師走 2022

Posted by 秋山孝二
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 11月末は栃木県、東京都への出張、そして今日、2022年師走を迎えました。

 先ずは栃木県益子町、落葉が一面に広がり、晩秋の美しさを醸し出して。都会のマンション前では、これらの落葉が「困ったゴミ」と認識される昨今、植物へのリスペクトもなく日本社会の疲弊を感じる時もありますね。

ワグナー・ナンドール記念財団前の道

ワグナー・ナンドール記念財団前の道

 JR宇都宮駅では佐野ラーメンと餃子・日本酒で今年の仕上げです。来年こそは本場の佐野市に行って、ラーメンのはしごをしたいものです。

 そして東京、寺島実郎さんのリレー塾、今回もアメリカ・中国の今、そして日本の立ち位置、濃密な第一人者3人の鼎談でした。寺島さんの今月中に発売になる新著も楽しみです。

今回初のリアル参加!

今回初のリアル参加!

 東京都丸の内と御成門付近、師走ですね。ヨーロッパ各国ではエネルギー高騰の折から、今年はクリスマスのライティングは軒並み中止で、街なかは真っ暗とか、どこか多少の罪悪感も感じる今年の師走です。そして、羽田空港もクリスマスツリーが飾られて師走ムードです。

 丸の内で久しぶりに丸善で立ち読みしていると、『山本義隆』の文字と『原子・原子核・原子力』の文字が飛び込んできました、山本義隆さん未だにご健在ですぐに買いました、読むのが楽しみです!!

 そして札幌ではいよいよ雪が降ってきました。

『一九六八野郎』!

Posted by 秋山孝二
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 今月号の岩波『世界(https://www.iwanami.co.jp/book/b372513.html)』に寺島実郎さんの連載「脳力のレッスン特別篇」として、「一九六八年再考――トランプも『一九六八野郎』だった」は、大変興味深い内容です。

 私にとっての『一九六八年』は忘れることができません。高校3年生、受験を控えていましたが、ベトナム戦争で疲弊する世の中は何か騒然としていて、東京大学入試中止、朝永振一郎先生に憧れて当初志望していた東京教育大学も、年が明けて早々に入学試験が中止となりました。数年後、大学は都内から筑波学園都市に移って「筑波大学(http://www.tsukuba.ac.jp/)」となり、現在に至っています。そして、後に振り返ると、私の首都圏での大学生活では、キャンパスでの学びよりも、外での集会等での出会い、そして山本義隆さんの存在が大きいです。

 山本義隆さん関係記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%BE%A9%E9%9A%86

* これまでの「1968年」記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=1968

 今振り返ると、この時期にどんな立ち位置で時代に関わっていたかは、その後のそれぞれの人生に大きな影響を与えているように思います。これまでお会いした数多くの方の中には、同時代を生きていながら、「全共闘って何?」という輩もいたりして、それが現実かと妙に納得したりいろいろです。

 寺島実郎さんの記述によると、例えば、アメリカのトランプ大統領はこんな感じだったようです、「これじゃね~」と思うのは私一人ではないでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~寺島実郎さんの記述から引用

・・・1966年秋に入学したペンシルベニア大学のウオートン・ビジネススクールでは、「美人を連れて歩くのが好きな奴」という印象を多くのクラスメートに残している。・・・自分を「シンシナティ・キッド」と呼んで、卒業時には20万ドルの財産を持っていたと胸を張るが、1968年という時代に世界の若者が「社会変革」に血をたぎらせていたことなど関心の対象外で、一切の言及はない。

・・・この時代を生きた米国の世代に関して気になるのはベトナム戦争との関わりである。・・・「医学的に不適格」として兵役を回避する自分本位の男、時代に正対もすることなく青年期を自分自身のためだけに生きた男というのが若きトランプの実像といえる。

・・・この自己陶酔型の人物の視界には、目指すべき理念、自分の生き方に疑問を抱く力、問題を深く考察する知的葛藤が皆無である。それが、世界の不幸をもたらしていることに気づく。

・・・国の掲げる価値を真摯に信じてベトナムに行った青年は死傷し、背を向けて「女とカネ」に執着していた男が大統領になる。こんな理不尽があっていいのであろうか。だが、それが現実なのである。

・・・確かに歴史は一直線には進まないが、長い視座で考えれば条理の側に動く。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 今、65歳を越えた年齢になって私が思うのは、当時の揺れ動く価値観の中でも時代と真摯に向き合っていた自分の姿勢は評価したいなと。教員時代も、企業経営者時代も、そして今もそうです、足元の日本・北海道を基盤にした歴史認識を求めて、寺島実郎さんが言う「歴史の鏡を磨く」ことから、「持続する志」を持って、課題に挑戦したいものです。

 あらためて「一九六八年」は、私にとって第二の誕生日です。

「スーパー日本人」の育成って?

Posted by 秋山孝二
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 Facebookには実にたくさんの興味深いコメントがあります。その中の一つ、つい先日掲載されていた脳科学者の茂木健一郎さんのブログ(https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/1713597.html):

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ブログからコピー

 現代における科学技術の受益者の対象は、そもそも全人類であるはずで、技術の大きなプロジェクトにおいて、ある特定のナショナリティが出る余地はあまりないと思うのですが、そのあたりの発想の出どころも含めて、ふしぎな感じがしました。もし、プロジェクトがうまく行ったら、その受益者は別に日本に限りませんよね。っていうか、「スーパー日本人」 というキーワード自体が、普遍的な価値を生み出すことを志向する大学で使うには、不適当な気がするのですが・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~コピー終わり

 この議論の対象になっているのは大阪大学のこちら――> http://www.jst.go.jp/coi/sympo/data/v2_2.pdf

「人間力活性化によるスーパー日本人の育成と産業競争力増進/豊かな社会の構築」

 確かに昨今、この大阪大学のようなビジョン・イメージ図がアカデミックセクターで氾濫しているような気がしますね、感覚的に違和感を感じるフレーズです。「スーパー日本人」って何ですか、いかにも安易で軽い言葉!

 先日掲載した山本義隆氏の著書(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32496)にもあるように、そもそも日本の高等教育機関としての旧帝国大学・国立大学、科学技術の成り立ちから言えば、自ずからの限界とでも言えるのかも知れません。「スーパー日本人」の概念がまず理解不明であると同時に、その育成と「産業競争力の増進」「豊かな社会の構築」がどう繋がりあうのか、広告代理店のキャッチコピーのような安易な言葉の羅列です、少なくとも私にとっては。仮に「スーパー日本人」の育成を容認したとしたならば、最低限、「地球環境の向上」とか国の枠を超えるグローバルな貢献を期待したいものです。

 一方で、今、読んでいる先日亡くなった私の高校の大先輩・西部邁の著書「保守の真髄~老酔狂で語る文明の紊乱(ぶんらん)」では、こんなフレーズもあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 人間は言語を操る動物である。その言語は、本来は、多側面の機能にかかわるはずのものである。それがテクノロジー(技術)という一方向にのみ特化していくのは文明の病理以外の何ものでもない。・・・・・

 モダンを近代的と訳したのは、日本文化における取り返しのない錯誤であった。・・・モダンとは「最の時」のことではなく、それがモデルとモードの類似語であることからも察しられるように、「模型の流行する時代」、つまり「模流」とでも訳されるべき言葉だった。・・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 以前書いた日本国の新しい社会ビジョン「ソサイエティ5.0(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32334」も、そんな傾向に陥らないように、桜田一洋さんに頑張って頂きたいです。今年9月の秋山財団贈呈式では、財団始まって以来初めて、二年続けての同じ講師・桜田一洋さんに、生命科学の視点からこの「ソサイエティ5.0」をテーマにお話をして頂く予定です、乞うご期待!

近代日本150年 @ 山本義隆

Posted by 秋山孝二
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 日本の近代については、三谷太一郎先生の著書が心に残っています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=30348

 一方で、「科学技術」、「日本のアカデミックセクター」の視点から、日本の「近代」を読み解いた山本義隆氏の新著『近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻』は、彼の一貫した思想を再確認し素晴らしかったです。

近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻(岩波新書 新赤版)

 山本義隆氏についての私の過去の記事――>

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11550

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31144

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31978

 幾つかの解説から~~~~~~

 科学技術の破綻としての福島の原発事故、経済成長の終焉を象徴する人口減少。大国主義ナショナリズムに突き動かされて進められてきた日本の近代化を見直すべきときがきた。近代日本150年の歩みを捉え返す。西洋近代科学史の名著から全共闘運動、福島の事故をめぐる著作までを結ぶ著者初の新書。【本の内容】

 黒船がもたらしたエネルギー革命で始まる日本の近代化は,以後,国主導の科学技術振興・信仰による「殖産興業・富国強兵」「高度国防国家建設」「経済成長・国際競争」と,国民一丸となった総力戦体制として150年間続いた.明治100年の全共闘運動,「科学の体制化」による大国化の破綻としての福島の事故を経たいま,日本近代化の再考を迫る.

著者紹介
山本義隆  略歴1941年大阪生まれ。東京大学大学院博士課程中退。駿台予備学校勤務。科学史家、元東大全共闘代表。著書に「知性の叛乱」「重力と力学的世界」など。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 そもそも、日本の近代科学技術の成り立ちは、産業政策というよりも富国政策・軍事政策として生まれており、昨今の文部科学省の科研費の競争的資金化、防衛省の委託研究費といった傾向の素地は出来ているといった指摘は、60年代からアカデミックセクターに身を置いて真摯に自問してきた彼の神髄ですね。2011年3月11日以降の原発問題を契機に、彼の研ぎ澄まされた「知性の叛乱」がまた始まっているような気がします。年齢こそ10歳上ですが、1960年代後半を共有している自分も腑に落ちる論考です。

 じっくり読み返して、後日、もう少し深くコメントしたいと思います。

1968年-無数の問いの噴出の時代-

Posted by 秋山孝二
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 千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(https://www.rekihaku.ac.jp/)は、日本の歴史を深く掘り下げて興味深い場所です。

 企画展示「1968年』-無数の問いの噴出の時代-(https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/index.html」はもうすぐ終了ですが、国立の施設でこの展示をすることに意義を感じます。記憶の時代から確かな「歴史」の時代になったとでも言うのでしょうか、小学生・中学生を含めてたくさんの方が訪れていました!

 べ平連、大学闘争、三里塚、・・・1960年代を語る資料を約500点展示、約50年後の今にも通じる活動の連鎖が放つメッセージ、「1968年」の多様な社会運動の意味を改めて私たちに問うてきて、自分の人生にも多大な影響を与えていることを実感しました。

画像に含まれている可能性があるもの:3人、テキスト

HPより~~~~~~~~~~~~~~~

大学闘争、三里塚、べ平連・・・1960年代を語る資料を約500点展示
約50年後の今、「1968年」の多様な社会運動の意味を改めて問う

 本展は、1960年代後半に日本で起こった、ベトナム反戦運動や三里塚闘争・水俣病闘争などの市民運動・住民運動、全国的な大学闘争などの多様な社会運動に総合的に光を当てたものです。これらの運動は、戦後の平和と民主主義、そして高度経済成長や公共性を押し立てた開発計画のあり方、広くは戦後日本の政治的・経済的枠組みを「問う」ものでした。この時代に噴出した「問い」はいまなお「現役」としての意味を持ち続けています。また、1960年代後半は、日本の社会運動が、それまでの組織的な問題設定・問題解決の方式から、「個」の主体性を重視する特徴を強く顕し始める転換期でもありました。人々は様々な問題に対し異議を唱え、あるいは改革を要求する声を、各自の居場所で、多様な形態であげていったのです。こうした新しい社会運動のスタイルは後の時代にまで大きな影響を与えました。

 「1968年」は、この時代の象徴的な出来事である東大闘争や日大闘争といった学生運動が活発に行われた年でした。本展は、当時を象徴する資料約500点を展示し、「1968年」を中心としたこの時代の多様な運動をより総合的に紹介することで、この時代の運動の意味を探ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 1968年は、世界に目を転じると、ベトナム反戦運動が世界的に展開され、アメリカではキング牧師暗殺を契機として公民権運動が勢いを得て、フランスでは五月革命とも呼ばれる学生運動・労働者ゼネストが起こり、西ドイツでは戦後民主主義の形骸化・権威主義化に抗議する学生運動が高揚しました。社会主義圏では、「プラハの春」と言われたチェコスロバキアの民主化運動とそれに対するワルシャワ条約機構軍の軍事介入の年、各国の新左翼学生が中国の文化大革命に、ソ連型社会主義に代わる社会主義のモデルを托そうとしていました。一つ一つの紹介ではなく、「時代」として捉えている視座が素晴らしいです。

地方都市から戦後社会を問う:神戸の街から「べ平連」発足
戦後民主主義と戦後農政への問い:三里塚闘争
経済成長と豊かさへの問い:熊本水俣病闘争
住民運動の噴出とその問い:横浜新貨物線反対運動
大学という場からの問い―全共闘運動の展開

 後で分かったのですが、物理学者・哲学者の山本義隆さんが、当時の資料のかなりをこの国立歴史民俗博物館に寄贈したそうです。彼の著書『私の1960年代』の中で書いていました。著書の最後に取りまとめられた多くの同志の葬儀で述べた弔辞の中に、「連帯」に通じる重い言葉の数々を読み取れました。

*『私の1960年代』https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%81%E3%81%AE1960%E5%B9%B4%E4%BB%A3-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E7%BE%A9%E9%9A%86/dp/4865720049

 今なお、真摯に時代を総括し、今の現実と向き合う彼の姿勢は、当時、松戸の千葉大学園芸学部で開催された今井澄さんが講演で語った、「歴史が必ず私たちのベトナム反戦運動を評価するだろう!」の言葉とともに、強く私の心に残っています。そして、「記録」の大切さも、ですね。

秋山財団講演会 & 贈呈式 2017

Posted by 秋山孝二
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 (公財)秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)の2017年度講演会・贈呈式が、今年も札幌プリンスホテルパミール館で開催されました。

* 今年のプログラム http://www.akiyama-foundation.org/news/2384.html

* 秋山財団HPより http://www.akiyama-foundation.org/news/2392.html

* 動画――> http://www.akiyama-foundation.org/news/2700.html

* これまでの記事――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E8%B4%88%E5%91%88%E5%BC%8F

受領者からのメッセージ&講演会

受領者からのメッセージ&講演会

 私のご挨拶 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

開会挨拶 メモ >

秋山財団の紹介:

* 昨年30周年、今年は31年目で新たなスタート

これまでの実績 研究助成、市民活動助成等 1,340件、総額 94,800万円

このプログラム:

「受領者からのメッセージ」  今年で5年目~研究者、市民活動の原点を共有したい

「特別講演」         今年で26年目~第一回は今年718105歳で亡くなられた日野原重明先生(http://earth-words.org/archives/3747

* 今年の 「受領者からのメッセージ」

1)『海鳥と水銀を追跡せよ!』  北海道大学大学院水産科学研究院 特別研究員 庄子 晶子 先生

2)『知育・徳育・体育・食育そして『災育』』  日本赤十字北海道看護大学 教授 根本 昌宏 先生

3)『地域医療とサイエンス』  旭川医科大学医学部 准教授 野津 司 先生

< 特別講演での座長 メモ >

特別講演 ・講師: 桜田  一洋  様 (株式会社 ソニーコンピュータサイエンス研究所 シニアリサーチャー)

https://www.sonycsl.co.jp/member/tokyo/188/

演題:『 「生命とはなにか」 ~コーディネーションによる自由の創出~ 』

1)自然科学と自然哲学

2)医療と生命医科学の課題

3)機械論の生命科学と複雑系の科学

4)疾患発症モデルの変遷

5)身体状態の記述と人工知能による推論

6)新たな総合理論の確立

冒頭:

* 桜田一洋さんの紹介に代えて~なぜ、今、桜田さんがここに

――寺島実郎戦略経営塾 7年続く40人程の企業経営者の勉強会で、昨年ご講演

~ 経営者へのメッセージ 科学史を読み解きながら自然科学のみならず、人文・社会科学を含めた日本の明治維新以降、「日本の近代」における科学技術の導入の歴史にも言及する内容に感銘

常に新しい組織の責任者としてイノベーションの先端を切り拓いてきて(進行形)

~再生医療の実用化を目指す中、早期治療・予防の重要性、個別化(多様性・個別性)医療の必要性を認識、

* ソニーCSに移籍してAIを用いたデータ解析の新しい手法を開発

* 実用化の為に「医科学イノベーションハブ推進プロジェクト(MIH)」に参画、現在、副プログラムディレクター

< 贈呈式での挨拶 メモ >

今年の贈呈式プログラム

今年の贈呈式プログラム

御礼    ご来賓(北大 西井理事・副学長、公益法人協会 鈴木副理事長)、お手伝い スズケン

* 事業の実績

~これまで31年間の実績 1,340件、総額 94,800万円

~今年の実績 47件、 3,600万円

* いくつかのご報告

米光 宰(よねみつ おさむ)先生 今年2月にご逝去 選考委員・理事として10

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=29206

~ポスト トゥルース(真実)」にどう向き合うか フェイクニュースの中から

トランプ、BRIXIT、五輪誘致での「アンダーコントロール(原発事故)」発言、国会答弁「南スーダン治安状況」

ウソがまかり通る、格差と分断の時代に個人として何ができるのか(SNSほか)

https://mainichi.jp/articles/20170130/dde/012/040/002000c

https://www.rarejob.com/englishlab/column/20170309/

――その一つの回答: 学校法人「加計(かけ)学園」(岡山市)の獣医学部新設問題について、日本獣医学会、全国大学獣医学関係代表者協議会、獣医学分野の教育関係者が630日、文部科学省で記者会見「根拠を欠いたまま進められ、妥当性を欠く」と批判、獣医学教育の現状について、大学同士の連携や教員の確保など「国際水準化へ向けた改革のまっただ中」と強調。「獣医学を学ぶ若き研究者・学生のために、私たちは黙認できない」、と。アカデミズムの責任あるお立場の方の勇気ある行動であり、矜持を感じた

記者会見の中央席に、(第一回秋山財団助成金受領者)稲葉睦先生・(この贈呈式にご出席の)谷山弘行先生のお姿

~背景 物理学者・哲学者の山本義隆氏 日本近代における「科学技術」導入の3大特徴:

1)「科学」、「技術」が「科学技術」として導入

2)軍事偏重 当初は「富国」に貢献し国力をつけたが、次第に「軍事増強」へと

3)国策として 「科学」、「技術」の各セクターの自立なく

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/274063

~2011.3.11東日本大震災、そして原発事故、現在に至る状況は、その限界を完膚なきまでに露呈

昨年の私の挨拶:文科省「競争的資金」、防衛省「安全保障技術研究推進制度」に言及、「魔性と闘って」と。1年経った今、むしろ「自分の頭で考えて頂きたい」と。「ご自身の研究が何のためなのか、いつも」

* 財団の課題

コラボレーション イノベーション

助成財団センター深掘りセミナー、公益法人協会トップマネジメントセミナー、保阪正康さん3日間連続講座「近代日本史と北海道史」

~今後のキーワード、「SDGs」、「北海道学」

秋山財団は社会の不条理と闘いながら、変遷する環境において、日夜、自律的に研究活動に邁進する皆さんを、微力ながら応援し続けることをお誓いする。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 今年の秋山財団賞は、北海道大学低温科学研究所 生物環境部門 生物適応分野 特任教授の田中歩先生(http://www.akiyama-foundation.org/news/2343.html)の「クロロフィル代謝の包括的研究」でした。

田中歩先生の受賞記念講演

田中歩先生の受賞記念講演

 そして、最後は参加者全員による懇親会、話は尽きることなく続きました。

懇親会で

懇親会で

1969年の唄、甦る思い出の数々

Posted by 秋山孝二
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 唄にはたくさんの思い出があり、時々時間があると当時の自分を懐かしく振り返ることがあります。高校を卒業し札幌から首都圏に出て、初めての一人暮らし自炊の日々、大学も社会も何か騒然としていた気がします。笛とシュプレヒコールの響き、今も忘れることはありません。

懐かしい唄の数々

懐かしい唄の数々

当時の時代の臭いが甦る

当時の時代の臭いが甦る

 そんなこんなでインターネットで検索していると、以下のような番組に当たりました、懐かしいですね。

* NHKアーカイブス特集「安田講堂落城~学生達のその後(https://www.youtube.com/watch?v=nD08GHYAur8)」

 終わり部分、今井澄さん葬儀での山本義隆さんの弔辞、私の公益法人活動のまさに原点です。今井澄さんと言えば学生時代に松戸の千葉大学園芸学部で講演を聴き、かなり後に札幌にいらっしゃった時にもお会いしました。

 最首悟さんは、東大安田講堂前の集会で司会をされていた時のお姿を記憶し、10数年前に和光大学でフォーラム時にご挨拶をしました。この番組で「東大での全共闘の戦いがスタートライン」と穏やかに今を語る姿が印象的です。

 山本義隆さんの演説は、学生時代に東京・日比谷野外音楽堂で直に聴きました、分りやすく理路整然、一人の先鋭的哲学者がそこに居るといった雰囲気でした、その後の著書も読んでいます。特に、近代日本における「科学技術」の導入、そもそもの自然科学導入の国策としての歴史に端を発する特殊性への言及は、私にとって今も「生命科学」を語る時のバックボーンになっています。

* 10.8山崎博昭プロジェクト」大阪講演会 「アカンで、日本!-理工系にとっての戦争(http://iwj.co.jp/wj/open/archives/274063)」

山本義隆さん 大阪講演で

山本義隆さん 大阪講演で

 「生命科学」分野の研究を応援する秋山財団、あるべき社会を展望しながら真の研究者の一助になりたいと、これからも強く意識したいポイントであり、69年を生きた私、私の世代の社会的使命だと思うのです。

東京大学キャンパス 秋 2014

Posted by 秋山孝二
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 今年も開催された私も理事の「一般財団法人 社会福祉・医療事業の経営研究会」主催のセミナーです。基調講演は、「地域包括ケアと家庭医」と題して、 葛西龍樹 (福島県立医科大学教授) 先生、引き続いてパネルディスカッションでした。

 葛西龍樹先生は、「かっさい」とお読みするのが正しいそうです。北海道大学医学部ご卒業後も北海道の臨床現場とも関わりが深かったですね(http://www.fmu.ac.jp/home/comfam/comfametc/member/kassai_r.html)。「家庭医療学」の専門家として、「家庭医専門医」育成のプロフェッショナルです。

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第12回 社会福祉・医療事業の経営研究セミナー

『地域包括ケア体制のマネジメントと家庭医の役割を考える』

基調講演 「地域包括ケアと家庭医」 葛西龍樹 (福島県立医科大学教授) 先生

主 催: 一般財団法人 社会福祉・医療事業の経営研究会

後 援: 東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻保健社会行動学分野

静岡県立大学大学院経営情報イノベーション研究科附属医療経営研究センター

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昨年の様子はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18261

 当日の東京は抜けるような青空。東大本郷キャンパスには修学旅行の生徒と思われる集団が、安田講堂前で説明を受けていました。安田講堂の前庭の両サイドには、こんな大きな樹木が以前からあったのですね、全然気が付きませんでした。時代が変わると見る景色も違って見えるのか、ふとそんな想いにふけりました。

安田講堂&前庭

安田講堂&前庭

 今年は私はどうしてもこのキャンパスに行ってみたかった。先日亡くなった兄が、1968年11月だったでしょうか、翌年1月18・19日の安田講堂攻防戦の前に、図書館前で腕を骨折し、さらに飛んできた石が目に当たって病院に運ばれて手術・治療、その後も網膜にシミが残り、以降は片目の中心視野が失われました。46年前のこの場所でそんな出来事があったのかと、妙に確かめたい気持だったのです。先日はその前庭は工事中でした。

東大総合図書館玄関

東大総合図書館玄関

 さらに今年の医学部一号館は、そんな兄を偲ぶような気持も含めて、「ここのどこかの席で学んだのかな」とも。机に刻まれたインク壺台、筆記用具置きが深いですね。

医学部一号館・階段教室机上

医学部一号館・階段教室机上

 1980年代でしたか、私が札幌で仕事をし始めた時に、参議院議員になる前の元東大全共闘・今井澄さんと札幌でお会いすることがありました。学生時代は、千葉県松戸市にある千葉大学園芸学部で講演を聞いたことがありました、ベトナム戦争で米国の北爆が真っ盛りのときでした。今井澄さんはその後、再三の退学処分にも関わらず、医師国家試験を経て臨床現場で活躍されました。特に長野県諏訪中央病院での実践は、その後鎌田實先生らに引き継がれて、高齢社会の地域医療のモデルとなるような素晴らしい活動を継続されています。

 今井澄さんがご逝去された時に、弔辞を読まれたのが山本義隆さんと聞いています。そんなこんなで検索をしていると、国会議員の小宮山洋子さんが当時の東大総長代行・加藤一郎さんの実娘さんと知り、当時の対峙した時代を思い出し、何かの因縁を感じます。

 東京の本郷界隈と言えば、私の高校時代の修学旅行で宿泊した旅館「機山館」を忘れることができません。先日、地下鉄・本郷三丁目駅付近をブラブラしていると、「ホテル機山館」の看板が目に飛び込んできました、今は、ホテル風のビルになっていましたが、懐かしかったですね。

懐かしの「機山館」

懐かしの「機山館」

 東京・本郷界隈は、時代とともにこれからも変化していくのでしょう、私にとって一つの「時代」を思い出した大切なひと時を過ごしました。

2012.8.15 を過ぎて

Posted by 秋山孝二
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 この夏は、話題満載で、なかなかこの欄にも掲載しきれません。どうしても目の前の出来ごとに目を奪われがちですが、気になる記事・番組をこの間少しずつメモしてきました。今、お盆を過ぎてふり返り、この夏を忘れないように書き留めます。

 まずは、つい先日書いた札幌の演劇界の盛り上がりとロンドン五輪に絡んで:

 演劇シーズン2012 夏:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14067

 ロンドン五輪(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14041

 

 原発関連では今も続く見逃せない動きです:

* 山本義隆の洞察 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11550 :彼の「科学技術(「科学」と「技術」ではなく)」に対する考察は、1960年代後半から一貫しています。未熟な技術としての原発、原発ファシズムの指摘、数十年ぶりの問題提起は「未だに健在」で説得力があります。

* 国会事故調(http://www.naiic.jp/

 再稼働反対の動きはまだまだ続きます:

* 原発再稼働反対デモ(http://www.youtube.com/watch?v=r7328uIAaqY

* 原発再稼働反対:タクシーでの取材 http://www.youtube.com/watch?v=w26klgPfBio

* 再稼働反対集会(7月16日) http://www.youtube.com/watch?v=YBeaTplNGBo&feature=related

http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=8vTbW_y4V5c

 目を引く外国テレビ局2社の報道番組も: 

* 4号機が爆発した本当の原因と東電がそれを隠す理由/フランス・ドイツ共同の国営放送局 ARTE 「フクシマ-最悪事故の陰に潜む真実」(日本語字幕)、「4号機の建屋が爆発した本当の原因」が解説されている動画、ドイツのテレビ放送番組。
 
http://www.dailymotion.com/embed/video/xpzmuo_yyyy-yyyyyyyyyyy_news

  国の「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する意見の募集(パブリックコメント)、2030年の原発依存度に関して 0%、15% 20-25% の3つの選択肢を提示し、国民の意見を募りました。これが開始された7月2日時点での日本国内の原発への依存度は0%。

* グリーンピースが提示した「エネルギーレボリューション」でも原発依存度0%は可能です。
http://www.greenpeace.org/japan/ja/library/publication/20110912/?gv20120707

 原発設置の歴史から学ぶ意味では、三重県芦浜の事例は貴重で、NHK名古屋の優れた番組です。

* 三重県芦浜の事例 http://www.dailymotion.com/video/xsuk17_yy-yy-yy-yyyyyyyyyyy_news

 

 そして、8月と言えば毎年忘れることが出来ないのは、日本の敗戦の総括です。

* 昨年の終戦特集記事:ビハール号事件を軸とした私の父の話(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

* メディアの終戦特集: 「終戦 なぜ早く決められなかったのか」、3・11以降の今の様子は全く同じ構造です。

(前)http://www.dailymotion.com/video/xsuods_yy-yyyyyyyyyyyyyy-y_news

(後)http://www.dailymotion.com/video/xsuoi2_yy-yyyyyyyyyyyyyy-y_news

 昨年、今年とマスメディアの新たな面を知り、ジャーナリズムの価値を再確認しました。特に、昨年私の父の体験に寄り添ってくれた北海道新聞のデスク・記者の皆さまにには、心より感謝申し上げます。私自身の戦犯裁判記録の調査は、この1年間はあまり進んではいませんが、国立公文書館はじめ、海外のアーカイブス関連へのアクセスを含めて、引き続き行っていこうと思っています。文書の検索は殊の外困難で、何かコツがあるのかも知れません、もし、このブログをお読みの方で、検索・調査へのアドバイスを頂ける場合は、是非ご連絡をお願い致します。

 今年の夏もまだまだ残暑は続きます、ただ、確実に過ぎ去っていく多少の焦りを感じながら、また1年、戦後が過ぎました。

山本義隆、変わらぬ深い洞察!

Posted by 秋山孝二
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 昨年の3・11以降、出会った最も印象的な書物に、山本義隆著「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと:http://www.msz.co.jp/news/topics/07644.htmlがあります。わずか100ページ程ですが、ご存知の方は忘れられない名・山本義隆http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8821)、この変革期に変わらぬ深い洞察です。

 その中から幾つかのフレーズ~~~~~~~~~

* 20世紀に大きな問題になった公害の多くは、なんらかの有用物質の生産過程に付随して生じる有害物質を、無知からか、あるいは知っての上での怠慢からか、それとも故意の犯行として、海中や大気中に放出することで発生した。ひとたび環境に放出された有害物質を回収するのは事実上不可能であるが、技術の向上と十分な配慮により廃液や排気を濾過し、そのような有害物質を工場外に出さないようにすることは不可能ではなく、またこうして発生源で回収されたそれらの有害物質を技術的に無害化することも、あるいはそのような技術が生み出されるまで保管しておくことも、多くの場合可能である。・・・・いずれにせよ有害物質を完全に回収し無害化し得る技術が伴ってはじめて、その技術は完成されたことになる。

* 無害化不可能な有毒物質を、稼働に伴って生み出し続ける原子力発電は、未熟な技術と言わざるを得ない。

* 定期検査では、放射能を有する気体も大気中に放出されている。このように原発は、それ自体が放射能と熱の二大汚染源である。その影響がすぐに明らかにならないからと言って、このまま原発を稼働し続け、何世代も後にどのような影響がもたらされるかを人体実験するわけにはいかない。つまることろ原子力発電は、日常的に地球環境を汚染し、危険で扱いの厄介な廃棄物を生み出し続け、その影響を受益者の世代から見て何世代、いや何十世代も先の人類に、負の遺産として押しつけているのである。

* 税金を用いた多額の交付金によって地方議会を切り崩し、地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、優遇されている電力会社は、他の企業では考えられないような潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、頻繁に生じている小規模な事故や不具合の発覚を隠ぺいして安全宣伝を繰り返し、寄附講座という形でのボス教授の支配の続く大学研究室をまるごと買収し、こうして、地元マスコミや学界から批判者を排除し、翼賛体制を作り上げていったやり方は、「原発ファシズム」という様相を呈している。

* 経験主義的に始まった「水力」や「風力」、あるいは「火力」といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的使用、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみに基づいて生み出された。

* 今回東北地方を襲った大津波に対して、最も効果的な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然に対する畏れの感覚を、もう一度取り戻すべきであろう。

* こうなった以上は、世界がフクシマの教訓を共有するべく、事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、その上で、率先して脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以上 引用おわり

 日本を代表する卓越した物理学研究者・山本義隆の見識でした。

 実を言うと、私の家の書棚には、8年前に第30回大佛次郎賞を受賞した彼の著書「磁力と重力の発見1・2・3:http://www.msz.co.jp/book/detail/08031.html」が置いてあるのです。三冊をすぐに買ったのですが、最初の100ページを読んで挫折して、そのまま今日に至っていました。今回の彼の原発事故への深い考察を目の当たりにして、再度「磁場と重力の発見」に挑戦しようと意欲が湧いてきました。

 山本義隆氏の変わらぬ見識に感動し、力を得ました。

映画「Inside Job」ほか

Posted by 秋山孝二
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 還暦を迎えて一番嬉しいのは、いつでも映画を1000円で観られることと以前にも書きましたが、それを実感する昨今です。

 まずは、ホラー映画より恐ろしい(?)、まさにそんな映画「インサイド・ジョブhttp://www.insidejob.jp/ 」です。3年前、投資銀行のリーマン・ブラザーズの倒産に始まった損失総額20兆ドル(!!)の世界的な金融破綻は、どのようにして起きたのか、それを徹底的に追ったドキュメンタリー映画で、「世界不況の知られざる真実」のサブタイトルもついています。今、金融機関で働く全ての方々には観て貰いたいですね。

 今年の第83回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞(http://www.cinematoday.jp/page/A0002814)を受賞した作品で、今となっては、「金融破綻」と「東電福島原発事故」が同じような構造であり、間違いなく「人災」であることを確信します。「規制緩和」を通して、こんな構図を押し進めたのが80年代からの米国政権、レーガン、クリントン、ブッシュ、そしてオバマも、政党は違っても同じ構図で成り立っています。3大統領の下で金融政策を決めてきたグリーンスパンに始り、緩和政策を支えた政・財・官・学界の結託によって引き起こされた破綻だったと指摘したのが、このドキュメンタリーの重要なポイントです。

 「Inside Job:インサイド・ジョブ」の意味は、内部の良く事情を知った者が手引した犯行という意味。つまり、この金融危機は金融に関わる内部の者(インサイド)が犯した犯罪である、という認識であり、その証拠に誰も逮捕も起訴もされていません。映画の取材を拒否した当事者たちも多くいましたが、画面いっぱいに出て来る方々は皆、少し前までしかるべき責任ある立場に居た方、或いは現在も現役でいる方々ばかりです、何とも鬱陶しい息苦しさでした。

 次は、「ショージとタカオ:http://shojitakao.com/」、布川事件(http://www.fureai.or.jp/~takuo/fukawajiken/)の二人を追いかけたドキュメンタリー映画です。井手洋子さんが監督・撮影、二人の29年間の刑務所生活の後、仮釈放から14年間二人を追いかけて撮影し、2008年に東京高裁が二人の裁判やり直しを支持したのを機に、2年間で映画に仕上げたのが作品の経緯です。

 とにかく信じられないくらい前向きな二人で、何ともコミカルですから不思議です。とは言っても、こんな感想を持てるのも、現在、結末が分かっている私の気楽さゆえのことかもしれません。折々の場面で登場する方々の語りが、また実に味わいが深いです。判決が出る前の率直な「怖さ」の吐露とかです、勿論無実は信じているのですが、新しい「判決」を背負って、家族とともに生きざるを得ない状態にとか、重たいですね。この間ずっと関わった弁護士の方による、淡々と「冤罪」裁判の難しさの振り返りも強く印象に残ります。この布川事件、つい5月24日に、水戸地裁土浦支部で「再審無罪判決」が言い渡されました。足利事件(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7775)とともに、日本社会における「冤罪」の問題提起です。

 最後は、「マイ・バック・ページhttp://mbp-movie.com/」、時代はまさに、私の学生時代とぴったりダブります。原作者・川本三郎さんも著名ですが、1976年生まれの監督・山下敦弘さんも若手のホープです。若いにもかかわらず、間合いを十分に取った会話のやり取り、ラストに象徴的に撮り続ける映像からのメッセージ等、素晴らしいです。この時代、全く体験していない方々にとっても、時代を生きた人々からメッセージを感じとれるのか、と少し嬉しくなりました。

 映画の前半、東京・日比谷野外音楽堂での集会シーン、あの集会の場に、当時大学生だった私は居たのです。山本義隆氏がカーキ色のジャンバー・ヘルメット姿で壇上に突然登場し演説を始めた時の様子を、上空のヘリコプターの音とともに鮮明に覚えています。時代の空気として「ホンモノ」、「ニセモノ」へのこだわり、観念的思考、何とも不安な人生の一時期ほか、今思い出しても胸が痛みます。ベトナム戦争反対、三里塚空港建設阻止等、内外ともに騒然とした時代ですが、学生の感性は今の学生よりはるかに鋭敏で、「社会問題」が身近で真正面から向き合っていたと思います。

 「人の優しさ」は、自らの装いを恥じる気持と相まって、一層心に染み入ります。私にとっても、三里塚空港建設現場での集会後、京成電車で成田駅から同方向ゆえに一緒に帰った学生の優しさは忘れられず、京成八幡駅近くの小さなお店の中華丼、朝から何も口にしてなかったので、酢をいっぱいかけて食べた時は、思わず疲れとともに涙が出て来ました。人を欺く行為に憤りを感じつつも、自分自身は他人を平気で裏切る危うさ、そんな揺れ動く10代最後の時期だったような気がします。

 この数日間、メディアでは「内閣不信任案」を巡って大騒ぎが続きます。私の所に届くメールにも、「いい加減にしてくれ!」みたいな内容が殆どです。誰とかどの政党とかではなく、戦後政治を担ってきた人材の貧困さ、「政治」総体への憤りでしょうかね。原発事故による放射能は出続けており、復興どころか復旧さえもままならない日本、私は深海で次の時代に向けた営みを粛々と続ける、そんな心境です、勿論、今を諦めた訳ではありませんが!

<6月4日追記> 昨日この欄で、「この布川事件、つい5月24日に、水戸地裁土浦支部で『再審無罪判決』が言い渡されました」と書きましたが、今朝の新聞記事によると、「水戸地検は3日、控訴を断念する方針を固め、東京高検に伝えた」とあります。予想は出来ましたが、どうして6日の最終決定前にこのような形でメディアに届くのでしょうかね?