蕎麦屋 薮半 @ 小樽 2018

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 小樽というマチは、いつきても風情があり、四季折々に歴史を感じます。

 これまでの小樽関係の記事――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%B0%8F%E6%A8%BD

 先日は、財団の来年度の活動についての打ち合わせを行いました。小樽駅からほど近い仲通、雰囲気のあるお蕎麦屋さん「藪半(http://www.yabuhan.co.jp/index.html」は、昔の寄り合い場を醸し出します。HPの凝りようはかなりのもの、外国人のお客さまも多いようです。

冬の玄関口

冬の玄関口

風格ある店内

風格ある店内

2階から

2階から

 ここの名物カレーせいろ。

こってりした濃厚なカレー

こってりした濃厚なカレー

 お陰様で、今年7月に保阪正康さんをお招きして、濃密な北海道深掘りワークショップを行う企画がまとまりました。早速、昨年ご参加の方々にご案内をしていますが、「是非、出席したい」の返信も続々届いています、楽しみですね。

山崎ハコ、ライブ @ 小樽

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 山崎ハコさんのライブが小樽「GOLD STONE(http://www.goldstone.co.jp/」で、題して「山崎ハコと安田裕美の『ハッチャキ・ライブ!!』」。ゲストは浅沼修さん(http://osamu-asanuma.earth-tec.jp/)、安田さんは小樽、浅沼さんは札幌出身。小さい体からのパワーあふれる歌声、心に染み入りました。

小樽のライブハウス

小樽のライブハウス

 当時、「フォーク」を代表する歌手の変わらぬ歌声、織江の唄(https://www.youtube.com/watch?v=hOGUHjdDPek)、望郷(https://www.youtube.com/watch?v=UFVZrJ13E0I)、縁(えにし)、歌いたいの、ほか、3時間を越える歌の数々。昔の「呪い」という歌もすごかったな。

デビュー当時の姿

デビュー当時の姿

* この動画(https://www.youtube.com/watch?v=6CABEPOXLsw&t=1706s)、39分過ぎからの宇梶剛士の話が泣けてきて素晴らしい!

< 飛びます >

何のために今まで そして今からも
生きているのか
わかったような気がします
いいんです 報われぬとも
願いは叶わぬとも
この思いは 本当の私だからです
今 私は 旅立ちます
一つの空に向かって 飛び始めるのです

この思いのためなら
どんなに苦しいことも
きっと やれるような そんな気がします
そうです 歌いたくなくても
言葉に出したくなくても
きっと 歌えるのです
心の中で誰かが歌ってるから
今 私は 旅立ちます
自分の心に向かって 飛び始めるのです

一番大切な かけがえのないものは
おそらく 今 息づく 自分の命でしょう
けれど はかない人生 この私の命を
賭けるものがあっても
誰も責めないで下さい
今 私は 旅立ちます
信じるために 飛び始めるのです
私は 今 旅立ちます
信じるために 飛び始めるのです

エコビレッジ @ 余市

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 以前から機会があればと思っていた「エコビレッジ余市(http://ecovillage.greenwebs.net/index.html」を、やっと訪問することができました。代表の坂本純科さんは、秋山財団の選考委員をお引き受け頂いています。当初は長沼町でスタートし、当時、ワークショップに私も参加したことがあります。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6215

 エコビレッジは「住民が互いに支えあう仕組み」と「環境に負荷の少ない暮らし方」を求める人びとが意識的に創るコミュニティのことで、健康で幸せなライフスタイルを望む人びとの間で着目され、今や世界各地15,000ヶ所に広がっていると言われています。食料など自分たちの暮らしに必要なものをできるだけコミュニティ内および地域のネットワークで確保することは、持続可能なまちの創造につながり、安全な食やエネルギー、環境、孤独、老後や子育てに関する不安などを解決する場と期待されています。

<関連HP>

コビレッジ国際会議Tokyo関連ニュースはこちら――> BeGood Cafe

EDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション)関連はこちら――> 日本エコビレッジ推進プロジェクト

 

 長沼町での試みから8年余り、余市に場を得て着実に進化を遂げていました。坂本純科さんの揺るぎなき信念とそれに共鳴する人々の賜物なのでしょう、遠く海外からの研修生も数多く訪れているとのお話でした。

広大な敷地にログハウスが3棟

広大な敷地にログハウスが3棟

 丘の上はエゾエンゴサクの群落が満開のジュータン。

満開のエゾエンゴサクの群落

満開のエゾエンゴサクの群落

 若いスタッフの方々も元気に活動中。純科さんとも意見交換をしましたが、農産物販売で収入基盤を作るというよりも、農作業体験と座学のプログラムを整備して、企業の社員研修等の教育研修事業での収入確保が一番適しているような気がするのです。各種の助成金も確保されていますが、自立プロジェクトに向けてのビジネスモデルの構築が当面の課題でしょう。今の時代、珍しいくらいに夢のあるプロジェクトなので、本当に今後の展開が楽しみです。お昼は街なかでのイタリアンレストラン、地元の美味しいワインを昼から飲みました。

右端が代表の坂本純科さん

代表の坂本純科さんとプロジェクトのメンバー

これからのプランボードの前で

これからのプランボードの前で

 帰り道、余市の「フゴッペ洞窟(http://www.tabirai.net/sightseeing/column/0000318.aspx」を見学。はるか遠い昔、2000~1500年前の続縄文期にタイムスリップして、刻画・土器の特徴から何らかの宗教的儀礼の場だったようです、神秘的空間でしばし黙考でした。

フゴッペ洞窟 入口で

フゴッペ洞窟 入口で

 さらに「忍路の環状列石(ストーンサークル)(http://hokkaido-lovepower.net/category2/entry25.html」です。気が付かなければ通り過ぎるような静かな場所、でもどこか神聖な雰囲気を醸し出している不思議さでしたね。

環状列石

忍路(おしょろ)環状列石<ストーンサークル>

 出掛けるといつも思うのですが、「場所が放つオーラ」とでも言うのでしょうか、北海道の春、石狩湾を眺めながら余市・小樽に足を運んで、あらためて時代の空気を取り入れた気がします。

小樽 3月 2017

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 小樽で打ち合わせがあり、少し早目に行って小樽文学館(http://otarubungakusha.com/yakata)で企画展「サカナクション・山口一郎さんの本箱」(http://otarubungakusha.com/exhibition/2017032123の見学、途中、久しぶりに小樽運河、手宮線跡地を巡りましたが、相変わらずの風情は壮大なテーマパークのようでした。

小樽運河 2017春

小樽運河 2017春

観光客もまばら

観光客もまばら、静寂

手宮線跡はまだ雪に埋もれ

手宮線跡地はまだ雪に埋もれ

色内駅改札&プラットホーム跡

色内駅改札&プラットホーム跡

 小樽文学館での常設展示(http://otarubungakusha.com/yakata/permanent)では、伊藤整、石川啄木、小林多喜二ほか、そうそうたる方々の紹介が興味深いです。札幌よりはるかに歴史・文化の香りがして、日本・北海道の近代の歴史を振り返る雰囲気に誘われます。

伊藤整、石川啄木、小林多喜二

特集 HAWAII 2017 (3)

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 昼前にホノルルのピア2から乗船し、夜に出航してマウイ島カフルイに向かいます。乗船は午前11時30分からですが、時間前に桟橋に到着してチェックインした乗客のために、広大な室内倉庫の一角に舞台を設置して、歌とフラダンスのミニライブ。待ち時間をも楽しませようとのホスピタリティにいきなり感激しました。

船上からアロハタワー・真珠湾方面を

船上からアロハタワー・真珠湾方面を

 このアロハタワーも懐かしいですね。1971年に横浜からスタートして最初に着いた港(外国)がここの桟橋でした。入国管理官から長い滞在日数を貰うために、上はスーツの上着、下は短パンの妙なスタイルでした。あの真珠湾(パールハーバー)がこんな近くの場所だったのかと、あらためて自分の不勉強を恥ずかしく思ったことを覚えています。

逆サイドは遠くにダイアモンドヘッド

逆サイドは遠くにダイアモンドヘッド

 まだ乗客が少ない内に勝手に船内ツアー。予定の乗客がチェックインした後は、船内生活・規則のガイダンス、避難訓練、希望する食事で予約の必要なレストランの夕食選び等、クルージング開始にあたっての諸手続きであっという間に夜になりました。今回は入国手続き等のプロセスが無かった分、以前の小樽港出発時よりもチェックインはスムースだったような気がします。

デッキ13から一つ下のデッキ:チェス盤とサンデッキ

デッキ13から一つ下のデッキ:大きなチェス盤とサンデッキ

デッキ14

デッキ14

 今回のクルージングのルートは、オアフ島ホノルルマウイ島カフルイ(停泊)ハワイ島ヒロハワイ島カイルア・コナカウアイ島リフエ(停泊)オアフ島ホノルル、です。移動は夜で、日中はそれぞれの島に上陸しての観光、それ以外にも、ハワイ島ヒロからコナへの南回り航行中には、夜にキラウエア火山の溶岩が海に流れ落ちる様子を、カウアイ島リフエからオアフ島ホノルルに戻る時は、カウアイ島北側を敢えて航行して雄大なナパリコーストを海から見学等、クルージングならではのホットスポットもあります。

ハワイ諸島の地図

 夜、静かにホノルル港を出航し、翌朝、マウイ島カフルイに入港しました。朝日に炙り出されるハワイ諸島特有のなだらかな島の稜線が印象的です。

マウイ島カフルイ港に停泊

マウイ島カフルイに入港・停泊

特集 HAWAII 2017 (1)

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 JTB企画の「プライド・オブ・アメリカで航くハワイ4島周遊クルーズ10日間(http://ebook.jtb.co.jp/book/?A2212#3」、四島巡りは天候にも恵まれて素晴らしい旅となりました。

 この船「プライド・オブ・アメリカ」は、1966年設立の「NORWEGIAN CRUISE LINE(NCL)(https://www.ncl.com/jp/ja/」所有、就航が2005年7月、総トン数が80,439トン、乗客定員は2,186名、乗組員数917名のアメリカ船籍の客船です。これから何回になるか分かりませんが、「特集 HWAII 2017」と題してご紹介致します。

* プライド・オブ・アメリカ号 https://www.ncl.com/jp/ja/cruise-ship/pride-of-america

ハワイ島コナ沖の停泊中のPOA

ハワイ島コナ沖に停泊中のPOA

上部にはサンデッキ、プール、ジャグジー

上部デッキにはサンデッキ、プール、ジャグジー

船首横

桟橋に停泊中、船首横

船内・デッキ5のフロントデスク&ロビー

船内・デッキ5のフロントデスク&ロビー

 この企画、実は数回チャレンジしても実現せず、今回4回目で。札幌からのハワイアン航空直行便でかないました。私にとって船旅と言えば、大きく以下の2回の体験があります。今回はこれまでで一番大きな船でしたが、今、世界中で就航しているのはさらに大型の22万トン級と聞いていますから、時代は変わってきていますね。もう一つ、今回は「ハワイ四島巡り」、私にとってはハワイの思い出は奥深いものがあり、最初は1971年の北アメリカ一人旅、それから新婚旅行、そして「JAIMS(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18767)」での6か月研修等、人生のエポックメイキングな場となっています。

 1971年に横浜から乗った船は、1848年に設立された「アメリカン・プレジデント・ライン(APL:http://www.apl.com/wps/portal/apl/apl-home/about-us)」の船舶「プレデント・クリーブランド(http://yelec.web.fc2.com/ELEC8-2/ship/President-Cleveland/President-Cleveland.htm」で、アメリカで1948年に建造された16,000トンの貨客船。

 2012年に小樽港から乗った船は、運行会社「ロイヤル・カリビアン・インターナショナル(RCI:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/info/contents.do?contentsId=8)は、1969年に設立された世界最大規模の客船会社で、本社は米国マイアミにあり、2011年11月現在22隻の客船を保有しているそうです。船舶は「レジェンド・オブ・ザ・シーズ:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/ship/ship_detail.do?classCode=VI&shipCode=LG」、1995年就航の70,000トンの客船。しかし、残念ながら、2011年3月11日の日本での大震災、その後の原発事故による放射線の影響を考慮して、この時のクルージングを最後に、日本の港に寄港することはないとのことです、あまり日本では報道されてはいませんが。

’71 北アメリカへの一人旅

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA

* 小樽港から日本海へ

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%B0%8F%E6%A8%BD%E6%B8%AF

定山渓、新春 2017

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 高校の大先輩・安井さんからいつもお誘いを頂き、今年も定山渓の「ぬくもりの宿ふるかわ(http://www.yado-furu.com/」さんにお世話になりました。個人の外国からのお客さんを含めて満員状態、「温泉」の魅力は相変わらずですね。小樽、虎杖浜の宿も大変好評と巷の噂で聞いています。

雪降る定山渓、「ふる川」!

雪降る定山渓、「ふる川」!

 札幌大通の NHK前から送迎バスで1時間少々、到着してすぐに足湯の場「心の里定山(http://www.kokorono-sato.jp/」で静かなひと時でした。運営は、「NPO法人 森と湯の里定山渓(代表 一條晋さん)」で、ヒーリングラウンジに流れるゆったりとした音楽、雪と庭園とゆけむりのモノトーン、久しぶりの静寂の中、瞑想にふける空間です。

離れのような静寂の中、素晴らしいひと時

離れのような静寂の中、素晴らしい時空

 翌日は、こちらも高校の大先輩、古川善雄社長の説明付きで新商品を頂きました。今後の新たな事業展開もお聞きし、これまで以上のアイディアに、超高齢化社会の中で温泉の果たす役割ほか、熱弁に聴き入っていました。

ホットなリンゴ果汁・シードルから

ホットなリンゴ果汁・シードルから

 定山渓は、私自身、様々の思い出があります。60年以上前の幼稚園の遠足から始まり、会社の観楓会、書道サークルの忘年会ほか、です。途中の道は2車線に拡幅されたりトンネルができたりと変化はしていますが、温泉街の風情は今も当時の面影を残していますから嬉しいです。札幌の街なかから1時間足らずの場は、これから益々価値が出てくることでしょう、大切にしたい札幌の「宝物」ですね。

保阪正康さん@小樽市民講座 2016

Posted by 秋山孝二
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 昨年もご登壇された小樽市民講座での保阪正康さん、今年も含蓄のあるお話でした。

 昨年はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24010

 昨年の秋山財団贈呈式に先立っての特別講演会でも、研究者の方々へのメッセージを含む素晴らしいお話でした。

ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24387

 今回は、「昭和史から見た平成、平成からみた昭和史」との題です。近著の「田中角栄と安倍晋三」は、ご本人がおっしゃる通り、副題の「昭和史でわかる『劣化ニッポン』の正体」が内容を的確に表現しています。

小樽市民講座で、今年も

小樽市民講座で、今年も

歴史から学ぶ

歴史から学ぶ

新著での鋭い指摘

新著での鋭い指摘

 保阪正康さんは、仕事柄、よく本を読むほうだと。そのため本を読まない人の特徴が分かるつもりだとおっしゃいます。安倍首相には読書が少ない人の特徴がみられ、まず『美しい国』など形容詞を使うことが多い。『侵略に定義はない』などと物事を断定するが、その理由やプロセスを説明できない。もうひとつ、どんな話をしても大体は5分以上もたない。耳学問だから深みに欠けるのです、と説明を加えました。さらに、安倍首相は、「この道しかない」、「アベノミクスはまだ道半ば」などと威勢のいい言葉で大衆をけむに巻くような自己陶酔型であり、祖父・岸信介を妄信して日本を戦争する国家に変えようとしている、と。

 安倍首相には岸のほかに父方の祖父・安倍寛がおり、戦前、翼賛政治の妨害をはね返して選挙に当選した反骨の政治家です。しかし、安倍首相は岸の方ばかり見て、寛から目を背けて、視点が等間隔でないところに政治的な歪みを感じるとも。このことは、4年前の東京日比谷公会堂における「九条の会」で、澤地久枝さんから三木睦子さんの言としてお話を聞いたことがありました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14584

 近著でもそうですが、この日も、何か覚悟を決めたかのように現在の政治の劣化について痛烈に批判をされました。翌日、小樽で意見交換をした後、札幌にお連れして秋山財団事務所にもお越しになり、秋山財団へのアドバイスも頂きました。

北を語る会・移動例会 2016 (3)

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 浦臼から宿泊の増毛町「オーベルジュましけ(http://www.auberge-mashike.jp/」へ。増毛の夜は、国稀酒造(株)(https://www.kunimare.co.jp/の林眞二代表取締役社長の講演でした。

 「国稀」は増毛町が暑寒別岳連峰から豊かな残雪を源流とする伏流水が湧き出ているため、非常に良質な水が得られることから、自家用として造り始めた酒が愛飲され今日に至っているとのこと。

社長の講演

林眞二社長の講演

 「国稀」は初代本間泰蔵が、増毛郡役所に醸造免許鑑札願いを届け出た1882(明治15)年が創業です。創業者本間泰蔵は、1849(嘉永2)年、新潟県佐渡の仕立て屋の三男として生まれ、1873(明治6)年23歳で小樽に渡り呉服店の養子格の番頭として働き、ニシン景気でわく増毛にしばしば行商で来ていましたが、1875(明治8)年に増毛に移り住み呉服商を始めました。

 創業から20年間は、旧本店(現「旧商家丸一本間家 http://honmake.blogspot.jp/」、国指定の重要文化財)敷地内にある醸造蔵で酒が造られていました。しかしニシン豊漁による好景気が続き、酒の需要が増え続け、創業時の設備では量産できないところから、1901(明治35)年、現在地に地元産の軟石を使った酒蔵を建設しました。同年に合名会社となり、丸一本間合名会社酒造部として永きにわたり営業していましたが、合名会社設立から100年目の2001(平成13)年に、「国稀酒造株式会社」と社名を改めました。

ずらり試飲用ラインアップ

ずらり試飲用ラインアップ

 二次会は参加者の部屋で、差し入れの新鮮な甘えびをつまみにさらにお酒で懇談が続きました。

二次会の部屋には差し入れの甘エビが大盛りで

二次会の部屋には差し入れの甘エビが大盛りで

 翌日は遠藤水産(株)の港町市場(http://www.m-ichiba.jp/mashike.htmlです。新鮮な魚介類のほか、ウニの殻むきも忙しそうでした。

ウニをむく人たち

ウニをむく人たち

 前日、林社長の講演を聞き、一夜明けて国稀酒造(株)の酒蔵見学です。

銘柄がずらりと

銘柄がずらりと

樽の中で熟成

樽の中で熟成

 たくさんの見学者で賑わう酒蔵で、職員の方の熱心な説明を聞きました、試飲もできてよかったです、以前訪問した時は、車で行ったので私は飲めなかったので。

 ニシン漁、北前船、湧き水等、国稀酒造訪問から北海道の歴史をあらためて知る機会となりました。

愛生舘の「こころ」 (14)

Posted by 秋山孝二
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 このブログのシリーズ「愛生舘の『こころ』」は、第13回を終えてしばらくお休みしていましたが、本当に久しぶりに再開致します。というのも、今年4月から始まる年度は、秋山財団設立30周年の節目の年になり、基本財産の出捐者・秋山喜代の遺志でまだ私が実現していない「愛生舘文庫」の創設に向けて、新たなスタートを切りました。

 これまでのシリーズ「愛生舘の『こころ』」はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

  この4年間、私は、秋山喜代の最後の住まいで、今は秋山財団事務所になっている建物倉庫の整理と、「愛生舘」にまつわる資料の収集・整理を空いた時間を見つけては行ってきたつもりです。なかなか進展していなかったのですが、昨年、助っ人を得て、資料収集も最後の局面を迎えつつあります。

 先日は、これまでも「古文書講座」等でお世話になっている青山学院大学名誉教授・片桐一男先生とご一緒に、松本順先生のご親族・松本和彦先生を訪問して参りました。貴重な資料をお借りできたので、さらに資料整理と分析・解読を進めていきます。

* 古文書講座 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8F%A4%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AC%9B%E5%BA%A7

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

 貴重な品いくつかも拝見しました、刻まれた文字に価値があります。

蘭畴は松本順先生

蘭畴は松本順先生

 松本順先生のご業績と愛生舘との繋がり、そして秋山財団がなぜ「愛生舘文庫」なのか、以前のブログから引用します。

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 片桐先生は冒頭、「世界の中で新しい国家建設が迫られている時期、必要とされていたのは『海軍力』で、それも緊急性を帯びていた。日本が独立国家として成り立っていく思想・技術、そしてそれを担う人材、すなわち『体力』をつける目的で長崎海軍伝習があった」、とおっしゃいました。そもそも蘭学が江戸時代に静かに研究されていたのは、北方ロシアの東方進攻・南下の脅威に対してその対抗的思想・哲学の必要性からと、先生から伺ったことがありました。

 以前にも書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1096)、その第二次海軍伝習(実質的な「医学伝習」)で松本順は中心的役割を担いました。ポンぺからのオランダ語を介した伝習を、集まった全国各藩の弟子たちに伝えることで、それ以降の近代医学・医療の基礎を築きました。

 松本順の功績のまとめとして 1) 持って生まれた資質を生涯を掛けて伸ばし続けた:ポンぺの伝習から総合的技術を取得、実践――野戦病院・衛生思想等

2) 人との出会い、ポイント3人:松本良甫(ポンぺからの伝習)、山県有朋(陸軍病院等の基準策定)、高松保郎(愛生舘事業)

3) 彼のしなかったこと:オランダに留学等で行かなかった、制度が出来るとバトンタッチ・チャンスの移譲

4) 彼の目指したこと:庶民への眼差し「愛生済民」――愛生舘三十六方、衛生思想の徹底、アジア・世界の体力向上

5) 彼の日常生活――身の回りをいつも「楽」にしておくこと

 最後のまとめで、片桐先生は、「松本順の活きた人間像が把握されていない、激動の歴史の中で埋もれていた原因は、激変する維新から明治時代では文字を通してのメッセージの伝達が難しかったのではないか、それは庶民の教育レベルが江戸時代よりもむしろ劣化していたことを意味している」、と看破されていました。

 牛乳の効用、海水浴の普及等、今では常識になっている健康増進・普及に関して最初の井戸を掘った人物、それが「初代陸軍軍医総監」等の評価以上の歴史的意味を、彼の人生から読み取ることが出来るのでしょう。

 翌日、私の手元に「松本順と北海道」という3部にわたる小論文を届けて頂いた札幌在住の医師・宮下舜一先生とお話をしました。講演会にもご出席頂き、先生の論文には、何と明治24年6月に、松本順が北海道(函館・小樽・札幌)に20日間程度来ている記録が、小樽では道内に在住していた弟子たちと一緒に撮影した記念写真まで掲載されていました。

 (株)秋山愛生舘が「愛生舘北海道支部」から独立したのが明治24年11月ですので、この時にどこかで初代秋山康之進と再会していた可能性は大変高いと思いました。引き続き調査・研究の必要がありますね、また一つ目の前に解き明かす課題が見つかりました。

 今回、私は片桐先生に敢えて「秋山愛生舘」ではなく、「愛生舘」についてお話をして頂きたいと事前にお願いを致しました。講演会に参加された道内の「シンパ」の方々には、「愛生舘事業をしっかり今の時代にも受け継いできたのは、唯一この北海道の地ではないか、どうしてもっとそれに言及しないのか!」と叱られそうですが、21世紀の今、広い意味で「愛生舘事業のこころざし:愛生済民」の原点回帰を、秋山財団的には記念すべき25周年を機に目指す、そう是非ご理解を頂きたいと思います。

 この講演会をキックオフとして、今後「愛生文庫」を軸とした資料室の創設も企画する予定です。ご関心のある方の率直なご意見もお待ちしています。 ~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 宣言をしてから4年以上経ってしまいましたが、今年・来年中には必ず創設しますので、乞うご期待!です。

秋山財団贈呈式 2015

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 秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)の「贈呈式 2015」を開催しました。今年の特別講演は昭和史の第一人者・保阪正康さん、270人の聴衆で熱心にお聴き頂きました。

* http://www.akiyama-foundation.org/news/1362.html

 これまで保阪正康さんについては、このブログで何回も書いてきました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7%E3%81%95%E3%82%93

特別講演 保阪正康さん

特別講演 保阪正康さんと座長の渡辺大助さん

昭和史

昭和史の第一人者

 特別講演に引き続き、今年度の贈呈式を行い、これまで最高の来賓の皆さまのご出席でした。冒頭の私のご挨拶です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 本日は、多数のご来賓のご臨席を賜り、またお手伝いに株式会社スズケン様より社員の皆様に駆けつけて頂き、当財団「2015年度贈呈式」を開催出来ますことは、大変光栄に存じ感謝申し上げます。

 秋山財団は1987(昭和62)年1月に設立以来、本年29年目を迎えました。お陰様でこの間、総額約87,000万円、1,247件の助成を行う事が出来ました。本日お集まり頂きました皆様をはじめ、これまで当財団に寄せられましたご指導・ご支援に対しまして、改めて心からの御礼を申し上げます。

 本年度の事業は、「選考委員会」におきまして厳正且つ公正な審議を経て、合計43名の受賞者・受領者に決まりました。詳細につきましては、このあと、各選考委員長よりご報告申し上げます。昨今、「公募・選考」というと、2020年東京五輪開催を巡って混乱が続いています。秋山財団は設立以来今日まで、「選考委員会」の透明性を最も大切にしており、それゆえ、理事会・評議員会でもその選考決定を尊重して、今日まで順調に事業を推進して参りました。

 本来ですとここで秋山財団の事業報告・近況報告などを申し上げるべきですが、保阪正康さんのお話しを伺い、今年は「戦後70年」の節目の年、秋山財団の理事長としての立ち位置、決意をお伝えしたいと思います。

 昨年この席で、私は195431日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で強行した水爆実験と、その調査・検証に立ち向かった日本の22名の若き科学者についてお話し致しました。2013年(2年前)9月に放送されたNHKETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~」をご記憶の方も多いかと思います。

 更に今年は、尊敬する企業経営者の故・品川正治さん(2013829日享年89歳で死去。経済同友会・終身幹事 元日本火災海上保険社長)のお言葉をご紹介致します。「戦争を起こすのは人間、しかしそれを許さないで、止めることができるのも人間ではないか。天災ではない、なぜそれに気がつかなかったのか」、と。

 さて、研究者の皆様は、「学徒出陣」についてご存知でしょうか。19431021日、東京の明治神宮外苑競技場(「新国立競技場」建設予定地)で大規模な出陣学徒壮行会が雨の中挙行され、約2万5千人の学生が小銃を肩に行進しました。敗戦の時まで、動員された学徒兵の総数は13万人に及んだと推定されていますが、70年の時を経た今も、正確な出陣学徒数・戦没者数の実態は明らかではありません。学徒兵は主に文科系学生と農学部の一部(農学科、農業経済学科など)から徴兵されましたが、その他の理科系学生は徴兵が猶予され、陸・海軍の研究所などに勤労動員されたそうです。

 1943年(同年)1128日、北海道帝国大学においても出陣壮行式が挙行されました。ここから何名出陣したのか、戦没者数も、またこの歴史がどのように継承されているかについても私の手元に資料はありません。

 一方、小樽商科大学では、毎年8月15日に校内にある戦没者記念塔(学生・教員347名の名前が刻まれた墓石が納められている)の前で慰霊祭が行われています。

 近い過去に、日本の国を支えるはずの若い人材が、戦争遂行のために「投入」されていった歴史を忘れてはならないと思います。

 さて、秋山財団の助成事業は、「競争的資金」と位置付ける文部科学省の科研費とは一線を画し、とりわけ若き世代の育成の役割を担い続けたいと考えています。それは、一貫して貧困・疾病に苦しむ道民に寄り添い、微力ながら医薬品を通じて支えてきた秋山愛生舘の理念を継承する財団の姿と信じるからです。

本日ご出席の大学関係者、研究機関、そして受領者の皆さんに申し上げます。

 米国第35代大統領、合衆国史上最も若くして選ばれ、最初の20世紀生まれのジョン・F・ケネディの就任演説に、有名な一節があります。「米国誕生と共に灯されたたいまつは、新世代のアメリカ人に引き継がれた。世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされているときに、その自由を守る役割を与えられた世代はごく少ない。私はその責任から尻込はしない、それを歓迎する。われわれがこの努力にかけるエネルギー、信念、そして献身は、わが国とわが国に奉仕する者すべてを照らし、その炎の輝きは世界を真に照らし出すことができるのである」と。

 私たち財団関係者は、北海道の研究者やプロジェクトの皆さんに夢を託しています。助成金には、29年間、秋山財団に寄せられた沢山の大切な志と篤い想い、期待が込められている事を忘れないで頂きたい、そして、今ほど、科学者の「勇気」が問われている時代はないのではありませんか。

 100年の時を越えて、北の生命と共に歩んで来た秋山愛生舘の歴史とDNAを受け継いだ財団です。生命と向き合い、道民のいのちと共にある科学、自然と共生する生命科学の進化の為に、貢献し続ける事をお誓い申し上げるとともに、本日ご列席の皆様には日頃のご支援、ご厚誼に感謝し、引き続きなお一層のご厚情を賜りますようにお願い申し上げて、私の挨拶と致します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 挨拶 おわり

 詳細の報告は、後日、秋山財団HPに掲載されますのでご覧ください。ご参加頂いた皆さま方に心から御礼申し上げます。

戦後70年、私なりの思い(2)

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 NHK総合テレビの特集「NHKスペシャル~戦後70年目の戦争と平和(http://www.nhk.or.jp/special/70years/」は盛りだくさんです。恥ずかしながら、「捕虜」、「従軍看護婦」、「少年兵」、「原爆投下直後」等、60年以上生きてきた私にとっても初めて知ることがあり衝撃でした。順不同ですが、いくつか書き留めます、まずは「発掘・日本人捕虜の肉声(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150802」は見応えがありました。

 第二次世界大戦中、太平洋の激戦地で捕虜となった日本兵、連合軍の極秘の施設で尋問による『肉声」録音が、70年以上を経て初めて見つかったのです。NHK取材班は、入手した音源を、最新のデジタル技術で修復・解析。その内容は、殺すか殺されるかの戦場を生き抜いた日本人捕虜の壮絶な告白です。密室で、日本兵たちはひとりの人間として、自らの戦場と向き合っていました。そして、音源の分析から、捕虜となった日本兵と尋問が行われた「秘密尋問所」の場所を特定し、戦後、家族にすら伝えることのなかった密室での告白、現代に蘇った捕虜たちの肉声を通じて、歴史の闇に埋もれてきたもう一つの戦争が伝わってきました。

 旧帝国陸軍・海軍ばかりでなく、日本国民にすべからく「捕虜となることは恥ずべきもの」との社会通念が徹底しており、このような事実は永久に個人の心の中に仕舞い込まれていたのでしょう。市民を巻き込んだ戦争の現実では、「自決」と称して自ら命を絶つ人々はこれまでも報道されてきましたが、「捕虜」となった人の肉声は組織の一員というよりも、まさに一人の人間として戦争と向き合っている苦悩を感じさせます。「記録」の説得力、再現性等、多くの教訓を私たちに与えてくれます。

稲垣潤一

稲垣利一海軍主計大尉

 さらにホームページによると、アメリカ公文書博物館で発掘されたレコードは120枚、13時間の録音です。オーストラリアのブリスベーン郊外で録音が行なわれ、1942年から1945年まで、この施設は極秘の尋問所として使用されたそうです。マッカーサーはブリスベーンに拠点を築き、秘密組織のATIS連合軍翻訳通訳部隊を立ち上げました。そこでは日系人などを集め、日本兵の捕虜尋問や遺体の日記の翻訳を行い、オーストラリア軍の資料室に詳細情報が残されていました。特に重要な人物の尋問を密室で行っており、1105人の捕虜の尋問が行なわれました。

 残された音声の最初は海軍主計大尉・稲垣利一の尋問でした。稲垣は大変流暢な英語を話し、重要な捕虜と位置づけられていたようです。尋問で、稲垣は日本の軍国主義に不信感を示しています。東京帝国大学で外交官を目指し、海軍経理学校では中曽根康弘元首相と同窓。1942年8月、稲垣はニューギニアのブナに上陸、ポートモレスビー攻略を目指す無謀な作戦に参加、食料の供給が途絶え、兵士は次々と倒れ、連合軍の反攻の前に部隊は壊滅しました。稲垣は尋問で、部隊の悲惨な状況を話し、稲垣は自らも栄養失調とマラリアに倒れました。敵の兵士が近づき、稲垣は拳銃自殺を図りましたが泥水に濡れた拳銃は発砲されず、捕らえられた、その様子を証言しています。

 捕虜となった稲垣利一は日本語翻訳の仕事をATISから依頼されました。1943年10月14日の録音で、稲垣は一度受けた依頼を断わります。稲垣は頼まれた仕事は戦争を早く終わらせることは日本国民にはいいことだが、協力は裏切りになることで葛藤しています。稲垣は死にたいので、拳銃か薬を求めましたが、尋問官は責任を逃れる考えだと指摘し、説得を続け、日本の現状を伝え、早く戦争を終わらせるために協力を求めたのです。稲垣は決断を迫られ、苦しいと答えています。翌日、稲垣は仕事を受けると伝え、尋問は約半年に及び、協力を決断ました。

その後、本土決戦前の幾つかの戦い直前に投下された日本語の投降ビラは、彼らの仕事によるところが多いのでしょう。

連合国軍チーム

連合国軍チーム

ATIS作成の投降を促すビラ

ATIS作成の投降を促すビラ

稲垣の見識

稲垣利一の見識

 先月の保阪正康さんの小樽での講演で、日本に「軍事学」が存在していなかったとお話がありました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24010

 「捕虜となって恥をさらすな」みたいな戦陣訓をまき散らしておきながら、戦場の市民を放ったらかしにして撤退・逃走する旧帝国軍隊の卑劣さを、私たちは忘れてはなりません。そして番組でも紹介されていましたが、「捕虜になった後に、どう応対するかを日本兵は教えられていなかった」とも。「解除の命令がない」ことも含めて、もはや「軍隊」という体を成していない酷い状況だったのですね。

 「戦争とは何か」、私たちが努力と妥協と折り合いを付けながら生きてきたこの70年、これからも日本を、決して「戦争をする当たり前の国」にしてはなりません、強くそれを再確認致しました。

保阪正康さんのお話

Posted by 秋山孝二
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 今年は「戦後70年」、保阪正康(http://www.aya.or.jp/~hosaka-m/さんの出番がひと際多くなっているような気がします。今月は、札幌、小樽と二日間続けての講演を追いかけました。9月3日の秋山財団贈呈式では、「記念講演」として保阪正康さんをお招きしています。先日、小樽では講演開始前にしばしお話をすることができました。

 私が保阪さんとお話をしたのは、2011年8月の北海道新聞「終戦特集」で、私の父に絡む記事「ビハール号事件」の掲載時でした。北海道新聞の本社応接室でしばし懇談し、「よくこのような取材に応じられましたね」とのお言葉を頂きました。

* 「ビハール号事件」関係の私のコメント――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

講演終了後に秋山財団スタッフと

小樽での講演終了後に秋山財団スタッフと

 以下、講演から印象に残る言葉を書き留めます。~~~~~~~~~~~~~~~~~

* 今の安倍政権は歴史にどういう態度で向き合うのか、「歴史修正主義」が権力と結びついているのは日本だけ、ドイツは法律で禁止されている。海外からの強い批判あり

* 昭和20年8月14日に「資料を燃やせ!」の大号令。歴史は、戦後のアカデミズム、ジャーナリズムが、取り戻すために資料を集めるところからスタートして、今日まで営々として築いてきた大きな財産のはず。

* 日本に「軍事学」は存在しなかった:軍事指導者に思想がない、哲学がない。「葉隠れ」「武士道」等、全て兵士・兵隊に押しつけた

* 「ジュネーブ条約」を日本は調印したが批准はしなかった

* 戦前・戦中の大蔵省役人は、「軍事予算」しか作成した経験が無かった。戦後の予算編成に役立たず。

* 「村山50年談話」、「小泉60年談話」は、未来の日本人にも呼び掛けている。誰が、誰に、何を言うのかが極めて重要。予定されている「安倍談話」が酷いモノであれば、自分たちで創らなければならないと思っている

* 戦争で亡くなった方々を追悼するということはどういうことか。それぞれの70年は違うもの。

* 「全滅」の意味合いは、国際常識では「30%」の部隊兵士の死者、日本は「全員」の意味で、「玉砕、最後の一人まで戦え!」と。国家の戦略システムとしてこの「玉砕」があり、これを許してはいけないのが「戦後70年」ではないのか

* 語らなければいけないこと: 1)軍事が政治をコントロール、 2)全滅、玉砕を国家システムとして採用、 3)国際法を無視、 総体として「命」を粗末にしたこと

* 「日本的組織の在り方」、この70年を点検しなければならない

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 質問にも真摯に答える保阪さんの姿、今度9月にまた札幌でお会いできるのが嬉しいです。9月3日は講演会後の秋山財団贈呈式・懇親会にもご出席予定です、楽しみですね。

韓国の文化と医療について

Posted by 秋山孝二
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 毎月一回、民間病院の理事長・院長が早朝に学ぶ場「木朝(もくちょう)会」の第315回例会が、先日開催されました。これまでこの会については何回か書いています。

<木朝会> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%A8%E6%9C%9D%E4%BC%9A

 今回は、「韓国の文化と医療について」と題して、小樽商科大学大学院教授・ビジネス創造センター長の李濟民先生のお話でした(http://office.cbc-s.otaru-uc.ac.jp/?page_id=8658)。

木朝会での興味深いお話

木朝会での興味深いお話

 お隣の韓国について、日頃話題になっているし行ったこともあるにもかかわらず、基本的な実情について再認識することも多かったです。医療については、アジアを中心に伸びている「医療ツーリズム」市場拡大への取り組みが興味深かったですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

* GDP成長率 3.4%(2014年)、失業率 3.5%(2014年)、出生率 1.19(日本は1.43%)

* 貿易: 日本にとって韓国は第3位、韓国にとって日本は第3位の貿易相手国

* 宗教: 仏教 42.9%、プロテスタント 34.5%、カトリック 20.6%  仏教徒が一番多い

* 韓国社会の特徴: 縁故社会(血縁、地縁、学縁)、兵役義務(休戦状態)、三大苗字(金、李、朴)、根強い儒教思想、行き過ぎた教育熱(チマッパラム、キロギアッパ、SKY)

* 韓国人気質: 「ぱりぱり精神(せっかち、積極的)」、「ケンチャナヨ(だいじょうぶ、適当主義、前向き)、フレンドリー(お節介)

* 韓国の医療ツーリズム: ウリドゥル病院の事例ではヘルニア治療専門病院、韓国に7か所、海外(上海、ジャカルタ、ドバイ)、最小侵襲治療、施術費用は日本円で100万~200万円、金浦空港敷地内にある61床の脊椎治療専門病院、メディカルツーリズムのハブ病院

* ウリドゥル国際患者センター: 金浦空港の敷地内にあり国際線ターミナルから歩いていける、開設8部門のコーディネーター(英語3名、日本語2名、、ロシア語1名の専門スタッフ)、韓国初のJCI(米国の国際医療機関評価委員会)認証を獲得

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 今、演劇分野でも日韓交流が盛んです。北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)は、この間、演劇公演の交流だけでなく、制作面でも相互交流の実を挙げています。国政・外交レベルではきな臭い状態ほか波風がありますが、経済、市民レベルの芸術文化等の草の根では、幅広い交流に今後も期待したいです。

「マッサン」のニッカ余市蒸溜所

Posted by 秋山孝二
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 NHK総合テレビの「マッサン(http://www.nhk.or.jp/massan/」は、いよいよ最終を迎えています。先日、電車で余市町に行き、「ニッカウヰスキー(株)北海道工場余市蒸留所(http://www.nikka.com/distilleries/yoichi/」を見学しました、JR線の土砂崩れで不通だった銭函・朝里間も回復した初日だったので、見学者でいっぱい、雪の白、レンガ・樽の茶、空の青、澄んだ空気の中、素晴らしい時間でした!

 ビール園も同じですが、工場で試飲するとどうしてああも美味しいのでしょうか。瓶からよりもはるかに香しいスモーキーフレーバー、2種類のウヰスキーとアップルワインは、ストレート、ロック、どうやって飲んでも素晴らしい香りと味でした。

 ガイドさんの解説の中、一号貯蔵庫での「エンジェル・シェア」は印象的でした。

~~~~~~~~~~~~~~~ HPより

 創立時に建てられた第1号貯蔵庫のある場所は、当時は余市川の中洲でした。
床は土のままで適度な湿度が保てるよう、また、外壁は石づくりで夏でも冷気が保てるように設計されています。樽の中の原酒は木目を通して呼吸し、少しずつ熟成が進みます。それと共に蒸発が進みます。20年で約1/2ほど蒸発しますが、このことを「エンジェル シェア」天使の分け前と一般的に言われております。※ご見学用に開放している為、1号貯蔵庫のみ空樽を置いています。ウイスキーの原酒が増えるごとに、貯蔵庫の数も増え、現在、26棟でウイスキーが熟成を重ね、開封される時を待っています。

~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 昨年、ニッカウヰスキーは創業80周年の節目を迎えました(http://www.nikka.com/80th/)。夢を実現する竹鶴政孝さんのストーリーは、まさに日本のウイスキーの歴史ですね。

工場内メイン道路

工場内メイン道路

マッサンの部屋

マッサンの部屋

RITA ハウス

RITA ハウス

博物館内で

博物館内で

一号貯蔵庫に静かに眠るウイスキー樽

一号貯蔵庫に静かに眠るウイスキー樽

 札幌から余市まで、JR線は今でこそ高架部分が多くなり、蒸気機関車から電車に代わっていますが、海岸線沿いの素晴らしい景観が続きます。そして、サッポロ、銭函、朝里、小樽、塩谷、余市と、流行歌の中にも登場する地名のオンパレードです。昔、夏の海水浴とか祝津水族館に行った時、トンネルごとに窓を閉めて機関車の煙が入らないようにした時代が懐かしいです。

 NHK総合テレビの朝ドラ、私はこれまではあまり魅かれてはいませんでしたが、一つ前の「花子とアン」は見ていました、役者では特に吉田綱太郎さんの嘉納伝助が好きでした(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20968)。そして今回の「マッサン」では、堤真一さんの鴨居の大将が魅力的でした、「やってみなはれ!」、男を感じるカッコよさですよね!

小樽の経済状況ほか 2014

Posted by 秋山孝二
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 北海道経済同友会本部会員と小樽支部との交流会が小樽で開催されました。本来は年初予定が延期になり、年の瀬にやっと実現しました。

 基調講演は、小樽商工会議所専務理事・山﨑範夫(のりお)さま。小樽の今、人口動向、世帯動向、産業動向特に観光に焦点を当てて、歴史のある地方都市の課題等についてポイントをつかんだお話でした。特に、女性視点による「小樽美人」商品開発の取り組みは興味深かったですね。

* 「小樽美人」 http://www.otarucci.jp/info/umeshu_otarubijin.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ HP より

「北海道後志産の果実を広めたい」、「女性のうれしいを叶える」をコンセプトに
女性の視点から作り上げたお酒が『小樽美人シリーズ』です。
『余市町産・仁木町産』の果実を100%使用し、美容・美肌に良い成分といわれる
ヒアルロン酸、コラーゲン、ビタミンCを配合しました。
さらにアンチエイジングに効果があるといわれる北海道産の
アロニア果汁を加え綺麗な色合いに仕上げました。

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小樽美人のラインアップ

会場内に並んだ「小樽美人」のラインアップ

 密度の濃い意見交換会の後は、ホテル最上階で交流会でした。

北海道経済同友会小樽支部との交換会後の交流会

北海道経済同友会小樽支部との交換会後の交流会

 観光名所「小樽運河プラザ」「小樽ビール」の建物の元所有者で、1895(明治28)年創業の歴史ある会社 小樽倉庫株式会社 山本信彦社長が交流会でご挨拶でした。

ご挨拶する さん

ご挨拶する小樽倉庫(株)・山本信彦社長

 1920(大正9)年の第一回国勢調査で、小樽の人口は108,113人で全国第13位、北海道では札幌よりも多く、函館の144,749人についで2番目のマチでした、ちょうど小樽運河築造の頃だそうです。先日の2回の道新フォーラム、今年は年末に小樽訪問が続きました。歴史を学び、街づくりの課題を認識した貴重なひと時でした。

<道新フォーラム in 小樽>

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21798

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21914

真珠湾攻撃と小樽人

Posted by 秋山孝二
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 先月の保阪正康さんに続いて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21798)、「歴史を学ぶ」シリーズ、今回は渡辺大助さんの講演「真珠湾の小樽人」でした、素晴らしかったですね。

講演案内より「真珠湾の小樽人」、12月8日に因んで

講演案内より「真珠湾の小樽人」、12月8日に因んで

本間さんの当時の記事

本間一飛曹さんの当時の記事

 渡辺大助さんは福島の放送局でお仕事をされていたので、1941年12月8日(月)朝6時20分から夜中12時までのNHKラジオニュース資料を丹念に説明しつつ、几帳面な取材に基づいた臨場感あふれるお話でした。12月8日一日で、大本営発表は10回あったそうです。午前7時の臨時ニュースは開戦を伝える有名な発表で、正午には君が代奏楽に続いて比較的冷静な「宣戦の大詔」奉読と続きましたが、夜の午後7時30分の談話、「宣戦の布告に当たりて国民に愬(うった)う」は、情報局次長・奥村喜和男による4分半のまさに「アジ演説」です、こんな放送が当時のNHKラジオから流れていたことに驚きを感じます。

 大本営発表と言えば、1941年12月8日から1945年8月15日まで、合計846回の発表があったそうで、12月8日から11日の間に36回、12月8日から月末までに88回と続いたそうです。緒戦の華々しい時期は回数も多く冗漫で、次第に戦況が悪化してくると事実と乖離した発表になり、更に敗戦近くの1945年6月から8月には、月2・3回とダンマリ・数行のコメントへと変化していきました、プロパガンダにもならない実にみっともない状況です。

 真珠湾攻撃では、第二次攻撃隊に被害が多かったようです。米海軍アリゾナが大爆発を起こした時に、それを上空から見ていたある日本海軍幹部が「ざまぁーみろ!」と吐き捨てるように言ったとか。数年後、同じ言葉をアメリカ軍から各戦線で日本軍兵士は浴びせられたとも。結局、戦争は憎しみの連鎖の上に始まり終わる、歴史からしっかり学ばなければならないとおっしゃっていました。

 終了後も、有志でさらにフォローアップの懇談会。石原慎太郎、石原裕次郎の昔の思い出話等、小樽ならではの貴重なお話の数々、歴史の奥行きとお酒にまさに「酔いしれた」ひと時でした、ありがとうございます!

演者の渡辺大助さん@懇親会

演者の渡辺大助さん@懇親会

懇親会終了後、参加者の一部の方々と

懇親会終了後、参加者有志と

昭和史に学ぶ、そのこころは!

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 以前から昭和史ほか、戦争の総括・論評に定評のある保阪正康さんが、札幌での道新フォーラム(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/576308.html)の翌日、小樽「道新文化センター特別講座」でお話をされました。

* http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/576632.html

保阪正康さんの鋭い分析と見識

保阪正康さんの鋭い分析と見識

 お話は、本当に素晴らしい内容で溢れていました。太平洋戦争から学ぶべき点として、

1. 軍部による政治のコントロール

2. 特攻や玉砕を「国家システム」として採用

3. 捕虜の扱いなど国際ルールの無視

の三つを挙げ、「昭和史には無数の教訓が詰まっている」と指摘しました。  以下に私の心に残るフレーズを書き留めます。最後の質疑応答で、東京裁判についての保阪さんのコメントも実に明快でした。

* 「歴史から学ぶ」ことは自分だけの為だけではない、子・孫につないでいく作業に

* 歴史は実証主義的に検証、取材、点検しなければ「教訓」、「学び」とはならない

* 日本が「軍事力」を本気で考える場合、「旧日本軍」を徹底的に検証すべき

* 「昭和」の指導者の「錯覚」は、軍事の歴史を振り返ると不可避だったのではないか、参謀優位、ロジスティクス軽視等

* 「歴史修正主義」は、国際社会では最も軽蔑され、相手にされない。歴史を理解するには「礼儀」があるもの

* 日本社会の「知的劣化」を強く感じる。昭和が創ってきたものがガタガタと壊れてきている。左翼の「甘え」、組合の「特権化」

* 「覚悟」が必要、言い換えるなら、今、生きていることを問われている

* 昭和史のささやきは、最短距離を最短時間で一気呵成に進むのではなく、「ゆっくり歩こうよ」だ

 今月の講師は、以前からお世話になっている戦史研究家・渡辺大助さんです、また小樽に行って聞いて参ります。身近な人を通して歴史を紡ぎ直す作業は、実に大切な気がします、そこで生きた人の息遣いを感じながらです。

渡辺大助さんのご講演

渡辺大助さんのご講演

秋の展示会 in 益子

Posted by 秋山孝二
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 本来は始まる前にアップしたかったのですが、栃木県益子町の「ワグナー・ナンドール・アートギャラリー(http://kankou.4-seasons.jp/asobu/509.shtml)~秋の展示会」が盛況で終了しました。先日、終わった後の静寂の中、ゆっくり噛みしめながら散策してきました。

 これまで何回もここに書きました:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%AF%E3%82%B0

秋の展示会を終えて

秋の展示会を終えて

帽子を被ったワグナー・ナンドール

帽子を被ったワグナー・ナンドール(ハンガリーからの寄贈):室内展示室

特別展示室:ハンガリー・ブダペストのアトリエ修復事業ほか

ハンガリー・ブダペストのアトリエ修復事業ほか:特別展示室

 今年の特別展示室では、ハンガリー・ブダペストの王宮下にあるアトリエ大修復の様子が展示されました。「修復」といっても日本でイメージする「修理」とは趣を異にして、まさに賑やかに「リニューアル」された感じです。1956年のハンガリー動乱(革命)以前は、王室の下で芸術家の創作活動は大変活発だったようです、ワグナー・ナンドールもそんな芸術家の一人でした。

 事務局員の小方良子さんの話では、最近の傾向として、下村徹著「ドナウの叫び(http://www.gentosha.co.jp/book/b1717.html)」とか新聞記事、テレビ報道等をご覧になっての来館者、リピーター、毎回それぞれをお楽しみになっていく方も多いとか。私の叔母・和具奈ちよをご指名で「生ちよ」さんにお会いする目的の方、お弁当を開いてひと時ごゆっくりとか、お茶を飲みながらの団欒の場として過ごされる方もいらっしゃるそうで、嬉しいですね。

 昨今の日本の状況を見るにつけ、戦後日本の行き詰まり、瓦解、劣化・・・・、国の崩壊過程は、経済と芸術文化のバランスの崩れであり、言い換えるなら「リベラルアーツ」教育の欠如によるリーダー職にいる人材の劣化によるところが大きいですね。ヨーロッパの呻吟した時代を経ての鍛えられた市民一人一人の思想・哲学に比べると、簡単に社会と距離を置くと言って逃避する無関心層が多い日本社会の脆弱さ。

 昨晩、小樽で開催された「道新文化センター特別講座 昭和史に学ぶ~保阪正康さん」のお話が心に染み入りました。

並木昭義先生の情熱は続く・・・

Posted by 秋山孝二
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 今月の木朝会は、並木昭義先生のお話でした。並木先生は札幌医科大学名誉教授で、現在、小樽市病院事業管理者・病院局長の重職で、「論文発表に関する秘話」と題して、これまでのご経験を丁寧にご説明になりました。木朝会についてのこの欄での記載はこちら(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%A8%E6%9C%9D%E4%BC%9A)。

永平寺初代住職と

永平寺78代住職宮崎禅師さまと並木昭義先生

三つの代表的論文

三つの代表的論文

若手医師に贈る言葉

若手医師に贈る言葉

 学生への論文指導を通しての信念、現在の小樽市立病院の統合・新築等、これまでの多彩な実績を淡々と語られる中に、目の前の課題と真摯に向き合い、自らを鼓舞して使命を全うしようと全力を尽くす姿に感動しました。

 異種の与えられた仕事でも、それに向かう基本姿勢というのはどれも一緒なのかもしれないと、お話をお聴きしてそう思いました。何を課題と認識し、何を解決しなければならないのか、現状把握力の重要性も感じた、貴重な時間でした。