い出来る事が可能なお話もでき有り難かったです!

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日本国憲法と私

Posted by 秋山孝二
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 日本国憲法は1946(昭和21)年11月3日に公布され、その半年後の1947(昭和22)年5月3日に施行されました。5月3日は憲法記念日、1948(昭和23)年に「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」と法律で定めらた国民の祝日の1つです。

 その憲法の内容は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの柱を持っており、特に憲法9条の「戦争放棄」は平和憲法として世界でも有名です。この日を迎えて、私なりの日本国憲法についての率直な視点を書きたいと思います。なかなかまとめて考える時間はないのですが、昨今の改憲論議を見ていると、強い危機感を抱くものですから。

 これまでの私の日本国憲法に関する記載: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

 一番直近では、3月に国立公文書館の加藤館長を訪問した時、オリジナルは書庫に大切に保管されていて、ロビーに展示してあるレプリカではありますが、「日本国憲法」を至近距離で観ることができました。加藤館長がおっしゃるには、大日本帝国憲法に比べて時代背景もあったのか、紙の質がいかにも粗末だというのが印象的とか。

 私が日本国憲法を学んだのは、北海道学芸大学(現 北海道教育大学)附属札幌小学校・中学校の義務教育年限でした。そもそも「憲法とは何か」、「歴史が証明するように、時として権力は暴走し、個人を弾圧し、人権を抑圧することもある。だからこそ国家権力を縛り、権力を抑制的に、真に国民のために行使させるべく憲法というものがある。憲法とは、いわば長い歴史を持つ人類の英知の結晶である」、これが今も忘れることがなく学んだ基本的認識です。第二次世界大戦で多大な犠牲を負った日本の、新しい時代に向けた憲法であることも。

 そして、日本国憲法は3つの柱を持っている、と。

* 国を治める主権は国民にあるという「国民主権(主権在民)
* 人間が生まれながらにして持っている、人間らしく生きる権利を永久に保障する「基本的人権の尊重
* 世界の平和を永久に守るため、外国との争いが起きても戦争をしないで平和的に解決するという「平和主義

 当時、教えてくれた先生たちは大変熱心に語っていた姿を、私は今もはっきり覚えています。特に中学校時代、時代背景として自衛隊の存在が裁判等でも問われていたからなのか、「自衛隊は軍隊か」、「自衛隊は違憲か」、といったテーマでディベイトをしたことも覚えています。因みに私は、少数派だった「自衛隊は軍隊ではない」側に手を挙げて授業でやり取りしました。私たちの側は劣勢だったような気がしますが、先日の番組では丁度、二つの裁判との時期が重なり、社会科の先生は私たちに極めて政治的なテーマを題材として提起したのだと思います。

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 先日、案内があってこの憲法記念日に二つの番組を観ましたが、歴史の流れを濃密に捉えた素晴らしい内容でした。

* NHK・ETV再放送「平和に生きる権利を求めて~恵庭・長沼事件と憲法~」

http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2018-04-28/31/920/2259619/

 昨年度のメディア・アンビシャス(http://media-am.org/)のアンビシャス賞に輝いたBS1スペシャル「父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦争~」の番組プロデューサーだったNHKの塩田純さんの制作

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 自衛隊の合憲・違憲が争われた恵庭事件。裁判の録音がテレビで初めて公開された。裁判で提起された平和的生存権が、その後長沼ナイキ基地訴訟でどう問われてきたのか迫る。

 自衛隊をめぐり注目された裁判の録音が公開された。北海道の恵庭事件。演習の騒音に抗議し自衛隊の通信線を切断した酪農家が起訴された。自衛隊が合憲か違憲か争われたが札幌地裁は憲法判断をせず無罪判決を下した。ここで提起された平和的生存権は長沼ナイキ基地訴訟の地裁判決で示され、その後イラク派遣差し止め訴訟の名古屋高裁判決で確定した。今、沖縄の基地問題でよりどころとなる平和的生存権をめぐるスクープ・ドキュメント

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* NHK総合:NHKスペシャル「憲法と日本人 ~1949-64 知られざる攻防~」

https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180503

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 戦後一度だけ憲法改正をめぐる国民的議論が交わされた1949年~64年の15年間に着目して、当時の改憲派と護憲派の攻防を検証し、憲法をめぐる日本人の模索を見つめる番組です。憲法施行から71年。護憲か改憲か、国論を二分する攻防が繰り広げられた時代が、かつてあった。GHQの報告書によって憲法制定の過程が明らかになった1949年から、政府に設置された憲法調査会が最終報告書を提出した1964年までの15年間である。新たに発掘したこの間の700点の史料と関係者の証言から、憲法をめぐる日本人の知られざる模索を見つめる。

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 私は、小・中学校でしっかりとこの日本国憲法を学んだという自負があり、当時の先生方の時代と向き合う真摯な姿勢も忘れることはできません。右翼とか左翼とか、「日本を取り戻す」等、今、浅薄に語られる時代と違って、60年安保闘争を経た当時の日本社会の生真面目さも感じ取れるのです。と同時に、昨今、このような教育を受けた者の使命として、私は後の世代のためにも、この日本国憲法を体を張って護っていかなければならないと覚悟を決めました。日本の「近代」に対する認識もいい加減のままで、今の政治家の見識の無さと人品の卑しさに任せることはできません。言い換えるならば、私自身の歴史に対する誠意であり責任といってもいいかもしれません。

資料閲覧 @ 国立公文書館(下)

Posted by 秋山孝二
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 近隣からの眺望、皇居、お堀、東京の中の東京ですね。

昼食を加藤館長とご一緒に

 帰る前には玄関ロビーの展示を拝観、レプリカとは言え、当時の関係者の方々のお名前がすごいです。

* 大日本帝国憲法は、1889年2月11日に公布、1890年11月29日に施行された、近代立憲主義に基づく日本の憲法です。

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000001/00

明治憲法

大日本帝国憲法

明治期の蒼々たる方々

明治期の蒼々たる方々

 終戦の詔書も。昭和20(1945)年8月14日の御前会議で、ポツダム宣言の受諾が決定され、同宣言受諾に関する詔書が発布されました。翌15日正午、いわゆる「玉音放送」が行なわれたのち、「内閣告諭」が読み上げられました。

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000001/00

終戦の詔書

終戦の詔書

鈴木貫太郎内閣

鈴木貫太郎内閣

 日本国憲法の制定は、大日本帝国憲法の改正手続に従って行われました。昭和21(1946)年6月、枢密院で可決された憲法改正案は、第90回臨時帝国議会に提出され、貴族院・衆議院両院で修正が行われた後、同年10月7日可決。この改正案を10月29日に枢密院が可決したことを受けて、日本国憲法は同年11月3日に公布されました。

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000003/00

日本国憲法

日本国憲法 吉田茂内閣

~~~~~~~~~~~~~~~~参考

公文書等の管理に関する法律 (平成二十一年法律第六十六号)
平成二十八年十一月二十八日公布(平成二十八年法律第八十九号)改正
施行日: 平成二十九年四月一日
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 公文書館を去る時に、ご担当の新井さんが、「公文書は逃げてはいきませんので、また是非お越しください」とお言葉をかけて頂きました。以前、東京・目黒の防衛研究所(http://www.nids.mod.go.jp/military_archives/index.html)でも感じましたが、大変几帳面な戦闘詳報等の記録を見ても、まさに「歴史的事実の記録」でした。多くの資料が敗戦時、日本関係者により焼却処分されたり、焼却をまぬがれたものは米軍に押収され、米国国務省公文書部の保管するところとなりましたが、粘り強い外交交渉の末に、昭和33年4月にようやく返還され、その大部分が防衛研究所に所蔵されているそうです。 今、国会では、「公文書」を巡って信じられない改ざんが行われたことが明らかになっています。公文書は、「歴史的事実の記録」、「国民共有の知的資源」であるはず。原点に立ち戻り、行政・政治の信頼を早急に取り戻さないと、日本国危うし、です。

日本の近代とは? @三谷太一郎先生

Posted by 秋山孝二
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 この十数年読んできた中で、私にとってトップレベルで納得した三谷太一郎著「日本の近代とは何であったか――問題史的考察(http://www.jicl.jp/now/ronbun/backnumber/20170410.html)でした、素晴らしい本です。

 三谷太一郎先生は、2011年の秋山財団顕彰事業「新渡戸・南原賞」の受賞者です。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10292

* 新渡戸・南原賞 http://www.akiyama-foundation.org/history/history_02

<山本和生さん撮影>

 日本の近代政治史を考察した内容。日本の近代化を以下の四つの視点、統治としての「政党政治」がどのようにして生まれたのか、「資本主義」がなぜ形成されたのか、いかにして「植民地帝国」となっていったのか、「天皇制」とは何なのか、について分かりやすい考察です。ウォルター・バジョットの近代概念である「議論による政治」をキー概念にしながら「貿易」「植民地化」を促進要因として注視しながら解き明かしています。

 一つずつ少し内容を紹介します。

 近代化の政党政治への変遷は、立憲主義の導入において、一つの側面として「権力の分散」等、多くを幕藩体制から学び取り、もう一つの側面は「議会制」、すなわち「慣習の支配」から「議論による統治」へと形を作ります。さらに思想的には、「明治憲法」と対を成す形で「教育勅語」を位置づけ、市民的には憲法よりもむしろ教育勅語に実質的にはその思想の基盤を求めていた構図も明解に解説していました。「教育勅語」に関して、天皇の「超立憲君主的性格」「半宗教的絶対者」を明示との指摘は、今こそきっちり理解したいポイントです。昨今の政治家たちの「教育勅語」発言が、いかに浅薄で歴史を踏まえていないものか、明らかです。

 近代日本の資本主義形成、つまりは非外債政策を基本とする「自立的資本主義」から、国際金融資本との協調路線である「国際的資本主義」へと転換する過程をまず興味深く読みました。金解禁と軍縮条約はセットだったこと、東亜新秩序の地域主義への位置付け等々、私にとっては新たな視点を得るとともに、第一次大戦後のワシントン体制成立を、国際金融政策からの背景説明に強く共感します、政治は経済の反映であることに。

 植民地を求めての遅れて出てきた帝国主義についても分かりやすい分析でした。日本はアジアにおいて歴史上最初の、そしておそらく唯一で最後の植民地を領有する国家となったこと、その第一歩を踏み出したのは日清戦争の前後だと。それは丁度、不平等条約下の自立的資本主義から条約改正後の国際的資本主義へと転換した時期でした。さらに、議会での枢密院での議論、陸軍の勢力伸長等、複雑な政治的主導権争いが繰り広げられる様子を解説しています。イデオロギー的には、新しい国際秩序として「地域主義」が台頭してくるのです、これが後の「大東亜」の道筋へと続きます。日本の近代史が韓国、中国との関係性を抜きに語ることができないのは、この辺の歴史認識からも必然だと思われます。

 「天皇制」についての言及も分かりやすいですね。当時の日本の憲法起草責任者・伊藤博文は、仏教を含めて既存の日本の宗教にはヨーロッパにおけるキリスト教の機能を果たしうるものは見出すことはできませんでした。そこで彼は、「我が国にあって基軸とすべきは独り皇室あるのみ」と決断し、「神」の不在が天皇の神格化をもたらしました。ヨーロッパ近代は宗教改革を媒介として、ヨーロッパ中世から「神」を継承しましたが、日本近代は維新前後の政策・運動により前近代から「神」を継承しませんでした。言い換えると、日本における「天皇制」は、ヨーロッパにおける「君主制」以上の過重な負担を負わされることになります。

 さらに明治憲法第一条に規定する統治の主体としての天皇と、憲法第三条の天皇の「神聖不可侵性」とは、法論理的には両立せず、憲法外で「神聖不可侵性」を体現する超立憲君主的性格を積極的に明示したのが「教育勅語」だっと説明しています。当初から、天皇を単なる「立憲君主」にとどめず、「半宗教的絶対者」の役割を果たすべき「国家の基軸」に据えた結果でした。これは、明治憲法と教育勅語との矛盾、立憲君主としての天皇と道徳の立法者としての天皇との立場の矛盾は消えることはなく、これと不可分の「政体」と「国体」、「府中」と「宮中」との相剋は、日本近代の恒常的な不安定要因だったと結論づけています。さらにそんな状況の中、一般国民に対して圧倒的影響力を持ったのは憲法ではなく教育勅語だったようで、いわば「市民宗教」の要約と言ってもいいのでしょう。

 この憲法と教育勅語との関係をしっかり押さえていくと、戦後の日本国憲法における「象徴天皇」の持つ意味合い、「教育基本法」の意義も、より明確になってくるような気がします。戦後の「教育基本法」といえば、その草案作成の中心人物・南原繁を忘れることはできません。私自身、「新渡戸・南原賞」事業で、「南原繁研究会(http://nanbara.sakura.ne.jp/」の活動を垣間見ました、加藤節(http://nanbara.sakura.ne.jp/hello.html)先生のお話が忘れられません。

 かなり端折って書いてしまいました、とにかく、濃い内容なのでどうしても長い説明になります。多くの方々がおっしゃっているように、現在の国際社会、どの国も内向きで視野狭窄に陥っているような気がします。三谷太一郎先生がおっしゃる「ワシントン体制」の歴史的教訓、すなわち軍縮条約に基づく平和的・現実的な多国間秩序の構築に向けた外交努力の必要性が、今こそ重要なのだと強く感じました。

 最後の部分に、「これからの日本が歩むべき道」として、重要なのは各国・各地域のデモクラシーの実質的担い手である、と書かれています。デモクラシーにとっての平和の必要性を知る「能動的人民(active demos)」の国境を越えた多様な国際共同体組織であり、国家間の協力とともに、市民社会間の協力を促進する努力の必要性を訴えています。まさに「civil society」、「NGO」の出番なのでしょう。

 日本の「近代」の成り立ちを踏まえて、今の課題解決、将来の国のあるべき姿を模索したいですね。

遠友夜学校フォーラム 2017

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 第5回目となる札幌遠友夜学校フォーラム、今年は、「札幌遠友塾自主夜間中学(http://enyujuku.com/index.shtml」の元代表・工藤慶一さんをお招きしました。

<これまでのフォーラム記事>

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20282

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%81%A0%E5%8F%8B%E5%A4%9C%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E

画像に含まれている可能性があるもの:1人、スマイル

 開始前に会場ロビーでは私たちの会の会員が早くから準備をしました、これまでの活動の写真ほかを模造紙に貼る作業。

活動の展示準備

活動の展示準備

参加者に配布する資料一式の作成

参加者に配布する資料一式の作成

会場入り口のパネル

会場入り口のパネル

 開始30分以上前から続々とお客様、当日は140名以上のご参加でした。

開始かなり前の状態

開始かなり前の状態

 まずは、司会の会員・蔵田親義さんの開会の言葉に続いて、代表理事の私のご挨拶、続いて副会長・高橋大作さんの活動経過報告でした。

挨拶する私、蔵田親義さん、高橋大作さん

挨拶する私、蔵田親義さん、高橋大作さん

 特別講演の工藤慶一さんのお話、正確な現状認識とこれまでの28年間の活動から得た貴重な報告でした。遠友塾の卒業生の方々も多くご参加されていて、「学問より実行」を地で行く活動、今の時代、札幌遠友夜学校の理念の実践は感動的でした。

 昨年12月の「教育機会確保法」法案成立に向けたご尽力ほかのご説明から。活動は結局、日本国憲法、教育基本法にまで言及しなければ社会改革にはならない、そんな強いメッセージを受けとめました。戦後教育の原点とも言われる「教育基本法」では、やはり南原繁(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=215)を語らなければなりません、そして、新渡戸稲造もですね。私自身の中でもきっちり繋がりました。
 
 憲法二十六条に規定されている「義務教育」は、「国民」の義務なのであり、受ける対象の「保護する子女」の義務ではないのですよね、まさに基本の基本です。

* 新渡戸・南原賞 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E3%83%BB%E5%8D%97%E5%8E%9F%E8%B3%9E

<日本国憲法>

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

工藤慶一さん

工藤慶一さん

熟卒業生の方からもご発言!

遠友熟卒業生の方からもご発言!

 フォーラム終了後、十和田からお越しの奈良さんはじめ、会員の有志の皆さんと工藤慶一さんを囲んでの懇談会、遠友夜学校を巡って大いに盛り上がりました。

凄いメンバーが揃いました!

凄いメンバーが揃いました!

 「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」を立ち上げてから、「今の時代的な遠友夜学校の理念の実践」を問い続けてきましたが、「元祖・遠友塾」の工藤慶一さんのお話から大きな示唆を受けました、どの時代にも制度の狭間、社会の狭間で「教育機会に恵まれない」状態は存在し、ますます増えている現実を直視して、超党派で議会に働きかけ、今の時代にあった新たな法律の制定まで持ち上げた功績は、まさに「情熱」に支えれらた30年の「実行」の賜物であることを。

<参考>

* 「教育機会確保法」成立 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g19001034.htm

* http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG06HD5_X01C16A2CR0000/

* http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/263477.html

* 日本国憲法(教育関係) http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/a002.htm

* 教育基本法 http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/06042712/003.htm

海軍記念日 2017

Posted by 秋山孝二
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 毎年5月27日は「海軍記念日」で、札幌では「北海道全海軍 慰霊祭」が札幌護国神社で催されています。90歳を越える方によるラッパの奉納「国の鎮(https://www.youtube.com/watch?v=t8fXSsy2DJY)」は、今年も最後まで立派に演奏されました。

雨の中の慰霊祭

雨の中の慰霊祭

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5

 今年はあいにくの雨にもかかわらず、90歳代と思われる皆さまのご参加も多く、しばし、北海道出身の戦争犠牲者の慰霊の時間となりました。

 北海道全海軍の「英魂の碑(https://nyh3boys.theblog.me/posts/210535」は、1978(昭和53)年 8月20日建立され、当初は「北海道全海軍の集い」という団体の例祭として開催されていましたが、発展的に解散して、以来、護国神社の例祭として毎年行われています。私の父はこの三代目の会長を務めました。

全海軍の慰霊の碑

全海軍の英魂の碑

 「全海軍の英魂の碑」以外にも、幾つかの闘いでの戦没者慰霊碑が、境内には建立されています。

ノモンハン、北千島

南方地域、北千島で

アッツ島、

アッツ島、ノモンハンで

沖縄戦で

沖縄戦で

* 沖縄慰霊の日――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%85%B0%E9%9C%8A%E3%81%AE%E6%97%A5

 昨今、政治の世界でいとも簡単に「戦い」だの「戦争」だの口にする輩がいますが、とんでもありませんね。毎年のこの慰霊祭に参列すると、今ある日本は多くの犠牲の基にあることを強く感じ、日本国憲法の下、戦後教育を受けた我々世代の責任をあらためて確認致します。

祝、スーザン・J・ファー先生!

Posted by 秋山孝二
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 独立行政法人国際交流基金(The Japan Foundation http://www.jpf.go.jp/j/index.htmlの今年度「国際交流基金賞(http://www.jpf.go.jp/j/about/award/archive/2016/index.html)」に、ハーバード大学のスーザン・J・ファー教授が選出され、先日、東京でその授賞式と2日後に特別講演会が開催されました。

 これまで私がファー先生関連で記載した記事はこちら、先生と秋山との関わりは最後に書きました:

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2510

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=23296

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=23298

 授賞理由は以下の通りです。~~~~~~~~~~~~~~~~~

 スーザン・J・ファー氏はアメリカにおける日本研究を長年にわたり牽引してきた。1975年にコロンビア大学で政治学博士号を取得後、米国社会科学研究評議会、ウィスコンシン大学マディソン校、戦略国際問題研究所などを経て、1987年にハーバード大学に迎えられ、1991年にエドウィン・O・ライシャワー記念日本政治学講座教授に就任。1987年以降、同大学ウェザーヘッド国際問題研究所日米関係プログラム所長を務めるほか、2011年までの7年間、ライシャワー日本研究所所長を兼務した。女性の参政権や両性の平等の原則を掲げた革新的な日本国憲法の制定過程に関心を抱き、戦後日本における女性の政治参加を調査したのが日本専門家としての同氏の出発点である。

 以後、先進諸国における比較政治学、日本と東アジアにおける民主化と社会変容、市民社会と非営利組織、政治倫理と汚職、環境をめぐる政治学、政治におけるメディアの役割、女性の活躍とリーダーシップへと研究対象を広げてきた。いずれも今日、重みを一層増しているテーマであり、その先見性と比較政治学の視点に基づいた日本政治への洞察は、多方面から高く評価されている。

 ハーバード大学では、これまで約2000件のセミナーやシンポジウムを実施し、約600人のフェローの研究を支援してきた。その多くが現在、日本やアメリカをはじめ、世界各国の学界、メディア、財界、官界、政界、市民社会などで指導的立場にある。 また、日米友好基金やアジア財団の理事、日米文化教育交流会議(CULCON)委員、マンスフィールド財団「日米次世代パブリック・インテレクチュアル・ネットワーク事業」の諮問委員等を務め、日米間の知的交流の深化のために尽力してきた。ファー氏のバランス感覚に富んだ、フェアな日本理解の姿勢は柔和で誠実な人柄とともに敬意を集めている。 このように日米を中心とした国際相互理解の増進に長年にわたり顕著な貢献があり、その業績は国際交流基金賞にふさわしい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 ホテルオークラ東京での授賞式には、100名程の関係者の見守る中、今年の三人の受賞者が壇上で表彰され、それぞれショートスピーチをされました。ファー先生の日米関係の研究履歴等、ウィットに富んだお話でした。

  理事長とともに写真撮影するスーザン・J・ファー教授

  理事長とともに写真撮影するスーザン・J・ファー教授

受賞後のショートスピーチ

受賞後のショートスピーチ

 二日後には、六本木の国際文化会館で、「ハーバード大学教授/同大学ウェザーヘッド国際問題研究所日米関係プログラム所長スーザン・J・ファー氏 講演会『日米関係の謎―50年を振り返って―』」と銘打っての特別講演会が開催されました、こちらも100人を超える聴衆を前に、素晴らしいお話でした。

「日米関係の謎」、この50年の実践から

「日米関係の謎」、この50年の実践から

 当日のご案内から<講演概要>~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 比較政治学の視点に基づいた、日本政治への鋭い洞察力と幅広い視野を持つファー氏。ハーバード大学では、これまで約2000件のセミナーやシンポジウムを実施し、約600名にのぼるフェローや大学院生の研究を支援してきました。ファー氏のもとで学んだ多くの方々が、今日、各界の第一線で活躍されています。 かつて米国の専門家にとって、日本という国は謎に満ちた存在でした。しかし、さらに不思議なのは、日米両国の関係です。なぜ、全く異なる2つの国が、時に衝突しながらも強固な関係を結び、両国民から幅広い支持を得るようになったのでしょうか。その秘訣は、50年余にわたる日米知的交流の基盤構築に向けた、日本側の地道な努力にあるとファー氏はみています。日本は他のアジア諸国に先駆けて、官民双方でアメリカとの交流に取り組み、両国市民は絆を深めてきました。こうした日米関係の強固な基盤は、今後も磐石と言えるのでしょうか。 日米交流の深化に貢献されてきたファー氏から、日米関係の今後の展望について直接お話を伺える貴重な機会です。ぜひふるってご参加ください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

地道に積み上げてきた実践に基づく説得力!

地道に積み上げてきた実践に基づく説得力!

 私のメモから講演で印象に残るフレーズを書き留めます。

* この50年間、日米関係で疑問視する時期は一度もなかった。80%以上の国民が好感度を持ち、20年続いている

* ジョン・ダワーが「敗北を抱きしめて」で書いているように歴史的経過を踏まえ、価値観で大きく異なる二国が、時代を克服して良好な関係を維持してきた事実、大変な人々の努力の結果であることを忘れてはいけない、まさに「基盤」ができている。ジョージ・ブッシュが言う「共通の価値観」ではなく、信仰・性ほか大きな違いがあり、その違いをまさに「乗り越えてきた」、関係であることを認識すべき。「和解」と言いながら対立・紛争が続く世界各地と比較してみれば、日米の交流の奥深さを知る

* ジョセフ・ナイは日本の「ソフトパワー」をすし、アニメほかと専ら芸術・食文化としているが、最も重要なファクターは「人々の営み」である。日本の伝統文化をアメリカ国民に理解してもらう努力は地道に継続されてきた

* 交流に尽力した担い手は、領事館、国際交流基金のような公的セクター、姉妹都市交流の地方自治体、そして企業である。政治とは適当な距離を保ち、時の政権がどうあれ良好な関係性を育んできたことが、今日、実を結んでいる

* 諸外国は、「寄附」に様々な条件をつけてくるが、日本からのそれはアメリカにおいて受け入れられる形で成功している

* 若者への援助をはじめとする日本の草の根の活動は、アメリカ以外の他の国でも適用できるのではないか

 私がこのファー先生のプレゼンで驚き、感動し、そして誇りに思ったのは、企業が推し進める交流活動の成功事例として、日立、三菱、SONY、トヨタ等の名だたる大企業の前に、「北海道の秋山愛生舘」、「本日、出席されているアキヤマコウジさん」、と固有名詞を挙げて感謝の意を語られたことでした。1991年にボストンに子会社設立の時、名称等でご相談したその時の話を詳細に紹介されたのです。今、「AKIYAMA AWARD(http://programs.wcfia.harvard.edu/us-japan/akiyama-award)」として20年以上続いています。

 ファー先生と秋山喜代・私との関わりは、こちらにも記載していますが、敢えてコピー致します。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2510

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「秋山孝二の部屋」より引用

 ハーバード大学といえば、どうしても紹介しておきたいもう一人の先生と研究機関があります。お一人の先生はSusan Pharr教授(http://www.wcfia.harvard.edu/node/4387)で、ジョージア州アトランタ生まれ、その所属はハーバード大学日米関係研究所・所長(Program on U.S.-Japan Relations,Weatherhead Center for International Affairs:http://www.wcfia.harvard.edu/us-japan/index.htm)です。

 1990年代に北海道に「北海道フレッチャースクール」を誘致しようという運動があり、当時の(株)秋山愛生舘秋山喜代会長と社長だった私も少なからず関わっていました。ボストンからの最初の訪問団でいらっしゃっていたのがファー先生でした。91年の(株)秋山愛生舘100周年の年には、ケント・カルダー教授とともにご招待をし、「国際社会で果たす日本の役割」について100周年フォーラムを開催し、示唆に富む議論を展開されました。前日夜にお二人の先生と日本食でのひと時は忘れられません。ファー先生は、何と「生のウニ」が大好物でした。

100周年記念セミナー

100周年記念セミナー

 ケント・E・カルダー(Kent E. Calder )教授は1948年生まれ、専門は日本政治、日韓の比較政治、東アジアの国際関係等です。現在はジョンズホプキンス大学http://www.thepath.jp/archives/2006/04/11/johns_hopkins_university.html教授、同高等国際問題研究大学院(SAIS)付属エドウィン・ライシャワー東アジア研究センター長を務めています。政権交代後も日米関係の現状と将来に対して率直な提言をされています。

100年誌から(18年前ですが)

100年誌から(18年前ですが)

 ファー先生とはその後ボストンに行くたびにお会いして頂き、その時の日本の首相はじめ政治家の評価を伺っていました。大変冷静に個々の資質を見極めていらっしゃって、本当に勉強になりました。91年に(株)秋山愛生舘がボストンに設立したアメリカ子会社「Autumn Hills International Corp.(AHIC)」の名付け親でもあります。相談をした時に先生から、「どうしてもアキヤマという名前を会社名につけたいですか?」と質問され、「どうしてでしょうか?」と逆に聞き返しました。すると「『000 U.S.A.』という名称は如何にも子会社というイメージで、出来れば英語名の方がプライドの高いボストンでは好印象だと思いますが」とのお答。いろいろ知恵を出して、日本語の「秋山」をニューイングランド・サウンドで「Autumn Hills」とした次第です。

 その後登記にあたり同じ名称が無いかどうかを確認しましたら、何と「Spring Hills」、「Summer Hills」、「Winter Hills」はすでに存在していましたが、マサチューセッツ州には「Autumn Hills」だけはまだ登録がなく、この名称を弁護士に伝えて登記をしたことを思い出しました。

 働く女性同士ということか秋山喜代と大変気が合い、私もその後も親しくさせて頂きました。そんな関係性があり96年に秋山喜代が亡くなった時、生前の感謝の意味も込めて香典の一部をファー先生が所長を務める研究所に寄付をしました。するとすぐにお手紙が先生から届きました。「生前の秋山喜代さんの当研究所に対するご尽力に感謝して、今回の寄付金を原資として『Kiyo Akiyama Award』を創設し、毎年大学院留学生を対象に日本への渡航費用の一部に充てるべく計画中だが、賛否をお尋ねしたい」旨の内容でした。「一民間人のこころざし」の価値に対する表現として記念の賞を創設し、名前を刻んで永く後世に残すアイディアに、寄付する者への配慮・奥深さ・裾野の広さを感じた次第です。その後2回目の寄付を行い、現在も毎年この賞の選考・授与は続いています。この辺りのことについては、「08.12.1」の欄にも書きました。

 姉妹都市交流もそうですが、ボストンを中心とするアメリカ・マサチューセッツ州の方々とのネットワークでも、こうやって書き綴っていると止めどもなく次から次へと顔が蘇ります。子ブッシュ時代のアメリカは全く好きになれず、私はあの国とは意図的に距離を置いて参りましたが、昨今はまた昔のネットワークと連絡を取って活動を再開したい気になってきています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 講演が終了してから、多くの参加の皆さんがファー先生にご挨拶をされていました。私もしばし会場の隅で待ち、講演の中で紹介して頂いた御礼と、大変誇りに思う旨を先生にお伝え致しました。本当に人の繋がり、地道で真摯な交わりこそが、レガシーとしての価値を残すのでしょうね、そう実感した一週間でした。

むのたけじさんの遺志を継ぐ

Posted by 秋山孝二
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 「戦争絶滅」を訴え続けたジャーナリスト・むのたけじ(本名・武野武治)さんが8月21日、老衰のため、さいたま市のご次男宅でご逝去されました、101歳でした。

朝日新聞記事より~~~~~~~

 朝日新聞記者時代に終戦を迎え、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」と終戦の日に退社した。ふるさとの秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。1978年に780号で休刊してからは、著作や講演活動を通じて平和への信念を貫き通した。

 100歳になった昨年は戦後70年で「歴史の引き継ぎのタイムリミット」といい、講演で各地を飛び回った。今年5月3日に東京都江東区の東京臨海広域防災公園で行われた「憲法集会」でのスピーチで「日本国憲法があったおかげで戦後71年間、日本人は1人も戦死せず、相手も戦死させなかった」と語ったのが、公の場での最後の訴えとなった。

 2002年に胃がんの手術をし、06年に肺がんで放射線治療を受けたが、ほぼ完治。90歳を過ぎても自転車に乗り、「80歳より90歳のほうがいい仕事ができるようになった」と話した。

~~~~~~~記事からの引用 おわり

* 2016.5.3演説――> https://www.youtube.com/watch?v=8HUgguVnNM0

 先月、東京の早稲田大学大隈講堂で早稲田大学大学院政治学研究科主催のシンポジウム「ジャーナリスト・むのたけじの魂を継承する~むのたけじさんを偲ぶ~https://www.waseda.jp/fpse/gsps/news/2016/09/13/7698/」が開催されました、若い方々の参加も多かったですね。

むのたけじさんについてのこのブログでの記載――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%80%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%98

会場の早稲田大学大隈講堂前

会場の早稲田大学大隈講堂前

満杯の会場内には在りし日のむのたけじさんの映像も

満杯の会場内には在りし日のむのたけじさんの映像も

 「偲ぶ会」と言っても、むのたけじさんの強い遺志で、追悼だけの内容にはするなとのこと。当日のパネルディスカッションでも登壇者は皆さん、ご自分の立ち位置からの決意表明でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

第一部 パネルディスカッション  「むのたけじのジャーナリスト魂をどう引き継ぐか」

パネリスト: 鎌田慧(ルポライター)、桂敬一(メディア研究者、元立正大学教授)、佐高信(評論家)、宮城修(琉球新報社会部長)

モデレーター: 落合恵子(作家)

第二部 ①「むのさんと出会って」 各大手新聞社(朝日、読売、東京)の取材した記者の皆さん、ほか

②「むのさんの魂を継承する」

『笑う100歳』予告編上映

遺族のご挨拶 武野大策

総合司会:高橋恭子(早稲田大学政治経済学術院教授)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 思い出のVTRに続いて、映画「笑う101歳×2(http://www.warau101.com/)」のご紹介もありました、完成が楽しみですね。

近日完成予定の映画!

近日完成予定の映画!

 パネルディスカッションは、落合恵子さんの素晴らしいコーディネートで、実に内容の濃い時間となりました。当日配布のプログラムの裏表紙に「死ぬ時そこが生涯のてっぺん」とのご本人の言葉が書き留めてありました。

 終わりのご子息・武野大策さんのお話によると、「自分が死んでも、偲ぶ会など開いてくれるな」と強く仰っていたそうです。「そんな会をやる暇があるのだら、私の著書を読んでくれ」との強い意志です。「父は、『俺を眠らすな!』と言いたかったのでしょう」と語りました。「肉体は死んでも、闘う精神はまだまだ続く!という意志を当日の参加者にお伝えになりました。

 閉会の高橋恭子先生は、「むのたけじの魂を継承する」という意味は、むのたけじのことば・書物を引っ張り出してきて、「あんなこと言ってた」「こう言ってた」と偲んだり語り継ぐのではなく、皆さんがむのさんのことばを読み、自分で考え、自分のことばで語って頂きたい、そのことが、「魂を継承する」ということです、とまとめられました。若い方々の参加も多く、大隈講堂は満席の大盛況、素晴らしい力強いシンポジウムでした。

<印象に残る登壇者の言葉>

* ひとり一人の自立した「個」が基本

* 美しい生き方があるとすれば、自分を鮮明にした生き方である

* 戦争をさせない意志を継ぐ

* むのさんの言葉: 希望は絶望の中に

* 「生きる」ことは「闘う」こと、そして「続ける」こと

* むのさんの言葉: 「対」で思い浮かぶのは「対立」ではなく「対話」

 むのたけじさん、私はご遺志をしっかり受け止めて、これからの自分の頭で考えて行動して参ります!

秋山財団贈呈式 2016

Posted by 秋山孝二
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 少々報告が遅くなりましたが、今年も秋山財団の受領者からのメッセージ、講演会、贈呈式、祝賀会が開催されました。これまでの贈呈式についてはこちら――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E8%B4%88%E5%91%88%E5%BC%8F

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〇 「受領者からのメッセージ」

・『 シラカバ樹液の研究と地域づくり』

・『「生きづらさ」を抱えた私たちにできること』

・『 がんを何とかしたい!〜私のモチベーションとコラボレーション〜』

〇 特別講演会  ・講師:鷲谷 いづみ 様(保全生態科学者・中央大学 理工学部 教授)

* http://www.human.chuo-u.ac.jp/?page_id=1881

演題: 『 「ナチュラルヒストリーと市民科学」  ~ 保全生態学のよりどころ ~ 』

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 受領者からのメッセージでは、研究者になった動機ほか、興味深いお話の数々でした。

研究者への道を選択した動機ほか

研究者への道を選択した動機ほか

 特別講演は保全生態科学者で中央大学理工学部教授の鷲谷いづみ先生です。

ナチュラルヒストリーと市民科学

ナチュラルヒストリーと市民科学

特別講演 鷲谷いずみ先生

特別講演 鷲谷いづみ先生

 今年の受領者はこちら――> http://www.akiyama-foundation.org/news/1743.html

 贈呈式での私の挨拶は以下の通りです:~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

本日は、多数のご来賓のご臨席を賜り、またお手伝いに株式会社スズケン様より社員の皆様に駆けつけて頂き、秋山記念生命科学振興財団「2016年度贈呈式」を開催出来ますことは、大変光栄に存じ感謝申し上げます。

秋山財団は1987(昭和62)年1月に設立以来、本年度30周年を迎えることとなりました。お陰様でこの間、総額約91,000万円、1,293件の助成を行う事が出来ました。本日お集まり頂きました皆様をはじめ、これまで当財団に寄せられましたご指導・ご支援に対しまして、改めて心からの御礼を申し上げます。

今年度の選考の詳細につきましては、このあと、各選考委員長よりご報告がありますが、「秋山財団賞の受賞者なし」の決定について、選考委員会に陪席した私から一言申し上げます。財団賞選考は選考委員会において、2時間を超える白熱した議論、率直な意見交換の結果、出席選考委員全員一致で「受賞者なし」と決定しました。審議の過程で、私は各選考委員の利害関係を排除して合意形成しようとする粘り強さと高い見識を目の当たりにし、第一線研究者の矜恃を感じると同時に、30年間培ってきた秋山財団の財産であることを再確認致した次第です。秋山財団は設立以来、選考委員会の「透明性」を最も大切にしており、それゆえ理事会・評議員会でもその選考決定を尊重し、今日まで順調に事業を推進して参りました。この場を借りて選考委員の皆さまに心から感謝申し上げます。

設立30周年の節目の今年、理事長として考える当財団の立ち位置をお伝えしたいと思います。

当財団設立時に、最初の理事会において、ひとりの理事がおっしゃいました、「生命科学の基本目標は、人類、そして地球の『健康』を確保する点にあり、『健康』とは、人類が、世界が、平和を保つ状態だと思う」と。そしてある理事は、「生命科学(ライフサイエンス)は心の問題を含め、人類の幸せを目指す いのちの科学”であり、その領域は自然科学分野のみならず、哲学も含む人文科学、更には社会科学をも視野に入れた学問と理解している」と。

私はこの間、毎年この場で受領者の皆さまに「夢を託している」と申し上げてきました。今年はさらに、ただの夢ではなく、「魔性(悪魔のささやき)と闘う勇気」、或は、「社会課題と真摯に向き合う姿勢」を求めたいと思うのです。

NHKで放送された、映像の世紀プレミアム「戦争 科学者達の罪と勇気」をご覧になった方も多いかと思います。歴史上大きな功績を挙げた科学者たちは、時代の要請の中、その成果が戦争に応用されたり、或は積極的に戦争推進に加担した経緯を記録から浮き彫りにしていました。番組の後半では、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が取り上げられていました。この宣言は、イギリスの哲学者・バートランド・ラッセルと、物理学者・アルバート・アインシュタインが中心となり、195579日、ロンドンにて世界の最先端の科学者ら11人の連名(うち9名はノーベル賞受賞者)です。米ソの水爆実験競争に対して核兵器廃絶と科学技術の平和利用を訴えた科学者の平和宣言文で、日本の湯川秀樹も署名しています。

湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩雄は、宣言の後、カナダ・ノバスコシア州でのパグウォッシュ会議や科学者京都会議の活動を通して、日本国憲法の平和主義に基づきながら、「反戦・反核」の思想と理論を一層深化させていった物理学者でした。その理念は、現在も日本パグウォッシュ会議に脈々と受け継がれて、来年、創立60周年を迎えます。

一方、昨年、秋山財団贈呈式の特別講演では、保阪正康先生の言葉が思い出されます。「魔性、悪魔のささやきと闘うことこそが、本当は科学者としての最も大事な要件、資質だと考えています。自主・自立の民間財団として北海道にその歴史を刻み続ける秋山財団への期待を込めて、“魔性と闘う人間性”を受賞者、受領者を決定する際の重要な選考の柱、基準として頂きたい」と結ばれました。

本日の特別講演でも、鷲谷いづみ先生のキーワードとして、“生物多様性の保全”や“市民科学”、そして、3・11からの復興においても、“生態系”“生物多様性”という視点抜きでは、人間自身の持続性、生存を担保できないと語られました。

私たちは、今後も「競争的資金」と位置付ける文部科学省の科研費、或は実質的「軍学研究」である防衛省の「安全保障技術研究推進制度」とは一線を画し、微力ながら、とりわけ若き世代の育成を担い続けたいと考えています

本日ご出席の大学関係者、研究機関、そして受領者の皆さんに申し上げます。

100年の時を越えて、北の生命と共に歩んで来た秋山愛生舘の歴史とDNAを受け継いだ財団です、しなやかに、レジリエンスに活動を展開して参ります。皆さんに期待すると同時に、私たち自身も社会の不条理とひるまず闘い続けて行くことを、ここでお誓い致します。本日ご列席の皆様には30年間のご支援、ご厚誼に感謝し、引き続きなお一層のご厚情を賜りますようにお願い申し上げて、私の挨拶と致します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ おわり

 贈呈式に続いての祝賀会、冒頭ご挨拶は理事の佐藤昇志先生、「Duty」としての公的な助成金と「Prize」としての民間の助成金の対比を実に分かりやすくお話を頂きました。

佐藤先生の素晴らしいご挨拶

佐藤昇志先生の素晴らしいご挨拶

 締めは(株)スズケン常務取締役愛生舘営業部長の山本律さん、懐かしいお話で嬉しかったですね。

(株)秋山愛生舘での入社当時のお話も

(株)秋山愛生舘での入社当時のお話も

 今年も長丁場でしたが、「式典」というよりも「交流の場」としての時間を多くの方が過ごして頂けたと思っています。今年は創立30周年の節目の年、贈呈の後に30分時間を頂き、私から「秋山財団三十年のあゆみ~地域をつなぐ、世代をつなぐ~」と題してお話をしました。その様子は秋山財団HPに近々アップ――> http://www.akiyama-foundation.org/news/2190.html

保阪正康さん@ 秋山財団

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 日本の近代史研究家・保阪正康さんが、秋山財団を訪問されて、事務局含めての意見交換をしました。保阪さんは札幌でもしばしば講演をされています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7

保阪正康さんと意見交換

保阪正康さんと意見交換

 歴史をしっかり若い世代に伝えるには、記憶に頼るだけでなく、何か仕組み・装置が必要な気がしています。「戦争を知らない世代」では免罪できない今を生きる日本国民としての責務もあるようにも感じます。単発の講演会でどんなに感動しても社会を変える力にはなり得ないので、自分自身の思想として戦争の無い社会、国際社会での日本の果たすべき役割等、21世紀を生きる、或はさらに22世紀を生きる日本国民としての基盤づくりに寄与するような、そんな人材育成プログラムを構築したいと企画を練っています。

 8月に天皇陛下が自らビデオメッセージで直接国民に伝えられた思いについて、保阪さんはその経緯ほか貴重なお話をして頂きました。戦後の日本国憲法の「象徴天皇」と真摯に向き合って、皇后陛下とともに慰霊の旅をお続けになっている姿勢から、誰よりも平和を希求する強い意志を感じ取ることができます。また、NHKテレビで、保阪さんが「平成の玉音放送」と表現されたその真意も、今回の秋山財団でのお話から受けとめることができました。

* 東京新聞から――> http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016080902000114.html

 サンデー毎日からの引用 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「お言葉」は正確には、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」とのタイトルがついている。象徴天皇としての率直な気持ちを語っているという意味になるであろう。
 この「お言葉」について、まず私なりの解説を加えておこう。この内容は以下のような構成になっている。
〈老齢の今、個人としての意見を明らかにしたい(A)→象徴天皇としての行動を貫いてきた(B)→老齢の今、肉体的に不安(C)→私の28年間の活動について(D)→摂政には疑問(E)→天皇の終焉(しゆうえん)時の一連の儀式(F)→国民の理解を求める(G)〉
 この七つのポイントが、「お言葉」の中には整理されている。あえていうと、天皇は、自らの発言が「政治」に関わるとの懸念があるにもかかわらず、今回その心中を吐露したといっていいのではないかと思う。いや、天皇という制度、システムの枠から離れて、あえて「個人」としての視点から問題提起をしたといってもいいであろう。一面で、このビデオメッセージは「平成の玉音放送」と評していい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

沖縄慰霊の日 2016

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 毎年6月23日は、「沖縄慰霊の日」として、今を生きる私たちとしては忘れてはならない日です。これまでも何回か書き留めてきています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12980

* 昨年のテレビ番組で――>http://blog.livedoor.jp/gataroclone/archives/44538515.html

 今年の翁長知事のご挨拶: 【・・・・、戦後、私たちは、この沖縄の心をよりどころに、県民が安心して生活できる経済基盤を作り、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。しかしながら、戦後71年が経過しても、依然として広大な米軍基地が横たわり、国土面積の0・6%にすぎない本県に、米軍専用施設の約74%が集中しています。広大な米軍基地があるがゆえに、長年にわたり事件・事故が繰り返されてまいりました。今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じています。沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。

 日米安全保障体制と日米地位協定の狭間(はざま)で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか。真の意味での平和の礎(いしずえ)を築くためにも、日米両政府に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、過重な基地負担の軽減を先送りすることなく、直ちに実現するよう強く求めます。特に、普天間飛行場の辺野古移設については、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは、到底許容できるものではありません。

 一方、世界の国々では、貧困、飢餓、差別、抑圧など人命と基本的人権を脅かす、多くの深刻な課題が存在しています。このような課題を解決し、恒久平和を実現するためには、世界の国々、そして、そこに暮らす私たち一人一人が一層協調し、平和の創造と維持に取り組んでいくことが重要であります。・・・・・】

 「日米地位協定の抜本的見直し」を明確に表現されました。

翁長知事の挨拶

翁長知事の挨拶

 仲間里咲さんの 詩の朗読も胸に染み入りました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016062302000258.html

詩の朗読

詩の朗読 仲間里咲さん

 新聞紙上には保阪正康さんが書いていました、「沖縄戦」ではなく「本土決戦第一号」と日本国民は認識すべき、との視点は鋭い指摘です。沖縄戦での住民の悲惨な状況は、その後想定された本土決戦のどの地域でも起こり得た惨状でしょう。沖縄に思いを馳せるのではなく、今を生きる日本国民として、戦争の歴史を受け止める責務があるのだと思います。

 こんな報道姿勢をNHKがすることはまさに犯罪的であり、憤りを感じます。

http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=439

戦後70年、私なりの思い(7 最終)

Posted by 秋山孝二
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 お盆を過ぎて、私の叔母・和久奈ちよ(公益財団法人 ワグナーナンドール記念財団理事)からメールがきました、また一つ、身内と関係する終戦前後です。

* 公益財団法人 ワグナーナンドール記念財団(http://wagnernandor.com/indexj.htm

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孝二様

 お盆が終わり、ナンドールをお墓に送りました。そちらは助成事業などでお忙しいことでしょう。二、三日前、映画「日本のいちばん長い日(http://nihon-ichi.jp/)」を見ました。考えてみると私も少なからず、登場する方々を知っていました。
 東条英機さんは父の陸軍省の上役、正二お義兄さんは終戦時参謀本部に所属し、終戦前後の行動をいろいろ聞きました。三笠宮老殿下は、戦後ですが札幌で父のところにお訪ねくださり、戦中、木村昌福司令官に秋山家でお会いしたこと、戦後、幣原喜重郎さんは、私が大学生の時に学長から命じられて英文学者の御長男のお手伝いに通ったのでお会いし、宮内大臣の石渡さんご家族ともお付き合いしてたり、寿美子お姉さんは原爆雲を見たのですし、いろいろ考えさせられました。

 幣原喜重郎(私の英語教師のお父様)さんが憲法9条の創案者です。今、検索して其の項を読みましたら、大変はっきり書いてありました。お宅でお会いした時はそんな偉い方とは知りませんでした。天皇陛下に北海道のカボチャを献上したいと言われて、秋山の父がアレンジしてお送りしたことがあります。

 幣原喜重郎を検索、ちょっと便利帳「幣原喜重郎元首相が語った、日本国憲法」を読みました、 私には大変良かったのでお知らせします。

* ちょっと便利帳「幣原喜重郎元首相が語った日本国憲法(http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html)」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~メール おわり
 このシリーズ、これで本当に終わりに致します。

戦後70年、私なりの思い(5)

Posted by 秋山孝二
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 戦後70年の節目の年、重要なコメントが続きます。

* 2015.8.14 安倍談話(http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

* 2015.8.15 天皇陛下追悼式 http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7597.html

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

* フランスメディアの報道:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150814/k10010190411000.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~

* 「談話」と言うと、思い出すメッセージがあります。ドイツのワイツゼッカー大統領の戦後40周年の節目の演説です。安倍首相のそれと歴史の認識とそれへのコミットメントに大きな違いを感じてしまいます。自国のトップを誇りに思えない、何とも鬱陶しい自分です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~ 演説の引用

・・・・・・・人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。

 われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

 われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

 人間は何をしかねないのか——これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

 道徳に究極の完成はありえません——いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

 ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

 若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、黒人や白人これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

 若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。

自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。

今日5月8日に際し、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 演説の引用 おわり

* 現代の日本の若者も語ります http://iwj.co.jp/wj/open/archives/258019

 改めて節目の年に考えるべき第一は「アジアにおける日本の加害責任」、第二は「戦争被害」とりわけ「原爆被害」でしょうね。ただ、この両方の立場を曖昧にして、あの戦争から逃避する姿勢が大きな問題を先送り、未解決のまま残してきたのではないでしょうか。日本がアジアにおける「戦争責任」と真摯(しんし)に向き合っていたら・・・。加害責任を認めて謝罪したうえで原爆投下の非を問えば、核廃絶にむけての日本の主張は説得力を持ってきたはずです。日米安保体制下で自立した姿勢をとることも可能だったでしょうし、日本国憲法の平和主義も、もっと積極的姿勢を求めていたのではないでしょうか。でも、まだ未来に希望を捨ててはおりません。

 戦前も戦後も、ひとえに国際社会における「外交の稚拙さ」が、戦争を引き起こし、戦争から学ぶことなく、これからまた戦争をする「普通の国」へと突き進む気がします。今、自分を含めた市民の声を日々の行動に変えていく、そんな歴史の大きな岐路に立っている実感を持ちます。