オバマ演説を語らなければ

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 アメリカのオバマ大統領就任演説から2週間以上が経ちました。新聞は一段落しましたが、まちの書店ではどこも「オバマ演説集」コーナーが複数あって、大変な反響ですね。語学テキストコーナーにも沢山積んでありました。

今度の演説で私が最も「凄み」を覚えたのは、大統領としての就任演説が、明確に選挙戦での演説から決別した事でした。この間候補者として支援者向けに発信された内容から、世界のリーダーとしてこの世紀の難局に向かう覚悟への転換をした人物の、「勇気」と「見識の高さ」と「言葉の重み」を感じました。以下、思うままに幾つかを。

1) メディア的には「8割の感動」とか、「失望の書き込み」とかの見出しもチラホラ散見しますが、私はそんな皮相な論評を越えるオバマ大統領の決意とメッセージを受け止めました。「試練」「再建への決意」「リーダーシップ」「多文化社会の強さ」等、これ以上ないという程吟味された短い言葉に凝縮した表現によって、濃い内容でした。正直に言いまして、テレビで見て、聴いている時にはそれほどまではそしゃくできませんでしたが、活字で後から読み直して見ると、凄いなと感じました。ブッシュ政権への厳しい評価も、「Change」を実質的に表していました。

2) 少なくとも勝利演説までの選挙戦の雰囲気を期待して集まった方々には、確かに予想外だったかも知れません。それをオバマ大統領は、敢えて今日からは違うのだと語るのではなく、その演説内容で全世界の人々を意識して表現した、とりわけ選挙で支援してくれた人々にも強いメッセージを伝えた、と思います。途中では「あれっ」と思わせて、終わってみれば「あっ、そうか」という感じでしょうか。それでも演壇に立つオバマ大統領と時間・空間をともに感動を共有したいと集まった方々は満足だったのです。

3) 20代の日本の若者が言っていました。昨年初めからオバマ氏のスピーチに興味を持って聴いていたが、最初の頃から人の心に染み入る英語が素晴らしかったし、それが進化していく様子も理解できた、と。それは何なのでしょうねとその方とも話していたのです。新大統領は日本的に良く言われる「笑顔が大切」というスタイルで演説はしませんよね。むしろ厳しい表情で間合いを取って語りかけるその雰囲気に、人々は引きつけられるのだと思います。ブッシュのあの品格の低い顔、言葉には、何人かのアメリカ人の友人も、「アメリカの恥」と言ってはばかりませんでした。

4) 日本人の翻訳者の方が、「久しぶりに国のリーダーの言葉に触れた気がした」と語る記事を読みました。その辺が語学コーナーにもオバマ大統領演説が登場する所以でしょうか。そう言えば、ここしばらく私は品格のある日本語に接する機会を持てずに居るような気がします。余談になりますが、これまで私が最も感動したお言葉、それは2000年の東京女子医科大学http://www.twmu.ac.jp/U/about-twmu/ab00spirit.html創立100周年記念式典での天皇陛下のご挨拶でした。当時医薬品卸会社の代表として、前方でそれをお聴きしていて、その深い内容とお言葉の美しさは今でも忘れられません。因みに宮内庁のスピーチライターは、中央官庁の中でも最高のレベルとか、後からある官僚の方から伺いました。

―――東京女子医科大学創立百周年記念式典
平成12年12月5日(火)(ホテルオークラ)

東京女子医科大学が創立百周年を迎えるに当たり,皆さんと共に,この記念式典に臨むことを,誠に喜ばしく思います。

東京女子医科大学は,当時低かった婦人の社会的地位の向上を願う女医吉岡彌生により明治33年東京女医学校として創立されました。医院の一室を教室にした生徒4人のささやかな学校の門出でありました。開校8年目にして生徒の一人,竹内茂代が医術開業の国家試験に合格し,初めて学校の卒業式が行われました。この医術開業試験の合格は学校中を喜びに浸らせるものでありましたが,卒業式に招かれた来賓の祝辞は女医の進出を祝福する発言とそれに反対する発言に分かれ,決して祝賀としてのみの行事とはなりませんでした。女性が生きる上において今日では考えられないような厳しい時代であったことが察せられます。東京女子医科大学の100年の歴史を振り返るとき,幾度も人々の無理解に傷つきつつ,本人の強い意志をもって様々な困難を乗り越え,その後の女医の道を切り開いていった吉岡彌生始め当時の女医の苦労がしのばれます。

東京女医学校は,吉岡校長始め,多くの人々の努力により,東京女子医学専門学校,東京女子医科大学と名称を変えつつ発展し,今日に至っています。その間,多くの医学,医療に携わる人々を世に送り,我が国の医学,医療に貢献した功績は大きく,ここに深く敬意を表します。

この100年の間に,吉岡彌生の女医学校創立の動機となった婦人の社会的地位も次第に変化を遂げてきました。昭和21年,戦後に行われた最初の衆議院総選挙で婦人参政権が初めて認められ,竹内茂代議員が誕生したことは,少年時代の私の記憶にもはっきり残っています。婦人参政権が認められたことは,戦後に行われた大きな改革の一つでありました。

今日,医学,医療は関連諸科学の発展とあいまって,非常な進歩を遂げています。この進歩により,人々の受ける恩恵は計り知れないものがありますが,一方進歩していく医学,医療に携わる人々の仕事に対する厳しい姿勢や人間性が,より深く問われるようになってきていることも事実であると思います。

東京女子医科大学が,そこに流れている至誠と愛の精神の上に立って,医学,医療を志す女性のために,また,医療を求める人々のために,今後とも大きな支えとなっていくことを願い,式典に寄せるお祝いの言葉といたします。――――――

5) 日本のメディアの扱いが、相変わらず浅薄でした。画面に登場するニュースキャスター・コメンテーターは、本当にオバマ大統領の演説をお聴きになったのでしょうかね。そんな時間もないほどに、テレビに出ずっぱりなのでしょう。コメントから逆にその人の品格と見識を知って(再確認して?)しまいます。その中で、「nikkeibp」で配信された「水野博泰の『話題潜行』from NY」は面白かったです。記者証を同僚に渡して、敢えて一市民の目線で列車で乗り込み、会場を往復しての取材は、臨場感あふれて印象的でした。終了後のゴミの山を見ての彼の感想にも共感しました、「アメリカ人は本当に変われるのか?」と。

6) 先月末のある新年の集まりで、自治体の保守系議員が挨拶でお話をされていました。「オバマ大統領の就任演説には本当に感動しました」と。乾杯の前の挨拶でしたが、「冗談じゃないぞ!あんたの立場はそんな事言っている場合じゃないだろう!」とつぶやいて隣の方と乾杯しました。日本の事は今日は言いたくない、そんな愚痴も言いたくなる保守本流日本国民の一人です。

これからが本番、沢山のネガティブ情報にさらされながらも、次々と政策決定をしている様子に、スタッフの実力も読み取れます。オバマ政権の中で、私としてはガイトナー財務長官に注目しています。

出版された、「ドナウの叫び」

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 下村徹著「ドナウの叫びhttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4344015908.html」 が昨年11月25日に出版されました。

2008年11月8日のこの欄に、「日本に帰化した芸術家、ワグナー・ナンドール」と題して私の叔父を紹介致しましたが、昨年末に彼の人生をたどったワグナー・ナンドール物語が出版されました。芸術家というと日本では、社会的には芸術・文化の世界を担う、或いは教育界で活躍する人々というような、ある限定されたイメージを持つのは私一人ではないと思います。しかしながら、ワグナー・ナンドールは、二度の敗戦、冷戦、動乱(革命)、政治犯としての指名手配等、時代の荒波に翻弄されながらも、希望を捨てず主体的にたくましく生きました。そして日本の武士道精神と出会い、日本人ちよと巡り合い、日本に帰化して、栃木県益子町でアトリエを構えて創作活動を続けた波乱万丈の人でした。

http://wagnernandor.com/indexj.htm  、http://kankou.4-seasons.jp/asobu/509.shtml

私はこれまでハンガリーには2回程行った事があります。最初は、この本にも登場するテーケシュ氏が中心となって、ナンドールの生まれ故郷ナジュバラド(現在はルーマニア領で名称もオラディア)で開催されたシンポジウムに参加の為に、もう一回は北海道演劇財団のハンガリー公演の同行でした。http://www.h-paf.ne.jp/ 今年の秋、3回目が実現するかもしれません。

ある時に、現在ハンガリーに設立されているワグナー・ナンドール財団の理事長から、日本ではどうしてハンガリー「動乱」と言うのでしょうね、と問われました。「動乱」とは辞書によると、世の中が騒がしく乱れること、と何の事かよく分かりませんね。彼は、1956年の出来事は明確にハンガリー「革命」ではないか、との主張でした。私は、日本の教科書では昔も今も確かに「ハンガリー動乱」であり、ハンガリー政府への配慮のつもりなのではありませんか、と曖昧に答えました。そうすると、「ハンガリー共産党政権は、1989年に崩壊しているのですよ」と更なる言及でした。

日本の教科書の歴史記述には、幾つか意図的な言い換えがありますね。最近では沖縄戦における日本軍の関与について、無かった事にさえなってしまいますので、要注意です。特に立場の違いによる戦いの歴史の記述では、「闘争」が「紛争」になったり、「革命」が「事件」となったりです。在った歴史事実を削除するのは論外としても、事実に基づいて時代とともに表現が変わる事(再評価)はあってもよいのではないか、と思います。

芸術分野も同じかも知れません。周辺諸国も含めたハンガリーにおいて、この10数年来ワグナー・ナンドールとその作品の再評価のうねりが高まっていて、実際に幾つかの街で彼の作品が広場・公園に新たな設置が始まっています。ブダペスト市内のゲレルトの丘に建てられた「哲学の庭」も、その一つです。ヨーロッパにおいては、日本に比べて彫刻作品は強いメッセージ性を持っていて、時代の評価も実に激しいものがあります。4年前のナジュバラドでのシンポも、ルーマニアの政変後に実現したイベントでしたし、開催前日にブダペストからマイクロバスでの5時間程の陸路で、途中途中で昔の同志をピックアップして乗せていく様子、ルーマニア国境を越える時の緊張感は、まるで映画の雰囲気でした。ソビエト崩壊による東欧の激変を実感しました。

広場に建つ彫刻作品は、民衆の心の支えだったり、運動のシンボルだったりする場合が多いですね。芸術家がそれだけ社会との関わりの中で重要な位置づけであり、それ故に迫害とか追放といった権力からの攻撃の的にもなってきたのでしょう。この本にも記述されていますが、ハンガリー動乱のリーダー達のその後の人生で、交通事故等の不慮の事故で亡くなる確率が異常に高いとか、何か言い知れない闇の世界を感じさせます。日本では、直近の戦争といえば第2次世界大戦ですが、そんな国は世界の中で実に数少ない恵まれた国なのかも知れません。

企業の温暖化リスク

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 先日東京で、「企業の温暖化リスク」に関するセミナーが開催され、日刊温暖化新聞http://daily-ondanka.com/のパートナー企業の方々が集まってのワークショップは、大変面白いものでした。

秋山財団http://www.akiyama-foundation.org/ も微力ながら活動の一環として、昨年パートナーの一員になりました。財団活動として、「生命科学の基本目標は、人類、そして地球の『健康』を確保する点にあると言えましょう。『健康』とは、人類が、世界が、平和を保つ状態だと思うのです。それは人間のコモンセンスに属すべきものであり、秋山財団の地味ではあっても着実な助成・育成活動が、北海道から日本へ、そして世界へ向けて、人類のそうしたコモンセンスの確立へと発展し、貢献する事を期待して止みません。」とメッセージを発信しています。

ワークショップでの意見交換・懇親会でのやりとりは、多様な参加者の世代・所属等により、終了してから反すうしてみても、大変奥深い内容でした。例えば、温暖化の因果関係は不確実性の中でどの程度説得力を持つのか、10年後の影響については偶然性が大きいが、10年単位での変動という時間軸ではかなりの裏付けを持つ事が出来るのではないか、合意形成の難しさ、危機の「見える化」の重要性、多様な要因の体系化等、キーワードの数々が次々に出されました。

温暖化というのは、平均値の上昇と言う以上に、変動幅の増大にそのリスクが潜んでいることもあらためて確認しました。また、科学的数字に過剰に依存しない事、変化への最適化だけではなく「しなやかさ」の必要性、頭の中に「未来の記憶」を蓄積しておく、と言った新鮮なフレーズに、当日集まった中では最高齢世代の私の頭も覚醒されましたね。

変動幅の増大に対して、「しなやかな強さ」での対応、それは時として効率化とか生産性向上とは相反する活動ともなること、そして「ムダ学」のススメ、すなわち一見ムダに見える事と本当にムダな事との違いを見極めること、の大切さも学んだつもりです。

会が終了した時に主催者の枝廣淳子さんが窓の暗幕を開けると、素晴らしい「夕日」が見えました。「ここは夕日が見える会議室で大好きです」と語りながら・・・。これまで会の終了時にこんな主催者の発言を聞いた事がありません。これが「しなやかな強さ」というのでしょうね、恐れ入りました。

津軽三味線白田くん、新春ライブ

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 津軽三味線の若手ホープ白田路明くんhttp://con-sent.net/peace/shirata_michiaki/が、若手3人とのコラボレーションで新春ライブ「和の世界」を行いました。「線の音」と題して、“・・・三味線、パーカッション、ベース、ピアノによるジャンルを越えた異色のコラボレーション。日本の伝統に創造と可能性を感じる音楽を、世代を越えた全ての皆様にお届けします・・・”とチラシには記されていました。

会場は、昨年からオープンした豊平区中の島のカムオンホール で、会場いっぱいのお客さんでした。http://cosmomaris-piano.com/concert/ooharae.img/map-sap.gif 津軽三味線のライブの時にいつも感じるのですが、聴きにくる比較的年配のお客さんは、高橋竹山に代表される津軽三味線のイメージを期待して会場に座っていて、若い方々は、まさに若いプレーヤーのパフォーマンスを「観に来る」風で席に着いています。昨年の登別の時も広い会場を見渡してみてもそんな雰囲気でした。何を言いたいかというと、1時間少々のライブ中に、時々お客さんが追いかけてもついていけない状態を見る気がしたのです。演奏がまずいのでは全然なく、新しい領域へのチャレンジが斬新で、大変不思議なコラボレイトに感動する一方、その挑戦に従来のイメージが強くて一緒に乗っていけないもどかしさみたいな、そんな場の空気を私は感じました。かえって白田くんが以前行ったヨーロッパ公演での若い観客の方が、そういったこだわりもなく、表に出した感動の表現が素直なのかなと思ったりします。

パーカッションと三味線は大変面白い境地を表現しますね。またピアノとのコラボレイトも新鮮でした。丁度ピアノの楽譜が見える角度でしたので、演奏とピアノの楽譜との関係も知る事が出来ました。あの簡単な楽譜でどうして沢山の音が紡ぎだせるのかと、驚きでした。

とにかく若い4人の前向きのエネルギーを受け止めて、帰り道は元気になりました。回を重ねる毎に進化していくプレーヤーを見るのは、ライブの醍醐味ですね、早速3月のライブも予約しました。

医療崩壊への処方箋

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 私は、医療経済研究機構http://www.ihep.jp/の個人会員になっています。なかなか時間がなく、講演会にも欠席が多いのですが、毎年、新春特別講座には出席しています。頭の整理に効果的で今年も面白かったです。

「医療へのアクセスと資源配分ー医療崩壊への処方箋を考えるー」との演題で、医師のきめ細かい分野別での養成、地域における医療の重要性と具体的方策等、示唆に富む提言の数々でした。

日本の医療というのは、これまでいろいろ言われてきていますが、相対的に世界の先進国と比べてみて、大変コストパフォーマンスの良い皆保険制度だと思っています。勿論、社会の高齢化の進行他、長い間の変化に適応した改革は日々必要であるのは間違いありませんので、設立当初のままの制度で良いという訳ではありません。ただ、基本的認識として、日本の良い所はきっちり守る姿勢とういのは、大切な事だと思うのです。昨今の議論を聴いていると、何もかにも悪いみたいな議論が多く、またまた危機感を持ってしまいますね。個別の不満・不安と制度の良し悪しの議論が、ぐちゃぐちゃになっている様な気がします。

夕張などでもそうですが、北海道の医療現場は、今危機的です。地方は病院がどんどん撤退して、広域連合としての基幹病院も残らず、結局は札幌圏の大病院までの搬送を前提とした仕組みへと移行しています。先日の講座でも、「医師不足が医療の崩壊の原因であると言われているけれど、本当にそうなのか」との問いかけが、パネラーの臨床医からありました。イタリア・ギリシアなどは人口千人当たりの医師数は日本の倍くらいいますが、医療の質が高いとは決して思えません。どうも医療の荒廃の原因を誤った認識から始めている気がします。もう一つしばしば語られる財源論です。「他の予算をもっと社会保障に回せ!」というものですよ。これも当日の報告の中でもありましたが、02年から08年だけを見ても、公共事業は大幅に減っていて、防衛・文教科学費も数字上は削減です。ただ社会保障費が18兆3000億円から21兆8000億円と、大幅に増加しているのが現状です。言いたい事は、これまでの政策では「偏在」という概念が欠落しているのだと思います。医療へのアクセスと資源配分のミスマッチというのでしょうか。今、まさに政治の出番なのですが・・・。

今後の医療政策として、幾つか印象に残った言葉を列挙致します。

*急性期病院の外来について、他の社会資源による代替を考えては――開業医が施設としての病院を支える、或いは勤務医が地域医療を支える、といった施設と担い手の流動化を図る事により、資源配分の適正化を図る

*在宅医療は4輪駆動――医師・看護師・薬剤師・歯科医師とのコラボレイト

*政策は理想ではなく、実現可能性が最も重要

*新しい法律、新しい政策、新しい制度導入には、世の中に理解されるような一体感づくりが必要。介護保険導入時の粘り強いシンポジウム・国民との対話の経過に比べて、「後期高齢者」問題で批判を浴びた一件の唐突さ。

*まずは「救急医療」を軸にあるべき地域医療体制を構築していく事が大切。

私は以前から主張しているのですが、医療問題を「医療費からの視点」だけから語るのは、地域住民にとっては大変迷惑な話です。偏在があるので、特に北海道のような過疎(札幌圏以外)と過密(札幌)が同居する都道府県では、「北海道」として出てくる数字ではどのまちの実態も示してはいません。費用としてだけ認識してしまうと、「削減」という発想しか出て来ません。社会に「必須の機能」とか、「まちづくりの要」という認識を持つと、もっと幅広い議論が出来ると思います。逆に言えば、「充実した医療体制のまち」で、沢山の人が安心を求めて移住してくるに十分な動機があるに違いありません。自治体の方々にはそう提案しています。

「まじめの崩壊」、同感ですね

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 東京の地下鉄駅構内にある立ち読みしやすい書店で、和田秀樹著「まじめの崩壊」(ちくま新書)を見つけました。http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0109681990 「・・・世界からまじめな国民と評価されていた日本人は、いつからこのようにふまじめな国民になってしまったのでしょうか・・・」。この所私が感じている気持とぴったりのフレーズに、しばし(と言うにはかなり長い時間でしたが)立ち読みをしました。

企業でも、教育機関でも、警察・役所等の公務員集団でも、何か昔と違った雰囲気を日頃感じていた私です。社会の前提条件がこの数十年で実は大きく変わって来ているのではないか、若い世代の価値観が自分の時代とは大きく違っているのでは等、自分だけがそう感じているのか、潜在的な疑問がこの間どんどん自分の中に湧き上がり、挙句の果てには、この所の各セクターのていたらくを見るにつけて、本来戦後の時代を担う有能な人材を、第二次世界大戦で日本は大量に失ってしまったのではないか、とも思うに至ったりしました。戦争で失った資産は、その時の直接的損害ばかりではなく、それ以降の歴史にも強い影響を与えるのだという自分なりの確信でした。

昔は「暗黙の信頼」があった人々・組織が、今の時代は確認、或いは無い状態として事に臨まなければ、大変な間違いを起こしてしまう、そんな危機感を持つのです。以前外国に出張した時に、ホテルの支払い、お釣りの金額、品物の値段、乗物の時間・予約、レストランの注文等、日本で生活している時には「確認」作業など殆どしていなかった自分としては、確認の連続で慣れるまで随分と疲れたのを思い出します。それだけ忘れ・間違いが多いというか、携わっている人たちのレベルが低かったというか、とにかく日本国内程スムーズに正確には事が進みませんでした。仮にそれを自分が怠ってクレームをつけると、逆に確認をしなかったお前が悪い、に近い反撃にあったものです。帰国する度に、「日本の業務レベルは本当に安心で、いちいち確認という余計な手間がいらない、素晴らしい社会だ」と思ったりしていました。

ところがこの所の日本で感じる総体のレベルの低下と言うのでしょうか、いい加減な対応というのでしょうか、金融機関窓口業務での信じられないミスとその後のあきれる対応、経営レベルのモラルの低さ等を目の当たりにすると、どうも日本も世界なみに落ちてきていると強く思っていました。そしてその大きな要因が、個々の日本人の価値観・哲学の変化だと気が付き始めています。この本を読んで、メランコ人間とシゾフレ人間の比率が、劇的に変化してきている日本社会を知り、現状認識としては納得のいくヒントを得たような気がします。どちらが良いか悪いかというよりも、大きな変化を認識する必要がありそうです。

著者のメディアの批判にも共感します。最近の「お笑い系番組」の氾濫は一体何なのでしょうか。いえ、もっと正確に言うと「全てのニュースをお笑い系にしてしまっている」という方が正確かも知れません。視聴者が求めるからとはとても思えない、話題を「お笑い系」でお茶を濁し、思考停止に誘導しているようです。「世論形成」などという高邁な理念がある訳でもなく、野次馬以下でしょう。マスメディアは何かと言うと「公共的な報道という活動に従事している」とよく言いますが、くだらない電波の無駄遣い的番組を量産しておいて、それはないでしょうと私は思いますね。

こういった変化している日本社会で、旧来型の「きまじめさ」を信条として生きていくのは、信じられない程ストレスが溜まるのですが、「異端児」、「頑固者」と言われようが、保守本流の日本国民(?)としてと、少々力んで声を発していきたい気持です。

「課外授業~ようこそ先輩~」、長淵剛編

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 NHKテレビの「課外授業~ようこそ先輩」は、数日間の授業で生徒たちが変わっていく様子を目の当たりに出来て大変感動的です。正月早々この番組では、長淵剛が母校鹿児島南高の3年7組で授業を行いました。http://www.nhk.or.jp/kagaijugyou/archives/archives281.html

秋葉原事件について生徒たちに感想を求めた彼は、その答えを聞きながら明らかにいらだっている様子でした。そして丁寧に語りつつ、当時現場で周りを囲んでいた群衆が傍観者を決め込んでいる姿を指摘して、今回の授業のテーマ「叫び」へと導く場面は素晴らしかったですね。卒業を数か月に控える高校3年生にとって、小学校・中学校の義務教育年限の卒業とは一味違う不安が心をよぎるのでしょうか。「社会」への旅立ちとも受け取れる時期に、長淵剛に出会えた生徒たちは幸せです。この授業を受けてどんどんと引き込まれて変わっていく様子が、それぞれの生徒たちの表情から読み取れました。

納得のいかない高校時代を過ごした私にとって、長淵剛のようなメロディと詩で思いを表現できる人は大変うらやましいです。番組の中で、生徒たちからの言葉・詩をもとに曲「卒業」を作り上げていく一連の作業は、あれもこれも盛り込むのではなく、むしろ限りなく無駄な言葉を削ぎ落とし、出来るだけシンプルな表現へと仕上げていく活動だと受け止めました。

私も彼のCDは何枚か持っています。一番新しいものは、アルバム「KEEP ON FIGHTING」ですが、もう5年前のものとなりました。その中の曲「傷ついた鳥」http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/237438/Y018417

「しあわせになろうよ」http://bestcd2.blog97.fc2.com/blog-entry-1010.htmlは、特に印象的です。

傷ついた鳥 ・・・青く広がるのはいったい誰の空、よせてかえすはいったい誰の海、翔べないこの鳥を私は抱きしめて、朝の光をにらみつけてみた、自由に翔べるさ、きっと自由に翔べるさ、そう信じてまた、生きていくのでしょう・・・

「ずぶぬれ」とか、「どしゃぶり」と言った表現を好む一方で、詩ににじみ出るすべての「いのち」への眼差しの優しさに強く惹かれます。ライブはエネルギーにあふれていますが、先日の授業でも見られたように、個々人へ迫るストレートさというか透明感を、先日のテレビで、埠頭での女生徒たちとの会話、大風呂での男生徒たちとの語らいを通しても感じました。魅力的な優しさですね。

長淵剛にとっては、桜島・錦江湾が原風景なのでしょう。私にとっては、藻岩山・豊平川・大通り公園等が原点です。ふるさと札幌を離れて活躍している多くの方々も、恐らくそれらが心の原風景となっているに違いありません。

長淵剛の魅力を再認識致しました。http://www.nagabuchi.or.jp/live/sakurajima/interview_01.html

オレゴン・ポートランドの知人から

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 アメリカ・オレゴン州ポートランド市のヘンリー上野夫妻とは、もう20年以上のお付き合いになります。年始のご挨拶状で

「・・・ポートランドにも何年ぶりに本格的な冬がやって来ました。4・5日雪が降り続いています。全く久しぶりの寒さなので、一般の人はもとより若者たちは戸惑っています。・・・私どもはお陰様で元気です。二人とも80歳を過ぎました。凄いことです。幸せです。これからも数々の社会奉仕に頑張ります。」

数年前に札幌にいらっしゃった時、昼食をご一緒にしました。その時は奥様が空港で足を捻挫されて、歩くのにも不自由だったので心配していましたが、その後回復されてお元気な様子で安心しました。それ以上に「幸せです!」と80歳を超えたご夫婦がきっぱり宣言される所に、私は心温まる思いです。

札幌で食事をした時に、ブッシュ政権に話が及びました。私が「私の知っているアメリカ人、日本人で、ブッシュを支持する人は一人もいないですよ」と、事の弾みに口にしましたら、猛烈な反論にあいました。政権或いは政治の話題に対する真剣味の違いに少し戸惑った事を覚えています。食事後、「お食事中にあまり適当な話題ではなかったですね」と上野さんにお詫びを言われ、私こそ恐縮してしまいました。

20数年前に、ポートランド日系人会が企画する高齢者ホーム「憩荘(いこいそう)テラス」へ、札幌の経済人も寄付をしました。完成後数年経って見学に行きましたが、その時にも入居している多くの高齢の方々からお礼を言われました。「決して現地の日系人だけの為の施設ではありません。人種・民族を問わず、地域で高齢者を見守ることは大切だと思います。なぜならこの地域に大きな貢献をされた方々ですから・・・」と、中心になっていた方の言葉は印象的でした。月並みな表現ですが、「感謝の気持」を持ち続けることの美しさ、なのでしょう。

書き込みテスト

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7日よりシステム不調により、メッセージが送信できない状態です。この間、「課外授業~ようこそ先輩~、長淵剛編」、と「オレゴン・ポートランド市の知人から」を公開したつもりでしたが、何処かに消えました。しばしの間、中断致します。

変わりつつある時代を感じて

Posted by 秋山孝二
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 正月は、普段あまり見ないCMもテレビで目にすると、時代の変化を感じます。

“油田から太陽光の時代”、“省エネ30%”、“すべてのいのちの為の環境づくりに・・・”、“水と土と空と、人のために”等、数日間で繰り返し放映されていたCMです。CSR(コーポレート・ソーシャル・レスポンスビリティ:企業の社会貢献)の一環として、宣伝広告が位置づけられ始めて時間が経っているからなのでしょうか。これまでと比べて、環境保全への貢献とか、いのちの大切さといったフレーズの頻度が格段に増えているような気がします。勿論番組のスポンサーを出来る企業は大企業なのだとは思いますが、商品とか企業のダイレクトな宣伝から、地球を大切にする企業姿勢の広報へと大きくシフトしていると実感します。ある人は、「単に商品・企業を売らんかなの目敏い商売根性さ」とバッサリ言い放つのかもしれませんが、私から見ると、リスクをしょっている企業の、時代を読む先見性と受け止めましたが・・・・。

私は、この「リスクを取っている」という立ち位置が、大変重要だと思うのです。誰も助けはしてくれない、自分たちで状況変化に適応していく以外に、生き残る術はない、そんな緊張感を持ち続けている姿勢です。今の日本の政治家・官僚には、この立ち位置を感じません。公務員一般にも感じる危機感の欠如と言ってもいいのかもしれません。自分の給与・暮らしと世の中の景気とか経済状況とが全く連動していない連中、彼らが語る言葉の軽さと現実とのズレ、眼差しの冷たさは、しかしながら近いうちに必ず反撃を食らうに違いありません。

新しい年2009

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 1月1日は、毎年新鮮な気持になりますね。静かに家でこの日を迎えられる事に、まず感謝でしょうか。

私にとって、今年は自分のフィールドで再度しっかり結果を出していきたいと思っています。公益法人改革の方向性に沿って、秋山財団http://www.akiyama-foundation.org/ を新しいステージにのせて、一層の貢献が出来ればと気持を新たにしています。

ゆく年2008

Posted by 秋山孝二
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 先日は三角山FM放送http://www.sankakuyama.co.jp/で、恒例の丸山哲秀先生の8時間番組の中、1時間程お付き合いを致しました。娘の恩師でもありましたし、教育からの視点で共有する話題も多く、毎年先生とのひと時を楽しみしています。

番組の中で数年前は、「勝ち組」とか「負け組」とか言う社会は気に入りませんね、とお話をしていましたが、今年は派遣打ち切りとか、更に一層深刻な状況に、心を痛めていました。今年は、私たちの世代の間では、「自分たちはこれまで一生懸命目の前の仕事をしてきた気がするけれど、こんな社会しかつくる事が出来ずに、申し訳ない」、若い世代を前にそんな言葉をよく耳にしました。

一方自分たち自身は、五木寛之著「人間の覚悟」http://www.shinchosha.co.jp/book/610287/にある様に、覚悟を決める時期かと感じています。「下山の哲学を持つ」必要性を、私も強く意識した今年2008年でした。「林住期」を生きる、あるいは、「そもそもボランティアというのは、最後は『石もて追われる』存在であるべきなのだから」と五木寛之が語る言葉に、大変納得のいく感動を覚えます。

歴史的転換点の2008年、この時代に生きていた事を後で感謝するだろう程、私にとって今年は納得のいく年でした。課題も明確ですし、新しい時代を大胆に構想して、より良い社会づくりに少しでも貢献できれば、これ以上の喜びはありませんね。

「多様性」と言えば、目指すべき社会の中にも

Posted by 秋山孝二
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 「多様性」と言えば、世界の中の日本、あるいは学校教育においても、キーワードなのだと思います。もう4年ほど前になりますが、「どんなに障害が重くても地域の学校へ・連絡会議」の会報に書いたのが、以下の内容です。

―――この直近20数年、私はビジネスの世界で企業経営に携わり、仕事上沢山の国々・都市で数多くの市民・企業経営者・官僚・研究者に会う機会に恵まれ、日本という国・日本人に対する熱い期待を肌で感じて参りました。民族・宗教・思想の全く違う国際社会の多様な人々が寄せる期待感、しかしながらそれは過去の歴史の事実から、大きな不安感とも隣り合わせで存在する事もまた容易に推測されます。私たちが意識するしないにかかわらず、今の日本国・日本人は、国際社会の中で世界に貢献すべき責務を負っている気がします。事実、数多くのNGOの一員として、「こころざし」をもって地道に世界各地で活躍する日本人も増加していて、貢献の仕方も実に多彩で頼もしい限りです。

しかし、これまでの実績を基盤に、国際社会から喜ばれる将来の日本人の活躍を、今後も期待できるのでしょうか。私は正直に申し上げて、大いなる危惧を抱いています。

私は1970年代美濃部都政の末期に、東京都江戸川区で公立中学校の理科教員をしていました。聴力に障がいのある子供たちも含めたクラス編成、知的障がいの子供たちの特別クラスと一緒の学校で、私は5年間担任を受け持ち、実験を中心とした教科指導、バレーボール部の顧問等、忙しく充実した毎日でした。

当時は「校内暴力」が新聞紙上を賑わせていましたが、私の経験からは、「校内暴力」に限らず、地域内での他校生とのいざこざも多く、授業とか部活の他に、地域社会の中で“義務教育”に携わる者として、否応なしに責任を感じる場面も多々ありました。ただ、一連のいわゆる「暴力沙汰」も、当事者から言わせると「存在感の誇示」が本質の様で、一人の人間が大きく成長する過程で、大切な時期だったのでしょう。そんな「はみ出し」も学校教育の中で、個性として容認できていた、良き時代だったのかもしれません。

また、「運動会等の学校行事で、知恵遅れの子供たちと一緒では親戚から誤解をうける」とか、「耳が悪い子供と一緒のクラスでは、授業のレベルが下がるのでは」とか、毎年数人の保護者の方々から苦情を言われた事もありました。初めての担任の時、私自身、意思伝達では大いに不安で逃げたい気持にもなりましたが、伝えたい事を子供たちの目をしっかり見て話をしていくうちに、私は難聴児との会話に自信を深める事が出来ました。学級の生徒たちも、ほぼ私と同じように、彼・彼女らとの自然な会話を身につけていきました。

5年間の教員生活で私は、「異なった存在をありのままに認識する事」と、「心のふれ合いを創造するコミュニケーション」を、人生の出来るだけ早い時期から体験して育つ事の大切さを強く感じました。その事が同時に、「他と違う自分」の価値を意識する強い動機となり、人間として生きていく為には、「多様性の尊重」が社会の中で最も重要である事を生徒とともに学びました。「自立する個人の尊厳」とも言えましょうか。時あたかも「能力別学級編成」、「養護学校義務化」の流れの中で、私は反対の姿勢を明確にして、当時の組合幹部も含めた「抵抗勢力」と闘っていた時代です。

その後、教員を辞めて札幌に移り、自分の子供たちが体験した札幌の学校教育の現場から推察する最近の環境に、何か大変な危機を感じてしまうのは私一人ではないと思います。私が教員時代の雰囲気に比べて、全く更にひどく「均質化を目指す教育」へと逆行している、そんな危惧を抱いているのです。仕組みが理想的な教育環境ではないのが大きな問題というより、現場教員集団・PTAが、結果的に足並みそろえて「異質な事・人・物の排除」に懸命になっている姿、これは冒頭に申し上げた、国際社会が期待する「21世紀型日本人像」を創り出す事と全く逆行していると言わざるを得ません。

そんな危機感を抱きつつ、世界に羽ばたく価値のある「個性」を磨く場としての札幌・北海道に、限りない可能性を信じて、これからの若い世代にたまらない魅力を感じながら、私なりの活動を地道にしていきたいと思っています。―――

多様な「いのち」が存在できる世界、それは人間社会でも自然界でも、最も豊かで健康で価値のある事だと確信しています。

生物多様性の保全は

Posted by 秋山孝二
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 今年のG8サミットでは、環境問題が中心課題と大きくメディアでも取り上げられました。終わって発表された沢山の声明を冷静に読み返してみると、あれもこれもで、その後それぞれの関係する方々が都合よく「これがG8サミットの合意だ」と言っている様子を、8月以降のいくつかのフォーラム等で語っているのを目に致しました。

一般的に新聞を読んでいると、環境問題は即「気候変動:温暖化」と読み替えている場合が多いですね。勿論それは重要なテーマではありますが、私のような遅れてこの問題に関心を寄せる者としては、環境問題にはもう一つ、「生物多様性の保全」という視点がある事を忘れてはならないと思います。

洞爺湖で開催されたサミットとほぼ同じ時期に、札幌のコンベンションセンターで「市民サミット」が開催されて、海外・国内・地元のNGO及び市民が約3000人参加致しました。2010年に名古屋で開催される生物多様性条約締約国会議(COP10)を控え、国内でも生物多様性に関する動きや話題を見聞きすることが増えてきました。企業にとっても、環境や持続可能性に関する「温暖化の次の大きなテーマ」ともいわれています。市民サミット」の分科会でも熱気のこもった議論があったようで、クロージングセミナーでの報告では、名古屋に繋がる総括報告もなされました。

私にとって、環境関係の大切な情報は個人会員になっている下記から送られるものです。週何回も、世界からの膨大な情報が送信されるので、読みこなすのも大変ですが、それを支えるスタッフも素晴らしいですね。
http://www.japanfs.org/ja/ 

このJFSの代表のお一人、枝廣淳子さんは日本の誇るべき女性です。先日も英字新聞で「 Asia’s first lady of the environment」という見出しで紹介されていて、写真には「green queen」として大きく掲載されていました。http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fe20081126sh.html

これから、生命科学をテーマとする秋山財団としても、この二つを視野に入れて「地球の健康」を考えていかなくてはならないと思っています。取り急ぎ、その一つ「気候変動:温暖化」について、下記の場で学んでいこうと思っています。http://daily-ondanka.com/thoughts/index.html

私は貝になりたい

Posted by 秋山孝二
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 出張の合間に、時々相手の都合によりアポイントの時刻が変更になって、ポッカリ時間が空く時があります。先日も急に獲得できた時間があり、映画「私は貝になりたいhttp://www.watashi-kai.jp/」を見ました。中居正広・仲間由記恵が出演で人気と聞いていましたが、予想以上に映画館にも若い世代がかなり来ていました。

私にとっては50年程前のフランキー堺・新珠三千代出演http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD26185/cast.htmlを題名から思い出します。何だか幼い自分には大変怖い映画で、途中で出てきたか、テレビを見ていて途中で消したか、いずれにせよ最後までは見ていなかった記憶があったのです。先日も薄れた記憶を蘇らせるつもりもあり足を運びましたが、判決が下った後、再度呼ばれて死刑執行を言い渡された場面で、場内から「えっ!」という悲鳴とも言えない声があちこちで聞こえました。正直言って私は、ここで減刑或いは無罪はないだろうに、と中居ファンには冷たい言葉を心の中で浴びせていました。

その後、家に帰って妻とその話をしていると、今年の夏前に東京の親戚から、「私は貝になりたいの主人公の妹と同級生だった」との便りがあったとの事。嘆願書の署名を集めて歩いた妹との話に、私は「主人公の妹ではなくて奥さんだろう?」と訊きかえしたのです。ところが、確かに妹であるという事と同時に、今年の8月に、原作「私は貝になりたい―あるBC級戦犯の叫び 加藤 哲太郎 (単行本 - 1994/10/25)新品¥ 1,680 (税込)」に基づく中村獅童のテレビhttp://www.ntv.co.jp/watakai/が放映されたと、更に続きの話を聞きました。先日の映画館で悲鳴をあげた人たちは、今年8月のこのテレビドラマを見た方か、原作を読んだ方だったのかも知れないと、その時初めて気がつきました。

私は恥ずかしながら今回、その加藤哲太郎氏の著書と橋本淳氏の脚本とが、かなり違ったストーリーになっているのを知りました。著書を読むと著作権を巡っての争いもあった経過も記載されています。「似て非なるもの」というのはかなり厄介で、題名は同じでも、最初の設定が大幅に違うこと、途中からのストーリーが大きく違うこと、そしてその結果、物語のテーマが変わってくること、を感じました。加藤哲太郎氏の著書に基づくと、結果的にご本人は生還されることにより、家族の愛情とか絆とかが中心に据えられてくる感じ、同時に占領軍へのイメージも橋本氏の脚本とは大きく違ってくるような気がします。それに対して昔そして今回の一連の映画は、歴史及び社会の不条理・理不尽さが前面に出て、更には東京裁判それ自体への疑問という所にまで発展する方向さえ考えさせられます。脚本に特別な意図があったとは考えたくはないのですが・・・。現在は、原作の欄にはお二人のお名前が記載されています。

「戦争が引き起こす不条理」には変わりはありません。今回、ふとした時間から随分新しい発見をしました。

「オモテ舞台から消えたあの人は今・・・」かよ!

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 北海道のさる月刊誌、今月15日に発売なった新年号の「オモテ舞台から消えたあの人は今・・・」のタイトルの中で、なんと私の名前が掲載されています。ああいった見出しで掲載されるとは、考えもしませんでした。私は舞台から降りた気は何もないのに、ご親切にもその月刊誌からは「降ろされ、消され」ました。

私はこれまで、メディアの取材申し込みをお断りした事はありません。基本的にはどんな意図であろうとも、メッセージ発信の機会と前向きに捉えていました。しかしながら、昨今のメディア・記者の取材は、事実関係自体も怪しくなってきているので、当事者としては、明らかに事実と違う場合は訂正を強く要求したいですね。ただ、その手だてがありません。ひどいときには取材もなしで、あたかも言ったかのような記事を書いたり・・・。こちらの時間にも限りがある中で、良かれと思ってこれまで対応してきましたが、姿勢を変えた方が良いのかもしれないと思い始めています。その後始末の労力が大変ですからね。

以下、瑣末な事とは思いながら、今回の記事の中で事実と違う事を修正させて下さい。

1)“泡沫”扱い?: 普通、選挙では供託金(予め立候補前に選挙管理委員会に納める定額のお金)を納めます。’03札幌市長選挙の場合は240万円でした。選挙結果で自分の得票数が、有効投票数の10%以下だとこれが没収になります。私の場合は越えていましたので、後日戻って参りました。「泡沫」というのは、普通はこの供託金が没収の候補者を言うのだと思いますが。

2)「康之進」の襲名に関して?: 二代目は初代の娘婿、三代目は二代目の娘婿、その次の社長は二代目の娘(三代目の妻)ですから、男性の名前の襲名など有りようもないです。因みに私は、「英語のイニシャルがKで同じだからいいでしょう?」と良く分からない事を言って、襲名しなかったのです。

3)千葉県で中学教諭?: 東京都江戸川区です。大学の地元ではなく、敢えて江戸川を渡った他の場で力を試したいという心意気でしたので、この間違いは許せませんね。

4)東証1部への上場?: いきなり1部はありません。合併時は東証2部です。少しして1部の予定でした。スズケンは店頭登録から東証2部へと進み、現在は1部上場企業です。公開会社同士の合併という所に、意味があるのです。

5)その傷もすっかり癒えて?: この経験を傷といっては、本当に傷をお持ちの方に失礼です。私にとっては大変貴重な体験で、その後の人生・活動に大きなプラスの影響を与えてくれました。傷も癒えてどころか、貴重な経験で心からの感謝です。

6)創業の地(札幌市中央区大通り西5)?: 明治からの創業の住所にもこだわりを持っています。中央区南1条西5丁目です。大通り西5は電車通りをはさんで一つブロックが違います。ちなみにビルの名称も「秋山ビル」ではなく、「愛生舘ビル」です。

7)北海道に応援団は必要ない?: 応援団は必要ですが、応援をする素振りで評論だけするなら必要はないので、フィールドに降りてきてプレーをしろよ、と言ったのです。

以上の通りです。「まだ話題にしてくれるだけ存在感があるということだろう」という方もいますが、とてもそんな気にはなれませんね。月刊誌・週刊誌は売れて何ぼの世界でしょうが、最低限の信義は、取材する対象者及び読者に対しても必要だと思います。

全席「優先席」

Posted by 秋山孝二
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 海外旅行では、カルチャーショックというのが顕著ですが、日本国内でも結構感じる時もあります。先日、、横浜の市営地下鉄の車両には、「全席、優先席」との表示がありました。また、たまたま乗った私鉄車両の椅子に腰掛けて、少ししてからドアを何気なく見ると「女性専用車両」とピンクの文字で書いてありました。一瞬「アレッ」と思いましたが、「土・日は除く」ともその下にあり、ホッとしましたが。まあ、専用車は名古屋にも札幌にもありますからそれ程違和感はありませんが、以前なら「ここの椅子に座ってよいのかな」とか、「この車両に乗っていいのかな」などとは意識もしなかったのに、時代も変わってきていますね。

「全席、優先席」というメッセージは面白いですね。新千歳空港と札幌駅の空港ライナーという電車では、いつも限定された「優先席」を巡って面白い光景が見られます。私は、退屈な会議とか何となく本を読む気にならない電車内の時は、目の前で繰り広げられる光景を、舞台上の芝居に見立てて楽しんでいます。まさに「劇的」に、勝手に自分のシナリオにしながら観客気分となります。「優先席と書いてあるけれど、お年寄りが来たら代わればいいや」と言いながら、結局どんな人が来ても立つ気配のない人。そうかと思うと、空いている車内で、如何にも疲れている若者が優先席の横で立っている姿。「空いてるのだから座ってもいいのでは」と水を向ける事もしばしばです。

もう一つ、ある夜8時頃でしたが、東京の私鉄に乗っていると、一つの車両に居るお客さんの私以外の人全員が携帯電話と向き合っていました。風景が昔と一変している、寝てるか携帯電話操作中かの日本国民事情です。

電車といえば、昨年「それでも、ボクはやっていない」という映画が上映されていました。http://www.soreboku.jp/index.html   なんとも恐ろしい映画でしたが、ある男性の若者は、「あれは若い男にとってはホラー映画だ」と言っていました。以前はそれ程感じなかったのですが、最近は都内のラッシュアワー時、電車内での人との距離は、私はどうも息苦しくてすぐに降りたくなります。いつでも犯罪者になってしまう、そんな身の危険(?)を感じる昨今です。

「看取り」から考えること

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 身内の高齢者を看取った何人かの方からお話を聴いていると、今の日本で高齢者への医療・看護・介護の研究および臨床例の蓄積が、本気で為されているのかどうか、強い疑問を抱く時が多いですね。急性疾患に対する治療については、沢山の臨床医師が興味を持ち、研究も進化しているのでしょう。また昨今では、慢性疾患についての研究にも大きな進歩が見られます。ただ、高齢者に対する医療・看護の現場、介護の現場は、それらに比べると余りに画一的であり、死にいたる過程への寄り添いがないと思うのです、特に病院内では。こうすると良かった、ああいう最期で本当に良かったのだろうか、と葬儀の後も自分を責め続ける数多くの残された家族の方々のお話に、日本の高齢社会の未熟さを感じます。残された家族の納得性に欠けるとでも言うのでしょうか、医療に従事する人々ばかりではく、宗教と日常生活の関係性とか、沢山の課題が山積しています。

日本のように、これ程のスピードで社会に占める高齢者の比率が増加した国は、歴史上にありません。従ってまだまだ本当に高齢者の幸せな最期、あるいは理想的な家族の看取りが実現するには、これから数十年の歳月が必要なのかも知れません。それまでは「諦め:あきらめ」と共に,気持の整理をつけなければならない辛い日々なのでしょう。

人生の終わりは百人百様です。病気によってもその過程が大きく変わりますし、家族の意向として命を長らえる事よりも、むしろ手術等は出来るだけ行わずに、自然体の最期を希望する場合もあるでしょう。ガンなどの場合は痛みの除去を最優先にして貰いたいとする場合も多いかと思います。その人の人生の終末は、究極の自主自立的意思かも知れません。自分の身内の経験からも感じるのですが、生前に何回もそんな人生の終局部分について、自然な形で明るく語り合える時間を持っていたいものと思いますね。

病院内で人工呼吸器等の人為的な方法で「生き延びさせられている」場合は別でしょうが、あらかじめの意思により自然体で最期を迎える高齢者というのは、亡くなる直前まで、想像以上に意識ははっきりしている気がします。ごく普通に会話をしていた、と看取った方から伺う場合が多いです。より長く生きるばかりではなく、その人らしい最期をどう遂げさせてあげるか、そんな事も「Quality of Life」の一環で、真剣に研究する価値があると思います。

「Quality of Life」で思い出しましたが、普通「生活の質」と多くの方が訳していますが、今から約28年前に、アメリカのビジネススクールで日本企業の人事政策を研究している大学教授が、これを「生き甲斐」と訳すのが最も適切であると私に語っておりました。アメリカ人の研究者から、「生き甲斐」という言葉が出てきて、あらためて精神的領域での奥行きを教わったような気がしました。

無色透明な「お抹茶」?

Posted by 秋山孝二
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 先日空港の売店でお茶を探していると、お店の人が「これは冷たいお茶で、こちらが暖かいお茶です」と指で示して教えてくれました。私はその冷たい方のお茶をじっと見ていたのですが、ラベルの間から見えるのはお茶の色ではなくて、無色透明な液体が入っているだけなのです。でもラベルには確かに「お抹茶」と書いてありました。「これはミネラルウオーターでしょ?」と再度聞き直してみても、けげんな顔の彼女でしたが、続けて「これはふたを開けると中の抹茶と内フタが下に落ちて、次に上のキャップをしっかり閉めて良く振ってからお飲み下さい」との説明。

「新しい商品ですか」と更にしつこく問うと、「いえもう数ヶ月前から販売しています」との返事でした。何だか大変時代に乗り遅れた気持になりました。言われた通りにキャップをひねり、閉じて、振って飲みました。中に緑色のプラスチックがカラカラと音を立てて残ったままになっていましたので、何となく違和感がありましたね。でも容器は捨てずに、今も机の上に飾って置いてあります。

最近の若い世代は、おにぎりの海苔は食べる直前に巻いて口に入れるのが普通とか。そんな文化はコンビニが世に出始めてからの極めて新しいスタイルでしょう?私もコンビニで買ったおにぎりはそうして食べはしますが、何かの時に家で作る時は、勿論、海苔をあらかじめ付けて持って歩きますが・・・・。

先ほどの「お抹茶」ですが、私の直感では、あまり売れないと思いますよ、暫く観察してみますが。

http://www.itoen.co.jp/news/2008/062607.html

南原繁という人

Posted by 秋山孝二
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 南原研究会http://nanbara.sakura.ne.jp/が毎年開催しているシンポジウムに参加しました。

今年のテーマは「南原繁と戦後教育改革~その現代的意義~」で、第一部は東京大学名誉教授 寺崎昌男先生の基調講演、第二部が「南原繁をめぐる人々(その3)」と題して、「前田多門」、「田中耕太郎」「河合道」「務台理作」「天野貞祐」について、それぞれ研究会メンバーがその功績他をレポートし、コーディネーターを成蹊大学教授の加藤節先生が務められました。

敗戦直後の荒廃の中、高い理念と構想力を持って臨んだ教育刷新委員会での議論を踏まえた当日の各研究者の発表は、大変内容が濃く、戦後教育の枠組みを決めた過程を再認識出来ました。明治以来の「教育勅語」をどう扱うか、従来の日本の人材育成を総括して、新しい時代を担う、言い換えれば制度の民主化を推進する主体の創造、自由で自立した人間の育成等への並々ならない情熱を感じました。どこかに原案が用意されていた予定調和ではなく、本当に喧々諤々たる議論の中から、教育基本法が世に誕生した経緯を認識しました。

昨年でしたか、それら誕生の議論に比べると余りに貧困な経緯で教育基本法の一部が改訂されました。関わった方々の教育観とも言えない思惑と駆け引きの中で、貴重な言葉の数々が削除され、改悪されましたね、恐ろしい事です。私は昔、教育現場にいた者として、教育の重要性を軽んじる今の政治家・学者に憤りを感じます。何年か前に、「最近の日本人の顔が醜くなった」とどなたかが書いていましたが、本質的議論なしのこの種の「改定」が続く事に大変な危機感を持ちますね。と同時にそうさせない活動を自分の出来るところから始めなくてはとも思います。

先日のシンポではフロアーとの意見交換の時間で、80歳代の方がご意見を述べていらっしゃいました。「今の方々は、教育勅語の文言だけを議論をされる傾向があるが、それが教育現場或いは社会でどのように使われていたか、を良く見極めなければなりません。本来の意味あいとは別に、それが権威・権力として有無を言わせず子供たちを管理・強制する手段として利用されていた事実を見逃してはなりません」と。

時代を踏まえた改革の議論、その中でやはり「原点の確認」が重要ですし、高い理念を掲げ続ける見識も大切なのだと再度感じた東京での時間でした。