IBM北海道会議2018 @ とかち(下)

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 今年の会議のテーマは、「北海道命名150年 これからの50年を考える」。基調講演は二つで、ともに内容の濃い素晴らしい問題提起でした。

 今回の私の皆さんへの事前メッセージは以下の通り、皆さんに参考資料として、秋山財団で昨年・今年と連続で開催された「保阪正康さん連続講座」の要約をお配りしました:

最終章が秋山財団でのご講演内容

第4章「歴史の節目で考える」が秋山財団でのご講演内容

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< テーマ『北海道命名150年 これからの50年を考える』について思うこと、ディスカッションしたい内容 >

【再確認したいこと】 北海道のアイデンティティとは?

北海道から見る「日本の近代史」

北海道が日本の近代に果たした役割

幕末から明治にかけての各藩からの移住の歴史

【自立への道:未来戦略の模索】  キーワードは「多様性」!

再生可能エネルギーの展望(各地の固有の資源を活かして)

第一次産業、特に農業の基盤強化

移動・輸送インフラとしての鉄道の再構築

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【 基調講演 1 】

増田隆夫 氏  北海道大学大学院工学研究研究院長

https://www.eng.hokudai.ac.jp/greeting/

http://www.eng.hokudai.ac.jp/labo/cse/

<私の手元メモより>

* ロバスト農林水産工学国際連携研究教育拠点構想(https://www.eng.hokudai.ac.jp/others/robust/index.html

* 「日本フードバレー構想 in Hokkaido」:AI、ビッグデータ、ロボット、通信等、「Society 5.0」ベースにおける「『食』のバリューチェーン」 ――>フィールドのRobust(ロバスト)化

* 「見える化」による次世代防災 (エネルギー、水、食、環境、貧困、テロ、病気、教育、民主主義、人口)、最終的には、「エネルギー問題」と「人口問題(就業者分布等)」に絞り込まれるのではないか

* 丹保先生がおっしゃる「開放型発展」から「閉鎖型発展」へ: 自立を目指して、本来の地産地消

【 基調講演 2 】

米沢則寿 氏  帯広市長

http://www.city.obihiro.hokkaido.jp/seisakusuisinbu/kouhoukouchouka/sicyounoheya.html

<私の手元メモより>

* 「フードバレーとかち」~加速化の時代における「フロー」の創造~

* 「フードバレーとかち」は仕事づくり、人の流れ(十勝を必ず通る)、日本の革新者たちを創る

* 例えば、「食・農×ICT」、「食・農×デザイン」、「食・農×高等教育」、「食・農×国際協力」等

* 「フードバレーとかち」を支える「とかちイノベーションプログラム」創設

http://www.tokachi-zaidan.jp/tz_detail.php?id=43

* 絶対数ではなく、「率」で見せる

* 人が人を呼ぶ好循環、子どもを二人育てられる生活基盤づくり

* 失敗への寛容さとリスペクト

【 IBM time 】

鶴田規久 氏  日本アイ・ビー・エム執行役員

https://japan.cnet.com/article/35059747/

<私の手元メモより>

* データは21世紀の新たな天然資源

二日目の朝、十勝平野の日の出!

二日目の朝、十勝平野の日の出!

 基調講演後の分科会討論、二日目の分科会討論、全体討論、いずれも内容のある興味深い議論が続きました。心に残ったキーワードは以下の通りです。

* 「ギグ・エコノミー」 https://www.ifinance.ne.jp/glossary/global/glo240.html

* スペシャリストを育てる環境をどう創るか、これまでのキャリアパスの限界:大企業の悩み、中小企業の可能性

* 地域を好きになる基礎固め――>外に出てみる環境づくり:フロンティア精神

* 人を見つけ出す力、人とのつながりを創り出す

* 「実現力(やりきる)」

* 流通資本:北海道にお金が落ちる仕組みづくり

* 「北海道」として何か議論するよりも、「とかち」、「オホーツク」等、それぞれがそれぞれで議論すべき

* 「知財プラットホーム」、人が集まる環境を創る

* 地域への思い、強みは「つながり」、常に挑戦し続けること、「場」づくりの重要性

保阪正康さんを囲む連続講座

Posted by 秋山孝二
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 今年も昨年に引き続き、近代史の専門家で札幌ご出身の保阪正康さんを秋山財団にお招きして、21名の参加者とともに、「明治150年と平成30年~北海道に住む人びとはどう変わったか」をテーマに二日間の意見交換でした。

 前日は、小樽市内で「小樽市民講座 2018」でのご講演、今年で46回目、保阪さんは5年連続のご登壇とのことで、今年も変わらぬ人気でした。

人気の講座です

人気の講座です

 私と保阪正康さんとの出会いは、2011年の北海道新聞終戦特集取材時でした。

 これまでの関連記述――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7

 今年の秋山財団連測講座の企画は、2月のこちら「藪半二階」で決まりました。――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32466

 今年のテーマ、保阪正康さんもかなりの気合の入りようで、昨年の議論を踏まえて、日本としての150年の検証と北海道150年の冷静な総括と歴史認識でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 保阪さんメモからの引用

狙 い

 今年(2018年)は明治150年である。具体的には慶応3年の大政奉還からということになるのだが、もとよりこの区分は元号による分け方にすぎないといえるわけで、歴史的に正当性が確立しているわけではない。私たちは歴史を振り返る時に何らかの句読点が必要でもあり、その一つにこの元号で歴史を位置づけて見ることが考えられるという意味でもある。特に北海道に関しては「明治150年」のその内実に対して、さまざまな視点があることは了解されていなければならない。

 アイヌの人たちへの抑圧という側面、北海道入植そのものがそれぞれの場での権力闘争の結果という側面、ロシアの南下政策に対する防衛的な側面、内地でのしがらみからの自由を求めての解放といった側面、などそこには歴史的、社会的な理由が存在する。

 明治150年はそういった問題を、改めて整理しつつ、私たちはこの時代をいかなる眼で見つめるか、を考えていきたい。前半は、中央から見る明治150年を分析しつつ北海道の位置づけを、後半は、北海道の人々の考え方を私なりの見方で「道民性の変化」という視点で考えてみたい。

・・・・・・・・

おわりに

 私たちはいま、北海道そのものの「崩壊の危機」にあると考えるべきではないだろうか。その理由は、近代化の到達した地点で次に来るであろう時代が予測し得ていないがためである。北海道の位置づけが明確でないと言っても良いだろう。北海道は明治150年の出発時の形での地域づくりは終えたのだ。それを共通認識として新しい北海道を作らなければならないように思う。そのために成すべきことは何か、を考えたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 参加者は事前に事務局にそれぞれの思いを提出しています、以下は私のエントリーシートです。

氏名(ふりがな)

秋山 孝二 (あきやま こうじ)

1.自己紹介現在及びこれまでのお仕事、最近の一番の関心事、ご趣味など)

東京都江戸川区立鹿本中学校 理科教諭(5年間)

(株)秋山愛生舘 代表取締役社長(6年:会社在籍19年)

(株)スズケン 代表取締役副社長(48か月)

(公財)秋山記念生命科学振興財団 理事長(22年間:財団理事32年)

他、現在、財団代表理事4、評議員4、監事1

<関心事>

*日本の「近代」の捉えなおし

*明治期の全国的衛生&健康増進「愛生舘」事業のルーツを探る(初代秋山康之進のルーツ他)

*新渡戸稲造と札幌の人材育成「遠友夜学校」の理念と現代的意義

2.本講座への期待ほか(北海道150年への思い、昭和史を次世代の若者へどう伝えていくべきかについてのお考えなどご自由にお書きください)

自分自身が育った時代(1951年~今日)、義務教育年限でしっかり戦後教育(憲法、国際平和ほか)を受け、さらにその後の高校・大学で時代と真摯に向き合った自分の使命として、北海道のアイデンティティを見つめ直し、この地で自立した人材が育つことを期待し、少しでも尽力できればと思う昨今です。今の各セクターにおける歴史修正主義的風潮に危機感を覚え、このままでは若者へは渡せない、そんな世代の責任を感じています。

国際社会で、日本のリーダー的ポジショニングの機会も多くあるにもかかわらず、登場できない現状を憂いながら、まだ間に合うという一筋の希望も見出しています。

3.講師への質問事項など(今回のテーマに関することに限りません。ご自由にお書きください)

自分の残りの人生、北海道を拠点として、地域の財団法人として、何ができるのか、何をすべきなのか、30数年前の財団設立時からの私のテーマであり、「愛生舘」事業の継承者として日々葛藤しています。

抽象的ですが、「歴史を学び直す」ことが単なる趣味・興味にとどまらず、それを踏まえて日々の行動に反映することにヒントが得られれば私なりに満足です。参加者皆さんのそれぞれのお立場からの意見交換も楽しみです。

<今年の保阪さんの分析>
 北海道入植は明治20年ごろまでは前述の明治初年代に加えて、私の見るところ次の七つのタイプに分かれるのではないか。

1. 開拓使関連の人たち(北海道赴任組など)

2. 移住募集に応じた人たち(農業移民、漁業移民など)

3. 札幌、旭川など都市建設の従事者

4. 戊辰戦争の関連(会津藩など)

5. 牧場経営などの入植者

6. 民間側の商人や小事業主たち

7. 士族屯田兵

 このほか明治20年以降は、札幌農学校の教師、学生などの教育関係者、地主に惹かれての一般入植者、宗教関係、自由民権運動の挫折組、そして第七師団編成による軍事関連の人たちなどと広がりを持っていく。これらの人たちの詳細な分析が必要ではないか。

~~~~~~~~~~~~~~~~ 保阪さん分析からの引用おわり

 これに対して、参加者の皆さんからさらに補足する貴重なご発言も多く、大いに盛り上がった今年の講座でした。議論の中では、アッツ玉砕後、北海道出身のご遺骨を札幌市内で札幌一中生徒が抱える列の写真も披露されました。玉砕のこのような慰霊祭は最初で最後だったようです。この列は中島公園に向かいました。

おびただしい数のご遺骨(中身は骨ではなく)

おびただしい数のご遺骨(中身は骨ではなく)

 今回は、前回にも増して様々なお立場の方がご参加になり、メディア、研究者、企業、行政等の視点からの意見交換は実に内容が濃かったです、来年も是非開催したいと思っています。

黒田清隆とクラーク

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 黒田伸さんが企画するフォーラム、北海道開拓の原点ともいえる歴史のドラマは、大変興味深かったです。

主催者・黒田伸さんの言~~~~~~~~~~~~~~~

 北海道の歴史の上で、大変重要な人物が開拓使長官の黒田清隆。函館戦争で榎本武揚を救ったことも有名です。2人は、子供同士が縁を結んでいます。四代目の黒田清揚さんはまさに、官軍、賊軍両方の血を引いています。どんな話が飛び出すか。ぼくがコーディネーターとしてお聞きします。お楽しみに。

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 この3月、黒田伸さんのことは、これまで私からも二回ご紹介しています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32771

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32790

当日チラシ

当日チラシ

大勢の参加者

大勢の参加者

 黒田清隆は、近代日本の第二代総理大臣。賊軍といわれる側の優れた人材を、明治新政府にも懐深く登用して、建国の礎を固めました。北海道の歴史の再発見、昨年(2017年)の秋山財団で開催された保阪正康さんの3日間の連続講座ともつながる脈絡です。

* 秋山財団訪問時:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27525

二人の「黒田」、黒田清揚さん(左)& 黒田伸さん(右)

二人の「黒田」、黒田清揚さん(左)& 黒田伸さん(右)

 「黒田清隆が蒔いた種:札幌農学校を中心とした精神のリレー」が、一枚の紙にびっしり書き込まれていました。

精神のリレー

精神のリレー

 歴史を創るのは人、明治以降の時代、昭和・平成時代に、一体、歴史的に何を創造してきたのでしょうか。来年、その平成の時代も終わります。

蕎麦屋 薮半 @ 小樽 2018

Posted by 秋山孝二
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 小樽というマチは、いつきても風情があり、四季折々に歴史を感じます。

 これまでの小樽関係の記事――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%B0%8F%E6%A8%BD

 先日は、財団の来年度の活動についての打ち合わせを行いました。小樽駅からほど近い仲通、雰囲気のあるお蕎麦屋さん「藪半(http://www.yabuhan.co.jp/index.html」は、昔の寄り合い場を醸し出します。HPの凝りようはかなりのもの、外国人のお客さまも多いようです。

冬の玄関口

冬の玄関口

風格ある店内

風格ある店内

2階から

2階から

 ここの名物カレーせいろ。

こってりした濃厚なカレー

こってりした濃厚なカレー

 お陰様で、今年7月に保阪正康さんをお招きして、濃密な北海道深掘りワークショップを行う企画がまとまりました。早速、昨年ご参加の方々にご案内をしていますが、「是非、出席したい」の返信も続々届いています、楽しみですね。

秋山財団講演会 & 贈呈式 2017

Posted by 秋山孝二
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 (公財)秋山記念生命科学振興財団(http://www.akiyama-foundation.org/)の2017年度講演会・贈呈式が、今年も札幌プリンスホテルパミール館で開催されました。

* 今年のプログラム http://www.akiyama-foundation.org/news/2384.html

* 秋山財団HPより http://www.akiyama-foundation.org/news/2392.html

* 動画――> http://www.akiyama-foundation.org/news/2700.html

* これまでの記事――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E8%B4%88%E5%91%88%E5%BC%8F

受領者からのメッセージ&講演会

受領者からのメッセージ&講演会

 私のご挨拶 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

開会挨拶 メモ >

秋山財団の紹介:

* 昨年30周年、今年は31年目で新たなスタート

これまでの実績 研究助成、市民活動助成等 1,340件、総額 94,800万円

このプログラム:

「受領者からのメッセージ」  今年で5年目~研究者、市民活動の原点を共有したい

「特別講演」         今年で26年目~第一回は今年718105歳で亡くなられた日野原重明先生(http://earth-words.org/archives/3747

* 今年の 「受領者からのメッセージ」

1)『海鳥と水銀を追跡せよ!』  北海道大学大学院水産科学研究院 特別研究員 庄子 晶子 先生

2)『知育・徳育・体育・食育そして『災育』』  日本赤十字北海道看護大学 教授 根本 昌宏 先生

3)『地域医療とサイエンス』  旭川医科大学医学部 准教授 野津 司 先生

< 特別講演での座長 メモ >

特別講演 ・講師: 桜田  一洋  様 (株式会社 ソニーコンピュータサイエンス研究所 シニアリサーチャー)

https://www.sonycsl.co.jp/member/tokyo/188/

演題:『 「生命とはなにか」 ~コーディネーションによる自由の創出~ 』

1)自然科学と自然哲学

2)医療と生命医科学の課題

3)機械論の生命科学と複雑系の科学

4)疾患発症モデルの変遷

5)身体状態の記述と人工知能による推論

6)新たな総合理論の確立

冒頭:

* 桜田一洋さんの紹介に代えて~なぜ、今、桜田さんがここに

――寺島実郎戦略経営塾 7年続く40人程の企業経営者の勉強会で、昨年ご講演

~ 経営者へのメッセージ 科学史を読み解きながら自然科学のみならず、人文・社会科学を含めた日本の明治維新以降、「日本の近代」における科学技術の導入の歴史にも言及する内容に感銘

常に新しい組織の責任者としてイノベーションの先端を切り拓いてきて(進行形)

~再生医療の実用化を目指す中、早期治療・予防の重要性、個別化(多様性・個別性)医療の必要性を認識、

* ソニーCSに移籍してAIを用いたデータ解析の新しい手法を開発

* 実用化の為に「医科学イノベーションハブ推進プロジェクト(MIH)」に参画、現在、副プログラムディレクター

< 贈呈式での挨拶 メモ >

今年の贈呈式プログラム

今年の贈呈式プログラム

御礼    ご来賓(北大 西井理事・副学長、公益法人協会 鈴木副理事長)、お手伝い スズケン

* 事業の実績

~これまで31年間の実績 1,340件、総額 94,800万円

~今年の実績 47件、 3,600万円

* いくつかのご報告

米光 宰(よねみつ おさむ)先生 今年2月にご逝去 選考委員・理事として10

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=29206

~ポスト トゥルース(真実)」にどう向き合うか フェイクニュースの中から

トランプ、BRIXIT、五輪誘致での「アンダーコントロール(原発事故)」発言、国会答弁「南スーダン治安状況」

ウソがまかり通る、格差と分断の時代に個人として何ができるのか(SNSほか)

https://mainichi.jp/articles/20170130/dde/012/040/002000c

https://www.rarejob.com/englishlab/column/20170309/

――その一つの回答: 学校法人「加計(かけ)学園」(岡山市)の獣医学部新設問題について、日本獣医学会、全国大学獣医学関係代表者協議会、獣医学分野の教育関係者が630日、文部科学省で記者会見「根拠を欠いたまま進められ、妥当性を欠く」と批判、獣医学教育の現状について、大学同士の連携や教員の確保など「国際水準化へ向けた改革のまっただ中」と強調。「獣医学を学ぶ若き研究者・学生のために、私たちは黙認できない」、と。アカデミズムの責任あるお立場の方の勇気ある行動であり、矜持を感じた

記者会見の中央席に、(第一回秋山財団助成金受領者)稲葉睦先生・(この贈呈式にご出席の)谷山弘行先生のお姿

~背景 物理学者・哲学者の山本義隆氏 日本近代における「科学技術」導入の3大特徴:

1)「科学」、「技術」が「科学技術」として導入

2)軍事偏重 当初は「富国」に貢献し国力をつけたが、次第に「軍事増強」へと

3)国策として 「科学」、「技術」の各セクターの自立なく

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/274063

~2011.3.11東日本大震災、そして原発事故、現在に至る状況は、その限界を完膚なきまでに露呈

昨年の私の挨拶:文科省「競争的資金」、防衛省「安全保障技術研究推進制度」に言及、「魔性と闘って」と。1年経った今、むしろ「自分の頭で考えて頂きたい」と。「ご自身の研究が何のためなのか、いつも」

* 財団の課題

コラボレーション イノベーション

助成財団センター深掘りセミナー、公益法人協会トップマネジメントセミナー、保阪正康さん3日間連続講座「近代日本史と北海道史」

~今後のキーワード、「SDGs」、「北海道学」

秋山財団は社会の不条理と闘いながら、変遷する環境において、日夜、自律的に研究活動に邁進する皆さんを、微力ながら応援し続けることをお誓いする。

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 今年の秋山財団賞は、北海道大学低温科学研究所 生物環境部門 生物適応分野 特任教授の田中歩先生(http://www.akiyama-foundation.org/news/2343.html)の「クロロフィル代謝の包括的研究」でした。

田中歩先生の受賞記念講演

田中歩先生の受賞記念講演

 そして、最後は参加者全員による懇親会、話は尽きることなく続きました。

懇親会で

懇親会で

秋山財団贈呈式 2016

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 少々報告が遅くなりましたが、今年も秋山財団の受領者からのメッセージ、講演会、贈呈式、祝賀会が開催されました。これまでの贈呈式についてはこちら――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E8%B4%88%E5%91%88%E5%BC%8F

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〇 「受領者からのメッセージ」

・『 シラカバ樹液の研究と地域づくり』

・『「生きづらさ」を抱えた私たちにできること』

・『 がんを何とかしたい!〜私のモチベーションとコラボレーション〜』

〇 特別講演会  ・講師:鷲谷 いづみ 様(保全生態科学者・中央大学 理工学部 教授)

* http://www.human.chuo-u.ac.jp/?page_id=1881

演題: 『 「ナチュラルヒストリーと市民科学」  ~ 保全生態学のよりどころ ~ 』

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 受領者からのメッセージでは、研究者になった動機ほか、興味深いお話の数々でした。

研究者への道を選択した動機ほか

研究者への道を選択した動機ほか

 特別講演は保全生態科学者で中央大学理工学部教授の鷲谷いづみ先生です。

ナチュラルヒストリーと市民科学

ナチュラルヒストリーと市民科学

特別講演 鷲谷いずみ先生

特別講演 鷲谷いづみ先生

 今年の受領者はこちら――> http://www.akiyama-foundation.org/news/1743.html

 贈呈式での私の挨拶は以下の通りです:~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

本日は、多数のご来賓のご臨席を賜り、またお手伝いに株式会社スズケン様より社員の皆様に駆けつけて頂き、秋山記念生命科学振興財団「2016年度贈呈式」を開催出来ますことは、大変光栄に存じ感謝申し上げます。

秋山財団は1987(昭和62)年1月に設立以来、本年度30周年を迎えることとなりました。お陰様でこの間、総額約91,000万円、1,293件の助成を行う事が出来ました。本日お集まり頂きました皆様をはじめ、これまで当財団に寄せられましたご指導・ご支援に対しまして、改めて心からの御礼を申し上げます。

今年度の選考の詳細につきましては、このあと、各選考委員長よりご報告がありますが、「秋山財団賞の受賞者なし」の決定について、選考委員会に陪席した私から一言申し上げます。財団賞選考は選考委員会において、2時間を超える白熱した議論、率直な意見交換の結果、出席選考委員全員一致で「受賞者なし」と決定しました。審議の過程で、私は各選考委員の利害関係を排除して合意形成しようとする粘り強さと高い見識を目の当たりにし、第一線研究者の矜恃を感じると同時に、30年間培ってきた秋山財団の財産であることを再確認致した次第です。秋山財団は設立以来、選考委員会の「透明性」を最も大切にしており、それゆえ理事会・評議員会でもその選考決定を尊重し、今日まで順調に事業を推進して参りました。この場を借りて選考委員の皆さまに心から感謝申し上げます。

設立30周年の節目の今年、理事長として考える当財団の立ち位置をお伝えしたいと思います。

当財団設立時に、最初の理事会において、ひとりの理事がおっしゃいました、「生命科学の基本目標は、人類、そして地球の『健康』を確保する点にあり、『健康』とは、人類が、世界が、平和を保つ状態だと思う」と。そしてある理事は、「生命科学(ライフサイエンス)は心の問題を含め、人類の幸せを目指す いのちの科学”であり、その領域は自然科学分野のみならず、哲学も含む人文科学、更には社会科学をも視野に入れた学問と理解している」と。

私はこの間、毎年この場で受領者の皆さまに「夢を託している」と申し上げてきました。今年はさらに、ただの夢ではなく、「魔性(悪魔のささやき)と闘う勇気」、或は、「社会課題と真摯に向き合う姿勢」を求めたいと思うのです。

NHKで放送された、映像の世紀プレミアム「戦争 科学者達の罪と勇気」をご覧になった方も多いかと思います。歴史上大きな功績を挙げた科学者たちは、時代の要請の中、その成果が戦争に応用されたり、或は積極的に戦争推進に加担した経緯を記録から浮き彫りにしていました。番組の後半では、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が取り上げられていました。この宣言は、イギリスの哲学者・バートランド・ラッセルと、物理学者・アルバート・アインシュタインが中心となり、195579日、ロンドンにて世界の最先端の科学者ら11人の連名(うち9名はノーベル賞受賞者)です。米ソの水爆実験競争に対して核兵器廃絶と科学技術の平和利用を訴えた科学者の平和宣言文で、日本の湯川秀樹も署名しています。

湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩雄は、宣言の後、カナダ・ノバスコシア州でのパグウォッシュ会議や科学者京都会議の活動を通して、日本国憲法の平和主義に基づきながら、「反戦・反核」の思想と理論を一層深化させていった物理学者でした。その理念は、現在も日本パグウォッシュ会議に脈々と受け継がれて、来年、創立60周年を迎えます。

一方、昨年、秋山財団贈呈式の特別講演では、保阪正康先生の言葉が思い出されます。「魔性、悪魔のささやきと闘うことこそが、本当は科学者としての最も大事な要件、資質だと考えています。自主・自立の民間財団として北海道にその歴史を刻み続ける秋山財団への期待を込めて、“魔性と闘う人間性”を受賞者、受領者を決定する際の重要な選考の柱、基準として頂きたい」と結ばれました。

本日の特別講演でも、鷲谷いづみ先生のキーワードとして、“生物多様性の保全”や“市民科学”、そして、3・11からの復興においても、“生態系”“生物多様性”という視点抜きでは、人間自身の持続性、生存を担保できないと語られました。

私たちは、今後も「競争的資金」と位置付ける文部科学省の科研費、或は実質的「軍学研究」である防衛省の「安全保障技術研究推進制度」とは一線を画し、微力ながら、とりわけ若き世代の育成を担い続けたいと考えています

本日ご出席の大学関係者、研究機関、そして受領者の皆さんに申し上げます。

100年の時を越えて、北の生命と共に歩んで来た秋山愛生舘の歴史とDNAを受け継いだ財団です、しなやかに、レジリエンスに活動を展開して参ります。皆さんに期待すると同時に、私たち自身も社会の不条理とひるまず闘い続けて行くことを、ここでお誓い致します。本日ご列席の皆様には30年間のご支援、ご厚誼に感謝し、引き続きなお一層のご厚情を賜りますようにお願い申し上げて、私の挨拶と致します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ おわり

 贈呈式に続いての祝賀会、冒頭ご挨拶は理事の佐藤昇志先生、「Duty」としての公的な助成金と「Prize」としての民間の助成金の対比を実に分かりやすくお話を頂きました。

佐藤先生の素晴らしいご挨拶

佐藤昇志先生の素晴らしいご挨拶

 締めは(株)スズケン常務取締役愛生舘営業部長の山本律さん、懐かしいお話で嬉しかったですね。

(株)秋山愛生舘での入社当時のお話も

(株)秋山愛生舘での入社当時のお話も

 今年も長丁場でしたが、「式典」というよりも「交流の場」としての時間を多くの方が過ごして頂けたと思っています。今年は創立30周年の節目の年、贈呈の後に30分時間を頂き、私から「秋山財団三十年のあゆみ~地域をつなぐ、世代をつなぐ~」と題してお話をしました。その様子は秋山財団HPに近々アップ――> http://www.akiyama-foundation.org/news/2190.html

保阪正康さん@ 秋山財団

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 日本の近代史研究家・保阪正康さんが、秋山財団を訪問されて、事務局含めての意見交換をしました。保阪さんは札幌でもしばしば講演をされています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7

保阪正康さんと意見交換

保阪正康さんと意見交換

 歴史をしっかり若い世代に伝えるには、記憶に頼るだけでなく、何か仕組み・装置が必要な気がしています。「戦争を知らない世代」では免罪できない今を生きる日本国民としての責務もあるようにも感じます。単発の講演会でどんなに感動しても社会を変える力にはなり得ないので、自分自身の思想として戦争の無い社会、国際社会での日本の果たすべき役割等、21世紀を生きる、或はさらに22世紀を生きる日本国民としての基盤づくりに寄与するような、そんな人材育成プログラムを構築したいと企画を練っています。

 8月に天皇陛下が自らビデオメッセージで直接国民に伝えられた思いについて、保阪さんはその経緯ほか貴重なお話をして頂きました。戦後の日本国憲法の「象徴天皇」と真摯に向き合って、皇后陛下とともに慰霊の旅をお続けになっている姿勢から、誰よりも平和を希求する強い意志を感じ取ることができます。また、NHKテレビで、保阪さんが「平成の玉音放送」と表現されたその真意も、今回の秋山財団でのお話から受けとめることができました。

* 東京新聞から――> http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016080902000114.html

 サンデー毎日からの引用 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「お言葉」は正確には、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」とのタイトルがついている。象徴天皇としての率直な気持ちを語っているという意味になるであろう。
 この「お言葉」について、まず私なりの解説を加えておこう。この内容は以下のような構成になっている。
〈老齢の今、個人としての意見を明らかにしたい(A)→象徴天皇としての行動を貫いてきた(B)→老齢の今、肉体的に不安(C)→私の28年間の活動について(D)→摂政には疑問(E)→天皇の終焉(しゆうえん)時の一連の儀式(F)→国民の理解を求める(G)〉
 この七つのポイントが、「お言葉」の中には整理されている。あえていうと、天皇は、自らの発言が「政治」に関わるとの懸念があるにもかかわらず、今回その心中を吐露したといっていいのではないかと思う。いや、天皇という制度、システムの枠から離れて、あえて「個人」としての視点から問題提起をしたといってもいいであろう。一面で、このビデオメッセージは「平成の玉音放送」と評していい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

保阪正康さん@小樽市民講座 2016

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 昨年もご登壇された小樽市民講座での保阪正康さん、今年も含蓄のあるお話でした。

 昨年はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24010

 昨年の秋山財団贈呈式に先立っての特別講演会でも、研究者の方々へのメッセージを含む素晴らしいお話でした。

ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24387

 今回は、「昭和史から見た平成、平成からみた昭和史」との題です。近著の「田中角栄と安倍晋三」は、ご本人がおっしゃる通り、副題の「昭和史でわかる『劣化ニッポン』の正体」が内容を的確に表現しています。

小樽市民講座で、今年も

小樽市民講座で、今年も

歴史から学ぶ

歴史から学ぶ

新著での鋭い指摘

新著での鋭い指摘

 保阪正康さんは、仕事柄、よく本を読むほうだと。そのため本を読まない人の特徴が分かるつもりだとおっしゃいます。安倍首相には読書が少ない人の特徴がみられ、まず『美しい国』など形容詞を使うことが多い。『侵略に定義はない』などと物事を断定するが、その理由やプロセスを説明できない。もうひとつ、どんな話をしても大体は5分以上もたない。耳学問だから深みに欠けるのです、と説明を加えました。さらに、安倍首相は、「この道しかない」、「アベノミクスはまだ道半ば」などと威勢のいい言葉で大衆をけむに巻くような自己陶酔型であり、祖父・岸信介を妄信して日本を戦争する国家に変えようとしている、と。

 安倍首相には岸のほかに父方の祖父・安倍寛がおり、戦前、翼賛政治の妨害をはね返して選挙に当選した反骨の政治家です。しかし、安倍首相は岸の方ばかり見て、寛から目を背けて、視点が等間隔でないところに政治的な歪みを感じるとも。このことは、4年前の東京日比谷公会堂における「九条の会」で、澤地久枝さんから三木睦子さんの言としてお話を聞いたことがありました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14584

 近著でもそうですが、この日も、何か覚悟を決めたかのように現在の政治の劣化について痛烈に批判をされました。翌日、小樽で意見交換をした後、札幌にお連れして秋山財団事務所にもお越しになり、秋山財団へのアドバイスも頂きました。

沖縄慰霊の日 2016

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 毎年6月23日は、「沖縄慰霊の日」として、今を生きる私たちとしては忘れてはならない日です。これまでも何回か書き留めてきています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12980

* 昨年のテレビ番組で――>http://blog.livedoor.jp/gataroclone/archives/44538515.html

 今年の翁長知事のご挨拶: 【・・・・、戦後、私たちは、この沖縄の心をよりどころに、県民が安心して生活できる経済基盤を作り、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。しかしながら、戦後71年が経過しても、依然として広大な米軍基地が横たわり、国土面積の0・6%にすぎない本県に、米軍専用施設の約74%が集中しています。広大な米軍基地があるがゆえに、長年にわたり事件・事故が繰り返されてまいりました。今回の非人間的で凶悪な事件に対し、県民は大きな衝撃を受け、不安と強い憤りを感じています。沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、日米安全保障体制の負担は国民全体で負うべきであります。

 日米安全保障体制と日米地位協定の狭間(はざま)で生活せざるを得ない沖縄県民に、日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか。真の意味での平和の礎(いしずえ)を築くためにも、日米両政府に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、過重な基地負担の軽減を先送りすることなく、直ちに実現するよう強く求めます。特に、普天間飛行場の辺野古移設については、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは、到底許容できるものではありません。

 一方、世界の国々では、貧困、飢餓、差別、抑圧など人命と基本的人権を脅かす、多くの深刻な課題が存在しています。このような課題を解決し、恒久平和を実現するためには、世界の国々、そして、そこに暮らす私たち一人一人が一層協調し、平和の創造と維持に取り組んでいくことが重要であります。・・・・・】

 「日米地位協定の抜本的見直し」を明確に表現されました。

翁長知事の挨拶

翁長知事の挨拶

 仲間里咲さんの 詩の朗読も胸に染み入りました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016062302000258.html

詩の朗読

詩の朗読 仲間里咲さん

 新聞紙上には保阪正康さんが書いていました、「沖縄戦」ではなく「本土決戦第一号」と日本国民は認識すべき、との視点は鋭い指摘です。沖縄戦での住民の悲惨な状況は、その後想定された本土決戦のどの地域でも起こり得た惨状でしょう。沖縄に思いを馳せるのではなく、今を生きる日本国民として、戦争の歴史を受け止める責務があるのだと思います。

 こんな報道姿勢をNHKがすることはまさに犯罪的であり、憤りを感じます。

http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=439

秋山財団贈呈式 2015

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 秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)の「贈呈式 2015」を開催しました。今年の特別講演は昭和史の第一人者・保阪正康さん、270人の聴衆で熱心にお聴き頂きました。

* http://www.akiyama-foundation.org/news/1362.html

 これまで保阪正康さんについては、このブログで何回も書いてきました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7%E3%81%95%E3%82%93

特別講演 保阪正康さん

特別講演 保阪正康さんと座長の渡辺大助さん

昭和史

昭和史の第一人者

 特別講演に引き続き、今年度の贈呈式を行い、これまで最高の来賓の皆さまのご出席でした。冒頭の私のご挨拶です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 本日は、多数のご来賓のご臨席を賜り、またお手伝いに株式会社スズケン様より社員の皆様に駆けつけて頂き、当財団「2015年度贈呈式」を開催出来ますことは、大変光栄に存じ感謝申し上げます。

 秋山財団は1987(昭和62)年1月に設立以来、本年29年目を迎えました。お陰様でこの間、総額約87,000万円、1,247件の助成を行う事が出来ました。本日お集まり頂きました皆様をはじめ、これまで当財団に寄せられましたご指導・ご支援に対しまして、改めて心からの御礼を申し上げます。

 本年度の事業は、「選考委員会」におきまして厳正且つ公正な審議を経て、合計43名の受賞者・受領者に決まりました。詳細につきましては、このあと、各選考委員長よりご報告申し上げます。昨今、「公募・選考」というと、2020年東京五輪開催を巡って混乱が続いています。秋山財団は設立以来今日まで、「選考委員会」の透明性を最も大切にしており、それゆえ、理事会・評議員会でもその選考決定を尊重して、今日まで順調に事業を推進して参りました。

 本来ですとここで秋山財団の事業報告・近況報告などを申し上げるべきですが、保阪正康さんのお話しを伺い、今年は「戦後70年」の節目の年、秋山財団の理事長としての立ち位置、決意をお伝えしたいと思います。

 昨年この席で、私は195431日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で強行した水爆実験と、その調査・検証に立ち向かった日本の22名の若き科学者についてお話し致しました。2013年(2年前)9月に放送されたNHKETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~」をご記憶の方も多いかと思います。

 更に今年は、尊敬する企業経営者の故・品川正治さん(2013829日享年89歳で死去。経済同友会・終身幹事 元日本火災海上保険社長)のお言葉をご紹介致します。「戦争を起こすのは人間、しかしそれを許さないで、止めることができるのも人間ではないか。天災ではない、なぜそれに気がつかなかったのか」、と。

 さて、研究者の皆様は、「学徒出陣」についてご存知でしょうか。19431021日、東京の明治神宮外苑競技場(「新国立競技場」建設予定地)で大規模な出陣学徒壮行会が雨の中挙行され、約2万5千人の学生が小銃を肩に行進しました。敗戦の時まで、動員された学徒兵の総数は13万人に及んだと推定されていますが、70年の時を経た今も、正確な出陣学徒数・戦没者数の実態は明らかではありません。学徒兵は主に文科系学生と農学部の一部(農学科、農業経済学科など)から徴兵されましたが、その他の理科系学生は徴兵が猶予され、陸・海軍の研究所などに勤労動員されたそうです。

 1943年(同年)1128日、北海道帝国大学においても出陣壮行式が挙行されました。ここから何名出陣したのか、戦没者数も、またこの歴史がどのように継承されているかについても私の手元に資料はありません。

 一方、小樽商科大学では、毎年8月15日に校内にある戦没者記念塔(学生・教員347名の名前が刻まれた墓石が納められている)の前で慰霊祭が行われています。

 近い過去に、日本の国を支えるはずの若い人材が、戦争遂行のために「投入」されていった歴史を忘れてはならないと思います。

 さて、秋山財団の助成事業は、「競争的資金」と位置付ける文部科学省の科研費とは一線を画し、とりわけ若き世代の育成の役割を担い続けたいと考えています。それは、一貫して貧困・疾病に苦しむ道民に寄り添い、微力ながら医薬品を通じて支えてきた秋山愛生舘の理念を継承する財団の姿と信じるからです。

本日ご出席の大学関係者、研究機関、そして受領者の皆さんに申し上げます。

 米国第35代大統領、合衆国史上最も若くして選ばれ、最初の20世紀生まれのジョン・F・ケネディの就任演説に、有名な一節があります。「米国誕生と共に灯されたたいまつは、新世代のアメリカ人に引き継がれた。世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされているときに、その自由を守る役割を与えられた世代はごく少ない。私はその責任から尻込はしない、それを歓迎する。われわれがこの努力にかけるエネルギー、信念、そして献身は、わが国とわが国に奉仕する者すべてを照らし、その炎の輝きは世界を真に照らし出すことができるのである」と。

 私たち財団関係者は、北海道の研究者やプロジェクトの皆さんに夢を託しています。助成金には、29年間、秋山財団に寄せられた沢山の大切な志と篤い想い、期待が込められている事を忘れないで頂きたい、そして、今ほど、科学者の「勇気」が問われている時代はないのではありませんか。

 100年の時を越えて、北の生命と共に歩んで来た秋山愛生舘の歴史とDNAを受け継いだ財団です。生命と向き合い、道民のいのちと共にある科学、自然と共生する生命科学の進化の為に、貢献し続ける事をお誓い申し上げるとともに、本日ご列席の皆様には日頃のご支援、ご厚誼に感謝し、引き続きなお一層のご厚情を賜りますようにお願い申し上げて、私の挨拶と致します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 挨拶 おわり

 詳細の報告は、後日、秋山財団HPに掲載されますのでご覧ください。ご参加頂いた皆さま方に心から御礼申し上げます。

戦後70年、私なりの思い(2)

Posted by 秋山孝二
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 NHK総合テレビの特集「NHKスペシャル~戦後70年目の戦争と平和(http://www.nhk.or.jp/special/70years/」は盛りだくさんです。恥ずかしながら、「捕虜」、「従軍看護婦」、「少年兵」、「原爆投下直後」等、60年以上生きてきた私にとっても初めて知ることがあり衝撃でした。順不同ですが、いくつか書き留めます、まずは「発掘・日本人捕虜の肉声(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150802」は見応えがありました。

 第二次世界大戦中、太平洋の激戦地で捕虜となった日本兵、連合軍の極秘の施設で尋問による『肉声」録音が、70年以上を経て初めて見つかったのです。NHK取材班は、入手した音源を、最新のデジタル技術で修復・解析。その内容は、殺すか殺されるかの戦場を生き抜いた日本人捕虜の壮絶な告白です。密室で、日本兵たちはひとりの人間として、自らの戦場と向き合っていました。そして、音源の分析から、捕虜となった日本兵と尋問が行われた「秘密尋問所」の場所を特定し、戦後、家族にすら伝えることのなかった密室での告白、現代に蘇った捕虜たちの肉声を通じて、歴史の闇に埋もれてきたもう一つの戦争が伝わってきました。

 旧帝国陸軍・海軍ばかりでなく、日本国民にすべからく「捕虜となることは恥ずべきもの」との社会通念が徹底しており、このような事実は永久に個人の心の中に仕舞い込まれていたのでしょう。市民を巻き込んだ戦争の現実では、「自決」と称して自ら命を絶つ人々はこれまでも報道されてきましたが、「捕虜」となった人の肉声は組織の一員というよりも、まさに一人の人間として戦争と向き合っている苦悩を感じさせます。「記録」の説得力、再現性等、多くの教訓を私たちに与えてくれます。

稲垣潤一

稲垣利一海軍主計大尉

 さらにホームページによると、アメリカ公文書博物館で発掘されたレコードは120枚、13時間の録音です。オーストラリアのブリスベーン郊外で録音が行なわれ、1942年から1945年まで、この施設は極秘の尋問所として使用されたそうです。マッカーサーはブリスベーンに拠点を築き、秘密組織のATIS連合軍翻訳通訳部隊を立ち上げました。そこでは日系人などを集め、日本兵の捕虜尋問や遺体の日記の翻訳を行い、オーストラリア軍の資料室に詳細情報が残されていました。特に重要な人物の尋問を密室で行っており、1105人の捕虜の尋問が行なわれました。

 残された音声の最初は海軍主計大尉・稲垣利一の尋問でした。稲垣は大変流暢な英語を話し、重要な捕虜と位置づけられていたようです。尋問で、稲垣は日本の軍国主義に不信感を示しています。東京帝国大学で外交官を目指し、海軍経理学校では中曽根康弘元首相と同窓。1942年8月、稲垣はニューギニアのブナに上陸、ポートモレスビー攻略を目指す無謀な作戦に参加、食料の供給が途絶え、兵士は次々と倒れ、連合軍の反攻の前に部隊は壊滅しました。稲垣は尋問で、部隊の悲惨な状況を話し、稲垣は自らも栄養失調とマラリアに倒れました。敵の兵士が近づき、稲垣は拳銃自殺を図りましたが泥水に濡れた拳銃は発砲されず、捕らえられた、その様子を証言しています。

 捕虜となった稲垣利一は日本語翻訳の仕事をATISから依頼されました。1943年10月14日の録音で、稲垣は一度受けた依頼を断わります。稲垣は頼まれた仕事は戦争を早く終わらせることは日本国民にはいいことだが、協力は裏切りになることで葛藤しています。稲垣は死にたいので、拳銃か薬を求めましたが、尋問官は責任を逃れる考えだと指摘し、説得を続け、日本の現状を伝え、早く戦争を終わらせるために協力を求めたのです。稲垣は決断を迫られ、苦しいと答えています。翌日、稲垣は仕事を受けると伝え、尋問は約半年に及び、協力を決断ました。

その後、本土決戦前の幾つかの戦い直前に投下された日本語の投降ビラは、彼らの仕事によるところが多いのでしょう。

連合国軍チーム

連合国軍チーム

ATIS作成の投降を促すビラ

ATIS作成の投降を促すビラ

稲垣の見識

稲垣利一の見識

 先月の保阪正康さんの小樽での講演で、日本に「軍事学」が存在していなかったとお話がありました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24010

 「捕虜となって恥をさらすな」みたいな戦陣訓をまき散らしておきながら、戦場の市民を放ったらかしにして撤退・逃走する旧帝国軍隊の卑劣さを、私たちは忘れてはなりません。そして番組でも紹介されていましたが、「捕虜になった後に、どう応対するかを日本兵は教えられていなかった」とも。「解除の命令がない」ことも含めて、もはや「軍隊」という体を成していない酷い状況だったのですね。

 「戦争とは何か」、私たちが努力と妥協と折り合いを付けながら生きてきたこの70年、これからも日本を、決して「戦争をする当たり前の国」にしてはなりません、強くそれを再確認致しました。

保阪正康さんのお話

Posted by 秋山孝二
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 今年は「戦後70年」、保阪正康(http://www.aya.or.jp/~hosaka-m/さんの出番がひと際多くなっているような気がします。今月は、札幌、小樽と二日間続けての講演を追いかけました。9月3日の秋山財団贈呈式では、「記念講演」として保阪正康さんをお招きしています。先日、小樽では講演開始前にしばしお話をすることができました。

 私が保阪さんとお話をしたのは、2011年8月の北海道新聞「終戦特集」で、私の父に絡む記事「ビハール号事件」の掲載時でした。北海道新聞の本社応接室でしばし懇談し、「よくこのような取材に応じられましたね」とのお言葉を頂きました。

* 「ビハール号事件」関係の私のコメント――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

講演終了後に秋山財団スタッフと

小樽での講演終了後に秋山財団スタッフと

 以下、講演から印象に残る言葉を書き留めます。~~~~~~~~~~~~~~~~~

* 今の安倍政権は歴史にどういう態度で向き合うのか、「歴史修正主義」が権力と結びついているのは日本だけ、ドイツは法律で禁止されている。海外からの強い批判あり

* 昭和20年8月14日に「資料を燃やせ!」の大号令。歴史は、戦後のアカデミズム、ジャーナリズムが、取り戻すために資料を集めるところからスタートして、今日まで営々として築いてきた大きな財産のはず。

* 日本に「軍事学」は存在しなかった:軍事指導者に思想がない、哲学がない。「葉隠れ」「武士道」等、全て兵士・兵隊に押しつけた

* 「ジュネーブ条約」を日本は調印したが批准はしなかった

* 戦前・戦中の大蔵省役人は、「軍事予算」しか作成した経験が無かった。戦後の予算編成に役立たず。

* 「村山50年談話」、「小泉60年談話」は、未来の日本人にも呼び掛けている。誰が、誰に、何を言うのかが極めて重要。予定されている「安倍談話」が酷いモノであれば、自分たちで創らなければならないと思っている

* 戦争で亡くなった方々を追悼するということはどういうことか。それぞれの70年は違うもの。

* 「全滅」の意味合いは、国際常識では「30%」の部隊兵士の死者、日本は「全員」の意味で、「玉砕、最後の一人まで戦え!」と。国家の戦略システムとしてこの「玉砕」があり、これを許してはいけないのが「戦後70年」ではないのか

* 語らなければいけないこと: 1)軍事が政治をコントロール、 2)全滅、玉砕を国家システムとして採用、 3)国際法を無視、 総体として「命」を粗末にしたこと

* 「日本的組織の在り方」、この70年を点検しなければならない

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 質問にも真摯に答える保阪さんの姿、今度9月にまた札幌でお会いできるのが嬉しいです。9月3日は講演会後の秋山財団贈呈式・懇親会にもご出席予定です、楽しみですね。

真珠湾攻撃と小樽人

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 先月の保阪正康さんに続いて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21798)、「歴史を学ぶ」シリーズ、今回は渡辺大助さんの講演「真珠湾の小樽人」でした、素晴らしかったですね。

講演案内より「真珠湾の小樽人」、12月8日に因んで

講演案内より「真珠湾の小樽人」、12月8日に因んで

本間さんの当時の記事

本間一飛曹さんの当時の記事

 渡辺大助さんは福島の放送局でお仕事をされていたので、1941年12月8日(月)朝6時20分から夜中12時までのNHKラジオニュース資料を丹念に説明しつつ、几帳面な取材に基づいた臨場感あふれるお話でした。12月8日一日で、大本営発表は10回あったそうです。午前7時の臨時ニュースは開戦を伝える有名な発表で、正午には君が代奏楽に続いて比較的冷静な「宣戦の大詔」奉読と続きましたが、夜の午後7時30分の談話、「宣戦の布告に当たりて国民に愬(うった)う」は、情報局次長・奥村喜和男による4分半のまさに「アジ演説」です、こんな放送が当時のNHKラジオから流れていたことに驚きを感じます。

 大本営発表と言えば、1941年12月8日から1945年8月15日まで、合計846回の発表があったそうで、12月8日から11日の間に36回、12月8日から月末までに88回と続いたそうです。緒戦の華々しい時期は回数も多く冗漫で、次第に戦況が悪化してくると事実と乖離した発表になり、更に敗戦近くの1945年6月から8月には、月2・3回とダンマリ・数行のコメントへと変化していきました、プロパガンダにもならない実にみっともない状況です。

 真珠湾攻撃では、第二次攻撃隊に被害が多かったようです。米海軍アリゾナが大爆発を起こした時に、それを上空から見ていたある日本海軍幹部が「ざまぁーみろ!」と吐き捨てるように言ったとか。数年後、同じ言葉をアメリカ軍から各戦線で日本軍兵士は浴びせられたとも。結局、戦争は憎しみの連鎖の上に始まり終わる、歴史からしっかり学ばなければならないとおっしゃっていました。

 終了後も、有志でさらにフォローアップの懇談会。石原慎太郎、石原裕次郎の昔の思い出話等、小樽ならではの貴重なお話の数々、歴史の奥行きとお酒にまさに「酔いしれた」ひと時でした、ありがとうございます!

演者の渡辺大助さん@懇親会

演者の渡辺大助さん@懇親会

懇親会終了後、参加者の一部の方々と

懇親会終了後、参加者有志と

昭和史に学ぶ、そのこころは!

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 以前から昭和史ほか、戦争の総括・論評に定評のある保阪正康さんが、札幌での道新フォーラム(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/576308.html)の翌日、小樽「道新文化センター特別講座」でお話をされました。

* http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/576632.html

保阪正康さんの鋭い分析と見識

保阪正康さんの鋭い分析と見識

 お話は、本当に素晴らしい内容で溢れていました。太平洋戦争から学ぶべき点として、

1. 軍部による政治のコントロール

2. 特攻や玉砕を「国家システム」として採用

3. 捕虜の扱いなど国際ルールの無視

の三つを挙げ、「昭和史には無数の教訓が詰まっている」と指摘しました。  以下に私の心に残るフレーズを書き留めます。最後の質疑応答で、東京裁判についての保阪さんのコメントも実に明快でした。

* 「歴史から学ぶ」ことは自分だけの為だけではない、子・孫につないでいく作業に

* 歴史は実証主義的に検証、取材、点検しなければ「教訓」、「学び」とはならない

* 日本が「軍事力」を本気で考える場合、「旧日本軍」を徹底的に検証すべき

* 「昭和」の指導者の「錯覚」は、軍事の歴史を振り返ると不可避だったのではないか、参謀優位、ロジスティクス軽視等

* 「歴史修正主義」は、国際社会では最も軽蔑され、相手にされない。歴史を理解するには「礼儀」があるもの

* 日本社会の「知的劣化」を強く感じる。昭和が創ってきたものがガタガタと壊れてきている。左翼の「甘え」、組合の「特権化」

* 「覚悟」が必要、言い換えるなら、今、生きていることを問われている

* 昭和史のささやきは、最短距離を最短時間で一気呵成に進むのではなく、「ゆっくり歩こうよ」だ

 今月の講師は、以前からお世話になっている戦史研究家・渡辺大助さんです、また小樽に行って聞いて参ります。身近な人を通して歴史を紡ぎ直す作業は、実に大切な気がします、そこで生きた人の息遣いを感じながらです。

渡辺大助さんのご講演

渡辺大助さんのご講演

秋の展示会 in 益子

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 本来は始まる前にアップしたかったのですが、栃木県益子町の「ワグナー・ナンドール・アートギャラリー(http://kankou.4-seasons.jp/asobu/509.shtml)~秋の展示会」が盛況で終了しました。先日、終わった後の静寂の中、ゆっくり噛みしめながら散策してきました。

 これまで何回もここに書きました:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%AF%E3%82%B0

秋の展示会を終えて

秋の展示会を終えて

帽子を被ったワグナー・ナンドール

帽子を被ったワグナー・ナンドール(ハンガリーからの寄贈):室内展示室

特別展示室:ハンガリー・ブダペストのアトリエ修復事業ほか

ハンガリー・ブダペストのアトリエ修復事業ほか:特別展示室

 今年の特別展示室では、ハンガリー・ブダペストの王宮下にあるアトリエ大修復の様子が展示されました。「修復」といっても日本でイメージする「修理」とは趣を異にして、まさに賑やかに「リニューアル」された感じです。1956年のハンガリー動乱(革命)以前は、王室の下で芸術家の創作活動は大変活発だったようです、ワグナー・ナンドールもそんな芸術家の一人でした。

 事務局員の小方良子さんの話では、最近の傾向として、下村徹著「ドナウの叫び(http://www.gentosha.co.jp/book/b1717.html)」とか新聞記事、テレビ報道等をご覧になっての来館者、リピーター、毎回それぞれをお楽しみになっていく方も多いとか。私の叔母・和具奈ちよをご指名で「生ちよ」さんにお会いする目的の方、お弁当を開いてひと時ごゆっくりとか、お茶を飲みながらの団欒の場として過ごされる方もいらっしゃるそうで、嬉しいですね。

 昨今の日本の状況を見るにつけ、戦後日本の行き詰まり、瓦解、劣化・・・・、国の崩壊過程は、経済と芸術文化のバランスの崩れであり、言い換えるなら「リベラルアーツ」教育の欠如によるリーダー職にいる人材の劣化によるところが大きいですね。ヨーロッパの呻吟した時代を経ての鍛えられた市民一人一人の思想・哲学に比べると、簡単に社会と距離を置くと言って逃避する無関心層が多い日本社会の脆弱さ。

 昨晩、小樽で開催された「道新文化センター特別講座 昭和史に学ぶ~保阪正康さん」のお話が心に染み入りました。

ビハール号事件(2)

Posted by 秋山孝二
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 昨年10月9日にこの欄で、「ビハール号事件:Behar case」について書いて以来(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5921)、しばらくの間沈黙の日々が続いていましたが、2011年8月8日から、終戦特集の一つとして、北海道新聞・第一社会面に5日続けて詳細載っています。「父が見た海~戦後66年 ビハール号事件を追う~」です。海軍兵学校66期卒の父、戦後66年を経て、60歳の還暦を迎えた私が、3・11以降、覚悟を決めました。

 初日以来、想像を上回る反応に、ただただ驚いています。会う人会う人、秋山財団事務所の近くを通る方も、職員に向かって、「ここの財団の理事長でしょ」とか、声を掛けて頂いているようです。約1ヶ月半の取材、北海道新聞の二人の記者の方々には、本当に寄り添っての取材活動、的確な質問、取材相手への敬意、何とも感謝の言葉も無い程の感動です。扱っている話題はとても重たいものにも関わらず、「今・ここ」で世に問いかけなければというジャーナリスト魂を感じました。同時に、「メディアの力」を目の当たりにした数日間です。

 一昨年来、私はメディアに対して、場当たり的な垂れ流し報道ではなく、時間軸のしっかりした調査・検証報道の必要性を指摘していたつもりです。昨年仰せつかった1年間の北海道新聞・新聞評でも、一貫してそれに言及しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E8%81%9E%E8%A9%95)。今回、まさにそれを実践する機会を与えて頂いた、そんな気がここまでの中でしています。キーマンお二人と直接面談でき、長時間のお話を伺いましたし、保阪正康さんとの意見交換では、トータルの戦争における「軍隊」の行動パターン、1000人以上の戦場体験者との面談に裏付けられた心理等、短期間で一気に情報の質も量も深化致しました。とても私一人では出来なかったことばかりです。このテーマに向き合う記者・報道部次長の誠意あふれる姿勢に、心から感謝申し上げます。

 明後日の最終回を終えて、再度この欄で書き留めたいと思います。今月から、この「秋山孝二の部屋」へのご意見を受け付けることにしました、ブログ開始3年弱を経て、初めて解禁致しました。スパムほかイレギュラーなメール以外は、基本的に掲載したいと思っています。一覧の画面から、「該当日のタイトル」をクリックするとコメントの受・送信画面が出て、ご覧頂けます。

道新フォーラム「現代への視点2010」

Posted by 秋山孝二
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 道新フォーラム「現代への視点2010~歴史から学び、伝えるもの~」が、11月に道新ホールで開かれ、昨年に続く2回目の今回も、満員の700人が集まったようです。私は出席出来ませんでしたが、第1部は作家の澤地久枝さん、東大大学院教授の姜尚中(カンサンジュン)さん、作家・評論家の保阪正康さんによるそれぞれ30分の講演、第2部は3氏による討論と、学生を中心とする30人ほどの若者たちとの質疑が行われました(http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/shiten_forum/)。

 最近は大変助かります、当日その場に行けなくても、「YouTube(http://www.youtube.com/?gl=JP&hl=ja)」とかで後日に映像で見ることが出来るからです。新聞では紙面に制限もあり、なかなか意を汲みきれませんが、映像は全くのライブ感覚で、会場からの不規則発言も臨場感を倍加します。パネルディスカッションの進行に対する聴衆からの指摘に、保阪さんが応える場面は面白かった(?)です。また、若者の長い発言、イベントの宣伝等も、私自身は前段の3人のお話の内容が充実していただけに、少々残念でしたね。

 

澤地久枝さんのお話

* 戦争の顔は、国とか時代が違っても同じ顔。満州事変、上海事変、ミッドウェー海戦でも、死者の多くは20歳から22歳までの軍隊経験の乏しい人たち

* このままでいったら日本はアメリカの補助的な存在として戦争する国になる。形骸化している9条も含めて今の憲法はボロボロに変えられ、日本は悪い方に生まれ変わる危険性がある。それを防ぐためには、一人一人が歴史を知る努力をすること、そして知り得たことを知識として持ち、次には行動すること

* 今の若い人は「戦争は知りません」という。そうではなく、私たちはどんな近現代の歴史を刻み、その時代に自分の父母や祖父母はどんな生活をしていたのか、そのとき他国との関係はどのようなものであったかを調べて勉強することが歴史を知ること

* 井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」の中には、「困難にぶつかったら過去を勉強しなさい。未来は過去の中にある」とある。過去の中には失敗や成功したことも含めて、人類の英知、知恵があり、それを読み取って自分のものにすることが大切

* そのときに大事なことは、だれが何を言ったかということよりも、どんな事実があったかを知ること。事実と言われてきたことが実はうそであったと分かれば、何が事実、真実であるのかを検証していく姿勢が重要

 

姜尚中(カンサンジュン)さんのお話

* 第二次世界大戦後の日本は、「ヨーロッパ的な冷戦、戦争がないという状態」を享受できた。しかし日本だけが例外で、朝鮮半島もベトナムも戦争状態、アジアでは「熱戦」だった

* 日本は何をすべきだったのか、あるいは何をする可能性があったのか。ドイツとの戦後比較、同じような復興をとげ経済大国になった二つの国、しかしその歩みは大きく違っていた

* 1969年に旧西ドイツの首相になったウィリー・ブラントは、東側との関係正常化を目指す「東方政策」。西側のフランス、イギリス、アメリカとの関係を深めつつ、東側に虹(懸け橋)をかける政策を実施

* ヨーロッパはいわゆる「ヤルタ体制」で分断、ドイツも東西分裂。このままいけば東と西の戦場になる、アメリカやNATOを頼りにするだけではなく、自分たちの力で虹をかけなければいけない、という哲学

* 隣国のポーランドとの国境、いわゆる「オーデル・ナイセ線」を認め、ソ連と東ドイツの存在を容認。この三つの国と関係を結ぶことによって緊張緩和を進め、まさに「革命的」

* 東アジアで分割占領されたのは日本ではなく朝鮮半島。その結果、ブラント的な緊張緩和政策は日本はとる必要がなく、「日米安保という2国間関係」を基軸にすえて、それ以外の全てのことをその派生とみるような思考。ブラント的思考とは正反対

* 今、北東アジアはきな臭く、米中の二つの超大国が東アジアをめぐって覇権の争いの危険性。放置していたならば新冷戦時代になる危惧の中で、交流が広がり、ともに歩もうとしている日本と韓国はどこに立つのか。民主主義のルールを知り、同じような価値観や生活水準をもった両国が協力し、ブラントのような東方政策を練り直すことが可能ではないか

* そのためには私たちは歴史に学ぶ必要性あり。自分の国や隣国の歴史を知ると同時に、遠いヨーロッパで起きた歴史をも学びながら、今の状態に対し何ができるのかを、ぜひとも考えてもらいたい

 

保阪正康さんのお話

* 戦後65年の中で、どういう形で日本の戦史が語られてきたのか。最初に語ったのは大本営の将官たち。「大本営弁護型の戦史」が幅を利かせた

* 65年たち、やっと最前線の戦場にいた兵士たちの声が記録されるようになった。1人の兵士の証言には何千人という声が入っている。歴史に耳に傾けると言うのは、こうした声を聞き取っていくこと

* 私たちは戦後の憲法の下で市民的権利が保障されている社会に生きている。しかしそれがどう溶解し、戦前のような軍事主導体制になってしまうのかを理解しなければならない

* 人間は四つの枠組みの中に入れられるとモノを言えなくなる。戦前の場合、その一つは国定教科書の改訂。昭和8年(1933年)に完全に軍事主導の教科書になり、「兵隊さんに感謝しましょう」という体制が固まる。二つ目は治安立法の拡大解釈。例えば治安維持法は本来は共産主義者が対象だったが、リベラリストらも対象になった。三つ目は情報の一元化。情報が一つのところから発せられるようになる。四つ目は官民挙げての暴力。「五・一五事件」のように、動機が正しければ何をやってもいいと暴力を肯定する風潮。昭和史の教訓として戦前の歴史から学ぶことは、このような四つの枠組みが今の私たちを囲い込んでいないかと注視すること

* それには自分なりの視座(ものの見方)を持つこと。その発想の形は三つ。一つは「縦と横」、つまり歴史と時代。歴史の中でこういうことはどうなっていたのか、今はなぜこうなっているのだろうかと考える癖をつける。同時に「公と私」。国はこう言っているけど自分は違うと思う、というように相対化すること。三つ目は「理論と現実」。こういう理想が言われるが現実はこうなっている、とすればそのギャップはどこに問題があるのか、と考えること

* ある事象を見たときに、そのように頭の中で考える訓練を積む。日常の中で小さな意識変革を常に意図していることが大切

 

 3人の演者のメッセージが、心に染み入りました。