札幌農学校と起業家精神

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 快調に回を積み重ねている「新渡戸連続講座」の今回は、『札幌農学校と起業家精神』と題して小樽商科大学ビジネススクール(https://obs.otaru-uc.ac.jp/)教授・農学博士の瀬戸篤先生のお話、札幌農学校スピリットが実は起業家の育成に大きな影響を与えていることに言及されました。これまで札幌農学校関連において起業との関係性で今回ほど示唆に富む解説をされたのは私にとっては初めてでした。

* これまでの関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E9%80%A3%E7%B6%9A%E8%AC%9B%E5%BA%A7

 冒頭に瀬戸篤先生を紹介される出村克彦先生。

瀬戸先生

瀬戸篤先生

 札幌農学校スピリットとは『イノベーションを実現する起業家精神』!!!クラーク博士と米人教師陣の情熱込めた毎日の指導の様子も資料を基に説明されました。

 農学と起業との共通点、土を耕し、種を撒き、水をやり育て、刈り取る!、そして現在の北海道大学農学部の責務にも言及されました。

 続いてはシュンペーターの理論『新結合』の概念をわかりやすくご説明されました。ハーバード大学に行かれる前には日本の東京商科大学(現一ツ橋大学)教授に内定していたとのことでした。

 昨今、「イノベーション」を単に「技術革新」とだけ矮小化する論調が多い中、「新結合」を5つの視点から深い洞察を知ることができました。「札幌農学校」のビジネスからの視点で貴重なお話を聴くことが出来て大変勉強になりました、瀬戸篤先生、ありがとうございました!!!

新渡戸連続講座 第5回 2020

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 『新渡戸連続講座 第5回 2020』、今回は新渡戸稲造研究家の三上節子さんによる新渡戸稲造が生前最後に北海道を訪問して数多くの講演を行った濃密な旅程をもとに、新たな新渡戸稲造との北海道人脈を掘り起こしました。

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「新渡戸稲造の離道後二度目で最後の来道〜各地での演説とエピソード〜」

三上 節子 (新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会理事・新渡戸稲造研究家)

〜昭和6年国際連盟顧問として函館、札幌、母校、遠友夜学校、小樽、旭川、帯広、釧路などへ〜

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 定員30名のところ24名(道民カレッジ受講生7名含む)のご参加があり、コロナ禍の中、安全対策をしてのご参加に敬意を表します。「新渡戸稲造の離道後二度目で最後の来道〜各地での演説とエピソード」と題して、1931(昭和6)年5月14日~28日までの行程を特長模造紙4枚に書き、各地の当時の新聞記事を横書きにタイプした32頁の資料集でお話を進められました。新渡戸が一日4回の講演の日があったり、連絡船内、駅の構内でも講演するなど、新渡戸に体力があった時期だったのでしょうね。平和、教育、産業育成と人間の生き方などの講演だったことが新聞記事から窺われます。司会:秋山 受付:金子 書籍販売:村口

* これまでの新渡戸連続講座ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E9%80%A3%E7%B6%9A%E8%AC%9B%E5%BA%A7

 冒頭、私がご挨拶と三上節子さんのご紹介をさせて頂きました。瀬戸篤先生からはクラウドファンディングについてチラシをお配りしてのご紹介もありました。

 今回の講師は三上節子さん。

 短い期間に実に数多くのご講演を駅での待ち時間等にも行い、精力的に各地を訪問された様子に、並々ならぬ当時の新渡戸稲造博士の熱意をくみ取り、あらたな感動を覚えました。

新型コロナウイルス感染症(1)

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 「新型コロナウイルス感染症」のニュースで、このところ私自身、医療関係者、感染者ではないのですが、様々な分野での対応に追われてすっかりブログが遅れてしまいました。これから何回になるか分かりませんが、これ関連の記事を連載で追いかけてみます。

 今回はその第一回目、そもそもの私なりのこのニュースとの関りスタートを振り返りながら書き留めます。

 2019新型コロナウイルスは、一本鎖プラス鎖RNAウイルスで、コロナウイルスの一種。SARS関連コロナウイルスに分類されて、 人に対して病原性があり、急性呼吸器疾患を引き起こすようです。2020年2月現在、中国武漢市での肺炎の流行をはじめ、世界各地で感染が拡大しています。

 私にとっては最初は、中国武漢市の都市封鎖とクルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号(https://www.princesscruises.jp/ships/diamond-princess/)」の船内での感染ニュースだったと記憶していますが、それ以降、日々刻々新たな感染が報道され、日本でも、北海道でも、どんどん拡がっている状況で現在に至っています。

 ダイヤモンド・プリンセス号は、イギリスP&O社が所有し、アメリカに本拠地を置くカーニバル・コーポレーションの傘下、プリンセス・クルーズに所属している外航クルーズ客船、三菱重工業長崎造船所で建造されたものです。主に夏季はアジア、冬季はオーストラリアでクルージングを続けていたようです。三菱重工業長崎造船所と言えば、あの戦艦武蔵が建造された場所ですね。

https://www.princesscruises.jp/ships/diamond-princess/360tour/

 先日、「サステナブルデザイン2020」が横浜で開催された時に、羽田空港から横浜駅行きの高速バス車窓から、横浜港大黒ふ頭に停泊・隔離していたこの船を観ました、まさに大きなビルが横付けされている風景でした。

サステナブルデザイン2020 横浜

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=38028

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=38056

 私にとってクルーズ船の旅と言えばこちらです。「小樽から日本海へ」、「特集 HAWAII」です、ともに実に思いで深い旅行でした。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%B0%8F%E6%A8%BD%E6%B8%AF%E3%81%8B%E3%82%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E3%81%B8

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%89%B9%E9%9B%86+HAWAII+2017+

 何だかすっかりコロナウイルス症の話題から離れてしまいましたが、まずはスタートとしてお許しください。

川瀬巴水「旅」 @ 小樽 2019

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 今月2回目の小樽、小樽芸術村(https://www.nitorihd.co.jp/otaru-art-base/former-mitsui-bank/)で開催されている「浮世絵コレクション展第Ⅱ期川瀬巴水の作品展」が素晴らしかったですね。展示は、旧三井銀行小樽支店の奥の部分、帰り際には重厚な金庫も見学してきました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=36250

金庫

金庫

 「浮世絵コレクション展第Ⅱ期」は、川瀬巴水の作品展です。川瀬巴水(かわせはすい、1883(明治16)年~1957(昭和32)年)は、日本の大正・昭和期の浮世絵師、版画家。本名は川瀬文治郎(かわせ ぶんじろう)。衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られています。日本的な美しい風景を叙情豊かに表現し「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気があるようです。

 作品の中でも、藍色のグラデーションの美しさが特に印象的でした。

小樽芸術村

 外国人観光客で賑わう連休中でしたが、建物内の展示スペースは静寂を保ち、同じ原画でありながら、色合いを変えた作品群エリアも版画ならではの面白さで、一つ一つの作品が放つ時代を越えたメッセージに耳を傾ける、そんな雰囲気がたまらない魅力でした。

小樽 7月 2019

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 今年も小樽市民大学講座で保阪正康さんのご講演『平成から新時代へ~日本社会はどうかわるか~』でした。例年にも増して素晴らしいお話、聴衆の方々の引き込まれて聞き入っている姿にも感動しました。

<これまでの記事>

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24010

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27398

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=33668

今年のラインナップ

今年のラインナップ

 今年の保阪さんのお話は、「令和」の時代から「平成」を挟んで「昭和」を振り返ること、もう一度「昭和」を見直す重要性を、天皇に絡むお話で豊富な話題を提供して頂きました。特に最近の出来事としては、つい先月、トランプ大統領が来日した時の天皇陛下御招待の祝宴で、トランプ大統領の挨拶冒頭部分、天皇皇后両陛下と安倍首相夫妻の4名を並列に扱ったことは、前代未聞の礼儀をわきまえない政治的言辞で、日米双方の外交関係者は驚愕したとのことでした。令和最初の国賓としたこともあり得ず、平成の時の最初の国賓はジンバブエの大統領だったとか。来年の習近平主席の来日も含めて、何か「令和」の時代の危うさを予感すると危惧されていたのが印象的でした。

 この日、私は少し早く小樽に着いたので、7月の小樽市内を駅から小樽運河方面、さらに日本銀行小樽支店前も散策しました、たくさんの外国人観光客も楽しんでいました、この季節も素晴らしいですね。

日本銀行小樽支店

日本銀行小樽支店

 講演会終了後、興奮も冷めやらないまま、講師の保阪正康さんと秋山財団関係者と10月の秋山財団での連続講座に向けた事前打ち合わせもできました。昔の小樽の雰囲気を醸し出す小路、札幌行きの電車時刻をにらみながら充実の時間でした。

懐かしい居酒屋小路

懐かしい居酒屋小路

今年も小樽「藪半」で

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 今年も小樽の蕎麦屋「藪半(http://www.yabuhan.co.jp/index.html」での打ち合わせ。

* 昨年の様子――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32466

小樽「藪半」2019

小樽「藪半」2019

 秋山財団の関係者との相談は、年始のここからいつも始まります。保阪正康さんの連続講座の今年の段取り等、4月の選挙、5月からの新元号スタートといった大きな曲がり角であるからこそ、羅針盤の必要性を感じる昨今です。

< 保阪正康さんの連続講座 >

* 昨年2018の様子――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=33668

シンポ『地域金融機関の課題』

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 北海道大学で開催された「2018年度地域経済経営ネットワーク研究センター(https://rebn.econ.hokudai.ac.jp/」主催のシンポジウム「地域金融機関の課題」は大盛況でした。このような公開シンポジウムは、外部の者にとっては大変ありがたい企画です。

当日案内ポスター

当日案内ポスター

■シンポジウムテーマ:
地域金融機関の課題

■講演
「岐路に立つ金融機関のビジネスモデル-道内金融機関の財務構造から-」
小樽商科大学大学院商学研究科 教授 齋藤 一朗 氏

「信用金庫による地域活性化への取組み」
信金中央金庫 地域・中小企業研究所 所長 松崎 英一 氏

「地域金融の現状と課題-系統中央金融機関の視点から-」
全国信用協同組合連合会 理事長 内藤 純一 氏

■コメントと質疑応答
コメンテーター 公益財団法人 はまなす財団 理事長 濱田 康行 氏

北海道大学でのフォーラム

北海道大学でのフォーラム

 全国で産業振興に取り組んでいる信用金庫の活動,信用組合の地方創生との関わり,など地方金融の現況と今後の展開を地域金融を牽引する実務家が語りました。また,研究者からは経済学・経営学の観点から地域金融機関の果たしてきた役割を,その歴史もふまえながら現在と未来を展望しました。

 以前から、地域創成における地元金融機関の果たす役割について、その存在感の無さを感じていた私としては、腑に落ちるお話の数々でした。地方銀行が一番中途半端なポジショニングなのかもしれないと、帰り道思った次第です。

 それぞれの演者のお話の後の質疑応答も大変興味深かったです。

講演後のパネル

講演後のパネル

 いい意味でも悪い意味でも、お金の重要性は認識すべきですね、今の金融資本主義の時代には。

矢部玲子先生 公開講座3回目

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 今年で3回目となる、北海道文教大学の矢部玲子先生の公開講座、「明治の青春 『学友会雑誌』に見る学校行事(ようこそ皇太子殿下)と題して、今年は「大正天皇」に焦点を当てての大変興味深いお話でした。

* http://www.do-bunkyodai.ac.jp/college/ExtensionLecture/2017/1265/

 矢部玲子先生のFacebookより~~~~~~~~~~~~~

     今年も北海道文教大学公開講座の季節がやって参ります.
    「現代と人間」シリーズで以下を担当いたします.
    8月31日(金) 9:00~10:30
    明治の青春―『学友会雑誌』に見る学校行事(ようこそ皇太子殿下)―

     私は、6年前にこの貴重な資料の存在を知り、調査研究の傍ら、保存の必要性を訴えてきました。一昨年、同校の「六華同窓会」の開校120周年記念事業の一貫として助成を賜り、これらのうち、昭和20年までをデジタル化しました。将来は、同会ウェブサイト上での公開を計画しています。
     本講座では、デジタル化された資料の中から、明治時代の皇太子殿下(大正天皇)行啓と生徒たちの取り組みをご紹介します。

     『学友会雑誌』は、旧制札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)時代の、主に生徒の執筆による文芸誌です。現在、北海道札幌南高等学校の同窓会資料館に、明治30年以降のものがほぼ全巻保存されています。当時の生活様式や思想、そして学校生活などを知る上で、大変貴重な資料です。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「学友会誌」から読み解くシリーズ3回目

「学友会誌」から読み解くシリーズ3回目

矢部玲子先生

矢部玲子先生

 実際は函館に軍艦で到着し、小樽、札幌、江別、旭川、道東、えりも線、室蘭等を訪問する、正式には「行啓」というよりも「巡啓」のようです。

函館から小樽、札幌、江別、旭川、苫小牧、室蘭、門別・・

函館から小樽、札幌、江別、旭川、苫小牧、室蘭、門別・・

 札幌一中での滞在は52分間だったようです。

札幌一中での滞在は53分間

札幌一中での滞在は52分間

 お帰りになった(還啓)後、当時の山田幸太郎先生の訓辞がありました。

還啓後も山田幸太郎校長の訓辞ほか

還啓後も山田幸太郎校長の訓辞ほか

 翌日は提灯行列も。

翌日も提灯行列

翌日も提灯行列

???

???

 この行啓を記念して、「札南高学校林(http://www.rikka-forest.jp/」が誕生しています。

札南高学校林もここがスタート

札南高学校林もここがスタート

 新渡戸稲造先生もここにいらっしゃって、リーダーたるべく勉学に励むよう訓示している記録もあり、2年後の開校125周年に向けて、このデジタル化した『学友会雑誌』を「六華同窓会HP(https://rikka.net/」にアップして、多くの皆さまと共有し、講座開設も企画できればと思っています、乞う、ご期待!

保阪正康さんを囲む連続講座

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 今年も昨年に引き続き、近代史の専門家で札幌ご出身の保阪正康さんを秋山財団にお招きして、21名の参加者とともに、「明治150年と平成30年~北海道に住む人びとはどう変わったか」をテーマに二日間の意見交換でした。

 前日は、小樽市内で「小樽市民講座 2018」でのご講演、今年で46回目、保阪さんは5年連続のご登壇とのことで、今年も変わらぬ人気でした。

人気の講座です

人気の講座です

 私と保阪正康さんとの出会いは、2011年の北海道新聞終戦特集取材時でした。

 これまでの関連記述――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7

 今年の秋山財団連測講座の企画は、2月のこちら「藪半二階」で決まりました。――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32466

 今年のテーマ、保阪正康さんもかなりの気合の入りようで、昨年の議論を踏まえて、日本としての150年の検証と北海道150年の冷静な総括と歴史認識でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 保阪さんメモからの引用

狙 い

 今年(2018年)は明治150年である。具体的には慶応3年の大政奉還からということになるのだが、もとよりこの区分は元号による分け方にすぎないといえるわけで、歴史的に正当性が確立しているわけではない。私たちは歴史を振り返る時に何らかの句読点が必要でもあり、その一つにこの元号で歴史を位置づけて見ることが考えられるという意味でもある。特に北海道に関しては「明治150年」のその内実に対して、さまざまな視点があることは了解されていなければならない。

 アイヌの人たちへの抑圧という側面、北海道入植そのものがそれぞれの場での権力闘争の結果という側面、ロシアの南下政策に対する防衛的な側面、内地でのしがらみからの自由を求めての解放といった側面、などそこには歴史的、社会的な理由が存在する。

 明治150年はそういった問題を、改めて整理しつつ、私たちはこの時代をいかなる眼で見つめるか、を考えていきたい。前半は、中央から見る明治150年を分析しつつ北海道の位置づけを、後半は、北海道の人々の考え方を私なりの見方で「道民性の変化」という視点で考えてみたい。

・・・・・・・・

おわりに

 私たちはいま、北海道そのものの「崩壊の危機」にあると考えるべきではないだろうか。その理由は、近代化の到達した地点で次に来るであろう時代が予測し得ていないがためである。北海道の位置づけが明確でないと言っても良いだろう。北海道は明治150年の出発時の形での地域づくりは終えたのだ。それを共通認識として新しい北海道を作らなければならないように思う。そのために成すべきことは何か、を考えたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 参加者は事前に事務局にそれぞれの思いを提出しています、以下は私のエントリーシートです。

氏名(ふりがな)

秋山 孝二 (あきやま こうじ)

1.自己紹介現在及びこれまでのお仕事、最近の一番の関心事、ご趣味など)

東京都江戸川区立鹿本中学校 理科教諭(5年間)

(株)秋山愛生舘 代表取締役社長(6年:会社在籍19年)

(株)スズケン 代表取締役副社長(48か月)

(公財)秋山記念生命科学振興財団 理事長(22年間:財団理事32年)

他、現在、財団代表理事4、評議員4、監事1

<関心事>

*日本の「近代」の捉えなおし

*明治期の全国的衛生&健康増進「愛生舘」事業のルーツを探る(初代秋山康之進のルーツ他)

*新渡戸稲造と札幌の人材育成「遠友夜学校」の理念と現代的意義

2.本講座への期待ほか(北海道150年への思い、昭和史を次世代の若者へどう伝えていくべきかについてのお考えなどご自由にお書きください)

自分自身が育った時代(1951年~今日)、義務教育年限でしっかり戦後教育(憲法、国際平和ほか)を受け、さらにその後の高校・大学で時代と真摯に向き合った自分の使命として、北海道のアイデンティティを見つめ直し、この地で自立した人材が育つことを期待し、少しでも尽力できればと思う昨今です。今の各セクターにおける歴史修正主義的風潮に危機感を覚え、このままでは若者へは渡せない、そんな世代の責任を感じています。

国際社会で、日本のリーダー的ポジショニングの機会も多くあるにもかかわらず、登場できない現状を憂いながら、まだ間に合うという一筋の希望も見出しています。

3.講師への質問事項など(今回のテーマに関することに限りません。ご自由にお書きください)

自分の残りの人生、北海道を拠点として、地域の財団法人として、何ができるのか、何をすべきなのか、30数年前の財団設立時からの私のテーマであり、「愛生舘」事業の継承者として日々葛藤しています。

抽象的ですが、「歴史を学び直す」ことが単なる趣味・興味にとどまらず、それを踏まえて日々の行動に反映することにヒントが得られれば私なりに満足です。参加者皆さんのそれぞれのお立場からの意見交換も楽しみです。

<今年の保阪さんの分析>
 北海道入植は明治20年ごろまでは前述の明治初年代に加えて、私の見るところ次の七つのタイプに分かれるのではないか。

1. 開拓使関連の人たち(北海道赴任組など)

2. 移住募集に応じた人たち(農業移民、漁業移民など)

3. 札幌、旭川など都市建設の従事者

4. 戊辰戦争の関連(会津藩など)

5. 牧場経営などの入植者

6. 民間側の商人や小事業主たち

7. 士族屯田兵

 このほか明治20年以降は、札幌農学校の教師、学生などの教育関係者、地主に惹かれての一般入植者、宗教関係、自由民権運動の挫折組、そして第七師団編成による軍事関連の人たちなどと広がりを持っていく。これらの人たちの詳細な分析が必要ではないか。

~~~~~~~~~~~~~~~~ 保阪さん分析からの引用おわり

 これに対して、参加者の皆さんからさらに補足する貴重なご発言も多く、大いに盛り上がった今年の講座でした。議論の中では、アッツ玉砕後、北海道出身のご遺骨を札幌市内で札幌一中生徒が抱える列の写真も披露されました。玉砕のこのような慰霊祭は最初で最後だったようです。この列は中島公園に向かいました。

おびただしい数のご遺骨(中身は骨ではなく)

おびただしい数のご遺骨(中身は骨ではなく)

 今回は、前回にも増して様々なお立場の方がご参加になり、メディア、研究者、企業、行政等の視点からの意見交換は実に内容が濃かったです、来年も是非開催したいと思っています。

蕎麦屋 薮半 @ 小樽 2018

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 小樽というマチは、いつきても風情があり、四季折々に歴史を感じます。

 これまでの小樽関係の記事――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%B0%8F%E6%A8%BD

 先日は、財団の来年度の活動についての打ち合わせを行いました。小樽駅からほど近い仲通、雰囲気のあるお蕎麦屋さん「藪半(http://www.yabuhan.co.jp/index.html」は、昔の寄り合い場を醸し出します。HPの凝りようはかなりのもの、外国人のお客さまも多いようです。

冬の玄関口

冬の玄関口

風格ある店内

風格ある店内

2階から

2階から

 ここの名物カレーせいろ。

こってりした濃厚なカレー

こってりした濃厚なカレー

 お陰様で、今年7月に保阪正康さんをお招きして、濃密な北海道深掘りワークショップを行う企画がまとまりました。早速、昨年ご参加の方々にご案内をしていますが、「是非、出席したい」の返信も続々届いています、楽しみですね。

山崎ハコ、ライブ @ 小樽

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 山崎ハコさんのライブが小樽「GOLD STONE(http://www.goldstone.co.jp/」で、題して「山崎ハコと安田裕美の『ハッチャキ・ライブ!!』」。ゲストは浅沼修さん(http://osamu-asanuma.earth-tec.jp/)、安田さんは小樽、浅沼さんは札幌出身。小さい体からのパワーあふれる歌声、心に染み入りました。

小樽のライブハウス

小樽のライブハウス

 当時、「フォーク」を代表する歌手の変わらぬ歌声、織江の唄(https://www.youtube.com/watch?v=hOGUHjdDPek)、望郷(https://www.youtube.com/watch?v=UFVZrJ13E0I)、縁(えにし)、歌いたいの、ほか、3時間を越える歌の数々。昔の「呪い」という歌もすごかったな。

デビュー当時の姿

デビュー当時の姿

* この動画(https://www.youtube.com/watch?v=6CABEPOXLsw&t=1706s)、39分過ぎからの宇梶剛士の話が泣けてきて素晴らしい!

< 飛びます >

何のために今まで そして今からも
生きているのか
わかったような気がします
いいんです 報われぬとも
願いは叶わぬとも
この思いは 本当の私だからです
今 私は 旅立ちます
一つの空に向かって 飛び始めるのです

この思いのためなら
どんなに苦しいことも
きっと やれるような そんな気がします
そうです 歌いたくなくても
言葉に出したくなくても
きっと 歌えるのです
心の中で誰かが歌ってるから
今 私は 旅立ちます
自分の心に向かって 飛び始めるのです

一番大切な かけがえのないものは
おそらく 今 息づく 自分の命でしょう
けれど はかない人生 この私の命を
賭けるものがあっても
誰も責めないで下さい
今 私は 旅立ちます
信じるために 飛び始めるのです
私は 今 旅立ちます
信じるために 飛び始めるのです

エコビレッジ @ 余市

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 以前から機会があればと思っていた「エコビレッジ余市(http://ecovillage.greenwebs.net/index.html」を、やっと訪問することができました。代表の坂本純科さんは、秋山財団の選考委員をお引き受け頂いています。当初は長沼町でスタートし、当時、ワークショップに私も参加したことがあります。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6215

 エコビレッジは「住民が互いに支えあう仕組み」と「環境に負荷の少ない暮らし方」を求める人びとが意識的に創るコミュニティのことで、健康で幸せなライフスタイルを望む人びとの間で着目され、今や世界各地15,000ヶ所に広がっていると言われています。食料など自分たちの暮らしに必要なものをできるだけコミュニティ内および地域のネットワークで確保することは、持続可能なまちの創造につながり、安全な食やエネルギー、環境、孤独、老後や子育てに関する不安などを解決する場と期待されています。

<関連HP>

コビレッジ国際会議Tokyo関連ニュースはこちら――> BeGood Cafe

EDE(エコビレッジ・デザイン・エデュケーション)関連はこちら――> 日本エコビレッジ推進プロジェクト

 

 長沼町での試みから8年余り、余市に場を得て着実に進化を遂げていました。坂本純科さんの揺るぎなき信念とそれに共鳴する人々の賜物なのでしょう、遠く海外からの研修生も数多く訪れているとのお話でした。

広大な敷地にログハウスが3棟

広大な敷地にログハウスが3棟

 丘の上はエゾエンゴサクの群落が満開のジュータン。

満開のエゾエンゴサクの群落

満開のエゾエンゴサクの群落

 若いスタッフの方々も元気に活動中。純科さんとも意見交換をしましたが、農産物販売で収入基盤を作るというよりも、農作業体験と座学のプログラムを整備して、企業の社員研修等の教育研修事業での収入確保が一番適しているような気がするのです。各種の助成金も確保されていますが、自立プロジェクトに向けてのビジネスモデルの構築が当面の課題でしょう。今の時代、珍しいくらいに夢のあるプロジェクトなので、本当に今後の展開が楽しみです。お昼は街なかでのイタリアンレストラン、地元の美味しいワインを昼から飲みました。

右端が代表の坂本純科さん

代表の坂本純科さんとプロジェクトのメンバー

これからのプランボードの前で

これからのプランボードの前で

 帰り道、余市の「フゴッペ洞窟(http://www.tabirai.net/sightseeing/column/0000318.aspx」を見学。はるか遠い昔、2000~1500年前の続縄文期にタイムスリップして、刻画・土器の特徴から何らかの宗教的儀礼の場だったようです、神秘的空間でしばし黙考でした。

フゴッペ洞窟 入口で

フゴッペ洞窟 入口で

 さらに「忍路の環状列石(ストーンサークル)(http://hokkaido-lovepower.net/category2/entry25.html」です。気が付かなければ通り過ぎるような静かな場所、でもどこか神聖な雰囲気を醸し出している不思議さでしたね。

環状列石

忍路(おしょろ)環状列石<ストーンサークル>

 出掛けるといつも思うのですが、「場所が放つオーラ」とでも言うのでしょうか、北海道の春、石狩湾を眺めながら余市・小樽に足を運んで、あらためて時代の空気を取り入れた気がします。

小樽 3月 2017

Posted by 秋山孝二
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 小樽で打ち合わせがあり、少し早目に行って小樽文学館(http://otarubungakusha.com/yakata)で企画展「サカナクション・山口一郎さんの本箱」(http://otarubungakusha.com/exhibition/2017032123の見学、途中、久しぶりに小樽運河、手宮線跡地を巡りましたが、相変わらずの風情は壮大なテーマパークのようでした。

小樽運河 2017春

小樽運河 2017春

観光客もまばら

観光客もまばら、静寂

手宮線跡はまだ雪に埋もれ

手宮線跡地はまだ雪に埋もれ

色内駅改札&プラットホーム跡

色内駅改札&プラットホーム跡

 小樽文学館での常設展示(http://otarubungakusha.com/yakata/permanent)では、伊藤整、石川啄木、小林多喜二ほか、そうそうたる方々の紹介が興味深いです。札幌よりはるかに歴史・文化の香りがして、日本・北海道の近代の歴史を振り返る雰囲気に誘われます。

伊藤整、石川啄木、小林多喜二

特集 HAWAII 2017 (3)

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 昼前にホノルルのピア2から乗船し、夜に出航してマウイ島カフルイに向かいます。乗船は午前11時30分からですが、時間前に桟橋に到着してチェックインした乗客のために、広大な室内倉庫の一角に舞台を設置して、歌とフラダンスのミニライブ。待ち時間をも楽しませようとのホスピタリティにいきなり感激しました。

船上からアロハタワー・真珠湾方面を

船上からアロハタワー・真珠湾方面を

 このアロハタワーも懐かしいですね。1971年に横浜からスタートして最初に着いた港(外国)がここの桟橋でした。入国管理官から長い滞在日数を貰うために、上はスーツの上着、下は短パンの妙なスタイルでした。あの真珠湾(パールハーバー)がこんな近くの場所だったのかと、あらためて自分の不勉強を恥ずかしく思ったことを覚えています。

逆サイドは遠くにダイアモンドヘッド

逆サイドは遠くにダイアモンドヘッド

 まだ乗客が少ない内に勝手に船内ツアー。予定の乗客がチェックインした後は、船内生活・規則のガイダンス、避難訓練、希望する食事で予約の必要なレストランの夕食選び等、クルージング開始にあたっての諸手続きであっという間に夜になりました。今回は入国手続き等のプロセスが無かった分、以前の小樽港出発時よりもチェックインはスムースだったような気がします。

デッキ13から一つ下のデッキ:チェス盤とサンデッキ

デッキ13から一つ下のデッキ:大きなチェス盤とサンデッキ

デッキ14

デッキ14

 今回のクルージングのルートは、オアフ島ホノルルマウイ島カフルイ(停泊)ハワイ島ヒロハワイ島カイルア・コナカウアイ島リフエ(停泊)オアフ島ホノルル、です。移動は夜で、日中はそれぞれの島に上陸しての観光、それ以外にも、ハワイ島ヒロからコナへの南回り航行中には、夜にキラウエア火山の溶岩が海に流れ落ちる様子を、カウアイ島リフエからオアフ島ホノルルに戻る時は、カウアイ島北側を敢えて航行して雄大なナパリコーストを海から見学等、クルージングならではのホットスポットもあります。

ハワイ諸島の地図

 夜、静かにホノルル港を出航し、翌朝、マウイ島カフルイに入港しました。朝日に炙り出されるハワイ諸島特有のなだらかな島の稜線が印象的です。

マウイ島カフルイ港に停泊

マウイ島カフルイに入港・停泊

特集 HAWAII 2017 (1)

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 JTB企画の「プライド・オブ・アメリカで航くハワイ4島周遊クルーズ10日間(http://ebook.jtb.co.jp/book/?A2212#3」、四島巡りは天候にも恵まれて素晴らしい旅となりました。

 この船「プライド・オブ・アメリカ」は、1966年設立の「NORWEGIAN CRUISE LINE(NCL)(https://www.ncl.com/jp/ja/」所有、就航が2005年7月、総トン数が80,439トン、乗客定員は2,186名、乗組員数917名のアメリカ船籍の客船です。これから何回になるか分かりませんが、「特集 HWAII 2017」と題してご紹介致します。

* プライド・オブ・アメリカ号 https://www.ncl.com/jp/ja/cruise-ship/pride-of-america

ハワイ島コナ沖の停泊中のPOA

ハワイ島コナ沖に停泊中のPOA

上部にはサンデッキ、プール、ジャグジー

上部デッキにはサンデッキ、プール、ジャグジー

船首横

桟橋に停泊中、船首横

船内・デッキ5のフロントデスク&ロビー

船内・デッキ5のフロントデスク&ロビー

 この企画、実は数回チャレンジしても実現せず、今回4回目で。札幌からのハワイアン航空直行便でかないました。私にとって船旅と言えば、大きく以下の2回の体験があります。今回はこれまでで一番大きな船でしたが、今、世界中で就航しているのはさらに大型の22万トン級と聞いていますから、時代は変わってきていますね。もう一つ、今回は「ハワイ四島巡り」、私にとってはハワイの思い出は奥深いものがあり、最初は1971年の北アメリカ一人旅、それから新婚旅行、そして「JAIMS(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18767)」での6か月研修等、人生のエポックメイキングな場となっています。

 1971年に横浜から乗った船は、1848年に設立された「アメリカン・プレジデント・ライン(APL:http://www.apl.com/wps/portal/apl/apl-home/about-us)」の船舶「プレデント・クリーブランド(http://yelec.web.fc2.com/ELEC8-2/ship/President-Cleveland/President-Cleveland.htm」で、アメリカで1948年に建造された16,000トンの貨客船。

 2012年に小樽港から乗った船は、運行会社「ロイヤル・カリビアン・インターナショナル(RCI:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/info/contents.do?contentsId=8)は、1969年に設立された世界最大規模の客船会社で、本社は米国マイアミにあり、2011年11月現在22隻の客船を保有しているそうです。船舶は「レジェンド・オブ・ザ・シーズ:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/ship/ship_detail.do?classCode=VI&shipCode=LG」、1995年就航の70,000トンの客船。しかし、残念ながら、2011年3月11日の日本での大震災、その後の原発事故による放射線の影響を考慮して、この時のクルージングを最後に、日本の港に寄港することはないとのことです、あまり日本では報道されてはいませんが。

’71 北アメリカへの一人旅

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA

* 小樽港から日本海へ

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%B0%8F%E6%A8%BD%E6%B8%AF

定山渓、新春 2017

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 高校の大先輩・安井さんからいつもお誘いを頂き、今年も定山渓の「ぬくもりの宿ふるかわ(http://www.yado-furu.com/」さんにお世話になりました。個人の外国からのお客さんを含めて満員状態、「温泉」の魅力は相変わらずですね。小樽、虎杖浜の宿も大変好評と巷の噂で聞いています。

雪降る定山渓、「ふる川」!

雪降る定山渓、「ふる川」!

 札幌大通の NHK前から送迎バスで1時間少々、到着してすぐに足湯の場「心の里定山(http://www.kokorono-sato.jp/」で静かなひと時でした。運営は、「NPO法人 森と湯の里定山渓(代表 一條晋さん)」で、ヒーリングラウンジに流れるゆったりとした音楽、雪と庭園とゆけむりのモノトーン、久しぶりの静寂の中、瞑想にふける空間です。

離れのような静寂の中、素晴らしいひと時

離れのような静寂の中、素晴らしい時空

 翌日は、こちらも高校の大先輩、古川善雄社長の説明付きで新商品を頂きました。今後の新たな事業展開もお聞きし、これまで以上のアイディアに、超高齢化社会の中で温泉の果たす役割ほか、熱弁に聴き入っていました。

ホットなリンゴ果汁・シードルから

ホットなリンゴ果汁・シードルから

 定山渓は、私自身、様々の思い出があります。60年以上前の幼稚園の遠足から始まり、会社の観楓会、書道サークルの忘年会ほか、です。途中の道は2車線に拡幅されたりトンネルができたりと変化はしていますが、温泉街の風情は今も当時の面影を残していますから嬉しいです。札幌の街なかから1時間足らずの場は、これから益々価値が出てくることでしょう、大切にしたい札幌の「宝物」ですね。

保阪正康さん@小樽市民講座 2016

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 昨年もご登壇された小樽市民講座での保阪正康さん、今年も含蓄のあるお話でした。

 昨年はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24010

 昨年の秋山財団贈呈式に先立っての特別講演会でも、研究者の方々へのメッセージを含む素晴らしいお話でした。

ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24387

 今回は、「昭和史から見た平成、平成からみた昭和史」との題です。近著の「田中角栄と安倍晋三」は、ご本人がおっしゃる通り、副題の「昭和史でわかる『劣化ニッポン』の正体」が内容を的確に表現しています。

小樽市民講座で、今年も

小樽市民講座で、今年も

歴史から学ぶ

歴史から学ぶ

新著での鋭い指摘

新著での鋭い指摘

 保阪正康さんは、仕事柄、よく本を読むほうだと。そのため本を読まない人の特徴が分かるつもりだとおっしゃいます。安倍首相には読書が少ない人の特徴がみられ、まず『美しい国』など形容詞を使うことが多い。『侵略に定義はない』などと物事を断定するが、その理由やプロセスを説明できない。もうひとつ、どんな話をしても大体は5分以上もたない。耳学問だから深みに欠けるのです、と説明を加えました。さらに、安倍首相は、「この道しかない」、「アベノミクスはまだ道半ば」などと威勢のいい言葉で大衆をけむに巻くような自己陶酔型であり、祖父・岸信介を妄信して日本を戦争する国家に変えようとしている、と。

 安倍首相には岸のほかに父方の祖父・安倍寛がおり、戦前、翼賛政治の妨害をはね返して選挙に当選した反骨の政治家です。しかし、安倍首相は岸の方ばかり見て、寛から目を背けて、視点が等間隔でないところに政治的な歪みを感じるとも。このことは、4年前の東京日比谷公会堂における「九条の会」で、澤地久枝さんから三木睦子さんの言としてお話を聞いたことがありました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14584

 近著でもそうですが、この日も、何か覚悟を決めたかのように現在の政治の劣化について痛烈に批判をされました。翌日、小樽で意見交換をした後、札幌にお連れして秋山財団事務所にもお越しになり、秋山財団へのアドバイスも頂きました。

北を語る会・移動例会 2016 (3)

Posted by 秋山孝二
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 浦臼から宿泊の増毛町「オーベルジュましけ(http://www.auberge-mashike.jp/」へ。増毛の夜は、国稀酒造(株)(https://www.kunimare.co.jp/の林眞二代表取締役社長の講演でした。

 「国稀」は増毛町が暑寒別岳連峰から豊かな残雪を源流とする伏流水が湧き出ているため、非常に良質な水が得られることから、自家用として造り始めた酒が愛飲され今日に至っているとのこと。

社長の講演

林眞二社長の講演

 「国稀」は初代本間泰蔵が、増毛郡役所に醸造免許鑑札願いを届け出た1882(明治15)年が創業です。創業者本間泰蔵は、1849(嘉永2)年、新潟県佐渡の仕立て屋の三男として生まれ、1873(明治6)年23歳で小樽に渡り呉服店の養子格の番頭として働き、ニシン景気でわく増毛にしばしば行商で来ていましたが、1875(明治8)年に増毛に移り住み呉服商を始めました。

 創業から20年間は、旧本店(現「旧商家丸一本間家 http://honmake.blogspot.jp/」、国指定の重要文化財)敷地内にある醸造蔵で酒が造られていました。しかしニシン豊漁による好景気が続き、酒の需要が増え続け、創業時の設備では量産できないところから、1901(明治35)年、現在地に地元産の軟石を使った酒蔵を建設しました。同年に合名会社となり、丸一本間合名会社酒造部として永きにわたり営業していましたが、合名会社設立から100年目の2001(平成13)年に、「国稀酒造株式会社」と社名を改めました。

ずらり試飲用ラインアップ

ずらり試飲用ラインアップ

 二次会は参加者の部屋で、差し入れの新鮮な甘えびをつまみにさらにお酒で懇談が続きました。

二次会の部屋には差し入れの甘エビが大盛りで

二次会の部屋には差し入れの甘エビが大盛りで

 翌日は遠藤水産(株)の港町市場(http://www.m-ichiba.jp/mashike.htmlです。新鮮な魚介類のほか、ウニの殻むきも忙しそうでした。

ウニをむく人たち

ウニをむく人たち

 前日、林社長の講演を聞き、一夜明けて国稀酒造(株)の酒蔵見学です。

銘柄がずらりと

銘柄がずらりと

樽の中で熟成

樽の中で熟成

 たくさんの見学者で賑わう酒蔵で、職員の方の熱心な説明を聞きました、試飲もできてよかったです、以前訪問した時は、車で行ったので私は飲めなかったので。

 ニシン漁、北前船、湧き水等、国稀酒造訪問から北海道の歴史をあらためて知る機会となりました。

愛生舘の「こころ」 (14)

Posted by 秋山孝二
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 このブログのシリーズ「愛生舘の『こころ』」は、第13回を終えてしばらくお休みしていましたが、本当に久しぶりに再開致します。というのも、今年4月から始まる年度は、秋山財団設立30周年の節目の年になり、基本財産の出捐者・秋山喜代の遺志でまだ私が実現していない「愛生舘文庫」の創設に向けて、新たなスタートを切りました。

 これまでのシリーズ「愛生舘の『こころ』」はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

  この4年間、私は、秋山喜代の最後の住まいで、今は秋山財団事務所になっている建物倉庫の整理と、「愛生舘」にまつわる資料の収集・整理を空いた時間を見つけては行ってきたつもりです。なかなか進展していなかったのですが、昨年、助っ人を得て、資料収集も最後の局面を迎えつつあります。

 先日は、これまでも「古文書講座」等でお世話になっている青山学院大学名誉教授・片桐一男先生とご一緒に、松本順先生のご親族・松本和彦先生を訪問して参りました。貴重な資料をお借りできたので、さらに資料整理と分析・解読を進めていきます。

* 古文書講座 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%8F%A4%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AC%9B%E5%BA%A7

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

松本和彦先生(左)、片桐一男先生(右)

 貴重な品いくつかも拝見しました、刻まれた文字に価値があります。

蘭畴は松本順先生

蘭畴は松本順先生

 松本順先生のご業績と愛生舘との繋がり、そして秋山財団がなぜ「愛生舘文庫」なのか、以前のブログから引用します。

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 片桐先生は冒頭、「世界の中で新しい国家建設が迫られている時期、必要とされていたのは『海軍力』で、それも緊急性を帯びていた。日本が独立国家として成り立っていく思想・技術、そしてそれを担う人材、すなわち『体力』をつける目的で長崎海軍伝習があった」、とおっしゃいました。そもそも蘭学が江戸時代に静かに研究されていたのは、北方ロシアの東方進攻・南下の脅威に対してその対抗的思想・哲学の必要性からと、先生から伺ったことがありました。

 以前にも書きましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1096)、その第二次海軍伝習(実質的な「医学伝習」)で松本順は中心的役割を担いました。ポンぺからのオランダ語を介した伝習を、集まった全国各藩の弟子たちに伝えることで、それ以降の近代医学・医療の基礎を築きました。

 松本順の功績のまとめとして 1) 持って生まれた資質を生涯を掛けて伸ばし続けた:ポンぺの伝習から総合的技術を取得、実践――野戦病院・衛生思想等

2) 人との出会い、ポイント3人:松本良甫(ポンぺからの伝習)、山県有朋(陸軍病院等の基準策定)、高松保郎(愛生舘事業)

3) 彼のしなかったこと:オランダに留学等で行かなかった、制度が出来るとバトンタッチ・チャンスの移譲

4) 彼の目指したこと:庶民への眼差し「愛生済民」――愛生舘三十六方、衛生思想の徹底、アジア・世界の体力向上

5) 彼の日常生活――身の回りをいつも「楽」にしておくこと

 最後のまとめで、片桐先生は、「松本順の活きた人間像が把握されていない、激動の歴史の中で埋もれていた原因は、激変する維新から明治時代では文字を通してのメッセージの伝達が難しかったのではないか、それは庶民の教育レベルが江戸時代よりもむしろ劣化していたことを意味している」、と看破されていました。

 牛乳の効用、海水浴の普及等、今では常識になっている健康増進・普及に関して最初の井戸を掘った人物、それが「初代陸軍軍医総監」等の評価以上の歴史的意味を、彼の人生から読み取ることが出来るのでしょう。

 翌日、私の手元に「松本順と北海道」という3部にわたる小論文を届けて頂いた札幌在住の医師・宮下舜一先生とお話をしました。講演会にもご出席頂き、先生の論文には、何と明治24年6月に、松本順が北海道(函館・小樽・札幌)に20日間程度来ている記録が、小樽では道内に在住していた弟子たちと一緒に撮影した記念写真まで掲載されていました。

 (株)秋山愛生舘が「愛生舘北海道支部」から独立したのが明治24年11月ですので、この時にどこかで初代秋山康之進と再会していた可能性は大変高いと思いました。引き続き調査・研究の必要がありますね、また一つ目の前に解き明かす課題が見つかりました。

 今回、私は片桐先生に敢えて「秋山愛生舘」ではなく、「愛生舘」についてお話をして頂きたいと事前にお願いを致しました。講演会に参加された道内の「シンパ」の方々には、「愛生舘事業をしっかり今の時代にも受け継いできたのは、唯一この北海道の地ではないか、どうしてもっとそれに言及しないのか!」と叱られそうですが、21世紀の今、広い意味で「愛生舘事業のこころざし:愛生済民」の原点回帰を、秋山財団的には記念すべき25周年を機に目指す、そう是非ご理解を頂きたいと思います。

 この講演会をキックオフとして、今後「愛生文庫」を軸とした資料室の創設も企画する予定です。ご関心のある方の率直なご意見もお待ちしています。 ~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 宣言をしてから4年以上経ってしまいましたが、今年・来年中には必ず創設しますので、乞うご期待!です。

秋山財団贈呈式 2015

Posted by 秋山孝二
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 秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)の「贈呈式 2015」を開催しました。今年の特別講演は昭和史の第一人者・保阪正康さん、270人の聴衆で熱心にお聴き頂きました。

* http://www.akiyama-foundation.org/news/1362.html

 これまで保阪正康さんについては、このブログで何回も書いてきました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7%E3%81%95%E3%82%93

特別講演 保阪正康さん

特別講演 保阪正康さんと座長の渡辺大助さん

昭和史

昭和史の第一人者

 特別講演に引き続き、今年度の贈呈式を行い、これまで最高の来賓の皆さまのご出席でした。冒頭の私のご挨拶です。

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 本日は、多数のご来賓のご臨席を賜り、またお手伝いに株式会社スズケン様より社員の皆様に駆けつけて頂き、当財団「2015年度贈呈式」を開催出来ますことは、大変光栄に存じ感謝申し上げます。

 秋山財団は1987(昭和62)年1月に設立以来、本年29年目を迎えました。お陰様でこの間、総額約87,000万円、1,247件の助成を行う事が出来ました。本日お集まり頂きました皆様をはじめ、これまで当財団に寄せられましたご指導・ご支援に対しまして、改めて心からの御礼を申し上げます。

 本年度の事業は、「選考委員会」におきまして厳正且つ公正な審議を経て、合計43名の受賞者・受領者に決まりました。詳細につきましては、このあと、各選考委員長よりご報告申し上げます。昨今、「公募・選考」というと、2020年東京五輪開催を巡って混乱が続いています。秋山財団は設立以来今日まで、「選考委員会」の透明性を最も大切にしており、それゆえ、理事会・評議員会でもその選考決定を尊重して、今日まで順調に事業を推進して参りました。

 本来ですとここで秋山財団の事業報告・近況報告などを申し上げるべきですが、保阪正康さんのお話しを伺い、今年は「戦後70年」の節目の年、秋山財団の理事長としての立ち位置、決意をお伝えしたいと思います。

 昨年この席で、私は195431日、アメリカが太平洋ビキニ環礁で強行した水爆実験と、その調査・検証に立ち向かった日本の22名の若き科学者についてお話し致しました。2013年(2年前)9月に放送されたNHKETV特集「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~」をご記憶の方も多いかと思います。

 更に今年は、尊敬する企業経営者の故・品川正治さん(2013829日享年89歳で死去。経済同友会・終身幹事 元日本火災海上保険社長)のお言葉をご紹介致します。「戦争を起こすのは人間、しかしそれを許さないで、止めることができるのも人間ではないか。天災ではない、なぜそれに気がつかなかったのか」、と。

 さて、研究者の皆様は、「学徒出陣」についてご存知でしょうか。19431021日、東京の明治神宮外苑競技場(「新国立競技場」建設予定地)で大規模な出陣学徒壮行会が雨の中挙行され、約2万5千人の学生が小銃を肩に行進しました。敗戦の時まで、動員された学徒兵の総数は13万人に及んだと推定されていますが、70年の時を経た今も、正確な出陣学徒数・戦没者数の実態は明らかではありません。学徒兵は主に文科系学生と農学部の一部(農学科、農業経済学科など)から徴兵されましたが、その他の理科系学生は徴兵が猶予され、陸・海軍の研究所などに勤労動員されたそうです。

 1943年(同年)1128日、北海道帝国大学においても出陣壮行式が挙行されました。ここから何名出陣したのか、戦没者数も、またこの歴史がどのように継承されているかについても私の手元に資料はありません。

 一方、小樽商科大学では、毎年8月15日に校内にある戦没者記念塔(学生・教員347名の名前が刻まれた墓石が納められている)の前で慰霊祭が行われています。

 近い過去に、日本の国を支えるはずの若い人材が、戦争遂行のために「投入」されていった歴史を忘れてはならないと思います。

 さて、秋山財団の助成事業は、「競争的資金」と位置付ける文部科学省の科研費とは一線を画し、とりわけ若き世代の育成の役割を担い続けたいと考えています。それは、一貫して貧困・疾病に苦しむ道民に寄り添い、微力ながら医薬品を通じて支えてきた秋山愛生舘の理念を継承する財団の姿と信じるからです。

本日ご出席の大学関係者、研究機関、そして受領者の皆さんに申し上げます。

 米国第35代大統領、合衆国史上最も若くして選ばれ、最初の20世紀生まれのジョン・F・ケネディの就任演説に、有名な一節があります。「米国誕生と共に灯されたたいまつは、新世代のアメリカ人に引き継がれた。世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされているときに、その自由を守る役割を与えられた世代はごく少ない。私はその責任から尻込はしない、それを歓迎する。われわれがこの努力にかけるエネルギー、信念、そして献身は、わが国とわが国に奉仕する者すべてを照らし、その炎の輝きは世界を真に照らし出すことができるのである」と。

 私たち財団関係者は、北海道の研究者やプロジェクトの皆さんに夢を託しています。助成金には、29年間、秋山財団に寄せられた沢山の大切な志と篤い想い、期待が込められている事を忘れないで頂きたい、そして、今ほど、科学者の「勇気」が問われている時代はないのではありませんか。

 100年の時を越えて、北の生命と共に歩んで来た秋山愛生舘の歴史とDNAを受け継いだ財団です。生命と向き合い、道民のいのちと共にある科学、自然と共生する生命科学の進化の為に、貢献し続ける事をお誓い申し上げるとともに、本日ご列席の皆様には日頃のご支援、ご厚誼に感謝し、引き続きなお一層のご厚情を賜りますようにお願い申し上げて、私の挨拶と致します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 挨拶 おわり

 詳細の報告は、後日、秋山財団HPに掲載されますのでご覧ください。ご参加頂いた皆さま方に心から御礼申し上げます。