日本の近代については、三谷太一郎先生の著書が心に残っています。
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=30348
一方で、「科学技術」、「日本のアカデミックセクター」の視点から、日本の「近代」を読み解いた山本義隆氏の新著『近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻』は、彼の一貫した思想を再確認し素晴らしかったです。
山本義隆氏についての私の過去の記事――>
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11550
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31144
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31978
幾つかの解説から~~~~~~
科学技術の破綻としての福島の原発事故、経済成長の終焉を象徴する人口減少。大国主義ナショナリズムに突き動かされて進められてきた日本の近代化を見直すべきときがきた。近代日本150年の歩みを捉え返す。西洋近代科学史の名著から全共闘運動、福島の事故をめぐる著作までを結ぶ著者初の新書。【本の内容】
黒船がもたらしたエネルギー革命で始まる日本の近代化は,以後,国主導の科学技術振興・信仰による「殖産興業・富国強兵」「高度国防国家建設」「経済成長・国際競争」と,国民一丸となった総力戦体制として150年間続いた.明治100年の全共闘運動,「科学の体制化」による大国化の破綻としての福島の事故を経たいま,日本近代化の再考を迫る.
著者紹介
山本義隆 略歴1941年大阪生まれ。東京大学大学院博士課程中退。駿台予備学校勤務。科学史家、元東大全共闘代表。著書に「知性の叛乱」「重力と力学的世界」など。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり
そもそも、日本の近代科学技術の成り立ちは、産業政策というよりも富国政策・軍事政策として生まれており、昨今の文部科学省の科研費の競争的資金化、防衛省の委託研究費といった傾向の素地は出来ているといった指摘は、60年代からアカデミックセクターに身を置いて真摯に自問してきた彼の神髄ですね。2011年3月11日以降の原発問題を契機に、彼の研ぎ澄まされた「知性の叛乱」がまた始まっているような気がします。年齢こそ10歳上ですが、1960年代後半を共有している自分も腑に落ちる論考です。
じっくり読み返して、後日、もう少し深くコメントしたいと思います。
3 月 5th, 2018 at 11:24 AM
[...] 先日掲載した山本義隆氏の著書(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32496)にもあるように、そもそも日本の高等教育機関としての旧帝国大学・国立大学、科学技術の成り立ちから言えば、自ずからの限界とでも言えるのかも知れません。「スーパー日本人」の概念がまず理解不明であると同時に、その育成と「産業競争力の増進」「豊かな社会の構築」がどう繋がりあうのか、広告代理店のキャッチコピーのような安易な言葉の羅列です、少なくとも私にとっては。仮に「スーパー日本人」の育成を容認したとしたならば、最低限、「地球環境の向上」とか国の枠を超えるグローバルな貢献を期待したいものです。 [...]