こうして彼は「犯人」にされた

Posted By 秋山孝二
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 映画「それでもボクはやっていない:http://www.soreboku.jp/index.html」、「Shall we ダンス?」の周防正行監督、足利事件冤罪被害者の菅家利和さん(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3796)、足利事件の弁護士の笹森学さんをお招きしてのシンポジウム「取り調べの全面可視化を考える」が、700名以上の参加者を集めて開催されました。

700人を越える参加者

小ホールから大ホールへ変更:700人を越える参加者

パネルディスカッションでの熱心な議論

左から周防正行さん、菅家利和さん、笹森学さん

足利事件の経過と課題報告

足利事件の経過と課題報告

 周防正行監督のお話は、実に興味深かったですね。映画製作の視点から、「全面可視化」と「いわゆる可視化(部分可視化)」の意味合いの全くの違いを熱く語りました。

* 映画「それでもボクはやっていない」は、2年間の取材(弁護士、当事者、裁判官へのインタビュー、傍聴等)に基づいたもの:特に印象的だった元検察官の言葉、「裁判で一番重要なことは『やったという自白』で、証拠の王様」

* 日本社会の警察・検察・裁判所に対する盲目的信頼、足利事件ほかの事実が明らかになり、大きな時代の転換点

* 取り調べの「全面可視化」とだだの「可視化」は似て非なるもの、全く別のベクトル、「部分可視化」は最も危険、なぜなら「編集」作業を通して逆の証拠として活用される危惧の方が大きい

* 「初期供述の重要性」がもっと認識されるべき、例えば痴漢事件の場合、最初の駅の部屋での供述がポイントで、真実に最も近い場合が多い、その後の警察での取り調べでは変質していく

* 「全面可視化」は、従来型の取り調べのやり方を変える、今までのやり方が根底から覆る

* 刑事裁判の場は、裁判官・検事・弁護士というプロ集団の中に、ただ一人のアマチュアが立っている図式

* 世界的には「可視化」とは、「録画」のことであり、部分可視化などあり得ない

* 「全面可視化」は被疑者だけでなく、参考人、被害者、証人等、全て録画すべき

 つい最近の村木事件でも、検察特捜部、警察の「検証」が報告されていますが、全て内輪の者だけでの検討で信頼できないですね。笹森弁護士もおっしゃっていましたが、間違いを起こした時に「速やかに回復する機能」が欠落している、まさにこれまでの制度的欠陥と言わざるを得ません。課題のつまみ食いによる中途半端な対応策で、お茶を濁して逃げないように、私たち市民は自分の問題として、今後も注視していかなくてはなりませんし、ここにおけるメディアの役割も大きいですね。

 来月に封切りとなる周防正行監督の「ダンシング・チャップリン:http://www.dancing-chaplin.jp/」も面白そうです。監督の妻・草刈民代の「ラストダンス」ともチラシにありますし、なんせいつ行っても1000円になりましたからね。

One Response to “こうして彼は「犯人」にされた”

  1. 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 映画「Inside Job」ほか Says:

    [...]  とにかく信じられないくらい前向きな二人で、何ともコミカルですから不思議です。とは言っても、こんな感想を持てるのも、現在、結末が分かっている私の気楽さゆえのことかもしれません。折々の場面で登場する方々の語りが、また実に味わいが深いです。判決が出る前の率直な「怖さ」の吐露とかです、勿論無実は信じているのですが、新しい「判決」を背負って、家族とともに生きざるを得ない状態にとか、重たいですね。この間ずっと関わった弁護士の方による、淡々と「冤罪」裁判の難しさの振り返りも強く印象に残ります。この布川事件、つい5月24日に、水戸地裁土浦支部で「再審無罪判決」が言い渡されました。足利事件(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7775)とともに、日本社会における「冤罪」の問題提起です。 [...]